*段取りおかしいだろ*

 屯所の執務室で書類を捲っていた土方は、部屋を訪れた近藤を見て怪訝そうな顔をした。今日提出すべき書類は全て片付いているし、夏に向けてのイベン警護系の仕事に関してはまだ山崎の調整待ちだと先程近藤と話をした所だったのだ。何か仕事の漏れでもあったのかと思い、土方は近藤を見上げる。
「何か忘れてることあったか?」
「あ、いや、仕事じゃなくてだな……」
 もじもじとそう言い出した近藤を見て、土方は呆れたような顔をする。このように切り出しにくくする時は大概個人的な相談がある時である。大方近藤の恋人である監察の女の話であろうとタカを括って、土方は書類を片付けると、煙草に火をつけた。
「また、どこにデート行ったらいいかとか、何か下手打ったとかそんなんか?」
 土方の言葉に近藤は驚いたような顔をしたが、慌てて首を振った。
「俺のことじゃなくってだな!」
「……何だ?」
 恋人の話でないとすると、沖田の事かと土方は眉間に皺を寄せた。そして、近藤の言葉を待つが、一向に話しだす様子がなく、だんだんと土方はイライラとしてくる。
「あのなぁ……」
「挨拶に行きたいんだけど!」
 土方が口を開くとほぼ同時に、近藤が突然そう声を上げたので、土方は間抜けに口を開けた状態で近藤を眺める羽目になった。そして反射的に返した言葉は、どこに?という至極真っ当な物であった。
「……えっとだな。その……」
 そこでまたもじもじと始めた近藤を眺め土方は、煙草の煙を吸い込んだ。挨拶に行くって言ったらアレだよな、娘さんを下さい系だよな。でも、アイツ親死んでたんじゃねぇの?どこ挨拶行くんだ?と土方は思考を巡らせるが、近藤の挨拶の行き先は予想外の所であった。
「三味線屋の迦具夜姫さんの所なんだけど……」
 小声でそう言った近藤であったが、土方の方はそれを初めは理解できず、細く煙草の煙を吐き出していたが、再度煙草を吸い込む前に手を止めて、近藤を凝視した。
「はぁ?」
「だからさ。トシも山崎もお世話になってるからさ。よく考えたら、俺一度もちゃんと挨拶したことないし」
 暫くは沈黙を守っていた土方であったが、煙草をもみ消すと、呆れたような顔をして言葉を放った。
「別に必要ねぇだろ」
「えぇ?」
「今更だろ。それにそーゆーの気にしねぇからアイツ」
 大体山崎が三味線を習いだして随分経つし、本当に今更だ。そう思い土方が、そんだけ?と短く聞くと、近藤はしょんぼり項垂れて、コクリと頷いた。それは流石に予想してなかったのか、土方は暫し沈黙すると、また煙草に火を付けた。その様子を近藤は暫く眺めていたが、項垂れたまま部屋を出て行く。

「どうかされましたか?」
 とぼとぼと歩いていると、声をかけてきたのは、近藤の恋人である監察の女で、しょんぼりした近藤は、先程あった事を彼女に話すことにした。すると彼女は暫く考え込んだ後、淡く微笑むと、大丈夫ですよ、と労るように声を掛けた。
「え?」
「私に任せてください」
 そう言うと、彼女は来た道を引き返して行った。それを見送りながら近藤はまた小さくため息をついた。
 土方が己の私生活について殆ど話さない事は十分承知していたし、屯所に一緒に住んでいるので、態々話をしなくてもある程度は把握していた。けれど、少し前にあった鬼兵隊の大量検挙。そこに至るまで、土方が水面下でどれだけ動き回っていたのか近藤は全く知らなかったのだ。土方が【三味線屋】と呼ぶ女。その素性も、土方とどのような付き合いをしているのかも、その時に初めて知った。今まで自分は土方に何かと相談事を持ちかけていたのに、土方は一人で泣き言も言わずに、全部抱えて、なんとかしているのが、羨ましくもあり、寂しくもあった近藤は、これを期に色々と聞いてみようかと思ったのだが、あっさりと土方に却下され途方に暮れた。
 とぼとぼと局長室に戻ると、暫くして山崎が訪れてきた。
「あれ?山崎?」
「局長は明日時間ありますか?」
「うん。別に急ぎの仕事はないけど……」
 近藤の言葉に山崎は、頷くと、笑った。
「じゃぁ、午前中だけ半休にしておいてください」
「いいけど、どこか行くの?」
 驚いたような近藤の言葉に、山崎は、え?っという様な顔を作る。
「先生のところに挨拶行きたいんじゃないんですか?」
 山崎の言う【先生】が【三味線屋】であることに気がついた近藤は、漸く山崎が訪れた理由を理解した。恐らく仕事上山崎の相棒である彼女が、直接土方ではなく山崎の方へ話をしに行ったのだろう。恋人の気遣いに感謝しながら、近藤は恐る恐ると言ったような表情を作って言葉を零す。
「えっと。迷惑じゃないかな?」
「行っても行かなくても、先生にとっては同じだとは思いますけど、近藤さんが行きたいならご案内しますよ」
「そんなもんなの!?っていうか、明日急にとか大丈夫なの!?」
「三味線の稽古も入ってませんし、飲み歩く夜に行くよりは朝のほうが迷惑じゃないですよ」
 山崎は思わず近藤の言葉に笑う。例えばカグヤと付き合いの長い人間であれば、確実に午前中を狙って会いに行く。彼女の行動パターン的に在宅である事多いし、それを本人が迷惑だと言わないからである。しかしながら、近藤の様に付き合いが無い人間からすれば、逆に気を使うのかもしれない。そう山崎は思って言葉を続けた。
「心配しなくても、後で明日近藤さんと行くって連絡しておきますよ」
 その言葉を聞いて、近藤は漸くほっとしたような顔をする。
「でも、どうしたんですか急に」
「あ……そのだな。ほら、鬼兵隊云々まで俺、三味線屋さんのことよく知らなかったし、これを機会に色々……ほら……」
 ごにょごにょと言う近藤を見て、山崎は、あぁ、と納得する。
「俺の先生がどうこうというより、土方さんとの付き合いが気になるんですね」
 ストレートに言う山崎に、近藤は驚いたような顔をするが、すぐにしょんぼりとする。
「なんか山崎をダシにしたみたいで申し訳ないんだが……」
「それは別にいいですけど……。前もって言っておきますけど、理解不能ですからね、二人の関係」
「え?」
「俺もずっと傍で見てますけど、なんというか……そーですねぇ。変な関係なんですよ」
 言い表せないな、と山崎は思い結局そう結論づける。当然そうなると、近藤は山崎以上に困惑するしかない。鬼兵隊云々の時の土方の話を聞く限りでは、多分土方にとっては特別な存在なのだというのはなんとなく解るのだが、それが変な関係というのはまったくもって分からない。
「……とりあえず少し話して見れば解ると思います」
「そっか」
 無理矢理まとめた山崎を眺めて、近藤はそう頷き、明日を待つことにした。

 

 翌日、三味線屋の家の前に近藤は緊張した面持ちで立っていた。山崎も一緒についてきてくれたし、手土産も彼女の好物をしっかり選んでくれた。
 そんな近藤の様子に気がつかないのか、普段どおりの様子で山崎は勝手口のチャイムを押す。すると直ぐに扉が開き、家主が顔を出した。
「おやまぁ。態々連絡くれたから正面玄関から来るのかと思ったら」
「そういえばそうですね。すみません先生」
 苦笑した山崎は、瞳を細めると、おはようございます、と改めてあいさつをする。するとカグヤも、はい、おはよう、と笑った。
「局長さんも。こうやってちゃんとお会いするのは初めてよね。私は、三味線屋・迦具夜姫という名で仕事してるタチバナカグヤ。ザキさんや兄さんにはいつもお世話になってます」
 そう言われ、近藤は慌てて頭を下げると緊張した声で自己紹介をする。
「真選組局長を勤めてます近藤勲です。こちらこそトシや山崎がいつもお世話になってまして。あの、これ、つまらないものですが」
 差し出された箱を見て、カグヤは目を丸くする。
「おやまぁ。ご丁寧に。別にいいのに」
 そう言いながら箱を受け取ると、暑かったでしょ?と中に入る様促してくれた。山崎について家に入った近藤は、座敷に敷かれた座布団に座ると、ソワソワとしたように辺りを見回した。
「仕事場でごめんなさいね。部屋少なくて」
 笑いながら、茶と、手土産の水羊羹を持ってきたカグヤの言葉に、近藤は驚いたように顔を上げて首を振った。
「こちらこそ急に押しかけてしまって……。山崎の仕事も手伝って貰ってるのに、挨拶もこんなに遅くて申し訳ない」
「気にしないで頂戴。ザキさんのお仕事手伝ってるって言っても、私はいつも通り三味線弾いてるだけだしね。銀さんなんかは、仲介料が定期的に入るって喜んでる位だし」
 茶と水羊羹を近藤と山崎の前に置くと、カグヤはそう言って咽喉で笑った。
「……鬼兵隊の件では随分真選組さんにはご迷惑を掛けてしまって。こちらから本来はお詫びに行かなければならない所申し訳ありません」
 今までの口調とは打って変わって、カグヤがそう言い、深々と頭を下げたのを見て、近藤は驚き、慌てて首を振る。
「頭を上げてください!……その、あの件はこちらも攘夷浪士の大量検挙で有難かったというか……あぁ、変な話ですけど、本当に、便乗して株を上げたというかなんというか……」
 しどろもどろになって言葉を紡ぐ近藤を見て、山崎は思わず吹出す。
「先生。近藤さんも困ってますしその辺で顔を上げてくださいよ」
「そうですよ!三味線屋さん」
 山崎と近藤に言われ、カグヤは頭を上げると鮮やかに笑った。
「……有難う」
 その言葉に近藤はほっとしたような顔をすると、淹れられた茶に漸く口を付けた。
「兄さんも連れてくれば良かったのに。今日休みでしょ?」
「それがですねぇ。断られちゃったんですよ」
 話題を変えたカグヤに対応したのは山崎で、彼は苦笑しながら言葉を続けた。
「元々近藤さんは土方さんに頼みに行ったんですよ。そしたら、今更必要ねぇだろ、って言われたみたいで」
「まぁ、別に態々堅苦しいことはしなくてもいいけどさ。局長さんが来たいって言うんだったら連れてくればいいのに」
 変なの、と呟きカグヤは水羊羹を口に放り込んだ。
「急に言ったもんだから、トシも困ったのかもしれないしな。うん」
 近藤の言葉にカグヤは呆れたような、それでいて少し可笑しそうな顔をして口を開く。
「おやまぁ。本当にイイ人ね、局長さん」
「そーなんですよ。人がいいというかなんというか」
 山崎も相槌を打つと、水羊羹に手をつける。カグヤが好んで食べるこの菓子が丁度いい季節になった、等と思いながら、近藤の方をちらりと見る。さて、どうやって土方の事を切り出すのかと興味はあったが、ほとんど初対面のカグヤにいきなりというのは難易度が高いだろう。丁度土方の話題も出た所だし、と山崎は更に口を開いた。
「まぁ、バランスはイイんですけどね。ある意味正反対で」
「そうでしょうね。兄さんみたいな人間がトップだと窮屈だし。あのタイプはトップに懐の大きい人がいて、初めて良さが解る系統よねぇ」
「いやいや、トシにはいつも迷惑かけっぱなしで……本当情けない限りで」
 褒められたのが恥ずかしいのが近藤が照れながらそう言うと、カグヤは瞳を細めて笑った。
「それでですね……、三味線屋さんはトシとは……その、アレからどうですか?」
「えぇ、お陰さまで今まで通りで」
 よっしゃ!さりげなかった!と自画自賛したのも一瞬の事で、近藤はすぐさま、アレ?っと言うような表情を作る。それを見て、山崎は大方予想道理だと言わんばかりの表情を作って口を開いた。
「相変わらず看板まで飲んで、足りなければ家まで連れて帰って、土方さんが潰れるまで飲むのに付きあわせてるんですね」
「そーよ。……まぁ、今回の一件は私も晋兄も好き放題やって兄さん巻き込んだし、愛想つかせるかとも思ったけど、相変わらずよ」
 そう言うと、カグヤは咽喉で笑って茶を一口飲んだ。山崎はその様子を眺めた後、近藤に視線を送る。予想通り、近藤は困惑したような顔をしており、仕方ないと言うように山崎は耳打ちする。
「だから言ったじゃないですか」
 前もって言っていた筈だが、それでも近藤は山崎の話は大袈裟だと思っていのだろう。
「えっと。三味線屋さんは……その、トシとお付き合いしてるんじゃないんですか?」
 思い切って言葉を放った近藤を見て、山崎は思わず心の中で拍手を送った。ちょっとやそっとの事ではへこたれないのがこの人の良い所だ。正面から挑んだ近藤を眺めながら、山崎はカグヤの返答を待つことにした。するとカグヤは、え?っと言うような顔を一瞬作ったが、直ぐに笑い出す。
「元攘夷志士の上に、全国指名手配の男が年がら年中傍をちょろちょろする女なんて面倒臭いと思わない?」
「……えっと、それは……」
 返答に迷ったのは至極真っ当な反応だとカグヤは思い、瞳を細めた。
「それが答え。まぁ、楽しいお付き合いはしてるけどねある意味。けど、局長さんが言うようなお付き合いは、余りにもデメリットが多すぎて兄さんもその気にならないでしょう」
 そこまで言うと、カグヤは愉快そうに笑った。その反応に近藤はどうしていいのか解らないというような表情を作って、山崎の方を見る。すると山崎は小さくため息をついて口を開いた。
「まぁ、俺から言わせて貰えば、家にあんだけ入り浸って、精神的にべったり依存してる上に、他の男のモノになるのは辛抱ならないって必死こいて邪魔する癖に……って気分ですけどね。高杉といい勝負じゃないですか」
「晋兄は私の傍にいる男は全部気に入らないけど、兄さんは私を自分のモノにしたい男が気に入らないんだって言ってたわよ。仲良くする分にはどうでも良いんだって」
「へぇ。それじゃ俺は命拾いしてるって訳ですね。先生に求婚でもしない限り」
 軽口を叩く山崎を見て、近藤は少し驚いたような顔をした。
「してみる?」
「今はやめておきます。片方だけならともかく、両方相手にするのはホネですから。大家の旦那や万事屋の旦那辺りに相談して、いい手があれば考えますけどね」
「賢明ね。控えめな所、好きよ」
「ありがとうございます。俺もそう言って貰えて嬉しいです」
 山崎が心底嬉しそうな顔をしたのを見て、カグヤは思わず口元を綻ばす。それとは逆に、話についていけないのであろう近藤に視線を送ってカグヤは苦笑した。
「ごめんなさいね、局長さん。期待に応えられなくて」
「……トシの事は……その、好きじゃないんですか?」
「好きよ」
 あっけらかんと答えるカグヤに驚いた近藤は、それじゃなんで……と己の事のように項垂れる。それを見て、カグヤは少しだけ困った顔をすると、口を開いた。
「別に所帯を持つってのだけが、終着点じゃないと私は思うんだけどね。大体、私がどんだけ兄さんの好いても、兄さんは私のこと三番目だからどうにもねぇ」
「三番目!?そんな事トシ言ってたんですか!?」
 声を上げる近藤とは逆に、山崎は呆れたような顔をして口を開いた。
「アレでしょ。近藤さんが一番で、真選組が二番目とか言っちゃったんでしょあの人」
「あら、よく知ってるわね」
「ちょっとぉぉぉぉ!何悟りきった顔してんの山崎!……ホント済みません!アレですよ、トシは口下手でアレですけど、本当にいい奴で!三番目だって言ったのも悪気があって言った訳じゃ……」
 慌てて弁解する近藤を見て、カグヤはぽかんとしたような顔をするが、直ぐに笑い出した。
「兄さんの大本命に弁解されてもね」
「いやいやいやいや!トシもそんな意味で言った訳じゃないんです!信じて!」
 言い訳をしているうちに、段々涙目になってきた近藤を見て、カグヤは、からかってごめんなさいね、と笑う。その言葉に近藤は驚いたようにカグヤの顔を凝視した。
「……解ってますよそんな事。伊達に長いこと兄さんとお酒飲んで、グダグダしてた訳じゃないしね。……私はね、局長さん。そんな兄さんが良いの。だからまぁ……心配しなくてもそこそこ仲良くやってくつもりだし」
 その言葉を聞いて、山崎は思わず心の中で舌打ちしたい気分になった。結局土方がまたヘタレて決断出来ないだけじゃないかと思ったのだ。結局何の学習もしていないのか、今の心地良さに甘えて、明らかに決断する機会を逸している。カグヤが言うように、一緒に所帯を持つという事だけが幸せの終着地ではないかもしれないが、せめて、カグヤが高杉ではなく、土方を選んだ事の意味を、土方は考える所ではないかと。そう考えて山崎は僅かに眉を寄せた。
「まぁ、お二人の事ですから外野がとやかくいうのもアレですし……」
 そこまで山崎が言った辺りで、勝手口が開く音がする。反射的に振り返った山崎は、その後思わず顔を顰めた。タイミングの悪い。何か仕事でも押し付けておけば良かったと思いながら、勝手口を開けた男に言葉を放った。
「おはようございます土方さん」
 当の本人は、いつも通り暇つぶしにカグヤの家を訪れ、そこに山崎はともかく近藤までいることに驚いて言葉を失っていた。しかしながら、直ぐに我に返ると、不機嫌そうな声色で言葉を放つ。
「何で近藤さんがいんだ」
「俺の先生に挨拶したいって言うんで連れてきたんですよ。まぁ、監察の仕事の件でもお世話になってますしね」
 まともに言い訳が出来ない近藤の代わりに山崎は言い放つと、お茶淹れますね、と笑顔をカグヤに笑顔を向ける。
「私が淹れるわよ」
「いいですから。座ってて下さい」
 そう言うと、山崎はさっさと立ち上がり台所へ向かう。一方土方は、暫く黙って座敷を眺めていたが、靴を脱ぐと茶を淹れる山崎の横に立った。
「何の話してたんだ」
「だから、先生に挨拶ですよ。大体土方さんが悪いんですよ。近藤さんが挨拶したいっていうんだったら、さっさと連れてくればいいじゃないですか。大した手間じゃないんですし」
 実に真っ当な方向で責められ思わず土方は言葉に詰まった。正直なところ、近藤には洗いざらいカグヤのことを喋ってしまっているので、会わせたくなかったのだ。松平や近藤に説明をした時は、高杉へ繋がる唯一の方法だったので、自分も必死であったが、後で考えるとかなりきわどい事も言ったような気もする。要するに気恥ずかしい。
「……今更だと思ったんだよ」
「まぁ、そうでしょうけどね」
 わざとらしくため息をついた山崎を睨むと、土方は座敷に移動することにした。山崎が茶を持ってくるまでの間、土方は煙草に火をつけると近藤を眺める。そのソワソワとした様子を見ると、恐らく挨拶だけの話ではないのだろうと思い土方はため息をついた。恐ろしいほど嘘や隠し事が苦手な男だと。
「で、挨拶は終わったのかよ」
「えぇ。丁寧に挨拶してくれたわよ。水羊羹も貰ったし」
 カグヤの言葉に土方は卓に乗った水羊羹に視線を落とした。恐らく山崎が選んだのだろうと考えながら、煙草の煙を細く吐き出すと、ふぅん、と気のない返事をする。終始落ち着きのない近藤の横に、山崎が戻ってくると、茶を受け取りながら土方は口を開く。
「他は?」
「他ですか?」
 わざとらしく聞き返した山崎に、内心舌打ちをすると、土方はつまらなそうに口を開いた。
「朝から出てって、今までで挨拶だけで終わりって事ねぇだろ」
「あぁ。そうですね。色々話しましたよ」
 具体的には何一つ言わない山崎にイライラしながら、土方は冷たい茶を流し込んだ。山崎は嘘も平気でつくし、話したくないことは話さない。従順であるのは仕事の時だけで、それ以外の時は辛辣なことも平気で言う。そう思った土方は、仕方なく近藤に相手を変えることにした。
「満足したか?近藤さん」
「トシはいいって言ったのに、山崎に無理いったんだ。すまなんだ」
 素直に詫びる近藤を見て、土方は困ったような顔をした。この素直さは悪い事ではないと思うし、筋を通したがる所も昔からで仕方ないと思う。怒る気も失せた土方は、そうか、と言うと煙草をもみ消した。
「そのだなぁ……色々気になって……。トシは俺に相談とかしてくれないから」
「手前ェで何とかしてっから心配すんなよ」
 よく言う、と土方の言葉を聞きながら山崎は心の中で思わず呟いた。その様子を見ながら、カグヤは可笑しそうに口元を緩める。
「あんまり心配させちゃ駄目よ。話には聞いてたけど、本当にイイ人だし。局長さん」
「煩ェよ」
 つまらなさそうに返答した土方を眺めながら、近藤は少し迷った後に口を開いた。
「……そのだな。トシが俺に遠慮してるんじゃないかって。思ってたんだ」
「遠慮?」
 はぁ?っと言わんばかりに土方が聞き返したので、近藤は頷いた。
「そのだな……祝言を上げる順番というか、そういうのをだな……」
 水を打ったように静まり返った座敷。
「……誰と誰の祝言?」
「トシと三味線屋さんの」
「はぁ?」
 そのやりとりを聞いて、カグヤは耐えられないと言うように吹き出したが、それとは逆に土方は顔を真っ赤にして怒り出す。
「下らねぇ事気にしてねぇで、手前ェの心配しろよ!つーか、祝言とか意味解らねぇよ!」
「でも……三味線屋さんを助ける為に高杉の所行ったわけだし……そーゆー事なのかなって思って」
「それはっ……っていうか、俺は所帯持つ気なんかねぇって言っただろ!」
 その言葉に近藤はしゅんと項垂れ、山崎は呆れたような顔をした。カグヤの方を山崎はちらりと見たが、彼女は笑いを堪えるに必死らしく、言葉を発する様子はない。
「俺の方がその……なかなか進まないし、だからトシが遠慮して踏ん切りつかないのかと思って心配だったんだ」
 余りにも土方が怒るので、思わず涙目になった近藤であるが、睨みつけられて黙る。
「頼んでねぇよ!」
 吐き捨てるように土方が言ったのを聞いて、カグヤは顔を上げ声を放った。
「兄さん」
 彼女の声を聞いて土方ははっとした様な顔をする。言い過ぎたと思ったのだろう。バツが悪そうに顔を背けると煙草に火を付けた。それを見て山崎は小さくため息を付くと、口を開いた。
「そろそろ帰ります」
「おやまぁ。ご飯食べて行ったら?」
「近藤さんの休みが午前中だけなので。帰りましょう、近藤さん」
 項垂れていた近藤は、小さく頷くと、のろのろと立ち上がった。カグヤは見送りの為に一緒に勝手口まで行くが、土方は動く様子がなく、それを視界の端に捉えながらカグヤは近藤に小声で囁く。
「ごめんなさいね。折角来てくれたのに」
「いえ、こちらこそ。ご迷惑おかけした上に……」
 叱られた犬のようにしおれる近藤を見て、山崎はカグヤに耳打ちする。
「こっちは何とかしときますんで、土方さんお願いします」
「はいはい」
 カグヤは困ったように笑うと、それじゃ、また、と近藤を見送る。
 帰り道、項垂れる近藤に山崎は声を掛けた。
「そんなに萎れなくても大丈夫ですよ。頭冷えたら謝りに来ると思いますよ」
「……謝るのは俺の方だよね……余計なことばっかりして……」
「アレは土方さんが悪いですよ。大体先生と所帯持つつもりないのに、先生が誰かと一緒になるのが辛抱ならないとか、どんな我侭ですか」
 呆れたような山崎の言葉を聞きながら、近藤は小声で呟いた。
「やっぱり元攘夷志士だったからかな……」
「違いますよ」
 山崎の言葉に近藤は驚いたような顔をして彼の方を凝視した。
「土方さんがヘタレなだけです」

 

 座敷に戻ると、土方は座布団を枕に背を向けて横たわっていた。卓の上を片付ける間、カグヤも土方も一言も言葉を放つことはなく、漸くカグヤが座った所で、土方は小声で言葉を零した。
「……何にも言わねぇんだな、手前ェ」
「局長さんに言いすぎたって反省してんでしょ?だったら私が言う事なんかないわよ」
 そう言うと、彼女は三味線に手を伸ばそうとするが、土方がその手を掴む。
「ちょっとだけ、いいか?」
「いいわよ」
 三味線を弾くことは諦めて、カグヤはそう言うと、土方の枕元に座る。
「……自分が所帯持つって想像出来ねぇんだ。俺はどう足掻いても仕事や近藤さん守ることが一番にしか選べねぇし、そんなんで所帯持つとか誰も幸せになんねぇだろ?嫁さんも子供も放ったらかしにするぐれぇだったら、初めから自分のモンにしなきゃいい。そしたら、嫁さんは別の幸せ見つけるかもしれねぇし」
 ぽつりぽつり土方が話すのを聞きながら、カグヤは土方の髪を撫でる。それに対して土方は不快ではないのか、何も言わない。
「だから、別に近藤さんが心配なんかしなくてもいんだよ。なのにどうでもいい事あの人は気にすんだ」
「私が子供の頃はさ、ずっと晋兄と銀さんとヅラっちと一緒で、先生に色々教わって、それぞれ好きな仕事について、大人になるんだと思ってたわ」
 カグヤが零す言葉の続きを土方は待つ。
「でも、気がついたら刀握って、天人の首落としてた。あぁ、こりゃ真っ当な大人になる事なく、どっかで刺されて死ぬなって」
 苦笑するような口調で昔話をするカグヤの表情は土方からは見えないが、昔話をすること自体珍しい事なので、彼は黙ってそれを聞いていた。
「そしたら、幕府は降伏してうっかり生き延びて。あれーって思ってる間に世の中変わっていっちゃってさ。……江戸に来て、たまたま銀さんと再開して、することないって言ったら、好きな三味線でも弾いてれば?って言われてね。あぁ、そうか、何でもしていいのかって思ったわ」
 そこまで言うと、カグヤは少しだけ間を置いて、ぽんぽんと土方の肩を叩いた。
「案ずるより産むが易しってね。私は今こうやってんの想像も出来なかったわ」
「……」
「まぁ、兄さんも思うところがあるんだろうし、好きにすればいいけど、初めっから無理だって諦めるのも勿体無いわよ。折角一回っきりの人生なんだし。頑張れば条件に合うお嫁さん見つかるかもよ」
 そう言い終えると、カグヤは咽喉で笑って、また土方の髪を撫でた。暫くはされるがままだった土方であるが、ポツリと言葉を零した。
「……俺が条件に合う嫁さん見つけてきたら手前ェどうする?」
「そうね、甘やかしてあげるのは可愛いお嫁さんに譲ってあげる。そんで、髪も切ったことだし、私は宇宙にでも行こうかしら。たまにお土産持って帰ってくるから、その時は一緒にお酒飲んでね」
「……だったら、やっぱ所帯持ちたくねぇ」
「何で?」
「手前ェが宇宙に行くのも、何か気に食わねぇし、手前ェ以外に甘やかされんのも何か厭だ」
 そう言われ、カグヤは咽喉で笑うと、ポンポンと土方の頭を軽く叩いた。
「そんじゃ、元攘夷志士で、ウザイシスコン兄ちゃんがもれなく付いてくるけど、それでもいいって決心付いたらいつでも言いに来なさい。私が可愛いお嫁さんもやってあげるから」
 すると、土方はガバっと起き上がり、そのままバタバタと勝手口へ向かう。驚いてカグヤが見送ろうとするが、土方は声を上げて静止する。
「見送り構わねえから!」
「あっそう?気をつけてね」
「あぁ」
 そのまま家を出て行った土方の後ろ姿を見送ったカグヤは、ぷっと吹出す。
「おやまぁ。耳まで真っ赤にしちゃって可愛い」

 

 カグヤの家を出た土方は、早足で屯所に戻ると、そのまま自分の私室に篭った。そして、思わず部屋の隅に体育座りをしたい衝動を抑えながら煙草に火をつける。
「……なんだあれ?何でそうなるんだ?」
 一体どうしてこうなったのだ。そもそも、近藤がおかしなことを言い出したのが悪い。いや、悪くはないが、何か段取り色々おかしくないか?そう鬱々と考えていると、突然声をかけられ、土方は顔を上げた。
「帰ってたんですか。近藤さんに謝りにいってくださいね」
 山崎の呆れたような表情を見上げながら、土方は曖昧に返事をすると、煙草をもみ消した。
「先生に絞られたんですか?」
「……違う」
 様子がいつもと違うことを察したのか、山崎がそう聞くと、土方はそっぽを向いてそう返答する。そして、暫く黙っていたが、山崎が退出する様子がないので、渋々といったように口を開いて、カグヤとのやりとりを洗いざらい吐き出した。
「あぁ、良かったですね。先生がお嫁さんになってくれるんですか。いつ言いに行くんですか?明日ですか?明後日ですか?」
 畳み掛けるように言う山崎にぎょっとしたように土方は反論する。
「いや!段取りおかしいだろ!付き合ってもねぇし!つーか、何で宇宙に行くの止めたらアイツが俺の嫁さんやってもいいって方向に行くんだよ!意味がわからねぇよ!」
「先生がフラフラするのは別に良いとか言っといて、何で宇宙に行くのは気にくわないんですか。イイじゃないですか別に」
 山崎がツッコミと、土方は面白くなさそうにそっぽを向くと、赤コートと行くんだろ、とボソリと言葉を零す。それに思わず山崎は呆れたような顔をした。どこまで図々しいのだと。結局自分の目の届くところじゃないと気に食わない癖に、と思いながら山崎は土方の前に漸く座った。
 その様子を見て、土方は暫く黙って煙草をふかしていたが、少しだけ考え込んだ様な顔をした後に口を開いた。
「怖ェんだよ」
「何がですか?」
「アイツは甘やかすのが上手くて、今だって……アイツにどっか依存してるってのは自覚してる。でも、行き過ぎたら、今度は俺が檻を作るかもしれねぇ」
 高杉のように、そう続けたかったのだろう。しかし最後まで言うこと無く土方は黙り込んだ。それを聞いた山崎は、呆れたような顔をして、そんなことですか、と言葉を零した。
「……そんな事って、お前な……」
「心配しなくても高杉と同じように、土方さんが檻でも作ろうもんなら、先生は愛想つかしてさっさと逃げますよ。そんで逃げるときは、大家の旦那や俺が……そうですね、万事屋の旦那も手伝ってくれるかもしれませんけど、全力で逃がしますから心配しないでください」
 あっけらかんと言い切った山崎を見て、土方は暫くぽかんとしたような顔をしていたが、煙草の煙を勢い良く吐き出すと、そうか、と呟いた。
「そうですよ。あ、高杉も全力で手伝ってくれるかもしれませんね」
 そう言って咽喉で笑った山崎を見て、土方は渋い顔をしたが、煙草をもみ消して口を開いた。
「高杉に来られるのはウゼェな」
「そう思うんだったらせいぜい頑張ってくださいよ」
「……でも、段取りおかしいだろ」
「初めっから先生と土方さんはおかしいと思いますけどね。まぁ、決心付いたら俺にも教えてくださいよ。いきなりってのが嫌だったら、それこそ一般的な段取りで、お付き合いから始めたらどうですか?」
 からかうような、それでいて、至極真っ当なアドバイスをした山崎は、立ち上がると仕事に戻ると言って部屋を出て行った。
 取り残された土方は、壁に凭れかかって、また煙草に火をつける。上がる紫煙を眺めながら、どうしたモンかと考えて、細く煙を吐き出した。


可愛いお嫁さん(笑)
20110701 ハスマキ

【MAINTOP】