*闇夜に提灯・後編*

──返事が欲しい訳ではないんです。ただ、知って貰えれば良かったんです。
 なけなしの勇気を振り絞った女は心の中でそう呟くと、目の前の男の顔を見て淡く微笑んだ。自己満足に過ぎないし、背中を押してくれた男は鼻で笑う程度かもしれない。けれど、自分にしては物凄く頑張ったと、満足して女は瞳を細めた。

 

 宿泊した宿では小さいものであったが、温泉もあり、食事も美味しく、リンドウと近藤は大いに満足できた。結局、夕方に再度確認したがキャンセルは出なかった様で、同じ部屋に泊まる事になったのは仕方がないと諦める事にした。そもそも、二人とも多少不便ではあるがさほど問題がないと思っている節があったので、瑣末な問題であろう。

 温泉から上がった近藤はマッサージチェアーを発見すると、小銭を入れてそれに座る。沖田辺りがいれば恐らく、おっさん臭いと突っ込んだであろうが、今日は長時間座ってることもあって近藤にとっては非常にありがたい。こった体を解しながら、ぼんやりと宿の中を眺めていると、リンドウが女湯の暖簾をくぐって出てきたのを発見して、近藤は声をかける事にした。
「ハルちゃん」
「近藤さん。マッサージですか?」
「気持ち良いよ」
 弛緩しまくっただらしない姿であるが、リンドウは気にする様子もなく微笑むと、隣の椅子に座る。大き目の椅子にすっぽりと入ったリンドウを見て近藤は思わず笑った。
「明日出張所に顔出して、漸く帰れるなぁ」
「そうですね。沖田隊長のお土産も買わないといけませんね」
「宿の入り口にお土産屋あったねぇ。後で覗こうか」
 近藤の言葉にリンドウは嬉しそうに笑うと、そうしましょうと言う。仕事は色々と慣れない事もあり大変であったが、一応はかたもついたし、林のお陰で色々と楽しめた。そう思った二人は、林にも明日お礼を言わないとと言う話をしながら、近藤のマッサージが終わったのを切欠に、部屋に戻る事にした。
 その途中に自動販売機を見つけた近藤は、部屋の冷蔵庫には何も飲み物が入っていなかったのを思い出す。
「そういえば冷蔵庫は空だったね。ここで買って、保存にどうぞって事なのかな?」
「その方がお会計楽なんでしょうね。飲まれます?」
「良いかな?ちょっとだけ」
 恥ずかしそうに近藤が言ったので、リンドウは淡く笑うと、私も飲みますねと言って財布を取り出した。ビールを何本か購入した近藤であったが、リンドウが財布から取り出した金を次々に投入し、順番にボタンを押していく様子を見て唖然とする。真選組の飲み会でも余り飲んでいる様子がないので驚いたのであろう。
「ハルちゃん?」
「色々種類あるんで、とりあえず全部試してみようかと」
 その言葉に近藤は苦笑すると、彼女が抱えた酒をできるだけ代わりに持ってやり一緒に並んで歩く。リンドウが随分機嫌が良さそうで近藤は嬉しかったが、彼女が時折見せる思い切りの良さには驚かされる。仕事でも何でも、とりあえず試してみようと前向きで、失敗があってもそれを糧に再度模索する。中々できる事ではないといつも近藤は感心していた。子供の頃から苦労が多かったのもあるだろうが、その一生懸命さが近藤はとても好きであった。

 部屋に戻った二人は、早速買った酒を冷蔵庫に入れると、既に敷かれている布団を眺めて、あーっと小さく声を上げた。部屋に対して布団が思った以上に大きかったのだ。ぴったりとくっつけられた布団を見て、近藤は大真面目な顔で言葉を放つ。
「寝相は悪くないと思うんだが、はみ出したら悪いし、布団と布団の間に枕で壁でも作った方が良いかな?」
 その言葉にリンドウはぷっと吹き出すと、お気になさらないで下さいと笑った。
「あと、イビキが煩かったら鼻つまんで良いからね。それでイビキ止まるって総悟が言ってた」
「覚えておきますね」
「他は大丈夫かな?」
「ええ、多分。何かあれば相談しますね」
 リンドウの言葉に近藤は安心したような顔をすると、早速冷蔵庫から酒を取り出し部屋の隅に座って栓を開けた。板の間のテーブルと椅子は、先程まで部屋の中央にあったテーブルが立てて置かれており使えなかったのだ。僅かに布団と壁の間に出来たスペースに座ることにした。
 壁にもたれかかった近藤の隣に座ったリンドウも、買ってきた酒の栓を開ける。
「そんじゃ。お疲れ様」
「お疲れ様でした」
 小さく乾杯をした二人は酒に口をつける。食事の時近藤が酒を飲んでいなかったのを思い出したリンドウは首を傾げた。
「お食事の時飲まれませんでしたよね」
「だって、あそこでお酒注文したら、宿泊代に上乗せだし。トシに怒られると思って」
 個人的に自動販売機で買えば経費で落とされる事もないのでバレないと思ったのだろう。それに納得したリンドウは笑って、じゃぁ、内緒ですねと言う。
「そう、内緒。総悟のお土産は直ぐバレるだろうけど。トシは厳しいからな。まぁ、俺がだらしない分締めてくれてる訳だし」
 皆、それでバランスが良いと思っているので文句を言う者は殆どない。両方厳しくても息がつまるし、両方大らかでもしまりがない。近藤にしてみれば、厳しい面を一手に引き受けている土方が貧乏くじの様な気がするが、本人はいつも気にするなと言う。得て不得手があるから、アンタは余計な事考えるなと言われずっとそうしてきたのだ。土方がそうある事を望んでいるならばそうしたいと近藤は思っている。
「温泉も良いなぁ。今度慰安旅行でも企画しようか。班をいくつかに分けて」
 近藤がぱっと思いついた事を口にすると、リンドウは、良いですねと同意する。花見などの行事は多いが、大所帯なので慰安旅行などは企画がなかったのだ。
「近場でも良いからゆっくり温泉入って、酒飲んで。楽しいだろうなぁ」
「今度希望とってみては?」
「うん。トシに相談してみる。仕事が少ない時期だったら問題ないと思うし」
 月によって仕事のつまり具合が違うので巧く調整できれば可能だろうと思った近藤は、嬉しそうにそう言うと、次の酒の栓を開けた。
「ハルちゃんはそういえば旅行に行ったとか余り聞かないね」
「一緒に行く人がいないので」
 その言葉に近藤は、そうかーと言うと情けない顔をする。
「どうかされました?」
「いや、女の子一人で旅行は確かにないなぁって。危ないしね。だからと言って男と旅行に行くと言われても心配だなぁっておもってさ」
 その言葉にリンドウはぽかんとしたような顔をしたが、直ぐに笑い出した。何かおかしな事を言ったのかと近藤は驚いた様な顔をする。
「え!?何で笑われたの!?」
「いえ、心配されると思わなかったのでつい」
「そりゃ心配だよ。総悟なんて仕事サボって追いかけていくよ多分」
 近藤から見ても、沖田のリンドウへの懐きようは驚く程である。切欠は解らないが、リンドウがお気に入りで甘え放題なのだ。人の良いリンドウがそれを受け入れてしまうので、土方がいつも文句を言う位で、リンドウに恋人でも出来たらと考えたら、近藤はゾッとした。沖田は全力で妨害するであろうし、その妨害方法も容赦ないのではないかと安易に想像できたのだ。
「ハルちゃん」
「何ですか?」
「…好きな人が出来たら一番に教えてね。総悟にばれない様に応援するから。あー、でもハルちゃんがお嫁に行くから真選組辞めるとか言い出したら、俺泣くかも知れない。っていうか、泣くと思う絶対」
 その言葉を聞いたリンドウは困った様に微笑むと、手に持っていた酒を空にし、新しい酒を開ける。買ってきた酒の半分以上を、既にリンドウが空けているのに気がついた近藤は、彼女の返事を待たずに驚いた様な声を上げた。
「って、え!?そんなに飲んで大丈夫なの?」
 土方から酒は強いらしい事は聞いていたが、流石にペースが速いのではないかと心配になった近藤が彼女の顔を見るが、普段と変わった様子が見られないので漸く安心する。それでも量は半端ではない。
「モモの味が一番美味しかったですよ」
「…そっか。えっと、残しても良いんだよ。俺飲むし」
 恐る恐る近藤がそう言うと、リンドウは、はいと短く返事をしてにっこりと微笑んだ。
「私は…真選組に出来るだけいたいと思ってます」
「もっと良い仕事はあるんだろうけど、そう言って貰えると嬉しい」
 決して楽な仕事ではないし、命の危険もある。けれどそれ以上にリンドウにとっては大事な仕事なのだ。初めて望んでついた仕事で、できる事ならばずっと続けていたいと思っていた。誰になんと言われようと、リンドウにとって一番値打ちのある仕事なのだ。
「近藤さん」
「何?」
 リンドウが小さく手招きをしたので、何か内緒話でもあるのかと思った近藤は上機嫌に顔を寄せた。
 己の頬に触れた柔らかい感覚に近藤が驚いて反射的に頬に手を当てると、リンドウは彼を見て淡く微笑む。
「今も、昔も、これからも。私は近藤さんが一番好きですよ。だから真選組以上の仕事は存在しません」
 ぽかんとした顔でリンドウを眺めていた近藤は、起こった事を漸く把握して思わず顔を赤くした。
「眠くなったので寝ますね。おやすみなさい」
 満足げに笑ったリンドウはさっさと自分の布団に潜り込むと、近藤に背を向けて横になる。それを呆然と見送った近藤は、そこで漸く声を上げた。
「え!?ええ!?」
 酔いが吹っ飛ぶほど驚いた近藤は、とりあえず深呼吸をすると辺りを見回し、リンドウの空けた酒の数を数える。
「…酔って、ほっぺちゅー?」
 小声で呟いた近藤であったが、リンドウのそんな癖を聞いた事もなかったし、そもそも酔った様子すら見えなかったではないかと頭を抱える。だからと言って彼女をたたき起こしてどういう意味だったのかを聞く訳にもいかない。
 散々悩んだ結果、近藤は自分も布団に横になる事にした。明日にリンドウの様子を伺ってから考えようと思ったのだ。
 しかし、酒が入っている筈なのに全く眠くない近藤は、無駄に寝返り打ちながら先程の事を考える羽目になった。
 自慢ではないがモテた事のない近藤は、自惚れていいのか、それとも、いつもの様に自分を気遣っての事なのか全くもって判断できなかった。リンドウがいつも気遣って発言してくれていると思っていた事が、全部本心からだったらという仮定に一年以上経って漸く近藤は到達したのだ。無論リンドウが嫌いだと言う事はないが、そのように考えた事がなかった近藤は枕に顔を埋めて困り果てる。どうしたら良いのか解らなかったのだ。
 恋多き男であるが、追いかけるばかりで追いかけられた事などない。
 ここで自惚れて後で笑われるのも恥ずかしい。
 けれど、彼女が本心から自分を好いていてくれてるのかもしれない。
──いつまでも子供だと思ってたら痛い目に合いますぜぃ。女なんざぁ、ちょっと見ねぇうちに変わりまさぁ。
 沖田の言葉の意味が漸く解った様な気がした近藤は、とりあえず、出会った頃からのリンドウとの思い出を順番に思い返す事にした。

 

「…何で近藤さん死にそうな顔してるんですかぃ」
 駅まで出迎えた沖田は、元気そうなリンドウと、目の下にクマを作った近藤の顔を見比べて呆れた様な顔をする。
「それが。宿の枕の所為で眠れなかったそうなんです」
「…へぇ」
 よれよれの近藤の代わりにリンドウが返事をすると、沖田は僅かに瞳を細めた。近藤がそんなに繊細だと欠片も思っていないのだ。
 結局朝方まで寝付けなかった近藤は、睡眠不足のうえ、普段使わない頭をフル回転させた所為でオーバーヒートしたのだ。その甲斐もなく、結局答えは出なかったので無駄だった訳である。
 一方リンドウは、よく眠れたと朝から元気そうだった上に、昨日の話には全く触れて来なかったので、近藤も切り出せずに結局江戸まで帰ってきてしまった。体調が悪そうな近藤を心配したリンドウに、近藤は下手くそな嘘をついたが彼女はそれを信じているらしく、屯所に帰ったら少し寝た方が良いですよとずっと言っていたのだ。
「まぁ、乗ってくだせぇ。山崎が玄関で土下座の準備してまさぁ」
「大袈裟ですね」
 リンドウは笑ってそう言ったが、実際に屯所まで帰ると、不機嫌そうな土方と、本当に土下座をして山崎が待っていたので仰天する。
「この度は申し訳ありませんでした!!」
 第一声にそう言った山崎が、そっと顔を上げると酷い顔色の近藤の姿が視界に入りぎょっとした様な顔をする。
「局長?」
「どーしたんだよ、近藤さん」
 流石に土方も驚いたのか、近藤の様子を見ると声を上げた。すると、リンドウが先程沖田に説明した理由を同じ様に述べる。
「…とりあえず部屋帰って一旦寝とけ。どーせ今日は仕事入れてねぇし」
「そうする。すまなんだ」
 荷物を抱えてよれよれと部屋に戻る近藤を一同見送りながら、ボソリと山崎が、もう少し良い宿の方が良かったんですかねぇと呟いた。
「温泉もあって、ご飯も美味しい良い宿でしたよ」
「リンドウは寝れたんですかぃ?」
「はい。流石にちょっと疲れたみたいで、朝までぐっすり寝れました」
 沖田の言葉にリンドウは笑顔で答えると、彼にこっそりとお土産後で渡しますねと耳打ちする。沖田はそれに嬉しそうに笑うと、帰るなら送りますぜぃと言う。しかしリンドウは小さく首を振った。
「山崎さんの体調が良いのでしたら、お仕事を済ませてしまいたいのですが」
 出張は代打で行ったが、それ以降の打ち合わせなどは山崎にまた戻すのだ。引継ぎは早い方が良いと思ったリンドウは山崎の顔色を伺いながらそう発言した。
「俺は問題ないけど。疲れてない?」
「はい」
 そう言いながら二人が監察部屋へ行くのを見送り、沖田は呆れた様な顔をした。
「結局なんにもなかったんですかねぇ。つまんねぇ」
 ボソリと呟いた沖田の頭を殴った土方は、不機嫌そうに顔を顰めると近藤の部屋へ向かう。それを見送った沖田は肩を竦めると、リンドウ達の後を追って監察室に向かう事にした。土方がいなければみやげ物を渡してもらえると思ったのであろう。

 ひょっこり顔を出した沖田を見て、リンドウは淡く微笑むと荷物から土産の菓子を取り出し彼に渡した。
「どーも。アジサイはどうでした?」
「たくさん咲いてて綺麗でしたよ。写真見ます?」
 そう言うと、リンドウはデジカメを取り出し沖田と山崎に撮った写真を披露した。
「ああ、林さんも行ったんだね」
「ええ、色々と案内してくださいましたよ」
 写真に写った林の姿を見て、山崎は納得したような顔をする。京の出張所勤務が長い彼なら色々と丁寧に案内してくれただろうと。最後に写った近藤とリンドウの写真を見て、沖田は感心したように声を上げた。
「ツーショット写真たぁ、頑張りやしたね」
「林さんのお陰です。初めてなんでちょっと嬉しいです」
 そこまで言って、リンドウははっとしたような顔をすると、山崎の方を向く。すると山崎は、困った様な情けないような顔をして言葉を捜している様子であった。
「あのですね…その…」
「何も聞いてない方が良いのかな?」
 山崎の言葉にリンドウがコクコクと頷いたので、山崎は彼女の望む通りにする事にした。薄々そうではないかと思っていたが、土方の事もあって、なるだけ考えないようにしていたのだ。悲しい一方通行など気がつかないに越した事はないし、仕事には関係のない話である。
「…まぁ、俺としてはもう少し仲良くなっても良かったんじゃないかと思いやすけどね」
「凄く頑張ったんですよ」
「はいはい」
 沖田がからかうように返事をしたのでリンドウは情けない顔をして笑った。

 

 土方が私室を覗き込むと、近藤が敷布団を敷いた所で力尽きたのか突っ伏して寝ていたので、毛布を出しその上にかけた。
「ひでぇツラ」
 ボソリと呟いた土方は、煙草に火をつけ煙を細く吐きだし瞳を細めた。
 すると、後ろの障子がそろりと開いたので、土方はそちらに視線を送る。
「どーした」
「明日から山崎さんの代わりに外の仕事に行きますので、一週間ほど屯所を留守にします」
 本調子ではない山崎の仕事の代わりを引き受けたリンドウが報告に来ただけだと理解した土方は、解ったと短く言うとまた視線を近藤に移す。
「お疲れみたいですね。近藤局長」
「会議なんざぁ、神経すり減らすだけだからな。元々この人は、じっと座ってるの好きじゃねぇし」
 煙を吐きながらそう返答すると、リンドウは淡く微笑んで頭を下げた。用件が終わったので退室するつもりなのであろう。それに気がついた土方は、困った様に笑うと彼女に声をかけた。
「アンタも明日から外で仕事だったら、今日は早めに上がれよ」
「はい」
「…それからな」
「はい?」
 一瞬土方は躊躇ったがそのまま思ったことを口にすることにした。
「近藤さんが寝れなくなるような問題でも起こったか?」
「副長に報告するような事は何も」
 リンドウは淡く微笑んで返答すると、そのまま退室していった。それを見送った土方は、灰皿を手繰り寄せると煙草を押し付け、新しい煙草に火をつけ、細く上がる紫煙を眺めながら苦笑した。
──手遅れになれば諦められると信じてた…か…」
 いつになれば三味線屋は帰ってくるだろうか。
 そんな事を考えながら、土方は仕事に戻る事にした。


菩薩…恐ろしい子!

200806 ハスマキ

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