*ひさかたの*

 季節は梅雨に入り、曇天の空を眺めながら山崎は小さく溜息をついた。雨が続くと仕事も捗らないし、湿気が多くて蒸し暑い。真選組の屯所内も士気が落ちることもあり、上司である土方等はピリピリしだすのだ。
 外での仕事を終えて、屯所へ帰る途中に、空から落ちてきた雫が頬を濡らしたのに気が付いた山崎は、小さく舌打ちをすると商店の軒下へ滑り込んだ。それとほぼ同時に地面を打つ雨音が鼓膜を揺らし、山崎はぼんやりと走る人の流れを眺める。運がいいのか悪いのか。濡れる事は無かったが、屯所までたどり着くのが遅くなってしまう。そう思い、山崎は手に持った紙袋に視線を落として小さく溜息をついた。己の身一つなら濡れても構わないが、書類は濡らす訳にいかない。誰か真選組の人間が通らないだろうかと考えながらゆっくりと山崎が視線を巡らすと、ひらひらと手を振るカグヤの姿を見つけた。
「雨宿り?」
「えぇ。俺だけなら濡れても良いんですけど書類があるもんで」
 山崎の手にある紙袋に視線を落とすと、カグヤは納得したような表情をし、傘を少し傾ける。
「屯所まで送るわ」
 その申し出に驚いた山崎は、慌てて首を振る。すると、カグヤは少しだけ不服そうな顔をして口を開いた。
「遠慮しなくていいのよ」
「でも、先生の家と屯所と逆方向ですし」
「細かいことは気にしないの。お仕事中なんでしょ?早く帰った方がいいんじゃないの?」
 カグヤの言うとおりだったので、山崎は思わず言葉につまる。申し出は正直有難いと感じるが、申し訳ないと言う気持ちの方が先立つ。そして、見栄えのいいカグヤが自分と相傘というのも非常に申し訳ない気分になるのだ。つまらぬ噂など立たない方が良い。そう思った山崎であったが、カグヤは山崎の目の前から動こうとせず、じっと彼の顔を見ていた。
「……その、屯所の人間に冷やかされるのもアレなんで。申し訳ないというか何と言うか」
 ゴニョゴニョと下を向きながら言葉を零した山崎に、カグヤは少しだけ驚いたような顔をすると、そっか、と首を傾げた。
「冷やかされたらザキさん恥ずかしいか。ごめんね、気が付かなくて」
 カグヤの言葉に山崎は慌てて首を振った。自分が恥ずかしいわけではなく、カグヤが恥ずかしい思いをするのではないかと思っての発言が取り違えられたので驚いたのだ。けれど、納得したようなカグヤは、山崎の訂正の言葉も耳に入らないのか、どうしたもんかしら、と考え込む。 
「よぉ。どーしたのこんな所で」
「おやまぁ、銀さん」
 声をかけてきたのは万事屋の銀時で、カグヤは彼の顔を見て、ぱぁっと表情を明るくする。
「調度良かった。傘に入れて」
「カグヤちゃんが今手に持ってるの何?」
「傘」
「いらないじゃん」
 呆れたように言う銀時に、カグヤは笑顔を向けると己の持っていた傘を山崎に握らせる。驚いたように山崎が顔を上げると、カグヤは満面の笑みを浮かべて、使って、と言葉を零した。
「で、私は銀さんと家に帰る。コレでOK」
「何がOKだよ。カグヤちゃんの家逆方向なんですけど」
 面倒臭そうに銀時が言うと、カグヤはニンマリ笑って言葉を放った。
「何か甘いもの食べなくない?銀さん。うちの近所の喫茶店に新しいパフェメニュー入ったのよねぇ。この前の座敷代も入ったし、奢ってもいい気分」
「どこまでもお供します!」
 びしっと姿勢を正してカグヤの餌にあっさり釣られた銀時は、どうぞどうぞと言いながらカグヤを己の傘に入れる。銀時はちらりと山崎に視線を送るとぼそっと言葉を零した。
「そんじゃ、そーゆーコトでカグヤちゃんは俺が送るから、ジミーは傘借りてお仕事続けて頂戴よ」
「すみません、先生」
「いいのいいの」
 詫びる山崎にカグヤは明るく返答をすると、銀時に体を寄せる。それを眺めていた山崎は困ったように笑って二人の背中を見送ると、小さく溜息をついた。

 

「しっかしまぁ、カグヤちゃんはジミーには甘いなぁ」
「弟子甘やかして何が悪いのよ」
 生クリームをほおばる銀時の言葉に、カグヤは悪びれもなくそういう。それに対して銀時は苦笑すると、パフェに乗ったイチゴを口に運ぶ。酸味が口に広がり、甘ったるいクリームと丁度いい。銀時としてはこうやってただでパフェを食べれるのだから有難いので余りとやかく言う筋合いもないが、別れ際の山崎の顔を思い出すと、複雑そうな顔を顔をする。
「カグヤちゃんがジミーを屯所に送りゃ良かったんじゃね?」
「恥ずかしいからって。なんかあれよね。学校帰りの子供にお母さんが声かけたら、恥ずかしいからあっちいけよ!みたいな事言われた気分だわぁ」
「思春期ですかこのやろー!」
 カグヤの例え話に思わず突っ込んだ銀時であったが、確かに若干名監察に女がいるとはいえ基本的に男所帯の真選組では冷やかされることもあるだろうと思うと、気持ちも分からないでもない。
「でもさぁ。ノーメーク普段着のお母さんならともかく、カグヤちゃんとだったら別にいいんじゃね?」
「ザキさんに恥ずかしい思いさせる訳に行かないでしょうが」
「山崎がどーしたんだ」
 突然声をかけられ顔を上げると、そこには土方がおり、カグヤは丁度良かったと言わんばかりに席に座るように促す。それに土方が少しだけ顔を顰めたのは、銀時との相席が厭だったのだろう。
「すみませーん!ホットコーヒー一つ」
「勝手に注文すんな!」
 カグヤが声を上げたので、仕方なく土方は椅子に座ると煙草に火をつける。その様子を眉を顰めて見ていた銀時であるが、カグヤがこのテーブルの勘定を払う以上大きく出ることも出来ずに、パフェを食べる作業を再開した。一方カグヤは先程まで銀時と話していた、山崎の話を再度土方にする。
「……冷やかされるねぇ」
 呆れた様な顔をして煙を吐き出した土方を見て、カグヤは不服そうに口を尖らせた。すると、土方は、逆なんじゃね?とボソリと呟いた。
「逆?」
「山崎が恥ずかしい思いするんじゃなくて、手前ェが恥ずかしい思いをすると思って断ったんじゃねぇの?」
「何で私が恥ずかしい思いするのさ」
 意味が分からないと言ったような顔をしたカグヤを眺めて、どうやって説明したものかと土方は少しだけ考え込む。丁度ウエイトレスの持ってきた珈琲にマヨネーズをぶち込むと、スプーンで撹拌しながら口を開いた。
「山崎はいっつもお前の弟子として十分かって事気にしてる。なんつーか、今回の場合、手前ェと歩いて、釣り合ってるかって事気にしたんじゃねぇの?巧く言えねぇけど」
 土方の言葉にカグヤは腑に落ちない様な顔をするが、銀時は納得したのか小さく頷いた。
「まぁ、外見派手な美人のカグヤちゃんとジミーじゃ釣り合わねぇっちゃ釣り合わないかなぁ。ほら、俺とカグヤちゃんなら美男美女で全然OKだけどさ」
「誰が美男だコラ」
「多串君じゃない事はたしかですぅ」
 土方のツッコミに銀時が口を尖らせて言うと、土方は眉間に皺を寄せて睨む。
「えぇ?釣り合わないとかどうでもいいことじゃないのさ。っていうか、ザキさん弟子として十分だし、可愛いし」
「手前ェは良くても山崎は気にするんだろうよ。大体手前ェの方がでけぇっつーのも絵面的にアレなんじゃねぇの?」
「大きいっていっても一センチ位だし!気にする事ないし!」
 土方の言葉にカグヤが速攻で言葉を返すが、それに対して銀時はスプーンをくわえたままニヤニヤ笑い言葉を放った。
「三センチはでかいって。大体カグヤちゃんの過保護な幼馴染も身長抜かれて打ちひしがれてたの覚えてるでしょーが」
 高杉の事を出されてカグヤは思わず言葉に詰まる。気がつけば伸びてしまった身長は高杉を追い越し、随分と悔しがられたのを思い出したのであろう。銀時や土方はカグヤより高いが、山崎は明らかにカグヤより小さい。
「まぁ、身長云々は仕方ねぇとは思うけどな。結局山崎は三味線屋の事を立てすぎて、萎縮しちまってるところもあるしなぁ。遠慮し過ぎっつーか」
 土方の言葉にカグヤは渋い顔をすると、小さく溜息をついた。思い当たる節があるのであろう。
「そんな所も可愛んだけどさ。なんていうか、もう少し懐かないかなぁって思う訳よ。物足りないって言うかなんて言うか」
「……手前ェアレだろ。好きなモン追い掛け回して厭がられるタイプだろ」
「子供の頃からそうだよなカグヤちゃん」
 土方の言葉に更に追い打ちをかける銀時の言葉を聞いて、カグヤはしょんぼりとすると、そーなのよねぇと項垂れる。その様子を眺めていた土方は小さく溜息をつくと、呆れた様な顔をした。
「大体さ、カグヤちゃんがどんどん押しちゃうからジミー引き気味何じゃねぇの?こう、性格的にさ」
「マジで!?」
 ポロリと銀時が零した言葉に、カグヤは頭を抱えてテーブルに突っ伏する。
「そういえばザキさんって、すみません、大丈夫です、お手数掛けます、の返しなのよね。うわぁ、凄い迷惑がられてる?」
「そりゃ俺に対しても一緒だ」
 慰めるつもりなのか、土方がそういうと、カグヤは顔を上げて、本当に?と聞き返す。すると土方は新しい煙草に火をつけながら頷いた。
「でもさ、それって多串君が上司だからじゃねぇの?」
「それ言ったら、三味線屋だって師匠なんだから上司みてぇなもんじゃねぇかよ」
 銀時の言葉に土方が返答すると、彼はそうかと納得したような顔をする。
「師匠と弟子としては割と正常な関係なんじゃね?うん」
「そりゃそうだけどさぁ」
 不服そうなカグヤの顔を見て、銀時は呆れた様な顔をする。予想以上に山崎を気に入って可愛がりたくて仕方が無いらしい。性格的に甘やかすのが好きなのは理解出来るが、山崎にしてみればもしかしたら重のかもしれない。けれど先程の山崎の顔を見ると、恐らく土方の言うように、師匠としてカグヤをたてるために、釣り合うようにとつい遠慮してしまうのだろうと言う事は分かる。どっちがいいのかは判断出来ないが、二人の距離感が上手く行っていないのだろう。
「まぁ、こーゆーのは徐々に何とかするのがいいんじゃんねぇの?つーか、カグヤちゃんは相傘なんかしたら危ないからやめたほうがいいんじゃね?」
 銀時の言葉に土方は不思議そうな顔をしたが、カグヤは渋い顔をする。心当たりがあるのだろう。
「梅雨時は大丈夫!多分!」
「多分で命落としたら困るでしょうが。俺ガキの頃カグヤちゃんと相傘して、後ろから木刀で切りかかられて危うく死ぬところだったんだぜ。まぁ、泥まみれの殴り合い程度で済んだけど、ジミーの腕だったらヤバいと思うけど」
 そこまで銀時が言ったので、漸く土方は納得する。名は出さないが、高杉の存在を気にしているのだろう。子供の頃からカグヤを溺愛してる高杉は、恐らくカグヤと仲の良い銀時に対して無茶を何度もしてきたのだろう。そう考えると、恐ろしいのを通り越して呆れるしかないと土方は細く煙草の煙を吐き出した。
 しかしながら銀時の心配は土方も同じであった。山崎は監察で、情報収集や変装に特化しているが、剣の腕は並程度なのだ。恐らくひとたまりもないだろう。そう考えると、カグヤが弟子だからと山崎を贔屓するのも心配になってきた土方は、口を開く。
「……まぁ、手前ェの過保護な幼馴染は心配ではあるけどな。けど、今ん所目の敵にされてるのは俺だし問題ねぇんじゃねぇの?」
「多串君目ぇつけられたんだ。ご愁傷さま。アイツ執念深いから死ぬ気で逃げろよ」
「逃げねぇよ。捕まえるのが俺の仕事だ」
 そう言い捨てると、土方は煙草をもみ消して立ち上がった。
「もう帰るの?」
「雨が上がった」
 カグヤへの返答を土方がすると、銀時はつられて外に視線を送る。雨が上がり、雲の隙間から僅かに光がさしているのが確認出来たので、銀時も容器の底に残ったクリームを綺麗にスプーンに乗せて口に運ぶ。
「そんじゃ、私たちも帰ろっか」
 伝票を持ったカグヤを見て、土方が自分の分は払うと言うが、彼女は首を振って笑った。
「いいのよ。話聞いてもらったし授業料って事で」
 そう言われ、土方は困ったように笑うと、ごちそうさまとだけ言葉を伝えた。
 カグヤが代金を払う間、銀時と土方は並んで店の前の彼女が出てくるのを待つ。一緒に帰るわけではないが、さっさと帰るのも薄情だと思ったのだろう。すると、銀時が、ちらりと土方の方を見て、言葉を零す。
「……カグヤちゃんも何でジミーかなぁ」
「さぁな」
 不機嫌そうに返答した土方は、煙草に火をつけると、ぷかりと煙を吐く。そんな事は知った事ではないが、珈琲代ぐらいは何か彼女に渡しても良いだろうと思った土方は、薄く光を通し明るくなっている雲を見上げて瞳を細めた。

 

 屯所に戻った土方は、真っ直ぐに己の執務室に足を運んだ。卓の上には書類が積まれており、その中にある監察からの報告書に目を通して、土方は判を押す。単調な作業であるが、監察が細々と集める攘夷浪士の動向は、真選組にとって大事な情報源であり、土方は基本的には彼等の仕事の元で方針を近藤と相談して決めるのだ。
 その中で山崎と言うのは重要な役割を果たしている。監察の個々のグループの報告をすべて纏めて土方に上げるのだ。殆どの情報は山崎に聞けば把握しているし、その為に土方は山崎を重用している。ミントンやカバディに興じる姿には腹が立つが、山崎はそれ以上に仕事をしている。腕っ節はからっきしだが、真選組にはなくてはならない存在なのだ。
 書類に全て判を押して束ねると、土方はそれを持って監察室へ向かう。個別の執務室を持ってない監察は、全員ここで事務作業をするのだ。山崎も屯所にいる時はここに篭っている事が多く、カグヤの話では屯所に帰ったと言う事なので、いるだろうと足を運んだのだ。
 監察室の前まで行った土方は、庭に面した廊下に広げられた傘を見つけてその前で立ち止まる。以前に見た事のある鮮やかな赤色。
「入るぞ」
「はい」
 土方が声をかけると、中から山崎の返事が帰ってきた。卓に座って何か書類を書いていたのであろう山崎は、土方の手に持っている書類に視線を送ると、お疲れ様ですと笑った。
「返しておく」
 土方から帰ってきた資料を再度ペラペラ捲った山崎は、捺印を確認して頷くと、それを書棚へ片付ける。そして、作業中だったであろう書類も纏めると隅に寄せて、お茶を淹れる準備をしたので、土方は煙草に火をつけた。
 部屋の棚に置いていある、ほぼ土方専用と言っても過言ではない灰皿を、山崎は卓に乗せる。
「あの傘三味線屋のか?」
 煙を吐き出しながらそう言った土方に驚いたような顔を山崎は向けると、茶を淹れながら頷いた。
「よくご存知ですね」
「この前買った新品で気に入ったとか言って、家ん中で広げてるの見たことある」
 恐らく飲み屋に行った後にカグヤの家へいつも通り雪崩込んだ時であろうと納得した山崎は、そうですか、と短く返事をして困ったように笑った。
「お気に入りなら早く返した方が良いですよね」
 山崎の表情を見て、思わず土方は顔を顰めた。いつもカグヤに見せる申し訳なさそうな顔。カグヤはコレを見るのが嫌なのだろう。そう思った土方は、熱い茶に口を付けると、思わず口を開く。
「早く返して欲しいならそう言うだろうよ。手前ェは三味線屋に気ィ使いすぎだ」
 その言葉に山崎は驚いたような顔をする。土方にそんな事を言われるとは思わなかったのだ。気を使いすぎだというのは否定は出来ないが、それはカグヤに迷惑を掛けないようにと思っての事だと考えた山崎は、少し思案した後、口を開いた。
「先生に迷惑かかると申し訳ないですから。その……先生は俺に色々気を使ってくれてますし、それに甘えてばかりなのも……」
「……アイツは厭な事は厭だって言うし、やりたくねぇ事は間違っても、やる、なんて言わねぇよ」
 呆れたように土方は返答をする。大体、山崎でカグヤに甘えてばかりだというのなら、自分は何なんだと思ったのだろう、土方は不機嫌そうに顔を顰める。
「そう……ですかね」
「アイツと俺が長続きしてんのは、お互いに厭な事は厭だって言って、変に気を使わねぇからだよ。手前ェは職業柄、相手の考えてる事や、あれこれ気を使って対人関係回してるから、職業病みてぇなんだろうけどな。大体三味線屋は自分の客にだって、厭だ、って平気でいうのに、手前ェに対して無理する筈ねぇだろうが」
 確かに、カグヤは座敷でも無茶を言われればさらりとその意見を却下する。それは土方に対しても、銀時に対してもであるし、恐らく高杉に対しても同じであろう。
「でも、俺、厭だって言われたことないですよ」
 恐る恐る山崎は言葉を発する。一番最初の仕事依頼の時に渋られたぐらいで、基本的にはカグヤは自分の前で厭そうな顔をしない。
「……そりゃ手前ェが何一つ三味線屋に意見も提案もしねぇからだろうよ。どーやって厭だっていうんだよそれで。俺でも無理だ」
 土方の言葉を聞いた山崎は、少しだけ驚いたような顔をして、暫し考え込む。カグヤの事を立てようと、機嫌を損ねないようにしようと、意見も提案も確かにしてない。煩わせないようにするのが精一杯で、とてもではないが土方のように彼女と対等に話をする等出来ない。
「すみません、大丈夫です、お手数掛けます。手前ェがそんな返事ばっかりするから、ウザがられてるんじゃねぇかってへこんでたぞ」
「えぇ!?そんな!全然ウザイとかないですよ!寧ろ、こう、俺なんかに気を使って貰って申し訳ないと言うか!」
 慌てて否定する山崎を見て、土方は、そうか、と短く返答すると、細く煙草の煙を吐き出した。
「アイツが好きでやってんだ、申し訳ないとか思う手前ェがアイツとの距離作ってんだよ。手前ェの謙虚さってのは、まぁ、日本人的で悪くはねぇよ。けど、アイツはその距離が寂しいんだと」
 最後は若干極端に言ったが、物足りないと言っていたのだからそう間違ってもないだろう。土方はそう思いながら、煙草をもみ消した。
 土方の方をぼんやりと眺めていた山崎は、視線を少し彷徨わせた後、ポツリと言葉を零した。
「どうしたらいいんですかね」
「さぁな。手前ェがどうしたいかだろーが。別に今まで通りでも問題はねぇんじゃねぇの?人を甘やかすの好きな三味線屋は物足ねぇだろうけど」
 そう言い残すと、土方は立ち上がって監察室を後にした。その背中を見送った山崎は、途方に暮れた様に部屋にぽつんと座ったまま、すっかり冷めてしまったお茶を眺めていた。

 

 翌日、どんよりとした雲の下、山崎は傘を握ってカグヤの家を訪れた。勝手口の前で小さくため息をついた山崎は、チャイムを恐る恐る押す。すると、中からカグヤが顔をだし、笑顔を山崎に向けた。
「おやまぁ。いらっしゃい」
 その言葉に山崎は頭を下げると、借りた傘を差し出し礼を述べる。
「返すのいつでも良かったのに。忙しんじゃないの?」
「いえ。今日は休みなので」
 山崎の言葉に、カグヤはしげしげと山崎を見る。確かに制服を着ていない。
「そんじゃ、お茶でも飲んでく?」
 首を少し傾げてそう言ったカグヤの言葉に、山崎は少し思案したのち口を開いた。
「ご迷惑じゃなければ」
 その返答にカグヤは少しだけ驚いたような顔をしたが、直ぐに嬉しそうに笑い山崎を家へ招き入れた。山崎自体が三味線の稽古以外で彼女の家に上がるのは、土方が一緒の時位である。それも大概仕事関係での事で、用事が終わればさっさと帰ってしまうのだ。
 座敷に招き入れられた山崎は、落ち着かない様子で座布団に座る。すると、カグヤが直ぐにお茶を持って来て山崎の前へ置く。何といって用がある訳ではない。けれど、一度カグヤに遠慮をしないで、自分がしたいようにしてみようと決めた山崎は、お茶に口をつけると、話題を探す。彼女と一緒にいれるのは嬉しいが、これといって共通の話題がないことに、今更気が付いた山崎は情けない顔をして笑った。
「すみません。これといって用は無かったんですけど」
 正直にそう言った山崎に、カグヤはぷっと吹き出すと、お茶を冷ます為にふぅっと息を吹きかけながら口を開いた。
「いいわよ。休みなんだったらのんびりして行って。兄さんも屯所が煩いとかいって、何する訳でもないのに休みの日はうちに来るわよ」
「土方さんはいっつも来て何してるんですか?」
 素朴な疑問であった事を口に出した山崎は、カグヤの表情を伺う。すると彼女は、そうねぇ、と言い少しだけ笑った。
「何もしてないわねぇ。昼寝したり、三味線聞いたり、本読んだり。話する事もあるけど、グダグダしてる方が多いわ」
「……え?そうなんですか?」
「そーよ。銀さんだってうちにご飯食べに来るだけとか結構あるし。いいたまり場なのよねぇきっと」
 可笑しそうにカグヤが笑ったので、山崎もつられて口元を緩めた。間が持たないとか、そんな事は恐らく土方も銀時も考えないのだろう。無論そこまで行くのは自分には無理だが、余り気負わなくても良いと云われた気がして、山崎は安心したように笑う。
「だからザキさんも暇ならいらっしゃい」
「はい」
 今ならそう素直に返答できる。山崎は嬉しそうに笑うと、瞳を細めた。カグヤを煩わせるのはやっぱり厭だが、彼女が良いと言うのなら良いのだろう。土方の言葉を思い出して、山崎は口を開く。
「先生に気を使いすぎだって、土方さんに叱られました」
 その言葉にカグヤは少し驚いたような顔をする。昨日喫茶店で話した事を土方が山崎に伝えたのだろうか。そう思い、カグヤは少しだけ恥ずかしそうに笑った。
「無理して私に合わせないですね。こっちは好きでやってるんだし、無理なら無理って言ってくれればいいから」
「そうですね。お互いに無理しないのが長く続く秘訣だって土方さんも言ってましたから」
「まぁ、そーゆー事よね」
 思わずカグヤは苦笑いした。例えば、山崎が土方や銀時のように自分に接するのは無理だろうと言う事は彼の性格を考えれば分かる。けれど山崎が少しでも歩み寄ってくれるのなら、嬉しい。
「屯所の庭にあじさいが咲いたんです」
 突然山崎が話を変えたので、カグヤは、良いわねと短く返答をして笑った。
「今度先生に持ってきます」
「……有難う。凄く嬉しい」
 カグヤの笑顔を眺めて、満足そうな顔をした山崎は、何気なく窓から外を眺める。さき程まで曇り空であったのに、いつの間にか雲が晴れて陽の光がさしていた。梅雨の空は変わりやすく、またいつか、仕事の途中に雨に降られるかもしれない。その時にまたカグヤに逢えたら、今度は傘に入れてもらおう。そう思いながら、ぬるくなったお茶を飲み干した。


距離感は難し。
20100615 ハスマキ

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