*必衰*

「常夜の国に陽がさしたか」
 高杉は咽喉で笑うと、地上を見下ろし言葉を零した。夜王・鳳仙の支配する吉原桃源郷を覆う人工の空が開き、その街の姿を晒す。元々吉原自体に興味はなかったが、付き合いのある春雨の第七師団が本格的に吉原に介入すると言う情報を得て、高みの見物を決め込んだのだ。
「……支援に行かなくて宜しいのですか?」
 傍に控える武市の言葉に、高杉はつまらなさそうに視線を落とすと、煙管の煙を細く吐き出す。
「手伝えと連絡があればいくさ」
 実質上、春雨の地球実働部隊となっている鬼兵隊は、要請さえあれば春雨の為に動くが、現在は春雨本体からも、第七師団からもその要請はない。どのような過程を経て吉原に陽の光がさしたのかは分からないが、恐らく鳳仙は失脚したのであろう。夜兎の王が支配する国は崩壊したが、新たな秩序を春雨が齎すのかどうかはまだ解らないし、口出しすることでもないと判断した高杉は、瞳を細めて吉原を見下ろす。
「……腐る前に切り落としたのか、根っこから引っこ抜いちまったのか」
 たった一人の為の人工楽園。バカバカしいと思いながらも、それを完全否定できないのは、己もそれに焦がれていたからだろうか。そう考えて、高杉は瞳を伏せた。

 

 阿伏兎を背負って吉原を出た神威は、目の前に突如現れた男に目を丸くすると、にこやかな笑顔を向けて言葉を放つ。
「春雨からの監視?」
「そのようなものでござる」
 独特口調に気が付き、阿伏兎が顔を上げると、そこには鬼兵隊の人斬り・河上万斉が立っており、相変わらずの無表情で二人を見据えていた。それに阿伏兎は苦笑すると、信用ねぇからな、と困ったように笑った。
「鳳仙は殺したし、春雨が心配する事はないって言っておいてよ」
 ヘラヘラと笑いながら言葉を放った神威に、万斉は少しだけ眉を寄せる。
「……俺がちゃんと殺したから心配しなくていいよってね」
「そうか」
 嘘だと知っていても万斉は何も言わずにそう返答した。鳳仙を倒したのは白夜叉であるが、それに対して万斉はあえて何も言わずに小さく頷いた。
「あとさ、どっか傷の手当出来る所知ってる?」
「第七師団の船は?」
「こっちに来るまで少し時間があってさ。阿伏兎を今死なせると面倒だから」
 神威の言葉に、万斉は少しだけ首を傾げると、阿伏兎の様子をしげしげ眺める。確かに派手に怪我をしている。頑丈な夜兎であるから、死ぬことはないかもしれないが、どうせ第七師団の船が寄港するまでに時間があるのならば、手当ぐらいしてもいいかと考え、口を開く。
「了解した」
「そんじゃ阿伏兎を宜しく」
「ちょっと待て神威」
 ぱっと己の体から離れた神威を見て、阿伏兎は驚いたような顔をする。すると神威は、怪訝そうな顔をして首を傾げた。
「何?」
「団長はどーすんだ。俺だけ宜しくされんのか?」
「お腹すいたし御飯食べてくる。お金」
 差し出された手に、阿伏兎は盛大に溜息をつくと、まじかよと言葉を零した。
「まだ時間あるし。待ち合わせ場所は分かるよね」
「そりゃ分かるけど……ったく、人様に迷惑かけるなっていってんだろう」
「阿伏兎が大怪我してる時点で俺に迷惑かかってるから。ほら、お金」
 催促をやめない神威に、仕方がなく阿伏兎は財布を投げてよこす。中身を確認した神威は露骨に残念そうな顔をすると、これだけ?と零す。
「十分だろーが。バイキング狙え。つーか、テメェの小遣い持って来ねぇで文句言うな」
 たかられた上に、財布の中身まで文句をつけられた阿伏兎は、不機嫌そうにそう言うと、神威の頭を小突く。すると、神威は仕方が無いというように財布を懐にしまうと、笑顔を向けてさっさと江戸の町へ繰り出していった。
「……ヌシだけ連れていけばいいのでござるか?」
「頼む」
 そのやりとりを見ていた万斉の言葉に、阿伏兎は申し訳なさそうに言うと、小さく頭を下げた。

 連れてこられた場所は、阿伏兎の目にも高級だと分かるマンションで、思わず言葉を失う。鬼兵隊のアジトとしては、あまりにも堂々とし過ぎだと思ったのだろう。
「……アジト?」
「拙者が個人的に借り受けてる部屋でござる」
 そう言うと、万斉はそのまま中へ入っていたので、阿伏兎はひょこひょことあとを付いていく。慣れない環境に思わず苦笑すると、招き入れられるままに阿伏兎はマンションの一室に入る。
 綺麗な内装に自分は場違いだと思いながら靴を脱ぐと、奥から見覚えのある女が顔をだし、驚いたように声を上げた。
「万斉先輩!どうしたんっすか?」
「阿伏兎殿の手当を頼む。晋助に連絡をいれる」
 そう言い放つと万斉はさっさと奥に引込み、残った阿伏兎と来島は顔を見合わせた。
「あー。悪ィ」
「とりあえず奥にどうぞっす」
 広いリビングにソファーが置かれており、阿伏兎がどうしたものかと立ったままでいると、救急箱を抱えた来島がソファーに座るように促す。
「傷はどんなもんっすか?骨とか折れてたらなんともならないんっすけど」
 困ったように言った来島に、阿伏兎は、添え木とかねぇの?と聞いた。
「流石に……とりあえず消毒とかした方がいいっすね」
 そう言うと来島は阿伏兎に服を脱ぐ様に促す。
「……左腕……前はあったっすよね?」
「あぁ、落としきちまった」
 茶化すように阿伏兎が返答したので来島は困ったように笑い、一番ひどい肩の傷を手当した。マントに付いた血の量からかなり深い傷だと判断したのだが、夜兎の回復力を目の当たりにした来島は呆れたように声を上げる。
「夜兎ってのはすごいっすね。骨とかもくっつくの早いんっすか?」
「地球人よりは早いんじゃねぇの?っていうか、普段からここに住んでんのか?」
「今日は吉原への応援依頼対応のためにレンとここにいたっす。普段は殆ど使ってないって万斉先輩言ってたっすから」
「お嬢もいるのか」
「隣の部屋でお昼寝っす」
 腹やら肩に包帯を巻きつけながら来島が返答すると、阿伏兎はふぅんと声を漏らす。どうやら第七師団というのは思った以上に春雨に信頼されていないらしい。そもそも、鳳仙は夜兎であり、第七師団を昔率いていたことを考えれば、気持ちは解らなくはない。鬼兵隊に監視を依頼する。長年従えた夜兎より、鬼兵隊の方がまだ扱いやすいと言うことだろうか。
「足はどうにもならないっすねぇ。ポッキリいってれば逆に手当のしようもあるんっすけど」
 腫れあがる足は恐らく骨にヒビが入ってるのだろう。阿伏兎は己の足を眺めながら、苦笑すると、そっちは構わねぇよと言葉を零す。
 すると、隣の部屋から、万斉に連れられてレンが部屋に入ってくる。救急箱を片付けている来島を見て、手当が終わったものだと判断した万斉は、彼女に茶を淹れるように言うと、阿伏兎の正面にあるソファーに腰を下ろした。その傍にそわそわとした様子でいるレンに万斉は視線を向けると、口元を緩めて笑う。
「阿伏兎殿は大丈夫でござるよ。左腕は落としてきたようでござるが」
「!?落としてきたん!?」
 ぎょっとしたような顔をしたレンを見て、万斉は咽喉で笑うと、命を落としたんじゃなくて良かったでござるなと言い、レンを膝に乗せる。
「まぁ、鳳仙の旦那を相手に左腕だけってのは運がいいけどな」
 先程の冗談を聞いていたのだろうと思い、阿伏兎は万斉の言葉に苦笑するとそう付け加えた。実際問題、夜兎の戦いに割って入って無事で済むことなどそうそう無い。
 心配そうな顔をしたレンを眺めながら、阿伏兎は咽喉で笑うと、瞳を細めた。
「なんだったら、お嬢が俺の左腕の代わりに春雨に来てくれりゃいい」
「その提案は却下でござる」
 レンが返答する前に万斉はサラリとかわすと、僅かに眉間に皺を寄せる。不快だと思うたぐいの冗談だったのであろう。その反応を見て阿伏兎は、困ったように笑うと、冗談だと短く付け足した。半分は本気であったが、現状それが受け入れられるとは思っていなかったのも事実である。
「まぁ、義手って言う手もあるしな」
 実際、夜兎最強と謳われた星海坊主も神威に腕を落とされ義手を着けている。戦場で戦うことを仕事としている夜兎族の中でも、義手や義足をつけているものも少なくはない。そこまでして戦うのかと問うものもいるが、戦うことを辞めた夜兎は、少なくとも第七師団では不要とされるのだ。まだ神威に必要であると言われた以上、前線を退くわけには行かない阿伏兎としては、義手というのは妥当な選択であろう。
「しっかし、夜兎族ってのは本当に頑丈っすね」
 茶を持っていた来島の言葉に、阿伏兎はそうか?と首を傾げた。
「回復力も早いっす。レンは余り怪我とかしないから気にならなかったんっすけど」
「……まぁ、地球いよか頑丈だとは思うがな」
 熱い茶に口をつけながら阿伏兎はそう零す。そしてちらりと視線をレンに送った。万斉の膝の上に乗って、両手でカップを持つ彼女は確かに怪我などそうそうはしないだろうと。地球にいる以上、夜兎族より強い相手とそうそう当たることもないし、そもそもレンの怪我など過保護な万斉が許す訳がない。
「阿伏兎殿」
「なんだ?」
 口を開いた万斉に阿伏兎が返答をすると、万斉は重々しく口を開いた。
「鳳仙を殺したのは誰でござる」
「……さぁてなぁ。俺も団長の妹にボコボコにされて見てた訳じゃねぇからな」
 万斉の質問に阿伏兎は注意深く返答をする。万斉が鳳仙が死ぬところを見ていたかどうかは解らない。けれど、神威からあの銀髪の侍との再戦要求を受けている阿伏兎としては、その侍が春雨に狙われるのは出来るだけ避けるべきだと判断し、曖昧な返答に留まった。もしも鳳仙を殺したのが地球の蛮族だと知れれば、春雨も危険視するであろう。それぐらい大きな影響力を鳳仙は持っていたのだ。一番理想的であるのは、『神威が鳳仙を粛清した』と言う形であるのだが、監視として来ている鬼兵隊の回答次第ではそこに持っていくのは難しいであろう。
「誰が殺したかってのは、重要なのか?」
 阿伏兎の質問に万斉は、僅かに口端を上げて笑った。
「拙者には余り関係ないでござる。白夜叉が殺そうと、団長殿が殺そうと。けれど春雨に聞かれた時の返答を考えている」
「見てねぇの?」
「遠目でござったからな」
 白夜叉と呼ばれているのが、恐らく銀髪の侍だろうと判断して、阿伏兎は瞳を僅かに細めた。遠目だったというのが嘘かどうか判断できない阿伏兎は、ソファーに凭れかかって、天井を仰ぐ。
「ただ……白夜叉が殺したと報告すると、晋助が少々困ることになる」
「なんで?」
 天井に視線を送ったまま声を発した阿伏兎を眺めながら、万斉はレンの肩に顎を乗せて言葉を発した。
「白夜叉に関しては、晋助が個人的にカタを付けたがっている。……元々春雨に楯突いた白夜叉を餌に同盟を結んでいるが、本格的に乗り出されるのも面白くない……これでいいでござるか?」
「……素敵な偶然だな、うちの団長も銀髪の侍がお気に入りでなぁ。個人的にヤリたいんだと」
 阿伏兎が言葉を濁す理由としては妥当だと判断した万斉は、話の落しどころを思案する。先程会った神威が、『鳳仙は死んだ』ではなく、『鳳仙は自分が殺した』と念を押して言った所を見ると、神威が殺したと言う形に持っていく段取りのつもりなのだろうと考え、万斉は口を開く。
「面倒でござるし、神威殿が殺したという事で構わないでござるか?」
「……面倒とかそんなので良いのか?」
 呆れたような阿伏兎の言葉に万斉は無表情に頷くと、空になったカップをテーブルに置く。
「レンの事以外は全部面倒でござるよ」
「あっそ」
 大真面目にそう言う万斉に、阿伏兎だけではなく、仲間である筈の来島まで呆れたような顔をする。冗談に聞こえなかったのだ。実際、万斉は鬼兵隊の中でも高杉晋助の為に、理想の為にという流れからは程遠い。暇つぶしに攘夷活動をしているのではないかと時々来島は感じることがあった。高杉もそれを承知で、傍に置いている。本人たちがそれで良いのならば文句など言えないのだが、来島にしてみれば、腕は信用できても気まぐれな万斉の行動はいつも心配の種である。
「お話おわりなん?」
 沈黙が訪れた部屋に、レンの声が響き、阿伏兎は顔を上げる。
「そーだな。難しい話は終わりだお嬢」
 そう言うと、阿伏兎は口端を緩めて、話を打ち切った。お互いに利害関係が一致した以上、万斉と交渉することも、腹の探り合いをする必要もないと判断したのだ。それは万斉も同様らしく、レンに微笑みかけると、彼女の頭を撫でる。
「今日は退屈でござったな」
「ええんよ。阿伏兎さんにも会えたし、来島ちゃんと遊べたから」
 上機嫌にそう言ったレンは、瞳を細めて笑った。すると、万斉の携帯が鳴り、彼は舌打ちするとレンを膝から下ろして隣の部屋へ移動した。聞かれたくない内容なのか、単なる習性なのかは判断できなかったが、それを見送った阿伏兎は、カップに残った茶を飲み干した。
「……阿伏兎さん」
「どーした」
「王様がいなくなったら、吉原はどうなるん?」
「さぁてな。正直解らねぇよ」
 それは正直な言葉であった。春雨の判断待ちであるし、阿伏兎達がどうこうできるものでもない。恐らく春雨の直轄地になるか、巧く行けば第七師団が引き継ぐことになるだろう。
「けど、あそこはもう常夜の街じゃねぇってのは確かだな」
 人工楽園は崩壊し、朝を迎えた吉原桃源郷。君臨した夜兎の王を失うとともに、その街の存在意味もすべて消え失せたと思った阿伏兎は、少しだけ渋い顔をした。己が手で勝ち取った自由を彼等はどう使うのだろうかと。
「少し落ち着いたら行ってみるといい」
 そう言ったのは戻ってきた万斉で、レンの隣に座ると彼女の頭を撫でた。その言葉にレンは頷くと、淡く微笑む。彼女の目に新しい吉原はどう映るのだろうか、そんな事をぼんやりと阿伏兎は考える。彼女は月がないから寂しいと鳳仙に言い、悲しそうに笑った。情緒と無縁の夜兎の中では希少な感性で、いつも阿伏兎を驚かせる。
「……俺はそろそろ団長と合流する」
 阿伏兎が立ち上がると、レンは慌ててぴょこんとソファーから飛び降り、阿伏兎の傍へ寄り彼を見上げた。
「またね、阿伏兎さん。無理せんといてね」
「善処する」
 阿伏兎の返答の意味が解らなかったのか、レンが不思議そうな顔をすると、阿伏兎は咽喉で笑って、彼女の頭に手をおいた。
「死にはしねぇよって事」
 少しだけ驚いたように瞳を見開いたレンは、小さく頷くとぽふっと阿伏兎に抱きつく。反射的に左腕で彼女を抱えようとしたが、既に腕がないことに気が付き、阿伏兎は苦笑すると、右手で彼女の背中を軽く叩いた。片腕が無いというのも早く慣れたほうがいい、そう思いながら万斉に視線を送った。
「そんじゃ、宜しく」
「承知した」
 春雨への報告の件だと判断した万斉は、事務的に言葉を発すると万斉も立ち上がり、阿伏兎を見送る為に玄関まで足を運んだ。
「現在地は分かるでござるか?」
「大丈夫だ」
 大体頭に入っていると阿伏兎が続けると、そうか、と短く返答をしてそのまま口を閉ざす。元々無駄口を叩く方ではないと思っている阿伏兎は、気を悪くした様子もなく、軽く手を上げて部屋を後にした。

 

「盛者必衰か」
 そう呟いて咽喉で笑った高杉を見て、武市は怪訝そうな顔をした。万斉からの報告は、第七師団の団長・神威が鳳仙を倒したと言うものであったが、それが嘘であるのは承知していた。けれども、坂田銀時を春雨に渡すわけには行かない。首を持っていく分には構わないが、己が決着をつけねば意味が無い。そうぼんやりと考えた高杉は、細く煙管の煙を吐き出すと、つまらなさそうに言葉を零した。
「箱庭は壊れるのか、壊されるのか、どっちだろうな」
 最強種・夜兎の王は倒れ、崩壊した箱庭。それを眺めて、箱庭を抱える万斉は何を思ったのだろうか、辺境の蛮族に王を倒され阿伏兎は何を思ったのだろうか、そんな事を考えながら、高杉は春雨への報告のために踵を返した。


吉原編後
盛者必衰の理をあらわす
20100915 ハスマキ

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