*今夜はここまで*

 戦場を駆け抜けるその女の姿を眺めていた阿伏兎は思わず尻上がりに口笛を吹くと隣に佇む黒づくめの男…鬼兵隊・河上万斉に視線を送った。
 万斉が辺境の土地で拾ってきたと言う夜兎。詳しい話は聞いていないが万斉は手元に彼女を置く事を決め、春雨に夜兎の特性について問い合わをしてきてた時初めて阿伏兎はその存在を知った。数が少ない夜兎が辺境の惑星で戦いもせずに存在していた事にも、その夜兎を万斉が面倒を見ると言った事に対しても驚いたものだ。
「お嬢調子良いみてぇだな」
「そうでござるな」
 ヘッドフォンから音漏れがする位の大音量で音楽を聴きながら万斉が返事をしたので阿伏兎は苦笑する。返事が返ってくるとは思わなかったのだ。

 今回の任務は春雨の荷の取引を邪魔する輩を掃除するというごく単純なものであった。春雨にいてもらっては困る連中は広い宇宙に山ほどいるし、阿伏兎達の任務はここ最近その手の割と地味なものが多かったのだ。本来は団長を率いて来るべきであるが気まぐれな団長は気分が乗らないと興味を示さず阿伏兎がいつも通り地味で面倒な事を引き受ける羽目になっていた。その時にふと思い出した鬼兵隊の夜兎の存在。阿伏兎は団長がこの任務に参加しないと言う事を理由に同族である彼女を鬼兵隊から借りたいと申し出てみたのだ。鬼兵隊と春雨は利害関係の一致から今は仲間のような形を取っているがいつ破綻するかも解らない。その為阿伏兎は一度鬼兵隊の夜兎に会ってみようと思った。
 渋られるかと思ったが意外にも鬼兵隊はあっさりと彼女の貸し出しに同意してくれた。但し、河上万斉と言うオマケつきでである。彼女を春雨にしつこく勧誘しているのを警戒されたのかも知れないと思ったが、今後このような好機もそうそう訪れないだろうと思った阿伏兎はその条件を飲んで一時的に彼女を借り入れる事にした。
 夜兎、しかも女だと言う。
 辺境の惑星にいたという彼女の力はどの程度のものであろうと阿伏兎は会うまでは大いに楽しみにしていたが、第一印象としては期待の大きさに反して何だか控えめなイメージであった。モニター越しで見るよりも彼女は随分と大人しそうに見えたし、初めて対面した時彼女は万斉の後ろに隠れて小さくお辞儀をしただけであったのだ。
 大丈夫かと心配して今に至るわけである。

 遠くで戦う彼女は古ぼけた傘を振るって相手方の雇った傭兵を薙ぎ倒している。彼女が自前で持ってきた傘は飛び道具としては使える代物でなく一方的に殴り飛ばす為だけに使われていた。辺境の惑星から持ち出した彼女の唯一の荷物だと聞いたので恐らく彼女の親か、共に暮らしていた夜兎が使っていたモノなのだろう。
 闇夜に映える白い肌と、白い髪。そして赤い目。
 夜兎の中でも一段と日の光に弱い特性であるが、戦闘能力は飛び抜けている。夜戦を選んだのは彼女の一番戦いやすい状況を考えての事であったが思った以上に成果を挙げてゆく彼女を眺めながら阿伏兎は口元を歪めた。
「良いねぇ。ますます欲しくなるなお嬢」
 その言葉を聞いた万斉はちらりと阿伏兎に視線を送るが直ぐに興味が失せたかのようにまた視線を戦場に戻した。すると阿伏兎は苦笑して更に言葉を紡ぐ。
「いい加減俺達に渡せよ。辞めとけ、夜兎飼うなんて。しまいには咽喉笛噛み切られるぜ」
「親に人の物を欲しがるなと子供の頃教えて貰わなかったでござるか?」
「生憎親は殺しちまったんでね。まぁ、そーゆー種族なんだわ俺達」
 万斉の返しに阿伏兎は笑いながらそう答えると肩を竦めて見せた。親殺しというのは夜兎独特の古臭い慣わしである。数が少なくなってからは余り見られなくなったが今でも団長の様に平気で挑む仲間も存在する。そうせずにはいられない滅びの遺伝子を夜兎は抱えていると考えているのでそれを阿伏兎も否定しようとも思わないのだ。
 それに対して万斉がなんら反応を示さないので阿伏兎は口元を歪めると面倒くさそうに頭を掻く。別に万斉が死のうが何しようが正直興味はないが、突如彼女の中でその衝動が生まれた時辺境の惑星で一人ぼっちだった彼女がその衝動をどう受け止めるかが心配だったのだ。夜兎に囲まれていればそれは別になんらおかしいものとは思わないだろう。しかし彼等と一緒なら苦しむかもしれない。折角見つけた貴重な仲間をみすみすぶっ壊すのは阿伏兎の趣味ではないのだ。更に悪い事にここ数日彼女と万斉の関係を眺めているとどう贔屓目に見ても親子にしか見えなかったのだ。無論年齢的には親子には程遠いのだが、何から何まで甘やかして万斉が面倒を見ている姿を見ていると流石に心配になってくる。
「…拙者は彼女の親になりたい訳じゃないでござる」
 自分の心を読んだのかと思えるほど的確な万斉の言葉に阿伏兎は一瞬言葉を失うが直ぐに視線をまた戦場へ戻した。もう殆ど立っている者が少ない中彼女は暴れ足りないと言う様に逃げようとする者を追いかける。
 ちらりと時計を確認した万斉が声を発した。
「レン」
 それは阿伏兎に漸く聞き取れる程度の声であったが、レンと名を呼ばれた夜兎は手を止めくるりと万斉の方を向き手を振ってきた。それを見て阿伏兎はまた口元をゆがめる。思った以上に彼女は万斉に懐いているらしい。
 敵を追いかけるのを辞めてレンが走って此方に向かってくるのを眺めながら阿伏兎は小さく呟く。
「どーやったら夜兎をあそこまで手懐けられるのかご教授願いたいね」
 金でも義理でも動かない夜兎。確かに鬼兵隊には夜兎の好む戦いの匂いはするし、彼女自身己が夜兎だと言うことすら知らなかったとはいえあの懐き方は異常である。
「…企業秘密でござる」
 憮然と万斉が言い放ったので阿伏兎は困った様な情けないような顔をする。夜兎というのは仲間同士馴れ合う種族ではないにしろ、あそこまで目の前で同族より懐かれるのは心中複雑なのだろう。
「万斉、今夜はここまで?」
「お疲れでござるレン」
 後3時間ほどで日が昇るので元々取り決めていた時間ではある。相手が立て直して来るのは恐らく夜明けかその後であろう。レンは万斉の言葉に頷くと傘についた返り血を払う。折角の着物も元の柄が解らないほど赤く染まり、彼女の綺麗な髪も肌も汚れ放題である。
「お嬢はもう少し綺麗な戦い方覚えた方がいいな。偉く汚れちまってまぁ」
 呆れた様に阿伏兎が言ったので彼女は驚いた様に彼を見上げ首を傾げた。
「アブトさんが教えてくれるん?」
「俺は構わねぇよ。まぁ、お嬢の保護者が嫌がるかもしれねぇがな」
 その言葉にレンは万斉の方を見る。すると万斉は彼女の頬についた血を拭ってやりながら、淡く微笑んだ。
「レンが望むなら拙者は構わないでござる。でも今夜はこれからレンの代わりに阿伏兎殿が戦うからやめておくといい」
 その言葉にレンは嬉しそうに笑顔を浮かべ阿伏兎はぎょっとしたように目を見開いた。
「マジで?俺一人かよ」
「拙者はレンのオマケでござるから」
 さらりと言い放った万斉を見て阿伏兎は溜息をつくと解ったよと投げやりに言う。団長に良く似てマイペースな万斉に対して相手の好きにさせるのが一番だと判断したようだ。
「レン。先に戻って風呂に入るといい。耳の後ろもちゃんと洗うでござるよ」
「はーい」
 元気に返事をしたレンを見て万斉は口元を緩めると走って船へ戻る彼女の背中を見送る。その姿を見て阿伏兎は思わず小さく溜息を吐いた。矢張り駄目だと。どう贔屓目に見ても親子にしか見えない。何処の世界にあんなに大きく育った女のあそこまで甘やかす男がいるのだろうかとぼんやりと考える。
「…レンの能力には満足したでござるか?」
「是非欲しいねうちに」
「断る」
 レンの力を見たいと阿伏兎が言い出し彼女を戦場へ立たせたので一応万斉は阿伏兎にそう問いかけたが、レンを欲しいという阿伏兎の言葉に対しては冷たく切り捨てる。その辺りに一切の迷いはないのか返答はいつもにもまして早い。
「…戦力として夜兎は確かに魅力的だと思うぜ。俺が言うのもなんだけどよ。けど飼うなら他のにしとけ。夜兎は無理だ」
 阿伏兎の言葉に万斉は不機嫌そうに口元を歪める。初めて感情らしい感情を自分に向けられた気がして阿伏兎は些か驚いた。
「夜兎だからレンを手元においておきたいのではない。たまたまレンが夜兎だっただけの話でござる」
 明らかに声色が不機嫌そうな万斉を見て阿伏兎は肩を竦めた。恐らく夜兎としての戦力だけを見て発言した阿伏兎の言葉が不快であったのだろう。露骨に敵意を向けられた阿伏兎は仕方なく話題を変える事にした。
「で、俺はマジで一人で夜を明かす訳?アンタ手伝ってくれねぇの?」
 情けない声を上げた阿伏兎に万斉を僅かに眉を上げると呆れた様に言う。
「拙者はレンの面倒を見るから引き上げるでござるよ」
 別に万斉を頼る訳ではないが、一人でぼんやりしていても退屈だと思った阿伏兎は口をへの字に曲げた。もう少しレンの話を聞いておきたかったのもある。個人的にレンに接触するのを万斉が嫌がるので実質彼にレンの話を聞くしか今の所情報を得る手段はないのだ。
「そーかよ。まぁいいや。明日もまた頼むわ」
「承知したでござる」
 万斉を見送る阿伏兎は僅かに瞳を細めた。団長が常に笑顔を崩さないように万斉もそのサングラスの所為で表情の動きは解らない。言葉数も少ないので考えを読むのは困難である。ある程度言葉をストレートに放つ団長の方がまだましだというのが阿伏兎の感想である。彼から夜兎…レンを取り上げるのは困難であろうと思いながら溜息を吐くと阿伏兎は恐らく夜明けまで誰も訪れないであろう戦場に視線を送った。

 

 阿伏兎の準備した部屋に戻ると万斉は部屋に視線を巡らした。春雨の所有する船の一室をレンと万斉が使っているのだ。必要最低限のモノは揃っており今の所不便はない。
 風呂場の前に脱ぎ捨てられたレンの服を拾い上げると万斉はそれをゴミ箱に投げ入れ、荷物の中からレンの着替えを出すと脱衣所に置く。中から水音がする所を見るとレンはまだ風呂に入っているのだろう。
 ソファーに座った万斉は背もたれに体を預けぼんやりと宙を見る。阿伏兎が思った以上にレンに対してしつこい勧誘をしてくるのが気になったのだ。元々夜兎は群れる気質ではないと聞いていたが、数が少ない所為か、あの男の気質か随分とレンを欲しがっているように見えた。
「万斉」
 そんな事を考えているとレンが風呂から上がって来てタオルを頭に乗せたままほてほてと万斉の側に寄ってきた。すると万斉は自分の座っていたソファーをレンにあけ渡してやり、彼女の頭に乗っていたタオルを手に取ると彼女がほったらかしにしている髪を丁寧に拭いてゆく。いつもそうやって貰っているレンは気持ち良さそうに瞳を細めるとじっと大人しくしている。万斉が不在の時は来島がやってくれているが、一度高杉に頼んで面倒だとタオルを投げつけられた事もあるのでレンはこうやって面倒を見てくれる万斉がとても好きであった。
「万斉」
「何でござる?」
「明日も運動できるん?」
「阿伏兎殿が全部片付けてしまわなかったら」
 万斉の返答にレンはふーんと声を上げた。運動というにはいささか物騒な話だがレンにとっては今回の仕事はその程度の事であったのだろう。
 ドライヤーを持ち出した万斉に気がついたレンは次に来る熱風に備えてぎゅっと目を閉じる。万斉に髪を綺麗にしてもらうのは好きだったがドライヤーは熱くてどうしても苦手であったのだ。逆に丁寧に櫛を通しながらドライヤーをかける万斉は機嫌が良いのか心なしが表情が緩んでいる。柔らかい彼女の髪がふわふわになっていくのが楽しいのかもしれない。
「レン。食事は?」
「たべるー」
 ドライヤーの熱風から開放されたレンは嬉しそうに笑うとわーい!と両手を挙げた。夜兎というのは燃費が悪いのか驚くほど食べる。それを承知している万斉は外に行く前に食事の準備をしていたのだ。但し食事と言っても米を炊いただけである。しかしレンはどういう訳か米がとても好きでそれだけでも十分に満足なので夜食には手軽で良いと万斉は思っている。食べる量は半端ではないが。
「準備ええね万斉。ありがと」
 米をかき込みながらレンが言うので万斉は少し笑うと彼女の柔らかい髪を撫でる。全体的に小振りに出来ている彼女の体の何処にどうしてこんなに米が詰め込めるのか初めは不思議だったが今となってはこの喰いっぷりを見るのも悪くないと思わず万斉は瞳を細めた。
「あ、アブトさんはお腹空いとらんかな?」
「どうでござろうね」
 もぐもぐと口を動かしながらレンが言ったので万斉は無難な返答を返した。阿伏兎も夜兎だから燃費が悪いのだろうが今日は殆どレンの戦いを見ていただけなので彼自身は動いていない。レンほど腹を空かせている事はないだろうと思いながら万斉はレンが次に何を言い出すかじっと待つ事にした。
「アブトさんにちょっと持っていったらあかん?」
「余り寝るのが遅くなると明日に触る。阿伏兎殿に迷惑がかかるでござる」
「そっか」
 しょんぼりしたレンの顔を見て万斉は少しだけ笑うと更に言葉を続けた。
「だから直ぐに帰ってくるでござるよ」
「万斉やさしいー。大好きー」
 持っていた茶碗と箸を置いてレンがぎゅーっと抱きついて来たので万斉は彼女の背中をポンポンと軽く叩くと立ち上がった。
「握り飯作るからそれを持っていくといい」
 そういった万斉を見上げてレンは満足そうに笑うとまた食事を続ける。早く食べてしまって阿伏兎の所へ配達をして早々に寝るつもりなのだろう。
 万斉は料理は最低限の事しかしないが手先が器用なのかそつなくこなす。恐らくその気になれば何でも出来るのだろうが必要にかられなければする気もないし、レンが余り食事に拘りを持たないので今後する事もそうそうないであろう。但し米は必要以上に美味しく炊く。レンの好物だからであろう。
 冷蔵庫を覗き込んだ万斉は少し思案すると具材になるものを取り出して手際よく握り飯を作る。レンの食事のスピードが上がったので此方も早く作ってしまおうと思ったのだ。
 ご馳走様とレンが手を合わせたのとほぼ同じく万斉は皿に載せた握り飯にラップをかけるとレンの所に持ってゆく。
「もうできたん?」
「拙者はこれから晋助に連絡を入れて風呂に入るから先に寝るでござるよ」
 皿を受け取ったレンは素直に頷くといってきますと言って部屋を出て行った。

 

 ほてほてと歩いてくるレンの姿を見つけた阿伏兎はいささか驚いた様な顔をする。少なくとも今まで万斉の側を離れて一人でいる彼女を見たことがなかったのだ。
「どうしたお嬢」
「これ。夜食」
 レンが差し出した握り飯を見て阿伏兎は暫し無言であったがそれを受け取ると瞳を細めた。
「そりゃどーも。お嬢が作ったのか?」
 その言葉にレンは首を振り食事を持っていくと言ったら万斉が作ってくれたといった。正直あの男が握り飯を作る姿を想像できなかった阿伏兎は一瞬面食らったような顔をしたが直ぐに笑うと彼女の頭を撫でる。
「あの男がね〜」
「万斉は優しいんよ」
 阿伏兎は彼女の表情を見て僅かに顔を顰める。夜兎にしては気質が穏やかで人懐っこい。だからこそ危険だと思ったのだ。このままあの男の側にいればいつかは己の衝動に破綻をきたすかもしれないと。
「お嬢。ちぃと良いか?」
「なに?」
「悪い事はいわねぇからうちに来い」
 レンがぽかんとしたような顔をしたので阿伏兎は面倒臭そうに頭を掻くとあのな、と更に言葉を続けた。
「夜兎ってのは親殺しとか平気でしちまう種族なんだ。このままだといつかお嬢はあの男を殺す。だからその前にうちに来い」
 明らかに困惑した様な顔をするレンを見て阿伏兎は瞳を細めた。夜兎だと言う自覚の薄い彼女には理解しがたいのかもしれないと思ったがこのまま放置しておく訳にも行かない。
「絶対殺すん?」
「100%殺す訳じゃねぇよ。でも100%殺さない訳でもねぇ」
 確率論で言うなれば何事においても100%という事はありえない。親殺しをする夜兎もいればしない夜兎もいる。ただ、彼女が強ければ強いほど確率は上がる。いつか強さを求める衝動に駆られるであろう、団長の様に。
「万斉は知っとるん?」
「何度も言った。ガン無視されたけどな」
 呆れた様に阿伏兎が言うとレンは困った様な情けないような顔をして口を開いた。
「万斉を殺すのは厭や」
「だろうな」
「でも万斉の側がええんよ」
「…」
「どーしたらええ?アブトさんは答え知っとる?」
 両方彼女は取りたいらしいがそれは難しいと阿伏兎は顔を顰めた。二者択一を提示されて、彼女が第三の選択肢を探しているのが良く解る。しかし阿伏兎にはその答えを持っていなかったし持っていたとしても教えてやることはしなかっただろう。
「自分でゆっくり考えるんだな」
 余りぎゅうぎゅうに追い詰めても彼女はパンクするだけだろうと思った阿伏兎は答えを出させる事を先延ばしにした。精神的に明らかに幼い彼女が今の状態で答えを出すのはまず不可能であろう。
「…うん」
 俯いて返事をしたレンの頭をまた撫でると阿伏兎は困った様に笑う。元気そうな顔をしか見ていなかったのでこんなにレンが萎れてしまって居心地が悪くなったのだろう。
「…今夜はここまで。もう戻れ」
「うん」
 しょんぼり頷いた彼女を見て阿伏兎は溜息をつくと少し屈んで彼女と視線を合わせる。
「あとな、お嬢の傘だけどよ」
「傘?」
 突然話を変えられたレンは驚いた様に赤い瞳を見開くと自分の持っている傘を思い浮かべる。元々住んでいた所から持ってきた唯一の荷物である。頑丈なので気に入って使っているし日除けにもなるので重宝しているのだ。
「今度新しいのやるよ」
「ほんま?あの傘と同じの?」
 どうやら彼女はアレが夜兎が好んで使う武器である事は知らないらしい。阿伏兎が頷くと少しだけレンは表情を明るくした。
「今日は持ってきてねぇが本船に戻ったら予備が山ほどあるからな。今度鬼兵隊に送っとく。大概あれもガタ来てんだろ?ぶっ壊れる前にやるよ」
「ありがとうアブトさん」
 そう言うとレンはぎゅーっと阿伏兎の首に腕を回し抱きつく。突然の事で阿伏兎はぎょっとしたような顔をするが直ぐに情けない顔になって彼女の背中をぽんぽんと叩いた。
「まぁ、同族のよしみって事で。困ったことありゃ言えばいいし、うちに来たきゃいつでも来い」
 若い女に抱きつかれ年甲斐もなく恥ずかしくなった阿伏兎は早く離れてくれないかと思いながら彼女にそう言う。夜兎は圧倒的に男が多いのでこのようにスキンシップを取る事に慣れてない。精神的にはともかく肉体的にはレンは十分に女なのだ。
 するりと体を漸く放したレンにホッとしながら阿伏兎がそんじゃ、いい加減戻れと言うと彼女は先程より大分マシな顔をして頷き踵を返した。
「勘弁してくれよ。オジさん困るよマジで」
 ブツブツ言いながら阿伏兎は手に持ったままの皿のラップを剥がすと一つ握り飯を口に入れた。
 瞬間それを勢い良く吐き出す。
「…野郎…絶対にお嬢渡さねーつもりだな」
 事もあろうか具に山葵を詰め込んだ握り飯を準備する辺り万斉の答えは既に明確出ているのでろう。投げ捨てようかと思ったが、持ってきたレンの事を考えるとそれも出来ず阿伏兎はその場に座ると山葵を避けて歪になった握り飯をほお張る。
「人生は重要な選択肢の連続…か」

 

 風呂から上がった万斉は髪を拭きながら部屋に視線を巡らせた。先程レンが帰ってきた気配はしていたが彼女はまだベッドには入っておらずソファーで膝を抱えて座っていた。
「レン」
 いつもなら万斉の言う事を素直に守る彼女がまだ起きてた事に万斉は僅かに眉を顰めた。予想はしていたが阿伏兎に何か言われたのであろうと思った万斉はレンの座るソファーの正面に座ると手招きをする。するとレンはほてほてと万斉の傍に寄りストンの彼の膝に収まった。レンがお気に入りの場所なのだ。
「…夜兎は親殺しすんねんて」
「知ってるでござる」
「私は万斉殺したない。でも万斉の側がええねん」
「知ってるでござる」
 レンの言葉に同じ返答をした万斉は後ろからレンを抱きしめて彼女の肩に顎を乗せる。すると彼女は擦り寄るように頬と頬をくっつける。
「…レンにとって拙者は親代わりでござるか?」
 万斉の呟きにレンは驚いた様な顔をすると首を小さく横に振った。自分を拾って手元に置いている彼を親代わりだと思った事は一度もなかったのだ。甘やかして可愛がってくれるので好きだったが親に対する感情とは違うとレンは漠然と感じていた。
「親代わりやと思った事はないんよ」
「拙者もそのつもりはない。だから大丈夫でござるよ」
 そう言うと万斉は彼女を抱く腕に力を込め、柔らかい髪に顔を埋めた。背中に万斉の体温を感じてレンは漸く少し落ち着く。自分がもしも万斉を手にかけたらと思うと怖くて仕方がなかったのだ。そして万斉がそんな自分を不要だというのも怖かった。
 阿伏兎が聞けば詭弁だといわれそうな万斉の言葉であったがレンを安心させるには十分だったようで彼女は万斉の方を見ると赤い瞳を細めて笑い彼の頬を両手で挟む。
「ありがとう万斉」
「どういたしまして」
 短く返答した万斉は彼女をそのまま抱きかかえて立ち上がるとベッドに彼女を運んだ。レンも安心したら眠くなったのか大人しく布団に包まると直ぐにうとうととしだす。
「万斉」
「何でござる?」
「おやすみなさい」
 ベッドに座る自分に差し出されたレンの手を取ると万斉は彼女の額に口付けをしておやすみと小さく呟いた。彼女が静かな寝息を立てるまで万斉はその手を握ったまま窓から見える闇夜に視線を馳せる。恐らく阿伏兎はまだ眠い目を擦りながら見張りをしているのだろう。
「…今夜はここまででござるな」
 万斉は瞳を細めると握った彼女の手に口付けた。


企画サイト投稿作品
万斉とか阿伏兎とか浮きまくってた良き思い出
200902 ハスマキ

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