*月見*
「何だこりゃ」
窓際に飾られる団子とススキを見つけた阿伏兎は、小声で思わず呟く。江戸の風習に詳しくない阿伏兎の顔を見た女は、煙管の煙を吐き出すと、月見飾り、と短く返答し瞳を細めた。
すると阿伏兎は窓の外に視線を送り、苦笑いをした。
「空のない吉原桃源郷で月見ねぇ」
形だけのものであろう事は直ぐに解ったし、吉原という土地を考えれば、嘗て外の世界にいた者達が慰め程度にやっているのだろうと察しも付いた。
「団子が欲しければ用意させる」
「団長なら喜んだだろーが、俺は別に」
「なら土産に持って行け」
女がすぐさまそばにいた部下に指示を出したので、阿伏兎は肩をすくめると彼女の好意に甘える事にする。特別急いでいる訳でもないし、断る理由が見つからなかったのだ。
たった一人の男の為に作られた吉原桃源郷。常夜の街と言われるこの土地は、日の光を嫌う夜兎には快適なのであるが、阿伏兎は余り好きではなかった。日の光はないが、人工的な眠らない街がどうしても好きになれない。桃源郷等とは名ばかりの人工楽園は、欲望だけが肥大化していずれ腐って行くのだろうとぼんやりと阿伏兎は考える。それは春雨が夜王への監視を強め、隙あらば粛清しょうと考えている事も関係はしているのだが、今はその時ではないと瞳を伏せた。
腐り落ちる前に、悪い所を切り落とすべきだとも思うが、それは上の考える事であって阿伏兎の仕事ではない。
「持って行け」
「どーも」
無愛想な自警団の女隊長は、阿伏兎に団子の包みを渡すとにこりとも笑いもせずに彼を見送った。
元々部下に任せていた吉原の視察であるが、春雨はここ最近神威にその仕事をするようにと指示を出してきた。面倒だと投げ出した神威の代わりに阿伏兎が視察に行く羽目になっているのだが、報告書まで代打をせねばならないのには参る。自分の船ではなく、ターミナル経由で今回は江戸に入っていた阿伏兎は、ぶらぶらと道を歩きながら辺りを見回す。
見覚えのある河川敷。
鬼兵隊の高杉が贔屓にしている女が住んでいた近所だと気がつくのにそう時間は掛らず、時間を確認すると、阿伏兎はターミナルには向かわずに河川敷を歩きだした。
ふと見上げた空には目を凝らすと白い月が浮かんでいる。天気は悪くないので恐らく夜に月見は十分にできるであろう。日の光は体質的に受け付けないが、やはり何もない空というのは味気がないと思いながら、阿伏兎は足をとめた。
「兄さん?」
「……三味線屋の姉ちゃんだったかな?」
三味線を抱えて歩く女に声をかけられ、阿伏兎は苦笑するとやる気がなさそうに挨拶をした。以前会った、高杉が贔屓にしている女であるのは直ぐに解った。女はそれに気を悪くした様子もなく、鮮やかに微笑むと、お嬢のお迎え?と首をかしげる。
「お嬢?」
「違うの?さっきうちに来て、ススキとオギの見分け方教えてくれって。そんで、向こうでススキ抜いてるわよ」
よくよく眼を凝らすと、女の歩いて来た方の河川敷に、赤い傘がちらちらと動いている。間違いなく鬼兵隊の飼う夜兎であるレンであろう。
「ススキとオギね……似てるのか?」
「ぱっと見は似てるわよ。両方イネの仲間だし。この辺でススキって今お嬢がいる辺りしか生えてないのよ」
その言葉に阿伏兎は思わず足元の植物を眺める。吉原で見た植物と同じように見えるが、どう違うのだろうと、一本それを引っこ抜いてみる。
「それはオギ。竹みたいな節のある茎でしょ?穂先は似てるけど違う植物なのよ。まぁ、似てるからどっちでもいいって人もいるんでしょうけど、晋兄は無駄に煩そうだし教えてあげたのよ」
「……ススキを飾る事に意味はあるのか?七夕みたいに神様が願いをかなえてくれるとか」
その言葉に女は笑うと、魔よけ、とだけ短くいい、家に向かうのであろうか歩きだしたので阿伏兎はそれを見送る。恐ろしくマイペースな女だと思いながら、阿伏兎は呆れたように小さくため息をつくと、土手で動く赤い影に視線を送った。手に持っていたオギを投げ捨てると、阿伏兎はレンの方へ歩いてゆき彼女に声をかける事にした。
「お嬢」
名を呼ばれたレンはくるりと振り返ると、驚いたように一瞬目を見開いたが、嬉しそうに笑うと手を振りススキを握ったまま土手を駆け上がる。来るかと阿伏兎が思った通りにレンはぽふっと阿伏兎に抱きつくと、お久しぶりなんよと嬉しそうに阿伏兎を見上げた。
「そーだな。七夕以来か?次は月見だそーだな。高杉が行事好きだと忙しいこって」
呆れたように阿伏兎は言葉を零し、彼女の頭を撫でたが、レンは少しだけ困ったような顔をして笑った。
「シンスケはお月見好きじゃないんよ。お月さまは好きやけど、満月はあんまり好きやないねんて」
その言葉に阿伏兎は首を傾げた。てっきりまた高杉が月見だなんだと行事を満喫しているのだと思ったのだ。
「今日は万斉とキジマちゃんのおつかいなんよ」
恐らく万斉は今日も仕事なのであろう。でなければ、レンを一人で外に出すとは考え難いし、来島がいつも通り行事の準備をしているのならレンは手伝いをしようとすすんでススキを抜きに来たのであろう。三味線屋にススキの話を聞きに行ったというのに、高杉が付いてこなかったのも、彼自身が月見を好んでいないというのなら納得する。そもそも全国指名手配の男が呑気にススキを抜いているなど、血眼になって捜している真選組が聞いたら憤慨するであろうが。
「阿伏兎さんもお月見するから江戸に来たん?」
「……そのつもりはなかったんだがな。まぁ、ちょっと眺めて帰るわ」
レンが少しがっかりしたような顔をしたので、阿伏兎は苦笑すると彼女の握るススキに視線を落とした。先程自分が抜いた植物とよく似たソレは、確かに竹のような節がない。彼女はちゃんと三味線屋の話を聞いてススキを選別したのであろう。
「月見には何がいるんだ?」
「ススキとお団子。後、お酒も飲むんやって」
その言葉に阿伏兎は頷くと、土手に座り空を見上げた。先程より若干薄暗くなっており、月は南中には程遠いが一応姿を晒している。レンは阿伏兎の隣に座ると、ススキを握りしめて彼を真似て空を眺めた。
「お月さま出てきたみたいやね」
「そーだな」
満月なら太陽と月はほぼ入れ違いに出るのだろう、夜兎には強すぎる温かい光から、冷たい光に空をかえる姿は悪くないと阿伏兎は思いレンの頭を撫でながらぼんやりと空を眺めた。
「シンスケは満月の日は迦具夜姫が月に帰るから好きじゃないねんて。こんなにキレイなのに」
御伽噺を高杉が信じているかどうかは阿伏兎には判断できないが、高杉が贔屓にしている三味線屋の女の店の看板に『迦具夜姫』と書かれていたのを思い出して苦笑した。もしかしたら彼女は満月の夜に高杉の元を離れたのかもしれない。だったら満月を嫌う理由も解らないでもないと思ったのだ。
「万斉は満月になるとお月さまにウサギの模様が見えるから好きなんやって」
「ウサギ?」
阿伏兎が目を凝らすが、まだ若干明るい所為か模様など見えないし、今までも注意して眺めた事はなかった。
「ウサギさんが餅つきしてるんよ」
嬉しそうに笑うレンを眺めて阿伏兎は口元を緩めると、彼女の膝に吉原でもらった団子を乗せた。
「ウサギは見えねーけど、まぁ、月見には代わりねーし。どーぞ、お嬢」
ガサガサと包みを開いたレンは、ありがとーと声をあげると、早速一つ自分の口に団子を放り込んだ。どうせ神威は江戸の行事等知らないだろうし、仕事を肩代わりした上に土産まで持って帰る必要性もないだろうと判断して、阿伏兎は団子をレンに渡したのであろう。
「キジマちゃんもお団子作ってるんよ。万斉はお仕事終わったらすぐに帰ってくるって」
「そーか。そりゃお嬢も月見が楽しみだな」
「阿伏兎さんとお月見出来たのも嬉しいんよ」
団子をほおばりながら嬉しそうに言うレンに、阿伏兎は少し驚いたような顔をしたが、結局言葉を発することはせずに彼女の頭を撫でるだけで終わった。素直に喜ぶレンを見ていると自分の感情のやり場に困る事が多いと阿伏兎はぼんやりと考えた。彼女の仲間への好意は平等で、鬼兵隊も春雨も仲間だと認識して彼女はなついている。春雨への引き込みをしたいが、彼女から鬼兵隊を取り上げるようで気が引けると最近思うのも事実で、どうにか穏便に引き抜けないかと最近は良く考える。彼女を溺愛する万斉がいる以上困難ではあるが。
彼女の手元に残った団子を一つ詰まんで口に放り込んだ阿伏兎は、黙々と団子を食べるレンを眺めて瞳を細めた。
すっかり団子を平らげたレンは、すっかり日の暮れた様子に気がついて慌てて立ち上がると、帰るんよと言葉を零す。それに頷いた阿伏兎は、彼女の横に並ぶと淡く笑った。
「船の場所は解るか?送るから道案内してくれ」
「ええの?お仕事は?」
「後は帰るだけだ。薄暗い中一人で歩かせる訳にもいかねぇしな」
レンは阿伏兎と同じ夜兎なのだから身の危険はないだろうが、彼は適当に理由をつけて彼女を送る事にした。それにレンは嬉しそうに頷くと、日差しが弱くなって来た為に傘をたたみススキと一緒に握り、あいた手で阿伏兎と手をつなぐ。傍から見れば仲の良い親子だろうと思いながら、阿伏兎は彼女の手をほどく事をせずに、彼女を自分の傘の中に入れてそのままぶらぶらとレンの導くまま道を歩いて行った。
なかなか会えない時間を埋めるためか、レンは終始上機嫌に話をし、阿伏兎はそれに相槌を打つ。とりとめのない日常の話は、特別面白いものではないが、鬼兵隊の中でレンがどのように過ごしているかはよく理解できた。夜兎という最強種を飼っていながら、それを利用する訳でもない鬼兵隊は特殊と言えば特殊なのであろう。元々攘夷志士だった筈の高杉が、忌み嫌っていた天人と手を結び、夜兎を飼い、今は幕府の転覆を目論んでいると聞いているが、彼にしてみれば春雨と手を結んだのも、己を有利にする手段であって、あくまで己が手で幕府を壊してしまいたいのではないかとも思えた。最終的に高杉が信頼しているのは己だけなのだろう。ソレは夜兎にも通ずるものがあるが、生憎夜兎には破壊衝動以外の崇高な志などない。
いずれ滅びるかもしれない最高種。けれど、レンはその気質が薄い。それは今頃になって夜兎が己が種を残す為、必然的に生まれた存在なのか、単なる偶然であるのかとぼんやりと阿伏兎は考える。神威の様な生粋の夜兎の特性を受け継ぐ者にとっては、レンの存在は極端に言えば夜兎に分類されないかもしれない。夜兎として値打ちがないと切り捨てるだろう。けれど阿伏兎はレンに興味があったし、神威もレンも夜兎だと思っている。選ぶであろう道は極端すぎて、いずれ衝突するかもしれないが、若い夜兎の行く末をもう少し近くで眺めていたかった。
「あのお船なんよ」
レンの言葉に我に返った阿伏兎は、港にひっそりと停泊する船に視線を送る。日が暮れたせいもあってか、港に人は少なく、阿伏兎たちに注意を払う人間も殆どいない。もう少しまともに隠しているのかと思えば、ずいぶんと堂々と置いてると呆れた阿伏兎は苦笑してレンの手を離す。
「ここまでだお嬢」
温かい小さな手を離すのは名残惜しいような気がして、思わず阿伏兎は苦笑する。
「ありがと、阿伏兎さん」
「レン」
二人の後ろから声がかかり、同時に振り向くと、そこにはバイクを押して此方へ向かってくる万斉の姿があった。それに阿伏兎は僅かに困ったような表情を作ったが、直ぐによぉと気のない挨拶をする。
「万斉。おかえりなんよ」
ほてほてとレンは万斉に駆け寄ると、手に持ったススキを彼に見せて満足そうに笑い、ススキを抜きに行った事、阿伏兎に偶然会い送ってもらった事を話す。すると万斉は口元を僅かに緩めて彼女の頭を撫でる。
「先に船に戻って来島殿の手伝いをするといい」
「万斉は?」
「拙者は阿伏兎殿をターミナルまで送るでござる。バイクだから直ぐに戻る」
その言葉に阿伏兎はぎょっとしたような顔をする。正直な所万斉は阿伏兎にとって苦手な分類に入る。他の面子が一緒ならともかく、二人きりというのは出来るなら勘弁してほしい所だが、万斉はそんな事我関せずといったように、シートから予備のヘルメットを阿伏兎に投げて渡すと、レンを見送りバイクのエンジンをかける。
「わざわざ送ってもらわねぇでもかまわねぇんだが」
「……心配しなくても今日の拙者は機嫌がいい」
「好きな満月が出てるからか?」
そもそも普段からサングラスで表情の変化が解りにくい万斉の機嫌など全く解らないのだが、自分の言葉に万斉は少し笑ったので本当に機嫌が良いのかもしれないと思った阿伏兎は、小さくため息をつくと万斉のバイクの後ろに乗る事にした。下手に逆らって機嫌を損ねるのも得策ではないと判断したのだ。
ターミナルの入口につくと、万斉は無言でバイクを止め阿伏兎に下りるように促す。
「どーも。助かった」
ヘルメットを返す阿伏兎に、万斉は口元を歪めると、それを受け取りまたシートへと片付ける。
「一つだけ良いか?」
「なんでござる?」
「いや、なんつーか、俺の事あんまり好きじゃないんだろ、アンタ」
「そうでござるな。けれど拙者が阿伏兎殿と仲が悪いのはレンが嫌がる」
その返答に阿伏兎は少しだけ驚いたような顔をした。要するに、レンが嫌がるから自分の瑣末な感情など抹消しようというのだ。
「特別仲良くしようとは思わないでござるが、特別敵対はするつもりはないでござるよ。少なくともレンの前では」
苦笑いをするしかない返答に阿伏兎は面倒くさそうに頭をかくと、素朴な疑問を口にした。
「殉教者みてーだな」
「そんなに大層なものじゃないでござる」
呆れたように答えた万斉は、月を仰ぎサングラスの下で瞳を細めた。冷たい光を湛える月が姿を晒し、闇夜を照らす。その姿を見た阿伏兎はつられるように月に視線を送る。
「ウサギがもちついてるってお嬢がいってたな」
「月の影がそう見えるのでござるよ。国によって違うでござるが江戸ではそういう」
「高杉は満月嫌いなんだって?」
「……本当は好きでござろうな。迦具夜姫が降りてくるもの満月の日だし、三味線屋の迦具夜姫も満月が好きでござるからな」
その言葉を聞いた阿伏兎は思わず瞳を細めた。
「矛盾しまくりだな」
「人とはそんなものでござろう。拙者も矛盾を抱えてるでござる。恐らく阿伏兎殿も」
「違いねぇ」
レンを欲しいと思うのも本当、レンを今の環境から引き離すのを気の毒に思うのも本当。阿伏兎はそんな事を考えて苦笑した。
「矛盾していても、最後には選択をせねばならぬ。晋助が満月は嫌いだと言うのも一つの選択であろう」
「アンタが俺と少なくともレンの前で敵対しないというのもか?」
万斉が口端をあげたのでそれを肯定ととらえた阿伏兎は、困ったように笑い首を傾げた。
「またな。河上万斉。お嬢によろしく」
「承知した」
船の甲板に設置された卓に、来島の準備した団子とレンが抜いて来たススキが飾られる。レンを膝に乗せた万斉が何か彼女に話しかけているのを見て、来島は高杉に酌をしながら首を傾げた。
「なんか河上先輩機嫌が良いみたいッスね」
「レンが嬉しけりゃそーだろーよ」
杯を傾けながら高杉が言うと、来島は合点いったように頷く。レンの月見の為に仕事を早めに切り上げた万斉が楽しまないわけながない。
「晴れて良かったッスね」
「……ああ」
高杉は瞳を伏せると、酒に映り込む月を眺める。
「江戸の町は夜も明るすぎて風情がないがな」
そう呟いた高杉は杯を空にすると、煙管に火を入れた。レンが好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。万斉の明確な指針で、時折レンがいなくなったらこの男はどうするのだろうと高杉は思う事がある。レンと出会う前の万斉はどうだったか余り良く思い出せないのは、恐らく万斉が明確に彼女に出会う事によって変わったからであろう。いつしか変革への違和感はなくなり、まるでそれが当たり前のように万斉は日々過ごし、高杉もそれに慣れた。
「万斉、シャトルが飛んでるんよ。阿伏兎さんのっとるかな?」
「あれは国内線でござるからな」
苦笑しながら万斉が返答すると、レンの頭を撫で淡く微笑む。
「心配せずともちゃんと帰ってるでござるよ」
「万斉が送ったんやし大丈夫やね」
嬉しそうに微笑むレンを見て万斉は口元を緩めた。自分に寄せられる絶対の信頼は心地よく、手放すのが惜しい。手放す気もないが、もしも彼女が別の誰かを選んだ時、自分はどうするだろうかとぼんやりと考えた万斉は彼女を抱く手に力を込めた。
お嬢のお月見。
20091001 ハスマキ