*しのぶれど*

 荷物を持ってウキウキと屯所の廊下を歩く山崎を見つけた沖田は、怪訝そうな顔をして彼に声をかける。
「偉くご機嫌じゃねぇですかぃ。彼女とデートですかぃ」
 山崎に彼女等居ないのを承知で茶化すように沖田が言うと、山崎は驚いたような顔をして首を振る。
「いえ、三味線の稽古ですよ」
「三味線?」
 そう言えば、偵察任務で必要だと山崎が三味線を習いだしたのは沖田も聞いていたと納得したような顔をする。女装して座敷に上がり情報収集するのだ。他にも方法はあるだろうが、長く不自然でない状態で座敷に上がるにはそれが一番良いと言う結論に至り、山崎は三味線を習いだした。無論、プロの芸妓並みに巧くなるには時間も、才能も不足していたが、ある態度弾ければ、他の芸妓に混じって座敷に上がる事ができる。
「最近楽しいんですよ。そこそこ弾けるようになって」
 ふーん、と気のない返事をすると、沖田は山崎をそのまま見送る事にした。女でも出来て出かけるのならからかい甲斐もあるが、稽古事なら引き留めても面白くないだろうと思ったのだろう。
「なんだ、山崎は三味線屋の所か」
 煙草をくわえたまま歩いてきた土方を見て、沖田は顔を顰める。まだ仕事時間なので会いたくなかったのであろう。サボっていると難癖付けられてはたまらないと思った沖田は、そーみてぇですね、と返事をすると、土方の様子を窺った。
「随分ウキウキしてやがりましたぜぃ」
 沖田の言葉に土方は僅かに眉を上げると、煙を吐き出した。
「……ウキウキねぇ。三味線屋に会うのがそんなに楽しみなのかよ」
 ぼそりと呟いた土方の言葉に沖田は怪訝そうな顔をする。彼は稽古に行くと言っていたのに、土方は三味線屋に会いに行くと言ったのだ。妙な違和感を感じて沖田は質問をする事にした。
「土方さんは山崎の先生知ってるんですかぃ?」
「俺が紹介した」
 驚いたような顔をした沖田に、土方は不快そうに眉を寄せると、なんか文句でもあるのかよと言葉を零す。
「いえ。土方さんが三味線の先生と知り合いなのが意外でしてね。芸妓の方ですか?」
 芸妓の知り合いなら理解できると思った沖田はそう返答した。市中でも座敷でもモテる土方が声をかければ、恐らく喜んで女達は山崎に三味線を教えるぐらいするであろう。
「両方だよ。滅多に座敷には上がらねぇけどな」
「美人ですかぃ?」
 沖田の言葉に土方は驚いたような顔をすると、煙草の煙を吸い込み真剣に考える様子を見せる。その反応に沖田は不思議そうな顔をした。悩まなければ分類できない容姿なのだろうかと思ったのだ。
「……背はでけぇけど美人の分類だな」
「そりゃ、山崎も楽しみにするでしょうぜぃ」
「ただな……」
「は?」
「遠くで眺めてるのが一番良いだろうな」
 何か別の事を土方が言いかけたが、それを飲み込んで別の言葉を吐いたので沖田は余計に不完全燃焼となる。性格に難があるのだろうか、それとも、別に問題があるのだろうか。そもそも、土方とその三味線の先生との関係は何なのだ。もっと突っ込んで聞きたかったが、どうせ言わないだろうと思った沖田は、一番最後の疑問だけ投げかける事にした。
「土方さんの女ですかぃ?」
「そんな良い仲じゃねぇよ。つーか、アイツにちょっかいかけようと思ったら命かけなきゃならねぇだろうな」
 可笑しそうに土方が口元を歪めたが、沖田には結局言葉の意味が正確に把握できずに困惑するだけであった。

 

 三味線を抱えて道を歩く山崎は、自然と足取りが軽くなっているのを自覚して苦笑する。週に一回程度の稽古だが、最近は随分と褒められる事も多くなって楽しくなってきたのだ。三味線の持ち方程度しか知らなかった頃に比べれば、ずいぶん進歩したように思うし、三味線を弾くこと自体も嫌いではなかった。仕事の足しになればと思って始めた事だが、楽しいに越した事はない。しかも、先生は美人である。
 三味線教室は一見普通の家であるが、軒下に控え目に【三味線屋】と看板を下げており、三味線教室も芸妓の仕事も基本的には万事屋経由でしか仕事を受けていないらしい。ただ、山崎はここの主と土方が飲み友達だという事もあって、便宜を図って貰った形になる。
「こんにちわ」
 チャイムを鳴らすと、ガチャリと鍵を外す音がして、中から女が顔を出す。
「いらっしゃい、ザキさん」
「今日も宜しくお願いします。先生」
 丁寧に頭を下げる山崎に、カグヤは苦笑すると、あがってと短く声をかけさっさと中に引っ込む。いつも通り山崎はその後について家に入って行く事にした。
 三味線教室に使っている、入ってすぐの座敷には座布団が敷いてあり、山崎は定位置に座るとさっそく荷物を解いて三味線を取り出し調律をする。その様子を見ながらカグヤは、瞳を細めると口を開いた。
「随分サマになってきたじゃないのさ」
「最近、ちょっと楽しくなってきたんですよ。先生程になるのは無理でも、そこそこ上達してるのが解るんで」
「ザキさん優秀だからね。弟子が先生より巧くなったら困るから、あんまり上達しないでね」
 可笑しそうに口元を緩めたカグヤを見て、山崎もつられて笑う。自分がどう逆立ちしても、彼女の腕まで到達できないのが解っているが、そう言われれるのも悪い気分ではない。指で弦を弾くと、カグヤは鮮やかに微笑んで口を開いた。
「それじゃぁ、おさらいから」

 稽古が終わり、カグヤの出したお茶を飲みながら、山崎はずっと不思議に思っていた事を口に出した。いつも自分は一人で稽古を受けているので他の生徒を見た事がなかったのだ。
「何人ぐらい生徒さんっているんですか?」
「さぁ。うちに来るのは短期の生徒ばっかりでね。そもそも宣伝もまともにしてないし、口コミで万事屋に連絡くれる人は花嫁修業の一環とか、そんな感じの生徒が多くて、私が免許皆伝した人は実はいないのよ。基礎だけ教えて、三味線続けたい人には他の教室教えてあげたりしてるしねぇ」
 その言葉に山崎は驚いたような顔をする。三味線の腕は抜群にいいカグヤが短期でしか生徒を取らないのと言うのも、更に謎を増す。その様子に、カグヤは瞳を細めると、更に言葉を続けた。
「ザキさん位よ。私の三味線聞いて習いに来たの」
「ええ!?」
「本人じゃなくて、座敷で弾いてるの聞いた身内に勧められるとか、それこそ口コミとかで生徒来るのよね。ほら、三味線って女の子が弾く事が多いじゃない」
 確かに、山崎自体習う時はいつもの恰好で来るが、仕事の時は女装をして座敷に上がるのだ。三味線を弾く男もいない事はないだろうが、恐らく数は少ないだろう。花嫁修業の一環で茶道、華道、三味線はあり得るが、男が弾くのはプロか、趣味にしているというのが圧倒的に多いように思える。
「……私の三味線聞くとさ、自分の音と違いすぎて厭になるんだって」
 少し寂しそうに笑ったカグヤを見て山崎は困った様な顔をする。カグヤの音は独特だと、素人の山崎でも解る。絶望的に音を合わせるという事に関して向いていないのだ。一人で完成された音を奏でる彼女に合わせて弾ける人間はそうそういないのではないかと、習い始めて思ったのは事実で、山崎自身も、例え今後、彼女と同じ位の腕になったとしても一緒に弾くのは無理であろうと思っていた。だから彼女は座敷での仕事の時も一人で三味線を弾く。それで十分に足りてしまうのだ。
「ザキさんは厭だと思った事ない?」
「俺は……元々素人ですから、三味線の事よく解らないです。でも、俺は先生の音が好きだから、習うのなら先生が良いと思いましたよ。俺の音は弟子なのに全然似てないですけど、まぁ、なんというか、それも厭じゃないです」
 山崎の言葉にカグヤは驚いたような顔をするが、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
「ザキさんの音はね、どっちかって言うと、私に三味線教えてくれた人の音に似てるわよ。優しい、穏やかな音で、私はどうしてもそんな音が出せなくて随分悔しい思いしたわ」
 その言葉に山崎は、ああ、と納得する。彼女自身、己の師と同じ音を出せない事が厭だったのだろう。だから、彼女は生徒が同じ思いをしていれば、無理して続けろと言わないのだ。むしろ、同じ思いをさせない為に、基礎だけ教えたらよその教室へやってしまうのかもしれない。
「銀さんには怒られるんだけどね。よその教室にやったら月謝が減って、仲介してる銀さんの収入も減る事になるから」
「万事屋の旦那はともかく、先生は生徒減って困らないんですか?」
「食い盛りの子供と、でっかいワンコ抱えてる銀さんと違って、私は一人者だし、どーにでもなるわよ」
 エンゲル係数が高そうな万事屋の面々を思い浮かべ、思わず山崎は吹き出す。確かに彼等よりは金銭面ではガツガツしなくても良いだろう。それに、座敷に上がればそれこそ彼女は一晩でかなりの金額を稼ぐ。本人は余り座敷に上がって三味線を弾くのは好きではないらしいが、そちらの方が名前が売れているし、ほとんど断ってしまっているが仕事の依頼も多いと銀時が言っていたのを山崎は思い出す。
 山崎が初めて彼女の三味線を聞いたのも、座敷でであった。仕事で攘夷志士の座敷に上がる為に、彼等の指名したカグヤの事を調べて一緒に連れて行って欲しいと依頼をしたのだ。万事屋経由での依頼では拒否されたが、土方が直接話をつけてくれて、彼女は渋々であったが自分を連れて座敷に上がってくれたのだ。
「俺ももう少し巧くなれば、先生に迷惑かけずに仕事できるんですけどね」
 元攘夷志士だから、彼等の座敷に上がりたくないと言うカグヤの言い分は理解できる。けれど、今の監察にはカグヤの力を借りて、一緒に座敷に上がるのが一番の情報源となっている。彼女と座敷に上がれば、三味線を弾く事を強要される事がないのだ。もう少し山崎が三味線を弾く事が出来れば、よその芸妓に紛れ込むのも可能であるだろうが、今の腕では無理だと自覚している山崎は申し訳なさそうに言う。
「……気にしないで良いのよ。まぁ、座敷に上がるの好きじゃないけどさ、ザキさんに三味線を教えるのは楽しいからずっと先生でいたいんだけどね」
 温くなったお茶を飲みながらカグヤはそう言った。

 

 年末年始が極端に忙しかった真選組は二月に入り少し余裕が出て来た。それは山崎も同じで、何とか休みをもぎ取り、念願の三味線の稽古へ行けたので随分と気分も晴れ、うきうきと三味線を抱えて、屯所の外れにある道場へ向かった。
 仕事は一日休みであるが、屯所内は仕事をしている人間も多いのを気にして、夕方まで人の少ない道場へ三味線の練習の為に足を運んだのだ。ミントンももちろん好きであるが、こうやって三味線を弾くのも最近楽しい山崎は熱心に練習をしている。そもそも仕事の為に始めた事ではあるが、凝り性の気がある山崎は必要以上にのめり込む傾向があるので、よく土方には注意されるのだが、本人は仕事さえしていれば別に良いだろうと言うスタンスでマイペースを貫き通していた。
 座蒲団を敷き、そこに尻を乗せると、抱えて来た三味線を膝に抱えた。練習用の安物であるが、一番最初に自分で買ったという事もあり愛着があり、マメに手入れもしている。
 音は師であるカグヤには全く似ていない。けれど、自分の音も、カグヤの音も好きで、少しずつ己の腕が上がるのが嬉しい。
 奏でる曲は練習用の短い曲で、山崎は何度もそれを繰り返し弾く。
 黙々とそれを反復していた山崎は、ぴたりと手を止めた。
「……何が良いですか?副長」
「任せる」
 山崎の隣に座蒲団を敷いて、それを枕にする土方に視線を落とし、ほんの少し困った様に山崎は笑った。練習をしていると土方が聞きに来る事がある。元々芸事には無関心な男ではあるが、何故か三味線には興味を示すのだ。初めこそ不思議ではあったが、いつしか土方が聞きたいのは別のモノだと言う事に山崎は気がつく。けれど気がつかないふりをするのがいい様な気がして、それを口にした事はない。
「いつまで先生の弟子でいれるのかって最近思うんです」
 山崎の言葉に土方は怪訝そうな顔をすると、彼の顔を見上げる。すると山崎は寂しそうに笑って弦を弾いた。
「いつかそこそこ三味線弾けるようになって、座敷にも他の芸妓に交じる事が出来るようになったらって」
「いい事じゃねぇかよ」
「俺と先生にはそれしかないじゃないですか」
 師弟関係。それしかないから、それが終わればすべてが終わる。そんな気がして山崎は酷く悲しそうな顔をして笑った。万事屋は彼女と幼馴染で、土方は彼女と飲み友達で。利害関係等無視して一緒にいる事が出来る。けれど山崎は仕事の為に彼女との繋がりを得た。それが最近酷く悲しいのだ。監察という仕事でなければ彼女に会う事はなかっただろうが、監察であるが故に、必要な事が終われば縁は切れると。
 そんな山崎を見て、土方は瞳を細めると言葉を放った。
「……お前だけなんだと。アイツが弟子だって言ってんのは。他は生徒。意味解るか?」
 土方の言葉に山崎が首を振ると、土方は口端を上げて笑った。
「そんなに悲観するこっちゃねぇって事だよ」
 更に意味が解らなくなった山崎が困惑したような顔をすると、土方は咽喉で笑って、さっさと弾けとせっつく。その様子に山崎は仕方なく三味線を再度抱え直すと、三味線を奏でだした。

 

 土方の言葉が心には引っかかるが、日々の仕事はせねばならない。道場での一件があって暫くたったある日、外での仕事が終わる頃には日もとっぷり暮れ、山崎は屯所の玄関をくぐる。すると、丁度仕事の相棒である女性監察が帰る所であったのか、玄関先にいたので、山崎は声をかけた。
「お疲れ様。帰るの?」
「はい。近藤局長が送って下さるので」
 嬉しそうに微笑んだ彼女の顔を見て、山崎は思わず顔を緩ませる。すると彼女が思い出したように、これどうぞと小箱を差し出した。
「え?」
「お誕生日おめでとうございます」
 その言葉に山崎は驚いた様な顔をして小箱を受け取る。仕事に忙殺されてすっかり自分の誕生日等忘れていたのだ。
「明日山崎さんおやすみなんで、今日に渡せて良かったです」
 ニコニコと微笑む彼女は本当に嬉しそうで、山崎は顔を赤くして礼を言った。するとバタバタと近藤が玄関へ走ってきて、山崎の顔を見るなり口を開いた。
「あ、山崎。なんかトシがお前宛の荷物預かってるって言ってたけど」
「副長がですか?」
「聞いてない?」
「ええ。ちょっと確認してみます」
 受け取ってそのまま監察室に届けてくれているのなら構わないが、副長室で預かってしまっていたら勝手に回収もし難い。そう思った山崎は近藤に礼を言って、とりあえず監察室と副長室を覗いたが、両方空で途方に暮れる。
 仕方なく土方の携帯を鳴らす。数回の呼び出しで応答した土方に荷物の件を聞こうと口を開こうとするが、相手が先に言葉を放った。
『山崎か。丁度良かった、今からちょっと出ろ』
「え?どこにですか?」
『俺の行きつけの店。解るな』
「はい。そりゃかまいませんけど……あの、荷物を……」
 言いたい事だけ言ってガチャリと切れてしまった携帯電話を眺めて山崎は思わず顔を顰める。あの様子では相当飲んでいるだろうし、恐らく一人で飲んでるのに飽きて丁度いいと誘われたのだろうと思い小さくため息をつく。荷物は気になるが、実際あって聞けばいいかと思い、山崎は直ぐに着替えると、土方が行きつけの店へ小走りに向かった。

 屯所から徒歩圏内であるが、隊員の出入りが少ないこの店を土方は気に入っており、カグヤと会ったのもこの店だと聞いている。山崎は場所を知っているが、実際に店に入った事はなく、店の扉を恐る恐る開けた。小さな店は入り口から店内が全て見渡せる状態で、山崎に気がついた店主が声をかけると、反射的に山崎は小さくお辞儀をした。
 土方の姿を探すと、店の隅のカウンターに座っており、山崎に気がつかないのか、隣に座る女と談笑している。
 それがカグヤだと気がつくまでそう時間はかからず、思わず山崎は体を強張らせた。
「……」
 声をかけるべきか否か悩んだ山崎であったが、荷物の件だけ確認して帰ってしまおうと思い、声をかける事にした。
「あの……」
「遅ェよ」
 恐る恐る後ろから声をかけた山崎を睨みつけると、土方は立ち上がり、店主に会計と短く声をかけた。
「え!?あの先生と飲んでるんだったら俺帰りますし。荷物の件だけ確認できれば」
 慌てて声を上げた山崎に、会計を済ませた土方とカグヤは真顔になると、がしっと山崎の両腕を抱えてそのまま店の外へ無理矢理連れ出した。訳が解らない山崎はえぇ!?と声を上げながらずるずると連行される。
「何言ってんだ。これからだ、これから」
「そーよザキさん。明日休みなんでしょ?」
「やすみですけど!えぇ!?何で俺こんな拉致状態なんですか?」
「うるせぇよ」
 土方が不機嫌そうに声を上げると思わず山崎は口を噤む。
「三味線屋。今何時だ」
「十時前」
 暗い河川敷を歩きながら土方が聞くと、カグヤは時計の確認もせずにそう返答する。恐らく店で時間を確認していたのだろう。酔っ払い二人相手にどうしたらいいか解らない山崎は、旨く言葉を探す事も出来ずに沈黙していると、カグヤが山崎の顔を覗き込んで上機嫌そうに笑った。
「仕事お疲れ様」
「あ、はい」
 たどり着いたのはカグヤの家で、勝手口をカグヤが開けると、土方はそのまま山崎を引っ張って座敷まで行く。コタツに押し込まれ、途方に暮れた山崎はきょろきょろと部屋の様子を見る。いつも通りきちんと片付いており、土方が自分用の灰皿を出すと、己もコタツに入り煙草に火をつけた。
「あの。副長。荷物の件なんですけど」
 小声で山崎が聞くと、土方は思い出したように顔を上げた。
「三味線屋!忘れねぇうちに渡しとけ」
 その言葉に、酒を抱えてカグヤが戻ってくる。土方の言葉に驚いた山崎は、カグヤの顔を凝視し、え?と短く声を上げた。
「はい。ザキさん。兄さんに預けたんだけど、仕事終わったって聞いたから」
 山崎の前に置かれた箱。そこで漸く土方が預かった荷物がカグヤからのモノだと言う事に気がつき、山崎は驚いた様な顔をした。
「開けてもいいですか?」
「どーぞ」
 盃に酒を満たしたカグヤは笑うと促す。土方もいつの間にか自分の分の酒を注いでおり、カグヤと小さく乾杯をして酒を舐める。
 箱の中に入っていたのは新品の三味線のバチ。雲のかかる三日月の模様が彫られており、山崎は目を丸くして顔を上げた。
「あの。コレ……」
 すると、カグヤは盃に再度酒を満たし、景気良くその盃を掲げる。
「お誕生日おめでとう!ザキさん!」
 その言葉に、ぽかんとする山崎を見て、カグヤは眉をハの字にする。
「あれ?迷惑だった?兄さんがザキさんはいっつも誕生日に仕事入れて、全然真選組じゃ祝わないっていってたから、プレゼントだけでもって思ったんだけど」
 バチを手に取り、山崎は嬉しそうに微笑みを零す。
「ありがとうございます先生。凄く嬉しいです」
 そのバチを見た土方は、少しだけ驚いた様な顔をしたので山崎は首を傾げる。
「どーしたんですか?副長」
「揃いかソレ?似たデザインの持ってんだろ三味線屋」
 その言葉にカグヤはにんまり笑うと、部屋の隅に置いてある箱から自分のバチを取りだす。そこには雲のかかる満月の描かれたバチ。仕事用に使っているモノだと気がついた山崎は、驚いた様な顔をしてカグヤの顔を見る。
「デザイン気に入っててね。ザキさんは気にいった?」
「はい」
 【迦具夜姫】の名を座敷で使うカグヤの印ともいえる月をあしらったバチ。それをプレゼントされた事が嬉しい山崎は満面の笑みを浮かべると、大きく頷いた。
「誕生日に渡せて良かったわ。流石に仕事してるのに邪魔するのも悪いと思ってどうしようかと思ったんだけどさ。折角だし」
 そう言いながら、カグヤは山崎の盃に酒を注ぐ。こうやってカグヤと酒を飲む事の少ない山崎は、恥ずかしそうに笑ってありがとうございますと小声で言う。
「いきなり呼びつけられた時はどうしようかと思いましたけど」
「ああ、悪かった」
 煙草の煙を吐き出しながら土方が言うと、山崎は、いえ、と困った様に笑う。日付が変わる前に上手く捕まえられたので土方も焦っていたのだろうと言う事は解るし、理由を言われれば、態々申し訳ないと断ったかもしれないと山崎は思った。酔っ払い二人に拉致られた時はどうしようかと途方に暮れたが、カグヤも、土方も、己の為に多少強引であるが誕生日を祝ってくれたのだ。こんなに嬉しい事はない。
 卓に乗るのは、プレゼントと酒だけ。それでも満足だった山崎は嬉しそうに瞳を細めた。

 

 窓から外を眺めて山崎が瞳を細めると、毛布を抱えて来たカグヤが淡く微笑んだ。
「ザキさんも眠くなったら寝ていいのよ」
「どっちかというと夜型なんです」
 コタツで横になり寝息を立てる土方に視線を落として山崎が苦笑すると、カグヤは毛布を一枚は土方にかけて、もう一枚は山崎に渡す。それを膝に乗せた山崎は、ちらりとカグヤの表情を伺う。自分と会う前から飲んでいると言うのに顔色一つ変えずにまだ盃を傾けている。酒に弱い土方がいつも潰されると愚痴るのは仕方がないと思い、思わず笑うと、カグヤがそれに気が付き不思議そうな顔をした。
「どーしたの?」
「いえ。副長がいつも先生には潰されるって言ってたの思い出して」
 背を丸めて山崎が言うと、カグヤは困った様に笑った。
「兄さんあんまり強くないけど、段々テンション上がって自制できなくなるからねぇ」
「そうなんですか?」
 山崎の返答にカグヤは笑って、そーよと短く返答した。恐らく真選組内では鬼の副長として自制をせねばならない土方は、カグヤの前で羽目を外してバランスを取っているのだろうと山崎は勝手に想像して、思わず土方に視線を落とす。重い負担も、苦痛も土方は仕事中は決して表に出さない。土方にとってカグヤの存在は恐らく本人は自覚していないだろうが、大きいのではないか。そう思った山崎は哀しそうに瞳を細めた。
「副長が羨ましいです」
「何で?苦労事ばっかりよ兄さん。話聞く分には」
 予想外の返答にカグヤは怪訝そうな顔をする。ロマンチストで、損な性分だとカグヤは土方の事を思っているのだ。実際に惚れた女の幸せを願って、自決を選んだ生粋のヒロイック体質。
「酔っ払って、大騒ぎして、挙句の果てに朝帰りとか、本当駄目な大人よねぇ。兄さんも私も。ザキさんはこんな大人になっちゃ駄目よ」
 咽喉で笑ったカグヤを見て、山崎は困った様に笑った。
「そんな関係、羨ましいです」
 利害関係もなく、お互いに好き放題言って、好きな時に会って、好きな時に話をする。土方やカグヤにしてみれば当たり前の関係。けれど山崎にしてみればそれ己には望めないと、思わず嫉みにも似た言葉が口を出た。
 するとカグヤは瞳を細めて、淡く微笑んだ。
「やめといた方が良いわよ。こんな付き合い方してるから兄さん、晋兄に執拗に嫌がらせ受けてるし」
 カグヤを溺愛する高杉の影は常に彼女に纏わりつく。執拗な嫌がらせは極端な話、命にもかかわると言う事は山崎も、土方も承知していた。それでも土方はカグヤとの付き合い方を変えると言う事はせず、山崎も弟子である事をやめなかった。そもそも、二人を守ろうと関係を断ち切ろうとしたカグヤに対して、それを一番に拒絶したのは山崎自身で、高杉だけには屈したくはないと今でも思っている。
 淡い憧れににも似た感情が師弟愛なのか、恋慕なのかは山崎自身にも良く解らなかった。けれど、ずっと前から抱えていて、断ち切られるのが怖いのも事実だった山崎は、困った様な、情けない様な顔をして笑う。
 それを見たカグヤは苦笑すると、部屋の隅に置いてある三味線を膝に乗せ瞳を細めた。
「誕生日だし、一曲だけザキさんの為に弾くわ。晋兄には内緒よ。怒るから」
 驚いた様な顔をした山崎であったが、直ぐに嬉しそうに顔を綻ばせると大きく頷いた。稽古の時や、座敷でカグヤの三味線を聞く事はあるが、それ以外で彼女が弾くのを聞くのは初めてだったのだ。
 弾かれた弦は山崎の鼓膜をゆるゆると振動させる。いつか誰かが、彼女の三味線は魂送りの音だと言っていたのを思い出した山崎は、瞳を細めてその音に耳を傾けた。

 己が魅せられた音。
 己が到達しないであろう音。
 己がどんな事をしても守りたいと思った音。

 寝息を立てる山崎に毛布をかぶせると、カグヤは山崎の髪を撫でる。己が弟子にしてもいいと思ったのは、山崎だけだと以前土方に話したのを思い出したカグヤは、瞳を細めた笑った。
「守られるのは好きじゃないの。守る方が格好いいでしょ?」
 己と似た音色は出せない弟子。けれど彼の音色は、昔、己が大好きだった音色に似ている。

 だからこそ、師弟という枠を外せない。
 だからこそ、檻から完全に逃げられない。
 だからこそ、守る値打ちがあると思っていた。

 最後の盃を空にしたカグヤは、月のない空を見上げて淡く微笑むと再度三味線を抱き、己自身の為に三味線を奏でた。


【迦具夜姫】シリーズ山崎番外
今まで一度も誕生日を祝ってなかったんでどうしてもやりたかった
20100201 ハスマキ 

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