*選択*

 春雨本船を離れる前、神威に呼ばれ阿伏兎は部屋を訪れた。
「そんじゃ、鬼兵隊の船のほうよろしくね阿伏兎」
「はいよ」
 気のない返事をした阿伏兎を見て、神威はニヤニヤと笑う。それに気がついた阿伏兎は、不快そうに眉を顰めて口を開いた。
「なんだよ」
「いや、ちっとも嬉しそうじゃないからさ」
「はぁ?」
 神威の言葉の意図が汲めず、阿伏兎が怪訝そうな顔をすると、彼は呆れたような顔を作って口を尖らせた。
「だって、お嬢を手に入れるチャンスじゃん。夜兎一人連れて帰ってもバレないよ。俺が保証するし」
 その言葉を聞いて、阿伏兎は、あぁ、と短く声を上げて髪を無造作にかき混ぜた。
「殺すよ」
「え?殺しちゃうの?別に俺は構わないけど、良いの?お嫁さんにしなくて」
「……万斉も、鬼兵隊もぶっ壊して、お嬢手に入れた所で……多分俺には今まで通り懐かねぇさ」
 多分自分が耐えられない。そう思い阿伏兎は口を噤んだ。無理矢理手に入れるのはさほど難しくはないし、今までだってやろうと思えばいくらでも出来た。でも、踏ん切りがつかなかったのは、レンに憎まれるのが怖かったからだ。今まで好意を向けてくれていた彼女に、悪意を向けられるなど耐えられない。そして、復讐という檻にレンを閉じ込める位なら、殺してしまったほうがいい。自分の為にも、彼女の為にも。
 阿伏兎は鬼兵隊排除の命令を聞いた時からそう決めていたのだ。
「えー。阿伏兎のほうが多分強いし、無理矢理連れてくりゃいいのに。理解できないなぁ」
 不服そうに言葉を放つ神威を眺め、阿伏兎は少しだけ表情を緩めて口を開く。
「お前さんみたいにナイロンザイル並の神経じゃねぇの、おっさんは。……お嬢は俺が自分で殺すよ。そんで終いだ」
 そして、いつか忘れるのだろうか。今まで殺してきた奴らと同じように。そう考えたが、阿伏兎は、それもできないような気がした。戦って、殺して、奪って、恐怖と畏怖の視線だけを浴びて来た中で、彼女だけが懐いてくれた。それは数少ない温かい記憶。
「……まぁ、お嬢の事は阿伏兎に任せるよ。気が変わったら好きにしなよ」
 阿伏兎に逃げ道を用意するように神威が言葉を放ったので、阿伏兎は思わず苦笑する。己の団長がそんな気遣いをできるタイプだとは思っていなかったのだ。
「諒解」
 短くそう返事をすると、阿伏兎は踵を返して部屋を出ていった。
「万斉の野郎より先にお嬢殺すか……」
 廊下に出て阿伏兎はそう呟くと、鬼兵隊討伐の指揮出すために部下の待つ部屋へ向かった。

 

「……第七師団……」
 モニターに視線を送っていた万斉は、思わずそう零す。突如目の前に現れた春雨の艦隊。不安がっていた来島の予感が的中したのかと、思わず舌打ちをして部下に指示を出そうとする。しかし、それは鬼兵隊の船の後方から放たれた砲撃によって中断された。
「今度はなんっすか!?」
 パニックを起こした来島が悲鳴に近い声を上げてるのを聞いて、万斉はモニターを確認する。別の春雨艦隊の姿を捉えて、万斉は目を見開く。鬼兵隊の船を挟んで、撃ちあう形になっている春雨の艦隊。
 そして、漸くやってきた武市に、己たちは第七師団をおびき出すための餌だということを知らされ、来島だけだはなく万斉も絶句した。
 春雨の牙とも謳われた第七師団。それが切り捨てられる。
 ならば高杉は安全であろうと、来島は安心したが、万斉はモニターに視線を送って、眉を顰めた。あの船に阿伏兎は乗っているだろうか。そう考えたのだ。
「……先輩?」
 黙りこんだ万斉を見て、来島が不安そうに声をかけてきたので、彼はちらりと視線を来島に移したが、直ぐにまた第七師団へ視線を移した。
「白兵最強の夜兎も、船では力も振るえまい」
「……レンに何て言うんっすか?」
 今は部屋に篭っているレン。鬼兵隊が第七師団を追い落とす手助けをしたと聞いたら、どんな顔をするだろうか。万斉も同じ事を考えていたのであろうが、返事はなく、代わりに武市が口を開いた。
「レンさん一人の意思を組織に反映させるわけには行かないんです」
「そんな事分かってるっす!けど!……けど、夜兎の仲間全滅させたとか……」
「まぁ、阿伏兎殿は拙者たちを殺すつもりできたのでござろう。だったらおあいこでござるよ」
「先輩!」
 来島が怒ったように声を上げたので、万斉は少しだけ眉を上げる。結果、ハメられたのは第七師団だったが、阿伏兎も阿伏兎で、春雨の命令通り鬼兵隊を全滅させるつもりで来たのだろう。レンを阿伏兎が生かすかどうかは、万斉の判断では微妙であったが、それなりに阿伏兎も覚悟を決めて来た事は予想できる。レンの恨みを買ってでも手に入れるか、いっそ夜兎らしく殺すか。
「ならば拙者も覚悟を決めればいい」
「え?」
 万斉の言葉を拾った来島は怪訝そうな顔をする。
「……レンには阿伏兎殿は夜兎らしく戦って死んだことだけ伝えるでござる」
「ちょ……いいんっすか!?そんなんで!」
 万斉の覚悟が、まさかレンに嘘をつくことだとは予想していなかった来島は思わず声を上げて反論する。すると、万斉は大真面目な顔をして言葉を続けた。
「皆で口を噤めば問題ないでござろう」
「……いや……巻き込まないで欲しいっす」
 ぐったりしたような表情の来島を眺め、万斉は小さくため息をつくと踵を返した。
「どちらへ?」
「レンの所でござる。もう仕事もないでござろう」
 武市の言葉にそっけなく返答をすると、万斉はそのままレンのいる部屋へ足を運んだ。

 部屋を覗き込むと、飽きもせずにレンはパズルを作り続けていた。宇宙の航海は景色が代わり映えしない事もあって、レンは部屋に篭っている事が多いのだ。
 万斉はレンの隣に座ると、白いパズルに視線を落とした。高杉が買え与えた真っ白なジグソーパズル。模様がないが故に、ぴったりと合うピースを探し出すのには根気が必要で、来島などは見ただけで嫌そうな顔をしていた。
「レン」
「どうしたん?」
 手を止めたレンを見て、万斉は言葉を探した。本当のことを伝えようか、来島に言ったように嘘をつこうか。いざレンの顔を見ると万斉は悩んだ。阿伏兎がいなくなる事自体は万斉にとっては寧ろ喜ばしい事ではあるが、彼のことをレンが気に入っている以上、手放しには喜べない。一人ぼっちだったレンにとって、夜兎として初めての同胞とも言える存在である。
 沈黙を続ける万斉を見て、レンは少しだけ笑うと、又手元のパズルに視線を落とした。
 どれくらい時間が経っただろうか、万斉は、小さく溜息をついて、レンの肩に頭を乗せた。それに対してレンは大きな反応は見せなかったが、瞳を閉じて万斉はじっと考え続ける。
 鬼兵隊の決定に対して、今までレンはとりわけ興味を示すこともなかった。それはあくまで自分が鬼兵隊に所属していると言うよりは、高杉や万斉が所属しているという認識が大きかったからだろう。仕事を手伝うこともあるが、鬼兵隊の思想に賛成しているわけでもない。それは万斉も承知しているし、作戦をメインで立てている武市も同じ認識である。だからあくまで手伝いというポジションでしかレンを使わないのだ。万斉も阿伏兎もいつかは敵対することもあるだろうと考えていたが、レンはどうだろうか。
 あぁ、レンに嫌われたら生きていけない。
 大真面目にそう考えて、万斉は本当の事を話すことにした。
「レン」
「……第七師団が春雨に切り捨てられたん?」
 名を呼んだ次の瞬間にレンがそう零し、万斉は驚いたように頭を上げた。レンは手元のピースを弄びながら、違うの?と言葉を続ける。
「知っていたのでござるか?」
「そうなるんやないかって、シンスケが言うてた」
 散々悩んだというのに、高杉が既にレンに話をしていた事に驚き、万斉はまたレンの肩に顔を埋めた。どこまで高杉に聞いているのか判断出来ずに、万斉は言葉を探す。高杉が余計なことを言ったのかもしれないとなると、嘘もつきにくくなる。嘘をつくこと自体に罪悪感はないが、それを知られた時の彼女の顔を想像すると寒気がする。胃のあたりが痛くなるのを感じながら、万斉は部屋に舞い降りた沈黙を壊す言葉を探した。
「夜兎の牙は絶対に折れないんよ。だから、大丈夫なんよ」
「レン」
 彼女の言葉の意味は解らなかった。けれど、レンは夜兎が負けるとは欠片も思っていないし、何ら危機感も嫌悪感も持っていない事だけは理解できた。
「……シンスケの牙も絶対に折れない。夜兎も、シンスケも、きっと春雨を喰らうんよ」
 鮮やかに笑った彼女の顔を見て、万斉は思わず大きく瞳を見開いた。言葉の意味を唐突に理解して、立ち上がる。
「……武市殿の所へ行ってくるでござる」
「うん。私も降りられるようにお願いして欲しいんよ」
「諒解した」

 早足でまたデッキに戻ってきた万斉の姿を見て、武市と来島は驚いたような顔をした。第七師団は散り散りに逃げたのか、既に戦艦同士の戦いは掃討戦に入っており、静かなものであろう。
「武市殿。春雨本船へ急ぐでござる」
「えぇ?迎えには行きますからそろそろ向おうとは思っていますが……」
 怪訝そうな顔をして武市は万斉の顔を眺める。当初の目的通り、高杉を回収して、また帰る。それは武市の中で決定事項であるので、万斉に急かされる筋合いはない。
「急がねば晋助が一人で莫迦をやる」
 その言葉に武市も来島も息を呑む。具体的に何をとは分からないが、万斉の言葉はストンと彼らの心の中に入り、不安を煽った。全てが武市の言うとおり予定通りだ。そして、その後は高杉だけが知っている。それがいかに危険な事か。
「……万斉殿」
「レンは全部知っていたでござるよ。第七師団が切り捨てられることも、晋助から聞いていた。そのレンが、夜兎の牙も晋助の牙も絶対に折れない。だからきっと夜兎も晋助も春雨を喰らうと言っていた」
「春雨を……喰らう?」
 オウム返しのように武市はその言葉を繰り返したが、さぁっと顔色をなくし、春雨本船へ急行する指示を出した。
「……先輩、それって……」
「十中八九、晋助は春雨を裏切る。若しくは、鬼兵隊が第七師団同様切り捨てられる前に、喰らうつもりなのでござろう」
 それはあくまで予感に過ぎない。たとえ夜兎と共闘したとして、数は圧倒的に劣る。けれど、そんな事を気にする人間であれば、高杉は今この鬼兵隊の位置には存在しない。彼は数で行動を決めたりはしないのだ。それは攘夷戦争の頃も、今も同じで、だからこそ、武市はその選択の可能性を危惧した。
「まさか、レンさんに話をしているとは思いませんでした」
「晋助の気まぐれでござろう。それと、武市殿。もしも春雨と戦う事になった場合、レンを連れて行く」
「……こちらとしては有難いですが……いいのですか?」
「レンは戦う気満々でござるよ。シンスケの話を聞いてからずっと、春雨を喰らうつもりだったのでござろう」
 闘争心をむき出しにしている訳ではない。けれど、連れていって欲しいと言うのは珍しいのだ。大概万斉が彼女の為にいい戦場を選んで連れ出す。
「わかりました。まだ確定では有りませんが、いざという時はお願いします」
「諒解した」

 

 クッと咽喉で笑った高杉を見て、神威は不思議そうな顔をした。刀を振るい、春雨の精鋭を斬り殺してゆく姿は随分と機嫌が良さそうで、何気なく神威も口を開く。
「こんな状態でご機嫌だね」
「こんな状態だからご機嫌なんだよ。ザマァねぇ。阿伏兎のおっさんと万斉の悲壮な覚悟も台無しってこった。雪兎は俺とお前の牙を信じて一人勝ちだ」
「あぁ、お嬢ね。何?こうなるの知ってたの?」
 雪兎と呼ばれているのが、鬼兵隊の夜兎であるレンであろうと思い神威は敵を粉砕しながら返事をした。
「信じてた。春雨に大人しく喰らわれるんだったら、それは夜兎じゃねぇんだと」

 春雨を訪れる前に、万斉の部屋を訪れた高杉は、部屋で黙々と手を動かすレンの隣に座る。万斉は表の仕事に行っており、留守なのは承知していた。
「面白れぇか?」
「うん」
 レンの手元にあるのはジグソーパズルのピースである。100ピース程でさほど大きくはないが、まだ三分の一ほどしか組み上がっていない。少し前に高杉がレンに買い与えたものなのだが、彼女は気に入って万斉が留守中に最近は黙々と組み立てている。
「……随分進んだな」
「難しいんよ」
 ピースの一つを拾い上げ、高杉はそれをひっくり返す。裏も表も白い。そもそも絵柄を合わせる筈のものであるが、このパズルは絵柄は無く、全て真っ白なのだ。そのピースをレンは一つ一つ拾い上げて熱心にぴったりとハマる場所を探している。気の短い来島辺りなら10分で投げ出すだろうが、レンは飽きること無くその作業を続けている。
「けど、ちゃんとハマる場所は必ずあるんよ」
 そう言ってレンが笑ったのを眺め、高杉は瞳を細めた。
「……最近阿伏兎のおっさんから連絡あんのか?」
「ないんよ。多分お仕事お忙しいんよ」
 その言葉に高杉は困ったように笑うと、握っていたピースを卓に戻す。
「近々春雨に行く」
「うん」
 それは武市からも聞いていた事なので、レンは素直に頷く。長い時間かけて探していた春雨の探し人を、鬼兵隊は漸く捕縛したのだ。名を変え、姿を変え、春雨から逃亡していた女。
「雪兎」
「何?」
「春雨が第七師団を切り捨てる。多分な」
 レンは手元に落としていた視線を上げて、高杉の顔を眺めた。驚きと困惑が入り混じった表情を高杉に向け、少しだけ沈黙した後、口を開いた。
「……大人しく切り捨てられるなら、夜兎は夜兎やないんよ。阿伏兎さんも、団長も、人数が少なくても、味方がいなくても、最後まで戦うんよ」
「莫迦な生き物だな夜兎は」
「賢かったら、もっと夜兎は沢山いたんじゃないかって、阿伏兎さん言っとったんよ。戦うしか能がないから、数が少ないねんて。でも、だからこそ最強種なんよ」
 なるほど、高杉はそう思ってレンの頭を撫でた。
「でも、俺はそんな莫迦は嫌いじゃねぇな」
 小賢しいのは好きじゃない。寧ろ夜兎のように解りやすい莫迦の方が好ましい。高杉はそう考え、立ち上がる。
「……もしも、テメェの言うように、夜兎に牙が折れねぇってんだったら、俺も莫迦になるとすっか」
「シンスケ?」
 困惑してレンが高杉を見上げると、彼は瞳を細めて笑った。
「テメェの言う夜兎がどんなもんか楽しみだ」
 その高杉の言葉を聞いて、レンは鮮やかに笑った。
「私は、夜兎の牙も、シンスケの牙も信じてるんよ」

 ぼんやりとそんなレンとのやり取りを思い出した高杉はまた咽喉で笑う。
「随分お嬢の事気に入ってるんだね。困るなぁ。アレ阿伏兎のお嫁さんに欲しいのに」
「そりゃ雪兎が決めるこった」
 高杉が視界の端で確認したレンの姿。守りは不得手な夜兎族であるが、彼女はそれでも鬼兵隊の面子を守りながら敵を粉砕していく。赤い瞳は敵を圧倒し、白い手足は敵の体を砕く。寝返る者が増えて、徐々に押して行ってるのは解る。呼吸をするように殺す。それが夜兎。無造作に顔の血を拭うレンの姿を見て、高杉は瞳を細めた。
「ちまちまやってんのも怠くなってきたな」
「同感。そんじゃ、ちょっと行ってくる」
 軽くそういうと、神威は地面を蹴って跳躍する。逃げ出した春雨の提督を追ったのだろう。それを見送った高杉は、瞳を細めて笑った。

 

「まぁ、今後とも宜しくってことで」
 高杉の部屋を訪れた阿伏兎はそう神威の伝言を伝える。それに対して高杉はつまらなさそうに口元を歪めて、まだ居た方がいいのか?と首を傾げた。
「好きにしてくれって言いたいところだけどな。逃げ出した奴全部狩ったわけじゃねぇし。帰る途中に狙い撃ちってのもあるけどどうする?」
「それも面白くねぇな」
 咽喉で笑った高杉は、瞳を細めてもう少しだけ滞在する旨阿伏兎に返答する。
 第七師団による下克上。まだ完璧にまとめ上げた訳ではない。第七師団は無理でも、鬼兵隊ならと考える輩もいないわけではないだろう。
「雪兎もアンタに遊んで欲しいだろうしな」
「忙しいんだけどねぇ」
 無造作に髪をかく阿伏兎。神威はやる事をやったら後は丸投げという事は多い。実際阿伏兎も現在残党狩りの指揮を任されているし、こうやって鬼兵隊とのパイプ役まで仰せつかっている。
「……残念だったな。俺たちが第七師団につかなきゃ雪兎を連れて帰れたろうに。万斉とアンタの一騎打ちも興味あったんだがな」
 煙管に火を入れながら高杉が言うと、今まで部屋の隅で沈黙を守っていた万斉が僅かに反応したので、阿伏兎はそちらに視線を向けた。
「見るまでもないでござろう」
「へぇ」
 万斉の言葉に思わず阿伏兎は言葉を漏らす。勝つつもりでいたのか、負けるのを覚悟していたのか興味を持ったのだ。それは高杉も同じだったらしく、咽喉で笑うと、どっちが勝つんだ?と茶化すように言葉を放った。
「条件にもよるが、まぁ、拙者の勝ちでござろう」
「……大した自信だなオイ。天下の夜兎相手に」
 高杉は煙管の煙を吐きながら呆れたように言う。
「阿伏兎殿がレンの恨みを買ってでも連れていこうと覚悟してたなら、拙者の負けでござろうが、大方、レンを殺すつもりで来たのでござろう。ならば拙者の勝ちでござるよ」
 殺す覚悟できたという点は当たっている。阿伏兎は僅かに顔を顰めると、万斉の表情を伺う。相変わらずサングラスのせいで表情は読み難いが、口元を歪めている所を見ると自信はあるらしい。
「レンと阿伏兎殿なら五分か、レンが不利でござるが、拙者とレンなら勝てないことはない」
「……いや、それ、テメェが真っ先に脱落だろ」
 高杉の言葉に万斉は僅かに眉を上げると、可笑しそうに言葉を続けた。
「阿伏兎殿が、レンの前で拙者を殺す事ができればそうでござろうな。けど、できまい。できるのなら、はなっからレンに恨まれても連れて行く方を選ぶ」
 胃の辺りが捩れるような不快感に阿伏兎は顔を顰めた。逆に高杉はつまらなさそうに言葉を放つ。
「雪兎がおっさんと戦うかよ」
「そうでござるな。普段なら嫌がるでござろう。けど、拙者の命が掛かっているなら、戦う。だから拙者の勝ちでござるよ」
 あぁ、この男はレンを戦わせる為に己の身を危険に晒す覚悟をしていたのだろう。レンを謀って。そう考えて、阿伏兎はぞっとした。確かに阿伏兎はレンを殺す覚悟は決めてきた。けれど、レンより先に万斉を殺す選択は取れなかった。たとえ一瞬でも、憎悪を目を向けられることに耐えられる自信がなかったのだ。あのまま行けば、まんまと逃げられたかもしれない。そして、レンにとって、阿伏兎という男は悪党になる。
「……そうこうしているうちに、第七師団が春雨に討伐されて、『阿伏兎殿は夜兎として最後まで立派に戦った』とレンを慰めるというとこまでは考えていたのでござるがな」
「酷ェシナリオだなオイ」
 付け加えるように万斉が言ったので、思わず阿伏兎はそう突っ込んだが、最悪そのシナリオで進んだかもしれないと思うと、心底万斉という男が怖くなった。レンを守るためになら手段を選ばないし、レンを謀ることも厭わない。
「まぁ、結局雪兎を殺すっておっさんの覚悟も、謀るって言う万斉の覚悟も台無しになった訳だけどな」
 可笑しそうに高杉が笑ったので、万斉はむっとしたように顔を顰めた。
「そもそもレンに何故春雨の第七師団討伐計画や、その後第七師団に付くという話をしたのでござる」
「第七師団討伐計画は話したけど、第七師団に付くなんて言ってねぇよ。アイツは、夜兎ならむざむざ喰われないだろうし、俺なら第七師団につくって勝手に信じてただけだ」
 つまらなそうに高杉はそう言うと煙管の火を落とした。
「楽観視してた訳じゃねぇだろうけど、まぁ、流れを見る目はあるな。少なくともオメェらよりはな」
 悲観的な最悪想定をするのは決して悪いことではないが、悲壮な覚悟も台無しになったと言う意味では、阿伏兎も万斉も確かに肩透かしを食らったし安心もした。そんな中レンだけは大丈夫だと信じて待っていた。
「アイツの神経ナイロンザイル並に太いし、肝も据わってるからな」
 可笑しそうに高杉は笑うと、瞳を細めた。
「そのうちお前らの度肝抜くようなことしでかすんじゃねぇかって楽しみだ」
 高杉の言葉に万斉は不快そうに眉間にシワを寄せ、阿伏兎は困ったような情けないような顔をして笑った。
「まぁ、今まで通りってこった。取り敢えずはな」
 そう続けられた高杉の言葉を聞きながら、万斉と阿伏兎は、取り敢えずね、と誰に聴かせるわけでもなく同じ言葉を呟いた。


次回で一旦最終回でござる。
20111101 ハスマキ

 

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