*一葉落ちて天下の秋を知る*

 季節もすっかり秋に移り替わり、江戸の街も日々寒さが増して行く。
 背中を少し丸めて外回りから帰って来た近藤は局長室でいつも通り掃除をしている人影を見つけて声を掛けた。
「お疲れ様ハルちゃん」
「あ、お帰りなさい近藤局長。もう少しで終わりますので」
 リンドウの言葉に頷くと、急がなくて良いよと笑い近藤は机に向かった。リンドウを含めた女性隊士のお陰で屯所も何だかんだで随分綺麗になったなと思いながら近藤は書類に順番に判を押して行く。
 しかしながら彼女達の掃除はあくまで給料外の奉仕活動である。無論掃除当番なるものは一応存在しているが、それ以外でも彼女等は手が空けば掃除をしているのだ。余りにも申し訳ないので無理しないで欲しいと近藤は言ってみたりもしたが、彼女等は仕事環境を改善しているだけであり、ある意味自分の為だと口を揃えて返答された。
 棚に乗っている物を一つ一つ移動して丁寧に掃除するのを見ているとやはり自分には彼女達程細かい仕事は無理だと近藤は苦笑する。以前自分で掃除していた頃、見える所しか掃除しないと土方に叱られたのを思い出したのだ。
「どうされました?」
「いや。昔トシに掃除の仕方がいい加減だって叱られたの思い出してね。ハルちゃんみたいにちゃんとできたら良かったんだろうけど」
 その言葉にリンドウは淡く微笑むと、廊下に出していたバケツで雑巾を洗う。それを何となく眺めていた近藤はバケツに入っているのが水である事に気がついた。リンドウの指先が気の毒な程赤くなっており、それに対して近藤が口を開こうとしたが彼女がバケツを抱えてその場を後にしてしまったので失敗に終わってしまった。
 屯所でお湯が使えない訳ではなく、実際他の隊士はこの季節になるとお湯を使って掃除をしているのにリンドウがわざわざ水を使っている事が不思議だった近藤は彼女が帰って来るのをじっと待つ事にした。
 湯の入ったヤカンを持って戻って来たリンドウは局長室のポットに湯を足し、近藤にお茶を入れる。
 それを受け取ると近藤は疑問を口に出した。
「ハルちゃん。掃除にお湯使わないんだね。何で?冷たいでしょ」
 するとリンドウは少し困ったような表情を作り自分の分のお茶を注ぎながら返答する。
「お湯を使うと手が荒れるんです。手の油分が抜けてカサカサになるので…元々綺麗な手でもないので焼石に水な気遣いですけど」
 そう言われ近藤は湯飲みの握られたリンドウの手に視線を落とした。湯飲みの熱で先ほどより血色は良さそうだが白魚の様な手とはいかない。
「近藤局長?」
 黙り込んだ近藤にリンドウが声をかけると、近藤はひょいとリンドウの手を取りじっと眺める。
「ごめんね。ゴム手袋でも買えば良かったね」
 リンドウの小さな手は気の毒な程荒れていたし、真面目に稽古をしている事もありマメだらけであった。お世辞にも綺麗とは言えない。他の年頃の娘はもっと綺麗な手をしているのだろうと随分リンドウに苦労をかけている様な気がした近藤は申し訳なさそうな顔をする。しかしリンドウは少し困ったような、恥ずかしそうな顔をすると少しだけ微笑む。
「綺麗な手じゃないので眺められると何だか恥ずかしいです」
 その言葉に近藤は驚いた様な顔をすると柔らかく笑いぎゅっと握る手の力を込めた。
「綺麗じゃないかもしれないけど、ハルちゃんが頑張ってお仕事して、稽古した手だからね。俺は好きだよ」
「…有難う御座います」
 近藤の言葉にリンドウは瞳を伏せて恥ずかしそうに礼を言った。近藤はいつでも優しいし、気を使ってくれる。それが自分に向けられるのは恥ずかしくもあり嬉しくもあるのだ。近藤の何気ない一言で幸せな気分になれるリンドウは自分に対し思わず苦笑する。
「あ。ハルちゃんコレつかってみて。さっき外回りで貰った試供品なんだけど俺は使わないから」
 上着から取り出されたものをみてリンドウは少しだけ首をかしげた。小さな容器に入ったハンドクリームのようである。普段リンドウは使用しない高級な部類に入る商品で、TVCM等でも何度かみた事があった。
「でも、コレ高いんじゃ…」
「道で配ってたからただだよ。すっごく良いって配ってた人言ってたから試してみて」
 期待の眼差しを近藤が向けるのでリンドウはそっとそれを手に取り付けてみる事にした。この手の商品は一度の使用で目に見えるほど効果が出る事はそうそうないが、少なくとも現在荒れ放題なリンドウの手は随分とみずみずしさを取り戻すと思われる。ささくれ立った指先までクリームを延ばすと、リンドウは少し驚いた様な顔をしたので近藤はどうしたの?と聞く。
「いえ…思ったより良い商品ですね」
「本当?触ってみても良い?」
「どうぞ」
 通常セクハラと突っ込まれるであろう発言であるが、リンドウは快く近藤に手を差し出す。近藤が下心も何もなく、純粋な興味でそう言った事をリンドウが理解していたからだ。
「おお。コレは。なんつーか、さっきと全然違うね」
「ですよね。凄いですね」
 二人で高級ハンドクリームの威力に感激していると、がらりと障子が開き書類を持った土方が姿を現した。
「近藤さん、至急の書類が…」
 そこまで言葉を放った土方だったが、室内の様子にぎょっとしたような表情をすると黙って障子を閉める。
「え!?トシ!?その書類至急じゃないの!?」
「いや、後でいいや。わりぃ。邪魔した」
 慌てて立ち上がり土方を追いかける近藤に対し、顔を背けて土方は侘びを入れた。よりにもよってあんな場所に出くわした自分の不運を呪いながら。
「邪魔してないぞ。意味が解らん」
 本気で困ったような近藤を見て土方はちらりと開け放たれた障子からリンドウの様子を伺うが、彼女は何事もなかったかの様に土方の分のお茶の準備をはじめていた。
「…そんじゃこの書類に判子くれよ」
「おう」
 小さく溜息を付くと土方は観念したように近藤に書類を差し出し局長室へ一緒に入る。早速書類に目を通し始めた近藤の正面に土方が座ると、リンドウがお茶をそっと差し出してきたのでそれを受け取る。ふと、視界に入ったリンドウの白い手を見て先程の光景を思い出し土方は不機嫌そうな表情を作るが、直ぐに別の事に気がついた。
「エステでも行ったのか?」
「はい?」
「流行ってんだろ、ハンドエステとかそんなの」
「いえ…あ、先程近藤局長から頂いたハンドクリーム塗りましたけど…」
「ふーん」
 土方の突然の言葉にリンドウは困惑したようにそう答えると、近藤は試供品だけどねと情けない笑顔を作る。プレゼントにしては余りにもお手軽で胸が張れる代物ではない。
「アレな、すごぞ!一瞬で手に潤いが!な感じだった。トシも触らせてもらうといいぞ」
 瞳を輝かせ先程の感動を伝える近藤を見て土方はしかめっ面を作ると短く、俺はいい、とだけ言う。そこで漸く土方は先程の光景はハンドクリームの威力を近藤が確認していただけだと言う事に気が付き、早とちりした自分を恥じる。
「本当凄いですよね。もう少し安かったら私も買うんですけど」
 少し小奇麗な感じになった自分の手をリンドウが眺めて淡く笑うので近藤は又貰ったらあげるねと書類の束を纏めながら言う。
「あ、それじゃちょっと台所行きますので失礼しますね。本当に有難う御座いました」
 近藤から渡されたハンドクリームを嬉しそうに手に取るとリンドウはヤカンを抱えて部屋を後にした。それを見送り近藤は今度は土方に書類を渡す。
「…トシは偉いな」
「何がだよ」
 返却された書類を確認する土方に近藤はポツリと呟く。
「だって、ハルちゃんの手が荒れてるって知ってたんだろ?俺は今日まで気がつかなんだ。ちゃんと隊士の事見てるんだなと思って」
「…知ってても何もしねぇよ俺は。アンタはちゃんと気が付いて直ぐに対処してんだからそれで良いだろうよ」
 知ってても何もしないのは知らない事と同じだと土方は煙草に火を付けながら付け足すと紫煙をゆっくり吐き出した。
「他の女の子もあんな感じかな?ゴム手袋買った方が良いかな?ハンドクリームの方がいい?」
 近藤があれこれ悩んで口に出すので土方は少しだけ考える。
「他の奴等は割りとマシだろうがまぁ、経費でその辺のもん買っても良いって言えば喜ぶんじゃねぇの?」
 リンドウの手がどうしようもなく荒れていたのは知っている。慣れない剣術稽古で何度もマメを潰しているし、そんな手なのにお構いなしで掃除やらなにやらしているのだ。他の隊士も条件は同じではあるが、リンドウは特に自分の手に関して言うなれば後回し後回しにして今の状態になっていると思われた。身だしなみに無頓着な訳ではなく、ただ、手の手入れにソレほど時間をかける位なら仕事をしていた方が有意義だと思って居るのかも知れない。
「そうだな。ハルちゃんも喜んでくれたし」
 土方は瞳を細めると近藤の率直な好意が羨ましいと感じた。直ぐに行動に移して何とかしようとする。頭であれこれ考えていつも一歩遅い自分との差は多分大きいが、局長と副長という立場であるのなら自分は思考型の方がきっと真選組としてはバランスが良いのだろう。
「そんじゃ行くわ」
「おお。引き止めてすまんかったなトシ」
 立ち上がる土方に近藤が詫びると土方は気にするなというように軽く手を上げて局長室を後にした。

 

「オイ」
 台所で片づけをしていたリンドウに土方は声をかける。驚いた様に振り返ったリンドウはお仕事ですか?と首を僅かに傾げて返答をした。土方から声をかけられる時は仕事の依頼が圧倒的に多い為である。
「いや。仕事は別にねぇ」
「休憩にいらしたんですか?お茶入れましょうか?」
 リンドウが茶器を準備しようとしたので土方はそれを制止すると、リンドウの手を取って持ってきたものを握らせた。
「やる。俺も使わねぇから。なくなったら経費で買え。多分近藤さんが許可出してくれる」
 近藤と同様試供品を貰っていた土方は態々部屋に取りに帰りそれを届けに来たのだ。土方がくれたものが近藤と同じ物だと気が付いたリンドウは表情を明るくすると嬉しそうに微笑む。
「有難う御座います副長」
「手の手入ればっかりでも困るが、ちったぁした方が良いんじゃねぇの?」
「…ですよね。何だか後回しになってしまって」
「無理にとはいわねぇけど」
 心なしかリンドウの表情が萎れたので土方はそう呟く。近藤の様に気が付いた時に何かしてやれば良かったのに色々考え過ぎて後回しにしていた自分にリンドウに指図する資格などないと思いながら、それでも喜ぶならと近藤の二番煎じをしてしまう自分自身に土方は苦笑した。
 用事が済んだ土方が部屋を出ようとしたのでリンドウは慌てて土方の手を取り少しだけ笑った。
「今の私の手こんな感じです」
「…」
 驚いて言葉も出ない土方に気が付かないのかリンドウは更に言葉を続けた。
「近藤局長と副長のくれたハンドクリームなくなる頃にはきっともう少し綺麗になってると思うので楽しみにしててくださいね」
「…ああ」
 するりと離れた手が名残惜しいと思った自分を押さえつけて土方はそう短く返事をするとリンドウに見送られてその場を後にする。
 突然の事で思考が追いつかなかった土方は庭に降り煙草の火を付けるとすっかり秋らしくなった中庭に視線を巡らした。漸く思考が正常機能する様になった頃には随分煙草は短くなっており、土方はそれをもみ消すと再度新しい煙草に火をつける。
──アレ位で動揺とか中二かよ。莫迦じゃねぇの。
 リンドウの手ならばどんな手でも構わないと思いながら、どうしてもそんな言葉を吐けない自分に苛立ち土方は踵を返すと仕事に戻る事にした。


近藤さんと土方は多分こんな感じで方向性が違うんじゃないかと。中二ですね土方。
20081107 ハスマキ

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