*春宵一刻値千金 *

 桜が咲けば花見である。
 真選組恒例行事を目前に控えて、近藤は自然と顔を綻ばせる。すると、それを見ていたリンドウが口を開いた。
「どうされました?」
「いや、花見が楽しみでね。去年は万事屋とバッティングして色々あったけど今年はどうかなってさ」
「楽しめると良いですね」
 嬉しそうな近藤にリンドウは笑顔で返答をすると、彼の為にお茶を淹れる。それを受け取った近藤は庭先に視線を送り瞳を細めた。
「ここもじき、桜が咲くよハルちゃん」
「ええ」

 花見の場所取りは毎回監察…山崎が請け負っている。いつからそうなったのか明確ではないが、暗黙の了解のようになっているし、山崎自体もそれを受け入れている為、花見の時期には仕事を入れない。
「山崎。今年も頼む。つーか、今年はちゃんとやれよ」
 土方がそう念を押したのは、昨年、山崎が暇潰しの筈のミントンに没頭し万事屋に場所を横取りされてしまったからである。そう言われ山崎は、はいと返事をすると書類を纏めて土方に差し出した。先日行われた花見の留守番組のくじ引きを確定したものである。
 それを捲り、土方は面子を確認していたがぱたっと手を止めた。
「…何でアイツ留守番なんだ?場所取りテメェと行く予定じゃなかったのかよ」
 ある筈のないリンドウの名前をそのリスト内に見つけて、土方は不機嫌そうに眉を寄せた。
 すると山崎は困った顔をしながら、俺もうっかりしてたんですが…と情けない顔をする。彼女を場所取りに同行させるのを失念していた山崎は、彼女にもクジを渡してしまったらしい。無論、山崎もそれは気の毒だとクジのやり直しを考えたが、折角アタリを引いた誰か別の人が留守番になってしまうのが気の毒だとリンドウは断って来たのだ。
「…ハルちゃん去年も留守番だったのに?」
 話を横で聞いていた近藤の言葉に土方は思わず、あっと声を上げる。確かに去年の花見には彼女は来ていなかった。二年連続ハズレクジを引くなど不運を通り越して、逆に強運だとさえ土方は思う。
「場所取り免除してやれ」
「…俺は構いませんが、リンドウさんは場所取りする気満々でしたよ。弁当のおかずのリクエスト聞かれました」
 山崎の言葉に思わず土方は溜め息をついた。前の晩から場所取りする為に弁当持参するつもりであろうリンドウは人が良過ぎると。
「残念だな。今年こそハルちゃんと花見できると思ったのに」
 溜め息を零す近藤は心底残念そうである。少し前に将軍護衛で桜は眺めたが、のんびりできる様な仕事でもなかった。
「折角ハルちゃんの好きな桜が咲いたのになぁ」
 なんとか一緒に見たい、と近藤は呟き瞳を細めた。

「永倉さんのハズレクジと交換ですかい?」
 突然声をかけられリンドウは驚いて顔を上げた。監察部屋に遠慮なく入って来た沖田は、彼女の正面に座ると不機嫌そうに口元を歪める。
「…永倉さん、お花見楽しみになさってたみたいだったので」
 先程、たまたま会った永倉にリンドウとクジを交換した話を聞いたのだ。永倉は彼女が場所取りをする事を後で知り、申し訳ない事をしたと再度交換を申し出たが断られたと沖田に零した。
「行きたくないんですかぃ?」
 沖田の言葉にリンドウは困った様に微笑んだだけであった。その様子に沖田は瞳を細めるとぷいっとそっぽを向き、子供の様に口を尖らせる。
「俺はアンタと花見したかったんですぜぃ」
 いつも貧乏くじのリンドウであるが、花見なら好きな桜を存分に見られて喜ぶだろうと沖田はひっそりと心待ちにしていたのだ。その言葉を聞いてリンドウは驚いた様な顔をする。
「沖田隊長」
「アンタの作った弁当食べて、土方からかって、近藤さんと酒飲んで過ごすつもりだったんでさぁ」
 どうして自分の優先順位がこの女は低いのだろうといつも沖田は思う。好きな近藤を一番にするのは良い。だが他はもっと己より低くても良いのではないか。そうやって彼女はいつも他を優先させ誰かの為に犠牲になるのだ。ヒロイックにも程がある。
「…」
 不貞腐れた沖田を見てリンドウは思わず彼の頭を撫でる。それに沖田は驚いた様な顔をすると彼女の顔を凝視した。
「…何ですかぃ。いきなり」
「申し訳ありません。その…そんな風に言って頂けると思っていませんでしたので」
 沖田が自分を気にかけてくれるのが嬉しくもあり申し訳なかったリンドウは困った様に微笑んだ。
「私は山崎さんと一足早くお花見してきますね」
 その言葉に沖田は少し考え込むとリンドウの顔を覗き込み瞳を細めて笑った。
「俺も一緒に場所取り行きまさぁ。弁当にはタコさんウインナーと甘い卵焼き入れてくだせぃ」
 名案だと言わんばかりの沖田を見てリンドウは驚いた様な顔をする。皆との花見の前に沖田は彼女と花見をする事を勝手に決め、弁当のリクエストまでしてきたのだ。
「嫌とは言わせませんぜぃ。断ったらクジの件土方さんと山崎に報告する事にしまさぁ」
 放っておいても恐らくどこからか報告は入るだろうが、沖田は構わず念を押す。立派な脅迫であるが、こうでも言わないと場所取りが自分の仕事だと認識している彼女は了承しないと思ったのだ。
「困った子ねそーちゃんは」
「リンゴはウサギにして下せぇ、かーちゃん」
 そんなやりとりをしながら二人はぷっと吹き出した。

 沖田が部屋から出るのを見送ると、リンドウは書類を束ねて一息つく。山崎が戻って来るまで手持ちの仕事が無く暇になったのだ。掃除でもするか、それとも山崎を待つかリンドウは思案したが、結局どちらの選択肢も選ばれる事はなかった。近藤がひょっこり監察室に顔を出したのだ。
「ハルちゃん。花見留守番だって聞いたけど」
「はい」
 リンドウの返答を聞いて近藤はがっかりしたような、情けない様な顔をすると、そっかと呟いた。それを見たリンドウは慌てて近藤の側に行くと、あの…と困った様に口を開いた。
「皆さんで楽しんで来てください。場所取り頑張りますから!」
「…来年は一緒に行ける?」
「え?」
 しょぼくれた近藤がそう呟いたので、リンドウは思わずぽかんとした様な顔をした。それを見た近藤は小さく頷くと、困った様に笑う。
「だって、まだ一緒に花見は行った事ないよね。色々なイベント皆でやって来たのに、花見だけハルちゃんいないの寂しいと思ってな」
 巡る季節の中、春のイベントの思い出だけすっぽりと抜け落ちてしまうと近藤は思ったのだろう。都合もあるので全部皆でと言うのは無理だろうが、二回も参加できないとなると来年は本当に大丈夫なのだろうかと心配になった。
 そんな近藤を見てリンドウは瞳を細めると嬉しそうに微笑んだ。
「お気遣い有難う御座います」
「…そんなんじゃなくて…なんというか、俺の我侭みたいなもんなんだけどね」
 情けない顔をして近藤は笑った。

 

 花見会場の桜は気候が安定しない所為か咲き方がまばらであったが、できるだけ花が咲いている場所を選ぶと山崎とリンドウはシートを広げた。満開までは至っていない所為もあり、場所は比較的容易に確保できたので山崎は安心したように息を吐くと、リンドウの方に視線を送った。結局彼女は場所取りの仕事についてきたし、弁当まで持参してきた。明日の朝に皆が集まる頃には彼女は屯所に帰らねばならない。
「後は見張ってるだけで良いんですか?」
「うん」
 頷いた山崎はリンドウの側に寄ると困ったように口を開いた。
「…籤…ごめんね」
「本当は謝らなくてはいけないの私なんです」
 シートに座ったリンドウがそう言い出したので山崎は驚いた様に彼女を見下ろす。するとリンドウは申し訳なさそうな顔をして頭を下げた。
「本当は私、当たり籤引いてたんです。でも永倉さんと交換てしまって」
「え!?」
 驚いた山崎は彼女の隣に座り込むと、本当?と確認するように言葉をかける。すると彼女は小さく頷いて土下座せんばかりに頭を更に下げた。
「申し訳ありません。あの…永倉さんが随分お花見楽しみにしてたの知ってたのでつい…」
 自分の所為ではないと解った山崎は少し気が楽になったが、それでも彼女の人の良さには呆れるしかなかった。小さく溜息をついた山崎は、頭あげて、と短く言う。
「…はい」
「人が良いのも解るけどさ…何ていうか…その…リンドウさんとお花見したかったって人もいるんだよ」
 山崎の脳裏に浮かんだのは不機嫌そうな土方と残念そうな顔をした近藤、そして散々自分に文句を言った沖田。皆彼女との花見を楽しみにしていたのだろう。無論自分もそうだ。
「沖田隊長にも叱られました」
「…だろうね」
 山崎は荷物から毛布を出すと彼女と自分の膝にかけて背中を丸めた。まだ少し肌寒い季節なので防寒用にと持ってきたのだ。
「交換しちゃった物は仕方ないけど…次は駄目だよ。今回は内緒にしとくけど。副長なんて凄く怒るよ多分」
 正面切って彼女に怒る事はないであろうが、恐らく機嫌はずっと悪いであろう。それは自分にもとばっちりが来るかもしれないので避けたいし、態々事態を悪くするのも本位ではない。
「…沖田隊長に叱られるまで…その…私がお花見に行かないの残念だと思う人がいると考えてなかったんです」
 リンドウがポツリと呟いたので山崎はぼんやりと彼女の顔を眺めた。己の優先順位が低い彼女がその考えに至らなかったのだろう事は山崎にも予想できた。他の人間の中で自分はさほど重要視されていないと思い込んでいるのだ。
「俺はリンドウさんいないと困るし、楽しみ減るんだ」
「え?」
「局長も副長も沖田隊長もそうだと思うよ。だから、次のイベントは皆で楽しめるようにしようね」
 山崎の言葉にリンドウは驚いた様な顔をしたが直ぐに嬉しそうに笑う。
「はい」
「俺のかーちゃんにべったりくっつくたぁ良い度胸じゃないですかぃ」
「沖田隊長!」
 突如後ろから声が掛かり、山崎はぎょっとしたような顔をして慌ててリンドウから離れる。話をしているうちに彼女との距離を詰めすぎてしまっていた事に気がつき、冷や汗をかきながら沖田を見上げた。
「そーちゃん」
「ちぃと早いですが花見に来やしたぜ。あと、かーちゃんが喜ぶお土産」
 そう言うと沖田は自分の後ろを指差した。そこにはビニール袋をぶら提げた近藤と土方が立っており、ゆっくりと山崎達の方へ歩いて来た。
「近藤局長、副長」
 驚いた様にリンドウが声を上げると、近藤は恥ずかしそうに笑って彼女の側に行く。
「ごめんね。邪魔になるかなと思ったんだけど。ちょっとだけ皆でお花見しよう」
 どうしても花見を諦め切れなかった近藤は、仕事を早めに切り上げてこっそりリンドウ達の所へ行く準備をしていたのだ。それを見つけた沖田が彼を引っ張ってここまで来た。
「土方さんは連れてくるつもりなかったんですがね」
「うるせぇよ」
 不機嫌そうな土方は沖田を睨むと、近藤さんの監視だと短く言う。それを聞いたリンドウは瞳を細めると嬉しそうに微笑んだ。
「有難うそーちゃん。凄く嬉しい」
 そう言い、山崎を押しのけて自分の隣に陣取った沖田の頭を撫でるとリンドウは、お弁当食べましょうと荷物を広げた。重箱に詰められた弁当は全てリンドウの手作りで、沖田はそれを嬉しそうに眺めると近藤と土方に声をかけた。
「俺の卵焼きとウインナーは駄目ですけど、山崎の分は分けてあげまさぁ」
「ちょっと!沖田隊長!」
 慌てて山崎が声を上げたので近藤は笑うと、ちょっとだけ分けて貰うよと言い荷物を降ろすと側に座り込む。
「…酒まで準備して…」
 呆れた様に土方は近藤の持ち込んだ荷物を覗き込むと煙草に火をつけて不機嫌そうな顔をする。するとリンドウは取り皿を渡しながら微笑んだ。
「でも嬉しいです。態々来て下さって」
「そーかよ」
「土方さんは呼んでねぇんで帰ってもかまわねーですぜぃ」
 早速卵焼きをほおばりながら沖田が言い放ったので土方は眉間に皺を寄せる。
「そーちゃん。沢山居た方が楽しいでしょ?」
「かーちゃんがそー言うなら」
 リンドウに言われ沖田は少し不服そうな顔をしたが直ぐに気を取り直したのかドンドン弁当を消化していく。夕食をとった近藤と土方はつまむ程度であるが、沖田は態々夕食を抜いて来たのであろう。
「もう少し咲いてたら良かったんですけどね」
 何とか自分の分を確保した山崎は、近藤の持ち込んだビールの栓を開けながら桜を見上げた。すると近藤は瞳を細めると困ったように笑う。
「ちょっと寒かったからなぁ。でも夜桜もいいじゃないか。綺麗だし。山崎、その出汁巻き頂戴」
 近藤に言われ山崎は自分のリクエストした物であるが、素直に近藤に出汁巻きを差し出す。近藤はそれを嬉しそうに口に入れると感嘆の声を上げた。
「あ、美味しいな」
「そうですか?有難うございます」
「なんだ?総悟の卵焼きと味違うのかよ」
「ええ。別のリクエストでしたので」
 甘い卵焼きをリクエストした沖田と、出汁巻きをリクエストした山崎。両方をリンドウは作って弁当に入れたのだ。すると土方は山崎の出汁巻きに箸を伸ばし一つ口に放り込んだ。
「…ああ、結構うめぇな」
「土方さんがマヨネーズ味以外を褒めるたぁ知りやせんでした」
「いちいちうるせぇよお前ぇは」
 険悪な雰囲気に気が付かないのか近藤は土方に酒を差し出すと、トシもちょっとだけと言う。呆れたような顔をした土方であったが酒を受け取ると桜を見上げて瞳を細めた。
「ちょっとだけだからな」
 監視の名目で来たのだが矢張り花見には酒が欲しくなるのであろう。土方は煙草をもみ消すと近藤と小さく乾杯をして酒に口をつけた。
「もっとお弁当作ってくれば良かったですね」
 その様子を見ながらリンドウは嬉しそうに微笑む。態々来てくれた事も、皆で花見ができることも嬉しかったのだ。それを見て近藤は瞳を細めるとリンドウの頭を撫でた。
「喜んでくれて良かった。邪魔だから帰ってくださいって言われるかなって思ったんだけど」
「え!?」
 近藤の言葉にリンドウは驚いた様な顔をすると、慌てて首を振った。
「そんな事…」
「…そっか。良かった」
 そんなやり取りを見ながら沖田はウサギの形に切られたリンゴを口に入れると少しだけ嬉しそうに口元を緩めた。
「沖田隊長って本当にリンドウさん好きですよね…」
「かーちゃんに孝行して何が悪ぃんですかぃ」
 あのドSと名高い沖田がリンドウに懐く姿は奇妙としか映らない。そう感じているのは真選組の面々もそうであるし、山崎も驚いた。1年前に彼女が真選組に入った時はそんな事想像も出来なかったのだ。
「…まぁ気持ちは解らないでもないですけどね」
「かーちゃんにちょっかい出したらぶった切りやすぜぃ」
「そんなんじゃないですよ俺の場合は」
 苦笑する様に山崎は瞳を細めて笑った。リンドウの事は好きであるが、それは友人として、仕事の相棒としての感情である。好きという感情も千差万別ある事を山崎は知っているし、沖田がリンドウに対する好きもベクトルがまた別である事も理解している。
 ちらりと山崎は土方に視線を送る。彼等の話に興味がないのか、シートの上に座って煙草を吸いながら桜を見上げている。酒を遠慮なく開けていった沖田や近藤とは逆に酒量は控えめであったが、酒の所為かはじめ来た時よりは機嫌は悪くない様子である。
 それに気がついた沖田は、止める山崎を無視して土方の側にどかっと座ると彼の顔を凝視した。
「…諦めるか攫うかしたらどうですかぃ。まぁ、攫うってなら俺がぶった切りやすが」
「酔っ払いが絡むな」
 しかめっ面した土方を見て沖田は可笑しそうに口元を緩めるとリンドウに視線を送る。彼女は近藤と一緒に少しずつ後片付けを始めたようである。
 ふと、耳に入ってきた三味線の音。誰か花見客が弾いているのだろう。それに気がついた沖田は先程の土方と同じ様に空を仰ぐと瞳を細めた。
「綺麗な桜に酒に三味線。そんで月ですかぃ。風情があっていいじゃないですかぃ」
「そうですね」
 沖田の言葉に山崎は同意すると立ち上がり片づけを手伝いだす。大分夜も更け、後は朝までリンドウと見張りをしているだけである。厭というほどこれからは桜を眺めねばならないのだ。
「ゴミ捨ててくるけどそっちは?」
 近藤に声をかけられ山崎はゴミを纏めたビニールを片手に小走りに近藤の所に向かう。
「私も一緒に行きます」
「あ、そう?じゃぁ一緒に行こうか」
 山崎のゴミも回収した近藤にリンドウがそう言ったので山崎は、それじゃ宜しくといい二人を見送った。恐らくごみ捨てが終わったら、近藤達は屯所へ戻るのだろう。山崎は弁当の詰まっていた重箱を重ねていくと、毛布に包まるり座り込んでいる沖田に声をかけた。
「屯所。留守にして大丈夫だったんですか?」
「永倉が留守番してる」
 口を開いたのは沖田ではなく煙草に火をつけた土方であった。それに山崎は困った様な顔をしながら言葉を捜した。それに気がついた土方は瞳を細めて煙を吐き出すと、全部知ってると短く言葉を続けた。
「永倉が近藤さんの所来たんだよ。…莫迦だなアイツ」
「俺もさっき聞いたので。報告しなくて申し訳ありません」
「かまわねぇよ」
 近藤が屯所を出る時に土方を誘ったが彼は屯所を空にするのを嫌って渋った。しかし永倉が留守番を引き受けてくれたのだ。寧ろそうする事で永倉も気が楽になるだろうと土方は考え承知した。
「…優先順位おかしいんだよアイツ」
「ですよね。俺もそう思うんですけど」
 困ったように山崎が笑うと、土方は僅かに眉を寄せ煙を吐き出す。
「ちょっと歩いてくる。総悟が寝ちまわねー様に見張ってろ」
「はい」

 

 ゴミを捨て終えた近藤はふと、先から歩いてくる三味線を抱えた女に気がつき、リンドウに少し待つ様に言うと小走りにそちらへ向かっていった。二言、三言言葉を女と交わした近藤は表情を明るくすると大急ぎでリンドウの所へ引き返し口を開く。
「ハルちゃん。ちょっといい?」
「はい」
 返事をしたリンドウの手を掴むと、近藤は女の歩いて来た階段を指差して嬉しそうに笑った。
「ちょっと階段歩くけど。大丈夫?」
「ええ。何かあるんですか?」
「うん」
 さほど急ではない階段を二人で昇ってゆくと、そこには小さな鳥居が構えられておりリンドウは驚いた様にそれを見上げた。この公園内に神社の敷地がある事を知らなかったのだ。
「神社があるんですね」
「この先なんだけど」
 促されて奥へ入っていったリンドウは、その境内の片隅に立っている枝垂桜を見て息を呑んだ。
 公園内は五分咲きであった桜だが、この枝垂桜は満開でその花を枝の先までつけていたのだ。風に揺れる柔らかい枝からは花びらが零れ、地面を鮮やかなピンクに染め上げている。
「…この桜だけね、毎年ちょっと早いんだよ」
「綺麗ですね」
 瞳を細めてリンドウはその桜を見上げると嬉しそうの笑った。
「折角だから満開の桜見せてあげようと思って」
 先程女性の声をかけたのは、この桜が咲いているかどうか確認したのであろう事に気がついたリンドウは、近藤に嬉しそうに笑いかけた。
「有難うございます。綺麗な桜見れて凄く嬉しいです」
「気に入ってくれて良かった」
 そう言うと近藤はリンドウの頭を撫で同じ様に桜を眺めた。
 先程階段を下りていった女性が弾いているのであろうか、三味線の音が聞こえてきたのでリンドウは柔らかく近藤に笑いかけると、そろそろ戻りましょうかと言う。いつまでも桜は見ていたいが、山崎達が待っている。
「名残惜しいけどね。来年もこようね」
「はい」
 来た時と同じ様にリンドウと近藤は仲良く並んで境内を後にすると、三味線の音を聞きながら皆が待つ公園へゆっくりと歩いていった。


久々に沖田甘えたモード。
山崎はいい友達なんです。
20090405 ハスマキ


 三味線の音を聞きながら土方は視線を少し小高い神社の境内へ向けると、煙草の煙を吐き出した。
「枝垂桜は満開よ、兄さん」
「そーみてぇだな」
 ベンチに座って三味線を弾く女の言葉に返事をすると、土方は瞳を細めた。恐らく近藤は彼女に満開の桜を見せてやりたかったのだろうとぼんやり考える。
 その様子を見ていた女は可笑しそうに口元を歪めると、三味線を弾く手を止める事無く口を開いた。
「いつも一歩遅いんじゃない?」
「うるせぇよ。つーか、何でアンタこんな所で三味線弾いてんだ。商売以外で弾かねぇんじゃなかったのかよ」
「桜が綺麗で、月が綺麗だからね」
 女が瞳を細めて笑ったので土方は空を仰いだ。確かに桜も綺麗で、月も満月ではないが綺麗に出ている。そして女の弾く三味線の音。その音がぴたりと止まったので土方は怪訝そうな顔をする。すると女は三味線を背負って立ち上がった。
「帰んのか?」
「莫迦ねぇ。桜が綺麗で、月が綺麗だったらコレも欲しいでしょ」
 女は盃を傾ける仕草をするとくるりと方向転換をし、投げやりに土方に手を振る。
「じゃーね、フラレ坊主」
「まだフラレてねぇよ」
「…特攻しなきゃ永遠にフラれないわよね」
 女の返答に舌打ちすると土方は携帯を取り出し、寄り道するから先に帰ってくれとだけ言うと携帯を切る。それを聞いた女は驚いた様な顔をしたが、直ぐにしかめっ面をする。
「ついてくるの?勘弁してよ。気分良いのに、またフラレ坊主の愚痴聞くの厭よ」
「手前ェについてくんじゃねぇよ。馴染の店で酒飲んで、何故かいっつも一緒になる常連客に莫迦な女の話垂れ流すだけだ」
「そうね。私も馴染の店で何故かいっつも一緒になる常連客の話を笑いながら聞いて、傷口にこれでもかと言うぐらい塩を塗りたくる事にするわ」
 女がさらりと返したので、土方は瞳を細めるともう一度空を見上げた。女はそんな土方を少しの間眺めていたが、口元を歪めて笑う。
「現実から逃げて、月に帰りたいの?兄さん」
「…そんな名前背負ってんのは手前ェだろう、迦具夜姫」
「本名じゃないわよ」
 店の名前と、座敷での名前に使ってるだけと言うと、女がゆっくり歩き出したので土方はそれを見送り、新しい煙草に火をつけるとまた月を見上げた。逃げたい訳じゃない。でもどうしたら良いのか解らない。
 いつも的確にこちらの痛い所を容赦なくついてくる女は、今日もゲラゲラ笑いながら、莫迦にしながら自分の話を聞くのであろう。
 土方は煙草をもみ消すと馴染の店へ向かう事にした。

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