*好きには身をやつす*

「いらっしゃいませ松平様」
 屯所の玄関先で箒を握っていたリンドウは姿勢を正すとやってきた客に深々とお辞儀をする。真選組のTOPともいえる松平が珍しく屯所を訪れたのだ。
「ああ、監察組の…名前なんだっけ?」
「リンドウハルと申します。近藤局長の所ですか?」
「ああ、アイツいる?」
「はい。ご案内致しますね」
 箒を端に立てかけ、リンドウは松平を応接室…と呼ばれている玄関側の和室に松平を案内すると、小走りに局長室へ向かう。今日は朝から近藤は年末に向けての書類整理などをしているのだ。
「近藤局長。松平様がお越しです」
「え!?とっつあんが?何だろう。面倒な事だったらヤだなぁ」
 リンドウの言葉にぱっと顔を上げた近藤は困ったような表情を作る。如何せん年の瀬が近くて忙しい。しかし松平という人物は総じて真選組の都合などお構いナシに仕事を振ってくる傾向があるのだ。警察長官という立場は恐ろしい。
「私お茶入れてきますね。近藤局長もキリのいい所で…」
「うん。この書類束ねたら行くわ」

 お茶の準備をしてリンドウが客間に戻ると、廊下で土方の姿を見つける。
「副長」
「とっつあん来てんのか?」
「はい」
 土方は僅かに瞳を細めると不機嫌そうにリンドウの後を付いて来る。恐らく松平に顔だけ出すつもりなのだろう。
「失礼します」
「土方?近藤は忙しいのか?」
「直ぐにいらっしゃると思います。お茶入れますね、松平様」
 リンドウと一緒に土方が来たので松平は怪訝そうな顔をするが、リンドウが笑顔で近藤の事を伝えると満足そうに頷く。それを他所に土方は松平の正面に座ると煙草に火を付けた。
「折角来たのに顔もださねぇとかとっつあん文句言うじゃねぇかよいつも」
「土方。オメェはもう少し愛想よく仕事しろよ。まぁ、近藤が莫迦な分オメェがフォローするってのは解るがよぉ。真選組の評判どん底なんだからよぉ」
 リンドウから差し出されたお茶に口を付けると松平は愚痴っぽくそう零す。それを聞いた土方はしかめっ面をするが善処するとだけ返事をした。
「所で…リンドウちゃん?」
「はい。あ、申し訳ありません、席外したほうが宜しいのですか?」
 近藤の分のお茶を入れるまでと思い隅に控えていたリンドウは松平に声をかけられ席を立とうとするが松平は構わんよと言ってそれを制する。
「仕事どうよ。むさ苦しい野郎に囲まれて不自由はない?困った事があったらなーんでもおじさんに言って良いんだよ」
 まるで親戚の娘に言うように松平が言うとリンドウは驚いた様な顔をするが淡く笑う。
「近藤局長も副長も良くして下さいます。寧ろ私がお役に立ててるのか心配で…」
「いやいや、今期は攘夷志士の検挙率も上がってるから君達の仕事も十分役に立ってるってこった。まぁ、パワハラとかセクハラとか困った事があったらおじさんに相談しなさい」
「アンタが一番セクハラ心配だよ」
 松平の言葉に土方は呆れた様に言うとふーっと煙草の煙を吐き出す。お姉ちゃん大好き松平の言動は終始セクハラっぽい。
「で、とっつあん今日は何の用だよ。まさか監察組の様子見に来ただけじゃねぇだろ?」
 そう土方が切り出すと漸くやってきた近藤が障子を開けて入ってくる。
「遅くなって申し訳ない」
「いや、今から話する所だ近藤。まぁ、座れや」
 松平に促されて座った近藤の為にリンドウはお茶を入れるとそのまま部屋を出る事にした。下っ端隊士がいつまでも部屋にいるのも可笑しな話だとリンドウ思ったのであろう。
「有難うハルちゃん」
「はい」
 近藤がそう言うとリンドウは淡く微笑み障子を閉めた。

 

「…という訳で。又将軍様の護衛任務になった」
 朝に行われる幹部会で近藤が切り出すと、一同から溜息が漏れる。又キャバクラ前で大げさな護衛をせねばならないと思うと溜息も付きたくなる。しかも既に季節は冬に移行しており寒い。
「今回は年末で別の仕事も山積みだし取りあえず半分の隊で店周りの護衛。そんで残りは留守番組みと予定通り年末の強化巡回をしてもらう事になる。くじ引きで決めるぞ」
 そう言うと近藤は準備していた箱を取り出し隊長に順番に引いてもらう。
「近藤さん。監察組の分俺が引くわ」
「おお、トシ頼む」
 幹部会に出ない監察組は組織図的に副長の下となる。気を利かせて土方はそう言うと箱に手を突っ込み籤を引く。
「…監察組は留守番」
「おー。籤運いいなトシは」
 感心したように言う近藤に少しだけ笑って見せると土方は他のメンバーの籤の結果を書き出し表にする。運悪く護衛を引いてしまったチームは溜息をつく羽目になる。同じ外での仕事であっても強化巡回は車等を使ったり、休憩時間が比較的自由である事を考えると、護衛組みより遥かに良い仕事である。一番幸運なのは恐らく留守番組であろうが。
「とりあえずこんな感じか」
 出来上がった表を見て近藤が言うと、それぞれのグループでリーダー選出など細かい仕事に移っていく。
「あ、トシは監察に話しておいて」
「おう」
 そういわれた土方は立ち上がると会議室を出て監察の仕事部屋へ向かった。

「山崎居るか?」
「はい。何ですか副長」
 がらりと障子を開けると山崎とリンドウが2人で何やら書類を作っている所だった。邪魔してわりぃと一言言うと土方は山崎の側に座り煙草に火を付ける。
「今週末だが又将軍様の護衛する事になった」
「ええ!?」
 土方の言葉に山崎は心底厭そうな顔をして声を上げるが、直ぐに了解しましたと規則どおりの返事を返した。上からの命令に不平不服を申し立てる事は基本的に許されていないのだ。
「まぁ、お前等監察は留守番だ。俺が当たり籤引いてやったから感謝しろよ」
「マジですか!?流石副長!助かりますよ。つーか、今監察殆ど出払ってて人いないんですけど。大丈夫ですかね留守番」
 年末年始は臨時雇いの募集が多いので監察としては諜報活動しやすいシーズンである。できる限り攘夷志士と関係ある所に人を配置しているので現在フリーなメンバーは数えるほどしかいない。
「他の隊も残ってるから大丈夫だろ。いざとなったら巡回組がメインで動くだろうから本当に留守番だろうな」
「副長も留守番なんですか?」
 リンドウがお茶を入れ山崎と土方の前に置くとそう尋ねた。あたり籤を引いたのは土方なのだら普通は土方も留守番と考えるだろう。
「俺と近藤さんはとっつあんの命令で店の中。面倒だよ全く」
 土方がいるといないとではお姉ちゃんの反応が違うと松平はいいほぼ無理矢理土方を店の中での護衛と決めたのだ。副長がそうであれば局長もそうしとくか的な感じで決まったので近藤にいたってはオマケ扱いである。
「店は前と同じ店ですか?」
「らしい」
 山崎の言葉に土方は僅かに不機嫌そうな顔をする。松平と近藤のお気に入りのキャバ嬢のいる店にいつの間にか決まっていたのだ。土方はそれに対して反対も賛成も出来る立場ではないので黙って決定事項を聞くだけしか出来なかった。
「…取りあえず今週末屯所に残れるメンバー書き出して俺の所持って来い」
 山崎にそう言うと土方は煙草をもみ消した。
「ちょっと待っててください。直ぐ作りますから」
 一度部屋に戻ろうと思っていた土方は山崎の言葉に引き止められ2本目の煙草に火をつける事にする。他の隊と違って、潜入捜査等がメインな監察の予定は年末まで大方決まっているのでメンバーの書き出しはそう時間は掛からないであろう。
「アンタは仕事はいってんの?」
「いえ。私と山崎さんは年末まで屯所で書類や情報の整理です」
 それは土方も知っていたが間が持たないと思いわざと聞いたのだ。するとリンドウは淡く笑い大変ですね急な仕事でと言う。
「とっつあんはいつもあんなんだからな。まぁ、真選組養ってくれてる訳で邪険にもできねぇし」
「ですね。…私も一緒に将軍様と飲まないかって言われたんですよあの後」
「断ったのか?」
「はい」
 その返答に土方は僅かに瞳を細める。断るのは当然だと思ったのだ。リンドウが平隊士であるとか、女性隊士であるとか以前にリンドウは恐らくあの店に入る事はないと。
──近藤の思い人のいる店。
 そこにノコノコ出て行くのは苦痛であろう。
「まぁ、うちの女隊士接待に使う訳にいかねぇしな」
「そうなんですか」
「そうなんだよ」
 土方は煙草の煙を吐き出すと、接待等には一切女性隊士を使わない事を募集した時に決めた事を話す。女性蔑視だと煩い団体も多いし、そもそも接待を専門職とする人間もいるのだから態々真選組から出す必要はないという方向になったのだという。
「副長。リストできました。取りあえずこのメンバーが留守番可能です。人数足りなければ何人かは呼べますが」
 山崎の差し出したリストに目を通すと土方は呼ばなくても構わないと言い煙草の火を消し立ち上がった。近藤の所に戻るのだろう。
「そんじゃ他の監察にも週末の予定徹底させとけよ山崎」
「はい」
 リンドウと山崎は土方を見送ると少し困ったような顔をして肩を竦めた。急な仕事はいつもの事だが、何もこんな時期に接待護衛というもの涙を誘う。運よく監察組は留守番だが護衛になったメンバーは気に毒としか言い様がない。

 

「将ちゃんこっちこっち!」
 店に松平の声が響きキャバクラは一斉に沸き立つ。前回はホステスが軒並み風邪を引きショボイ面子ではあったが将軍はどういう訳か随分と楽しかったと松平に言ったのだ。今回はホステスも店で人気の子を集め、本格的な接待スタンスとなっている。
 そんな中、ホステスを邪険そうに扱う土方を見て松平は彼に声をかける。
「土方〜。お前人気あるんだからもう少し愛想よくしろ。つーか、この前の玄関掃除の子どうした?呼んでないのか。おじさん声かけたんだけどな」
「アイツは留守番の籤引いたよ。アンタとは縁がないんじゃないか」
「残念だな〜っと、近藤。忘れないうちにこの前言ってた書類受け取っとくわ。もってきてたんだろ?」
 松平の言葉に近藤はあっと言うように顔を上げると暫し無言であった。恐らくその様子では忘れてきたのだろう。土方はその様子を見ると溜息を付き、俺が取ってくるとだけ言うと立ち上がるが、一斉にホステスから悲鳴が上がったので松平は土方を引き止めた。
「まぁ座れや土方。アレだ。玄関掃除の子に持ってこさせればいいじゃねぇか」
「良くねぇよ。何でアイツに拘るんだよとっつあん」
「美人とはいわねぇが愛想も良いし気立ても良さそうじゃねぇか。少しぐらい友好深めてもかまわねぇだろーが」
「大体寒いのに可哀想じゃねぇか。車こっちに出払ってるから徒歩かチャリで来させなきゃなんねーんだぞ」
 土方が不機嫌そうにそう言うと、何故か松平は突如表情をニヤつかせ土方の肩をがしっと掴む。突然の事に土方が驚いた様な顔をすると松平は小声で言葉を放った。
「お前ェのお気に入りかアレ。もてる癖に偉い地味な趣味だなオイ」
 その言葉に土方はそんなんじゃねぇと不機嫌そうに短く言うと、携帯を取り出し山崎に電話をかけ手短に書類を届ける様連絡を入れる。リンドウは可哀想でも山崎はどうでも良いらしい。
「残念だな──
 さっさと問題を解決してしまった土方に松平は不服そうに言うが土方は無視をしてチビチビと酒を舐める。その隣に近藤が寄ってきたのでチラリと土方が視線を送ると近藤は困ったような表情を作った。
「すまんなトシ。うっかりしてた」
「…詫びるなら山崎に言えよ」
 恐らく山崎は寒い中此方に向かってくるのであろう。せっかくの当たり籤も台無しになってしまった訳だが、コレは山崎保有スキル不運発動以外の何物でもない。監察としては優秀である癖に突如発動する不運に何度も彼自身泣きを見ていたのだ。
「取りあえず店に着いたら電話入れるように言ってるから俺が外に取りに行くわ」
「頼む」

 

「寒いですね」
「そうだね。大丈夫?」
「はい」
 山崎がこぐ自転車の後ろに乗りながらリンドウは返事をすると大事そうに荷物を抱える。先程書類を届ける旨の電話が来た時に、リンドウと山崎は大急ぎで書類を探し出し、ついでにポットに温かいお茶と握り飯を準備して屯所を出たのだ。自動販売機位は店の近くにあるだろうが基本的に警護場所から動けない面子への差し入れを抱えて彼等は自転車で接待場所へ向かう。
 元々差し入れの案はリンドウが出していたのだが、留守番任務という事があったので勝手に屯所内から出ることが出来ず頓挫していた。しかし運よく土方からの電話があり二人はその頓挫した計画を再起動することにしたのだ。冷え切った空気とどんよりとした空からは今にも雪が落ちてきそうで二人の吐き出す息も白い。自転車をこぐ山崎の体は温かいが、恐らく店の前に突っ立ているメンバーは寒くて仕方ないだろう。
「雪が降りそうだね」
「そうですね」
 運悪く急激に気候が冬型に傾き護衛任務の面々は屯所を出る時カイロを片手に悲壮そうな顔をしていたのを思い出し山崎は苦笑した。そして折角当たり籤を引いたのに結局土方からの呼び出しを喰らってしまった自分自身にも。
「あ、あそこですかね?車沢山止まってますし」
「だね。そんじゃ副長に電話するから先に配っててくれる?」
「はい」
 山崎とリンドウの姿を見つけた隊士が何事かと駆け寄ってきたので事情を話し、リンドウの持ってきた握り飯とお茶の配布を手伝って貰う事にすると、山崎は携帯電話で土方を呼び出した。

「…」
「そんじゃ書類確かに渡しましたよ」
「…いや。何でアイツきてんだよ」
 書類を受け取った土方は店の前でポットを持ってお茶を配るリンドウの姿を見つけて半眼になると山崎に聞く。折角留守番籤を引いたのに台無しである。
「差し入れ持ってきたんですよ。お茶とかおにぎりとか。寒いだろうからって」
 言ってる事は解るが納得できない土方は他の隊士を見回す。さっさと帰れと二人に言いたい所であったが、他の隊士が喜んでお茶や握り飯を受け取ってる所を見るとそうも言えず結局黙るしかなかった。本来は近藤や土方が気を使う所だったのかもしれないと思うと思わず反省したい気分に土方はなる。
「なんだ、来てるじゃん玄関掃除の子」
 後ろから声をかけられ土方はぎょっとしたような顔をする。松平がいつの間にか側に来ていたのだ。
「…」
「寒いだろうから中に入ってもらえば土方」
 そう言うと松平はリンドウの名を呼んだので彼女はポットを抱えたまま山崎の隣に並んだ。
「中に入る?寒いだろ?おじさんと一緒に飲もうよ」
「いえ。差し入れが終わったら帰ります。私本来留守番ですので」
 申し訳なさそうに言うリンドウに松平は土方も喜ぶと思うけどな、と突然言い出したので土方は不機嫌そうな顔を作ると煙草の煙を吐き出した。
「裏の連中に配ったらさっさと帰れ」
「はい。それでは失礼します松平様」
 くるりと方向転換をしポットを抱えて走り出すリンドウを見送りながら松平は心底残念そうな顔をしたが、土方はホッとした様な顔をする。
「ったく土方は硬いな。若いうちに硬いのは股間だけにしとけよ」
「ほっとけ。つーか、そーゆー発言はセクハラじゃねーのかよとっつあん」
 良い感じに酒が入っている松平は愉快そうにゲラゲラ笑いながらホステスの待つ暖かい店の中へ引き返していく。それを見送ると土方は盛大に溜息をつき、側にいた隊士にちょっと店の周りを回ってくるとだけいいその場を後にした。

 

 店の裏手にある大きな窓から見えたのはポットを持って真選組の隊士にお茶を配る隊士の姿であった。それに気がついた将軍は足を止めその様子をじっと眺める。笑顔でなにやら他の隊士に話しかけるお茶汲みの隊士が女性である事に気がつくのに数秒要した。
「どうなさいました?」
 厠に立った将軍の護衛と言う事で共に廊下を歩いていた近藤が声をかけると将軍は窓の外を指差し女性も真選組にはいるのだなと物珍しそうに言う。同じ様に窓に視線を移した近藤が、その隊士がリンドウである事に直ぐに気がついたのは彼女がいつも身に着けている防寒具の所為であろう。近藤がプレゼントした耳あてを寒い日はいつもつけて仕事をしているのである意味目印のような役割も果たしている。今日も雪が降りそうな程冷え込んでおり、リンドウはいつもの様に白い耳あてをして仕事をしているようだ。
「監察の子ですよ。今日は留守番の筈なんですが…ああ、差し入れを持って来てくれたんでしょう」
「随分楽しそうにしているな」
「申し訳ありません」
「いや。構わん…。近藤。あの娘と少し話がしてみたいのだが構わんか?」
 将軍の提案に驚き近藤は暫くの間言葉を失うが、窓を開けると外に向かって声をかけた。
「ハルちゃん。ちょっとこっちおいで」
 まるで娘を呼ぶように近藤がリンドウを呼んだので将軍は少しだけ笑う。イカツイ顔の男が手招きしながら『ハルちゃん』と呼ぶ姿が何だか滑稽だったのだ。本来ならば任務中なので苗字で呼ぶのが正しいのだろうが、若干酒の回っている近藤はそこまで考えられなかったらしい。いつもの調子で彼女を側に呼ぶとニコニコ笑ってハルちゃん、ご挨拶してという。
 するとリンドウは将軍の姿を確認すると防寒用の耳あてを外し、ソレとポットを左手に纏めて持ち綺麗に敬礼をする。
「名前を聞いても構わぬか?」
「リンドウハルと申します」
 ほんの少しだけ微笑んでリンドウが返事をしたので将軍は満足そうに笑うと更に質問を続けた。
「真選組はどうだ?」
「局長も副長も松平様も良くして下さいます」
「それは差し入れか?」
 リンドウの持つポットに視線を落とした将軍をみてリンドウははい、と返事をすると微笑む。寒い中護衛をしている隊士には有難い差し入れなのだろうと思った将軍は少し申し訳なさそうな顔をする。何度も松平に大げさな護衛は必要ないと言っているのだがいつも真選組が丸ごと護衛につくような大掛かりなものになってしまうのを気にしていたのだ。
 それを正直に話リンドウに詫びると彼女は淡く微笑み恐れながら将軍と言葉を放った。
「我々真選組は江戸の治安を守るのが任務です。無論将軍をお守りするのも任務だと思っております。将軍が護衛など要らないと仰ってしまったら我々は仕事がなくなってしまします。どうかお気になさらないで下さい。我々は真選組の仕事を誇りだと思っておりますから」
 その言葉に将軍は驚いた様な顔をするが嬉しそうに笑った。気にするなとだけいわれれば無理な事であるが、自分達の仕事を取り上げるなと言われれば納得できない話ではない。今まで誰にも貰えなかった答えを貰えた様な気がして将軍は満足すると同時にもう少し彼女と話をしてみたくなった。
「お戻り下さい将軍。此処は冷えますゆえ」
 リンドウがやんわりと店に中に戻る様に言うが将軍は名残惜しいと感じ、リンドウも店に入るように促す。側にいた近藤も反対はしなかったのできっともう少し話ができるだろうと思っていた将軍であったが、リンドウはその提案に対して明確な拒絶の言葉を放った。
「申し訳ありません。私は本来留守番の任務ですので。それに、本日は松平様が将軍の為に接客のプロを店に呼んでおります。私が真選組の仕事を誇りとしているように彼女達も客をもてなす仕事を誇りとしていると思います。そんな中に素人の私が入るのは松平様に対してもホステスに対しても失礼かと」
 その言葉に将軍だけでなく近藤も驚いた様な表情をする。将軍の誘いを断るのは無礼に当たるかもしれないが、彼女の言う事は全うであり、今回の飲みを主催した松平の顔を立てるなら彼女を店に呼ぶのは好ましくないと納得できるものであった。
「それに…綺麗なお姉さんの中に入るのは気が引けますので…」
 最後に小声でそうリンドウが付け加えたのを聞いて将軍は口元を緩めると隣でおろおろする近藤に視線を送り無理を言ってすまなかったと詫びる。
「余の配慮が足りなかった。今宵は松平の顔を立てるべきだな」
「勝手を申しました」
「かまわん。でもお前ともう少し話してみたいのは本心だ。次にホステスのいない店で飲むようにすればお前は余の話し相手をしてくれるか?」
 深々と頭を下げ将軍に意見した非礼を詫びたリンドウに将軍は新たな提案をする。するとリンドウは顔を上げ、局長と副長の許可が下りればと短く返答し微笑んだ。厭そうな顔をしなかった事に将軍は安心したように笑うと寒い中引き止めてすまなかったと言い松平の待つ部屋に戻る事にした。彼女の仕事を邪魔するの悪いと思ったのだ。
「ハルちゃん、山崎と来たの?気をつけて帰ってね」
「はい」
 近藤が窓から身を乗り出しリンドウの頭を撫でると彼女の手から耳あてを取り頭につけてやる。触れた頬は冷たく、長く引き止めてしまった為に随分と寒い思いをさせてしまったと近藤は申し訳なさそうな顔をする。
 手を振って部屋に戻ってゆく近藤を見送るとリンドウはポットを大事そうに抱えその場にじっと佇み、大きく息を吐き出した。白い息は寒気の所為であるが不思議と先程までは寒さは気にならなかった。恐らく緊張の所為であろう。
 ふわりと視界にちらつく雪がいつ降ってきたのか解らない程リンドウは緊張の連続であったのだ。漸くその雪が頬に触れ冷たいと感じる程度にリンドウに神経は通常に戻りつつあったが、戻れば戻る程心は暗く沈んでゆく。
「嘘つきだなアンタ」
 背中からかかった声の主が誰であるかリンドウは振り返らなくても正確に把握できた。
「嘘は一つも言ってませんよ副長」
 その言葉に土方は顔を顰めると煙草に火をつけた。一向に戻らないリンドウを心配した山崎のかわりに土方が探しに来たのだ。将軍に引き止められて話し込んでるとは想像もしていなかったが、邪魔する訳にも行かず土方は寒い中話が終わるを待ったのだ。リンドウの後姿を眺めながら土方はゆっくりと煙草の煙を吐き出す。
「…自分の仕事に誇りを持ってるのも本当。ホステスが接客のプロだと思ってるもの本当。綺麗なお姉さんの中に入りにくいにも本当です」
「ああ、そうだな。何一つ嘘は言ってねぇな」
「ええ。店に入りたくない一番の理由を言わなかっただけです」
 嘘を付けばボロが出る。だからリンドウは嘘はつかない。開示する情報に制限をかける。それがリンドウが持っている話術のスキルなのだ。嘘の辻褄を合わせる為に嘘を付き続けるのは意外と難しいが、情報開示に制限を設け、できるだけ相手が好意的に解釈するよう誘導する。最終的に何かあっても相手の勘違い・思い込みでうまく切り抜けられる方法である。リンドウが聞き上手だと言われるのは相手の言葉をしっかり聞いて思考パターンを把握する作業を行うからだ。相手の好意的解釈を誘導する過程でどうしても聞く側に回らざるをえない。その過程を経る為リンドウに意見を求めれば彼女は恐らく自分自身の意見を一番相手の納得しやすい形で提示できる。嘘は一切使わず。
「…そうか。アンタらしいな」
 恐らく一番の理由をあの場で提示すれば近藤が困ったであろう。だからリンドウは別の理由を提示したのだ。将軍が納得できて近藤が困らない理由を。
「私莫迦なんです多分」
 そう呟いたリンドウが振り返ったので土方は彼女の表情に視線を向けた。泣き出しそうなくせに穏やかに微笑む表情。理由を聞けば恐らく寒いんですと返答が来るだろうと思って土方は煙草を噛んだ。
 緩やかに侵食していた己自身の感情が急激に這い上がって来る錯覚に囚われて土方は首を軽く振る。泣けば良いのに。そうすれば抱きしめて、慰めて、つけこめるのにと一瞬考えた事に自己嫌悪する羽目になる。でも多分リンドウは泣かないであろう。報われない事を知っていて近藤の事を思い続けているのだから。側にいるだけで良いと微笑んでいるのだから。
「ああ。莫迦だな」
「土方さんも同じでしょ?」
 突然名前を呼ばれて土方は驚いたように顔を上げる。山崎が指南役だった所為かリンドウはいつも彼と同じ様に『副長』と土方の事を呼んでいたのだ。余り名前で呼ばれる事がなかった事もあり、莫迦みたいに土方は動揺した。お陰で何に対して同じだと言われたのか理解できず、自分の好意を知られたのかと短絡的に思い言葉を失う。
「…莫迦でゴリラでストーカーでダメダメですけど、大らかで優しい近藤さんが土方さんも大好きなんですよね」
 そう言うとリンドウはいつもの様に穏やかに微笑む。だから一緒ですねと。
 極度の緊張状態から開放された土方は大きく息を吐き出すと、そうだな、俺も莫迦だと自嘲気味にリンドウに同意した。彼女の言う事は何一つ間違っていない。土方は近藤に心底惚れ込んでるし命を賭ける覚悟もある。もしもリンドウが惚れてるのが駄目な男なら攫う事も出来ただろうが、土方自身が唯一認めてる男に惚れてるのではソレも叶わない。でも諦め切れなくて全てが手遅れになるのを待っている。だから自分も莫迦だと認めたのだ。
 土方の同意を得てリンドウは満足そうに笑う。
「莫迦は風邪ひかねぇって言うけど雪も降ってきたしいい加減帰れよ。山崎は震えて待ってるんじゃねぇの?」
「はい」
「ハルちゃん。良かった、まだいた」
 声をかけられ驚いたようにリンドウが顔を上げると窓から顔を出した近藤が手を振っていた。
「どうしました?」
「いや、寒いだろうと思って。雪降ってきたし」
 そう言うと近藤は手に持っていたマフラーを体を乗り出しリンドウに巻いてやる。恐らく近藤のマフラーであろう。驚いた様な顔をしたリンドウに近藤は寒い中御免ね、気をつけて帰ってね。あったかくするんだよと子供に言うように心配を口にしたのでリンドウは嬉しそうに微笑むとはいと返事をした。
「お、トシ。お前も寒いんだから中に入れよ。悪いな、見回りとかしてもらって」
 土方に気が付いた近藤はそう言うと困ったように笑う。いつも自分が気が付かない事を土方が細々とやっているのを知っているので申し訳ないと感じたのであろう。
「…俺の仕事なんだから気にすんな。アンタは莫迦なんだから余計な事考えねーで接待しとけよ」
「すまん」
 近藤の素直な反応に土方が口元を緩め直ぐ店に戻るわと言い表へ向かおうとすると、その後をリンドウが付いてきた。彼女の表情をちらりと伺うと、近藤にマフラーを借りてご満悦なのか嬉しそうな顔をしていて思わず土方は微笑を零す。
「何が可笑しいんですか」
 笑われたと思ったのかリンドウが少し不服そうな顔をすると土方は瞳を細めてなんでもないとだけ短く返答した。
「副長はいっつもそればっかりですよ」
 そういわれ土方は少し思案して、アンタの話術にはめられるのが癪だからと言う。するとリンドウは意外そうな顔をして返答をした。
「仕事以外であんな面倒なやり取りしませんよ。近藤局長にも、副長にも、沖田隊長にも山崎さんにも」
「そうか。…アレくらいで嬉しそうにするから随分単純だと思っただけだ」
「莫迦だからそれで良いんですよ」
「…俺も莫迦だから笑えねぇな」
 土方の返答の意味が汲めなかったリンドウは不思議そうな顔をしたが土方は少し困ったような顔をしただけでその後は何も言わなかった。
 店の前で寒そうに待っていた山崎に詫びて仲良く自転車で帰るリンドウを眺めた後、土方はゆっくりと空を仰いだ。雪は降り続けて寒い筈なのに不思議と今は気にならなかった。
 嬉しそうにしてる彼女の隣を歩いているだけで良いと思った自分自身はやっぱり莫迦だと小さな溜息をつくと店の中に戻った。


土方が危うく自爆する所だったの回。
地味にお気遣い紳士な近藤さん。そして将軍書いてて楽しかったです。
20081215 ハスマキ

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