*後日談01*

 山崎と一緒に昼飯を食ってブラブラしていると、道の遥か彼方から悲鳴が聞こえ、思わず二人で顔を見合わせた。
「?何でしょうか」
「知るか」
 しかしながら真選組という立場上、攘夷浪士の揉め事なら見過ごすわけには行かない。とりあえず様子を見に行くかと考えた所で、向こうからこちらへやってきた。
「助けて兄さん!」
 そう言って自分の目の前に飛び込んできたのは、三味線屋で、そう言い放つとさっと俺の後ろに隠れるように身を潜めた。反射的に刀に手を置いた瞬間、視界は暗転し、直ぐ傍で山崎の悲鳴の様な声が聞こえる。
「うわぁぁぁ!ちょっと!万事屋の旦那!なんですかこれ!」
「コラ!定春!ぺっしなさい!腹壊すだろ!」
 そこで漸く俺は万事屋の飼う、あの莫迦デカイ犬に頭をまるかじりされている事に気がついた。生臭いのもそのせいだろう。必死で引き剥がす男三人の姿はさぞかし滑稽だったであろう。漸く引き剥がせたときには俺の頭はあの犬のヨダレでベトベトである。
「手前ェ!ふざけんな!公務執行妨害でしょっぴくぞ!」
「俺だって好きで定春に食わせた訳じゃねーし」
 不貞腐れたような万事屋の態度は気に食わない。オロオロとする山崎、そして、自分の服を掴んだままの三味線屋。そりゃあんな莫迦デカイ犬に追い掛け回されたら怖いわな、と思いながら、彼女に視線を向け、俺は絶句した。
―─涙目とか……。
 今だにデカイ犬がギリギリ万事屋が手綱を握って制御しているのが気になるのか、ソワソワとした様子でそちらに視線を向ける三味線屋。俺の服を掴んだ手を放す様子がない。
「……山崎。三味線屋送ってやれ」
 思わず俺の零した言葉に、漸く我に返ったのか三味線屋ははっとしたように手を放し、首を振った。そしていつもの表情で淡く微笑んだ。
「大丈夫よ」
「今日は市中見廻りだ。気にすんな」
 俺の言葉に三味線屋は僅かに困ったような顔をしたが、山崎が、先生行きましょう、と声を掛けたので彼女はそれに従ってその場を離れた。それに対して、ワン!と脳天気な声を上げた犬に視線を送り、俺は思わずため息をついた。
「制御できねぇんだったら飼うな。近所迷惑だ」
「神楽ちゃんがいつもはこの時間散歩に行くんだけど帰って来なくてさぁ。悪い事したな、カグヤちゃんに」
「……アイツその犬苦手なのか?」
 犬と言うにはサイズも大きく、追いかけられれば確かに怖い。それでも彼女が泣く程なのかと思い、つい口にした。すると万事屋は暫し黙っていたが、頭を掻きながら言葉を零す。
「子供の頃から犬、全然駄目なんだわカグヤちゃん。野良犬に腕カプッといかれてからかなぁ」
 その言葉に思わず俺は言葉を失った。そんな素振りを全く今まで彼女が見せなかったのだ。道を歩いていれば猫も犬も割と見かけるが、いつも怖い等と顔に出さずに素知らぬ顔で彼女は歩いているのだ。ただ、他の女によく見る、可愛いと犬猫に構う素振りも確かに見せない。ただ単に興味がないだけかと思っていた。
「……腕噛まれて、血がダラダラ流れてんのに、悲鳴も助けも呼ばずに犬ぶら下げたまま怒った顔して腕振り回してたんだわ。正直、それに気がついたとき、こっちが涙目になった」
 どうしてだろうか、そうやってる子供の三味線屋が安易に想像がついて可笑しかったが、万事屋は神妙な顔をしてカグヤと山崎の歩いて行った道に視線を送った。
「高杉なんか怒って犬追いかけまわすし、手当してたダチは半泣きだったしさ。泣いて助けでも呼べばもっと早く気がついたのに、それしねーの。カグヤちゃんらしいって言えばらしいけどな。多分それから犬苦手になったんじゃないかって思う。俺も定春飼うまで忘れたけど」
 定春がいない時以外は家に寄り付かないし、定春が帰ってきたら入れ違いに帰る。それを見て、犬が苦手なのを思い出した、と万事屋は続けて髪をかき混ぜた。
「だからさ、多串君見つけて一目散に駆けてったのは正直驚いた。その上泣いて、助けてとかさぁ。アレ?俺悪い夢で見てんの?て気分だわ」
 悪い夢と言われムッとしたが、確かにあの女が、助けて、と駆けてきたときは自分も驚いたが、そう悪い気分でもなかった。
「俺さ。カグヤちゃんは辰馬の前でしか泣かないんだってずっと思ってたんだわ。人には、泣いても良いのよ、なんていくらでも膝貸してくれるのにさ。自分は辰馬以外に弱味見せねーの。高杉もそれ気に入らなかったみてーだけど、カグヤちゃんにそーゆー場所必要だって、頭では解ってたんだろうな。辰馬にだけは何にも文句言わなかった」
「坂本辰馬か……」
 思わず反芻して頭に浮かべたのは、脳天気な笑いをする赤コートの男。嘗て三味線屋の恋焦がれた男。
「多串君。眉間に皺、寄ってる」
「うるせェよ」
 ニヤニヤと笑いを浮かべる万事屋が不快で、吐き捨てるように言うと、奴は瞳を細めて笑った。
「……何で辰馬なんだろーなって、ずっと思ってた。俺とか高杉の方が付き合い長いのに、寂しいよなぁってさ。言ってくれりゃ、膝でも胸でも貸すのに、絶対言わねぇの」
「……」
 言葉を探している内に、万事屋はつまらなさそうに俺の方に視線を向ける。
「今は何で多串君なんだろーなって思ってんだけど。何で?」
「……俺にとって、アイツが一番じゃねぇからだろ」
 そう言って思わず、あぁ、そうか、と納得した。忠誠には信頼を、師弟愛には師弟愛を、友情には友情を、家族愛には家族愛をアイツは返し続けている。高杉は何よりも三味線屋が一番で、何を捨ててでも恐らく助けるだろう。それは多分三味線屋に取っては重い。返しきれない愛情をアイツは絶対に受けない。それを不誠実だと思っているのだろう。中途半端な対応は相手を傷つけると。
 幼馴染で、仲が良いからこそ、重しであってはならない、誠実でありたいとアイツは考えているのではないか。自分の所為で相手が大事なモノを諦めるのが厭なのだろう。たかが犬でと大袈裟ではあるが、多分アイツの根底にあるその気持が、人に寄りかかるのを躊躇わせる。
「え?一番じゃないの?マジで?そんなんで、高杉からカグヤちゃん取り上げたの?どんな魔法よそれ」
 心底驚いたような顔をした万事屋を見て、思わず眉間に皺を寄せた。
「あの赤コートだって、三味線屋が一番じゃなかったんだろ。だからアイツは心底ベタぼれしたんだ」
「辰馬の莫迦に妬いてんの?多串君」
 ニヤニヤと笑いながら言う万家が不快だったが、思わず呆れたように言葉を零してしまった。
「妬いてねぇよ。結局赤コートは三味線屋と一緒に歩いてねぇんだ。だった、俺は今の方が良い」
 そこまでいって、しまったと思い口を噤むが、万事屋は更にニヤけた顔をこちらに向けてイライラした。しかし、それに気がつかないのか、万事屋は更に口を開く。
「まぁ、カグヤちゃんが多串君を贔屓するのは意外っちゃ意外かなぁ。どっちかってと高杉にタイプ似てるしな」
「嬉しくねぇな」
「なんつーか、お宅のゴリとか突き抜けた莫迦の方が絶対好みなんだと思ってたけどねぇ。後は、ほら、痔持ちの忍者。あーゆー職人系もスゲー好きでさ。ジミーみたいなタイプは可愛がって可愛がってウザがられる事多かったけど」
 聞きもしないのにべらべら喋る万事屋が不快だったが、聞きながら、何で三味線屋が自分を贔屓にするのか分からなくなって煙草に火を付けた。昇る紫煙を眺めながら、万事屋にちらりと視線を送ると、奴はにやっと笑って瞳を細めた。
「泣いてる女、他の男に任せたりしてたら、取られちまうんじゃね?」
「……煩ぇよ」

 屯所に戻ると、山崎は既に仕事に戻っており、三味線屋の様子を聞く。
「大きな犬に追いかけられて吃驚したって言ってましたよ。あの犬本当大きいですからねぇ」
 脳天気な山崎の言葉に、そうか、と返事をして執務室に戻る事にした。苦手だとか、嫌いではなく、吃驚したで片付けたのが三味線屋らしいが、万事屋の言う事は分からないでもない。絶対に弱味を見せない。いつかアイツの弱味を握って、今まで自分がされてた様に、傷口に塩を塗りつけてやろうと思っていたのに、そんな気分にならないのはなんでだろうか。
 ゴロンと畳に寝転がって、瞳を閉じると、山崎の弾く三味線の音が聞こえて、一応の業務時間が終わったことに気がつく。
 無造作に放り投げた携帯電話を眺めながら、暫し思案した後、三味線屋の顔を見に行くことにした。

「おやまぁ。どーしたのさ」
「……どうしてるかと思って」
 別に用はないし、嘘をついても仕方がないと正直にそう言うと、三味線屋は瞳を細めて笑い、いつも通り部屋の中へ招き入れてくれた。相変わらず部屋は片付いており、座布団に尻を乗せると、卓に乗せてある酒に視線を送った。
「飯も食わねぇで飲んでんのかよ」
「つまんでるわよ。兄さんもどう?」
 笑いながら俺の分も準備して持ってきてしまったので、断る事をせずに、盃に酒を満たした。一口舐めて、三味線屋に視線を送ると、いつも通り機嫌よさそうに酒を飲んでいる。まるで昼間みた顔は白昼夢だったのではないかとさえ錯覚する。
「そういえばさ、定春君に噛まれた所大丈夫だった?」
 ぼんやりと考え事をしていると、そう言われ、驚いて三味線屋の方を見た。
「ヨダレでベタベタになったけどな。怪我はしてねぇよ」
「そっか。ザキさんと帰った後に、兄さん大丈夫だったかなって思ったんだけど、仕事中に電話するのも悪いと思ってさ」
 そう言うと、三味線屋は盃を一気に煽った。無駄に男前な飲みっぷりに呆れるしかないが、ちびちびと俺は酒を舐めながら、言葉を探した。
「小さい犬も駄目なのか?」
「……最近は大分マシなんだけどね。定春君は大きいし、やっぱ怖いわ。銀さんから聞いたの?」
「犬ぶら下げたまま腕ぶん回してるの見て、万事屋が涙目になったって話は聞いた」
 すると三味線屋は咽喉で笑って瞳を細める。自分から昔話は滅多にしないが、外の誰かが自分の話をする事には余り抵抗はないのかもしれない。嫌そうな顔をしなかったのに思わずほっとする。
「アレは酷かったわぁ。全然離れないし、晋兄は怒って野犬狩りするって言い出すし、銀さんも涙目で引き剥がすし」
 思い出して可笑しくなったのか、笑いながらそういうので、思わず呆れたような顔をした。
「次はもっと早く助け呼べ。怪我して跡残ったら困るだろーが」
「もう傷だらけだからいいのよ」
 その言葉の意味がわからず、一瞬考えこむが、至った答えが不快で俺は思わず眉間に皺を寄せた。
「わざわざ増やさなくてもいいだろーが」
 攘夷戦争の傷。恐らくそうであろう。絶対強者の天人と殺り合って、無傷で通る筈はない。多かれ少なかれ残ってるのかもしれない。そもそも三味線屋はいつも和服で肌を見せることが極端に少ないから実際のところはどうなのかは知らないが。
「まぁ、それもそうよね。今回は兄さんいてくれて助かったわぁ」
 呑気に返答をするのが腹立たしく、思わず舌打ちをすると、盃の酒を一気に煽った。酒が回る感覚が心地良いが、思考はやっぱり不快で、思わずごろんと畳に横たわる。それをみた三味線屋は少しだけ笑うと、俺の髪を撫でる。
「どーしたの。ご機嫌斜めじゃないのさ」
「宇宙に行った赤コートはどんな奴だった?」
 言ってから後悔したが、三味線屋はそれに気がつかず笑いながら返答した。
「どうしようもなく莫迦で優しくて、大好きだったわ。あの人だけが、いい加減、晋兄甘やかして傍にいるのをやめろって言ってくれた。他の人は晋兄が私を閉じ込めてると思ってたのにね」
 高杉の檻から、本当はいつでも出られる事を知っていた男なのだろう。懐かしむような三味線屋の声を聞きながら、のろのろと身体をひっくり返し、彼女の表情を伺う。
「今でも惚れてんのか?」
「さぁ、どうかしらね」
 意地の悪い顔を浮かべて三味線屋が笑ったので、思わず俺は顔を顰めた。聞くんじゃなかった、そう思い、手を伸ばすと、三味線屋はその手をとって瞳を細める。
「……三味線屋」
「何?」
「万事屋に、手前ェの好みからは外れてるって言われた」
 その言葉を聞いて三味線屋は少しだけ驚いたような顔をしたが、直ぐに可笑しそうに笑い出した。
「好みって何の好みよ。兄さんの事好きよ。どうしようもなくヘタレで、ロマンチストで臆病で莫迦な所とかさ」
「イイトコねぇじゃん」
 どうしてこの女はこんなにズケズケとものを言うのだろうか。そこがいい所だとは思うのだが、上げられた個性は何一つ胸をはれるものはない。そして、それを否定する材料を何一つ持ち合わせていないのが悔しい。そう思ったのが顔に出たのか、三味線屋は慰めるようにまた俺の頭を撫でた。
「……俺も多分手前ェ好みじゃねぇんだ」
「知ってるわ。どっちかって言うと温和なタイプ好きじゃない兄さん。私が良いとかドMの発想よね」
 ドMとか酷いなオイ。心底ベタぼれな高杉の立場考えてやれよと一瞬ここにはいない男に同情した。
「でもなんでだろーな。手前ェといるのは悪くねぇんだ。手前ェがフラフラしてんのは昔っからだから構わねぇんだけど、人に取られるのは我慢ならねぇ」
 どうしてそう思うのかはわからない。誰と仲良くしても余り気にはならないが、誰かのものになるのはどうしても気に入らなかった。多分相手が高杉だろうが、山崎だろうが、万事屋だろうが、ピザ屋だろうがそう思うだろう。だからといって、自分の方を絶対に向いていないと嫌だとは不思議と思わない。
「……ちょっと変だよな」
 ぼそっとそう締めくくると、三味線屋は困ったように笑った。
「別にいいんじゃないの?誰が困るわけでもないんだし」
「そっか」
 なんとなく安心して瞳を閉じた。俺の手をつかむ三味線屋の体温が心地良くて微睡んでゆくのが解る。自分は三味線屋が与えてくれる分だけ返せているんだろうか。そんな事を考えながら俺は意識を手放した。


フラフラしている似たもの同士
20110601 ハスマキ

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