*江戸からも立ち序*

 師走と言う月は総じて忙しい。人々はイベントに浮足立ち、真選組はいつにも増して警護やテロ対策に狩りだされるのだ。
 そんな中、監察である山崎は詰まれた書類を前に項垂れていた。
「……これは……」
 外への監察に出ていた仲間達の報告書が気がつけば山の様に貯まっており、ここ数日まともに寝ずに処理しているのにも関わらず減る様子はない。
「山崎さん、少し休憩しましょう」
 相棒であるリンドウも心なしか疲れた様な顔をしているが、手元にあった書類を束ねるとそう言い茶器の準備を始めた。休憩もこまめに入れなければ作業効率が落ちると痛いほど解っている山崎は疲れ切った顔で無理矢理笑うと、たのむよと力なく言った。
 熱いお茶を口に運びながら、山崎は詰まれた書類を眺め小さくため息をつく。
「ヤバいなぁ。全然処理しきれない」
 そう呟くと、不意に監察室の障子が開けられ、手に書類を持った土方が顔を出した。
「山崎、この件だが……って、大丈夫かお前」
 流石に顔色の悪い二人を見て土方は驚いたような顔をし、己の要件を中断する。詰まれた書類を見て苦笑いする山崎は痛々しいし、リンドウにも疲労の色が見える。今年は特にテロ関係もそうであるが、年末のイベントなどが多く、その警護関係の仕事が真選組には課せられていた。幕府の要人が参加するイベントなどは特に下調べや、攘夷志士などへの警戒が重要視され、監察の仕事が必然的に多くなってくる。
「副長……もう、なんていうか、三味線弾いて癒されたいです。俺ここの所三味線の稽古全然行けてないんですよ」
 その言葉に土方は僅かに眉を上げると小さくため息をついた。仕事の延長で始めた筈の山崎の三味線の稽古は既に趣味の領域に入っているのではないかと疑ったのだ。無論今まで通りミントンに興じる姿なども見られるが、仕事中の時間つぶしはミントン、休みの日は三味線という感じになってきている様である。休みを潰して仕事をしている今、三味線は殆ど触れていないのを理解した土方は、瞳を細めると口を開いた。
「仕事の塩梅はどうだ」
「見ての通りです。とりあえず急ぎのから片付けてますけど、一応回してる程度で。ここ数年で一番忙しいですね」
 去年はリンドウが入院していたが、山崎一人でも回せたのを考えると本当に仕事は増えているらしい。実際に土方が判をついた書類も明らかに多いし、近藤に至っては外回りにも出られず涙目で局長室に籠ってる始末である。
 茶を土方の分も入れたリンドウが茶菓子も差しだしたので、土方は煙草を揉み消すと菓子を口に運んだ。土方の部屋等には余り菓子類は置かないのだが、女性の隊士の固まっている監察室にはいつも菓子が置いてあり、沖田などは菓子をたかりによく遊びに来たりする。
「あの。近藤局長におすそ分け持っていってもかまいませんか?」
 リンドウが口を開いたので、土方は少しだけ考えこむと手元の茶菓子に視線を落とした。誰が持ちこんだのか季節外れの水羊羹。
「山崎。三味線弾け」
「はい?」
「俺の休憩に付き合えって言ってんだ。四半刻でいい」
 その言葉にリンドウはぱぁっと表情を明るくすると、いそいそと箱に詰まった水羊羹を片手に監察室を出て行った。それを見送った山崎は苦笑すると、部屋の奥から三味線を持ちだして、弦の調整を始める。
「なんだかんだでリンドウさんに甘いですよね」
「別にそんなんじゃねーよ。俺も最近三味線屋の顔見てねぇの思い出しただけだ」
「はいはい」
 山崎の三味線の師匠である女は土方の飲み友達である。仕事が詰まっていて飲みに行く暇のなかった土方が三味線屋の顔を見ていないのは事実であろう。けれどそれは建前で、デスクワークの嫌いな近藤が少しでも気晴らし出来るようにとリンドウを送り出したのであろう事は山崎にもよく解った。
 山崎が弦を弾くと、土方は新しい煙草に火をつけて、細く煙を吐き出す。
「将門弾け」
「ちゃんばら物好きですね」
「うるせぇよ。大体三味線の曲は男女のドロドロ多過ぎんだよ。俺はこーゆーのの方が好きなんだ」
「座敷では弾かないんで、下手でも文句言わないで下さいよ」
 座敷小唄はある程度仕込まれているが、長唄や常磐津は殆ど師匠の真似程度である山崎は、苦笑すると弦を弾いた。

 

「失礼します」
 声をかけてリンドウが局長室に入ると、近藤がぱぁっと表情を明るくして彼女を出迎えた。
「ハルちゃん。仕事終わったの?」
「いえ。休憩になったので近藤局長におすそ分けを」
 そう言うと、水羊羹を差し出し穏やかにリンドウは笑う。
「それじゃ俺も休憩するか」
 近藤が大きく伸びをしたのでリンドウは茶器の準備を始めた。それを眺めながら近藤は嬉しそうに笑う。
「どうかされました?」
「最近忙しくてハルちゃんとゆっくりお茶ってのもなかったなぁって」
「そうですね。四刻半は時間頂けましたので、一緒に休憩しましょう」
 その言葉に近藤が首を傾げると、リンドウは淡く微笑む。
「副長が山崎さんの三味線を聞いてらっしゃるんで」
 納得した近藤は大きく頷くと、リンドウの並べた水羊羹を口に入れる。疲れている時は甘いものが嬉しく、茶を啜りながら近藤は口を開いた。
「そう言えば山崎最近三味線良く弾いてるな。トシも今まで三味線なんか興味なかったのに、山崎が弾いてたら聞きに行ってるみたいし」
「そうですね」
 近藤も三味線は座敷で聞く事はあるが余り詳しくはない。監察業務の延長で山崎が習い出したのは知っているが、土方が興味を示して聞いているのが不思議なのだろう。
「ハルちゃんは弾ける?」
「小唄位ならいくつか……。山崎さんの方がお上手ですよ。私は正式に習った訳ではありませんし」
「今度聞かせて」
「恥ずかしいから駄目です」
 困った様に笑ったリンドウを見て近藤は思わず瞳を細めた。余り彼女に駄目だと言われる事がなかったので反応が新鮮だったのだ。気を使ってくれているのか、基本的に近藤のお願いを彼女が断る事は少ないし、彼女自身が我儘を言う事もない。それが物足りない様な気もするが、傍にいるだけでいいと言うリンドウを可愛いと思ったりもする。
「仕事が暇になったらどこか行こうか」
「はい」
 子供の様に嬉しそうな顔をしたリンドウの頭を撫でると、近藤はどこがいい?と穏やかに聞く。
「近藤さんと一緒ならどこでも」
 予想通りの返答に近藤は笑うと、熱いお茶を飲み干した。

 

 日もとっぷり暮れて、近藤が大きく伸びをすると書類のチェックをしていた土方が顔を上げた。
「今日はこの辺にしとくか近藤さん」
「そーだな。もうケツが割れそう」
「元々割れてんだろーが」
 呆れたように言った土方を見ると、近藤はそのままバタンと机につっぷする。
「いつになったら暇になるのかなぁ」
「さーな」
 新しい煙草に火をつけた土方が煙を吐き出しながら気のない返事をする。恐らくこっちが聞きたいと言う様な心境なのであろう。読んでいた書類を束ねた土方は、視線を開け放たれた障子の向こう側へ移す。天気が悪く雨こそ降らないが雲が広がり月が見えない。
「雨が降りそうだな」
「この気温だったら雪かもな」
 同じように空を眺めた近藤が言うと、土方は己の手に視線を落とす。
「雪は……もう少し暇になってから降って欲しいもんだな」
「なんで?」
「忙しい時期に降られたら邪魔くせーだろーが。交通整理とかそんなのにもかりだされるじゃねーか」
 土方の言葉に近藤は、そうかと納得する。雪自体は好きなのだが、確かに仕事は増えてしまうと理解できたのだ。
「あ、でも、クリスマスとか雪いいじゃん!ロマンチックだと思わんかトシ!」
 俗に言うホワイトクリスマスに憧れる様に近藤が言うと、土方は興味がないのか呆れた様な顔をする。
「その頃には仕事が暇になってるのを祈っとけよ」
「トシはロマンがないなぁ」
 ぶーぶーと文句を言う近藤に土方は苦笑すると、視線をまた外に向けた。
「まぁ、雪見酒ってのは悪くねぇけどな」
「それはいいなぁ。でもハルちゃん一緒にあんまり飲んでくれないし……お酌してくれるのは嬉しいけどさ」
 基本的にリンドウは普段酒を飲まない。飲めない訳ではないが、近藤といる時は殆ど酌ばかりしているのだ。その言葉に土方は笑うと、煙草の煙を肺に入れる。
「一緒に飲んだ所でアンタが先に潰されるだろーよ」
「そう言えばトシはクリスマスどうするんだ?一応今年も鍋しようかってハルちゃんと話してたんだけど」
 去年もそうだったように、今年も皆で鍋をしようと言いだした近藤に土方は呆れた様な顔をする。どこか二人ででかければ良いのに、このコンビはイベントはいつも皆で過ごそうと言う。恐らく沖田も、山崎も、土方と同じ事を考えているだろう。
「……初雪がクリスマスじゃなかったらな」
「なんで?」
 首を傾げた近藤に土方は困った様に笑いかけるが、明確な返答はせずに己の手に視線を落とした。
「局長!」
 二人の間に下りた沈黙に割り込むように局長室に滑り込んできたのは山崎であった。驚いたように近藤と土方が顔を上げると、息を切らせて山崎は言葉を放った。
「立て籠りです!」
「見廻組の管轄だろーが」
 攘夷志士やテロの関係ならば真選組の仕事であるが、それ以外は基本的に見廻組との住み分けをしている。土方が興味なさそうに一蹴するが、山崎が困った様な顔をする。
「いえ、元々は痴情のもつれみたいな感じだったらしいんですけど、男の方が手配中の攘夷志士なんです。それで見廻組からうちに連絡ありまして」
「ったく。テロならともかく立てこもりかよ。人質は?」
「今確認してます」
 土方が思わず舌打ちをすると、近藤も立ち上がり上着を羽織る。痴情のもつれに借り出されるのは不本意であるが、攘夷志士となれば管轄は真選組になる。
「取り合えず手が空いてる奴出せ。場所は」
 山崎のメモを受け取った土方は、車回してありますと言う言葉に小さく頷くと近藤と共に部屋を出た。

 屯所の前に止まる車に駆け寄った二人は、運転席に座るリンドウの姿に驚いたような顔をする。
「ハルちゃん!?まだ帰ってなかったの?」
「はい」
「運転代ろうか?」
「大丈夫です。近藤局長も副長もお疲れでしょうから運転手位はさせて下さい」
 近藤の言葉にリンドウは淡く微笑むと扉のロックを開ける。後部座席に乗り込んだ近藤は心配そうな顔をしたが、無理矢理代るのもと思ったのか、シートベルトを締めると土方に声をかけた。
「で、攘夷志士って誰?」
「あ、聞いてねぇや」
 早速煙草に火をつけた土方が声を上げたので、リンドウが代りに答える。
「アカツキ党の男です。幹部クラスではないんですが、武器の調達などをしてる男です」
「面倒だな」
 もしもテロ用の武器などを持ちこまれていたらかなわないと、土方は思わず煙草のフィルターを噛む。刀一本でも厄介であるのに、武器の調達等をしているのならば火薬も持ちこんでいるかもしれない。
 リンドウの運転で現地に着くと、そこには人だかりができており、真選組の隊士が野次馬整理に四苦八苦している所であった。
「様子はどうだ」
 車に駆け寄った原田に近藤が声をかけると、彼は困り果てた様な顔をして口を開く。
「とりあえず説得はしているんですが中々。というか……」
 言葉を濁す原田に首を傾げるが、直ぐにその理由が解った近藤が驚いたように建物の前で拡声器を持つ人影に声を上げる。
「ちょっと!何で総悟が説得してるの!?大丈夫!?」
「一応止めたんですが、やらせないと建物ごと大砲で撃つと無茶を」
 困り果てた原田が渋々沖田に拡声器を持たせたのであろう。流石にそれには近藤も土方も唖然とする。ドS王子がまともに説得に成功した試しはなく、今までも犯人を逆上させて大炎上のパターンが多いだけに頭を抱えるしかない。
 そんな周りの空気も総無視で沖田は拡声器を上機嫌で握り締め建物の二階から顔を出す犯人に声をかける。
「……そんな女に振られたからって逆上するってのもどうですかぃ。世の中もっと良い女もいますぜぃ」
「うるせぇ!テメェみてぇな男前に何が解るってんだ。つべこべ言わず車用意しやがれ!」
「男前だからって女にもてるとは限りませんぜぃ。男は中身でさぁ」
 容姿が人並み以上の沖田が言うだけでウソ臭い説得であるのは傍から聞いていて良く解るし、原田も先程から聞いていて犯人がいつ人質に危害を及ぼすかとハラハラしていた。漸く近藤や土方が到着し、沖田から拡声器を取り上げてくれるのを期待し原田の自然と表情が緩まる。
「とりあえず局長も此方へ。車は部下に移動させますから」
 運転していたリンドウに言うと、彼女はありがとうございますと頭を下げて車を降りる。
「それじゃぁ。ある男の話をしまさぁ」
「あぁ!?」
「まぁ、逃走用の車を用意するにも都合があるんで暇潰しにでも聞いて下せぇ」
 突然話をはじめた沖田を見て土方は驚いた様な顔をするが、直ぐに原田に耳打ちをし建物に隊士を配置するように指示を出す。爆発物の有無などが確認できれば有利に進められると言う判断からで、沖田がある程度時間稼ぎをして犯人に気を引くのならありがたい。
「男前で、切れ者。社会的にも地位がある男がある女に恋をしたんでさぁ」
 その男はずっと女を思い続けていたが、女はその男の親友に惚れていた。決して贔屓目にも男前とも言えないが、大らかで、優しい親友の方に心底べた惚れの女は、男の気持ちに気がつかずただひたすら親友を慕い続けていたのだ。
 友情と恋の板挟みになった男は悩みに悩んだ。けれどある時気がついた。自分がいなければ二人は幸せな結末を迎えるのではないか。自分がこの思いを沈めてしまえば今まで通り三人で巧くやっていけるのではないかと。外見だけではなく中身で親友を選んだ女がやっぱり好きで、幸せになって欲しかった男は、親友の背中を押して己の思いに止めを刺した。
「……容姿じゃねぇんでさぁ。本当にイイ女は容姿で男を選びやしやせんぜぃ。そんでもって、男前でも駄目な時は駄目なんでさぁ」
「総悟ォォォォォォォォォォ!」
 拡声器を持った沖田に飛びかかった土方を彼は軽く避けると、口端を上げて声を上げた。
「どうしたんですかぃ、土方さん」
「で、その後男前の男はどうなったんだ?」
 地面にダイブした土方を無視して、近藤に質問に沖田はニヤニヤと笑いながら返答をする。
「幸せな筈でさぁ。その男は女の幸せを願って身を引いたんですから。今頃親友と、幸せそうな女の傍で煙草でもふかしてるんじゃないですかぃ?」
 その言葉に近藤は安心した様な顔をすると、そうかー、いい話だとうんうん頷く。
「アンタも容姿云々で拗ねてる暇があるなら、中身磨いてやり直したらどうですかぃ?二股かける女なんざぁ、テメェが捨ててやったと思えばいいんでさぁ」
「え?アイツ二股かけられてたの?」
 驚いたように近藤が言うと、沖田は頷く。それは気の毒に……と呟いた近藤の言葉を犯人の耳が広い、大声で怒鳴りつける。
「ゴリラの親戚に憐れみ受ける言われはねぇ!つーか、ちょっといい話でほろっときちまったけど、そんないさぎいい話あるか!テメェの作り話だろう!」
「マジですぜぃ」
 大真面目に言う沖田を土方は睨みつけると、沖田から拡声器を取り上げて犯人に怒鳴りつける。
「ゴリラにゴリラって言うな!つーか、潔くて悪いかこのやろー!どんだけその男が悩んで結論出したと思ってんだ!」
「え!?なんでトシが怒るの!?」
「うるせぇよ。アンタもゴリラって言われてヘラヘラ笑ってんじゃねぇ!」
 ぴしゃりと言われて近藤は萎れる。すると、今まで山崎と連絡を取っていたリンドウが近藤の隣に行き、耳打ちをした。
「とりあえず火薬の移動はなかったそうですので、建物に仕掛けられていても大した事ないと思われます」
「そうか。原田。他の隊士は?」
「接近できる範囲では爆発物は確認されなかったようです。どうします?押し込みますか?」
「人質がなぁ」
 近藤が渋い顔をするのは、二股をかけていたと言う女が犯人に抱えられているからであろう。民間人に怪我をさせるとなると体裁が悪い。長引かせて女と無理心中されのも困る。仕方なく近藤は沖田から拡声器を借りると犯人に再度声をかける事にした。
「あーあー。とりあえず人質を解放してくれんか」
「断る!こいつと一緒に遠くに逃げるんだ!」
「莫迦言うな。嫌がる女の子連れて行って幸せになれると思うのか。幸せって二人で作るもんだろう。一方的なのはいかん」
 その言葉に真選組一同思わずストーカーのアンタが言うなと心の中で突っ込みを入れる。毎度毎度キャバ嬢を追いかけまわして土方が連れ戻しているのを知っているだけに苦笑しか出ない。しかし、近藤はそれに気がつかないのか更に言葉を続けた。
「生きてれば巡り合わせってあるぞ。自分の事好きになってくれる子は絶対にいる」
「ゴリラが偉そうに説教垂れるなよ。テメェには巡り合わせって奴が来たのかよ」
「来た」
「え?」
「ゴリラみたいな俺にもちゃんと来たぞ。だから焦って早まるな。今なら罪も軽くて済むけど、人質に怪我させたり逃げたりしたら取り返しがつかなくなる」
 淡々と言う近藤を眺めながら、原田は小声で沖田に耳打ちする。
「大丈夫なんですか?局長の嘘、ボロでませんかね」
「どうですかねぇ」
 案の定の、嘘をつくなと大声を上げた犯人に原田は身を竦ませると、建物内に潜んだ隊士に突入準備の指示を出す。
「嘘とは失敬だな!」
「脳内嫁とか認めねぇぞ!」
「近藤さん。もう説得諦めろ。アンタの話ハナから信じてねぇよアイツ」
「えー。でもなんか言われっぱなしで悔しいなぁ。嘘じゃないのに」
 唇を尖らせて不服そうにする近藤を見て土方は呆れた様な顔をすると、拡声器を近藤から取り上げる。
「あーあー。人を信じる事も出来ねぇテメェに何話しても無駄だったな。でもな、さっきの話は嘘じゃねぇ。ゴリラにだって彼女は出来るんだよ。テメェはゴリラ以下って訳だ、ざまーみろ」
「副長!」
 慌てて原田が止めようとするが、土方はお構いなしに言葉を続けた。曇天の空から雪がちらつき、建物内に潜む隊士達もしびれを切らしているであろう。
「テメェは容姿云々以前に根性腐ってんだよ」
「うるせぇ!男前のテメェに何が解るってんだ!さっきの話が本当ってんだったら、そのゴリラの彼女連れてこいよ。動物園にでもかけ合うのか?」
 げらげら笑いながら言う犯人を見て土方は舌打ちすると、再度口を開こうとすると、横から伸びて来た手に拡声器を奪われる。
「失礼な事言わないでください!人の恋人莫迦にして笑って!近藤局長のどこがゴリラなんですか!」
「え?」
 ぽかんとしたのは犯人だけではなく、傍にいた真選組隊士達もであった。いつもの穏やかな姿はどこに行ったのか、リンドウが土方から拡声器を奪い取って犯人に向かって声を上げている。
「え?じゃないですよ。お望み通り出てきました。これで満足ですか?」
「嘘つくな!」
「私も近藤局長も嘘なんかつきません」
 慌てて近藤がリンドウの傍に行くと、彼女はそれに気がつかないのか、拡声器を握りしめながら犯人から視線を動かさない。
「いいですか?二股かけられたのには同情します。だけど、こんな事して何になるんですか。悔しかったら自分を裏切った人より幸せになる事でも考えたらどうですか!」
「……アンタ本当に?」
 するとリンドウは傍に立つ近藤を見上げて腕をとるとぎゅっと体を寄せる。
「ざまーみろ。って言えば良いんですか?」
 にっこり犯人に微笑みかけたリンドウを見て近藤は思わず顔を赤くすると何か言おうとするが、うまく言葉に出来ず口を閉ざす。
「とりあえず続きは屯所でお聞きしますね」
「え?」
 リンドウの言葉にぽかんとした犯人は、突然バランスを崩して二階の窓から転げ落ちた。
「取り押さえろ!」
 土方の声に控えていた隊士は犯人確保に走り、建物に潜んでいた隊士は、犯人のいた部屋になだれ込み爆発物の確認をする。
「山崎さん!」
 リンドウがぱっと手を放し、二階に声をかけると、山崎が顔を出しピースサインで返答する。建物に潜んでいた隊士とは別枠で屋根裏に忍び込んでいた山崎が犯人を窓から突き飛ばしたのだ。泣き崩れる女は隊士達に連れられ漸く解放された。
「畜生!嘘だったのかよやっぱり!女は嘘つきだ!」
 抑えつけられた犯人がわめくのを眺めながら、近藤は口を尖らせると、小声で嘘じゃないのにと不服そうに言う。
「監察組の手柄ですね」
 原田の言葉に土方は苦笑すると煙草に火をつけ空を見上げた。雪はまだ降り続け、地面に白く覆ってゆく。山崎が傍に来たのに気がついた土方は瞳を細めて笑った。
「まぁ、時間はかかったが上出来だ」
「リンドウさんが頑張りましたからね。あそこまで犯人が食いつくとは思いませんでしたが」
「そんだけショックだったんだろーよ。近藤さんに負けたのが。ざまーみろだ」
 複雑そうな表情で土方を見る山崎は曖昧に笑う。何一つ嘘ではなかった。沖田の話も、土方の話も、近藤の話も。それを知るだけにかける言葉が見つからない。
「しっかし、リンドウさんも思い切った芝居しましたね」
 感心したように原田が言ったので、山崎は驚いた様な顔をする。
「中々局長の恋人役なんかできませんよ」
「……ええ。まぁ」
 誰も信じていなかったのだろう。真選組の面々でさえも。それを思うと、リンドウの傍で不服そうにしている近藤が気の毒になった山崎は困った様に笑う。思わず山崎が土方の表情を伺うと、彼は煙草を銜えたまま空を眺めており、原田の言葉が耳に入ったのかは判断できなかった。
「幸せを願ってめでたし、めでたし……か。ヒロイックで情けねぇ話だな」
 自嘲気味に笑った土方を見て原田が不思議そうな顔をすると、なんでもねぇよと短く言い、土方は煙草を揉み消した。
「取り調べは明日でいい。野郎も一晩経てば頭冷えんだろ。ついでに攘夷志士の仲間についても明日以降吐かせろ。寒ィし、一杯ひっかけてから帰る」
「あ、一緒にどうですか?」
 原田が言うと、土方は笑いながら小指を立てた。
「約束があってな。悪ぃけどまた今度な」
 その言葉に原田は一瞬言葉を失うが慌てて、それじゃぁ、またと土方を送り出す。
「あー吃驚した。まぁ、副長だったら贔屓の女位いるか」
 今までそんな話を聞いた事がなかった原田は思わず言葉を零す。キャバ嬢に貢ぎまくりの近藤とは逆に、土方はその辺に対してはストイックなイメージがあるのだろう。
「そんじゃ、俺と飲みませんかぃ?」
「あ、駄目ですよ!沖田隊長は!」
「……フラレた男のその後は聞きたくないですかぃ?」
「ちょっと!沖田隊長!」
 原田が身を乗り出したのを見て、山崎が慌てて間に入る。先程までの話が全て嘘だと思い込んでいる隊士にとっては面白おかしい作り話だろうが、流石に土方を間接的に笑い物にしているようで気が引けた山崎がストップをかけたので沖田は不服そうに唇を尖らせる。
「良いじゃないですかぃ。近藤さんもいい話だって褒めてくれやしたぜぃ」
「あ、俺も聞きたい!」
 リンドウを連れて近藤までやってきてしまったので山崎は思わず悲鳴を上げそうになる。寧ろ、あの話を聞いて何一つ気がつかない近藤の鈍感さは尊敬に値する。自分の話だなど全く考えもつかないのだろう。
「駄目です。って言うか、局長はリンドウさん送って下さい。暗いし、雪も降ってきましたし」
 山崎の言葉に近藤は、そうか、と短く返事をしてリンドウを見る。すると彼女は淡く微笑んで、いいんですか?と首を傾げた。
「それじゃぁ、帰ろっか。ハルちゃん」
「はい」
 仲良く並んで帰る姿を見て、原田はふぅっとため息をつく。
「どうしたんですかぃ?」
「いやぁ。意外と局長とリンドウさんのカップルもありかなって。リンドウさんは迷惑だろうけど」
 原田が呟いた言葉に沖田と山崎は顔を見合わせて笑った。

 

「寒いね」
「そうですね」
 一旦屯所へ戻って着替えたリンドウは、近藤と共に屯所を出た。家まで大した距離ではないが、二人並んでのんびりと歩いてゆく。
「……誰も信じてくれなかったなぁ」
 近藤の言葉にリンドウは首を傾げると、隣を歩く近藤を見上げた。すると彼は恥ずかしそうに笑う。
「俺とハルちゃんの事。流石にちょっとへこんだ」
 犯人はともかく、真選組内でもリンドウと山崎の仕込んだ芝居だと思われていたのだ。するとリンドウは驚いたような顔を一瞬したが、淡く微笑む。
「私が信じてるからいいんですよ」
「え?」
「誰かに認めて貰わないと駄目って事じゃないと思います。近藤さんと私が信じてれば良いんじゃないですか?」
 その言葉に近藤は思わず目頭が熱くなる。時々夢じゃないかと思う時もあるのだ。こんな自分に真っ当な恋人が出来て、幸せである事を。
 近藤は冷たいリンドウの手を握ると、嬉しそうに笑った。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 あっという間にリンドウの家に到着し、近藤は名残惜しそうに手を放す。
「ゆっくり休んでね」
「あ、ちょっと待ってて下さいね」
 バタバタと部屋の中へ入っていたリンドウを首を傾げて近藤は見送る。すると彼女は手にマフラーを抱えて戻って来た。
「あの、雪も降って寒いので。使って下さい」
 そう言われ近藤はありがたくマフラーを受け取ろうと手を伸ばすが、リンドウは淡く微笑んで口を開いた。
「ちょっとかがんで下さい」
 意味が解らなかった近藤は困惑するが、直ぐにリンドウがマフラーをつけてくれるのだと理解して、顔を綻ばすと、少しだけ大きな体を屈めた。するとリンドウは広げたマフラーを近藤の首に巻いてゆく。
「ちょっと私のじゃ短いですね」
「かまわんよ」
 首元で巧く結べずに四苦八苦している姿を見て近藤はにこにこ笑うと、リンドウが結び目を綺麗に作るのを待つ。屈んだ姿勢は若干苦しいが、一生懸命な姿を見るとさほど気にはならない。
「……ハルちゃん」
「なんですか?」
「ちゅーしていい?」
 うっかり言ってしまってから後悔した近藤は、慌てて言葉を取り消そうとしたが、取り消しの言葉は放たれる事はなく、触れた柔らかい感覚に近藤は思わず赤面する。
 体を離したリンドウは、できましたよと言うと、淡く微笑んでマフラーの結び目に触れた。
「ハルちゃん」
「はい?」
「もう一回……駄目?」
「恥ずかしいから駄目です」
 にっこり微笑んだリンドウを見て近藤は項垂れると、彼女の手に自分の手を重ねた。それにリンドウは驚いた様な顔をしたが、近藤の顔を覗き込んで淡く微笑む。
「おやすみ、ハルちゃん」
「はい。頑張ってお仕事乗り切りましょうね。遊びに行けるの楽しみにしてます」
 名残惜しいが屯所への帰路へ着いた近藤は、とぼとぼと歩きながら、彼女の巻いたマフラーに触れた。いつも彼女には驚かされるし、自分はいつもヘタレている様な気がしたが、リンドウ自身が自分を好きでいてくれるのが嬉しく、気がつけば自然と顔も綻んできた。
 誰に信じて貰えなくても良いかもしれない。
 そう思い、近藤は次のデートの計画を練るべく、軽い足取りで屯所へと帰って行った。


亀の様な歩みのカップル
20091201 ハスマキ

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