*鳴かぬ蛍が身を焦がす*

 真選組の屯所でも一番日当たりの良いとされる近藤局長の部屋の前。縁側で近藤はその人に頭を預けごろりと横になっていた。
「いつも悪いね。自分でやるのなんか怖くてね」
「気になさらないで下さい近藤局長。丁度お仕事終わって私も暇なので」
 近藤の頭を膝に乗せるのは真選組の女性隊員一期生であるリンドウハルであった。隠密・諜報部隊として採用され、山崎と一緒に仕事をしている彼女は仕事の報告をする為局長室に出向いた所で近藤から耳掃除の依頼を受けたのだ。本来ならセクハラで訴えられてもおかしくない依頼であるが、リンドウは以前から何度も引き受けていた事もあって笑顔でその依頼を了承した。初めてのお願いの時に涙目で『自分でやるの怖いからお願いハルちゃん!』と言った近藤の顔を思い出してリンドウは僅かに微笑む。でかい図体でなんて可愛い人なんだろうと思ったのだ。
「掃除する所見えないし、なんか加減わからなくてさ」
「そうですね。私もちょっと怖いです。気をつけて掃除しますね」
 暖かい縁側で近藤はいささか眠くなってきたが、寝てしまうのはリンドウに失礼だろうと睡魔と闘うがあえなく撃沈し、寝息を立てる。
 その寝顔を見ながらリンドウは幸せそうに微笑むと黙々と作業に没頭する。必要とされるのが嬉しかったし、こうやって無防備な所を見せてくれるのも嬉しかったのだ。身よりもなく、とりあえず公務員なら食べるの困らないと志願した仕事ではあるが今は近藤の側で働けるのがただ幸せであった。
「俺なら怖くて頭なんか預けられませんがね」
「沖田隊長」
「頭叩き割られても文句言えませんからねぇ。あーあーだらしない寝顔で」
 近藤の寝顔を見ながら僅かに顔をしかめると沖田はリンドウの横に座り近藤が彼女への礼として用意した菓子を摘んで口に運んだ。
「そんなことしませんよ」
「でしょうね。アンタは」
 咎める訳でもなく非難する訳でもなくリンドウは微笑を浮かべたまま沖田と会話を続ける。容姿は至って平凡であるリンドウはある意味山崎同様隠密向きである。家事技能と話術に至っては随分と評価されているし、護身術程度は真選組に入った時に叩き込まれていたので隠密・諜報としては随分と評価が良い。いつの間にかそこにいるという印象が沖田には強かった。何となく用事があるときに現れて用事が終われば何事もなかったようにいなくなっているそんな女。
「アンタ諜報にむいてますわ」
「そうですか?私には解りませんがお仕事は頑張ってやらせて頂いてますよ。少しでも隊のお役に立てればと思ってます」
「近藤さんの役にじゃないんですかい?」
 沖田はそう言いリンドウの表情を伺うが彼女の表情は何一つ動くことなく幸せそうな微笑を浮かべたままであった。ある意味ポーカーフェイスだと沖田は感じながらちらりと視線を他所に向ける。それに気がついたリンドウは少しだけ不思議そうに沖田に声をかけた。
「どうしました?」
「いや。莫迦だとおもいやしてね。男の趣味は悪くないけどアンタ報われない悲劇のヒロインにでもなりたいんですかい?」
「私は今こうやって真選組で…近藤局長の下で働けるのがとても幸せなんです。側にいて、必要とされて、それ以上望むのは我儘だと思います」
 その言葉に嘘はないと沖田は感じたが、近藤が妙の所に出かけるときに彼女が見せる一瞬の表情の揺らぎを知っている。
「俺なら攫うか奪うかしますがね」
 その言葉を聴いてリンドウはほんの少しだけ困ったような表情を作り、手に持っていた耳かきにふぅっと小さく息を吹きかけた。
「終わりましたよ近藤局長」
 優しく揺り起こされて近藤は目を覚ますが側に沖田が座っていたのでバツの悪そうな顔をする。
「お、総悟いたのか。うっかり寝てしまって…天気が良いから…あ、ハルちゃん有難う」
 子供のようにゴニョゴニョと言い訳をする近藤を眺めながら沖田は意地の悪い顔をすると、リンドウの服にお父さんの臭いがつきやすぜと言い遠慮なく菓子に手を伸ばす。
「総悟…それはハルちゃんにあげたお菓子なんだけど…っていうか、お父さんの臭いなんてついてないよねハルちゃん!」
「多分大丈夫ですよ」
 リンドウが嫌がってないのを確認してホッとしたのか近藤は起き上がり体の関節を伸ばす。ずっと横になっていて少し体が軋んだらしい。体と動かした後財布を持って外出の準備を近藤が始めたので沖田は側にあったお茶を飲みながら声をかける。
「近藤さんお出かけですかい?」
「お妙さんの店行ってくる。とっつあんと接待だけど」
 近藤の言葉に沖田は僅かに顔を顰めたがリンドウは耳掃除の道具を片付けてゆっくりと立ち上がると、優しい微笑を浮かべいつも通り近藤を送り出す。
「お気をつけて」
「おう。あ、帰ったら改めて御礼するからね。お菓子総悟が食べちゃったみたいだし」
 接待とはいえ憧れの人と会える近藤は上機嫌で鼻歌を歌いながらその場を後にし、取り残された沖田はちらりとリンドウの表情を伺う。僅かに揺らぐ表情はいつも近藤がいなくなってから一瞬現れる。
「そんな顔する位なら諦めるか攫うかしらたどうです?」
「私は…あの人も、あの人を取り巻く人たちも大好きです。ただ側にいたいだけ…だから今のままで良いんです」
 そんなリンドウの言葉を聴きながら沖田は視線をめぐらせる。リンドウの言う事は理解出来ないわけではない。近藤は誰に対しても甘い。人の短所は見ようともしないし、どんな人間も懐に入れてしまう度量の大きさもある。リンドウは多分男の趣味は良い。独占欲の強い女が多い中自分より相手の幸せを願う希少な思考の持ち主なのか、自分が傷つくのが怖いので現状で満足しようとしているのかのどちらかなのだろう。
 ちらりと見たリンドウの表情からは何も読み取れず沖田は諦めたように肩を落とすとご馳走様と言ってその場を後にすることにした。別にリンドウに用があったのではない。
「沖田隊長」
「なんですかい?」
「えっと…バレバレなんですか?」
 その言葉に沖田が面食らって彼女を凝視するとリンドウは顔を赤くして目をそらす。
「あ…すみません。失言です。忘れてください」
「アンタは誰にでも優しいし愛想も良いけど近藤さんに対しては特別甘いと思いやしたけどね。まぁ、普通にアンタを見てる分には気付かないんじゃないですかね」
 気まずくなったのか沖田はポリポリと頭をかきながら言葉を発する。沖田とて直ぐに気がついた訳ではない。きっかけがあったのだ。
「ハイ…」
 少ししょぼくれた表情のリンドウを見て沖田は少し笑うと自分より低い彼女の頭をポンポンと叩く。
「まぁ、応援してますぜぃ」
「え?」
 驚いて顔を上げたリンドウを置いてさっさと沖田はその場を後にすると廊下の角を曲がった所でぴたりと足を止めた。そこに沖田が気にしていた人影があったのだ。
「諦めるか攫うかしたらどうですかい土方さん」
「意味がわからねぇよ。死ね」
 沖田がニヤニヤと意地の悪い顔をするとそこに突っ立っていた土方は不快そうに顔を歪めた。沖田が先に気がついたのは此方のほうだった。だからリンドウを気にするようになり、そして行き着いたのが究極の一方通行模様。はじめは何の冗談かと思ったが、よくよく観察してみるとどこもかしこも報われないある意味呪われた連鎖だと思った。ただ沖田が確信したのは土方への嫌がらせ要素が無尽蔵に増えてゆくであろう事実。
「莫迦だと思ってやしたけど本当に莫迦なんですね土方さん。死んだほうが良いですぜぃ」
 ひらひらと手を振りながらその場を後にする沖田を土方は舌打して見送ると視線を縁側に移した。
 誰もいなくなった縁側でぽつんと座る女。
 本当は近藤に用事があったのだが、土方はあの空気に割って入れなかった。近藤は屈託なく、沖田は厭そうな顔をし、リンドウはいつも通り微笑んで受け入れてくれるだろう。しかし自分だけがどうにもならない歪みを抱えてる事を認めるのが厭だったのだ。
 リンドウは近藤の側にいる時以外は殆ど目立たない。でも気がつけば近藤の側にいる女。
 そんな事を考えて土方は思わずくわえる煙草のフィルターを噛む。莫迦な女だ。そして自分も莫迦だと。
 ゴトンと音がしたので土方が驚いて顔を上げると縁側に座っていたリンドウはいつの間にか縁側にごろんと横になって寝息を立てていた。一番日当たりが良い縁側で先程の近藤同様睡魔に襲われたのであろう。
「莫迦な女」
 そう言いながら土方はゆっくりとそちらに歩み寄り寝ているリンドウの顔を覗き込む。化粧も最低限で容姿は平凡。家事能力と話術以外はとりえのない女は幸せそうに眠っていた。土方は上着を脱ぐとリンドウにそれをかぶせ、近藤の部屋の灰皿を探した。ぼんやり突っ立って時間を食ったせいで携帯用灰皿に新たな煙草を詰め込むのが不可能だったのだ。
 漸く見つかった灰皿に灰を落とすと、土方は先程リンドウが持ってきたと思われる報告書に目を通し始めた。

「あーまだ此処にいたんだリンドウさん」
「はい?」
 庭からかかった声にリンドウはむっくりと起き上がり間抜けな声を出す。同じ班の山崎が彼女を探しに来たのだ。リンドウは暫し現状の把握に時間をかけたが、自分が何をしに局長室を訪れたのか思い出し頭を抱える。
「すみません。局長に報告は終わったんですが、山崎さんへの報告遅くなりまして…すみません、寝てました!」
 土下座せんばかりに頭を下げるリンドウに山崎は苦笑すると、遅いから心配しただけだしと困ったような表情を作った。もしも報告書に不備があってリンドウが遅くなっているのなら手伝いにと思って彼は此処に来た訳で、報告の遅延を叱咤しに来た訳ではなかったのだ。
「報告書問題なかった?」
「はい。手伝ってくださって有難う御座いました。近藤局長への報告完了しました山崎班長!」
「ご苦労様。あ、もう帰って良いよ。後は明日みんなでの打ち合わせになるから…」
 そこまで言って山崎はリンドウにかけられた上着を見てぎょっとした。幹部クラスが着用している上着が彼女の膝の上に乗っていたのだ。多分起き上がったときに落ちたのであろう。
「どうしました山崎さん…」
 突然山崎が黙ったのでリンドウは彼の視線が止まった自分の膝を見る。見慣れた上着。
「…あれ?」
 状況を把握できないままリンドウはポリポリと頭を掻く。近藤は出かけ、沖田も先程この場を後にした。
「うっせーんだよお前等。仕事終わったならさっさと帰れ」
 鬼のような形相で二人を睨み付けた土方は不機嫌そうにそう言うと煙草をくわえながら近藤の机の書類をぱらぱらと捲っていった。副長である土方は近藤のディスクワークを手伝う事もあるので近藤の机に向かう姿は見慣れているのだが如何せん不機嫌さが尋常ではない。山崎は真っ青になると頭を下げ猛ダッシュで逃げて行き、リンドウは先程同様土下座せんばかりの勢いで土方に頭を下げる。
「うっかり昼寝してしまい申し訳ありませんでした!」
 リンドウは頭を下げながらちらりと土方の表情を伺うが、相変わらず不機嫌そうだったので、此処は早々に退散した方が良いと判断し立ち上がる。
「あの…」
「なんだよ」
「上着有難う御座いました」
 土方の不機嫌そうな返事とは逆にリンドウはほんの少し微笑んで土方の上着を畳み例を述べた。その柔らかい笑顔に土方は一瞬言葉を失うが、そのへんにおいとけとだけ言うと又興味が失せたかのように書類に目を通し始める。
 再度頭を下げリンドウがその場を後にすると土方は新しい煙草に火をつけゆっくりと肺に煙を流し込む。
「本当どうしようもない莫迦だな…」
 そう呟くと土方はもう誰もいなくなった縁側に視線を移し、自嘲気味に笑った。


200806 ハスマキ

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