*翻弄*

 朝、仕事に行く前に顔を見ておこうと万斉がレンの部屋へ行くと、彼女はブタさん貯金箱からお金を出し財布につ詰めなおしている所であった。基本的には金銭をレンは持っていないが、必要とあれば誰かが渡すし、おつかいに出かけたつり銭を高杉等はそのままレンに持たせているので、それを彼女はお気に入りの貯金箱に細々と貯めていた。
「レン?」
「あ、お仕事行くん?気をつけて行ってね」
 怪訝そうな顔をした万斉とは逆に、レンは淡く微笑むと彼に抱きつき万斉を見上げた。
「買い物に行くのでござるか?」
「今日はシンスケが一緒に行ってくれるんよ」
 そう言われ、万斉は少し体を屈めると彼女の顔を覗き込む。
「拙者の仕事は昼まで故、午後から拙者と行かぬか?」
「そりゃ駄目だ。俺が先約だ」
 背後から聞こえた声に、万斉は不快そうに眉を顰めると振り向き声の主を凝視した。
「普段は出かけるのが面倒だと言っているのに、今日に限ってどう言う風の吹き回しでござる?」
 高杉はどちらかと言うと出不精であるし、そもそも全国指名手配で、攘夷派では桂と並んで有名人である。レンと買い物に行くのも稀で、普段は来島や万斉が連れ出す事の方が圧倒的に多い。
「…今日は雪兎が俺ご指名だからな」
 その言葉に万斉は驚いた様な顔をすると、レンに視線を送る。すると彼女はニコニコと笑い頷く。
「準備できたなら行くぞ」
 高杉が面倒臭そうにそう言うと、レンははーいと返事をし、財布と、日除け用の傘を持って高杉の後についていく。
「いってきます」
 万斉にそう声を投げかけたが返事はなかった。

「…あれ?レンもう出たんっスか?」
 ひょっこり顔を出した来島は、レンの部屋に万斉しかいなかったので驚いた様な顔をすると言葉を零した。
「河上先輩?仕事…出なくていいんっスか?」
 そう言われ、万斉は漸く我に返ると、ああ、と短く返事をする。少し様子がおかしいと思いながら、来島は首を傾げ再度万斉に声をかけた。
「具合でも悪いんっスか?」
「いや…今日レンが出かけるのは前から決まってたのでござるか?」
 そういわれ、来島は思わずぽかんとする。何故そんな事を聞かれるのか解らなかったのだ。
「そうっスよ?晋助様が今日が良いって。レンが前から頼んでたみたいっスけど…それが?」
「…なんでもない。行って来るでござる」
 心なしか元気のない万斉の背中を見送りながら、来島は首を傾げると携帯を取り出し高杉へ連絡を入れる。買出しの追加を頼む為であった。

 

 来島からの追加買出しを確認し終えた高杉は携帯を切ると、傍に立つレンにメモを渡した。
「これも買っとけだとよ」
「わかったんよ」
 赤い大きな傘をさしたレンはメモを小さく折り畳むと、財布の中へしまう。そして高杉を見上げた。
「早速お買い物行くん?」
「その前に寄る所がある」
 そう言った高杉はレンを連れて街中を歩くと、小さな茶屋の前で立ち止まる。元々は和菓子の店であるが、店の前に椅子が設置されており買ったものを直ぐに食べられるようになっているのだ。注文すればお茶も出る。
 そこでレンは見覚えのある男を見つけ、ほてほてと傍に寄るとぎゅっと抱きついた。
「阿伏兎さん。お久しぶりなんよ」
「そーだな」
 べったりとくっついたレンを引き剥がすのは諦めたのか、情けない顔をすると阿伏兎は彼女の背中をポンポンと叩く。阿伏兎はちらりと高杉の方に視線を送ったが、彼は全く我関せずという態度で店の和菓子を土産用と言い購入し、それが終わって漸く阿伏兎に視線を送る。
「ちゃんと来たんだな」
「呼び出したのはそっちだろーが」
 その言葉にレンは目を丸くする。偶然阿伏兎が江戸に来ていたのだと思ったのだ。一方阿伏兎は、手紙で突然高杉に呼びつけられたこともあって呆れ顔である。元々吉原への定期巡回もあり江戸には滞在していたのだが、何故かそれを高杉が知っていたようだ。恐らく春雨の誰かに聞いたのであろう。普段は巡回は部下に任す所であるが、吉原へ足を運び、そこから待ち合わせに指定されたこの茶屋に来たのだ。夜王の支配する吉原に対して近々春雨が動く気配もあっての事である。
「で…何の用で呼びつけたんだ?」
 手紙には、雪兎の件でとしか書かれていなかった。そもそもレンの事を一手に引き受けている万斉ではなく高杉からの連絡であるもの、阿伏兎にとっては不思議であった。
「ああ、ちょっと半日位雪兎の面倒見てくれ」
「はぁ?」
 阿伏兎は思わず間抜けな声を上げるが、それ以上にレンは驚いた様な顔をする。てっきり高杉が今日はずっと一緒だと思っていたのだ。
「シンスケとお買い物やなかったん?」
 レンが零した言葉に阿伏兎は思わず頭を掻く。意味がわからない。
「おっさんに連れてって貰え。よく考えたら俺は全国指名手配だしなぁ」
 瞳を細めた高杉を見て阿伏兎は小さく溜息を吐いた。恐らく高杉はなっから阿伏兎に押し付けるつもりであったのだろう。それを察して呆れたのだ。
「万斉の野郎は?」
「今日は仕事だ」
「…で、アンタは面倒だから俺を呼びつけたと」
「ご名答」
 咽喉で笑う高杉に呆れるしかなかった阿伏兎であるが、レンが心配そうに自分を見上げていたので、彼女の頭を撫でると、仕方ねぇなぁと呟く。レンが悪いわけではない。彼等を待っている間に茶屋で注文した葛饅頭の残りをレンに分けてやると、阿伏兎は情けない顔をして高杉に、りょーかいと言い立ち上がる。それに高杉は満足そうに笑うと、阿伏兎の隣に座って、口をもぐもぐさせているレンの頭を撫でる。
「買い物終わったら迦具夜の店に来い。そこで昼寝してる」
 コクコクと頷いたレンを見て瞳を細めた高杉は、思い出した様に阿伏兎に茶封筒とチラシを渡した。それを怪訝そうな顔で受け取った阿伏兎は、チラシを広げ思わず言葉を零す。
「ケーキバンキング?」
「それも連れてく約束だったからな。金はそこに入ってる。釣りは雪兎に渡しておけ」
 手を投げやりに振りながらさっさと歩き出す高杉を見送りながら、阿伏兎は思わず溜息をついた。自分への嫌がらせではないかと思ったのだ。寧ろ、自分にレンを預ける自体万斉への嫌がらせかもしれない。
「…で、何処に行くんだお嬢」
「今日は万斉のお誕生日だからプレゼント買いに行くんよ。あと、キジマちゃんからのおつかい」
 レンは高杉の書いたお使いメモを阿伏兎に渡す。量こそ大した事はないが、生ものがあるので一番最後に買った方が良いと阿伏兎は判断する。受け取ったメモを折り畳むと、阿伏兎は立ち上がったレンの頭に手を乗せた。
「そんじゃまぁ、先にお嬢の買い物済ませるか。店とか決めてんのか?」
 嬉しそうに笑ったレンは阿伏兎の手を取ると歩き出した。それに阿伏兎は驚いた様な顔をするが、手を振りほどく事無く歩く事にした。傍から見ればちぐはぐな組み合わせであろうが、レンが気にしていないのならば自分が少しだけ我慢すれば良いと思ったのだ。手を繋ぐのが厭だという気はしないが、人目は気になる微妙な年齢なのであろう。
「この店なんよ」
 そう言ったレンの指差した店は、小物や雑貨の置いてある店で、それに気がついた阿伏兎は、高杉はこの店に入るのが厭で押し付けたのではないかと勘繰りたくなる。
「…万斉のプレゼントなんにすんだ?」
「マグカップ。この前万斉のは割れてもーたんよ。ここの黒いウサギさんのカップが可愛かったんよ」
 それ位ならまぁ、プレゼントとしてありかもしれないと思った阿伏兎はレンに引きずられるように店に入る。明らかに女性向けの店で気恥ずかしいが、ここはさっさと買い物を終わらせてしまった方が良いと考えた。
 レンが手に取ったマグカップを見て阿伏兎は僅かに安心したような顔をする。別に自分が貰うわけでもないが、彼女の言う黒ウサギはごく控えめに描かれており、この程度の絵なら男が使ってもおかしくはないだろうと思ったのだ。
「白でも良いんじゃねーのか?」
 隣に並んで置いてあった白ウサギのマグカップに気がついた阿伏兎が言うと、レンは首を横に振る。
「万斉はいつも真っ黒い服だから黒ウサギでええんよ。それに、そっちはお小遣い貯まったら私の分で買うんよ」
 自分が『雪兎』や『白兎』と呼ばれているのを知っている所為か、レンは白ウサギの絵を好む。今回もそうなのであろう。
 すると、阿伏兎はその白いウサギの描かれたマグカップもレンの手に乗せた。驚いた様に阿伏兎を見上げたレンに困った様に笑いかける。
「こっちは俺が買ってやる」
「私はお誕生日じゃないんよ」
「…お嬢じゃなくて、万斉に、だ。まぁ、万斉の野郎の事だから、最終的にはお嬢に使うように言うかもしれねぇがな」
 暫く考え込んだレンはとりあえず、阿伏兎が万斉へのプレゼントとして買うという事に納得できたのか小さく頷いた。それを見た阿伏兎は思わず苦笑する。欲しいなら誰かに強請れば鬼兵隊の面子は彼女に喜んでプレゼントするであろう。しかし彼女はどういう訳かその辺に関しては強請るという発想がないらしい。回りまわってきっと、この白ウサギはレンの手元に行くと思うと、万斉の誕生日プレゼントに贈っても良い様な気がした。間違いなく万斉ならレンに渡すであろう。
「阿伏兎さんのお誕生日はいつなん?」
「俺か?俺は2月だが…」
「欲しいものはある?お小遣い貯めるんよ」
 そういわれ、阿伏兎は暫く考え込む。
「お嬢が来てくれりゃ一番のプレゼントだな」
 驚いた様な顔をレンがしたので、阿伏兎は情けない顔をする。言わなければ良かったと思っているのかもしれない。
「それじゃぁ、阿伏兎さんのお誕生日の時は、春雨に遊びにいくんよ」
「そーしてくれ」
 意味を取り違えられた事に阿伏兎は苦笑して、レンの頭を撫でた。

 会計を済ませた二人が店の外に出ると、丁度そこを通りかかった女が驚いた様に二人を見て足を止めた。
「お嬢?」
「迦具夜ちゃん」
 お嬢と声をかけられたレンは、女の顔を見て驚いた様な顔をして声を上げた。先程、高杉が同じ名前を発していたのに気がついた阿伏兎は女の顔を見る。気の強そうな黒髪の美人で、身長もレンよりずっと高い。恐らく高杉と同じぐらいはあるだろう。
「珍しいわね。兄さんはお友達?」
「そうなんよ。夜兎のお友達なんよ」
 兄さんと呼ばれるような年でもないと思いながら、阿伏兎は女に名乗ると軽くお辞儀をする。鬼兵隊の関係者だと思ったのだ。丁寧に対応しておくに越した事はない。三味線屋の迦具夜と名乗った女は鮮やかに微笑むとレンの頭を撫でる。
「迦具夜ちゃん。今日はお店誰もおらんの?シンスケが、お土産の水羊羹買って迦具夜ちゃんのお店に行ったんよ」
 頭を撫でられながらレンがそういったので、女は驚いた様な顔をする。
「…晋兄がうちの店に?」
「お昼寝するって言ってたんよ。私のお買い物終わったら迦具夜ちゃんのお店に行くつもりやったんよ」
 すると女は不機嫌そうな顔をするとブツブツと文句を言い出す。
「また勝手に店に上がりこんでるわね、あのアホタレ…。叩き出してやる」
 女の言葉の端々から、高杉は彼女に歓迎されていないのが良く解った阿伏兎は困った様な、情けない様な顔をする。叩き出すのはかまわないが、待ち合わせ場所が変るのは困ると思ったのだ。
「あのね、ケーキバイキングと、キジマちゃんのお使い終わったら直ぐにお店に行くんよ。だからシンスケ追い出さないで欲しいんよ」
 同じ事を考えたのか、それとも高杉の為かレンがそう言うので、女は肩を竦めると小さく溜息を吐いた。
「いーわよ。お嬢のお願いだもの。ゆっくりしてらっしゃい。そんじゃ、叩き出さないけど、アホタレに文句言うから私帰るわ。兄さん、お嬢宜しくね」
「お気遣いどーも。アンタも気をつけて」
 くるりと方今転換した女は、ひらひらと手を振りながらその場を後にする。それを見送りながら、阿伏兎は少し屈むと小声でレンに耳打ちする。
「あの姉ちゃんは鬼兵隊の人間か?」
「違うんよ。シンスケの幼馴染やって万斉が言ってた。迦具夜姫って名前も本当のお名前やなくて、万斉がつけたあだ名なんやて」
 余り地球の文化は詳しくないが、迦具夜姫の話は阿伏兎でも知っていた。地上の男を振り続け、月に帰った女の話だ。そこから予想するなら、高杉を振った女なのであろう。ならば、高杉を歓迎しないあの反応も納得できる。
「…なんつーか、高杉が勝手なのは良く解った」
「でもシンスケは優しいんよ」
 レンにかかれば仲間は全部無条件にいい奴なのではないかと思いながら、阿伏兎は小さく溜息を吐いた。

 

 所属している音楽事務所のビルから出てきた万斉は、不機嫌そうな顔をして歩く女を見つけて首を傾げた。
「迦具夜姫」
 声をかけられくるりと振り返った女は驚いた様な顔をする。
「万さん。仕事は?」
「今終わった。急いで何処に行くのでござるか?」
「店に帰るのよ。さっきお嬢に会ってね。アホタレが勝手に上がりこんでるって言ってたのよ」
 その言葉に万斉は眉を顰める。アホタレと呼ばれているのが高杉だと気がついたのだ。そうなるとレンは一人でいる事になる。
「レンは?一人でござったか?」
「お嬢?なんか、夜兎の友達と一緒だったわよ」
 そう言われ万斉は思わず舌打ちをした。夜兎の友達は阿伏兎以外に思いつかなかった。レンが嘘を吐く筈がないので、恐らく高杉が勝手に阿伏兎を呼びつけてレンの面倒を見るのを押し付けたのだろう。レンは阿伏兎に懐いているから喜んで出かけたに違いない。
 不機嫌そうな万斉を見て女は瞳を細める。
「ケーキバイキングに行くって言ってたわよ。今さっきだから探せば見つかると思うわ」
「いや、ヌシの家に行く」
 その返答に女は呆れた様な顔をした。女の反応の意図が解らなかった万斉は、思わず怪訝そうな顔をして口を開く。
「何か問題でもあるでござるか?」
「別にかまわないけどさ。お嬢迎えに行くより、アホタレに文句言うのが先?」
「レンは阿伏兎殿に懐いているから喜んでるでござるよ。それを邪魔するつもりはない」
 ただ、それでは腹の虫が治まらないので高杉に八つ当たりに行くのであろう。
「言いたかないけどさ、そーゆー所晋兄にそっくりよ。万さん」
 攻撃が絶対に惚れた女に向かない。相手や、その周りに行くのだ。独占欲が強い上に歪んでいると女は思い、思わず溜息をつく。レンが割と誰にでも懐きやすいのを見ているだけに、高杉に巻き込まれた阿伏兎の事が心配になったのだ。高杉が万斉に睨まれるのは、自業自得なので同情の余地はない。
「晋助に似てると言われるのは不本意でござる。奴は結局ヌシに逃げられた」
 さらりと言う万斉を見て、女は五十歩百歩だと思いながらそれは口に出さなかった。

 

 店は平日だと言うのに客が多く、阿伏兎とレンは案内された席座ると辺りを見回した。
「お客さん多いんやね」
「そーだな」
 殆ど女性ばかりの中、明らかに浮いているのを自覚しながら阿伏兎は注文を取りに来たウエイトレスに注文を通す。一通り説明を受けたレンは、阿伏兎と一緒にケーキを選びに行く事にした。以前に来島と来た事があるので、自分が気に入ったケーキを選び皿に乗せてゆく。逆に阿伏兎は今まで縁がなく、とりあえず見栄えでいくつか選んだようだ。レンより先に席に戻ると、彼女の分も飲み物を入れる。
「ありがと、阿伏兎さん」
 嬉しそうに笑ったレンを見ると阿伏兎は困った様な、情けないような顔をして笑った。
 夜兎の胃袋は底なしだと言われている。次々とケーキを口に放り込んで行くレンを見て阿伏兎は苦笑した。店の人も補充が大変だろうと、他人の事ながら心配になってくる。阿伏兎も無論よく食べる方だが、若い神威やレンに比べれば控えめであるし、そもそも甘いものを大量摂取する趣味もない。
「お嬢は甘いもの好きか?」
「お米の方が好きなんよ。万斉の炊くお米は凄く美味しいんよ」
 そう言われ、阿伏兎は以前食べた万斉の作った握り飯を思い出して苦笑する。確かに米は美味かったが、中の具がワサビと言う嫌がらせ全開だったのだ。万斉と言う男の人間性が解った瞬間であった。
 珈琲を飲みながらレンの様子を眺めていると、彼女の口元にクリームが付いているのに気がつき、思わずソレを拭う。
 ぽかんとしたような顔でレンが阿伏兎の方を見たので、彼は我に返り赤面した。恥ずかしかったのであろう。
「ありがと」
 レンの方は気にしなかったのか、万斉がいつもそうしてるのか、礼を言うと淡く笑う。その反応に余計恥ずかしくなった阿伏兎は、曖昧な返事をすると、ふいっと外の景色に視線を移し小さく溜息をつく。過保護だ何だと万斉に言っていたのに、これでは奴と同じだと呆れたのだ。ただ、レンの世話を焼きたがる万斉の気持ちは解らないでもない。元々、阿伏兎自身も手のかかる団長のお陰でどちらかと言うと面倒見が良い方なのだ。気を抜くとつい色々気になって体が動いてしまう。
「阿伏兎さんはもうええん?」
 追加を取りに行かない阿伏兎を見てレンが言うと、ああと短く返事をする。
「お嬢は食べたいだけ食べて良いんだぜ。折角高杉が段取りしてくれたんだからな」
 時計を確認するとまだ夕方までは時間はあるし、高杉自体、適当に理由をつけて迦具夜の店に居座りたいに違いない。
 阿伏兎の言葉に頷いたレンは、またケーキを取りに席を立つ。それを眺め、ふと、万斉の事を阿伏兎は考えた。今日は仕事だと言っていたが、鬼兵隊の仕事なのであろうか。レンが高杉の側にいる時は、大概万斉は仕事で留守だと聞いている様な気がしたのだ。
「…お嬢。万斉は何の仕事してんだ?」
「今日は、録音だって言ってたんよ」
「録音?」
「万斉が作った曲を他の人が弾いたり、歌ったりするんやって」
 そう言われ、漸く阿伏兎は万斉の仕事が鬼兵隊とは全く関係ない事に気がついた。よく考えてみれば彼はいつも三味線を背負っているし、そもそも鬼兵隊の仕事ならレンも連れて行くであろう。恐らく表の仕事なのだと判断した阿伏兎は納得して、珈琲を飲み干す。
「忙しいんだな、万斉は」
「そうなんよ。でも、万斉いない時は、キジマちゃんとかシンスケが一緒にいてくれるんよ」
 鬼兵隊の面子がどれぐらいいるか阿伏兎は把握していなが、トップである高杉がレンを甘やかし放題なら恐らく部下も同じ様に接しているのであろう。そう考えると思わず苦笑する。最強種夜兎を飼っているというのに、鬼兵隊はソレを有効利用しようとも思っていないのかもしれない。そんな連中が存在する事すら驚きである。夜兎を獲得するする為に躍起になっている連中が多い中、随分暢気だと。
 ふと、レンの方を見ると、彼女の手が止まっていたので、もう良いのか?と聞くと、彼女は頷く。
「帰って、キジマちゃんのお手伝いするんよ」
 恐らく万斉の為に来島と何か準備をするのであろうと思った阿伏兎は、伝票を持って立ち上がるとレンを連れて店を出た。つり銭は高杉の言うようにレンに渡すと、彼女は自分の財布にその金を入れる。恐らくこうやって小銭を貯めているのだろうと思うと、微笑ましく思わず阿伏兎は笑う。
「そんじゃ、お使い済ませて高杉の所行くか」
「うん」
 嬉しそうに笑ったレンは、また阿伏兎の手を取ると歩き出した。

 買い物を済ませた二人は、レンの案内で迦具夜の店へ向かう。店と言うよりは普通の家に見えるが、軒先に下がっている『三味線屋・迦具夜姫』の看板を見て、阿伏兎は呼び鈴を押した。
 すると、中から鍵を外す音がして、女が顔を出した。
「あら。早かったのね」
「どーも。高杉は?」
 阿伏兎が返事をすると、寝足りないのか、不機嫌そうな高杉が奥から出てくる。それを見て阿伏兎は呆れた様な顔をした。
「お昼寝出来た?」
 レンが聞くと、高杉は僅かに表情を緩め、言葉を放った。
「万斉の野郎に説教喰らって余り寝れなかったなぁ」
「…今いるのか?」
「言いたい事言ってさっさと帰った」
 高杉の言葉にホッとしながらも、阿伏兎は不思議そうな顔をする。万斉がここに来たのなら、てっきりレンを待っているのかと思ったのだ。会うのも気まずいが、いまいち万斉の意図が解らなかった阿伏兎は困った様な顔をしたが、レンは阿伏兎の方を向くと淡く笑った。
「阿伏兎さん。今日はありがと。一緒にお出かけできて嬉しかったんよ」
「…まぁ、俺の分も万斉の野郎の誕生日祝ってやってくれ」
 阿伏兎の言葉にレンは頷くと、ぎゅっと抱きつく。毎度の事ながら慣れずに困る阿伏兎を見て高杉は咽喉で笑った。
「いい加減慣れろよ」
「うるせぇ」
 適応能力が高い若者と一緒にしないで欲しいと思いながら、阿伏兎はレンの体をそっと離すと短く、元気でなとだけ言い残しその場を後にした。本当は阿伏兎にも一緒に万斉の誕生日を祝ってほしかったが、仕事が忙しい彼にそれを伝える事はしなかったレンは、できるだけ元気に笑うと、手を振って彼を見送る。
 その様子を見ながら女は僅かに瞳を細めると言葉を零した。
「お嬢はどっち選ぶのかしらね」
「まだ先の話だろーよ。俺を選ぶかもしれねぇしな」
「晋兄を選んだら、全力で万さんと阿伏さんと結託して妨害に行ってあげるわ」
「…俺はオメェを選ぶけどな」
「私はもうとっくに選んだから」
 高杉は顔色一つ変えずにそういった彼女を眺めて、ほんの少し哀しそうに瞳を細めた。

 

「今日は気分が乗らないか」
 アジトで三味線を弾いていた万斉は、部屋に入ってきた似蔵の声に手を止めると、否定する訳でも肯定する訳でもなく彼の方に視線を送る。同じ鬼兵隊の人斬りであるが余り一緒に行動する事はないので、似蔵が態々部屋まで来たのが珍しかったのだ。
「似蔵殿が音楽を解するとは知らなかったでござる」
「音楽は解らねぇが、音の違い位は解る」
 目の見えない似蔵は他の感覚が人より敏感である事を考えると彼の言う事は理解できる。
「レンが来た頃からアンタの音は随分柔らかくなったが、不安定な所も出てきたんじゃないかい」
 その言葉に万斉は僅かに驚いた様な顔をした。まさか高杉以外に指摘されるとは思っていなかったのだろう。
「…ヌシから見て、レンは…どう見える?」
 一度聞いてみようと思っていたことであった。盲目の似蔵は人の魂の色ともいえる光を見る事があるという。普段は余り見える事はないが、人の魂が消え行く時に大きな花を咲かすその光が好きなのだと。
「アレは月みたいな淡い光だな。周りに影響されて姿を変えるが、本質は変らない真っ白な月。晋助の迦具夜姫より、よっぽど月っぽい」
 綺麗過ぎて俺は好きじゃないがな、と付け足した似蔵は口元を歪めて笑った。
「迦具夜姫は?」
「蒼い炎。月なんて生温いもんじゃない。綺麗だと傍に寄ったら全てを焼き尽くしちまう…晋助の檻も熔かしちまったんだろうに。怖い女だ。一歩間違えたら己自身も焼き尽くす様な狂気の炎だな…」
 その言葉に万斉は瞳を細めた。万斉が魂の音楽を聴いて人を知るように、似蔵もその魂の色で人を知るのであろう。
「興味深い話でござった。で、何か用があって来たのではないか?」
 そう言われ似蔵は、晋助が呼んでいたとだけ言い部屋を出て行った。気分的には高杉に会いたくはなかったが、レンを連れて帰ってきたのだろうと考え、仕方ないと立ち上がり、万斉は高杉の私室に向かう事にした。

「入るでござるよ」
 いつも通り声をかけると同時に扉を開けた万斉であったが、突然鳴らされたぱぁんと言う音に思わず足を止める。
「お誕生日おめでとうっス!河上先輩!」
「おめでとうなんよ!」
 クラッカーを持った来島とレンがテンション高くそう言ったので、万斉は漸く自体を把握して笑った。そういえば事務所にもなにやらファンからのプレゼントが積んであったが、全て無視して置いてきたのだ。一つでも開けて確認すれば、自分の誕生日である事を思い出したかもしれない。
 珍しく高杉の部屋には武市も似蔵も集まっており、それぞれ女性陣程ではないが、万斉の誕生日を祝う為に集まったのだろう。
「…誕生日祝って嬉しい年でもねぇだろーが」
「でも、お誕生日があるなら祝えばええんよ。私はお誕生日ないから祝えないんよ」
 高杉の言葉にレンが不服そうに言ったのを聞いて、万斉はレンが自分の誕生日が解らないと言っていたのを思い出す。知っていれば盛大に祝ってやっただろう。そんなレンをぎゅっと抱きしめると、有難うと万斉は言い笑った。
「あと、プレゼントなんよ」
 持っていた箱を万斉に渡すと、レンは満足そうに笑う。早速それを開けた万斉は、揃いのマグカップを見て僅かに瞳を細めた。以前自分の不注意で割ったので丁度欲しいと思っていたのだ。感想を待っているレンの頭を撫でると、口元を緩め礼を言った。
「…なんで二つなんですか、レンさん」
 武市がそう聞くとレンは、一つ分は阿伏兎さんがお金出してくれたんよと言う。その言葉に万斉は驚いた様な顔をするが、白いウサギのカップを取り出すと、レンの手に乗せる。
「こっちはレンが使うと良い」
「ええん?阿伏兎さんもなんかそんな事言ってたんよ?どうして?」
 きっと阿伏兎はレンへの遠まわしのプレゼントにと買ったのだろう。それに万斉は気がついていたが、あえて知らないフリをしてレンに渡す事にした。そこまで教えてやる義理もないし、レンが喜ぶなら別にそれでも良いと思ったのだ。
「どうしてでござろうな。レンとお揃いは拙者が嬉しいから使って欲しい」
 そういわれ、レンは素直に受け取ると嬉しそうに笑った。
「キジマちゃんがケーキも焼いてくれたんよ」
「自信作っス!」
 得意気な来島と、嬉しそうなレンを見て、万斉は淡く微笑んだ。きっと今日は良い曲が作れる。そう思うと、朝からの自分でも制御仕切れなかった不安定さは欠片もなくなっていた。


万斉生誕記念
そして、阿伏兎困れ!の巻き
20090524 ハスマキ

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