*招待状を送ってやる・後編*

 ボロボロになって戻った男。そして、綺麗だった髪を無残にも短く切り落とした女。
─―もっと早く気がつけば沢山助けられたのに。ヅラッチしか助けられなかった。
 女を出迎えた男は、彼女が逃げる時に邪魔だと乱暴に切り落とした髪を撫でて顔を歪めた。彼女が担いで帰ってきた男も怪我が酷く、無事とは言い難い。
──綺麗な髪だったのにな。アイツ……見つけたら殺してやる。
──髪ぐらいいいわよ。また伸びるし。
 髪はまた伸びる。怪我も治るかもしれない。けれど男は己の友と最愛の女を傷つけた裏切り者を許す気にはなれなかった。もう戦えないと刀を置くならば仕方ない。けれど、仲間を売って幕府に取り入った、嘗ての己の部下。
──絶対に殺してやる。

 

 近藤の申し訳なさそうな顔を見て、土方と山崎は小さくため息をついた。
「すまなんだトシ」
「……まぁ、仕方ねぇか」
 幕府への報告書を上げ、その返答を持って帰ってきた近藤は土方と山崎を呼び返答書を二人に渡す。幕府の下した判断は【攘夷浪士による内ゲバ】という事で、真選組が捕まえた攘夷浪士を処分・事情聴取をする分には問題ないが、巻き込まれた芸妓への護衛などは却下されたのだ。そもそも活動資金が税金である真選組は、上からの命令に逆らうことはできない。
 助けに入ったのが攘夷浪士の桂であったのも良くなかったのであろう。ていよく処理された昨日の襲撃に、土方は渋い顔をしたが、幕府の誰かがあからさまに事件を握りつぶす方向で動いている事が確認できただけで収穫とすることにした。
 誰かがカグヤに消えて欲しいのだろう。
 襲撃された芸妓が、山崎の三味線の先生であると知っていた近藤は、出来る限り粘りはしたが、不本意にも折れる形となり、土方や山崎に深々と頭を下げた。
「表立って真選組が動くことは出来ない。けど、出来る限りのことはしようと思ってる」
「頭上げてくれ近藤さん」
「そうですよ。公務員である以上制限掛かるのは俺も理解してますし」
 二人の言葉に漸く近藤は頭を上げると、申し訳なさそうに再度詫びる。
「……桂の事を書いた時点でそうなるんじゃねぇかと思ってた。でも、書かねぇ訳にも行かねぇしな」
 煙草に火をつけた土方は、煙草の煙を細く吐き出すとそう言葉を零す。
「とりあえずちょっと三味線屋の所に行ってくる」
 立ち上がった土方を見上げた山崎は、僅かに思案したような顔をすると、同じように立ち上がり近藤に視線を落とした。
「芸妓襲撃に関しては打ち止めで了解しました。ただ、出雲様への内偵に関しては今後も続けます」
「あぁ」
 近藤が申し訳なさそうに笑ったのを見て、山崎は瞳を細めると、有難うございますと言葉を零して、土方と共に部屋を後にした。

 

「……で、何でザキさんがその格好で家に来るのさ」
 呆れたような顔をしたカグヤに山崎は苦笑しながら、頭を下げ、暫く傍に置いてくださいと言葉を放った。君菊の格好をした山崎。暑い中ご苦労な事だと思いながら、カグヤは口を開く。
「捜査打ち止めって話じゃないの?」
「手前ェと君菊の襲撃に関しての捜査はな」
 煙草の煙を吐きながら土方はそう言うと、眉間のシワを深くして更に言葉を続けた。
「こっちは別件の内偵で手前ェの傍に置いてて欲しい。つーか、手前ェ、自分が昨日攘夷浪士に襲われたの解ってんのか!?鍵ぐらい掛けとけ!」
「昼ぐらいには兄さん来るって言ってったじゃないのさ。だから開けておいたのよ」
 昨日、夜も遅い事もあり、結局カグヤに関してはそのまま家に帰らせた。事情を本来は聞かねばならないところだが、山崎が一緒だったので、君菊に話を聞いたという形で報告書を作ったのだ。実際カグヤに聞く事など一つもなく、彼女へはこうやって事件がどう片付いたか報告するだけである。
「……とりあえず暫くは家から出んな」
「いや、買い物とかどーするのさ」
「山崎に行かせろ」
「えぇ?ザキさん仕事でうちにいるんじゃないの?」
「あ、大丈夫です。仕事しながら買い物ぐらいはいけますし」
 カグヤの怪訝そうな言葉に、山崎はにこやかに言うと、空になったカグヤの湯呑みに茶を足す。
「実はここ最近、この辺りに攘夷浪士がウロウロしてるって通報が多いんですよ。通報してから駆けつけたんじゃ、逃げられてどこのグループの浪士か解らないんで、先生の家に暫く置いてもらって、顔だけはとりあえず俺が確認することになったんです」
「へぇ。大変なのねぇザキさん。外で貼り込んでたらそれこそ不審者でザキさんが通報されるかもしれないし、ウチなら涼しいから仕事やりやすいか」
「えぇ」
 納得したカグヤの言葉に、山崎はにこやかな笑顔で返答すると、更に言葉を続ける。
「たまにこの付近も歩きまわるんで、その時に買い物も行きますよ」
「それじゃぁ、お願いしちゃおうかしら。兄さんも煩いし」
「悪かったな」
 煩いと言われて不機嫌そうな顔を作った土方は、小さく舌打ちしたが、山崎が巧くカグヤを納得させたことに関しては安堵する。山崎の言った事に嘘はないし、カグヤをなるだけ外に出さないという目的も果たされる。迦具夜姫の弟子である君菊ならば、家に出入していても怪しまれることはないだろう。
「……あと、ピザ屋は連絡取れるか?」
「ピザ屋って全さん?」
「名前は知らねぇ。ジャンプ派の忍者」
「何か用?」
 突然後ろから声をかけられ、土方は咥えていた煙草を思わず落としそうになる。そこには全蔵がたっており、土方を見下ろしていたが、彼は直ぐに視線をカグヤに移して口元を緩めた。
「邪魔してる」
「お茶淹れるわね。そこ座って」
 突然現れた全蔵にカグヤが動じる様子もなく台所に向かったので、土方は思わず全蔵を眺めた。全く気配を感じなかった。
 カグヤのすすめた座布団に座った全蔵は、土方の方に視線を送って、何か用?と再度同じ言葉を口にした。
「いつぐらいからこの辺りに攘夷浪士がウロウロするようになったか知りたい」
 その言葉に全蔵は少しだけ考えこむような顔をすると、口を開く。
「姫さんがお弟子さんと前に仕事に行った後位だから、4、5日前か?」
「そんなに前からウロウロしてたの?」
 お茶を持って戻ってきたカグヤの言葉に、全蔵は頷き、冷たい茶を喉に流し込む。全蔵の言葉に渋い顔をしたままの土方の様子を見て、全蔵は更に言葉を続けた。
「空き巣狙いかと思って、昨日も姫さんが家空けるの知ってたからちょっとバイトの帰りにココに寄ってな。まぁ、そうこうしてるうちに、別のところで騒ぎが起こったんでそっちに行ったんだけど。そう言えば俺の棒手裏剣どうした?真選組が回収した?」
 その言葉に山崎は懐から白い布に包まれた棒手裏剣を取り出すと、卓の上に乗せる。それを全蔵は手にとって、陽の光に翳すように眺めた。
「一応洗って乾かしておきました。錆びるといけないと思ったんで。手入れの仕方解らなかったんですみません」
「いやいや。助かる。昔は手裏剣なんて消耗品みたいなもんだったけど、最近は扱う職人も減って、出来るだけ再利用してるんだわ。十分十分」
 満足そうに全蔵はそれを受け取り、懐にしまう。その様子を眺めていた土方は、煙草の煙を吐き出すと口を開いた。
「そんで、コイツら助けた後に、ウロウロしてた攘夷浪士ふん縛って屯所の前に運んだのか」
「ここ離れる時ついでにな。俺の仕業って解ったんだ」
「まぁな」
 少しだけ驚いたような顔をした全蔵に、土方はつまらなさそうに返答する。この話の流れならそうだろうと簡単に察することは出来たし、すべてが後手後手だった真選組よりいい働きをしているのがどうにも気に食わない。それが顔に出た土方を見て、全蔵は口端だけ歪める。
「姫さんも気を付けたいいんじゃねぇの?」
「最近物騒ねぇ」
「本当にそうですよね」
 カグヤの言葉に相槌を打った山崎を見て、土方は呆れたような顔をする。市中の治安を守る真選組である人間が呑気なものだと思ったのだろう。
「そー言えば、昨日の攘夷浪士何で私の事狙ったのさ。内ゲバって方向で捜査撃ち切ったのは構わないけど、物取りついでかなんか?最近多いし」
「……吐かねぇっつーか、下っ端過ぎてアイツらもよく解ってなかったみてぇなんだ」
 実際、捕まえた攘夷浪士は上からの命令で動いただけで、何のためにという所に関しては全く知らされてなかったのだ。
「トカゲの尻尾切りか」
 全蔵の言葉に土方は渋い顔をする。このまま出雲に繋がれば良かったのだが、結局言葉通り切られてそこで手がかりは途絶えた。だから新しい手がかりを得るために、山崎をここへ置くのだ。無論、他の監察を別方向からアプローチさせてはいるが、今迄全くと言っていい程情報らしい情報は手に入っていない。
「この前言ってた出雲って関係あるの?」
 カグヤの言葉に土方が顔を顰めたので、彼女は困ったように笑う。
「捜査に関することで喋れないなら別にいいけどさ。丁度出雲の座敷に上がった後からじゃない、攘夷浪士がうろつくようになったの」
「……まだ確定はしてねぇ」
「そっか。私に用があるあるなら直接来ればいいのにと思っただけ」
 土方が明確に返答を避けたのを察して、カグヤは笑いながらそう言うと瞳を細めた。
「それじゃ、山崎置いていく。仕事に戻る」
 そう言って立ち上がった土方を見上げて、カグヤは、はいはい、と言い勝手口まで見送った。
「……何度も言うけど、出歩くな」
「大丈夫よ。心配性ね」

 カグヤの家を出て直ぐに新しい煙草に火をつけた土方は、辺りを注意深く見渡す。人の気配はなく、昨日の今日で攘夷浪士も警戒してるのかもしれないと、小さく溜息をついた。
「手前ェを雇うにはいくら払えばいいんだ?」
「公費で払うのか?それとも自腹?」
 全蔵が傍に立っている事に驚きもせずに土方が放った言葉に、全蔵は口元を緩めて返答した。
「山崎が出てる時だけで構わねぇ。自腹で払う」
「……生憎俺は現在姫さん専属でね。ダブルブッキング怖ェから掛け持ちはしない事にしてる」
 全蔵に返答に土方は舌打ちをすると、煙草の煙を吐き出した。
「公務員ってのも大変だな」
「うるせェよ」
 不機嫌そうな顔をした土方を見て全蔵は咽喉で笑った。本当は自分が傍についていたいのだろうが、それは叶わない。だから代わりを置いておくのだろうと。仕事を蔑ろにするのはカグヤの好まないところだと知っているからこそ、土方が選んだであろう選択に全蔵は思わず笑う。
「早いとこトカゲの頭抑えないと、他に頭を潰されるかもな」
「……桂か」
「高杉」
 思いもよらない名前が出て土方は驚いたように全蔵の顔を凝視する。桂が件の事件に関与している以上、出雲にたどり着くことはあるかもしれないが、高杉に関しては失念していたのだ。その反応に全蔵は可笑しそうに口元を歪めると、言葉を続ける。
「10日までは姫さんのところに高杉は来ないだろうけど、それ以降は気を付けた方がいいぜ。筋金入りのストーカーだしな。まぁ、俺としては、高杉のところに姫さんがいた方が安全でいいとは思うけどな」
 全蔵の言葉に土方は明確な否定ができずに、苦虫を噛み潰したような顔をする。確かに山崎を張り付かせるより安全ではあろう。けれど、真選組という肩書きを持っている以上それは容認できない。
「何で10日」
「さぁてね。もしかしたら、姫さんを迎えに来る前に高杉が出雲片付けちまう可能性もあるし。精々頑張れば?」
 他人事のように言葉を放つ全蔵を土方は睨み付けたが、彼は気にした素振りも見せずにそれじゃぁ、と軽く手を上げ姿を消した。
 それを見送った土方は、小さく舌打ちをすると、煙草をもみ消した。

 

 その翌日から、朝になると新選組の屯所の前に攘夷浪士が転がされている現象が続いた。恐らく全蔵の仕業ではあるだろうが、土方はそれに目をつむりいつも通り取調べを隊士に指示をする。けれど結局出雲に繋がる情報はなく、内偵は一向に進展する気配がない。
 煙草の煙を吐き出しながら山崎の定時報告を待つ土方は、ぼんやりと考え事をしていた。
 そもそも出雲がカグヤを狙う理由が理解出来ないのだ。ただ、山崎はその件に関して私見を一つ土方に話をしていた。
 出雲はカグヤの存在が怖いのではないか。
 そもそも履歴の中に攘夷志士の情報を持って幕府に取り入ったという事実が消されている。それは恐らく都合の悪い情報だと出雲自身も思っているのだろう。それを知るカグヤの存在。無論今や刀を置いているカグヤがそれを知っていたところで、どうこうというのもないだろうが、カグヤは高杉や桂とは幼馴染であり、特に仲の良い面子であったということも出雲は知っていたのかもしれない。そうなると、カグヤから高杉や桂に己の所在が漏れるのを恐れたのではないだろうか。私見ではあるが、現在幕臣として攘夷浪士を狩る側に回った出雲としては己の命の危険もあるが故、どうしてもカグヤを消してしまいたかったという結論に至ったのかもしれない、そう山崎は言っていた。
 大きく外れてはいないだろう事を土方も感じており、己の保身の為に他人を消そうとする出雲が己達の上に居座られるのも非常に腹立たしかった。
 ただ、証拠もなく捕縛も出来ない。疑惑だけでは動けないのだ。
 忌々しそうに土方は舌打ちすると、携帯電話の画面をじっと眺めた。

 

 買い物袋を下げて市中を歩く山崎は、ワザと遠回りをしてカグヤの家へ向かった。近隣をうろついている攘夷浪士の姿を捜す為である。日差しのキツイ中、女装して歩きまわるのは苦痛以外の何者でもないが、出来るだけ涼しい顔をして辺りの様子を伺う。
「君菊」
 そう声をかけられ振り返った山崎は、驚いたような顔をして相手を凝視した。
「えっと……出雲様?」
 名を間違える事などないのだが、ワザと考え込んだような様子を見せてから男の名前を呼ぶと、出雲は安心したように顔を綻ばせた。
「覚えていてくれたか」
「はい」
 柔らかい口調で話しかける出雲の傍にはいかにもお付きの護衛ですと言った様子の男が立っており、山崎は出来るだけ表情を崩さないようにしながら辺りの様子を伺う。人通りも多いし真昼間である。相手も無茶はしないだろうとたかを括ると、柔和な笑顔を向けて、先日の座敷で贔屓にしてくれた事に礼を述べた。
「小耳に挟んだんだが、攘夷浪士に襲われたとか?」
「……えぇ。でも、直ぐに真選組の方がいらしてくれたので……先生も私も何事も無く」
「そうか。取締を厳しくするようには言っているんだがな。何事も無くて何よりだ」
 捜査を無理やり打ち切らせておいて白々しいと思ったが、山崎はそれを顔に出さずに、ご心配をお掛けしましてと頭を深々と下げる。すると、出雲は少し考え込んだような顔をして、口を開いた。
「私は是非君の三味線も聞いてみたいからな。そうだ。何か困った事があればここに連絡してくれないか?出来る事は力になる」
「そんな!そこまでして頂くのも申し訳ないので!」
 山崎が出雲の差し出した名刺を受け取るのを遠慮すると、出雲は、いいから、と無理やり山崎に名刺を握らせた。
「これでもそこそこ顔がきくのでね。真選組にも口添えが出来ると思う」
「まぁ。そうなんですか?」
 今のは少しわざとらしすぎたかと思いながらも、山崎が驚いたような反応をすると、出雲は満足そうに笑った。
「君の先生の方が座敷では人気があるようだが、私は君の方が気に入ったのでね」
「有難うございます」
 疑われているのだろうか。それとも、抱え込みに入ったのだろうか。判断に迷った山崎は、瞳を細めて笑う。
「けれど私、真選組の副長さんと知己ですので大丈夫です。出雲様の手を煩わせるのも申し訳ありませんし……」
「ほぅ。そうなのか?」
「この前の件でも随分親身に相談に乗って頂きました」
 山崎の言葉に、出雲は大きく目を見開くと、そうか、と小さく呟いた。
「いや、実はな。私は少々あの男が苦手でな。もしも良かったら、彼の話を今度じっくり聞かせてくれないか?」
 その言葉に山崎は困ったように微笑む。
「あの。私半人前なので勝手に座敷にはちょっと……」
「別に座敷にと言うわけではない。個人的に少し話でもと思っただけだ。仕事柄彼と上手くやっていく為に人となりなどを話して貰えればいい」
 抱え込みかと判断した山崎は、曖昧に笑いながら少し思案した様な表情を作る。恐らく真選組の情報が欲しいのだろう。いくら幕府に飼われているとはいえ、真選組は松平直轄の組織である。幕府の上の人間になればなるほど、直接真選組から情報をいれる機会は少なくなるのだ。今回の攘夷浪士の件や、己に嫌疑がかかっていないか気になるのだろう。
「それでは、今は少しバタバタしておりますので、落ち着きましたらご連絡させて頂いて宜しいですか?」
「あぁ。いつでも構わんよ」
 山崎の言葉に安堵したような表情を見せた出雲を見て、山崎は内心舌打ちをする。どこまでも肝の小さい男だと思ったのだ。圧力をかけてもみ消したというのに、真選組が勝手に動くことを警戒しているのだろう。
「連絡待っているよ」
 そう言い残し車に乗り込んだ出雲を見送った山崎は、手元に残った名刺に視線を落とした。渡りに舟ではあるが、尻尾を掴む前に掴まれる可能性もある。一度土方に相談しようと決めて、踵を返すが、目の前に突然現れた人影に、山崎は路地裏に連れ込まれた。
「!?」
 口を抑えられ、引きずるように人影のない路地に押し込まれた山崎は、何とか相手の顔を確認しようとするが、がっちりと抑えこまれて自由がきかない。
「あそこの街灯を見るでござる」
 耳元で囁かれ、山崎は驚いたように街灯に視線を送る。すると、その街灯が突然大きな音を立てて粉々になり、周辺を歩いていた一般人が悲鳴を上げた。
「声を立てないこと。暴れないこと。でなければ次はあのガソリンスタンドを狙うでござるよ」
 幸い通行人にケガはなかったがようだが、ガソリンスタンドを爆破でもされたらそれこそ大惨事になる。山崎が小さく頷くと、男は漸く手を緩めた。暗い路地に二人の男。
「河上万斉……」
「ほぅ。拙者の事を知っているのでござるか?」
 僅かに眉を上げてそう言った万斉を思わず山崎は睨みつける。危うく殺されそうになったのだから、山崎の方としては忘れることは出来ない。すると、高杉が咽喉で笑い口を開いた。
「真選組の監察だ。久し振りだな君菊。正月以来か?」
 君菊とでの名前で呼んだのは、恐らく初めてまともに会ったのが座敷でだからであろう。正体がバレているのなら今更芸妓の真似事をする必要もないと判断して、山崎はいつもの声色と口調で言葉を零す。
「俺に何の用が?」
 すると、高杉は山崎の握っていた名刺をその手から引き剥がし口元を歪めた。
「テメェにはねぇんだ。こっちに用があってな」
「!」
 取り上げられた名刺を取り返そうとするが、高杉はその名刺に書かれた連絡先を素早くメモすると、再び名刺を山崎の胸元へ差し込んだ。
「……出雲を殺すつもりですか」
「だったらどうする?」
「止めます」
 山崎の言葉に可笑しそうに高杉が口元を歪めたので、万斉は呆れたような顔をする。
「ヌシの腕で拙者や高杉とやりあうと?」
「まともに斬り合って勝とうなんて思ってません。俺には俺の戦い方があります」
「ほぅ。暫く見ないうちに随分粋な音楽を奏でるようになったでござるな」
 万斉の言葉の意味を理解できなかった山崎が困惑したような顔をすると、可笑しそうに高杉が口を開いた。
「褒めてんだよ。別にテメェ等の仕事を先に片付けてやるんだから問題ねぇだろ」
「全然違います!」
 怒ったように山崎が声を上げたので、高杉は僅かに眉を上げる。
「俺達は法に基づいて出雲を検挙しようとしてるんです。アンタ達が暗殺したんじゃ、出雲の罪は何一つ大っぴらにならないまま、幕府に尽くした良き幕臣のまま死ぬんですよ!攘夷浪士から金をもらって、見逃して、そんな事有耶無耶にされたまま死なれたんじゃたまらない!」
 山崎の言葉を黙って聞いていた高杉は、少しだけ驚いた様な顔をする。
「晋助」
「……それじゃ俺の気が収まらねぇんだよ」
 万斉の嗜めるような言葉に、高杉は小さく呟いた。そのやりとりを見て、山崎は漠然と出雲暗殺に関しては高杉の独断だと感じて、どうにか止める術はないかと思案する。そもそも攘夷浪士にしてみれば、出雲という存在は金さえ積めばある程度の活動は黙認する、扱いやすい幕臣なのだ。もしかしたら、鬼兵隊自体は暗殺に反対しているのかもしれない。
「カグヤは元気か?」
「え?はい。ここ最近ずっと着物ばっかり縫ってますけど。夜はあんまり寝てないみたいです」
 突然の高杉の質問に思わず素直に山崎が返答をする。すると、その言葉を聞いて高杉は瞳を細めて笑う。
「寝れねぇのはいつもの事だろ」
「……俺は先生に家に泊まる事少ないんで、解りません」
「出雲が裏切って、カグヤの部隊も全部駄目になった」
 高杉の言葉に山崎は驚いたような顔をする。万斉が止めない所を見ると、話しても構わない情報なのだろう。
「人数少ねぇ俺達は、殆どゲリラみてぇな戦い方しててな。カグヤの部隊はそれに特化してたんだ。アイツらが罠仕掛けて混乱させて、俺達が指揮系統潰す、そんな戦い方でしか勝ちを拾えなかった。だから、一番最初に狙われたのがアイツの育てた部隊だったんだよ。残った部下も全部裏切り知らせるために走らせて……泣いて死んだ奴らに詫びてた……」
 もっと早く気がついていれば助かったのかもしれない。助かった部下も、そのまま逃せば生き延びたかもしれないが、他の部隊を助けるために、死ぬかもしれないが情報を持って行ってくれとカグヤは頭を下げたのだ。
「それから寝るのが怖くなって、いまだにまともに寝れやしねぇ。三味線の音も変わった。俺はカグヤを傷つけた出雲を許せねぇよ」
 黙って話を聞いていた山崎は、言葉を探した。説得は無理かもしれないと半ば諦めにも似た感情に支配されたのだ。けれど引き下がるわけにも行かないと、山崎は口を開いた。
「許せないって気持ちは分からないでもないです。俺も先生好きですから。けど、暗殺なんて非合法的な手段の理由に、先生の名前使って巻き込まないでください。全力で俺が止めます」
「……あぁ、テメェは面白れぇな」
 予想外の高杉の反応に山崎が驚いたような顔をすると、高杉は咽喉で笑った。
「面白れぇから、テメェに招待状を送ってやる」
「え?」
「受け取ってくれるよな、君菊」
 念を押すように高杉が【君菊】と強調したので、山崎は少し顔を伏せた後、瞳を細めて笑った。
「先生のお師さんからの招待状ならば、受けるしかありませんね」
「いい子だ。10日はあけとけよ」
「晋助」
 万斉が渋い顔をしたので、鬼兵隊としては余り良い話ではないのだろう。けれどそれを無視して高杉は更に言葉を続けた。
「俺の誕生会の招待状だ。テメェは三味線だけ持って来い」
「先生への招待状は?」
「カグヤとは二人っきりで祝うに決まってんだろ?テメェに渡すのは前夜祭の招待状だ。そーだな、多串君も頭下げるってんだったら呼んでもいいぜ」
「……意味がわかりません」
「【君菊】は俺と招待客に三味線披露すりゃ良いんだよ」
「……晋助」
 先程より強い口調で万斉が名を呼んだので、高杉は面白くなさそうに舌打ちをすると、くるりと踵を返した。
「君菊殿。10秒じっとしておくでござる。ガソリンスタンド……忘れてないでござるな」
 耳元で囁かれた山崎は、唇を噛むと小さく頷いた。ここで無茶をして大惨事を引き起こすわけにも行かない。路地の向こう側でエンジン音を確認した山崎は、10秒経ったのを確認してそっと表通りへ出る。
 先程粉々に砕けた街頭は掃除されたのであろう、今は細かいガラスが地面で僅かに光を反射するだけであった。

 

 招待状を持ってきたのは全蔵で、山崎はそれを受け取ると眉間に皺を寄せた。
「……何でピザ屋の旦那が?」
「姫さんのお使いで高杉の所に行ってな。ついでに届けろとさ」
 鬼兵隊のアジトの場所を真選組が掴めていないのにも関わらず、全蔵がお使いと称して高杉に接触したことを心の中では苦々しく思った山崎は、その招待状を開く。日時と場所を書かれたその手紙。
「どうしたもんですかね」
「行けば?」
 茶を飲みながらそう言った全蔵を見て、山崎は小さく溜息をついた。先日の出雲との接触も、高杉との接触も土方には報告しているが、高杉の招待状に関しては土方も判断しかねている様子であったのだ。
 店員の持ってきた団子を口に運びながら、山崎は再度手紙に視線を落とす。その様子を黙って眺めていた全蔵は、首を傾げて口を開いた。
「行きたくねぇの?」
「招待される意味が解らないんですよ。こっちの素性知ってるのに招待とかおかしいでしょう?」
 茶屋の他の客に聞こえないように山崎が小声で言うと、全蔵も声を落として返事をした。
「悪いようにはならねぇと思うけど」
「まぁ、すっぽかす訳にも行きませんからね。あーでも、おもいっきり罠で、行った途端に高杉に斬られたら嫌だなぁ」
 半ば諦めたように言った山崎を見て、全蔵は満足そうに笑う。
「そんじゃ、俺そろそろ行くわ。姫さんの方も気になるし」
「はい」
 二人してカグヤの傍を離れているのが気になるのだろう、全蔵がそう言ったので、山崎は頷くと伝票に手を伸ばす。それに気がついた全蔵は、奢ってくれるのか?と言葉を零したので、山崎は笑いながら返事をした。
「お世話になってますからね」
 代金を支払った山崎を見て、全蔵は口元を綻ばせると、戻ってきた山崎の耳元で言葉を零す。それを聞いた山崎は驚いたような顔をして、言葉を探したが、全蔵は、ごちそうさま、と短くいいあっという間に姿を消した。
「……招待客は……出雲か」
 高杉は【俺と招待客に】と言った。ますます高杉の意図は解らないが、好機と取るしかないだろう。山崎は携帯電話を取り出すと、土方の番号を呼び出した。

 

 料亭の門をくぐった出雲は、出迎えた女将に視線を送ると柔和な微笑を浮かべる。
「連れはもう来ているかね」
「はい。お部屋でお待ちですよ。ご案内させて頂きます」
 その言葉に出雲は小声で女将に耳打ちをする。
「申し訳ないが、隣の部屋も抑えてくれんかね?」
「はぁ」
 怪訝そうな顔をした女将に、出雲は後ろの男達にちらりと視線を送って苦笑した。
「最近物騒だから護衛を付けろと煩くてね。彼等を控えさせるつもりなんだが、部屋は空いてないかね?」
 納得したような顔をした女将は、卓に置いてある見取り図に視線を落として微笑んだ。
「片方の部屋は空いてる様なのでご案内させて頂きます。お食事はいかが致しましょう」
「酒は困るが、食事は準備してやってもらえるか?」
「了解いたしました」
 奥に指示を出す女将を眺めながら、護衛の男達に視線を送った出雲は安心したように小さく息を吐いた。最近何かと物騒であるのは事実であるし、出雲自身一人で出掛けるということはここの所ほぼ無いのだ。
「それではご案内いたしますね」
 女将が先導して奥へと進んでいく出雲は、まず護衛に用意された部屋へ足をいれる。それに怪訝そうな顔を女将はしたが、連れが待っているのが隣の部屋だと言うのを確認すると、後は大丈夫だと一旦下がらせた。
「出雲様」
「相手は小娘一人だ。問題はないだろう。ゆっくり食事でもいていてくれ」
 その言葉に護衛は頷き頭を下げた。
 ふと、耳をすませると隣の部屋からかすかに三味線の音が聞こえる。出雲は瞳を閉じてその音を拾い、絶望感にも似た表情を浮かべる。
「……やはりそうか」
 聞き覚えのある音。そしてかの男が好んで弾いていた曲。
「迦具夜姫の件はどうなった」
「それが……差し向けた者がことごとく捕まって真選組に放り込まれている状態でして……」
 男の言葉に出雲は眉間に皺を寄せた。攘夷浪士に始末を頼んだものの、邪魔がことごとく入り一向に進まない。
「真選組が動いているのか?」
「いえ、その様子は。真選組自体も困惑している様子でして……もしかしたら、襲撃を知っている桂あたりが動いているのではないかと……」
「忌々しい男だな」
 同じ私塾出身である桂がカグヤを庇うのは理解出来ないでもない。しかし、出雲にしてみれば、一刻も早くカグヤをこの世から消してしまいたい。
 己の裏切りを知るカグヤをずっと昔に殺しそこね、結局攘夷志士の面子に裏切りが知れていた事を知ったのは、今の地位についてすぐのことであった。攘夷浪士と秘密裏に結ぼうと、まずは嘗ての仲間に連絡を取ったのだが、裏切りを理由に断られたのだ。その男は結局始末してしまったが、そこでカグヤが生きていた事を知った。
 今は攘夷浪士としての活動はしていない様子ではあるが、また彼女の所為で己の計画が崩れるかもしれないという恐怖だけが出雲の中にこびり付いていた。出雲にとって過去の亡霊とも迦具夜姫。その弟子の奏でる三味線は、嘗ての指揮官であった高杉によく似ていて、嫌なことばかり思い出す。
「真選組と知己であるようだし、迦具夜姫の情報共々引き出せればいいのだがな」
 そう呟いた出雲は立ち上がると、君菊の待つ部屋へ向かった。

 襖を開けると、薄暗い室内で君菊が三味線を弾いていた。
「待たせてすまなかったな」
 出雲の言葉に君菊は柔和に微笑むと、三味線を置き深々と頭を下げた。それに頷くと、出雲は座布団に座り、部屋に準備されていた盃を手に取る。すると君菊は酒を注ぎ瞳を細めて笑った。
「お忙しかったのではありませんか?」
「暇という訳ではないがな。折角の機会だ」
 盃に口をつけた出雲を眺めて、君菊は少しだけ首を傾げて笑った。
「貴方もどうぞ」
 君菊の言葉に、出雲は驚いて顔を上げる。薄暗い室内の奥から咽喉で笑う声が聞こえ、思わず盃を持つ手が震える。
「久し振りだな出雲」
「高杉……晋助……」
 明かりに映された男の顔を見て出雲は搾り出すように声を上げた。そして、驚いたように君菊の方に向き直る。
「どういう事だ!」
「さぁ。私にはとんと。今日は三味線を披露する為に私は呼ばれましたので。出雲様がいらっしゃるとは存じませんでした」
「莫迦な!お前の知り合いだと言う男がこの手紙を持って……」
 出雲の懐から出された手紙に視線を落とした君菊は、己の持っていた手紙を広げその隣に並べた。全く同じ内容で、同じ筆跡の手紙。
 愕然とした表情でそれを見る出雲を眺めて、高杉は口元を歪めると、君菊に酌をするように言う。ゆっくり立ち上がり高杉の隣に移動した君菊は、瞳を細めて笑った。
「今日は素敵なお召し物ですね」
「……あぁ、いいだろう?折角旧友に合うんで新しいのをおろしたんだ」
 咽喉で笑い、高杉はそう言う。すると、君菊は淡く微笑むと言葉を零した。
「お酒など零して汚さないようにしないといけませんね。緊張します」
 そのやりとりを見ていた出雲は、顔色を無くしじっと二人を凝視する。
「そう変な顔するなよ。テメェがコイツ贔屓にしてるって聞いたからわざわざ呼んだんだぜ」
「それは……」
「しっかし、ちょっと見ねぇ間に偉くなったもんだな出雲」
 返答に迷った出雲は視線を彷徨させると、搾り出すように言葉を放つ。
「何の要件だ」
「……ちょいと小耳に挟んだんだが、最近攘夷浪士と仲がいんだって?」
「!?」
 高杉の言葉に驚いたような顔をした出雲は、視線を君菊に移した。その様子を見た高杉は、口元を歪めると、君菊を見て言葉を放つ。
「コイツがいるとまずいか?」
「真選組と知己故……」
 それを聞いて、高杉は愉快そうに笑うと、煙管に火を入れ細く煙を吐き出した。
「心配しねぇでも、コイツの一番は土方じゃねぇよ。俺の可愛い孫弟子だ。意味、分かるよな」
「……それでは彼女は……」
 驚いた様に出雲は君菊に視線を送る。それに対して君菊は言葉を発することなく微笑んだだけであった。
「流石……と言えば宜しいのでしょうか。あの真選組に対して手を打っているとは」
「土方は何かと目障りだしな。機会があれば始末してぇぐれぇだ」
 盃の酒を舐めながら言う高杉に対して、出雲は警戒心を解く。いきなり斬られるという事はない事が解ったのだろう。
「さて。商売の話に入っていいか?俺としてはテメェが裏切ったことを水に流すってのも正直不本意ではあるんだがな。鬼兵隊も大きくなってきて、他の連中が幕府へのパイプを作っておいた方が良いって煩くてな」
「賢明な判断だと思います」
 出雲の返答に、高杉は咽喉で笑うと煙を吐き出した。
「無理は言わねぇ。ターミナルと港の規制をちょっと緩めてくれねぇか?最近真選組の動きが邪魔臭くてな。流石に鬼兵隊の動き全部黙認しろってのも無理な話だが、それぐらいならなんとかなるだろ?金は言い値払う」
「その程度ならば……」
 考えることもせずに出雲が即答したのを眺めて、高杉はつまらなさそうな顔をする。
「交渉に来たつもりだったんが、あっさり飲むんだな」
「そちらが譲歩して下さっているので。それと、一つだけ頼みを飲んで貰えませんか?」
「言ってみろ」
「迦具夜姫を始末して頂きたい」
 その言葉に高杉は僅かに瞳を細め、口元を歪めた。
「怖ぇか?テメェの裏切りを周知のものにしたアイツが」
「はい」
 その返答に高杉は呆れたような顔をすると、君菊の顔を覗き込んで瞳を細める。
「困ったもんだな。コイツの師匠だし、ありゃ俺のお気に入りだ」
「承知しています」
「……そーだな。アイツは始末できねぇけど、古参の攘夷浪士に俺からテメェの口添えするってのはどうだ。……ヅラの所は俺も仲悪ぃからちょっと無理だが、他はなんとかなるぜ。少なくともテロ対象からは外してやる。運がよけりゃ俺みてぇに交渉に乗る連中もいるかも知れねぇしな。テメェも金を持ってくるコマは多いほうがいいだろ?」
 高杉の返答に出雲は少々考えこむが、それを飲むことにした。鬼兵隊という新しい商売相手を見つけ、女一人いつでも始末できると気が大きくなったのであろう。出雲の返答に満足そうに高杉は笑うと、君菊に視線を送る。
「商談成立した事だ、酒、追加もってこい。取っておきの奴をな」
 その言葉に君菊は頷くと、すっと部屋から下がる。それを見送った高杉は、君菊の三味線を手に取ると、弦を軽く弾いた。
「……彼女に三味線を教えた事が?」
「いや……俺の三味線もさっき初めて聞かせた。不思議なもんだな、孫弟子が俺と似た音出すってのも。俺もアイツもカグヤの為に弾いてる所為かもしれねぇけどな」
 咽喉で笑った高杉を見て、出雲は不思議そうな顔をした。すると、その三味線を床において、高杉は煙管の火を落とした。
「さて、とっておきが来た見てぇだな」
 バタバタと騒がしい足音に、出雲がぎょっとしたような顔をして、思わず腰を浮かせる。
「真選組だ!御用改めである!」
 勢い良く開けられた襖の向こうには黒服の真選組がそろっており、局長である近藤が声を上げて刀を構える。
 驚いた出雲が思わず高杉の方へ視線を送ると、彼は口端を上げて笑った。
「俺も、アイツも、一番はカグヤでな」
「まさか!そんな!」
 悲鳴に似た声を上げた出雲を見て、近藤は言葉を放った。
「……コレは言い逃れできませんな」
「違う!私は!」
「隣の護衛も大人しくさせましたぜぃ」
 ひょっこり顔を出した沖田は、刀を構えると床を蹴り高杉に斬りかかる。それを腰の刀を抜いて払った高杉は、視界の端に君菊の姿を捉え、隠し持っていた煙幕をはる。
「うわ!ちょ!とりあえず出雲と高杉を確保!」
 指示を出した近藤の声を横で聞いていた君菊であったが、突然煙幕の中に引っ張りこまれひっくり返る。すると、目の前に高杉の顔があり、慌てて腰に手をやるが、芸妓姿で刀を差している訳も無く、それは虚しく空を切った。
「着物を褒めた礼だ」
 そう言うと高杉は君菊の胸元にぐっと何かを押し込むと、そのまま煙幕の中に姿を消した。
「あ!ちょっと!」
 慌てて起き上がり高杉の姿を探すが、薄くなった煙幕の中には無残に捕縛される出雲の姿しかなく、高杉をおって窓から外に出た隊士の怒声だけが響く。
「逃げられやしたねぇ」
「外にも隊士を配置はしてるが……」
 沖田の言葉に近藤は僅かに眉間に皺を寄せる。恐らく逃げられただろうと考えて、出雲の視線を落とした。
「屯所で話を聞かせてもらいます」
「違う!私はその女に呼ばれて!何も知らなかったんだ!それにその女は高杉と繋がって!」
 その言葉に沖田は呆れたような顔をすると、口を開いた。
「何の冗談ですかぃ。こうやって、高杉からの呼出の手紙に応じたんじゃないですかぃ。しっかり花押まで押してあるんですぜぃ、言い逃れは無理でさぁ」
 ペラりと、晒された手紙には同じ文章。そして、押されている高杉の花押。
「……花押?君菊!私をはめたのか!」
「ご冗談を。座敷に呼ばれて仕事をしただけですが」
「君菊!」
 抑えつける隊士を振り解こうとする出雲の見下ろしていた君菊は、ゆっくり視線を出雲に合わせると瞳を細めた。
「先生に感謝してくださいよ。俺も高杉も先生が一番だから、アンタを殺さなかっただけです」
 ぞっとするような声色に、出雲だけでなく傍にいた隊士は思わず身を竦ませた。
「局長!録音確認しました!」
「そうか。今日の密会は録音させてもらいました。話は屯所でゆっくり聞きましょうか」
 項垂れた出雲は隊士に連れられ屯所へ連行させる。会話の録音で観念したのであろう。呼び出された理由はどうあれ、高杉と交渉をしていたのは事実であるのだ。
「おつかれ山崎」
「はい。高杉はどうですかね?」
 山崎の言葉に近藤は渋い顔をする。まだ外に配置した隊士から捕縛したという情報が入っていないのだ。今回の件に関しては真選組は高杉も捕縛するつもりであったし、高杉もそのリスクを犯して山崎を座敷に呼んだのであろう。
 今回に関しては監察である山崎が手に入れた密会情報を元に御用改めを決行した訳だが、山崎に言わせれば高杉が計画した出来レースのようなものである。本来ならばこんなに早く出雲を捕縛することは出来なかったであろう。それに関しては土方も山崎も内心、高杉の計画に乗らざる負えなかっただけに悔しい思いをしている。
「……誕生日会ね……」
 そう山崎は呟くと、近藤と一緒にその場を後にした。

「ったく、やっぱり邪魔臭ぇな真選組は」
 舌打ちした高杉は路地裏に身を隠しじっとしていた。リスク承知で計画したとはいえ、ここでまんまと捕まるわけにも行かなかった。
「動くな」
 背後から掛かった声に高杉は咽喉で笑うと、素直に両手を上げる。
「座敷に来なかったからサボりかと思ったら、こんなところで待ち伏せか、多串君」
「土方だ」
 己の背中に向けられる刀に僅かに視線を送ると、高杉はゆっくり振り返った。忌々しそうに顔を歪める土方に、高杉は可笑しそうに口元を歪めると言葉を放つ。
「今日は君菊が大金星だな」
「どーゆーつもりだ」
「何が?」
「何で山崎に情報を流した。殺したかったんじゃねぇのか、出雲を」
 土方の言葉に高杉は瞳を細めて笑う。それに土方は不快そうに眉を寄せた。
「流石にツラ見たら殺してやろうかと思っちまったけどな。せっかくの誕生日プレゼントを血で汚すわけにも行かねぇだろ?君菊にも念を押されたしな。師弟揃ってねだり上手だ」
「……三味線屋の縫ってた着物だなそれ」
 土方の言葉に高杉は返答はしなかったが、見覚えのある柄に土方は瞳を細めた。
 カグヤから贈られた着物。そして、今日それを見て汚すなといった孫弟子。恐らくカグヤは山崎に何一つ話をしていないだろうが、見覚えのある着物から、己の師匠の意図を汲み取ったのであろう。孫弟子でも汲めた意図を己が無視するわけにも行かないと、高杉は出雲を殺すことを辞めたのだ。
「それでも俺は出雲を許せねぇよ。カグヤを傷つけた奴は許せねぇ。けど、一旦テメェらに預ける。カグヤと君菊に感謝するんだな」
「手前ェの身柄もこっちで預かってやる」
 そう言うと、土方は地面を蹴って一気に間合いを詰める。しかし、また煙幕が張られ、一瞬高杉の姿を見失った。
「高杉ぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
 高杉が煙幕を放った様子はなかったので、誰か仲間が助けに来たのだろう。そう思い土方は舌打ちすると、すぐさま傍を巡回している隊士に連絡を入れた。
 薄くなった煙幕を眺めながら、土方は忌々しそうに刀を納めると、煙草に火をつけた。煙幕と交じる紫煙を眺め、不機嫌そうに顔を顰めた。

「俺を次見たら殺すんじゃなかったのか?」
「別にお前の為じゃない。カグヤの為だ」
 突然の煙幕の中、腕を掴まれ引きずり込まれた民家の中で高杉は言葉を零すと、壁にもたれかかった。
「逃走経路ぐらいは確保しておけ」
「多串君がいなきゃ逃げられた」
 薄暗い室内で相手の顔を確認した高杉は、桂が呆れたような顔をしていたので不服そうに声を零した。すると桂は、持っていた編笠と女物の打ち掛けを高杉に投げて渡すと、裏から出ろと短く言葉を放った。
「用意周到だなヅラ」
「真選組から逃げるのは俺の方が得意だ。それから、ヅラじゃない、桂だ」
「……どいつもコイツもカグヤに甘くて面白くねぇ。アイツを甘やかすのは俺だけでいい」
 そう言うと高杉は編笠をかぶり打ち掛けを羽織る。外の様子を見ていた桂は、高杉に視線を送ると不機嫌そうに眉を寄せた。
「いい加減カグヤは諦めろ。その方がお互いのためだ」
「厭だね」
 短くそう返答した高杉は、裏口の戸を開けて暗闇の中に溶け込んだ。それを見送った桂は少しだけ顔を伏せて声を零す。
「……出雲か」
 己の部隊は出雲の裏切りで壊滅した。自分自身もカグヤが来なければ命は危うかったであろう。憎んでいないといえば嘘になる。けれど今更殺したところで何一つ変わらないということも知っている。このままカグヤを狙い続けるのであれば手を打たねばならないと思ってはいたが、真選組につかまり出雲は社会的に死んだも同然の扱いとなるであろう。
「それでいい」
 これ以上カグヤの慰める魂が増えない方がいい。そう考えて桂は瞳を伏せた。

 

 アジトに戻った高杉は、小さく溜息をつくと編笠と打ち掛けを抱えて己の部屋へ向かう。土方との遭遇の所為で大分時間を食った上に、己を制するのに思った以上神経を摩耗したのだ。君菊が傍にいなければ殺していたかもしれないと考えながら、廊下を歩くと、耳に三味線の音が届き足を止める。
 この船で三味線を弾くのは万斉と自分だけであるのだが、万斉の音と違うその音色に惹かれるように船の片隅にある部屋に足を運んだ。
 施錠のされていない部屋を訪れた高杉は、思わず瞳を細めて笑った。
「よぉ、来てたのか」
「万さんに連れてこられたのよ。外に出るなって兄さんたち言われてるから、12時には帰るわよ」
「……迦具夜姫じゃなくて、シンデレラじゃねぇかよ。御庭番衆も来てんのか」
「そーよ」
 気配は感じられないが、どこかに控えているのだろう。ここ数日カグヤに張り付いていたのだから、万斉が彼女を連れだした時にそのまま付いてきたのかもしれない。ふと、時計に目をやって高杉は不機嫌そうに顔を顰めると、カグヤの隣に座って、彼女の肩に頭を乗せる。
「あと30分しかねぇじゃねぇか。クソ、やっぱ多串君が邪魔だ。殺してぇ」
「何莫迦な事いってんのよ。って言うか、兄さんに会ったの?」
 呆れたような顔をしたカグヤを見上げて高杉は瞳を細めると、そのまま己の頭を彼女の膝に落とす。
「帰る時に会った」
「膝に頭乗せたら三味線弾けないわよ」
「今日はいい」
 いつもは強請るのに珍しく弾かなくていいと言い出した高杉の顔を驚いたようにカグヤは見下ろすと、珍しいわねと言葉を零した。
「今日は君菊の三味線聞いたからな。だから、いい」
「……ちょっと、ザキさんに無茶させたんじゃないでしょうね。今日仕事に行くって言ってたけど」
 先程の反応と、今の発言からカグヤは真選組から何も聞かされていないのを把握した高杉は、曖昧に笑うと、彼女の長い髪を指に絡める。
「俺にそっくりだな、アイツの音」
「不思議よねぇ。ザキさん晋兄の音なんて聞いたこと無いのに」
 話題を変えた高杉に付き合って、カグヤは返答する。すると、高杉は嬉しそうに笑って髪を放すと、彼女の頬に指を伸ばす。
「いいんじゃねぇの。孫弟子のアイツの音が俺に似てるってことは、俺とお前が繋がってるって事だ」
「……はぁ?そうなるの?」
「そうなるんだよ」
 咽喉で笑った高杉は、指でカグヤの頬を撫でると、パタンと腕を下ろして瞳を閉じた。
「出雲な、真選組に捕まった」
「そう。ザキさんや兄さん頑張ってたしね」
 カグヤの返答に高杉は面白くなさそうな顔をしたが、彼女は瞳を細めて笑うと、高杉の着物を撫でる。
「少し丈短かったわね」
「これぐらいが動きやすくていい」
 そう言うと、高杉はちらりとまた時計に視線を送る。もうすぐ御庭番衆が迎えに来るだろう。そう考えると、もっと早く帰っておけば良かったと思わず舌打ちしたくなる。万斉が何を思ってカグヤを連れてきたかは解らないが、誕生日プレゼントだとしたら粋なものだ。もう少し早く知らせて欲しかったが。そんな事を考えながら、高杉は残された僅かな時間を彼女の膝の上で過ごそうと決めて、瞳を閉じた。
「お誕生日おめでとう晋兄。いい加減我侭やめて、まっとうになんなさい」
「厭だ」
 カグヤの言葉に短く返答するとまた瞳を閉じた。


高杉生誕記念。
長くなりすぎて申し訳ありませんでした。
20100820 ハスマキ

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