*先見之明*

 新選組は鳥羽伏見の戦いで新選組は大敗をし、総大将が江戸へ逃げ帰ってしまった事もあり彼等は船に乗り江戸へ向かう事となっていた。
 その時新選組のいた伏見奉行所も襲撃にあい、井上はそこで敵の銃弾に倒れ、山崎も重傷を負ったのだ。
 雪村千鶴は桶に入れた水を山崎の寝室に運ぶ。何とか即死は逃れたものの山崎の傷は思いの他酷く、船の中でも高熱を出して苦しんでいたのだ。それに対して千鶴は責任を感じていた。あの時伏見奉行所にいた千鶴は井上と山崎の命によって斉藤に助けを求めに行ったのだ。しかし運悪く鬼である天霧と遭遇していた斉藤は直ぐに駆けつける事ができず、2人が戻った時には既に奉行所は火の海であった。
 もしも自分がもっと早く駆けつけていればと後悔ばかりが彼女を支配していた。井上だって助かったかもしれない、山崎もこんな重傷を負わなくても済んだのかもしれないと。
「山崎さん?」
 部屋にそっと入ると山崎は眠っているのか返事がなかった。ただ、額にうっすらと汗を浮かべているので千鶴は桶の水に手ぬぐいを浸すとそっと山崎の汗を拭った。
 山崎には何度も千鶴は助けられていた。無論山崎は任務であるから千鶴を助けたのであろうが、いつも感謝していた。監察という立場上山崎は表立って彼女と接触する事は少ないが、土方に千鶴の護衛を頼まれている斉藤同様、何かと千鶴を影から助けてくれていたのだ。
「…雪村君か」
 うっすら目を開けた山崎は苦笑交じりに千鶴の顔を見る。
「大丈夫ですか?お水飲みます?」
「…ああ」
 起きるのも億劫なのだろうが山崎は無理矢理体を起すと千鶴から水を受け取り咽喉に流し込む。自分のモノではないように体は重く、傷も痛む。それを感じる度に山崎は絶望的な気持ちになる。もう自分は戦えないと自覚するのだ。元々は他の幹部のように前線で戦うのが仕事ではない諜報部隊ではあるが、もう動かない体ではただのお荷物だとぼんやりと山崎は考える。左腕を失った山南にはまだその参謀としての役割があったが、自分にはもう何も残っていないと。
「山崎さん?」
「君も部屋に戻るといい」
 そう言葉をかけたが千鶴は小さく首を振って再度山崎を横にした。多分今晩もずっと付き添うつもりなのだろう。船に乗り込んでからずっと彼女はそうしている。それが彼女の罪悪感からだと知っている山崎は少し困ったような顔をして再度口を開く。
「君が気にする必要はない。俺が弱かっただけだ。だから…もういい」
 山崎と再会した千鶴は泣きながら助けを呼ぶことが遅れたのを詫びた。井上が死んでしまった事も山崎が怪我を負った事も彼女は己の所為だと責め続けていたのだ。
「山崎さん」
 千鶴の瞳が大きく見開かれ、その後悲しそうに伏せられた。
 助かる方法がない訳ではなかった。新選組の薬を使って山南や藤堂同様羅刹となれば命は助かるし、恐らく以前以上に戦う事はできるだろう。しかし山崎は羅刹部隊へと誘う山南の言葉には乗る気にはなれなかった。
 羅刹部隊を嫌っていた訳ではない。あの部隊はあの部隊で新選組には必要であったし、実際山南や藤堂等の幹部も羅刹になることで生き残り新選組に貢献していた。しかし、自分は自分の仕事に誇りを持っていた。監察・諜報として前線ではない所で新選組を守る為に戦う仕事を死ぬまで続けるつもりだった。
「もう…いいんだ。もう守れない」
 少し離れた場所に座る千鶴には聞こえない声で山崎はポツリと呟いた。

 

 その日山崎は夢を見た。
 新選組として過ごした日々の夢で、ソレは人間が死ぬ前に人生を振り返ると言うモノであったのかもしれない。
「あの…平助君と斉藤さんを見ませんでしたか?」
 ソレが新選組の瓦解が明確に見えてきた伊東派が分離する時である事に気がついた山崎はゆっくりと瞳を伏せた。目の前の千鶴は肩で息をしながら山崎に衛士として新選組を離脱する2人を見なかったかと縋るように尋ねたのだ。
「…境内だ。そっちに行くのをさっき見かけた。話をするなら早いほうがいい。彼等が此処から出て行ったら、ソレも許されなくなる」
 本来は袂を分かつ人間に会わない方が彼女の為だとは思う。千鶴の説得は多分彼等には届かないし、彼女が悲しむだけだと思った。知らないというのは簡単だが、彼女はそれでも探しに行くのだろうと思うと嘘を付くのは気が引けたのだ。
 山崎の言葉にツバメの様に身を翻すと千鶴は礼を言って境内に向かう。その姿を見送り山崎は目を細めた。彼女が探す人物が斉藤だという事は知っていたのだ。
 庭に視線を移し山崎は緩やかに思考を巡らす。新選組の行く末と、彼女の行く末。
 彼女は『鬼』なのだ。屯所を襲撃してきた3人の鬼がそういっていた。鬼とはなんなのか具体的に理解する事は山崎には出来なかった、羅刹達を『まがい物』だと吐き捨てるあの鬼達の言葉を考えるなれば、あの羅刹より更に身体能力の高い異形であるということであろう。彼女にその様子は見えないが、鬼である以上恐らく今後苦難の道が待ち構えているのだろうとぼんやり考える。
 鬼に狙われ続けるかもしれない。人に疎まれるかもしれない。新選組は彼女を受け入れたが他ではどうであろうか。
―─でもいずれ新選組は無くなる。
 それは山崎が何度思考を巡らせても到達する答えであった。刀の時代は終り、幕府は倒壊し、新選組は中からも外からも壊れてゆくだろう。
 山崎はそこで思考を止めた。どんなに心配しても結局己の道を選ぶのは彼等自身であると思ったからだ。
 そして。自分自身も選ぶ時が来ると。

 

 熱が上がって呼吸が苦しくなってきた山崎は重い体を起し水分を補給する。千鶴は先程食事に呼ばれて出て行ってしまったのだ。
「起きて大丈夫なのか?」
 扉を開けて入ってきたのは盆に粥を載せた斉藤であった。その姿を確認すると山崎は少し瞳を細めて弱々しく笑うと再度横になる。
「食事は無理だ。悪い」
「そうか」
 山崎の言葉を咎めることなく斉藤は盆を置くと山崎の側に座る。千鶴は少し疲れてるようなので寝かせたとだけ斉藤は山崎に伝えた。その言葉を聞いて山崎は少し安心したような顔をする。日に日に疲れを見せる千鶴の事が少し気になっていたのだ。
「…君も無理するな。日中は動けないんだろ?」
「…」
 斉藤もまた羅刹であった。彼は鬼から千鶴を守る為に羅刹となり、今は本来なら日中外に出られる体ではなかった。山南や藤堂は昼間は寝て夜に活動しているのを知っている山崎は斉藤の体を心配したのだ。斉藤は無言で山崎の方を見ているだけであったので山崎は少し困ったような顔をした。人の事はいえないが斉藤も表情に乏しい所がある。なれれば何となく解るのだが、初対面の人間は大概斉藤に対して冷たいイメージを持つ。
「…君が選んだ道はきっと正しい」
 山崎が独り言のように呟いたので斉藤は少しだけ驚いた様な顔をして彼の言葉に耳を傾けた。
「でも俺は羅刹にならない。このまま死ぬ」
「山崎」
「…そして多分新選組も終わる。君も…気がついているんだろ?」
 その言葉に斉藤は目を細める。軋み続けている新選組は多分監察の山崎が一番よく知っているのだろう。斉藤は新選組を守りたいが為に奔走しているが砂が零れるように少しずつ軋んで瓦解していく新選組を止めるまでに至らない。大きくなりすぎた組織。切り捨てた同胞。そして、人の手に余る羅刹。僅かな軋みが大きな亀裂となりいつか新選組を壊してゆくだろうと山崎は感じていた。それでもきっと斉藤は新選組を守る為に生きようとするのだろうとも。
「だから…君は多分もう一度選ぶ時が来る」
「…」
 山崎は自分が羅刹になりたくないのは壊れてゆく新選組を見たくないという気持ちがあるのかも知れないと思い目を細めた。しかし目の前の斉藤は多分それを見なければならないと。
「あの子…君が守ってやれ」
 その言葉に斉藤は驚いたように顔を上げ山崎を凝視する。
「俺と君が必死で守ったんだ。頼む」
「…俺は…」
 山崎の言葉に斉藤は何か言おうとするが巧く言葉に出来ず結局押し黙ってしまう。斉藤は任務に必要な事は何でも器用にこなすが、自分に気持ちを口にするのはどういう訳か酷く苦手のようで、山崎はそれを知っている為僅かに微笑んで斉藤の言葉を辛抱強く待った。
「俺に…守れるだろうか…」
 斉藤のしぼりだすような言葉に山崎は小さく頷くと、君はその為に羅刹になる事を選んだんだろ?と優しく言葉をかける。山崎は斉藤が自分同様に任務に忠実で誠実な人間だと知っていた。けれど、それだけで羅刹になる事を選べるほどその道は簡単ではない。斉藤が千鶴の事をどう思っているのか山崎は薄々気がついていたのだ。だからきっと斉藤が今後選択を迫られ苦しむ事になるだろうと思った山崎は今此処で死ぬ前に言葉をかけることを選んだのだ。
「後悔だけはするな。自分でちゃんと選べよ。約束だ」

 

 その後容態が悪化した山崎を羅刹へと主張する山南に対して本人はただ首を横に振り続けた。
「…俺はもう選んだ。羅刹にはならない」
 本人の意思を尊重すると土方が決定を下したのでそれ以降は山南は強く出ることは出来なかったが、長年付き合った仲間が又一人この世を去ることに一同はただ暗い顔をするしかなかった。
「…君も選ぶ時がくるよ」
 側で泣き続ける千鶴にそう言うと山崎は薄く笑い頭を撫でてやると視線を斉藤に移す。
「斉藤さん…約束だ…」
 消えそうな声を聞き斉藤は小さく頷くと瞳を伏せた。
 そしてそれが山崎の最後の言葉であった。

 水葬とされた山崎を見送る一同は悲痛な表情を浮かべ彼の消えた水面を眺めた。涙を堪える千鶴の側に立ち斉藤は何度も山崎の言葉を反芻していた。山崎の言うとおり新選組は壊れてゆくかもしれない。そして斉藤も選ぶ時が来るかもしれない。
―─羅刹になった自分の選択。
―─羅刹にならなかった山崎の選択。
 どちらかが間違っている訳ではないと思った。けれど、次に選ぶ時に自分は間違った道を選ばないだろうかと斉藤は唇をかみ締める。

―─あの子…君が守ってやれ。

 その言葉を思い出し斉藤は静かに泣いた。


何故山崎ルートがないのか
2008 ハスマキ

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