*幕間01*

 レンを連れ出した晋助が、阿伏兎殿にレンを預けて自分は迦具夜の家で昼寝をしているという話を聞いて、彼女と一緒に家に向かう事にした。一言晋助に文句でも言っておこうと思ったのだ。それに対して迦具夜は呆れ顔であったが、拙者が家に行く事に関しては嫌がる様子もなかった。
 三味線屋・迦具夜姫は晋助の幼馴染だと聞いているが、溺愛した晋助とは逆に彼女自身は晋助に対して明確に拒絶をしている。お前の檻は窮屈だから出て行くと宣言してまんまと逃げ出したらしい。そもそも、自立心の強い彼女に対して、晋助が現在レンにしているように甘やかし放題だった事自体が信じられない。
 がらりと勝手口の扉を開けた彼女の後について家に入ると、彼女が昼間三味線教室を開いている座敷に向かう。奥の私室は出入りされるのを嫌うので晋助は行く事はなく、彼女の家に来る時は大概座敷の方に上がりこむのだ。
 襖を開けると、晋助はごろりと横になっていたが、音で人が帰ってきたのに気が付いていたのか、億劫そうに体をこちらに向けた。そして、拙者の顔を見て、露骨に顔を顰める。
「何でテメェが来るんだ」
「ヌシこそこんな所で何をしてるのでござる」
 そんなやり取りを聞いていた迦具夜は呆れた様な顔をすると、晋助の枕元に座り彼の耳をぎゅうぎゅう引っ張る。
「万さんから聞いたわよ。お嬢を人に預けていいご身分ね」
「指名手配で外歩けねぇんだから仕方ねぇだろうが」
 そう言うと晋助はずるずると匍匐前進の様に体を移動し、迦具夜の膝に頭を乗せた。精々10秒だと思ったが、予想以上に彼女の反応は早く、5秒も経たないうちに、すこんと膝を抜く。畳に頭を軽く打ちつけた晋助は、横になったまま迦具夜の顔を見上げていたが、直ぐに彼女が座布団を折り畳み、それで晋助の頭を突っついたのでそれに頭を乗せる。
 どちらかといえば気性の激しい晋助なら怒りそうなものだが、それが迦具夜の最大限の譲歩だと知っている晋助は満足そうにしている。傍から見ていれば何が嬉しいのかサッパリ理解出来ない。
「水羊羹買ってきた。冷蔵庫に入ってる」
「勝手に冷蔵庫とか開けないの。ったく…人のうちで好き放題やって。あ、万さん適当に座って。お茶入れるから」
「濃い目にしろ」
「晋兄に淹れるって言ってないわよ」
 顔を顰めた迦具夜を見て、晋助は咽喉で笑うと、また来た時の様に寝転んで窓の外を眺める。迦具夜が側から離れたので興味がなくなったのであろう。
 迦具夜の言葉に甘えて座布団に座ると、晋助に声をかける事にした。
「で、レンをほったらかしでいい身分でござるな」
「久々におっさんに会えて嬉しそうにしてた」
 それは安易に想像が付いて思わず言葉に詰まる。阿伏兎殿に懐いているレンはきっと喜んだであろう。
「…そんなに不機嫌そうにすんなよ。雪兎も好きでテメェの誘い断った訳じゃねぇんだし」
「意味が解らないでござる」
 億劫そうに起き上がった晋助は、枕にしていた座布団を広げると、それに座り煙管に火を入れる。煙を吐きながら晋助は瞳を細めると、更に言葉を続けた。
「今は言えねぇけどな。雪兎との約束だから」
「大ウソツキがよく言う」
「俺はいつだって大真面目だよ」
 思わずぎろりと睨んだが全く気にする様子もなく晋助が言い放ったので此方としてはもう呆れるしかない。そこへ盆に茶と羊羹を乗せた迦具夜が戻って来たので一旦話は中断する事にした。一応晋助の分の茶も淹れてきたらしい。
 渡された茶に口をつけると、一緒に出された水羊羹に視線を思わず落とす。晋助が態々手土産を持ってきたのが意外だった。好き勝手しているようで、迦具夜が本気で怒り出さないギリギリのラインで綱渡りをしているのだろう。
「…大真面目なら尚更性質が悪い」
 ボソリと拙者が呟いた言葉を迦具夜が聞いていたのか、彼女は瞳を細めて笑い、そんなの昔っからじゃないのさと言う。それに晋助は少し驚いた様な顔をすると、煙管の火を灰皿に落とした。煙草を吸わない迦具夜の家に煙管用の灰皿がある所を見ると、晋助が以前から持ち込んでいたのであろう。彼女が家で勝手をするなと怒り出すのも無理はない。
「心外だな。万斉より性質が悪いとは思った事ねぇよ。雪兎死ぬほど甘やかして、自分無しではどうにもならない位依存させようとしてる奴が良く言う」
 ぷかりと煙を吐き出しながら晋助が言うので思わずムッとする。否定はしないが、晋助に莫迦にされる筋合いもない。
「とりあえず晋兄はちゃんとお嬢と万さんに謝りなさい。あと、阿伏さんだっけ?夜兎の友達。どうせ向こうの都合も聞かずに呼びつけたんでしょ?」
「快く引き受けたぜ、おっさん」
 晋助の言葉か嘘かどうかは判断出来なかった。レンを春雨に勧誘している阿伏兎殿はもしかしたらいい機会だと思って引き受けたかもしれないが、逆に断るに断れず困り果てて渋々引き受けたかもしれない。レンは懐いているが、阿伏兎殿はどちらかと言うとコミュニケーションのとり方に戸惑っている節があるから、今の所はレンが望むようにしている。今の所はだが。
「まぁ、おっさんはまだ雪兎持て余してるみてーだし、いい年したおっさんが本気で困ってるのが面白くて、ついな」
 咽喉で笑った晋助を見て思わず阿伏兎殿に同情した。すると、迦具夜は呆れた様な顔をして晋助の頬をぎゅうぎゅう抓る。
「このアホタレ。人様に迷惑かけんなって言ってるでしょうが」
「俺にそんな事言うのはオメェ位だよ」
 彼女に手に己の手を添えて頬から放すと、晋助は瞳を細めて笑った。怒られて喜ぶ神経が理解出来ない。
「私が言わなきゃ誰も言わないでしょーが。万さんももっときつく文句言って良いのよ」
「万斉に文句言われるのは不快だ」
「自業自得でござろう。そもそも、ヌシがレンを使って拙者に嫌がらせをしよう等と思わなければ問題ない」
 拙者の言葉に晋助は僅かに眉を上げると、煙管の煙を吐き出した。
「雪兎とうまく行ってるのがムカつく。似たり寄ったりな方法で檻に閉じ込めてるのに納得行かねぇ。逃げられろ」
 思った以上にストレートな発言を晋助がしたので流石に唖然とした。要するに、自分は大昔に迦具夜にフラれたのに、拙者が割りとうまく行っているのが気に入らないらしい。そもそも、レンと迦具夜では性格が全く逆ではないか。温和で人懐っこいレンに対して、迦具夜は勝気で自立心が強い。レンは甘やかされれば喜ぶが、迦具夜が喜ぶとは到底思えない。失敗して当然だと拙者でなくても思うのではないか。
「…見事なまでの同族嫌悪じゃないのさ」
「どーだろうな。オメェが帰ってくりゃ嫌がらせやめるかもな。辰馬や多串君よりは居心地のいい寝床作ってやるぜ」
「一回外に出たら無理」
 ぴしゃりと言い切った迦具夜に晋助は少しだけ情けない顔をすると、またごろりと横になる。いつもこうやって切り捨てられるのに全く諦める様子がないのには流石に感心する。一途さとしつこさは紙一重と言う所であろう。
 いつかレンも自分の側が窮屈だと思う時が来るのだろうかと思うとゾッとするが。レンを依存させようとして甘やかすが、依存しているのは自分の方だと最近自覚しているだけに、想像するだけで怖い。
「…で、謝罪を聞いてないでござるよ晋助」
 不快な想像を振り払う為に晋助をもう少し締め上げる事にした。すると晋助は首だけをこちらに向けて、オメェに謝る事はねぇよ、雪兎の望みだからなと言い、迦具夜の膝に手を伸ばす。また膝枕を強請るつもりなのだろう。今度は是非5秒といわずに1秒で畳に頭を落として欲しい。
「晋兄」
「良いんだよ。今日は。本当に雪兎が言い出した事だからな。阿伏兎のおっさんには後で謝っとく」
 1秒どころか、頭を乗せる間もなく手を叩かれた晋助が渋々そう言ったのでとりあえずこの場はそれで流す事にした。レンが何か理由があって望んだのなら仕方がないし、後でレンが話してくれるのを待つしか自分には出来ない。
「…邪魔したな迦具夜姫」
「帰んの?」
 迦具夜の言葉に頷くと、彼女は困った様に微笑んで立ち上がった。見送りをしてくれるのだろう。
 勝手口まで見送りに来た迦具夜の顔を眺めて、ふと、疑問に思っていた事を直接聞いてみる事にした。安易に想像は出来たが、直接聞いた事はなかった。
「晋助の檻を出た理由はなんでござる?」
「理由ねぇ…晋兄から聞いてないの?」
「宇宙に行った男に惚れて出て行ったと奴は言っていた」
 しかし、それは晋助がつけた理由だ。
「…選んだだけよ。選んだら、晋兄とは違う道だっただけ。辰さんの件は選んだきっかけにはなったけどね」
 檻が窮屈なのもあったのだろうか。違う男に惚れたこともあったのだろうか。迦具夜が選んだ道は晋助とは永遠に交わらない平行線となり、晋助はそれが諦め切れなくて彼女を追うのか。
「その道を選んだ事に後悔は?」
「選ばなかった事を悔やむよりはマシなんじゃない」
 鮮やかに笑った迦具夜は瞳を細めた。誰でも選ぶ時は必ず来ると。
 自分もレンも選ぶ時が来るのだろうか。そう考えると、まだ選びたくないような気もした。子供を甘やかすだけのゆりかごのような、今の心地よさを手放すのは惜しい。ただ、それをずっと抱えようとすれば晋助と同じ道になってしまうような気もした。
 同じ道を選べれば一番いいのだろう。檻が壊れる前に。全てが手遅れになる前に。


月見日和【翻弄】番外
見事なまでの同族嫌悪

200906 ハスマキ

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