*過剰摂取*
その日山崎が廊下を歩いていると、千鶴が申し訳なさそうに声をかけてきた。辺りを見回すが見張りの隊士もいないようで、勝手に部屋から出てきたと思われる。それに山崎は思わず眉間に皺を寄せた。彼女の部屋からそう離れてないとはいえ、現在勝手に出歩く許可は土方から出ていない。
「…部屋から出ていいのか?」
念の為に確認すると千鶴は小さく首を振り、項垂れるので山崎は呆れた様に肩を落とす。
「俺に何か用か?部屋で聞く」
「はい。すみません」
素直に千鶴は頷くと、トコトコと部屋に向かって歩き出すのでもしかしたら自分の姿を見かけて追って来たのかもしれないと山崎は彼女の背中を眺めながら考えた。今の時間の見張りは永倉である。彼女が比較的大人しく新選組の言う事を聞いているので見張りも最近は緩くなってきている所もあるし、幹部の仕事を手伝う事もあるので時折は屯所内を一人で歩いているのを見かけることもある。だが多分永倉は純粋にサボっているような気がして山崎は溜息を付く。恐らくどこかで昼寝でもしているのだろう。
部屋に到着すると千鶴は座布団を出し山崎に勧めるので遠慮なく座ると山崎は早速用件を聞く体制に入る。
「あの…お願いがあるんです」
そう切り出した千鶴に山崎は前もって自分が副長直轄の監察である事、自分の仕事は千鶴の事を含めて全て副長に報告している事、よって上に内緒でという類の願いは聞けない事を釘さす。すると千鶴は小さく頷き話を始める。
「実は…」
「ああ、部屋にいたのか雪村君。良かった」
改まって話を切り出そうとした千鶴の言葉を遮ったのは盆を持った近藤であった。それには流石に山崎も驚き、とりあえず礼儀正しく挨拶をすると近藤の用件が終わるのを待つことにした。
「山崎もいたのか。丁度良かった。美味しいお饅頭を買ってきたんだが雪村君とどうだ?」
そう言うと近藤はいそいそと盆を千鶴の前に置き、さぁどうぞと言わんばかりに満面の笑みで饅頭を差し出す。
「有難うございます。本当気を使わないで下さい」
申し訳なさそうに言う千鶴に近藤はいやいや、甘いもの好きだろう?と笑顔で言うと千鶴の饅頭への感想を待ち構える。近藤に勧められ山崎も一つ手を伸ばしてみると、それが市内で評判の個数限定販売の饅頭であることに気が付いた。
「個数限定販売じゃないんですかコレ?」
「ああ、朝から出かける用事があったからついでに買ってきたんだ。どう味は」
「美味しいです」
千鶴と山崎が口をそろえて言うと近藤は満足そうに笑い、すくっと立ち上がるとそれじゃぁ、邪魔して悪かったねと言い残し部屋から出て行く。その背中を見送りながら山崎は不思議そうな顔をした。別に近藤がみやげ物を買ってくることは珍しい事ではなかったが、甘い菓子を態々千鶴の所まで配達する理由が理解できなかったのだ。
「あの…」
「ああ、話だったな」
一つ饅頭を平らげた山崎は千鶴に声をかけられ漸く本題に入る事を思い出した。
「近藤さんいっつも甘いもの差し入れに来てくれるんです」
「…」
近藤が千鶴の甘いもの好きを知ってる時点でそれは推測できたが、何故それが相談事に繋がるのか解らなかった山崎は黙って千鶴が話を続けるのを待った。
「それでですね。甘いもの好きなんで嬉しいんですが、その…なんというか…私外に余り出れないじゃないですか…」
「まだ副長の許可は下りていないな」
そこまで言って千鶴はもごもごと声を小さくするので山崎が怪訝そうな顔をすると、かぁっと顔を赤くして千鶴が俯きながら決心したように言葉を発する。
「甘いもの食べてるのに運動不足で太ったみたいなんす!」
「…」
そこまで言うと千鶴は上目遣いで山崎の表情を伺った。呆れられるか笑われるかの反応を予測していたが山崎は表情一つ変えず暫くの沈黙の後、そうかと短く返事をした。
「それで?」
「あの…ちょっと運動したいので、外に出るのは無理ですし、誰もいない時で良いんで道場の隅っこちょこっとお借りしたいんです。すみません、誰に頼んだら良いのか解らないし、たまたま通りかかった山崎さんにお願いするのも変だとは思ったんですけど、その…」
目を泳がせながら一生懸命言葉を捜す千鶴を山崎は暫く眺めていたが直ぐに立ち上がると部屋を出ようとする。
「あ、山崎さん?」
「了解した。直ぐに戻る」
「…はい。お願いします」
山崎が呆れて退出するのではなく、土方に許可を取る為に出て行くことに安心した千鶴はほっと胸を撫で下ろす。すると山崎はちらりと盆に残った饅頭に視線を落とし、残った饅頭の数を確認した。近藤がなにをどう考えてそれだけ買ってきたのか知らないが少なくとも千鶴1人で処理しきれる数の饅頭ではない。
「それは全部一人で食べるのか?」
「…無理です…食べれても1つ2つです」
項垂れるような千鶴を見て山崎は小皿の方に2つ饅頭を残すと盆ごと饅頭を持って部屋を出て行ってしまった。
「副長」
山崎が私室で書類を作っていた土方に声をかけると土方は顔を上げ、ああ、お前かと言い手を止める。
「どーした。っと、なんでお前がその饅頭もってんだ?」
先程千鶴の部屋から引き上げてきた饅頭に目を落とし土方は驚いた様な顔をする。近藤が朝買っていた饅頭を山崎が持っている理由が解らなかったのだ。
「雪村君の部屋から引き上げてきました。宜しければどうぞ」
「雪村?なんで。意味わかんねぇよ。それ近藤さんが買ってきた饅頭だろ?」
そう言いながら土方は山崎が置いた盆から饅頭を一つ摘む。疲れている時に甘いものは非常に有難い。
「局長が雪村君に甘い物を随分頻繁に持っていってるようです。雪村君の方も裁ききれない上に体重が増えたので道場で体を動かしたいと言ってきてます」
表情も変えずに淡々と言葉を発する山崎に反して土方は呆れたような情けないような顔をして溜息をつく。なにやってんだか…と呟くと少し思案した後、監視付き、誰も使用していないのを条件に道場の使用許可をだす。
「了解しました。それから…」
「解ってるって。あの人昔から人が喜んだら莫迦みてーに同じ事やったりする所あるんだよ。多分雪村が喜ぶと思ってやってんだ。悪気はないと思うしちょっと控えるように言っとく」
「はい」
「どーりで最近菓子箱の減りが早いと思った。平助辺りが食ってんだと思ってんだがよりにもよって近藤さんかよ…」
はふぅと溜息をつく土方を眺めながら山崎は少しだけ口元を緩める。
「悪かったな山崎。俺が気が付く所だな」
「いえ。それでは」
立ち上がろうとする山崎に土方は再度声をかける。
「道着も悪ぃけど調達してやってくれ。体重が増えちまうとは可哀想な事したな…ったく近藤さんは…」
山崎への指令と愚痴をいっぺんに言葉にすると土方はも立ち上がり、近藤さん探すか…と面倒臭そうな顔をする。早くしないと次の菓子を調達してしまうかもしれないと思ったのだろう。
「残った饅頭はこっちで処理しとく。平助辺りが食うだろうし」
「お願いします」
山崎が頭を下げると土方は苦笑し、そんじゃ頼むわとだけ言って饅頭を抱えて私室を出る。残った山崎は土方からの指令を遂行すべく駆け出した。
「副長から許可が出た。これは道着だ」
山崎が戻ってくると千鶴はぱぁっと表情を明るくして嬉しそうに胴衣を受け取る。
「有難うございます!」
早速道着を広げる千鶴を眺め山崎は改めて彼女の方をじっと見る。太ったと言うがさほど輪郭線などは変化はないように見えるし、体型は和服で余りよく解らないが大きな変化は見られない。
「…あの…」
流石にじっと見られて恥ずかしくなったのか千鶴が遠慮がちに声をかけると山崎は少し首をかしげ、そんなに太ったようには見えないと率直な感想を述べた。
「袴の紐が少し…あの、そんなに酷く太った訳じゃないんですけど…その…今後を考えるとちょっと」
「ふむ」
恥ずかしそうに言う千鶴を見て山崎は曖昧な相槌を打つ。確かに父親を探す許可さえ今は降りていないし、いつまで新選組に滞在せねばならないかもまだ不透明であることを考えると、近藤の甘味攻撃はじわじわ千鶴の体にのしかかって来るかもしれない。
「本当お手数かけて…助かりました」
「俺の仕事だから気にするな」
丁寧に礼を述べる千鶴に山崎は表情一つ変えずにそう言う。すると千鶴ははぁっと溜息をつき広げた道着を畳む。
「山崎さんに頼んでよかったです。多分平助君とか永倉さんだったら笑われる所でした」
その言葉に山崎は怪訝そうな顔をした。どこが笑う所なのかよく解らなかったのだ。彼女が困っているのは事実であるし、今後の事を考えるなら彼女の願いはさほど検討外れであるとも思えなかったのだ。
「笑わないで聞いてくれて有難うございました」
「…」
嬉しそうに言う千鶴に対して山崎は不思議そうな顔をするだけであったが、彼女の表情を見ているとさほど悪い気分でもなかった。
「何かあればまた言えばいい」
「はい」
「…道場は明日の夕方位なら空いているそうだ」
その言葉に千鶴は少し思案したような表情を作ると、山崎に向かい再度口を開く。
「あの…ご迷惑じゃなければ…明日山崎さん一緒にいっていただけますか?」
千鶴が遠慮がちに言うのを聞いて山崎は驚いた様な顔をする。仲のよい藤堂達にてっきり頼むのだと思っていたのだ。山崎自身は監察の仕事があるので土方の命令がない限り基本的には千鶴の屯所内での監視はやっていない。
「お忙しかったらいいんですか…」
黙ってしまった山崎を見て、山崎が困っていると思った千鶴は少ししおれてそう言葉を続けた。
「いや、構わない。一応副長に許可は取ってみる」
ぱぁっと千鶴の表情が明るくなったのをみて山崎は少し困ったような顔をする。何故そんなに一喜一憂するのか全く理解できなかったのだ。千鶴とは何度か仕事で話をしたこともあったが、千鶴の信頼が自分に…幹部を差し置いて置かれるのか不思議であった。
「はい。楽しみにしています。あの、本当護身術程度しか出来ないので…」
「…君なら護身術程度で十分だろう」
その言葉を聞いて山崎は少し瞳を細める。道場剣術と人を切る技は全く持って別物であると山崎を含め新選組では思われているのだ。道場剣術でどんなに強くても、人を切る術は全く持って別物で、新選組は当然人を切る術に特化している。彼女のように人を切る機会も必要もない人間が護身術程度と言うのは当然であると思ったのだ。
「はい。でも他の幹部の方は本当に強いので…恥ずかしいんです」
「俺が弱いと?」
「いえ。そういう意味じゃなくて。あの…山崎さんなら笑わないでいてくれると…思ったんですが…」
山崎の気分を害してしまったと思った千鶴は尻切れトンボな様子で言葉をつむいだ。任務に対して忠実で誠実な山崎はとっつき難いが信頼できると言う事を言いたかったのだろうが、巧く言葉に出来なかった。
「俺が笑わない事が何故君にとって重要なのかはわからないが、仕事なら引き受ける。それだけだ」
「すみません。ご迷惑だと思うんですが、山崎さんがいいんです」
「…そうか」
踵を返して部屋を出ようとする山崎に千鶴は思い切って言葉を投げかけた。その言葉に山崎は少し困惑したような表情をするが、少しだけ表情を緩める。余り表情の起伏のない山崎が表情を緩めた事に驚いた千鶴は目を僅かに見開き淡い微笑を浮かべる。
「宜しくお願いします」
「ああ」
ほんの少しだけ自分の気持ちが伝わったような気がして千鶴は安心すると、山崎の後姿を嬉しそうに見送った。
随想録とかで山崎激しく萌えました
2008 ハスマキ