*物足りねぇんだけど・後日談*

「すみませんけど手首落としたいんで刀貸して頂けますか?」
「私がやってもいいけど」
「信女さんじゃ上手過ぎて……私みたいなクソ雑魚剣術で落としたほうが、こう……色々続くでしょう?」

 例えば信女が綺麗に落としてしまったのでは痛みも大したことがないのでつまらない、そんな反応を眼の前の山崎……否、君菊がしたので、それもそうだと信女は頷いた。

「アンタ見廻組でしょ!?止めなさいよ!!」
「煩いから首にしとく?」

 信女の冷ややかな声にヒッっと引きつった悲鳴を上げたのは嫦娥。見廻組の屯所にある地下牢に現在放り込まれているのだが、面会だと言われて彼女の前に現れたのは君菊だった。
 無愛想な信女とは逆に満面の笑みを浮かべる君菊に嫦娥は唖然とする。元々迦具夜姫と違って愛想がいいとは言われていたのだが、それでも物騒なことを笑顔で言い放つ君菊の異常性にガタガタと嫦娥は震えだした。

「手首何に使うの?」
「手首自体はどうでもいいんですよ。欲しいのは指輪ですから」

 不思議そうな信女の声に君菊が瞳を細めて嫦娥を見下ろす。それに対し嫦娥は反射的に手を握り込んだ。指にはめられた指輪を隠すように。けれど君菊はそんな事をしても無駄だと言うように笑った。

「土方さんのなんですよ。っていうか、てっきり見廻組で回収したのかと思ってたんですけど。拠点探しても出てこなかったんで焦りましたよ」
「異三郎の指輪みたいに仕掛けがあったわけじゃなかったから」

 一応身体検査はしたのだが、指輪に関しては嫦娥が外すのを嫌がったのと、これと言って仕掛けもない普通のものだったのでそのままにされていたのだ。それに対して面倒臭そうに君菊はため息をついた。

「まぁ、捨ててないのは配下の連中の話で知ってたんですけどね」
「……土方がつけてるの見たことない」
「ペアリング買ったくせに、それ先生に言い出せずにこっそり身につけてたんですよあの人。まぁ、私が先生にペアリングだってバラしましたけど」
「君菊は人の心がない」
「信女さんに言われるとは心外です」

 小さく肩を竦めた君菊は嫦娥を見下ろして更に口を開いた。

「どうします?手首ごとさよならします?」
「……っ!!全部あの女に取られたんだからこれぐらいいいじゃない!!」
「取られたも何も、元々貴方のモノじゃないですよ。迦具夜姫の銘も、土方さんも。驚きの勘違いっぷりですよね」
「アンタッ!!」

 嫦娥は反射的に君菊を睨みつけるが、当の本人は相変わらずの笑顔。人当たりのいい迦具夜姫の愛弟子。誰がそんな事を言ったのか。本当に己の眼の前にいるのは君菊なのか、そんな事を考えて嫦娥は口を開く。この指輪だけはどうしても渡したくなかったのだ。もう手に入らない愛しい人のモノをどうしても持っていたかった。例え憎い女と揃いのものであっても。

「……アンタならわかるでしょ」
「何が?」
「アンタだってずっと迦具夜姫と比べられてたじゃないの!!土方だって結局アンタに構ってたのは迦具夜姫の愛弟子だから!!アンタの値打ちなんてなにもない!!悔しくないの!?私だって……あの人に愛されたかった……」

 言っていることが支離滅裂になってきているのを感じて信女は嫦娥の方へ注意を向ける。一応牢の中なので危害を加える事はできないだろうが、それでも君菊が指輪を取り上げるために正面に立っている。嫦娥が腕を伸ばせば君菊に触れることができるのだ。

「先生は私をずっと影に隠してくれてたんで感謝してますよ」
「アンタ土方とよく一緒にいたじゃないの」
「仕事以外であの人と関わるのは御免ですね」

 心底嫌そうに君菊が言い放ったので嫦娥は驚いたように彼女を見上げる。

「うそ……土方の事好きじゃないの?」

 呆然とした彼女の零した言葉に、背後に立っていた信女がボフッと吹き出したのに気が付き君菊は呆れたような表情を作った。

「信女さん笑いすぎ。っていうか、頭大丈夫ですか?見廻組の食事が貧素すぎて頭に糖分回ってないんじゃないですか?アンパン食べます?」

 そう言って君菊が差し出したアンパンをすぐさま掴むと嫦娥はそれを投げつける。難なく君菊はそれをかわしたし、後ろに立っていた信女はそれをパシッと受け止めた。

「それは信女さんが食べていいですよ」
「ドーナツがいい」

 そんな事を言いながらも信女はアンパンの袋を開けるとモキュモキュと食べだす。それにちらりと見た君菊は視線を嫦娥に戻し、アンパンを投げつけた為に解かれた手をすぐさま捕まえた。
 ブカブカの指輪。こんなサイズの合わないものが彼女の持ち物のわけがないだろう。佐々木が土方への嫌がらせのためにわざと見逃したのを疑いながら君菊はその指輪を外す。

「返しなさい!!返して!!」
「こっちの台詞ですよ。本当どれだけ人のもの欲しがるんですか」
「うるさい!!」
「正直指輪無くしたのは土方さんの自業自得なんで放っておこうとも思ったんですけどね。けど、先生とおそろいの指輪をアンタが持ってるのが気に食わない」
「君菊。声」

 後半ガッツリと低くなった声に信女が注意を飛ばすとごまかす様に小さく君菊は咳払いをした。
 そしてまた何事もなかったかのように笑顔を作る君菊を嫦娥は苛立った様に睨みつける。

「……じゃまばっかり」
「そんな事言ってるからハメられるんですよ」
「はぁ?」
「迦具夜姫を妬む女と、チョロチョロする男を両方始末できれば万々歳だったんでしょうね。まぁ、片方は上手く自滅しましたけど」
「なんのことよ」
「狐にハメられたんじゃないですか?それとも隻眼の獣ですか?」

 狐が嗤う。
 獣が嗤う。

「違う!!私は!!……わた……し……」

 悔しかったのは本当。
 妬ましかったのも本当。
 欲しくて欲しくて欲しくて欲しくて。
 手を伸ばした。

「……まぁ私には関係ないですけどね」

 指輪を眺めながら冷ややかに君菊はそう言い放って踵を返した。

***

「ほんまアホやわ。愛染香で大人しくなった所さっさと閨に連れ込んで身体からたらしこめばええのに、愛する人には求められたいーとか夢見とるからまんまと逃げられるねん」

 ぶつぶつと文句を言いながら狐は盃の酒を煽ったが、それを眺めていた男は口元を歪める。

「まぁ、気持ちはわからねぇでもねぇけどな」
「お侍さんもロマンチストなん?はやっとるん?」
「侍じゃねぇよ。俺はただの獣だ」

 つまらなさそうに呟く男を眺めて狐はニンマリ笑うと彼の盃を酒で満たす。

「ほな獣同士睦み合ってみる?ええ夜やで」
「嫌なこった。テメェはヤバくなったらさっさと尻尾切って逃げんだろ。それに俺は満月はキレェなんだよ」
「共倒れはお互いに嫌やろ?」

 傾国の美女の名を持つ狐はおかしそうに口元を歪めると、ソラに浮かぶ満月を見上げた。
 綺麗な満月。焦がれた光。

「まぁ、愛染香あそこまでぶちこまれて耐えたのは褒めてええかな。結局最後まであの人は迦具夜姫を選び続けたわけやし」
「あいつにとってヒーローだからな」
「ヒロインちゃうん?」

 小さく首を傾げた狐を眺め男は再度同じ言葉を繰り返した。ヒーローだと。
 意味がわからないというような表情をした狐であるが、小さく彼と同じ言葉を口の中で呟くと今度は頷いた。

「私にとってもヒーローやわ」

 田舎娘を引き上げた女。背を伸ばせと叱咤して手を引いてくれたのは一瞬で、けれどその一瞬は狐にとって宝物のような時間であった。
 だからこそ蟇蛙が図々しくも彼女に手をかけようとしたのが許せなかった。だから煽りに煽った。

「……ちゃんとあのインテリ眼鏡は蟇蛙始末するんやろか」

 ぶつぶつと文句を言い出した狐を眺めて男はおかしそうに咽喉で笑う。

「君菊がきっちり追い打ちかけんだろ」
「……君菊ちゃんに会ったことあるん?」
「君菊も俺達と同じ様に迦具夜姫に魂灼かれてんのは見りゃわかる。大した忠誠心だ。地味だけどよ。仕事は悪くねぇな」

 本当に地味なのだ。その他大勢の芸妓に埋没してしまいそうなレベルで地味であるのだが、不思議と悪い評判は聞かない。妬みを受けても笑って流すし、ひたすらに師である迦具夜姫をたてる。
 忠誠心と言う言葉がしっくり来て狐は思わず笑った。

「君菊ちゃんは先生大好きやからねぇ。知っとる?君菊ちゃん三十路超えとるんやって。迦具夜ちゃんが可愛い可愛い言うから私と同じ位やと思っとったわ」
「そりゃ初耳だな」

 驚いたような表情を珍しく男がしたことに狐は満足気な表情を作ると空になった盃に酒を継ぎ足した。

「愛染香の事も少し話はしたけどちゃんと調べたんやねぇ。偉いわぁ君菊ちゃん。先生守るために頑張っとるわぁ」
「地味な仕事は得意なんだろうよ」

 狐は君菊が真選組の監察だとは知らない。男もわざわざ教えてやる気はない。お互いにお互いを利用しているだけなのを承知しているからだ。
 利害の一致。
 化け物同士の化かし合い。

「ほんま迦具夜ちゃん罪深いわぁ。まぁ、今回は副長さんの勝ちにしといたるけど」

 平気でカグヤを三番目だと言うあの男が狐は気に入らなかったし、それならまだ溺愛する眼の前の男のほうがましだと思っていた。けれどカグヤはあの男がいいと言う。だからしかたがない。
 そんなことを考えながら狐は満月を眺めてニンマリと口元を歪めた。

***

「退院早くない?」
「退院はしたけど復帰はしてねぇんだ」

 自宅を訪れた土方にカグヤが目を丸くすると彼はバツが悪そうにそう返事をする。とりあえず医者から愛染香が抜けたという太鼓判は貰ったのだが、監禁中の暴行で負った怪我に関してはまだ治療中で、近藤から仕事への復帰許可が下りていない。
 本人に言わせれば大したことはないのだが、愛染香をたっぷり吸わされた後遺症の心配もされており、暫くは療養を言いつけられていたのだが、屯所をウロウロしていると直ぐに部屋に押し込まれ居心地が悪くなったので出てきた。

「お昼寝でもする?」

 笑いながらカグヤが部屋に招き入れそう口を開くと、土方は小さく首を振っていつも通り通された座敷の定位置に座る。
 土方がいてもいなくても余りカグヤは生活を変えないし、土方も好きに行動する。精々食事の時間を合わせる位なのでそれが土方にとって気楽であった。屯所を追い出されてしまうと無趣味である土方は行く場所を確保するのに難儀することが多く、そんな時はつい彼女の所に足が向く。いつも土方は思うのだが、屯所に住んでいるのに休みの日はゆっくりしてこいと追い出されるというのは理不尽ではないだろうか。そのせいで結局カグヤの所へ入り浸る羽目になる。

「怪我は大丈夫なの?」
「骨は折れてねぇし多少軋む程度だよ」

 煙草の煙を吐き出して土方が返答する。それを眺めていたカグヤは、そっか、と短く言葉を零して二人分のお茶を卓に並べた。

「暴行より煙草とマヨ断ちの方がキツかった」
「燃料なのにねぇ。兄さんの事好きなのにそこに気が付かないの不思議だわ」
「好かれても嬉しくねぇよ」

 一方的に好意を抱かれるという経験が今まで土方も無かったわけではない。そして、己も一方的な好意を他の誰かに抱いていたこともあった。けれど、相手の事を知りたい、喜ばせたいという気持ちを抱いた事は多かったが、間違っても無理矢理支配下におきたいなどと言う発想はなかった。
 ただ幸せになって欲しいという感情だけを後生大事に抱えていた土方にとって、嫦娥の行動は思い返しても理解不能であったのだ。

「兄さんへの恋慕より私への憎悪が強かったのかしらねぇ。おっかない」
「……それわかっててノコノコあのクソ女の前に出んなよ。俺が手前ェ斬ったらどうするつもりだったんだよ」
「そんときゃまぁ、そんな人生もありかなって思ったんじゃない?」

 あっけらかんと言い放つカグヤの顔を思わず土方は睨みつける。この女のそういう所が土方は厭なのだ。己が軽い。投げやりという訳ではなく、それが自分の選択であるのだから後悔はないというスタンスなのがまた文句を付けにくく、何度も土方は苦い思いをした。しかしながら、その積み重ねが愛染香をねじ伏せる決定打になったのも事実で、思わず土方はカグヤの方へ手を伸ばす。
 土方が掴んだ左手の薬指の根本を撫でるとカグヤは薄く笑った。

「エリートの指輪はもうつけてないわよ」
「当たり前ェだ。ふざけんな」

 指輪の跡が残っていないことに安堵した土方はそれを誤魔化す様に顔を顰めるて口を開いた。

「指輪。サイズ直しに行くか?」

 そもそもサイズの合わない指輪を送っておいて他の指輪をつけるなというのも身勝手な話だと土方がふと思いそう言葉にすれば、カグヤは咽喉で笑って己の首から下がっている紐を引っ張り出す。
 ぶら下がっているのは小さな笛と指輪。
 その指輪を紐から外すと彼女はそれを己の薬指にはめた。
 思わず土方が目を丸くしたのも仕方ないだろう。

「もう直してたのか」
「暇な時にね」

 三味線を弾く時は邪魔になると言っていたので基本は首からぶら下げているのだろう。そもそも土方も刀を握る時に感覚が変わってしまうので結局つけてはいないのだから指にはめない事自体はしかたがないと納得している。ただ、ほかの指輪をはめるのは気に食わないのだ。

「……休みのうちに鎖買い替えておかねぇとな」

 思い出したように土方が零すとカグヤは小さく首を傾げた。
 すると少しバツが悪そうに土方は、嫦娥に指輪を取り上げられた話をする。結局その後どうなったかは入院のバタバタで分からなかったのだが、今朝部屋に置いてあったという。見廻組が回収して返してきたのならばそのような書類が回ってくる筈だが、それも無かった上にそもそも土方がこの指輪を持っているのを知っているのはカグヤと山崎位である。なので恐らく山崎が気を利かせてどこぞから回収してきたのだろう、そう土方が言うとカグヤは感心したように笑った。

「ザキさん有能ね」
「そーだな」

 結局指輪に通していた鎖に関しては一緒に置いていなかったので引きちぎられた時にそのまま捨てられたのだろう。そう考えて土方は小さく舌打ちをした。

「首の後ろに変な怪我あったのそれか。くっそ」

 服を着ると擦れて微妙に痛いのが気に食わなかったのを思い出して不快そうな表情をすると、カグヤは彼に身体を寄せて首の後ろの辺りを覗き込んだ。
 流石に出血はないが、まだ赤く傷が残っている。それをカグヤが指でなぞると土方は顔を顰めた。

「さわんなよ」
「いや、勢いよく引っ張られたんだなぁって。薬塗っとく?」
「そのうち治んだろ」
「この傷あったら首からぶら下げられなくない?」

 カグヤの言葉に土方は不機嫌そうな表情を一瞬作ったが、ポケットから指輪を取り出すと己の指にはめた。
 その行動にカグヤは目を丸くすると今度は土方の首から顔に視線を移す。

「……休みの間は刀握らねぇからな。暫くはこれでいい」
「そっか。まぁ、そんでも鎖は買いに行こうか。歩くのしんどい?」
「そんくれー大丈夫だ」

 そう言うと土方はさっさと立ち上がって勝手口へ向かう。それを眺めたカグヤは笑いながら外出の準備を始めた。


愛染香編完結
202405 ハスマキ

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