*待てば海路の日和有り*

 その日、山崎は朝イチに鳴った携帯電話をとって思わず顔を顰めた。今日は休みで、三味線の稽古に行くつもりだった山崎であったが、その前にと、荷物を纏めると局長室に足を運ぶことにした。
 朝の局長室には近藤がTVニュースを見ながら座っており、他に人はいない。山崎が小さく頭を下げて部屋に入ると、近藤は不思議そうな顔をして彼に声をかけた。
「どーした山崎」
 格好や荷物を見るに、三味線の稽古へ行く前だということは分かる。すると、山崎は困ったように笑うと、口を開いた。
「リンドウさん風邪をひいたみたいなんです。今日は元々俺も、彼女も休みなんですけど、長引くかもしれないんで、って電話ありました」
 その言葉に近藤は凍りつき、しばらく無言で山崎の顔を眺めていたが、ようやく、え!?っと声を上げた。
「そんなに酷いの?」
「さぁ。熱は高いみたいです。稽古の帰りに様子は見に行こうと思ってるんですけど」
 途端にそわそわしだした近藤を見て、山崎はやはり聞いてなかったのかと思わずため息をつく。リンドウのことだ、心配かけては申し訳ないと、休みなのをいい事に、近藤には内緒にしていたのだろう。仕事の心配はあるので、自分には連絡をくれたのだろうが、余りにも予想通り過ぎて山崎は苦笑しながら言葉を零した。
「それじゃぁ、行ってきます」
「あ!山崎!あのな……」
 立ち上がった山崎を見て、近藤は慌てて声をかけたが、次に言うべき言葉が見つからないのか、そのまま不自然な沈黙が部屋に降りる。
「稽古の帰りに副長拾って帰りますよ。文句つけられないように仕事、ちゃんと片付けておいてくださいね」
「トシがどこにいるのか分かるの!?」
「えぇ。まぁ」
 今日が休みの土方は、昨日の晩に飲みに行って帰ってない。ということは、十中八九、山崎の三味線の師匠の所にいるのだろう。そんなことを知らない近藤は、リンドウの見舞いに行くために、土方を呼び戻していいものかどうか悩んだが、山崎が連れて帰ってくるという言葉に甘える事にした。
「すまなんだ。頼んでいいか?」
「はい」
 どうせ、休みだと言っても先生の家でゴロゴロしているだけならば構わないだろう。そう思い、山崎はにこやかに返事をすると、局長室を後にした。

 

「稽古の前にちょっといいですか?」
「なぁに?」
 山崎は稽古場に着くと、勝手口で三味線屋にそう言い、副長はいますか?と聞く。すると彼女は、瞳を細めて笑うと、口を開いた。
「寝てると思うけど。お仕事?」
「リンドウさんが風邪ひいたんで、局長がお見舞いに行きたいみたいなんですよ。屯所空けるの気にしてるみたいなんで、折角の休みですけどちょっと戻ってもらおうかと。先生と何か約束されてますか?」
 念のために聞いてみるが、彼女は小さく首を振ると、なんにも、と笑った。休みの日に土方はよく訪れるが、大概家でゴロゴロしているのだ。今日もどうやら同じらしいと判断した山崎は安心したような顔をすると、一旦荷物を座敷において、土方を起こしに行った。
 余り山崎の入ることのない三味線屋の私室に敷かれた布団で寝ている土方を見て、山崎は思わず呆れたような顔をする。いつも思うのだが、何故土方が布団で寝て、彼女は座敷で寝ているのだろうかと。
「副長起きてください」
 声をかけると、土方は不機嫌そうに眉を顰めた後に、うっすら瞳を開けて山崎の方を見る。
「なんだ?稽古か?」
「そうです」
 そしてその後に、先程三味線屋に話した事情を同じように繰り返し、山崎は、稽古が終わったら一緒に帰ってくださいと締めくくった。起き上がった土方は面倒くさそうに頭をかくと、解った、と短く返答し、小さく欠伸をした。
「三味線屋!風呂借りる!」
 そう言って立ち上がった土方を見上げて、山崎は呆れたような顔をした。布団を借りるのも、風呂を借りるのも全く抵抗がないどころか、当たり前のような顔をしている。それは以前から知っていたが、目のあたりにするとやっぱり奇妙だと思ったのだ。恋人同士でもない、飲み友達。こうやってみると、近藤とリンドウコンビよりよっぽど親密に見える。
「半刻ぐらいで稽古終わりますから」
「すぐに帰らなくていいのか?」
「早く帰っても、局長の仕事が終わってませんよ」
 怪訝そうな顔をした土方にそう言うと、山崎はそう言って笑った。

 屯所に戻った二人は、とりあえず一緒に局長室に向かう。昼休憩まであと少しといった所であろう。局長室では近藤がせっせと書類を片付けており、二人が入ってきたのを見てぱっと顔を上げた。
「戻ったか」
「はい」
 近藤の言葉に山崎が返事をすると、近藤は土方に視線を向ける。すると、土方はわずかに眉を上げて、はかどってるか?と冗談交じりの口調で聞いた。
「これで終わりなんだけど……、あのさ、トシ……」
 言い難そうにしているのを見て、土方は苦笑すると、煙草に火をつけ近藤の正面に座る。
「なんだ?」
「えっとね、ハルちゃんが風邪ひいたみたいでね、お見舞いに行きたいんだけど……」
 ゴニョゴニョと小声で言う近藤に、土方は苦笑すると、今日の分の仕事が終わったらな、と短く返答した。それに対してぱぁっと表情を明るくした近藤は、積んである書類に視線を向けて頷く。
「ここにある分で終わりだから」
「普段からこまめに片付けろよ」
 呆れたような土方の口調に、近藤は申し訳なさそうな顔をすると、山崎に視線を送った。
「もうハルちゃんの所に行く?」
「局長の仕事が終わるまで待ちますよ。大体、リンドウさんの家の鍵、持ってないでしょ?」
「……え?山崎持ってるの?」
「えぇ」
 そう言うと、山崎は三味線を片付けるためか、さっさと局長室を出て行く。それをぽかんと見送った近藤は、しばらく考え込んだ後、口を開いた。
「なんで山崎が持ってるの?」
「一人暮らしの隊士の鍵は相棒が予備持ってんだよ。何かあった時用にな。本来は見舞いに使うためじゃねぇけど。あんた書類ちゃんと判子押すとき見てんのか?」
 土方の言葉に近藤は驚いたような顔をする。どうやら、そんな書類も気がつかなかったがあったのかもしれない。そもそも、リンドウと山崎が相棒になってからは随分経っているので判を押したと言ってもずっと前の話であろう。
 見舞いの場合はチャイムを鳴らして家に入れてもらえばいいのかもしれないが、熱が高い彼女を床から起こさねばならないのも申し訳ないし、一本電話でも入れて勝手に家に入った方がいいと山崎は判断したので鍵の話をしたのだろう。
「……トシはさ、合鍵とかもらってる?」
 しょぼしょぼと判を押しながら近藤が呟いたので、書類をチェックしていた土方は勢い良く煙を吐き出すと、はぁ?と間抜けな声を上げる。
「合鍵って誰の?」
「トシの彼女?」
 なんで疑問形なのだと突っ込みたいのを堪えながら、土方はその質問に対して、どう返答すべきか判断に悩む。
「彼女とかいねぇし」
「え?」
「……そもそもなんでいると思ったんだよ」
「休みの時は屯所にいないし、彼女とデートかなぁって……思ってたんだけど」
 自信なさそうな近藤の言葉に、土方はどうしたものかと眉を上げる。
「飲み友達んとこだよ。朝まで飲んで、寝てる。そんだけ」
 その言葉に、腑に落ちない様な顔を近藤がしたので、土方は面倒くさそうな顔をすると、煙草の煙を吐き出した。
「別に俺のことはいいだろーが」
「飲み友達って、例の、山崎の先生?」
「……そだーよ」
 それ以外に近藤は、土方の飲み友達を知らなかったのだ。真選組の面子以外になると、意外と土方は交友が狭い。
「合鍵持ってる?」
「そこに戻るのかよ」
 呆れたような顔をした土方であったが、書類に視線を落としながら、持ってるけど使ったことねぇよ、と短く返答する。
「持ってるんだ!俺だけ持ってないんだ!」
 頭を抱えて突っ伏した近藤に、土方はぎょっとすると、書類を置いて煙草のをもみ消した。
「大体合鍵なんてどーでもいいじゃねぇか。つーか、アイツの家いっつも鍵あいてっから持ってても意味ねぇし!」
「なんで俺貰えないんだと思う?」
 机に突っ伏したまま近藤が涙声で言うので、土方は呆れたように視線を落として、新しい煙草に火をつける。山崎に関しては隊の規定なのだから、持っていてもおかしくはない。そして、何故自分を引き合いに出すのだとイライラしながら土方は口を開いた。
「タイミングなんじゃねぇの?」
「タイミング?」
「大体今まで必要なかったじゃねぇかよ。だから渡してない。以上」
 会議で発言するかのように棒読みで締めくくった土方に視線を送った近藤は大げさに溜息をついた。逆に土方は、つまらない事を気にする近藤に些か不機嫌そうな顔を作った。
「でもさ、一応……恋人同士な訳だし……。今回も風邪引いたのに山崎には連絡して俺には連絡なかったし……」
 ぼそぼそと言う近藤に、土方は思わず瞳を細めた。リンドウの性格的に、人に頼る事が滅多にない分、近藤は物足りないのだろうと。他の隊士の中には、我侭な恋人に振り回されて苦労している面子もいるというのに、随分贅沢な悩みだと思いながら、土方は煙草の煙を吐き出した。
「とりあえず仕事片付けちまえよ。合鍵云々以前に、見舞いにも行けねぇんじゃねぇの?」
 土方の言葉に、近藤は些か不服そうな顔をしたが、渋々仕事を続けた。その様子を眺めながら、土方は、幸せな悩みだと思い、思わず小さく溜息を零した。

 

 リンドウの家は真選組の屯所から歩いて10分足らずの場所にある。その道程を近藤と山崎は荷物を抱えて歩いていた。荷物の中身は沖田からの見舞いの品である。沖田も見舞いに行くと言い張ったが、結局仕事の都合と、病人のところへ押しかけるのも迷惑だと言う事で諦めた形となる。渋々だが納得した沖田は、リンドウの為に果物やらを近藤に持たせたのだ。
 玄関の前まで行くと、山崎が鍵を取り出して施錠を外した。昼過ぎに様子を見に行くという連絡はしていたので、チャイムも押すことなく、そっと二人は部屋の中へ入る。
 リンドウは襖で仕切られた奥の部屋で寝ているのか、手前の部屋には誰もない。そして、いつもどおり綺麗に片付いていた。山崎が見舞いの品を冷蔵庫に片付けている間、近藤はそわそわと落ち着きのない様子で部屋をうろうろしていたので、山崎は呆れ顔で言葉を発した。
「食事はとったか聞いてきてください。食べてなければ何か作りますから」
 その言葉に頷くと、近藤はそっと襖を開ける。すると部屋には、布団に入ったリンドウの姿が見え、近藤は恐る恐るといった様子で傍に寄っていく。
「……ハルちゃん」
 起こしてもいいものかと思いながら声をかけると、リンドウはぱちっと目を開けて飛び起きた。
「近藤さん!」
「あ!寝たままでいいから!」
 慌てて近藤がリンドウの肩に手をかけて寝かせようとすると、彼女は申し訳なさそうな顔をして口を開いた。
「あの、お仕事は……」
「大丈夫、午前中に全部終わらせたから」
 その言葉に一瞬だけほっとしたような顔をしたが、彼女はしゅんとした表情になる。
「こんな格好で申し訳ありません」
「病気なんだからいいよ。えっと、ご飯食べた?山崎が何か作ってくれるみたいだけど」
 その言葉にリンドウは小さく首を振った。おそらく起き上がるのも億劫で食事も取らずに寝ていたのだろう。返答に頷くと、近藤は山崎にそのことを伝えて、再度戻ってくる。
「はい、ご飯できるまで寝てて」
 近藤にそう言われ、ようやくリンドウは再度横になった。すると近藤は、枕元にちょこんと座り、リンドウの額に手を当てる。
「薬は?医者には行った?」
「市販薬飲みましたので大丈夫です」
 医者にかかるほどではないとリンドウは笑うと、ひんやりと冷たい近藤の手に瞳を細めて笑った。
「冷たくて気持ちいいです」
 すると近藤はガバッと立ち上がって、バタバタと部屋を出て行った。それに驚いたリンドウは暫くぽかんとしたいたが、すぐに近藤が濡れタオルを持って戻ってきたので首を傾げた。すると、近藤は濡れタオルをリンドウの額に乗せる。
「どう?」
「有難うございます」
 リンドウの言葉に近藤はほっとしなような顔をすると、彼女の布団をかけ直す。
「ご飯できましたよ」
 山崎が盆に雑炊を乗せて入ってきたので、近藤はそれを受け取る。すると山崎は、桃も切って冷蔵庫に入れてありますから、と短く言う。
「すまなんだ」
「いえ。それじゃぁ俺帰りますから」
「え?もう帰るの?」
「する事ありませんから。雑炊は夕飯の分も作ったんで食べさせてあげてくださいね」
 言いたいことだけ言うと、山崎はさっさと帰ろうとする。
「あの!有難うございました」
 慌ててリンドウが礼を言うと、山崎は淡く笑って、早く良くなってねと言い帰っていった。
「それじゃぁ、ハルちゃん。ご飯食べてね」
「はい」
 近藤から盆を受け取ったリンドウはそれを横に置くと、茶碗に雑炊をよそい、ゆっくり口に運ぶ。その様子をじっと近藤が眺めていたので、リンドウは少しだけ恥ずかしそうな顔をして口を開いた。
「あの……」
「あ!?見られたら食べ難い?」
 近藤の言葉にリンドウは小さく首を振るが、困ったように笑った。
「眺めてるだけだと近藤さんが暇なんじゃないかと……」
「いいのいいの。俺は気にしないで」
 そう言うと、また傍にじっと座るので、リンドウはとりあえず食事を続ける事にした。少しずつ冷ましながら食べている姿を眺めて、近藤は思わず、可愛いなぁと心のなかで思う。リンドウが食べるのが遅いわけではないが、野郎所帯だとやはり食事はガツガツとした雰囲気になる。それと比べて、やっぱり女の子だと思い、近藤はうれしそうに顔を綻ばせた。
「ごちそうさまでした」
「はい」
 そう言って手を合わせたリンドウを見て、近藤は食器を片付けると薬をのむための水も持ってくる。リンドウはそれを受け取ると、有難うございますと言い、薬を流し込んだ。
「それじゃ、横になって」
 近藤が急かす様に言うので、リンドウは少しだけ笑って有難うございます、と再度言葉にした。熱も薬のおかげで朝よりましになっているし、食事もとって随分体調も安定してきたリンドウは、横になると、近藤に声をかけた。
「私は大丈夫ですから、お仕事戻ってください」
「……えっと、寝るまで傍にいちゃ駄目?」
 伺うように言う近藤を見てリンドウは驚いたような顔をするが、すぐに小さく頷く。
「嬉しいです。でも、近藤さんも無理しないでくださいね」
 すっと差し出されたリンドウの手を握ると、近藤は頷いて口を開いた。
「えっと、ハルちゃん寝たら戻るけど、夕方に仕事終わったらまた来るから」
「はい。あ、鍵、玄関にあるんで締めて行って貰えますか?」
 確かに女性の一人暮らしで、しかも病気で寝込んでいる中鍵をかけないのは物騒だと思った近藤は、解ったと言うと、リンドウの額にまた濡れタオルを置く。ひんやりとした心地良い感覚と、満腹感からリンドウはすぐにうとうととしだす。それを眺めながら、近藤はじっとリンドウの顔を眺める。思ったよりは酷くないし、食欲もあるようだから大丈夫だと安心したのだが、また悪くなるのではと心配でもあった。
 握った手は小さくて熱い。季節の変わり目で体調を崩す者も多かったし、仕事も忙しかった。多少のことではリンドウは仕事を休むことがないので、今朝は余程具合が悪かったのだろうと思うと、近藤はリンドウに対して申し訳ない気分で一杯になった。兆候があったはずなのに、気がつかずにいた自分に対して腹も立ったし、熱があって辛いはずなのに、仕事の心配をリンドウにさせていることに対してもだ。普段から仕事をちゃんとこなしていてれば、彼女に心配などかけなくていいのかもしれない、そんな事をぼんやりと考えながら近藤はリンドウの顔を眺める。
 小さな寝息が聞こえ、彼女が寝てしまったことを残念に思い、近藤はそっと手を放した。

 

 夕方。リンドウは目を覚ますと辺りを見回す。どうやら近藤は仕事に戻ったようだ。それに安心したような顔をすると、少し小腹が空いていることに気がついた。食欲があるという事は回復しているということだろう。けれど歩くのは億劫だと思いながらリンドウは体を引きずりながら冷蔵庫の前へ行く。
 山崎が切ったという桃と、他の果物が入ってるのに気が付き、リンドウは桃を引っ張り出すと、行儀が悪いと思いながら、冷蔵庫の前にぺたんと座って桃を口に運んだ。切り分けた上に楊枝までさしてるのだから山崎は準備がいい。有難いと思いながらもぐもぐとしていると、突然玄関が開いたので、驚いたようにリンドウはそちらに視線を送った。するとそこには近藤が立っており、冷蔵庫の前に座るリンドウを見つけて、同じように驚いたような顔をして台所までやってきた。
 かぁっと顔を赤くしたリンドウは、桃を食べるのをやめて口を開く。
「あの!行儀悪いとは思ったんですけど……」
 バツが悪いのか俯いてそう言ったリンドウを見て、近藤は同じようにしゃがみ込むと、美味しい?と聞いてくる。それにリンドウが頷くと、近藤は笑顔を向けた。
「そうか。総悟が買ってきたんだ。あとでお礼言わないとな」
「はい」
 行儀が悪いとこを咎められなかったのにホッとしたのか、リンドウが返事をすると、近藤は、一口頂戴?とねだるように言う。リンドウが慌てて桃に楊枝を突き刺すと、近藤はすっとリンドウに顔を近づけて、口付けた。
 近藤が顔を離すと、リンドウが固まったままじっとしているので、近藤はさぁっと顔を青くする。
「あ!ごめん!調子乗りすぎた!?嫌だった!?」
 オロオロしだした近藤に、リンドウが漸く口を開く。
「あの……吃驚しただけで……その……風邪うつるから駄目ですよ」
 かぁっと顔を赤くしてリンドウが言うので、近藤はほっとした様な顔をしたあと、リンドウが自分に食べさせるつもりであったろう桃を自分に口に運ぶ。随分上等な桃を沖田は選んだのだろう、甘みが口に広がり、近藤は思わず顔を綻ばす。
「うん。美味しいね」
「はい」
 そう言って、残りった桃をリンドウと二人で平らげた近藤は、食器を流し場に置く。布団に移動するためか、リンドウが立ち上がろうとしたので、近藤はひょいと彼女を抱き上げた。
「近藤さん!?」
 驚いたようにリンドウが声を上げたが、近藤が軽々と持ち上げると、彼女は落ちないように近藤に手を回した。歩くのも大変だろうと思い抱えたは良いけれど、予想以上に密着度に、近藤は心のなかで、近藤勲自重!相手は病人だからね!だめだからね!と呪文の様に唱えながら、彼女を部屋に運んだ。小さくて軽いし、しっかりしがみついてくる姿は可愛い。そして、病人というのは無防備でいかん。己の自制心との盛大なバトルを制した近藤は、無事に何事も無くリンドウを布団まで運ぶ。
「有難うございます」
「台所寒いしね」
 リンドウの言葉に近藤はそう言うと、彼女に布団をかけ、食事の準備などに細々動き出した。

 

 明け方。リンドウが目を覚ますと、空は漸く明るくなってきた頃であった。ふと、己の手に視線を落とすと、そこにはぎゅっと手を握ったまま寝ている近藤の姿があった。昼間同様、寝たら帰ると言っていたのだが、結局近藤はリンドウと一緒に寝入ってしまたのだ。リンドウはそっと近藤の手を放すと、背伸びをする。ぐっすり眠ったこともあって熱も下がったようだし、体も軽い。シャワーを浴びようと立ち上がったが、寒そうに寝ている近藤を見て、リンドウは、近藤の背中をそっと押す。すると、コロンと布団の上に転がり、手に掛け布団があたったのに気がついたのか、近藤はもそもそと布団な中へ入ってた。それを確認して、リンドウは着替えを持って風呂へ向かった。

 ガバッと起き上がった近藤は、見覚えのない風景に暫くぼんやりしていたが、漸く自分のいる場所を把握してさぁっと顔を青くする。昨日リンドウが寝るのを待っていたのに、そのまま寝てしまったのに気が付き、慌てて窓の外を見る。まだ明け方であるのにほっとしながらも、リンドウの姿が見えないので慌てて起き上がると襖を開ける。すると、リンドウが隣の部屋の卓で桃を剥いている。
「ハルちゃん」
「あ、おはようございます」
 元気そうな声にほっとすると、近藤はリンドウの傍に行き、額に手を当てる。熱は下がったようだし、顔色もいい。大丈夫だと思ったのと同時に、うっかり布団を占領したのを思い出して謝罪する。すると、リンドウは淡く微笑んで口を開いた。
「傍にいてくれて有難うございました。嬉しかったです」
「……そっか」
 その言葉に近藤は思わず顔を綻ばす。面倒を逆にかけてしまった気がして申し訳なかったのだ、彼女がそう言ってくれると気も楽になる。
「えっと、それじゃ俺帰るから」
「はい」
 そういうとうリンドウは見送るために玄関まで一緒に向かう。そこで、思い出したように近藤はポケットから鍵を出してリンドウに渡す。
「鍵、忘れないうちに返しておくね」
 するとリンドウは淡く微笑んで、持っていてください、と受け取らず返答をした。それに暫く近藤はぽかんとしたような顔をしたが、リンドウが、ご迷惑ですか?と聞いてきたので、慌てて首を振った。
「いや。えっと、いいのかな?俺が持ってて」
「はい」
 そう言うと、リンドウは鍵を握る近藤の手に己の手を添える。
「持っていて下さい」
 再度そう言うと、恥ずかしそうに笑った。

「朝帰りですかぃ」
 そっと屯所の玄関をくぐると、いつもはギリギリまで寝ている沖田が立っており、近藤に声をかけた。それに驚いたような顔をした近藤であるが、情けない顔をして笑った。
「それがうっかり寝ちゃってな。情けない。あ、ハルちゃん元気そうだから今日は出勤すると思うよ」
 ふぅん、と沖田は返答すると、呆れたような表情で近藤を見上げる。
「……まぁ、近藤さんだったらそんなもんでしょうねぇ。ちっとも進みやしねぇ」
「ちょっと総悟!俺だって空気読むよ!病人相手に無茶しないよ!超自重したよ!褒めて欲しいぐらいだよ!」
 近藤が涙目になって自分の頑張りを主張するが、沖田にしてみたら、朝帰りだというのに何一つ進展しない方が面白くない。自重したのは確かに立派ではあるが。
「それに、ちっとも進んでないわけじゃないし」
「へぇ」
 胸をはってそういう近藤に、沖田はあからさまに信用していないという様な口調で返事をする。近藤にしてみたら、合鍵を貰ったということは大きな前進なのだ。それを主張したが、沖田は更に呆れたような顔をして首を振る。
「……最近の子どもでももっと進むの早いですぜぃ」
「なんでそんながっかり顔なの総悟ぉぉぉぉぉ!」
「朝っぱらからうっせぇよ」
 涙目で沖田に縋りつく近藤を見て、土方は呆れたような顔をして歩いてきた。玄関先で早くから大騒ぎしているので様子を見に来たのだ。
「それが聞いてくだせぇ土方さん。朝帰りしたってのに何一つ進めねぇで、合鍵だけ貰って満足して帰ってきちまいやがったんでさぁ」
「合鍵ぃ?」
 煙草に火をつけた土方は、涙目の近藤に視線を落とすと、よかったじゃねぇか、と短く言うと煙を細く吐き出しニヤリと笑った。
「これで山崎に並んだって訳だ」
「トシぃぃぃぃぃぃぃ!」
 結局自分の頑張りが評価されない事にしょんぼりとした近藤は、一旦部屋に戻ることにした。
 しかし、どんなに莫迦にされても、合鍵は嬉しく、ポケットから鍵を出すとそれを眺めて思わず顔を綻ばせる。土方が言うように、そうそう合鍵など使う機会などないかもしれない。けれど、持っているだけでも気分は違う。そう思い、近藤はまた、幸せそうに笑った。


がっかり(´・ω・`)
でも、近藤さんは幸せなんだと思う

20101015 ハスマキ

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