*先に江戸で待ってる*

 市中巡回中に河川敷を歩いていた土方は、ピタリと足を止めて空き家に視線を送った。
「ここずっと空き家だったか?」
「ええ。……昨日もそんな事聞いてませんでしたか?」
「そうだっけか」
 一緒に歩いていた山崎の言葉に、土方は首をかしげる。何故かいつも目につくのがこの空き家なのだ。何気なく歩いていてもつい足が止まる。
「家賃が安かったら、監察の潜入拠点に借りようかとも思ってるんですけどね」
「……不便じゃねぇの?」
「便利ではないですけど、不便ってほどでも無いですよ。まぁ、俺が個人的にいいなーって思ったってのは否めないですど」
 河川敷は明かりが少ないと言う事を考えれば、隠密行動に拠点としてそう悪い立地ではないのだが、もっと他に探せばいい場所はありそうだ。そう考えた土方であったが、反対する気は不思議と起こらず、後で書類出しとけ、とだけ言う。
 そんな話をしながらまた歩き出そうとした二人を遮るように、余りこの辺りでは見かけない人型カラクリが目の前に現れる。それに驚いて土方は歩みを止めるが、何か用でもあるのかと口を開いた。
「何か用か?とりあえず製造番号と持ち主の登録名言え」
 以前事故が起こって以来、人型カラクリは登録制となっているので、確認のために土方が言うと、そのカラクリは突拍子も無いことを喋りだした。

 魘魅という天人が齎した白詛という病。
 それが広がり棄てられた星と、それを防ぐために戦った男の話。
 そして世界は巡り、今その男の犠牲のもとにこの世界が成り立っていると。

 傍から聞けば頭がオカシイか、おとぎ話の類で真面目に聞くに足らないが、土方はなんとなく黙って最後までそのカラクリの話を聞く。
「万事屋の……旦那?」
 隣に立っていた山崎が零した言葉に、土方はふと、会ったことも無い筈の男の容姿を思い出した。
「銀髪の天パか?」
「さっさと思いだせよマヨ方!テメーの脳みそにはマヨネーズしか詰まってないアルか!」
「何だと!?」
 突然かけられた声に土方が怒鳴り返すと、そこにはピンク色の髪をしたチャイナ娘が立っており、その横の眼鏡の少年がなだめるように少女を羽交い締めにする。
「神楽ちゃん!急に無理だよ!すみません!すみません!でもお願いします!銀さんを助けるためにどうしても人手がいるんです!」
 必死に頭を下げる眼鏡の少年をぼんやり眺め、土方は、人手?と言葉を零す。
「はい。銀時様を助けるには、十五年前にタイムスリップして、当時の銀時様……ややこしいので白夜叉とさせて頂きますが、白夜叉を殺す銀時様を止める必要があります。そして、魘魅を白詛共々倒さなければなりません」
「……信じろってか?」
 余りにも莫迦げた話しである。タイムスリップなど信じられない。けれど、土方は、目の前のカラクリの言葉を聞けば聞くほど、何か今までは当たり前だった事に、急に違和感を感じるようになる。
「……そんで、その銀時とやらを助ける事に何か俺に関係あるのか?」
 その言葉に、カラクリは少し迷ったような表情を浮かべるが、重々しく口を開いた。
「今貴方が感じている違和感は解消されるかと」
「違和感?」
「例えば……そうですね、この家に人が住んでいない事」
「な……アイツと何か関係あんのか!」
 反射的にそう言ったものの、土方自身が己の言葉に驚いたような表情を作る。
 それを眺め、カラクリは小さく頷いた。
「私がこの時代に来たことで、銀時様とこの世界の方々との縁がほんの少しだけ結ばれました。ですから貴方は今まで感じなかった違和感を感じているのです。いるのが当たり前、いないのが当たり前、どちらが正しいのか貴方は判断しかねている」
 図星を刺された様に土方は顔を上げると、そのカラクリを凝視した。
「■■■姫様は銀時様と縁の深い方です。銀時様が存在しないこの世界で、■■■姫様はこのかぶき町に存在しない」
「……まて。もう一度名前、言ってくれ」
「■■■姫様。恐らく聞き取れないのではないですか?それは貴方と■■■姫様の縁が結ばれていないからです。まだ出会っていないから、名前は解らない。世界の修正が働き続けています。ですが、銀時様と貴方の縁が私を経由して僅かに結ばれたことで、貴方はそんな方の存在を思い出した」
 嘘だと跳ね除ければ楽だったかもしれない。けれど、どうしてもそうは出来なかった。顔も名前も思い出せないのに、何故か彼女の言葉が頭に浮かぶ。

──それじゃぁ、またね。

 冷えてゆく彼女の手の感覚。どうしてまた遅かったのだと己を責める感情。そして、喪失感。
「副長?」
 山崎に声をかけられ、土方は自分が泣いていることに気がついた。
「あぁ、そうか。俺と三味線屋は、まだ出会ってなかったのか……」
 そう呼んでいた気がする。そして、その土方の言葉に山崎は弾かれたように顔を上げた。
「先生?」
 土方に引き摺られる様に山崎はぼんやりと誰かの存在を思い出したのは、山崎と彼女の縁が、土方経由で結ばれたからであろう。
「……十五年前っていうと、攘夷戦争まっただ中か」
「はい。魘魅を倒すのは、白詛の抗体を持っている銀時様に頼むことになりすが、天人を抑えて銀時様を魘魅の所まで連れて行くために力が必要なのです」
 そこまで言うと、カラクリは深々と頭を下げた。
「■■■姫様の事をだしに使う様で申し訳ありません。けれどお願いします。銀時様を助けてください」

 土方は結局その話に乗ることにした。人手が必要だと言う事で、真選組の面子も説得に当たらねばらない。山崎にできるだけ隊士を屯所に集めるように指示をし、3人を引き連れて屯所に戻る。近藤さえ説得できれば恐らく真選組自体を動かすことはそう難しい事ではないだろう。タマと呼ばれるカラクリが近藤と接触することで、万事屋・坂田銀時との縁が一時的とはいえ結ばれ、恐らく記憶が戻るだろうと言う話であったので、土方は彼等を連れて行くことにしたのだ。
 その道中、土方は煙草を吸いながらタマに言葉を放った。
「……一つ確認してぇんだが」
「はい」
「もしもだ。俺が手前ェらの話に乗らなかった場合、この違和感はどうなるんだ?俺は三味線屋の事を自力じゃ思い出せねぇのか?」
 土方の質問にタマは少しだけ考え込んだ表情を作ると、口を開いた。
「恐らく、私がこの世界……時間軸を離れた時点で、貴方と銀時様の縁は途切れてしまいます。そうなれば自動的に■■■姫様と貴方の縁も途切れるかと」
「……思い出すどころか、また忘れちまうってことか」
「今貴方が違和感を感じているのは、いないはずの銀時様との縁があってのことですので恐らく」
 実際問題、タマもその辺りははっきり解らないのだろう。できるだけ言葉を選んで話しているように見えて、土方は、そうか、と短く返事をする程度に止めた。
「アイツが取り持った縁ってのも何かムカつくな」

──幕府は降伏してうっかり生き延びて。あれーって思ってる間に世の中変わっていっちゃってさ。……江戸に来て、たまたま銀さんと再会して、することないって言ったら、好きな三味線でも弾いてれば?って言われてね。あぁ、そうか、何でもしていいのかって思ったわ。

 そんな話を聞いたのはいつだったか。はっきり顔も声も名前も思い出せないのに、時折浮かぶ女の言葉。
 今彼女はどこにいるのだろうか。江戸ではないどこかで幸せに暮らしているかもしれない。態々自分と出会うことが彼女にとって本当に幸せなことかどうかも分からなかった。けれど、気がついてしまえばどうしても彼女に会いたくなる。
 なんという身勝手さだ。
 今まで綺麗さっぱり忘れていたというのに。
 土方がそんな事を考えているのを察してか、タマは遠慮がちに口を開いた。
「……忘れてしまった事は仕方のない事です。銀時様が世界の歴史そのものを変えてしまったのですから」
「カラクリのくせに気ぃ使ってんじゃねぇよ」
 土方はそう言うと、間近に迫った屯所を眺め大きく深呼吸をした。

 沖田に莫迦にされながらも、土方は彼等と一緒に近藤の説得に当たった。幸いなことに近藤はするっと銀時の事を思い出したらしく、説得自体はそう難しい事ではなかった。
 そして集まったのはかぶき町の愛すべき莫迦者達。
 万事屋坂田銀時を救うべく、十五年前へ時間移動するという眉唾な話を信じた彼等は、敵対する者達も一時休戦し共同戦線を張ることとなる。
「……という事で、手はず通りよろしくお願いします」
 話し合いの結果決まったのは、まずは白夜叉と銀時の接触を阻止するために、百華達の準備した酒を持ち込み白夜叉の所属する攘夷グループに接触し酔い潰すという、雑極まりない物であった。けれどシンプルなほど効果はある。
 桂一派に関しては、その場所に十五年前の本人がいる可能性が高く、同じ顔であれば警戒されるだろうと、百華達と戦場の下見に行き、真選組と長谷川が攘夷グループへの接触を図ることとなった。
 そして、己を犠牲にし歴史を変えようとしている坂田銀時自体の説得は万事屋面々が中心となって行うこととなる。
「……大丈夫だよね、いきなり斬られたりしないよね」
 不安そうな長谷川の言葉に、桂は笑いながら口を開く。
「大丈夫だ。気さくな連中も多い。廃寺を拠点にしていてな……ああ、アレだ」
 桂の視線の先にある廃寺に人の気配がある。恐らく敵襲を警戒しての見張りなのだろう面々が数人見え、それを確認し桂は僅かに眉を寄せた。
「ふむ。あの面子ということは鬼兵隊はまだ戻ってないか。坂本辺りをメインで狙い撃ちすれば取り入るのは容易い。アイツは人懐っこいからな」
 桂の言葉に長谷川は、坂本って誰だよー!と悲鳴を上げるが、土方が頷いたのを見て、え?顔知ってるの?と驚いたように長谷川は土方を眺めた。
「多分大丈夫だ。一番賑やかそうな莫迦だと思えばいい」
「大体合ってる」
 土方の言葉に桂は笑いながら返事をすると、踵を返し明日の戦場の下見に行く、と己の仲間を引き連れてその場を離れる。

 結論から言うと、彼等はあっさりと廃寺に招き入れられる事となる。
 もう少し警戒したほうがいいのではないかと心の中で突っ込みながら、土方は白夜叉の姿を確認し、近藤と頷きあう。
「ささ!お近づきの印に。どうぞ先輩!」
 最近旗揚げした攘夷グループという触れ込みで真選組は挨拶代わりにと酒を持ち込んだのだ。近藤は人懐っこい笑いを浮かべ酌をして周り、他の隊士もそれに習う。
 先輩と持ち上げられてそう悪い気はしないのだろう、初めは警戒していた面々も次第に打ち解けてゆく。
「あっはっは!他の面子が戻る頃には出来上がってるかのぅ!またしばき倒されるが」
「別にいいだろ。見張りは残してんだし。つーか、それ俺のだ!」
 陽気そうに笑う黒天パと、その黒天パの持つつまみを取り上げようとする白天パ。二人の側で少し警戒気味飲み続ける、若かりし日の桂。その姿を見て土方は僅かに瞳を細めた。
「まだ他にもメンバーいるんですかぃ?結構大規模なグループなんですねぇ」
 酔わない程度に酒を飲みながら沖田が言葉を放つと、坂本は大きく頷いて笑う。
「鬼兵隊っちゅー面子がまだ帰ってないが。そのうち戻るじゃろ」
「高杉ですかぃ」
「おー!流石にアイツは有名じゃな」
 沖田の言葉に坂本は目を丸くすると、愉快そうに笑った。
 そんな中、土方が立ち上がり外に出ようとすると、若かりしの桂が睨むような視線を送り口を開く。
「どこへ行く」
「……煙草。狭い中煙撒き散らしたらセンパイ達にシツレーかと思ってよ」
 そう言うと懐から煙草を出す。すると桂は少しだけ沈黙した後に、瞳を伏せて言葉を続けた。
「余り遠くに行くな。お前の事を知らん高杉達に斬られるかもしれん」
「用心しとく」
 どんだけ喧嘩っ早いんだ高杉、と思わず心の中で突っ込んだ土方であったが、坂本達に比べれば矢張り昔からとっつきにくいのだろう、そんな事を考えながら、彼は外に出て行った。
 見張りの連中も差し入れられた酒を酌み交わしており、土方に気軽に手を上げて挨拶をしたりもする中、彼はなんとなく寺の裏手側に回る。別に煙草などどこででも吸えるのだが、あの面子の中に自分の探し人がいなかったことに、予想以上に落胆しているのに気が付き、一人になりたかったのだ。
 万事屋・坂田銀時の事は白夜叉と直接接触したこともあって、タマと出会った頃より明確に思い出す事ができた。しかし、まだ三味線屋と自分が呼んでいた女の事ははっきりと思い出せない。
 そんな中。
 土方は鼓膜に届いたその音に気が付き煙草に火をつけるのをやめて、早足に音のする方へ向かった。
 寺の裏手は墓地になっており、薄気味悪いことこの上ないのだが、土方はそんな事を気にすることなく、その音を発する人影に視線を送る。
 傾きかけた墓石の並ぶ中、まだ新しい土が盛られ、そこに突き刺さる刀、刀、刀。
 そこで三味線を弾く女。
 洋装に陣羽織を着ており、後ろ姿なので顔は見えない。けれど、土方はそれが誰なのか識っていた。

 

 響く三味線の音に、土方はゆっくりと体を起こす。見慣れた光景ではあるが、土方は少しだけ考え込んだ後に口を開いた。
「顔色悪いな」
「そう?まぁ、こんな世の中じゃ元気って方が珍しいんじゃない?」
 カグヤの言葉に彼は、違いねぇ、と短く言葉を零すと煙草に火をつけた。
 【白詛】という病が五年前から爆発的に流行し、幕府の中枢や上流階級はこの星を去っていった。感染すれば半月と持たないといわれる病は、治療法もなく、不治の病と言われている。残ったモノは逃げる金の無い者か、もしくは己の故郷を捨てることが出来ない頑固者、といった所だろうか。
 今や天人すら用がなければ立ち寄らない状況で、嘗て象徴であったターミナルですら廃墟に近い状態になっている。
「いい加減宇宙に行け」
「厭よ」
 土方はともかくとして、カグヤは宇宙をまたにかける快援隊というコネがあった。現状カグヤの話では快援隊はこの奇病の特効薬を探すために宇宙を飛び回っているらしい。坂本もカグヤに声をかけたのだが、彼女はただ、笑って首を横に振ったのだ。その話を後で聞いた土方は、無理矢理にでも乗せておけばよかったと後悔したものだが、結局その後何度宇宙に行けといっても彼女は首を縦には振らなかった。
 土方は土方で例えコネがあったとしても今この惑星を離れることは出来ない。幕府は名目上のものとなり、真選組もまた変貌していったのだ。将軍や松平がいれば話は違ったであろうが、将軍は最後まで残ると主張したものの、半ば無理矢理宇宙への移住を強要され、松平は病に倒れた。後ろ盾を失った真選組は、それでも治安維持を続けていたのだが、指導者を失った幕府の暴走で近藤が捕縛。
 そこから先は言うまでもない。土方・沖田を筆頭に幕府側を離反。めでたく過激派攘夷党誠組が誕生したのだ。
 それに対してカグヤは苦笑しただけであったが、幕府にとっては青天の霹靂であろう。幕府の狗が牙を向いたのだ。
「……頼みがある」
「言ってごらんなさい」
 土方の言葉にカグヤは三味線を抱き瞳を細めた。
「桂派の連中と連絡を取りたい」
 土方の言葉にカグヤは咽喉で笑うと、口を開く。
「つい五年前までどつきあいしてたのに?」
「……近藤さんの処刑と同日に桂の処刑もある。向うにとってもそう悪くねぇ話だと思う。条件はできるだけ飲む」
 桂もまた、幕府に囚われ処刑を待つ身であった。穏健派だった桂一派は、この病と幕府の弱体化で一気に過激派に鞍替えし、その勢力を拡大していた。嘗ての鬼兵隊を思わせる精力的な活動であったが、運悪く桂は捕縛された。
 桂と幼馴染であるカグヤであれば、もしかしたら、と土方も思ったのだろう。
「トシさん」
「なんだ?」
「局長さん助けたら、もう絶対に幕府側には戻れないわよ」
「承知の上だ」
「仇敵に頭下げれる?」
「それであの人が助かるんだたらいくらでも下げる」
 その返答を聞いたカグヤは、瞳を細めて笑った。
「その茶箪笥のさ、一番上の引き出し」
 カグヤの言葉に土方は首を傾げたが、立ち上がり小さな引き出しを開ける。そこにあるのは一通の書状。宛名は土方十四郎様と書いてある。
「俺宛?」
 何も言わず、壁にもたれ掛かったまま彼女は土方を見上げて頷いた。
 土方は少しだけ怪訝そうな顔をしてその書状を開封する。そして顔を上げた。
「エリーがね、置いていったの。もしも誠組がその気になったら渡してくれって」
 それは共闘願いとも言える書状であった。桂が捕縛され、エリザベスが現在桂派を仕切っているのだが、そのエリザベスが土方宛に書いたものであったのだ。お互いに遺恨もあるだろうが、頭の為にと。
「……さっさと教えてくれりゃいいのに」
 土方の言葉にカグヤは咽喉で笑うと、そうね、と瞳を細めた。
「でも、上手にお互いに折れなと遺恨になるわ」
 一方的すぎてもいけない、と言う事だろう。元々真選組に対しての感情は桂派も良くは無いだろうし、誠組内でも、例えば数年前であれば桂派と組むことをよしとしない者達もいた。お互いに、ジリ貧になって、ある程度折れてもお互いの主を救おうと、組織自体の考え方も変わって、漸くな話なのだ
「まぁ、エリーと上手に交渉しなさい」
「そーさせてもらう。手間かけたな」
「いいわよ、それぐらい」
 笑ったカグヤを見て、土方は少しだけ瞳を細めた。捕縛された近藤を助ける事のできる最後の手段。カグヤを利用するようで気が引けたが、彼女がそう厭そうな顔をしなかった事に安心したのだ。
「そんじゃ行ってくるわ」
 短くそう土方が言葉を零すと、彼女は笑って口を開いた。行ってらっしゃい、気をつけて、と。
 その言葉に土方は小さく頷き、家を出る。


 室内に響くは三味線の音。一曲弾き終わると、彼女は窓を少しだけ開けて玄関先に佇む男に声をかけた。
「いつまでそうしてんのさ」
「……私が入れば三味線を止めるでしょう」
 その言葉にカグヤは咽喉で笑うと、開いてるから入んなさい、と男に声をかけた。
 遠慮無く玄関を開けて入ってきたのは、佐々木異三郎で、彼は室内を見回したあとに、遠慮無く台所へ向かう。
「カグヤさんもお茶いりますか?」
「……そうね」
 それを咎めることなくカグヤは壁にもたれ掛かったまま佐々木の声に返答した。
 とっくの昔に将軍と共にこの星を後にした見廻組。元々幕臣のエリート集団なのだから当然であろう。しかし佐々木は時折、視察と言う名目で地球を訪れていた。部下を連れている事もあったが、今日は一人で来た様子である。
 コトリと音がしてカグヤは顔を上げた。二人分の湯呑みが卓に置かれ、佐々木はカグヤの正面に座る。
「あんまり長居しないほうがいいんじゃない?っていうか、視察の意味ってあんの?」
「……まぁ、無いわけではありませんね。報告は色々とありますし。実際どの程度病が広まっているのか、治安はどうなのか……戻る事はできるのか」
 最後の言葉にカグヤは苦笑すると、戻る気も無い癖に、と口元を歪めた。
 とうの昔に棄てられた惑星である。
「私も不可能ではないかと思うのですがね。将軍がどうなのかと尋ねるので我々もそれなりの報告書を作らなければならない」
 相も変わらずの仏頂面で佐々木が言うと、カグヤは少しだけ瞳を細めた。報告書を作る面々も白詛の感染を恐れて長居はしない。けれど佐々木は毎度毎度律儀にカグヤの所に顔を出す。
「さて。毎度の事で申し訳ありませんが、そろそろいいのではないですか?」
「……そう言われてもねぇ。毎度の事だけど、私は仲間が死んだこの惑星で死にたい」
 万事屋銀時が行方不明になってどれだけ経ったのだろう。
 そうこうしているうちに、高杉が病に倒れ、驚くほど呆気無くこの世を去った。詳しい病名は聞いていないが、恐らく肺を病んだか、白詛であろう。鬼兵隊は実質過激派筆頭の地位を失い、その後、桂が保守派から過激派に転向した。何を桂が思ったのかカグヤは聞いていないが、彼は、転向前に一度だけカグヤの家を訪れて、高杉の形見の煙管を彼女へ渡した。
 懐から煙管を取り出し、カグヤはくるりと指先で回すと、呟くように佐々木に言葉をこぼす。
「ねぇ、佐藤さん」
「佐々木です」
 相も変わらず間違った呼び名を続けるカグヤに律儀に訂正を入れる佐々木は嫌そうな顔はしない。少し冷めたお茶を飲みながら彼女の言葉を待っていた。
「もう来なくて良いわよ」
「何故?」
「無駄足だからよ」
 煙管に火を入れることなく、カグヤが呟くと佐々木は僅かに口元を歪めた。
「カグヤさん」
「……銀さんもいなくなって、晋兄も死んで、まぁ、ヅラっちはまだ元気だけど、一杯仲間もこの惑星で死んでいったわ。弔いの三味線も沢山弾いた。本当だったら攘夷戦争で死んでもおかしくなかったのに、気がついたら今まで生きてきて、それなりに満足な人生だったし、これ以上望むのは贅沢が過ぎる」
 カグヤの言葉を聞きながら、佐々木は僅かに眉を寄せて口を開きかけたが、結局言葉を発することなく黙った。
「……土方さんは何と?」
「いい加減この惑星出て行けってさ」
 咽喉で笑ったカグヤを眺め、佐々木は小さくため息をついた。
「解りました。ここを訪れるのは最後にします」
「えぇ、そうして頂戴」
 立ち上がった佐々木に目もくれずに、カグヤは三味線を抱いた。
「カグヤさん。私は貴方が好きでしたよ。貴方の家が無くなった時に無理矢理にでもうちに来てもらえば良かった」
「歴史にIFってのも野暮よね。さようなら、佐々木さん。お元気で」
 驚いたように佐々木はカグヤの顔を眺める。けれど彼女はほんの少し笑っただけで、それ以上言葉を発することはなかった。もう二度と会うことが無いであろう彼女が、最後の最後にちゃんと佐々木と呼んでくれた事に、彼は残念な気持ちと、嬉しい気持ちで複雑そうな表情を作った。

 カグヤの家を出て、佐々木は部下との待ち合わせ場所へ向かう。待っていたのは今井信女で、佐々木の表情を眺めて、重々しく口を開いた。
「異三郎?」
「……少し寄り道をしてもいいですか?」
「大丈夫?」
「思ったより堪えてますね……多分」
 自分でも予想以上にカグヤに対して執着していたのに今更ながら気がついた佐々木は、自嘲気味に笑った。
「視察完了まで何日でしたか」
「一週間」
 無表情に信女が答えると、佐々木は、そうですか、と短く返答し僅かに首を振って彼女に一つ頼み事をする。
「真選組……誠組のアジトを調べてください」
 その言葉に信女は神妙な顔をして頷いた。

 数日後。
 近藤と桂は無事に奪還され、桂派・誠組合同で宴会が行われた。
 そんな中、予期せぬ来訪者が現れ、山崎は慌てて土方を呼びに行った。
「お久しぶりです、土方さん」
「……佐々木手前ェ、何しに来やがった」
 苦々しい表情を浮かべる土方とは逆に、佐々木は相変わらずの無表情で敵意がないことを示すように刀を置き両手を上げた。その姿に殺気立った部屋の空気は漸く緩む。
 今はこの星を離れているとはいえ、幕臣である。堂々と攘夷派のアジトに乗り込んで来たことで一同気を張ったのだ。
「……ご安心下さい。私用ですので」
「私用?」
 怪訝そうに土方が言うと、側にいた桂は僅かに眉を上げ、席を外そうとするが佐々木はそれを引き止める。
「一応貴方も聞いておいたほうがいいかもしれません」
「どういうことだ?」
 佐々木と個人的な面識が無い桂は心底不思議そうに言葉を放ったが、山崎もまた引き止められたので、桂は重々しく口を開いた。
「カグヤの事か?」
 この面子の共通点はそこしか無い。察しの良さに佐々木は大袈裟に拍手をすると、瞳を細めて確認するように口を開いた。
「最後にカグヤさんに合ったのはいつですか?」
「俺は拘束されていたからな。長く会っていない」
「……五日ぐらい前か?山崎はもっと空いてるか?」
「そうですね。一週間以上は空いてます」
 その言葉に佐々木は残念そうに首を振って、そうですか、と短く返答する。
「それが何だ?まさか手前ェ、カグヤを宇宙に無理矢理連れて行ったとかそんなんじゃねぇだろうな」
 宇宙に行けと散々言っていたが、佐々木ととなると心境的に厭な土方がそう言い放つと、佐々木は瞳を細めて心底残念そうに笑った。
「えぇ。もっと早くそうするべきでした」
「……そうするべきだった?」
 過去形で話す事に違和感を覚えた桂が眉を上げると、佐々木は、えぇ、と更に言葉を放つ。
「白詛に感染してますよ彼女。そうですね、土方さんと私は入れ違いに彼女に会いましたが、その時にはもう目は見えていなかったんじゃ無ですかね」
「は?」
 佐々木の言葉に土方は唖然として短く声を上げる。その反応に佐々木は大きくため息をつき、やはりご存知なかったようですね、と首を振った。
「フツーに三味線弾いてたぞ。そりゃ確かに少し顔色は悪かったけどよ……」
「長年やっていればそれぐらいは容易いでしょう。見送りはありましたか?お茶は自分で淹れてましたか?」
 そう言われれば、いつもは見送りに立つのに、彼女は座ったままだった。茶も口をつけていなかった。ただ、三味線を抱いて、壁にもたれ掛かっていただけだった。
「……入院してんのか?」
 絞りだすような土方の言葉に佐々木は首を振った。
「いえ」
 あの後カグヤが入院した形跡はなく、佐々木は首を振った。恐らく勧めた所で彼女は首を縦に振らないだろうと、彼自身も彼女の好きにさせていたのだ。
「では、私はそろそろ戻ります」
 要件は終えたと言わんばかりに佐々木が話を切り上げたので、土方は漸く動き出す。上着も持たずに駆け出す土方。それを追うように山崎と桂も後を追う。
 それを見送る佐々木は僅かに瞳を細め、月を見上げた。永久の別れとなるだろうこの星の月を携帯のカメラに収めると、小声でつぶやく。
「さようなら、カグヤさん」

 上着も着ずに飛び出してかけ出した土方の後ろから、車のクラクションが鳴る。
「乗れ!土方!」
 山崎の運転する車の後部座席から桂が顔を出し、声を放たれた事で、土方は漸く走りを止めた。
「悪ィ」
 漸く頭の冷えた土方は、車に乗り込むと煙草に火をつける。それに対して桂は何も言わなかったが、それを合図にするかのように山崎が口を開いた。
「……本当でしょうか。入院もしていないって……身体もろくに動かなくなるんですよね」
 震える声だったが、土方は煙を吐きながら顔を顰める。
「分からねぇ。けど……多分御庭番衆辺りが噛んでんだろ」
 いつも秘密裏に運ぶ時、彼女は子飼いの御庭番衆を使う。病である事を黙っている事自体は難しくないだろうが、入院であるとか、家に不在であれば土方達に情報が入る。
 それを避けるには御庭番衆・服部全蔵を使うことは安易に想像できた。
 大方、大将奪還を目前に控えた土方達に心配をかけまいとしたのだろう。けれど、土方にしてみれば晴天の霹靂である。頭では彼女の性格を考えれば理解できるが、感情が追いつかない。
 それっきり黙り込んだ土方をルームミラーで確認した山崎は、今にも泣きだしたいのを必死に堪えながら運転を続けた。

 見慣れた川べりの家にたどり着いた一同は、重い空気のまま車を降りるが、直ぐに土方は彼女の家の勝手口を開けて中へ入っていった。
 佐々木の悪質な嘘ならばそれでいい。もしも本当ならば、それはそれで黙っていたことに文句を言うつもりで乗り込んだのだが、私室の衾を開けた彼は絶句した。
 黒い髪は白詛に侵された証の様に色が抜け、肌も青白いのを通り越して蝋のように白い。布団にその身体を横たえ、ぴくりとも動かない彼女の側に座っていた青いコートの男は、土方を眺め、よぅ早かったな、と短く言葉を放った。
「……なんだよコレ……」
 煙草のフィルターを噛み締め、土方が絞りだすように言葉を放つと、全蔵は三人に座るように促す。桂がいた事にはいささか驚いたような顔をしたが、三人が座った所で漸くカグヤに声をかけた。
「姫さん。大将奪還無事終わったみてぇだよ」
 彼女の額に手を当てて、そう全蔵が言葉を零すとうっすらとカグヤが瞳を開ける。それに一同ホッとしたような表情を作ったが、カグヤ自身がもう周りの気配を察することや、視力が無いことを証明するように、彼女は全蔵の言葉に嬉しそうに微笑んで、そっか、と言葉を零す。
「皆怪我とかしなかったかしらね。ヅラっちも一緒に助けて貰えたかしら」
「……カグヤ。俺は無事だ」
「!?」
 桂の声にカグヤは驚いたように声のする方をむこうとするが、身体が思うように動かないのか、少し顔を動かしただけであった。
「ヅラっち?」
「……まさかお前が先に逝く事になるとはな……お前の弟子と恋人もいるぞ」
 声を震わすことなく桂はそう言うと、彼女の髪を撫でた。
「……ははっバレちゃったんだ。もう少しだったんだけどねぇ。最期の最期に格好付かないわねぇ」
 苦笑するカグヤを見て、山崎は耐え切れずに泣き出す。その声に気がついたのか、カグヤは手を少しだけ山崎の方に差し出した。彼はそれを慌てて握り、己の額にその手を押し当てた。
「先生……」
「……来てくれてありがと。そうね、私が死んだら供養の三味線弾いてくれるかしら」
 カグヤの言葉に山崎は泣きながら無言で頷いた。本当はそんな言葉は聞きたくなかったし、死ぬのは信じられなかった。けれど、その細く白い手は確実に病魔に侵されており、自分達は本当にギリギリ間に合ったのだと痛感した。
「あとさ、ヅラっち、コレ返すわ。ごめんね。もう渡せる人いなくなっちゃったから」
 そう言ってカグヤは全蔵に視線を送る。すると全蔵は煙管を取り出し、桂に差し出した。既に全蔵が保管している所を見ると、形見分けの為に既に言付けをしていたのだろう。
 もともと高杉が持っていた煙管。それが桂に渡り、カグヤに渡され、そしてまた桂の手元に戻った。
「子供の頃の思い出共有できる人いなくなっちゃったわね」
「……あぁ、そうだな……」
 煙管を受け取り、それを懐にしまった桂は、淡々と返事をする。
「銀さんがいれば銀さんでも良かったんだけど、帰ってこないしね」
「あの莫迦が帰ってきたら、これを叩きつけてやる。安心しろ」
「うん」
 嬉しそうに微笑んだカグヤは、山崎から手を放して、桂の頬を撫でた。
「元気でね、辰さんにもよろしく」
「……お前もな」
 そして漸くたどり着いた自分の番だと、土方は彼女の手を取った。
「俺はいつも遅いな」
「間に合ったじゃないのさ。お疲れ様」
 そう言われ、土方はなんと言葉を放っていいのか解らず、握る手に力を込めた。
「今まで沢山の人に置いて行かれて、やだなーとか辛いなーとか思ってたけどさ、存外置いていく方も辛いのね」
 苦笑したカグヤの言葉に、土方は小さく頷くと、小声で言葉を零す。
「……順番ちがうだろーが。どう考えても俺が先の筈だろ」
「うん。ごめんね。でも今までありがと。楽しかった」
 泣きそうになるのを土方は必死で堪え、震える手でカグヤの頬を撫でる。
「俺も楽しかった」
「……また機会があったら一緒にお酒飲みましょ。いっぱい愚痴も聞いてあげる。それじゃ、またね」
 握っていた手から力が抜けるのを感じて、土方はその場に泣き崩れた。
 山崎のすすり泣く声と、肩を震わす土方。重い沈黙の中、桂が口を開いた。
「後のことはお前が任されている……と言う事でいいのか」
「あぁ。葬式不要、墓は嘗ての仲間が葬られてる寺に無縁仏として持っていくように言われてる。それで俺の仕事は完了って訳だ」
「そうか……あいつらの元へ行くか……全く、仕方のない奴だ」
 そう言うと、桂は煙管に視線を落として、僅かに瞳を細めた。
「あんたは泣かねぇのな」
「……遠い昔に、お互いが死んだ時には泣かないと約束した。……俺とカグヤのした数少ない約束だ」
 戦場でいつ死ぬか解らない中、戯れにそんな約束をしたのだ。彼女は笑って、弔いの三味線は弾いてあげるわ、と言葉を零したのを思い出して桂は煙管を握りしめた。
「……三味線を弾いてくれるか?アレの魂が彼岸へ行けるように。もっとも、俺もアイツも地獄行きだろうがな」
 桂の言葉に山崎は顔を上げると、部屋に立てかけてある三味線に手を伸ばした。
「曲は」
「何でもいい。カグヤはお前に任せたのだ。俺がとやかく言う筋合いはない」
 その言葉に山崎は小さく頷くと、久しぶりに三味線を弾く。稽古自体は長くしていなかったが、時折暇つぶしには弾いていたのだ。
 唇を噛み締めて、震える指を押さえつけて、カグヤが一番褒めてくれた曲の旋律を必死になぞる。もっと聞いて欲しかった、そして、もっと彼女の曲を聞きたかった、山崎はやっとの思いで一曲弾ききると、三味線を抱いて泣いた。
「……その三味線は君菊ちゃんに。形見分けってことで。そんで、副長さんになんだけどよ……」
 顔を上げた土方は、乱暴に袖口で涙を拭うと、不機嫌そうに口を開いた。
「どうせアイツの事だ。俺の足かせになんねーようにって何にも残してねぇんじゃねぇの」
 その言葉に全蔵は驚いたような表情を作ったが、肩を少しだけすくめた後に、懐から小さな袋を取り出した。
「……?」
「受け取るか受け取らないかは副長さんが決めてくれ」
 土方がその袋を覗きこむと、そこには束ねられた黒髪が入っていた。
「俺への形見分けにって頼んで切らせて貰ったんだ。まぁ、そんとき二セット作った。白詛に侵されて直ぐに切り離した分だから多分色は抜けねぇと思うけど」
「……何で俺の分も?」
 余り好かれていないのは知っていたし、雇い主の意向に全蔵が逆らってまで形見を残した理由が土方には分からなかった。
「まだアンタに頑張って貰わねぇとな。さっさと姫さんの所に逝かれたらムカつく。それ見て適当に頑張って、姫さんがアンタのこと忘れた頃に行けばいい」
 全蔵に言葉に思わず土方は笑う。同情されたのかと思ったが、嫉妬されていたのかもしれない。
「有難く預かっておく。そーだな。余りにも早く会いに行くのは格好悪ぃわな」
 自嘲気味に笑いながら土方はそう言うと、髪をまた袋にしまい、大事そうに握りしめた。
「そんで、我儘ついでに……一時か……三十分でいい、二人っきりにしてくれねぇか?」
 物言わぬ彼女と最後の時をくれと言った土方を眺め、他の面々は小さく頷きそっと家を出る。
 一人取り残された土方は、台所に行くと、殆ど片付けられている中、一本だけ残っていた酒を持ち出し、それを二つの盃に注いた。
「祝言も結局上げなかったな。そんでも文句言わねぇし、甘えてばっかですまねぇ」
 そう言うと彼女の側に並べた盃の一つを手にとって、それを飲み干す。
「またな、カグヤ。愛してる」
 思い出すのは、自分が莫迦でどうしようもないのを彼女が隣で文句を言いながら歩いてくれていた時間。
 泣きたくなるほど、当たり前で、幸せで、それでいて忘れがたい思い出だった。
 彼女は自分に縛られずに自由に生きろと言うだろう。
 だから縛られるつもりはない。けれど、忘れる事はしないつもりだった。
「……この世から白詛なんてもん根絶してやる。真選組は無くなっちまったが、近藤さんも、誠組も守り通す。死ぬまでな。だから安心して地獄で待ってろ」
 そう言い残し、土方は立ち上がった。


 忘れないと思っていたのに。
 あれだけ沢山のものを与えられたというのに。
 安心して待っていろと言ったというのに。
「……大丈夫?」
 突然目の前で声がして、土方は驚いたように顔を上げる。
 化粧っ気等なく、所々包帯を巻いているその女は、土方を気遣うように三味線を抱えたまま声をかけてきた。そこで土方は自分が泣いていたことに漸く気が付き、乱暴に袖で顔を拭う。しかし、どういうわけか涙は止まらず、情けなさで顔を背けた。
 すると彼女は困った様に笑い、懐から手ぬぐいを出し、土方に差し出す。
「洗ったばかりだから」
 その手ぬぐいを土方は受け取ると、顔を覆った。
 漸く探していた相手を見つけたのに、結局泣いて顔がまともに見れないなど恥ずかしくて仕方ない。けれど、一気に思い出した記憶が彼の感情を混乱させていて思うように自制出来なかったのだ。
「……誰か死んだの?」
 どうして彼女がそんな事を言うか一瞬土方は分からなかっが、彼女が仲間の弔いの為に三味線を弾いていると言うことを思い出し、土方は少しだけ迷った後に、小さく頷いた。
「そっか。じゃぁ、その分も三味線弾くわ」
 そう言って彼女が土方から離れようとしたので、反射的に彼は手を掴んだ。それに彼女は驚いたような顔をしたが、少しだけ首を傾げて、どーしたのさ、と聞く。
「……大丈夫だ。もう弔いの三味線は仲間が弾いた」
 その言葉に彼女は驚いたような顔をする。
「私以外にそんな事してる人いるんだ」
「そうしてくれって、遺言された」
「そっか。所でアンタ見ない子だけどどこの子?」
 彼女の言葉に、土方は慌てて、自分たちは新規に立ち上げた攘夷グループで挨拶に酒を持ってきたという話をする。それを聞いて、彼女は咽喉で笑うと、どーりで賑やかなのね、と廃寺に視線を向けた。
「……攘夷戦争が終わったら……アンタどうするんだ?」
 突然の土方の言葉に、目を丸くすると、彼女はまた咽喉で笑い、気が早いわねぇ、と瞳を細めた。今さっき攘夷戦争に参加すると言っていたのに、もう終わったあとの話だ。彼女の反応も当然のものであろう。けれど土方が大真面目にそれを聞いていると察した彼女は、少しだけ考え込んだ後に口を開いた。
「そうねぇ。生き残るかどうかがまず問題かしら。もしも生き残ったら……莫迦な兄のケツ引っ叩いて、まっとうな暮らしするかしらね。それにしてもこんな状況で旗揚げするってだけでもおめでたいのに、もう終わったあとの事って、面白いわね兄さん」
 可笑しそうに彼女が笑ったので、土方は少しだけ恥ずかしそうな顔をしたが、直ぐに口を開いた。
「……莫迦な兄貴が駄目なら一人でも……江戸に……」
 そこまで言いかけた所で、土方は彼女の手を放して刀を引きぬいた。それに彼女は驚いたような顔をしたが、直ぐに何が起こったのか理解する。響く金属音は刀と刀がぶつかる音。
「テメェ、カグヤにナニしてんだ。とりあえず死ね」
「何がとりあえずだ。このシスコンが」
「……晋兄……」
 呆れたような彼女の言葉に、晋兄と呼ばれた男……高杉晋助はギロリと両眼で土方を睨む。
「コラ。辰さんかヅラッチから聞いてないの?新規で旗揚げした子。やめなさい」
「聞いてる。聞いてるけど一人ぐらい減ってもいいだろ」
「駄目よ」
 彼女に睨まれ渋々といったように高杉は刀を収めた。すると彼女は、ごめんね、と土方に謝る。
「……いや、大丈夫だ」
 土方もまた刀を収めると、高杉を眺める。彼女と同じ洋装に陣羽織。羽織の色が違うだけで、揃いなのが何となく面白くなくて、心の中で舌打ちする。
「そんじゃ行きましょうか。お酒無くなっちゃう」
 彼女の言葉に高杉はむっとした表情のまま、彼女の腕を掴んで歩き出す。
「ほら、兄さんも」
 彼女の言葉に土方は、煙草に火をつけると、二人の後ろについて廃寺へ戻っていった。

 長谷川と真選組の努力の結果、なんとか白夜叉達を酔つぶし、近藤は仲間を纏めて廃寺を後にする。
 そんな中、土方は廃寺に視線を巡らせ、彼女の姿を探した。
 壁にもたれかかり、イビキをかく坂本の膝に頭を乗せて瞳を閉じる姿。飲んでいる間はずっと高杉に牽制されて話をする事もなかったが、その姿を確認すると、土方はそばに寄り彼女の顔を覗きこむと小声で言葉を零した。
「先に江戸で待ってる。また一緒に酒飲んでくれ……カグヤ」
 遠くから己を呼ぶ近藤の声が聞こえ、土方は立ち上がると踵を返した。

 


「……さん。兄さん!」
 ゆさゆさと身体を揺さぶられ、土方は布団から飛び起きる。目の前にいる女。彼女は心配そうに土方の顔を覗きこむと、大丈夫?と声をかけた。
「三味線屋?」
「何で疑問形なのさ。うなされたと思ったら、泣いたり、またうなされたりで忙しそうだったから起こしたんだけど」
 そう言われ、土方は思わず自分の顔を拭う。冷たい感覚が手の甲に感じられ、泣いている事に気が付き顔を赤くした。
「はい、コレでふきなさい」
 そう言って渡されたのは手ぬぐいで、その瞬間また土方は急に泣きたくなって、受け取った手ぬぐいで顔を覆った。
「厭な夢だったの?」
 そう言われ、今までどんな夢を見ていたのだろうと思い返すが、思い出そうとすればするほど曖昧になってゆき、最終的には涙も止まる。
「わかんねぇ。長い夢だった気がするけど、全然思い出せねぇ」
「そっか。まぁ、悪い夢なら忘れたほうがいいんじゃない?」
 咽喉で笑うと、カグヤは立ち上がり、お茶入れるわと私室を後にした。土方はその後について行き、洗面所で顔を洗うと、己の顔を確認する。
 先ほど見ていた夢はどんなものだったのか、一瞬そう考えただけで自然と表情が歪んだ。カグヤの言うとおり忘れたほうが良い夢だったのか。そんな事を考えながらペタペタと座敷に向かい、煙草に火をつけた。
 程なくするとカグヤが茶を持って戻ってきたので、それを受け取り彼女の顔を何となく眺める。
「どーしたのさ」
「手前ェは夢とか覚えてる方か?」
 その言葉にカグヤは瞳を丸くするが、笑いながら口を開いた。
「普段は忘れちゃうわ。けど今日は珍しく覚えてたわね」
「どんなんだ?」
「昔の夢だったかしらね。まだ攘夷戦争してた頃でさ、そこで会った別グループの子にね、江戸で待ってるからまた一緒にお酒飲もうって言われたのよ。正直あーそんな事もあったなーって感じだったんだけどさ」
「……それ佐々木みてぇに後から出てきてややこしい事になんねぇだろうな……」
 呆れたような土方の言葉に、カグヤは笑うと、どうかしらね、と首を傾げた。
「一回会ったっきりだしねぇ。夢に見るまで長く忘れてたし。けど、そうね……もしかしたらどっかで席が隣同士になってたとか、同じ店で飲んでたとかあるかもね」
 可笑しそうにカグヤが言うと、土方は僅かに顔を顰めたが大きく機嫌を損ねたわけではないらしく、細く煙を吐き出す。
「まぁ、佐々木みてぇなのはそうそうねぇか」
「あっても困るわよねー」
「……だから江戸に来たのか?」
「どうだったかしらねぇ。いついたのは銀さんがいたからだけどさ。本当攘夷戦争終わった後は何したらいのか解かんなくて、ぶらぶらしてたし」
「どんな奴だった?」
「それがさ、全然覚えてないのよー。名前も聞かなかったし。煙草吸ってたって位かしら。あと、同じグループの子が皆揃いの服着てて、カッコイイわーって思ったぐらい」
 揃いの服と聞いて、土方は首をかしげるが、彼女はふぅっと遠い目をしながら更に口を開く。
「あんときには割りと珍しい洋装でさ。まぁ、私も洋装ではあったんだけど、アレ見た時は、そうか!皆で着れば良かったんだ!って思ったわー」
「手前ェ浮いてたのか?」
「私と晋兄がねー。他数人しか洋装いなかったのよ。一応陣羽織着てたからあの子達みたいに完璧な洋装ではなかったんだけどね」
 そこまで聞いて、土方は前にカグヤの携帯に入ってた攘夷戦争時代の写真を思い出した。
「……高杉と揃いのやつか」
 その時は気が付かなかったが、そういえば似た服を着ていた様な気がしてそういうと、彼女は苦笑しながら頷いた。
「アレさ、晋兄が作って持ってきたのよねぇ。そんで着てみたらぴったりだったんで、まぁコレでいいかって」
「適当だなオイ」
 思わず土方が突っ込むが、その後カグヤは思い出したように笑い出す。
「そうそう、そんでさ、銀さんにピッタリだわー、気持ち悪いわーって言ったら、その服晋兄が自分ととりあえず同じサイズで作ったらしくてさ。多少大きくても大丈夫だろうと思って私に渡したのに、ぴったりで凄くショック受けてたって言ってたのよ」
 そこまでいうと、彼女はゲラゲラと笑い出す。
「タッパが同じぐらいだったのか?」
「そうそう。まぁ、肩幅は多少余ったけど。晋兄も割りと細身だったっし。……死にたい」
「何で急にテンション落ちんだよ!」
 突然卓に突っ伏したカグヤを見て、土方は呆れたように声を上げた。
「だってさー、男物ぴったりとかどうよ。ぶっちゃけ、ヅラっちの服だったら私入らないかもしれない」
「……まぁ、嬉しくはないわな」
 高杉もカグヤも痛み分けだったという事だろう。そして土方は何気なくカグヤを眺め、僅かに瞳を細めた。
「そう言えば洋装はしねぇな」
 とは言え、まだ圧倒的に和装の方が巷には多く、特に女性は洋装だと寧ろ珍しがられる。それは承知していたが、着ていたということは、嫌いでは無いのだろうと思いそう言うと、カグヤは渋い顔をした。
「洋装ってさ、動きやすいし割りと好きなんだけど、和装以上に体型出るじゃない」
「はぁ?タッパがあんのはどっちでも変わんねぇじゃねぇか」
「身長じゃないわよ!こっち!こっち!」
 そう言うと、カグヤは自分の胸をパンパンと叩く。それを見て土方は一瞬言葉を失うが、直ぐに、見たことねぇし、と顔を逸らした。
「胸に行く栄養が全部背丈に行ったとか、胸の大きさは女子力と比例するとか、男は皆おっぱい星人だとか、ムネタイラとか散々銀さんに莫迦にされたのよ!自分のご立派様も大したこと無いくせに!そんな私が洋装してご覧なさいよ!イケメンよ!晋兄よりモテちゃうわよ!」
 そう言うとカグヤは大袈裟に卓に突っ伏して、銀時への恨み言をグチグチとこぼす。色々突っ込みたい事はあるが、きりがないような気がしてそれは諦め、寧ろどうフォローすればいいのかと大真面目に悩む。実は地味にコンプレックスだったらしい。土方はといえば、見たこともなかったし、気にしたこともなかったので今まで気が付かなかったのだろう。
「別にそこまで気にすることねぇだろ」
「辰さんだけが、モデル体型でいいのぅ!って言ってくれたの。ヅラっちなんて露骨に目を逸らすし」
 個人的には高杉がどう言っていたのか気にならないではないが、土方は散々悩んだ挙句、煙草をもみ消すと彼女の頭をポンポンと叩いた。
「変なこと聞いて悪かった」
「……別に兄さんが悪いわけじゃないから。全部銀さんが悪いの。あのおっぱい星人め!」
 心底腹立たしそうに言う姿が可笑しくて、土方は思わず口元を緩める。
「どーしさのさ。急に笑って」
「いや、今まで気にしてるように見えなかったからよ」
「深刻な悩みって程じゃないけどね。育たなかったのは仕方ないし。ただ……」
「ただ?」
「兄さんは残念なんじゃない?」
 その言葉に土方は思わず口をつけていた茶を吹き出しそうになるが、あのな……と頭をかきながら口を開いた。
「俺は手前ェだったら大きかろうが、小さかろうがどうでもいい。高杉のヤローもそう言ってるかもしれねぇけどよ」
「おやまぁ」
 漸く顔を上げたカグヤが、目を丸くして土方を見上げたので、彼は恥ずかしそうに顔を逸らして、何か小声で言葉を零した。
「え?なんて?」
「……そのだな……」
 そう言うと、土方は突然立ち上がると、カグヤの横に移動すると、俯いて彼女の肩に頭を乗せた。
 そのまま動かなかったので、カグヤは少しだけ首を傾げると、彼の頭を片手で抱いた。
「どーしたのさ」
「……こんな話の流れで言うのは自分でもどうかと思うんだけどよ……」
「ん?」
「手前ェの事抱きたいって言ったら怒るか?」
 他愛のない莫迦話をして、いつも通りになればなるほど、土方は段々と不安になっていった。本当にコレは現実なのか。覚えてもない夢が本当は現実で、コレは都合のいい夢なのではないかと。そう思った瞬間、己の手が段々と冷えてゆく気がして、彼はなけなしの勇気を振り絞ってそう言葉を呟く。
「え?大丈夫なの?」
「……はぁ?」
 心底驚いたようにカグヤが言うので、土方は思わず顔を上げて彼女の顔を凝視する。
「いや、アレじゃない。一応恋人同士です!やったー!みたいな事にはなったけど、一向にそう言う事には至らなかったから、兄さんの暴れん坊将軍はもうご隠居様なのかと思ってこっちも言わなかったんだけど」
「ナンダそれ!!!!!!!!!!!」
 思わず声を上げた土方を見て、カグヤは、更に目を丸くする。
「いや!今まではだな……昼間っからってのもアレかと思ってたし、夜は夜で飲んじまって寝ちまうから中々タイミングが難しかったっていうか……つーか、誰だ!そんな悪質なデマ流してるのは!」
 まさか不能だと思われていたとは思わなかった土方は、先ほどまでの不安はどこへ行ったのか怒りで顔を赤くする。
「銀さん」
「ちょっとアイツ締めてくるわ。安心しろ、手前ェへの暴言も謝罪させてやる」
 今にも飛び出して行きそうな土方をカグヤは引き止めると、彼を抱いて口づけをする。それに土方は驚いたような表情を一瞬作ったが、振りほどくことなく、無意識に彼女の手を握った。暖かい彼女の体温と、銀時への怒りで不安は溶けてゆく。
「……いいわよ。雰囲気もへったくれも無いけどね」
「悪ィ」
「はじめてって訳じゃないけど、ご無沙汰だかったから無茶しないでね」
 そう言われ、土方は彼女の肩に顔を埋めると小声で言葉を零した。
「……俺もだけどよ……その……善処するわ」

 

 卓を挟んで土方とカグヤは向かい合い、深刻な顔をして肘を卓に乗せて手を顔の前で組む。
「……盲点だったわ……」
「ああ。まさかこんな問題が怒るなんざ思いもよらなかった」
 いざ事が済んで、イチャイチャする雰囲気ではなく、寧ろ深刻な問題が起こった二人は向かい合わせに座り作戦会議を行っていたのだ。
「つーかよ。何でこの家予備の寝具が毛布一枚なんだよ。今まで手前ェどうしてたんだよ」
「座敷は暖房器具あったし。寝間着着てたし今までそう困らなかったのよね」
 銀時がいれば、散々カグヤちゃんの布団占拠してて今いうの!?と突っ込むだろうが、幸い彼は命拾いして今ここにはいない。
「全裸で寝るのがあんなに寒いと思わなかった!っていうか今日ほど己のタッパを恨んだこと無いわ!」
 突っ伏して声を上げるカグヤを見て、土方は漸く顔の前に組んでいた手を解き煙草に火をつけた。
 事は問題なく終わった。無茶しないでね、等と可愛いことを言っていたのにも関わらず、最後の方など散々蹂躙されたのは土方の方だった訳なのが、それはさて置き、どちらともなく寝てしまった後に問題が起きたのだ。
 一組しか無い布団。普通であるならば二人でくっついて寝ればいいのだが、そもそも一人用の布団の上、高杉が打ちひしがれるカグヤの身長である。要するに狭かったのだ。その上寝ている間にお互いがお互いの布団を無意識に取り合ってしまい、押し合いへし合いの果てに目が覚めたという非常に残念な結果に終わった。
「……布団もう一組買おうかしら……流石にないわー。スタートも雰囲気なかったけど、ゴールも雰囲気ないとかないわー」
 卓に頬を付けてカグヤが猛省するので、土方は煙草の煙を吐き出しながら、そんじゃ適当に買ってここに配達させるわ、と言う。
「え?兄さんが買ってくれるの?」
「……俺以外使わねぇだろ?」
「そりゃそうだけど、結構布団高いわよ」
「そんくらい払う。っつーか、手前ェより収入安定してるから心配すんな」
 そもそも布団より散々カグヤが買い集める酒のほうが高価な場合だってある。しかし土方はそれを口に出さずに、煙を吐き出すと天井を見上げた。
「グダグダでどーしようもねぇな、俺等」
「まぁ、そのほうが私達っぽいんじゃない」
 咽喉で笑うとカグヤはお茶を入れるために座敷から出てゆく。それを見送りながら土方は、天井に翳した己の手を眺めた。
「……大丈夫」
 こっちが現実だ。
 忘れてしまった夢。
 こびり付く不安と恐怖。
「俺もアイツも生きてる」
 何故態々自分がそんな事を言葉にして吐き出したのは土方には分からなかったが、そう言葉にした途端今まで心の何処かに澱のように溜まっていた何かが払拭された。


イチャイチャとは程遠い
20150401 ハスマキ

 

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