*音色*

 風の冷たい江戸の町を、レンはほてほてと歩く。派手な装飾に包まれた街はレンには珍しく、彼女はうきうきとした気分で辺りを見回した。万斉の仕事が終わるまでの時間はまだ十分にある。本来は一人で出歩くのは許可されないことは多いのだが、万斉が街を見てみたいというレンの希望を叶え、仕事が終わるまでという時間条件付きで許可をした。
 クリスマスというイベントであるという事はレンも知識としては知っていた。ただ、基本的に鬼兵隊のアジトで過ごしている彼女にとって、賑やかな街は珍しい。興味を惹く物は多く、眺めているだけでも楽しかったレンは、時間に注意しながら歩みを進めて行った。
 そんな中、家の中から聞こえる三味線の音にレンは足を止める。【三味線屋・迦具夜姫】の看板は既にないが、見覚えのある家は高杉の幼馴染が住んでいた家である。彼女は今鬼兵隊のアジトに居る筈なので家の中から三味線の音がするのはおかしいと思い、レンは路地沿いの窓が少しだけ開いているのを確認して、そっとその隙間から室内を覗き込んだ。
 処分したと聞いていた家はレンの知っているそのまま残っており、首を傾げると、中にいる女にレンは視線を向けた。どこかで見たような気もするが思い出せない。ただ、その人の弾く三味線は高杉の音によく似ており、レンは身を乗り出そうとするが、ぎゅっと頭を押される。
 驚いたレンが手の主を見上げると、青いコートに白いマフラーをしたその男は口元に指を一本立てて無言で静かにするように指示をした。それとほぼ同時に、部屋の中の女が、誰?と声を上げたのだ。すると、レンの頭を抑えたまま、男は空いた手で窓を更に開け言葉を放った。
「通りすがりの大家さん」
「……あぁ、旦那でしたか」
 窓の下に小さく身を屈めたレンに気がつかないのか、そのまま会話が続く。
「これから座敷か?」
「えぇ。年末は潜入捜査にもってこいですからね」
 その言葉にレンは漸く青コートの男が自分を庇ってくれたのだと言うことを理解した。潜入捜査と言う言葉を使うのならば恐らく中の人間は真選組であろう。関わるなと万斉に言われているだけに、思わずレンは冷や汗をかいた。うっかり余計な事を喋る所だったと。
「つーかさ、君菊ちゃん。この家いい加減売りたいんだけど。直ぐに買手はつかねぇと思って、姫さんから一旦丸ごと俺が買いあげただけだしな」
「……売る気もない癖に何言ってるんですか旦那。最初から売るつもりなら、『監察の拠点利用の為』なんて苦しいこっちの理由飲んで貸してくれる訳ないじゃないですか」
 君菊という名はレンも高杉から聞いたことがあった。元この家の家主の弟子であったはずだ。青コートの男の様子を伺いながら、レンは会話に耳を傾けた。
「貸さねぇとお前さんが困るんだろ?」
「困りますよ。君菊の格好で屯所に出入り出来ませんし、座敷の衣装も殆ど先生から借りてたんですから」
「弟子が困るのは姫さんも嫌がるだろうしな。まぁ、落ち着くまで貸してるだけだぜ。それがずっと続くと思われたら困る」
 青コートの男の話を聞いて、君菊は口元を歪める。帰ってこない家主。売りに出された家を調べてみれば、持ち主は目の前の全蔵にいつの間にか変わっており、交渉の末何とか家財道具等もそのままで借りることが出来た。
「……先生の居場所は教えてくれないんですね」
「それはルール違反だろ。家の件はお前さんが上手いことルールをくぐって来たら俺は対応しただけだ」
 一切合切売り払ってくれと雇い主から言われた全蔵は、まず一旦自分で買いあげた。家財道具など細かいものになると捌くのは難儀な上に、家自体もこの年の瀬に売れるとも思えなかったのだ。そこに滑りこんできた君菊。どうせ売るアテがないのなら、家賃を払うから使わせてくれと。遊ばせておくより家賃が入ってくるだけましだと、全蔵はそれを承知し、今は大家となっている。
 その会話を聞きながらレンはもうこの家に遊びに来ることは出来ないのだと理解してしょんぼりと肩を落とした。鬼兵隊のアジトや万斉の個人的に借り受けている部屋と違い、全体的に和風な作りのこの家が気に入っていたのだ。
「まぁ、せいぜい頑張れよ。……副長さんもな」
「えぇ」
 そう言うと、全蔵は窓を閉めて漸くレンに視線を落とす。すると彼はニィっと笑って、今日は保護者はいねぇのか?と言葉を零した。それに驚いたレンは、待ち合わせをしている旨を伝えた。
「そうか」
「私の事知っとるん?」
 レンの言葉に全蔵は少しだけ首を傾げて笑った。
「姫さんから少しな。アジトでも時々見かけた」
 姫さんが高杉の幼馴染の女を指すことは、先程の会話で理解していたレンは、そっか、と短く返事をする。
「そんじゃ俺、バイトに行くから」
「バイト?」
「ピザ屋」
 そう言うと、全蔵は懐からチラシを取り出しレンに握らせる。注意を一瞬逸らしただけだというのに、レンが再度顔を上げると既に全蔵の姿はなく、驚いたようにレンは誰もない道を凝視した。夜兎である自分が感覚が他より鋭いのは理解していたが、それすら物ともしない全蔵の技術に驚いたのだ。
 名残惜しそうにレンはその場を離れると、万斉と待ち合わせをしている喫茶店へ向かうことにした。

 ウエイトレスが水をとメニューを持ってきたので、レンはメニューを開いて飲み物を選ぶ。読み書きは万斉と高杉のお陰で大分できるようになっているので、メニューを読むぐらいは大して困らない。
「ココア、お願いするんよ」
 レンの言葉にウエイトレスは笑顔を向けて了解をしてくれたのでほっとしたような顔をする。余りこの手の店には一人で来ないのだ。誰かと来る時は大概相手がウエイトレスに注文をしてくれる。少しだけ満足したレンは、全蔵から貰ったチラシをテーブルの上に置いて眺めた。色とりどりのピザ。そういえば食べたことがないので、今度万斉に頼んでみようと考えながら、レンは万斉が来るのを待った。

 ココアをすっかり飲み干して、待ち合わせ場所を間違えたのだろうかとレンが不安になりだした頃に万斉は店に入ってきた。レンを見つけ小走りに近づくと、申し訳なさそうに詫びる。
「遅れた。済まなかったでござる」
「ええんよ。待ち合わせ場所合ってて良かったんよ」
 時間を過ぎたために、慌てて来たのであろう、万斉の額にはうっすら汗が滲んでいる。待たされたことより、自分がちゃんと待ち合わせ場所にこれていた事に安堵したレンは、万斉を責めることはせずに笑顔を向けた。
 やってきたウエイトレスに珈琲と、追加のココアを注文すると、万斉は三味線を椅子に置き、深く座る。
「街はどうでござった?」
「綺麗やったんよ。サンタさん沢山おったし、お店にも可愛いのいっぱい並んでたんよ」
 本来なら一緒に回りたかったが、年末に向けて仕事が立て込んでおりそれを断念した万斉は、レンの話を聞いて口元を緩ませる。
「……万斉、迦具夜ちゃんはもうおうちに帰らへんの?」
「迦具夜姫?」
 元々あの家の持ち主に【迦具夜姫】とあだ名をつけたのは万斉である。レンもそれに習って彼女のことをそう呼んでいるし、彼女からそれを禁止されたこともない。突然出てきた女の名に万斉は怪訝そうな顔をしたが、レンが彼女の家であったことを話しだしたので納得する。
「どうでござろうな。拙者の預かり知らぬ所でござるよ」
 万斉とて興味がないわけではない。高杉の檻を嫌った女が、戻ってきて居ついた時は流石にありえないと思い、話でも聞いてみようかと思った。けれど、高杉が自分以外の人間が接触するのを極端に嫌ったためにそのままとなっている。例外といえば彼女の飼っている御庭番衆ぐらいであろう。また逃げられるのを恐れて閉じ込めているのか、ただ単に昔からそうなのかは万斉には分からない。ただ、会って話をすることは無かったので、彼女が帰るつもりなのかどうかは分からない。
「キミギクってお姉ちゃんが探してるみたいなんよ」
「そうでござろうな」
 愛弟子である君菊が探さない訳は無い。恐らく仕事の合間を縫って探し回っているのだろう。ただ、全蔵自体が協力的ではないのがレンの話から理解できたので、たどり着くにはもう少しかかりそうだとぼんやり考えて、万斉は、漸くウエイトレスの持ってきた珈琲に口を付けた。
「……年が開ける頃には晋助も迦具夜姫に頼めば会わせてくれるかもしれないでござる。もう少し待ってみよう、レン」
「そうやね」
 少し不満げではあったが、万斉がそう言うのならばそれが一番いいのだろうと納得してレンは頷いた。鬼兵隊の組織についてはよく解らないが、高杉が決めたことがなかなか覆らないことぐらいはレンでも知っていたのだ。
「そういえば、キミギクちゃんの三味線が、シンスケの音によく似てたんよ」
「ほぅ」
 話題を変えるようにレンがそう言ったので、万斉は僅かに眉を上げて反応する。そういえば君菊の三味線は聞いたことがない。
「……晋助の孫弟子でござるからな。似るのでござろう」
「孫弟子?」
「晋助が迦具夜姫に三味線を教えて、その迦具夜姫が君菊殿に教える。晋助から見れば孫でござる」
「でも、迦具夜ちゃんとシンスケやキミギクちゃんの音は似てないんよ。どーして?」
 例えば直接教えてもらえば似ることもあるだろう。けれど直接的な接点がない二人が似るのは不思議だったのだろう。そういったレンを見て、万斉は僅かに瞳を細めた。彼女の納得する解答を探しているのだろう。
「……多分、晋助と君菊殿が同じモノの為に弾いているからでござろうな」
「同じモノ?」
「迦具夜姫。二人とも接点も共通点もないでござる。けど、それだけは同じでござる」
 君菊が三味線を弾き始めたのは恐らく仕事のためであろう。しかし、少なくともレンが聞いた三味線は迦具夜姫を思って弾いていたと万斉は思ったのだ。
「迦具夜ちゃんは誰の為に弾いとるん?」
 彼女の三味線は死んだ仲間を彼岸へ導く音だと知っていがた、万斉はそれをあえて口に出さずに首を小さく振った。レンには理解しがたいものだと思ったのだ。するとレンは、そっか、と短く返答し、カップへ視線を落とした。納得できなかったのだろうかと万斉は首をかしげるが、レンはそれに気がつかないのか、再度口を開いた。
「万斉は何のために弾いとるん?」
「昔は自分の為でござるよ。今は、レンの為」
 その言葉にレンは驚いたような顔をして万斉を見上げた。
「そうなん?」
「気がつかなかったのでござるか?」
 些か呆れたように万斉が言ったので、レンは申し訳なさそうな顔をしたが、直ぐに、ありがと、と笑った。向かいあわせに座るんじゃなかったと、その時万斉は後悔する。いつものように傍に置いておけば、思う存分撫でられたのにと思うと、急に帰りたくなった万斉は、珈琲を飲み干す。
「店を覗いてほしい物はあったでござるか?」
 最後に買い物でもして帰ろうと言うところであろう。万斉がそう言うと、レンは折りたたんでチラシを広げた。
「これ!食べてみたいんよ。忍者のお兄さんがバイトしてるんよ」
 恐らく忍者とは全蔵のことであろうと思った万斉は、チラシを覗き込む。そういえばピザの類はレンは殆ど食べたことが無かったかも知れない。そもそも、秘密のアジトに宅配を頼むのも問題である。何が理由で足が付くか分からない中、そんな事をしたら高杉はともかくとして、武市辺りが怒り出すかも知れない。
 よくよく見ると、並んで書いてある店舗の一つに丸がしてあるところを見ると、それが彼の務めている店なのであろう。
「了解した。帰ったら注文してみよう」
 配達員の指名等出来るかどうか解らないが、時間は問わないからと全蔵を指名して配達させることが出来れば武市も煩く言わないであろう。そう考え、万斉はレンの要望を快諾した。

 

 レンと万斉がアジトへ帰ってきたと思ったら、暫くして大量のピザが届けられて来島と武市は思わず仰け反る。しかも配達員は今まで迦具夜姫奪還で何度も苦渋を舐めさされている御庭番衆である。
「河上万斉さんからの注文です」
「万斉先輩っすか!?」
 全蔵を睨みつけていた来島であったが、万斉の名を出され、思わずそう声を上げた。すると、廊下の向こうから万斉とレンがほてほてと歩いて来る。
「コレは?」
「レンが食べてみたいと言ったので注文したでござる。この配達員ならば、アジトの場所が知れても今更でござろう」
 明らかに不服そうな顔をした武市に、表情を変えることなく万斉が言うと、武市はあきらめに似たため息を一つ零した。
「まいどあり」
 代金を支払うと、全蔵はさっさと姿を消し、後に残された大量のピザ。げんなりしたような顔で眺める来島と、嬉しそうなレンの表情が対照的だと思ったが、万斉はそれを口に出す事はなかった。
「先輩。もしかしてチラシにあったの全部注文したんっすか?」
「あぁ」
 やっぱり、と心の中で思った来島は、ピザを運ぶのを手伝うことにした。少なくとも年内はもうピザを見たくない気がする。例え殆どレンの胃の中へ入ると分かっていても、ピザ独特のチーズの匂いだけでお腹が一杯になりそうだったのだ。
 食堂で次々に箱を開けてゆくレンを満足そうに眺めている万斉を見て、武市は呆れ気味に口を開いた。
「いくらレンさんでもカロリーオーバーなのではないですか?」
「……そうかも知れぬな。また外に連れていくことにする」
 反省の二文字は恐らくないのだろうと言うような万斉の返答に武市はがっくり肩を落とす。腕はいいが如何せんマイペースである万斉を御するのは難しいのを重々承知しているだけに、言葉がないのであろう。
「また、大量に買い込んだな」
「晋助は呼んでいないでござる」
 匂いに釣られてきたのか、高杉が顔をだすと、万斉はピシャリと言い放つ。
「俺にも一口」
 キツイ万斉の口調を無視して、高杉はレンの傍へ寄ると強請るように顔を近づける。するとレンは開けたばかりのピザを一切れ、高杉の口へ運んだ。
「美味しい?」
「こーゆーのはあんま食わねぇからな。たまにはいいか」
 苦笑した高杉を見て、レンは笑った。他の面子もおすそ分けを貰い口に運ぶ。配達が驚くほど早かったこともあり、ピザはできたてで非常に美味しかった。万斉の膝の上でピザを消化しながら、レンは思い出したように口を開く。
「コレ、迦具夜ちゃんに持っていったらあかん?」
 その言葉に高杉は少しだけ沈黙をしたが、瞳を細めて笑う。
「アイツはジャンキーなのあんま食わねぇけど、まぁ、もって行きてぇなら構わねぇよ。直ぐに戻って来いよ」
 そう言うと、レンに鍵を投げて渡す。それに驚いたような顔をしたのは、言いだしっぺのレンではなく他の面子であった。今まで誰にも合わせなかったのにと。
 レンは頷くと、ピザの箱に幾つかの種類を詰めてほてほてと食堂を後にした。
「どういう風の吹き回しでござる」
「……さぁな」
 万斉の言葉に、高杉はつまらなさそうに返答すると、煙管の煙を吐き出した。

 

「迦具夜ちゃん。入るんよ」
 鍵を外して声をかけると、中からの返事はなく、恐る恐るレンは扉を開けた。すると、ベッドに腰掛けていた女がゆっくりとレンに視線を向ける。
「どうしたのさ、お嬢」
「忍者のお兄さんの店でピザを注文したんよ。それで、おすそ分け……」
 レンから箱を受け取ると、淡く彼女は笑った。
「……あのね。キミギクちゃんが探してたんよ」
 散々迷った挙句、レンはそれだけ迦具夜姫に伝えた。すると、彼女は少しだけ驚いたような顔をした後に、口を開く。
「急に居なくなったから迷惑かけちゃったのよね、あの人には……」
 その言葉にレンは何を言うべきか悩んだ挙句、言葉が浮かばず困ったような顔を思わず作った。
「もう行きなさい。晋兄に怒られるわよ」
 そう促されて、レンはしょんぼりと部屋を出た。
 部屋の外に立っていたのは万斉で、レンは思わずぽふっと彼に抱きついた。
「……よく解らないのよ」
「そうでござるな」
 彼女がここにいるのが良い事なのか悪い事なのかレンには判断できないのであろう。必死に探す君菊。傍に置きたがる高杉。両方を知ったが故に、困っているのであろう。高杉のせいでレンを煩わせているのが腹立たしかった万斉であったが、彼女の頭を撫でながら、言葉を零した。
「迦具夜姫が何を選ぶか次第でござるよ」
「……うん」
「食堂に戻ろう。ピザが冷める」
「そうやね」
 そのままレンを抱きかかえて万斉は廊下を歩き出した。しがみつくレンの体は小さく、柔らかい。感情に対して素直な彼女には恐らく理解出来ない世界であろう。選ぶという事は時には残酷な結末を齎すことだってあり得る。
 そんな事を考えながら、万斉はレンを抱く手に力を込めた。


外でイチャイチャするのは自重した万斉(笑)
20101201 ハスマキ

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