*星合*

 天気が悪い訳でも無いのに傘をさす奇妙な二人組は、江戸のターミナル前で足を止めた。あちらこちらに飾られる笹に驚いたのだ。
「何で笹飾ってるの?祭り?」
 神威が首を傾げると、阿伏兎は、七夕だったかなと言葉を零した。少し前に鬼兵隊の夜兎であるレンからの手紙にそのような行事の事が書かれていたような気がした。その言葉に神威は、ふーんと気のない返事をすると、手を阿伏兎の前に差し出す。
「なんだ?」
「お昼代」
 にこにこ笑って催促する神威にひとつ小さくため息をついた阿伏兎は、財布から金を抜き渡す。その金額にいささか不服そうであるが、元々地球でご飯が食べたいと我儘全開でこの地に降り立ったのだから少しでも金をもらえるのなら御の字であろう。
「ランチバイキングとかそんなの狙えば充分だろ。で、俺はいつまで時間つぶしてりゃいいんだ?」
「夕方までには戻る。この前阿伏兎が行ったケーキバイキングも試したいし。ここはご飯おいしいし、食べ放題も多いから良いよね」
 夜兎の胃袋をもってすれば、ランチバイキングからケーキバイキングへの梯子も可能であるが、次に来る時に軒並み店が畳まれていないか心配になった阿伏兎は、少し困ったような顔をする。それを見た神威は、そんじゃ!と手を振りながらさっさと目的の食事へ向かう。確かに船で食事をされるよりは安上がりだが、突然地球の食事が良い!等と言って休みを潰されるのは適わない。そもそも、休みと言っても趣味がある訳でもない阿伏兎は余り大々的に文句もいい辛いのだが、他のメンツは迷惑極まりないであろう。
 突然訪れる事になった江戸の町。
 阿伏兎は当てもなくぶらぶらと歩き回る事にした。

 

 何度か来た事のある江戸の町であるが、吉原以外をゆっくり回るのは初めてだと、阿伏兎は辺りを見回した。どこもかしこも笹が飾ってあり、七夕という行事を詳しくは知らないが、江戸ではメジャーなイベントなのだろうと感心する。笹に短冊を吊るすと願いが叶うらしい。夢あふれる行事で、女子供は喜びそうだと思ったが、これだけ大々的に行われている所を見ると、国民的行事なのだろう。
 そんな中、ふと、川辺に鮮やかな色彩を見つけて阿伏兎は足を止めた。
 赤い傘。
 雨も降っていないのに広げられるソレに、阿伏兎は少し迷ったが声をかけた。
「レンお嬢?」
 くるりと振り返った傘の持主は、阿伏兎の予想通り鬼兵隊の夜兎であり、彼女はぽかんとした顔で阿伏兎を眺める。
「阿伏兎さん」
 阿伏兎が土手を下りて彼女の傍に行くと、レンは嬉しそうに笑ってぎゅっと正面から抱きつく。困ったような顔をしながら阿伏兎が辺りを見回すが、人影はなく、いつもべったりの万斉も、高杉も傍には見当たらない。
「お嬢。一人か?」
 その言葉にレンは頷くと、今日は高杉と一緒に江戸に来たが、高杉が三味線屋で迦具夜を待つ間、暇なので川辺に遊びに来たのだという。先日の買物の時に訪れた、高杉が入り浸っていると思われる三味線屋は確かに近い。ふと、レンの手に笹が握られているのを見つけ、阿伏兎は思わず苦笑する。
「それはお嬢の笹か?」
「そう。迦具夜ちゃんに見せようと思ったんよ」
 恐らく自作であろう飾りのついた笹をレンは阿伏兎にもよく見える様に掲げる。
「シンスケも作ったんよ。それは迦具夜ちゃんにあげるねんて」
 あの高杉が、ちまちま飾りを作っている所を想像して思わず阿伏兎は吹き出す。字も綺麗であるし、手先は器用なのかもしれないが、ビジュアル的に可笑しかったのだ。恐らくレンを膝に乗せて作ったのだろう。
「七夕だっけか?随分大々的なイベントなんだな」
「お願い事が叶うんよ」
 短冊に願いを書くだけで叶うとはにわかに信じられないが、それを信じている人間に言うのは野暮だと阿伏兎は、そうかと言ってレンの頭を撫でた。するとレンは瞳を細めて笑うと、七夕の日は晴れるかなと言う。何故晴れなくてはならないのか解らない阿伏兎が怪訝そうな顔をすると、彼女は高杉と万斉に聞いたという七夕の話をしだした。
 要約すると、織姫と彦星が仕事をしなくなったので、天帝が怒って、年に一度しか会えなくしてしまったという話で、その話を聞いた阿伏兎は微妙な顔をする。その話が何故願いを叶えるという方向に行くのか解らなかったのだ。しかし、そこを突っ込んでも恐らくレンは分からないだろうと、その疑問を飲み込んで、別の言葉を吐き出した。
「……つーか。自業自得なんじゃねーか、織姫と彦星」
 仕事をしなくなるなら怒られても仕方がない。むしろ、彼等が悪い。その言葉にレンは僅かに瞳を見開くと笑いだす。
「万斉とシンスケも同じ事言ってたんよ。自業自得だって。でも、好きな人と会えなくなるんは可哀想なんよ」
 夜兎にしては気性の穏やかなレンらしい感想だと思い、阿伏兎は苦笑する。
「もしもお嬢が同じ立場になったらどうする?」
 何となく思いついて言ってみたが、思った以上にレンが驚いたような顔をしたので、阿伏兎は困ったような顔をする。難しい質問だったのかと思ったのだ。
「シンスケにも聞かれたんよ」
 レンが土手にぽふっと座ったので、阿伏兎も並んで座ると彼女の方を見る。笹を大事そうに抱いて、レンは笑った。
「テンテイにお願いするんよ。ちゃんとお仕事するから会わせて下さいって」
 彼女らしい答えだと思った阿伏兎は思わず瞳を細めた。力ずくで手に入れようなどとは思わないであろう。夜兎らしくない思考ではあるが、阿伏兎はそれが嫌いではなかった。
「万斉は天帝を殺せばええって言ってたんよ。シンスケは年に一度でも確実に会えるならそれでええねんて。阿伏兎さんは?」
 逆に質問を返され、阿伏兎は困ったような顔をする。例えば神威なら、万斉と同じ思考に至るであろう。おおよそ夜兎らしい明確な答え。けれど自分はそこまで強く出ないような気がする。天帝が……神威だと考えると絶対に無理な話で、そうなると、答えは別のものを探さねばならない。中間管理職が板についているのを自覚して思わず苦笑した。
「まぁ、真面目に仕事するだろーな。自業自得だし、俺が会いたいってのは我慢するだろうな」
 レンの様に頭を下げる事までしないと思った阿伏兎は無難な答えを選ぶ。ただ、仕事を放り出してのめり込む程の女だったらやっぱり神威の様になるだろうか。そこまで考えて阿伏兎はその思考を停止した。自分は万斉や神威ほど若くはない。ある意味高杉等は、若さを感じない選択なのかもしれない。
 ふと、レンを見て思ったのは、彼女は夜兎としての思考も、欲も希薄だという事。寧ろ思考としては万斉の方が夜兎に近い。その男に飼われているのにも関わらず、彼女は出会った時から変わらずにいる。人懐っこい、穏やかな気性。甘えるのが好きな癖に我儘は言わない。
「……もしも。相手が会いてぇって言ったら、川を泳いででも会いに行くかもしれねぇけどな」
 驚いた様な顔をレンがしたので阿伏兎は、困ったように笑うと、彼女の頭を撫でる。
「例え話だ」
 瞳を細めた阿伏兎を見てレンは柔らかく微笑む。
「だったら私も泳ぐんよ。そしたら半分でええんよ」
「そりゃどーも。おっさんだから助かる」
 例えば。これからずっと先に、レンが自分の所に来る気になった時に、そうあって欲しいと思って思わず阿伏兎は笑う。天帝……神威の機嫌を仕事をしながら取って、彼女の番人である万斉や高杉まで相手にせねばならないと思うと流石に気が重い。きっと彼女は頑張って万斉や高杉を説得するのだろう。それを万斉が赦すかどうかは解らないが、何もしないよりはずっと有難い。
「おい」
 頭の上から声をかけられ、阿伏兎とレンは揃って土手を見上げる。そこには黒服の男が立っており、瞳孔の開いた眼でこちらを見下ろしていた。江戸の武装警察の人間だと察した阿伏兎は、一瞬瞳を細めると、気の抜けた様な声で返事をする。
「何か用かい、兄ちゃん」
 その男は暫く二人を眺めていたが、すまねぇ、人違いだと言いさっさと歩いて行ってしまう。暫く同じ黒服を着た人間が走り回っていたが、人の流れが途切れ、阿伏兎は小さく溜息をつくとレンの方を見る。
「……高杉の野郎大丈夫かねぇ」
 全国指名手配だという話は聞いていたので一寸心配になった阿伏兎が零すが、レンは、大丈夫なんよと笑う。今まで捕まった事がないらしい。レン自体は鬼兵隊のメンツとして顔が割れていないので、歩き回っても平気なのだと言う。
「雪兎」
 土手から死角となる橋の影から声をかけられ、阿伏兎はそちらに視線を送る。心配したのもつかの間、のうのうと高杉が出てきたので呆れた様な顔をすると、肩を落とした。恐らく先程の武装警察は高杉を探してうろうろしていたのだろう。
「シンスケ。迦具夜ちゃん帰って来た?」
 ほてほてと歩み寄るレンの頭を撫でると、高杉は瞳を細めて笑う。どうやら会うには会えたのだろう。直ぐに追い出されたのかもしれないが。
「真選組の連中が踏み込んで来る前に逃げて来た。悪ぃけど、その笹はアイツに見せられねぇ。済まなかった」
 高杉の言葉に阿伏兎は驚愕する。偉そう・自分勝手・鉄面皮の三拍子揃った高杉が、素直に謝罪したからだ。恐らく万斉辺りが見ても、阿伏兎と同じ反応をするであろう。レンはその謝罪に対して、仕方ないんよと笑った。
「アンタがいるとは思わなかった」
 瞳を細めた高杉に阿伏兎は苦笑する。阿伏兎自身もレンや高杉がいるとは思わなかったのだ。今まで呼び出されたり、仕事の関係で会う事は何度もあったが、何の約束もなく会うのはそう言えば初めてだとぼんやりと考える。
「これ。阿伏兎さんにあげるんよ」
 レンが差し出した笹を見て阿伏兎は眼を丸くする。受け取るのを躊躇った阿伏兎を見て、高杉は喉で笑うと口を開いた。
「受け取っとけ。アジトに行きゃ山ほどあるしな。それに、それは雪兎の願いを叶えた有難い笹だ」
 にこにこ笑うレンと、高杉に後押しされる形で阿伏兎はその笹を受け取る。元々三味線屋に見せる為に持って来たモノの筈で、自分が譲り受けていいものかと思ったがここは素直に好意に甘える事にした。
「有難うお嬢。船に飾っとく」
 満足そうに笑ったレンの頭を撫でると、阿伏兎は礼を言う。
「七月七日になったら川か海に流せよ」
「川?」
 高杉の言葉に阿伏兎が怪訝そうな顔をすると、そう、川だと彼は笑う。
「川や海に流して、神様に持ち去って貰うんだよ。そーゆー風習だ。夜兎のアンタには馴染みがねぇと思うけどな」
 大真面目に神様等と言う単語を出した高杉に思わず笑いそうになるが、それを堪えて阿伏兎は頷く。自分が貰ったが、元々はレンの物であるし、彼等がするようにした方が良い様な気がした。神様もこんなものを持って行って何をするのか疑問ではあるが。もしかしたら、持って帰って願いを叶えてくれるのかもしれない。
「じゃーな、おっさん」
「ばいばいー」
 元気よく手を振り、高杉の後ろを歩いてゆくレンを見送り、阿伏兎は手元に残った笹を眺める。色鮮やかな飾りと短冊。持ち歩くのはいささか恥ずかしいが、あれだけ街に飾ってあるのならそう目立たないかもしれない。
 そんな事を考えながら、阿伏兎は神威との待ち合わせ場所に向かう事にした。

 

 先程見かけた武装警察がうろうろとしているのを眺めながら、待ち合わせ場所にぼんやりと座る阿伏兎は彼等が無事に帰ったのだろうかと考えていた。高杉が付いていればそう心配はないだろうが、あれだけ血相変えて武装警察が捜しているのを見ると、出歩くのも大概にした方がいいのではないかと人ごとながら思う。
「阿伏兎。おまたせ」
 満足そうな顔をして現れた神威に、阿伏兎は呆れた様な顔をすると、さっさと帰るぜと言い歩きだす。自分達も顔は割れてないとはいえ、宇宙海賊春雨の一味である。できる事ならば早々に立ち去りたい。
「その笹どうしたの?」
 歩きながら神威が聞いてきたので、阿伏兎はレンに偶然会って貰ったとだけ言う。
「お嬢の願い事を叶えた有難い笹なんだと。団長も短冊吊るしてみるか?」
「へー。どんな願い事が叶ったの?」
 そう言われ、阿伏兎はそれは聞かなかったと思い、神威にそのまま伝えた。高杉がそう言っていただけで、具体的に何を願っていたのかまでは言っていなかったのだ。
 興味深そうに神威はその笹の飾りを引っ張ったり、ひっくり返していたりしたが、ぴたりと彼の動きが止まったので、阿伏兎は怪訝そうな顔をする。
「どーしたんだ」
「お願い。何か解った。確かに叶ってるなぁ」
 ニヤニヤと笑う神威を見て、気持ち悪ぃな団長とぶつくさ言う阿伏兎であったが、彼の指差した短冊を見て思わず足を止める。

──阿伏兎さんがまた遊んでくれますように。

 拙い字で書かれた短冊。だからレンは自分が声をかけた時にあんなに驚いて、笹に短冊を吊るせば願いが叶うと信じていたのかと阿伏兎は納得した。
「叶ったって言っても、偶然会えただけだろ?」
「何言ってんのさ阿伏兎。この広い宇宙で、約束もなしに、偶然会うってのは結構な確率だと俺は思うけど。意外とこの笹ご利益あるかもなぁ。短冊吊るそうかな」
 急に興味を持ちだした神威に呆れた様な顔をすると、阿伏兎は、はいはいと返事をする。
「七月七日までに吊るしといてくれよ。その後、海だか川だかに流さなきゃなんねーらしいから」
「阿伏兎の分も吊るしといてあげようか?【お嬢が嫁に来ますように】って」
「団長」
 呆れた様な顔をした阿伏兎に、神威は瞳を細めると笑ってみせる。
「いいじゃん。願うだけならタダだし」
 興味がなさそうな阿伏兎に、神威は不服そうな顔をするが、船に帰ったら短冊吊るすからねと宣言する。それを聞いて、阿伏兎は困ったような情けない様な顔をすると、笹を眺めた。
「短冊書く前に、泳ぎの練習でもするわ」
「どーゆー意味?」
「神頼みはしねぇって事」
 首を傾げる神威に笑いかけると、阿伏兎はまた歩き出す。
 二人で泳げば川の半分でいいと彼女は言ったが、それも格好悪い様な気がした阿伏兎は、空を仰ぎ、おっさんにはキツイけどなと呟いた。


お嬢のお願い叶う編
オッサンがんばれ!
200907 ハスマキ 

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