*苦は楽の種*

 将軍のお忍び護衛も真選組の仕事ではあるのだが、今回の護衛に関しては流石に近藤も土方も思わず頭を抱えるしかなかった。
 場所は屋内プール。シーズンオフではあるが、通年運営しているこの遊技場は、夏場以外に関しては平日客が少ないことも有り比較的安価で貸し切りができる。
 とりあえず貸し切りでの護衛という事で話は進んでいたのだが、途中、余りにもそれは寂しいだろうと松平が言い出し、サクラを用意する事になったのだ。
「……そんで、うちの隊士を交代で客として入れるのはわかったけど……」
 土方が渋い顔をしたのは、松平が監察の女性陣を出来るだけ投入するようにと指示をしたからである。仕事だと言えば彼女たちも来るであろうが、そうなると将軍の半接待の様になってしまわないかと危惧したのだ。それを察してか、松平は豪快に笑うと口を開いた。
「心配するな。流石に野郎ばっかりのプールなんざ将ちゃんもつまらんだろうし、おじさんが女の子は他にも手配しとく」
「……それなら……いいかなぁ。どう思う?トシ?」
「身元のしっかりした人間で頼む」
 松平のツテならば文句も言い辛いのか、渋々という形で近藤も土方も任すことにした。すると、松平はにんまり笑い葉巻の煙を吐き出す。
「隊士達の慰安も兼ねて、おじさん張り切っちゃうか」
 不穏な発言にいささか不安を覚えたが、近藤は曖昧に笑い、土方は渋い顔をした。


「……はぁ」
 将軍護衛の件に関する連絡書類を眺め、ため息をつくリンドウを見つけ沖田はほてほてと側に寄っていく。監察の女性陣は出来るだけ参加との事であったが、無論長期の潜入任務に行っている面子は無理にとは言われていない。どちらかと言うと山崎のサポートで内向きの仕事の多いリンドウは参加だろうと思っていた沖田であったが、ため息をつく姿を見て首を傾げた。
「仕事があるんですかぃ?」
 今回の仕事に関しては半ば遊びのようなものであると思っていた沖田はそう声をかけた。何と言っても客が全部サクラなのだ。無論将軍には何名か客に真選組の護衛を混ぜてはいると言っているものの、全員が関係者とは思うまい。施設の中と外側をガッチリと護衛し、出入りが少ないと不審に思われるかもしれないからと、サクラの隊士も時間で区切って入れ替える。普段は将軍護衛任務に関しては留守番組が勝ち組だと言われているが、今回に関してはプールで合法的に松平の準備した女性陣と客として遊べるという事もあり、留守番組の籤を引いた隊は泣き崩れた程である。
「いえ、仕事はないんですが……」
 言葉を濁すリンドウを見て、沖田は、あぁ、と短く声を上げた。
「水着ならこの際経費で落とせばいいんじゃねぇですか?」
 晴れ着や浴衣など、何故か滅多に着る機会のないものに関しては購入を後回しにしている節のあるリンドウが水着を持っていないのだと判断した沖田の言葉に、彼女は曖昧に笑った。
「いえ、水着は他の監察の子と買いに行くことにしてるんですけど……」
 あ、やっぱり持っていなかったのか、と思いながらも、更に言葉を濁す姿に沖田は首を傾げた。
「他に何か問題ですかぃ?」
「……あの……実は……私、泳げないんです」
「はぁ?」
 基本的に家事技能以外は特に目立った特技はないが、逆に苦手なものも見当たらなかった為に、なんでも彼女は人並みにはこなせると思い込んでいた沖田は、思わず間抜けな声を上げた。
「水が怖いとかですかぃ?」
「いえ、単に練習をする機会がなかったというか何というか……」
 モゴモゴと言い難そうにうつむく姿を眺めて沖田は思わず吹き出した。
「別に水泳大会に出ろって言われてるわけじゃねぇんですから、気楽に行けばいいんじゃないですかぃ?」
「けれど、泳げないと上様の護衛に支障が出るどころか、足を引っ張るのではないかと思うと申し訳なくて」
 大真面目に将軍の護衛を考えての事だと気が付き沖田は目を丸くする。沖田など、ビーチバレーをしようかとか、流れるプールで一日中ぐるぐる回っているのもいいとか、遊ぶことしか考えていなかったのだ。
 しかしそんな彼女を眺め、沖田はニンマリ笑うと彼女に顔を寄せる。
「近藤さんに習えば良いんじゃねぇですか?」
「いえ!その!……泳げないの知られるのも恥ずかしいというか、何というか……」
「何言ってるんですかぃ。どうせ上様の護衛任務って言っても、近藤さんもべったりって訳じゃねぇですよ。つーか、ゴリラにべったりひっつかれる上様が可哀想でさぁ。上様の監視は土方のヤローに任せて、いい機会ですから習ったらどうですかぃ?今後こんな任務がまたあるかもしれませんぜぇ。必要講習でさぁ」
 仕事に必要な技能だと言われる、この際恥ずかしいのは辛抱して近藤に習うべきだろうか、リンドウがそんな事を考えているのが分かった沖田は、ニヤニヤ笑いながら更に言葉を続けた。
「ゴリラの癖に近藤さん泳ぎ得意ですぜ。言いにくいなら俺から頼みまさぁ」
「……えっと、ご迷惑じゃないですかね……近藤さん」
「護衛に支障が出ない範囲で、って言えば良いんですかぃ?」
 無論そんな事伝えるつもりはさらさら無いが、沖田はリンドウを説得するために言葉を添えた。
「……それじゃぁ、お願いします」
 ペコリと頭を下げるリンドウを眺め、沖田は瞳を細めると、人間素直が一番、と満足そうに笑った。

「え?ハルちゃん泳げないの?」
 早速局長室に言った沖田の言葉に近藤は心底驚いたような声を上げた。今まで海やプールに一緒に出かけたことがなかった為に近藤も気が付かなかったのだろう。
「まぁ、本人も泳げないと今後この手の仕事に支障が出るんじゃねぇかと気にしてるんでさぁ。いい機会だし教えてやって下だせぇ」
 沖田の言葉に近藤は、そっかー、と言うと腕を組んでうんうんと頷く。
「どうだろ?ちょっと教えるぐらいはいいかなトシ」
「……まぁ良いんじゃね?どうせ俺と近藤さんは上様の護衛でずっと中にはいるけど、実質外との連絡役だしな」
 目に見える護衛として近藤と土方、そして他数名は松平と将軍に同行するのだが、ぶっちゃけると、仕事などないに等しい。せいぜい人の入れ替え連絡を外とする程度である。土方も書類を捲りながらやる気の欠片もみせずにそう返答する。
 その返答に近藤はホッとしたように笑うと、楽しみだなーと呑気に声を上げた。
「まぁ、仕事といえば仕事なんで、リンドウの水着にムラムラしないように自重してくだせぇ」
「ムラムラとか総悟酷いよ!年中発情期みたいじゃないか!」
「違うんですかぃ?まぁ、リンドウは全体的に細い感じなんで然程ムラムラしないかもしれませんぜ」
 うーん、と言いながら放った沖田の言葉に、部屋の隅で土方の読み終わった書類を順番に並べていた山崎が顔を上げたので、土方は僅かに眉を上げる。山崎は暫し思案したような顔をしたが、土方と目が合って曖昧に笑った。
「何だ?山崎」
「いえ……」
 怪訝そうに土方が声をかけると、山崎は大きく首を振って、なんでもないです!と声を上げた。その反応に沖田はすぐさま刀を抜き山崎に翳す。
「何でもねぇ反応じゃないんですかねぇ」
 突然の沖田の行動に目を丸くした近藤は、慌てて刀をしまうように沖田にいうが、彼は口を尖らせて一向に刀を山崎から外す様子はない。それに顔を青くした山崎は、えっとですね……と渋々口を開いた。
「着痩せするタイプですよ、彼女」
「はぁ?」
 沖田だけではなく、近藤と土方も同じように声を上げる。その反応に山崎は、それだけです、と言い沖田に刀をしまうように懇願する。
「……何で山崎が知ってるんですかぃ」
「そりゃ服作ったり、着付け手伝ったりしてるからだろーが。総悟、刀いい加減しまえ」
 沖田の言葉に土方は呆れたように声を上げた。実際正月の着付けを手伝ったり、監察の潜入用の服なども作っているのだから、身体のサイズを知っていても別におかしくない。それに不服そうに沖田は舌打ちをしたが、漸く刀をしまった。
「……そんでさ、山崎、ぶっちゃけどれくらい?」
 そっと山崎の側へ寄って近藤が小声で聞くと、山崎は呆れたような顔をする。
「流石に個人情報なんで言えませんよ。見るほうが早いですし。ただ……」
「ただ?」
「あんまり体型は話題にしないほうがいいと思いますよ。和服着るのに不便ってのもあって本人恥ずかしそうだったんで」
「え?そうなの?」
 近藤は山崎の言葉に驚いたような顔をする。女性と男性では着物の着方も違うのでピンと来なかったのだろう。逆に女装して座敷に上がったり、着付けなど習得している山崎はどう説明したらいいか思案する。
「うーん。そもそも和服って体型があんまり出ない作りじゃないですか」
「そうだね」
 正座をして聞く近藤の姿に、山崎は苦笑しながら言葉を続けた。
「彼女の場合は、こう、どうしても胸の辺りが目立つんで、こうワザと腰回りに余計なクッション入れてウエスト調整してフラットにしてるんです。わかりますかね?」
 いざ説明するとなると難しいな、と思いながら山崎は説明を始める。
「隊服でも胸は目立ってねぇですぜ」
「要するにアンダーとウエストが細いタイプなんです。というか、セクハラじゃないですかこの会話。やばくないですか?」
 途中で我に返ったような山崎の発言に、沖田はニヤニヤ笑い、近藤は、あ!駄目かな!と慌てたように土方の表情を伺う。すると土方は近藤を一瞥すると、その辺にしとけ、と短く言う。
 その反応に山崎は漸く開放されると、ホッとしたような表情を作ると、土方から受け取った最後の書類を束ねると部屋を出て行った。
「そっか。着痩せするタイプか。知らなんだ」
「知らない事に驚きでさぁ」
 呆れたような沖田の言葉に、近藤は困ったように笑った。


 いざ当日にプールにつくと、予想以上に女性客が多く近藤と土方は唖然とする。ちらほら見た顔が松平に手を振っているのを確認して土方は唸るように言葉を放った。
「とっつあん……キャバ嬢呼んだのかよ」
「あぁ。そんでも足りねぇから、さっちゃん経由で御庭番衆と吉原の面子も呼んだ」
「はぁ!?」
 さっちゃんって誰よ!と一瞬土方は思ったが、時折松平が仕事を頼んでいるくノ一であるのを思い出し、思わず周りを見渡した。先に入っているサクラ隊士は、仕事など宇宙の彼方にぶっ飛んだような顔をしてデレデレと女達と遊んでいる。
「うむ。皆楽しそうだな」
 松平と土方のやりとりが聞こえていなかった将軍は、賑やかな周りの様子にそわそわとしている。すると将軍は少しだけ驚いたような顔をして近藤に言葉をかけた。
「真選組の者も客に混じっているのか?」
「え?はい。流石にこの場所ですと我々も丸腰ですので、念の為に」
「そうか。仕方ないな」
 将軍の視線の先を確認した近藤は、あ、と声を上げる。ベンチに沖田とリンドウが並んで座っておりお茶を飲んでいたのだ。恐らく将軍は彼女の顔を覚えていたのだろう。
「松平さま〜」
 きゃっきゃと賑やかな面子が松平と将軍を囲み、今日はご招待ありがとうござますー、と嬉しそうに笑った。
「将ちゃんも一人じゃ寂しいだろうから、キャバ嬢も誘っておいた」
「そうか。色々と済まない」
「こっちこっち!」
 キャバ嬢に手を引かれ、松平と将軍は賑やかに近藤達の側を離れていった。それを見送った近藤と土方はため息をつくと、元々決めていた場所に陣取り椅子に座る。その場所には外と連絡を取るための小型無線機が目立たないように設置されていて、土方は面倒臭そうに小型無線機に将軍が遊びに入った旨を伝える。
「こっちはもういいからアイツに泳ぎ教えて来いよ」
「え!?全然護衛してないんだけど」
「護衛っつーよりは、監視員だろコレ。俺はここじゃねぇと煙草吸ぇねし気にすんな。じき山崎も来るし」
 公共施設故に喫煙場所は限られており、この場所は一日中座るであろう土方の為に一応灰皿を設置している。そんな話をしていると、ほてほてと沖田とリンドウが寄ってきた。
「サクラだって事忘れてんじゃねぇの」
「何いってんですかぃ。上様明らかにリンドウの顔覚えてる面だったじゃねぇですかぃ。どうせ近藤さんに泳ぎ教えてもらったらバレるんですから構わないじゃないですかぃ」
 そう言われればそうか、どうせ真選組も混じっているということは将軍も承知している、と納得し、土方は、さっさと行けよ、と近藤を促す。
「そんじゃリンドウ、ビート板でしたっけ、アレ借りて来て下だせぇ」
「あ!そうですね!行ってきます!」
 パタパタとリンドウが離れたのを確認し、沖田は手を振って見送ると近藤の方を見る。
「ムラムラですかぃ?」
 パーカーを羽織っていたリンドウであるが、ワンピースであろう水着から見える足は細く、色も白い。そしてちらりと確認した魅惑の谷間。
「何アレ!?むりむりむりむり!どうしよう!ムラムラしないとか何この罰ゲーム!」
 あああああああ!と声を上げて頭を抱えしゃがみ込む近藤を見下ろし、土方は呆れたような顔をすると煙草の煙を吐き出した。
「総悟、一緒に行ってやれ。何つったっけか……近藤さんセクハラ対策委員長」
「任せてくだせぇ!ムラムラしたのを確認したら、一息に近藤さん沈めまさぁ」
「怖い!」
 そう言えばそんな設定もあったなと思い出した土方の言葉に、沖田はニヤニヤしながら近藤を眺めるが、近藤は近藤で頭を抱えたまま涙目になっている。そこにリンドウが戻ってきて、驚いたように近藤を眺める。
「え!?あれ!?どうなさったんですか!?」
 慌てた様なリンドウの様子に近藤は立ち上がると、えっとね……ともじもじとしだす。気持ち悪いと心の中で思いながら沖田は近藤の尻を蹴り、いきますぜぃ!と二人を連れて歩き出した。
 それを見送った土方は、煙草の煙を吐き出しながら辺りを見回す。まぁ、確かに監視員だろコレ、とやや呆れた気分になってくる。
「あ、局長もう行ったんですか?」
 お茶を持ってやってきた山崎の言葉に土方は頷くと、受け取ったお茶を飲みながらつまらなさそうに言葉を放つ。
「どいつもこいつも浮かれやがって」
「まぁ、隊士への慰安も込めてとか言ってましたからねぇ」
「手前ェも適当に行っていいぞ」
「俺はいいですよ。気後れしちゃって駄目ですね」
「……そうか」
 近藤が座るはずであった椅子に山崎は座ると、将軍の方へ視線を送った。キャバ嬢達とビーチバレーをしているようだ。表情の起伏は薄いがそれなりに楽しそうに見えるのだから不思議だと思いながら、山崎は土方の表情を伺う。
「しっかしよくもまぁこんだけ集めたもんですねぇ」
「莫迦じゃねぇのって思うけどな」
 キャバ嬢だけでは飽きたらず、くノ一・吉原の人間までかき集めたのだ。そもそも公費をこんな所で使って大丈夫なのかと些か心配になるが、もしかしたら貸し切り費用だけで、他はある意味プールに招待と言う形で経費はかかっていないのかもしれない。そんなどうでもいい事を考えながら、土方は煙草の煙を吐き出した。


 ビート板を抱えて待機していたリンドウは沖田と並んで近藤の前に立つと少し恥ずかしそうに、よろしくお願いします、と頭を下げる。それを眺め近藤は大きく深呼吸をすると、平常心、平常心、と呪文のように心の中で唱えて口を開いた。
「えっと、全然泳げない?」
「はい……申し訳ありません」
「いやいや!じゃあバタ足かな?」
 沖田を伺うように近藤が言葉を発すると、彼もそれに同意なのか頷きリンドウの手を引いて水の中に入る。
 パーカーは脱がれ、顕になった肌は白い。ほっそりとした腰と足を眺め近藤は、上も駄目だけど下も駄目だ!と心の中で頭を抱えた。
「あれ?足つかないんですけど……」
 プールの端にへばり付き、不安そうにしているリンドウを眺め近藤は驚いたように声を上げた。
「もっと浅いプールってないの総悟」
「子供用になっちまって、腰程度でさぁ」
 うーんと唸りながら近藤も水に入って見る。長身の近藤で肩の辺りなのだから、小柄なリンドウだと確実に沈む。
「スパルタで行きやしょう!」
「え!?あの!お手柔らかにお願いします」
 沖田の言葉に吃驚したようにリンドウは声を上げると、近藤は思わず笑う。それで緊張が解れたのか、さて!はじめようか!と元気よく声を上げた。
 別に沖田は泳げないわけではないので一緒に習う必要はないのだが、近藤の指示通り並んでバタ足をする。手本のつもりなのだろうと、近藤は笑いながら、総悟うまいぞー、と頭をポンポンと軽く叩く。
「当たり前でさぁ」
 一方リンドウはというと、緊張のせいか身体が固く、見事に尻が沈んでいる。それを見て、ありゃりゃ、と沖田は声を上げると近藤に視線を送った。
「ハルちゃん、大丈夫だから力抜いてみて」
「はい……」
 ぎこちない表情で一生懸命バタ足をする姿は可愛いが、これでは泳げるようになるまで時間がかかるだろうと、近藤は彼女の腹に手を添えた。
「力抜いたらこんな感じで浮くから」
 リンドウは吃驚した様な表情を作ったが、頷くと、少し力を抜いてみる。近藤の支えがあるから沈むことはないと安心したのだろう。水しぶきを上げて漸くバタ足がそれらしくなった頃に、近藤は腹の支えを外してみる。すると彼女の尻は沈むことなく、沖田と同じようにバタ足は十分に形になっていた。
「うんうん。大丈夫」
「そうですか?」
 近藤の言葉にリンドウは漸く固かった表情を綻ばせる。それを眺め、沖田は笑うと側に置いてあったビート板を近藤に渡した。
「そろそろ良いんじゃないですかぃ?」
「そうだね。それじゃぁ、コレで練習しようか」
 リンドウは頷くと、ビート板をしっかり抱えて水に浮いてみる。とりあえず近藤が支えてくれているので沈みはしないが、流石にフワフワと不安定なのが心配なのか、しきりに近藤の方を見上げる。うん、コレはイカン、集中集中と心の中で唱えながら、近藤はゆっくり彼女のビート板を引っ張る。
「それじゃゆっくり行こうか」
 こくこく頷き、バタバタと水しぶきを上げてバタ足を始めるリンドウ。足がつかないということもあり、プールの端っこを少しずつ移動してゆく姿を沖田は器用に立ち泳ぎしながらついて行く。
 顔にかかる飛沫を気にする様子もなく、リンドウがせっせと足を動かしてる姿を眺めながら、沖田は笑い少しリンドウの腹を支えてやる。
「リラックスしてくだせぇ。近藤さんがいりゃ沈んでも直ぐに引き上げてくれますぜぃ」
「はい」
 二十五メートルも半分といった辺りで、リンドウも少しビート板の不安定さに慣れてきたのか、体の力も抜けてきて沖田の支えなしでもそれなりにさまになってくる。
「うん、うん、いい感じだね。あと半分頑張ろうか」
 嬉しそうに近藤が言うと、リンドウは、はい、と笑い、また真剣な表情でバタ足を始める。これだけ安定してきたら、次は顔を水につけて練習がいいか、それともビート板無しで練習してみるか、と近藤が思案していると、突然頭上から声がかかり、リンドウも近藤も動きを止めた。
「順調か?」
「上様!」
 近藤が慌てて敬礼すると、リンドウもそれに習い慌てて敬礼しようとする……が、そのまま水の中に静かに沈んだ。
「ハルちゃん!?」
 思わずビート板を手放し足の付かない水中に沈むリンドウを慌てて近藤が引き上げると、彼女は涙目になりながらプールサイドにへばり付き、咳き込みながらも敬礼しようとジタバタとする。
「よい!目立っても困る」
 慌てたように声を上げた将軍を見上げ、リンドウは申し訳無さそうに頭を下げるだけにとどまる。リンドウが沈んだ時に飛び込んで助けようとしたのか、中途半端な中腰状態になっていた将軍は、困ったように笑いながら口を開いた。
「邪魔をしたな」
「いえ、申し訳ありません」
 リンドウの言葉に、近藤も一緒になって頭を下げる。護衛任務の事をすっぽりと忘れていてバツが悪かったのだろう。しかしながら将軍はそれを気にした様子もなく、少しだけ口元を緩め言葉を放った。
「水練か。早く上達するといいな」
「はい。有難う御座います」
 リンドウは恥ずかしそうに笑うと、そう返事をする。そんな中、沖田がしれっと放った言葉に、一同凍りついた。
「上様、とりあえず鼻血拭いて下だせぇ」
 差し出された手ぬぐい。近藤はぽかんとした表情で将軍を見上げるが、直ぐに横を向きリンドウを眺めた。
 必死でしがみついているために、ぽてんとプールサイドに乗せられた野郎の夢と希望の詰まった見事な膨らみ。そして、それを見下ろす将軍の位置。うん、仕方ない、と思いながらもとりあえずリンドウを水から引き上げようと、先に上がると、彼女に手を差し出した。
「すみません」
 リンドウが近藤の手を取り、漸く彼女は水から上がる。すると沖田が直ぐに彼女にバスタオルをかけ、少し休憩したいんでお茶買ってきてくだせぇ、とその場を離れさせた。
「鼻血止まりやしたか?」
「済まない」
「コラ!総悟!」
 沖田の言葉に対して、窘める様に近藤が口を開くと、将軍は、よい、と短く言いリンドウの後ろ姿を眺めた。
「ずいぶん熱心に練習していたようだな」
「はい。本人も泳げないことを気にして様でして……」
「そうか。あの調子なら早くに泳げるようになりそうだな。近藤、護衛は土方が十分やってくれている。じっくり水練に付き合ってやってくれ」
 将軍の言葉に近藤は驚いたような表情をしたが、直ぐに、了解しました、と返答した。
 その後直ぐにキャバ嬢が将軍を呼びに来たので、沖田と近藤は、ほぅ、と一息つく。
「総悟頼むよ、上様だよ、偉いんだよ」
「エライさんが鼻血出してるの放っとく訳に行かないじゃないですかぃ」
「そりゃそうだけど……」
「まぁ、しかたないでさぁ。実にけしからん角度でしたし」
「……え?そうなの。けしからん角度だったの」
 見たかった!!!!!!!と頭を抱えて声を上げる近藤を尻目に、沖田はちらりと時計を確認する。じき昼になる。小腹が減ってきたし、リンドウが戻ったら昼休憩にしようと勝手に決め、彼女が戻ってくるのを待った。


 戻ってきたリンドウから茶を受け取ると、少し早いが昼食にするため、一同売店で昼食購入する。そして、一度土方の所へ戻ることにした。土方も座りっぱなしで息抜きがしたいだろうし、昼食の購入も行きたいだろう、そう考えての事であったが、椅子に座り煙草を吸う土方の表情が険しく、将軍に何かあったのかと近藤は慌てて土方に声をかけた。
「トトトトトシ!?どうした!?」
「……どーもしねぇよ。つーか、もう戻ってきたのか」
 近藤達に気がついた土方が、相変わらず不機嫌さ全開の表情を浮かべたまま口を開いたので、近藤は困惑しながら、昼休憩取ろうと思ってな、と言葉を放った。そこで漸く時間に気がついたのだろう、土方は時計を眺め、小さく舌打ちをした。
「トシ……えっと、上様の監視はご飯食べながらこっちで交代でするし、休憩してきたら?」
 恐る恐ると言うような表情で近藤が言うと、土方はちらりと山崎に視線を送った後に、行ってくる、と煙草をもみ消し立ち上がった。
 山崎がほぅ、と息をついたのを眺め、近藤は小声で山崎に声をかける。
「トシどうしちゃったの?」
「……えーとですね、ちょっと問題がありまして……」
「上様に何かあったの!?また鼻血吹いたの!?」
 近藤の言葉に慌てて山崎は首を振ると、少し言い難そうに口を開いた。
「万事屋の旦那も来てたんですよ」
「え!?そうなの?」
 慌てて辺りを見回すが、ボチボチと昼休憩に入っている面子も多く、万事屋の姿は見当たらない。沖田とリンドウは側の椅子に座ると、先にたべますぜ、と声をかけて昼食をとりだした。それに笑って頷く近藤であったが、うーんと腕を組んで唸った。
「万事屋と喧嘩したのか?」
「いえ、旦那とは全然接触もなかったんですけどね、そのー、旦那と一緒にですね……うちの先生が来てまして……」
 恐らくサクラの任務を万事屋も請け負ったのであろうと言うことは近藤にも理解できた。さっちゃんと知り合いなのだから、声をかけられたのだろう。そして、山崎の先生である三味線屋も万事屋の関係者と言えば関係者であるし、人数集めに誘われたということがあっても、然程おかしい事ではない。そう思い近藤が首を傾げると、山崎は苦笑いをする。
「うちの隊士が、しつこく先生に声をかけてたもんで、イライラしてたみたいなんです」
「……あー」
 三味線屋が高杉にちょっかいかけられるのも気に入らない、坂本と宇宙に行くのも面白くない、佐々木はいい加減諦めろ等本気で思っている土方である。近藤は知らないが、一応飲み友達から恋人に昇格しており、逆にそれを知っている山崎は、隊士を斬りつける前にと、慌ててしつこく言い寄っていた隊士に、土方の知人であることを伝えに言ったのだ。知人でも別に遊ぶぐらい構わないだろう、と隊士も言いかけたのだが、土方の表情を見て、早々に逃げ出した。そんな事を数回繰り返していたのだ。寧ろ土方のイライラより、すっ飛んでいった山崎の方が大変だっただろうと、近藤は苦笑すると、お前も休憩とれよ、おつかれさん、と笑った。
「あと5分で入れ替え連絡なんで、それ終わったら休憩します」
 そう言って笑った山崎を見て近藤は安心したように漸く昼食をとりだした。

 さて、午後からはどうしたものかと思っていた近藤であるが、とりあえずある程度一人で泳げるようになったほうが良いだろうと、山崎が戻ってきたのを確認し、リンドウに声をかけた。
「ハルちゃん大丈夫?練習どうしようか」
 するとリンドウはビート板を抱えて、お願いします!と頭を下げた。逆に沖田は、山崎の隣の椅子でひらひらと手を振って口を開いた。
「俺はもう少し休憩してから行きまさぁ。先行ってて下だせぇ」
「そうか。それじゃ行こうか」
「はい」
 並んでまた練習に向かう二人を眺めながら、沖田はニヤニヤと笑う。
「嬉しそうですね」
「微笑ましいじゃないですかぃ」
 そう言うと、沖田はどこから調達したのか双眼鏡を取り出し、将軍そっちのけで近藤とリンドウの様子を観察しだした。

 午後からはとりあえずビート板で二十五メートルを目標にスタートをする。
 初めこそ近藤が引っ張ってやらないと中々進まなかったが、段々とコツを掴めてきたのか、とりあえず溺れることなく進んでいくことは出来るようになった。
「それじゃ次はビート板ナシで」
「え……」
 不安げにリンドウが声を上げたので、近藤は笑いながら手を差し出した。
「力抜いてね。ちゃんと浮くから」
「はい」
 それでもぎこちなく力が抜けない様子なので、近藤はうーん、と短く唸った後に、彼女の頭をポンポンと叩く。
「手を放さなきゃ大丈夫だよ」
「はい……お願いしますね」
 うん、今反応が可愛すぎて放しそうになった、と思いながら近藤は笑う。
 響く水音と、近藤の励ましの声。他の隊士がチラチラと視線を送ってくるが、リンドウの方は必死で気が付くこともなく、近藤は近藤で、リンドウから視線を離すことがなかったので気がつかない。
 なんとか二十五メートル泳ぎ切った辺りで、頭上から声がかかり、二人は顔を上げた。
「そろそろ波のプール動くらしいですぜぃ」
 その言葉にリンドウは目を丸くしたが、申し訳なさそうに笑った。
「でもまだ一人では泳ぎ切ってませんので……」
 すると沖田はニンマリ笑い、ぽんと持っていた大きめの浮き輪をリンドウに投げた。
「それは次回のデートのお楽しみにして下だせぇ。ずっと練習じゃ疲れまさぁ」
 ちらりと近藤の方をリンドウが眺めると、彼は笑って、行こうか、と水から上がり彼女を引き上げた。

 時間限定で波を発生させるプールには人が集まっており、動くのを今か今かと待っている様子であった。
 自分の分の浮き輪を装着した沖田は、催促するように近藤に声をかける。
「じゃぁ近藤さん、俺とリンドウを頑張って運んでくだせぇ」
「え!?運ぶ!?」
「だんだん深くなってくるんでさぁ」
 さぁさぁ!と沖田に促され、近藤は沖田とリンドウの浮き輪の紐を持ち、段々と奥へと入ってゆく。
 沖田の言うとおり、段々と深くなってゆくプールであるが、リンドウは近藤の顔を眺めながら、楽しそうに笑う。
「?」
「いえ、すみません。練習途中だったんですけど、やっぱり楽しくて」
 首を傾げる近藤に、リンドウが申し訳なさそうに言うと、彼は、俺も楽しいし、と笑った。
 浮き輪装着組の足がつかなくなる頃には近藤もどっぷり水に浸かる状態で、漸く近藤はそこで重大な事に気が付く。
「アレ!?この状態で波来たら、俺水没するんじゃない!?」
「今頃気がついたんですかぃ」
「ええええええ!?ちょっと酷いよ!!!!総悟!!!!」
 大騒ぎを始めた近藤であるが、それとほぼ同時に、波を発生させるむねのアナウンスが流れ、言葉は中断され、水に沈む近藤。慌ててリンドウがバタバタと足をばたつかせ移動し、近藤の手を引くと、彼は勢い良く水から飛び出してきた。
「うわ!次来る!?」
「はい」
「えええええええ」
 やいのやいの大騒ぎしながら近藤は波を受け、その度に沖田は爆笑する。浮き輪ならば水の上を滑るが、近藤はそうも行かないのだ。
「少し浅い所に行きましょうか?」
「うん」
 リンドウと沖田の紐をまた引っ張って移動する近藤は、波の様子を見ながら、丁度良い感じの場所を探す。
「重くないですか?」
「水の中だしね。あー、俺も浮き輪にすればよかったー」
「次はそうしましょう」
 そう言われ、近藤は少しの間リンドウを眺めたあと、嬉しそうに笑った。
「そうだね、次が楽しみだ」


 丸一日かかった将軍の護衛任務も漸く終わり、近藤と土方は他の隊士より遅れて屯所に戻った。松平を見送ったのだ。このままキャバクラに拉致されたらどうしようか等と思っていたが、流石に松平も疲れたのだろう、まっすぐ家に戻るといわれ、近藤も土方もホッとしたような表情を浮かべた。
「……流石に疲れたな……半分遊びだったけど」
「そーだな」
 近藤の言葉に土方は煙草の煙を吐きながら、つまらなさそうに言葉を零した。日はとっくに暮れ、屯所の食堂も閉まるか閉まらないかと言う時間。
「近藤さん、飯どーする」
「一旦着替えて適当に外で食べるわ。トシは?一緒にいく?」
「ちょっと飲んでくる。じゃぁな」
 元気だなーと心の中で思いながら、近藤はのろのろと部屋に戻ると着替え、そこで漸く己の携帯に視線を落とした。
「あれ?」
 メールの着信を知らせるランプ。なんだろうと開いた後に、近藤はダッシュで監察室に飛び込んだ。
「ごめん!今メールに気がついて!」
 しかし返事はなく、近藤は俯きながら薄暗い監察室の明かりをつけた。
 本当はもっと早く戻れる筈であったので、あと30分ぐらいで戻る予定だとリンドウに送ったのはかれこれ2時間前。将軍を送り届け、松平を送り届け、結局遅れに遅れてしまった訳である。てっきり近藤は彼女が家に帰るのだろうと思い込んでいたが、彼女は待つことを選んで、その旨メールを送ってくれていたのだ。
「あー」
 項垂れる近藤であったが、そこで漸く監察室の隅で何か動いたのに気が付きそっと側に寄る。
「……ハルちゃん?」
 丸くなって毛布を被って寝ているリンドウ。声をかけると彼女は飛び起き、近藤の顔をしばらく眺めたあと、すみません!と頭を下げた。
「ちょとだけと思って横になったら、あっという間に眠くなってしまって……」
 慌てたように毛布を抱きしめて言う彼女を眺め、近藤は逆に申し訳なさそうな顔をして笑った。
「うん。プールの後って眠よね。俺も車で寝てたし。……あと……またせてごめんね」
「え!?」
 そう声を上げると、リンドウは漸く時計に視線を送った。
「……すみません、私ずいぶん寝てたみたいで」
「いやいやいやいや、俺がね、さっき帰ってきたんだ。メール気が付かなくって、ハルちゃん待ってると思わなくて。えっと……ごめんね」
 謝り合戦に突入仕掛け、近藤は伺うように彼女に言葉を放った。
「遅くなちゃったけど、一緒に夕飯食べようか。食堂は駄目だけど、外に行けば店もあるし……えっと、疲れちゃったかな?」
 近藤の言葉にリンドウはぶんぶんと首を振ると、嬉しそうに笑った。
「はい!行きましょう!」
「そっか、良かった」
 そう言うと近藤はリンドウに手を差し出す。その手を取ってリンドウは恥ずかしそうに立ち上がった。
「何がいいですか?」
「ハルちゃんが食べたいものがいいかな」
「……うどんになっちゃいますよ」
「うん。じゃぁそうしようか」
 そう言うと、二人は笑って、監察室を後にした。

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