*一夜十起*
現在はフリーターであるが、元お庭番衆である全蔵の元には多種多様の仕事依頼が来る。忍としての能力を買いたいという依頼もいまだに多いのだ。彼女と出会ったのもその依頼の中の一件であった。
漸く探し当てた船に忍び込んだ全蔵は、船内を歩き回り依頼主のいる場所を探した。この船に監禁されているのだ。それを探して、この船から連れ出すのが全蔵の今回の仕事である。月に一度程度であるが、絶える事無く続くこの依頼を流石の全蔵も不思議に思った事はあった。
メールでぽつりと連絡が来て、そののちに全蔵は依頼主の行方を捜し、毎回変わる監禁場所へ出向く。メールでの連絡が可能と言う事は監禁と言えども自由度は高いのだろうし、実際船から出てしまえば依頼主を追うのも諦める奇妙なモノ。
薄暗い船内で耳を澄ますと、どこからともなく聞こえる三味線の音に気が付き全蔵は足を止めた。
「こっちか」
合図の様に己を導く三味線の音は依頼主のものであるとここ数回の仕事で承知していた。音のする部屋は見張りと、厳重な鍵を設置されている所を見ると恐らく当たりであろうが正面から行くのは得策ではないと、全蔵はすっと暗闇に姿を消した。
カタンと小さな音がしたので、カグヤは三味線を奏でる手を止めると天井に視線を送る。一体どうやって溶接している天井を毎回外すのかいつか聞いてみようと思っていたのだが、今回もぽっかりと空いた穴から顔を覗かせた忍者の姿を確認して彼女は鮮やかに微笑んだ。
「早かったわね、全さん。今日はバイトないの?」
「シフトが早番だったんでね」
全蔵が普段はピザ屋でバイトをしている事を知っているカグヤは、その言葉を聞くと笑い、三味線を背に背負う。それを確認した全蔵は彼女を抱きかかえると、天井へ再度上り逃走を開始した。
埃っぽい暗闇の中、全蔵は後ろからついてくるカグヤに注意を向けながら移動をする。船内の人間はまだ彼女の逃走に気が付いていないらしい。このまま誰にも会わずに逃げおおせれば一番だが、外に出るまでに一旦天井裏から船内に戻らねばならない。そこさえクリアしてしまえば後は楽であろうと思いながら、ゆっくりとしたの様子を窺う。
暗闇にも、埃っぽさにも不平不服を言わないカグヤは、全蔵の後に黙ってついてゆく。そんな中、急に船内が慌ただしくなったのを確認して彼女は眉をしかめた。
「ばれた?」
「かもな」
憮然とそう言う全蔵は、通風口から下の様子を窺った。先程見張りについていた面子が、派手な着物を着た女に何かを話している様であった。その女は何度か見た事があった全蔵は思わず顔を顰める。拳銃を使う女で、早撃ちのスピードがかなりある。出来れば面倒なので彼女と正面切って対峙するのは避けたい。
「こっちだ」
全蔵が方向転換したのでカグヤは小さく頷いてその後へ着いてい行く。恐らく彼の中では船の構造は全て頭に入っているのだろう。何種類もの逃走経路を確保しているの毎度のことながら感心したカグヤは彼の足を引っ張らないようにと遅れる事無く彼の傍を離れなかった。
小さな通風口を一つ外して降り立ったのは、恐らく荷を積み込む場所であろうと察したカグヤは、安堵のため息をついた。しかし、その安堵の時間は一瞬で、後ろの扉が開き、先程見かけた女が拳銃を構えてこちらを向いていた。
「そこまでッス!毎度毎度逃げおおせると思わない方が良いっスよ!」
その言葉に全蔵は僅かに腰を落とすと、クナイを彼女の拳銃めがけて投げつけた。反射的によけた女は床に転がるが、不快な金属音と共に、彼女の拳銃は全蔵の放った2本目のクナイによって手から弾き飛ばされた。離れた場所に拳銃を弾き飛ばされた女は、舌打ちをするとすぐさまそれを拾いに行こうと動くが、その隙に、全蔵はカグヤを抱えて荷を伝い高い位置にある窓まで移動する。
「コラ!待つッス!」
漸く拳銃を拾った女は全蔵に向かいそう声をかけるが、彼は無言のまま窓を蹴破ると、ふわりと闇夜に姿を消した。
声を掛けられる前に撃たれたら危なかったと内心ひやりとしながら全蔵は船から少し離れた場所まで駆けると、そこで漸くカグヤを地面に下ろした。
「とりあえずは逃げおおせたわね。ありがとう全さん」
「家まで送り届けるまでが仕事だから、まだ気は抜けないけどな」
その言葉にカグヤは困ったように笑うと、先程まで監禁されていた船を眺める。
「相変わらず追跡はなしか」
「そーゆールールなんでしょ。多分」
一度も追跡がかかった事がないのには全蔵も不思議に思う。船であったり、建物であったり、監禁場所は毎回違うのだが、彼等の敷地の外に出てしまえば不思議とそれ以降の追跡はない。
ゆっくりと全蔵も船を眺めると、甲板に佇む男の姿が見えて思わず体を強張らせる。派手な着物を着た隻眼の男がじっとこちらを眺めていたのだ。
「また、あの男甲板にいるな」
「え?どこ?」
暗くてよく見えないのか、カグヤが全蔵に体を寄せて同じように船を眺めたので、すっと男の方を指差す。
「隻眼の男。……あれが高杉晋助か」
「私には見えないけど、多分そうだと思う」
彼女を監禁しているのが鬼兵隊と呼ばれる攘夷志士グループであるのは知っていた。元々依頼を一番最初に受けた時に彼女の事も一応調べたのだ。
元攘夷志士で、廃刀令と共に刀を置き、今は三味線屋と称して三味線教室や芸妓として座敷に上がる事を仕事にしている。廃刀令以降は攘夷活動の形跡はなく、一方的に鬼兵隊に拉致られている形になる。恐らく嘗ての仲間である彼女を仲間に引き入れようとしているのだろうが、それ以外にも理由があるのかもしれない。
彼女の表情を窺いながら、全蔵は少しだけ眉間に皺を寄せる。それに気が付いたのか、カグヤは僅かに首を傾げると、全蔵の方を見て笑った。
「何か聞きたい事でもある?」
「いつまでこの依頼が来るのかと思っただけ」
「どちらかが死ぬまでじゃないかしら?」
屈託なく笑った彼女は、帰りましょと短く言い歩きだした。
三味線屋と看板の掛った家までたどり着くと、勝手口から招き入れられ全蔵は家に上がり込む。
「ちょっと待っててね」
そう言うと座敷に座った全蔵を置いてカグヤは部屋を出て行った。手持ちの金がある時は直ぐに支払いをし、ない場合は後日振込をされる。大概即日払いであるし、支払が滞った事も、値切られた事もないという点では全蔵にとっては非常にいい客であった。金さえ貰えれば依頼者の事など普段なら気にはならないのが、いかんせん依頼の特殊さや、継続的な事を考えると気にはなる。
茶封筒と温かいお茶を持って来たカグヤは、卓に茶を置くと、封筒をそのまま全蔵に渡す。
「今回の分と、次回の手付ね。またよろしく」
中を確認する事無く封筒をしまった全蔵を見てカグヤは笑った。それを見て全蔵は少しだけ口元を歪めると、熱い茶をすする。
「……変な関係だな」
「誰が?」
「アンタと高杉」
その言葉にカグヤは少しだけ驚いたような顔をすると、そうねと短く肯定する。その表情を見て全蔵は、長い前髪で隠れた瞳を僅かに細めると、口を開いた。
「殺せ、とは依頼しないんだな」
「そうね。そんな形で終わるのはフェアじゃないから」
ゲームの様に一定のルールの元繰り広げられる逃走劇だと全蔵はぼんやりと思う。もしも彼女からそんな依頼が来れば全蔵はやってのけるが、彼女はそれを望んではいない。ただ、逃げるだけ。奇妙な関係は彼女の言う通り、死ぬまで続くのかもしれない。
「いい加減、面倒な依頼に飽きた?」
「面倒のうちに入らねぇよ。楽に稼がせて貰ってる」
普段から攘夷志士の情報をマメに集めていれば、彼女が監禁されているであろう場所は大方見当はつくし、潜入自体もそう苦労はない。むしろ労力の割には報酬を貰い過ぎている様な気もしないでもないと全蔵は考えると、思わず口元を歪める。
「死ぬまで雇って貰えるって考えても良いのか?」
「全さんが厭だって言うまでかしら」
瞳を細め笑ったカグヤは、思い出した様に立ち上がると茶箪笥から小さな袋を取り出して全蔵へ渡した。受け取った全蔵は首を傾げると、これは?と短く聞く。
「誕生日おめでとう全さん。これからも宜しくって事で」
カグヤの言葉に驚いたような顔をした全蔵は、その袋を開けて中身を取り出す。中から出てきたのはお守りで、そこに書かれている文字を見て全蔵は呆れた様な顔をした。
「何で健康運。俺とアンタの関係なら仕事運じゃね?っていうか、誕生日なんで知ってるんだ?」
「銀さんのストーカーの忍者から聞いたのよ。それと、健康運なのは全さんのお尻宛」
そこまで言って、ぷーっと吹き出したカグヤを見て全蔵は思わず渋い顔をしたが、口元を緩める。
「まぁ、有難く」
懐にお守りを収めた全蔵の表情が嬉しそうだったので、カグヤは満足そうに笑った。
帰り道、全蔵は懐から再度お守りを取り出すとそれをじっと眺める。仕事を引き受ける様になって随分経つが、彼女が自分に対してまさか誕生日プレゼントを準備しているとは思わず驚いた。彼女は全蔵に対して仕事以外では関わりを持たないし、自分も彼女の事には干渉しない。淡白なビジネスの上で成り立っていた関係であるが、こんな小さなお守り一つで思わず嬉しくなった自分自身に全蔵は困惑した。自分の尻宛ではあるが。
「殺せと言わないか……」
出来ない事はないと思う。無論正面切って戦えば不利かもしれないが、暗殺ならば何とかなるだろう。ただ、その依頼を受ければ、もう彼女と会う事がないと考えると少し惜しいとチラリと考え首を振った。
自分の好みと豪語する女とは正反対のベクトルに彼女は立っている。俗に言う別嬪で、高杉が彼女に拘るのは女として傍に置いておきたいからではないかと邪推もした事がある。攘夷志士と言う肩書を、とうの昔に捨てた彼女に拘る理由がそれ以外思いつかなかったのだ。
考え事をしながら歩いていると、阿国の屋敷の傍についている事に気が付いた全蔵は、ふと、彼女の住む屋敷に足を向ける事にした。明確な用があった訳ではないが、ふと顔が見たくなったのだ。
いつもの様に屋根の上でジャンプを読んでいた阿国は、前触れもなく訪れた全蔵の姿を視界に捉えると少しだけ笑った。
「久しいのぅ。仕事帰りだな」
予知能力を持つ彼女は全蔵が来るのが解っていたのか、自分の二重に敷いていた座布団のうち一枚を尻から外すと隣に置き、それをぽんぽんと叩いた。
「用はないんだが、近くを通ったもんでな」
「解っておる」
ジャンプを閉じて阿国は笑うと小さく伸びをした。座蒲団に座った全蔵は、ただ、ぽっかりと空に浮かぶ月を眺めてぼんやりとする。それを眺めていた阿国は小さく笑い声を零すと瞳を細めた。
「今日が誕生日じゃったな」
「ああ」
「プレゼントが尻宛だったのに落ち込んでおるのか?」
その言葉に全蔵はぎょっとしたような顔をするが、直ぐに困ったように笑った。特異な能力を持つ阿国が自分の未来を予知していた事は安易に予想できた。
「落ち込むってのは違うなぁ。なんというか、予想外で驚いたというか……よくわかんねーけど」
子供らしからぬ顔をして阿国が喉で笑ったので、全蔵は怪訝そうな顔をして彼女の方を見る。すると阿国は、笑ってすまぬと言い瞳を細めた。
「余計なことかもしれぬが。深入りするには厄介な女に見える」
その言葉に全蔵は一瞬だけ驚いたような顔をしたが、にぃっと口元を歪めた。阿国の予知能力は知っている。恐らく自分を心配しての発言なのだろうと思いながらも、己のどうしようもない性格を自覚しているだけに笑えた。
「お前の予知は俺に関しては外れる事が多い」
「そうだな」
死ぬと予知され、その予知を回避してのけた唯一の男。己の腕を試さずにはいられない生粋の忍。呆れたように阿国がため息をついたので、全蔵は彼女の頭を撫でるとまた空を仰いだ。
「深入りするかどうかはともかく、まぁ、アイツの依頼は今後も受けて行くつもりだしな。厄介なのは始めから解ってる」
全国指名手配の男に追われる女。彼女が逃げ続ける限り、己は彼女を連れ出しに行くのだろう。そう考えると、意外とロマンチックだと気が付き、思わず全蔵は喉で笑った。
「……自ら危険に飛び込む癖は直した方がいいぞ。いずれ死ぬ」
「かもな」
立ち上がった全蔵を見上げて阿国が不服そうな顔をしたので、彼はまた笑うと、軽く手を上げてふわりと闇夜に姿を消した。
帰り道、再度懐からお守りを出して全蔵はそれを眺める。もしも、来年までに痔が治ったら彼女は次はどんなプレゼントをくれるのだろうかと思ったのだ。それこそ、仕事運のお守りかもしれないが、もしかしたらまた別のものを考えてくれるかもしれない。そう思うと、諦めかけていたが真面目に痔を治しても良いような気がして少し笑えた。
彼女を自分のモノにしたいと思った訳ではない。けれど、全力で逃げ続ける彼女を助けるのは出来る限り続けたいと思い、思わず言葉を零した。
「せいぜい長生きしろよ、高杉」
第三者によって繋がる関係と言うのも歪で滑稽な様な気もしたが、今はそれでいいと全蔵は考え月を見上げ瞳を細めた。
全蔵生誕記念
いつか全蔵は書いてみたいと思ってました
200808 ハスマキ