*招待状を送ってやる・前編*

 気がついたときはもう遅く、女は唇を噛み締めながら戦場に視線を送った。敵に奇襲を受けて壊滅寸前の仲間。そしてこれから奇襲を受けるであろう仲間。残った人間を急いで纏め上げると、再度戦場に散らす。
─―どうか間に合って。
 祈るような気持ちで女は地面を蹴ると、戦火の中へその身を投じた。

 

 男は目の前で三味線を弾く女の顔を見て、驚いたように瞳を見開いた。その様子に気が付いたのか、傍にいた芸妓は首を傾げて、どうしました?と言葉を零し、空になった盃に酒を注いた。
「……いや、何でもない」
 そう言い酒に口をつけると、暫く視線を彷徨わせた後に、再度口を開く。
「あの芸妓は座敷に上がって長いのか?」
「あら?三味線の名妓と謳われる【迦具夜姫】をご存知ないのですか?」
 芸妓は酒を注ぎながら柔らかい笑顔を男に向けた。
「迦具夜姫……か」
「彼女の三味線に魅了されるお客様も多いんですけど、余り座敷には上がらないんですよ。今日は幕府の偉い方の紹介で上がる事になったららしいんですけど。運が宜しいですね」
 鼓膜に響く音は、懐かしさと、そして底冷えする恐怖を引き起こす。どうしてこんな場所でまたこの音を聞く事になってしまったのだろうか。男はそんな事を考えながら、震える手を抑えつけるように、盃を重ねる。
「少し彼女と話はできないか?」
「迦具夜姫さんは三味線を弾くだけで、お酌はしないのが暗黙の了解でして……。お客様の相手は専らお弟子さんのお仕事なんです」
 そう言って芸妓が視線を送った先座るは、迦具夜姫の弟子であろう芸妓。迦具夜姫と比べると随分と地味な出で立ちであるが、男は小さく頷く。それを確認した芸妓は、小さな声で弟子の名を呼んだ。
「君菊ちゃん。こちらの方のお相手してくれる?」
「はい」
 君菊と呼ばれた芸妓は深々と頭を下げた後に、男の盃に酒を注いた。
「……迦具夜姫の弟子と聞いたが」
「はい。まだ半人前ですので、先生の後ろにくっついているだけですが」
 君菊は首を少しかしげると、困ったように笑う。その言葉に男は小さく頷くと、口を開く。
「迦具夜姫は以前はどんな仕事をしていたんだ」
「先生の前のお仕事ですか?元々は三味線教室していて、知人に頼まれて座敷に上がったのがきっかけで芸妓になったと聞いてますが」
「それ以前は?」
「さぁ。先生余りお話になりませんから」
 君菊の返答に不満そうな顔を男がしたので、君菊は困ったような表情する。それに気がついた男は、仕方が無いと言う様に瞳を細めると、話題を変える。
「お前も三味線を弾くのか?」
「はい。先生程上手ではありませんけど。音も全然似てなくて」
「ほぅ」
「私の音は先生の師匠にどちらかというと似ているらしいんです」
 君菊の言葉に男は興味をそそられる。本当に迦具夜姫が己の知っている女なのかどうしても確認したくなったのだ。君菊の三味線を聞けば、解るかもしれない、そう思った男は口を開く。
「是非聞いてみたいものだな」
「私は半人前ですのでお客様の前ではまだご披露できないんです。申し訳ありません。いずれ一人前になった時には是非聞いてください」
 そう言いながら酌をする君菊に、男は僅かに顔を顰めるが、できないものは仕方ないと諦める。
 ピタリと止まった三味線の音に、男は顔を上げると迦具夜姫を凝視した。名妓と謳われる女は、男の視線に気がつかないのか、そのまま三味線を畳に置くと、柔和な微笑を浮かべてこの宴会の主催者である男と話をする。どうやら彼の紹介で彼女は座敷に上がったようだ。そう長い会話ではなく、直ぐに人が離れたので、男は彼女の元へ行こうかしばし思案するが、結局それは傍で酌をする君菊の言葉によって遮られた。
「申し訳ありません。そろそろ引き上げますので」
「随分早いな」
「はい。先生は三味線を弾き終えたらいつもそうなんです」
 恐らく師である迦具夜姫について、君菊も座敷から引き上げるのであろうと思った男は、仕方が無いというように小さくため息をつき了解をする。
「お前の三味線を聞けるのを楽しみにしている」
「有難うございます」
 人懐っこい笑顔を浮かべた君菊を見送ると、別の芸妓が傍によってきたので男は酌を促した。
 君菊よりずっと綺麗な芸妓であるが、不思議と酌をするタイミングは君菊の方が随分巧いと思い、男は思わず苦笑する。酒が欲しいと思った時に君菊は酌をするのだ。
「……随分変わった芸妓だな」
「迦具夜姫さんと君菊ちゃんですか?」
「あぁ」
 男の言葉に芸妓は首を傾げると、そうですねと微笑む。
「迦具夜姫さんの三味線聞きたいって仰るお客様の多いんですけど、紹介がないとなかなか座敷に上がらないんですよ。三味線お気に召しました?」
「大したものだ」
「……でしたら、真選組さんに仲介頼んだらいかがですか?」
 その言葉に男は驚いたような顔をする。すると芸妓は柔和な笑顔を向けて言葉を続けた。
「ここだけの話ですけど、真選組さんの紹介で上様の座敷にも上がったことあるらしいんですよ。本人はそんな事全然言わないんですけどね」
「真選組というと、松平公と懇意なのか?」
 真選組を束ねる警察長官の名前を上げた男に、芸妓は小さく首を振ると、声を小さくして呟いた。
「鬼の副長さんと知り合いみたいなんですよ。でも、不思議なんですけど、迦具夜姫さんも君菊ちゃんも真選組の座敷には上がったことないみたいで……。ですから、鬼の副長さんが芸妓を傍に寄せ付けないのは、迦具夜姫さんか君菊ちゃんといい仲だからだ、なんて噂もあるんですよ」
 その言葉を聞いた男は、君菊の方にも話をもっと聞けば良かったと後悔をする。それに気がつかないのか、芸妓は酌をしながら更に言葉を続けた。
「君菊ちゃんは半人前なので仕方ないですけど、迦具夜姫さんは座敷に上がって長いのに浮いた噂少なくて……だから余計に珍しくてそんな話が出たとは思うんですけど」
 真偽の程は解らない、と言ったところだろうと判断した男は、苦笑しながら盃を傾ける。
「出雲様は攘夷浪士の取締をお仕事にしてるんでしょ?真選組も同じ仕事ですし、今度頼んでみたら如何ですか?」
 男……出雲は鬼の副長と呼ばれる土方の顔を思い浮かべて僅かに顔を顰める。局長である近藤であればともかく、あの男は苦手なのだ。人のよい近藤とは真逆で、頭が切れる上に、近藤以外の人間に懐こうとしない。幕府の犬等と言われる真選組であるが、下手に扱えば腕ごと喰いちぎられる恐れもあって、幕府の中でも扱いかねている人間も多い。無論出雲もその中に入る。
「機会があれば頼むとしよう」
「その際は私も指名してくださいね」
「……そうだな」
 出雲はそう言葉を零して、僅かに顔を顰めた。

 

「先生?」
 幕府の要人の座敷に上がって数日後、カグヤの家を訪れた山崎は座敷で黙々と作業をしているカグヤに声をかける。すると彼女は顔を上げて笑顔を浮かべる。
「いらっしゃいザキさん。兄さんも一緒?」
「はい」
 いつもはきっちり呼び鈴を押す山崎が既に家の中にいると言う事は、土方も一緒なのだろう、そう思いカグヤが声をかけると、土方も座敷に顔を出す。
「何だ。忙しいのか?」
「大丈夫よ」
 そう言うと茶を淹れる為にカグヤが立ち上がろうとしたので、山崎は慌てて自分で入れますからと言い台所へ向かう。それを見送ったカグヤは瞳を細めると、また作業に戻った。
「着物縫ってるのか?」
「そーよ。久しぶりだから捗らなくてね」
 深い藍色に鮮やかな紅の模様。カグヤの持っている布に視線を落とした土方は、僅かに首を傾げると、いつも通り座布団に座り煙草に火をつける。着物の類を縫っているのを見るのは初めてだったのだ。
「派手な柄だな。座敷用か?」
「私は着ないわ。人にあげるのよ」
 ふぅんと気のない返事をした土方は、台所から戻った山崎から茶を受け取るとそれを流し込む。猛暑と言われるこの暑さの中、屯所からここまでの道のりで随分水分を吐き出していたのだ。扇風機の位置を少し変えて、その前に座ると汗が蒸発し心地良い涼しさが訪れる。
「どーしたのさ。このクソ暑いのわざわざ昼間に出てきて」
「手前ェが飲み屋に来ねぇから出向いてきたんだよ」
 ここ数日カグヤが飲み屋に顔を出さなかった事にとやかく言う筋合いはないのだが、用事があるのに来ないのは困ると、土方はブツブツ言いながら懐から一枚の写真を出す。
「この男知ってるか?」
 手を止めて写真に視線を落としたカグヤは僅かに瞳を細めると、あぁ、出雲ねと言い興味を失ったかのようにまた作業に戻る。その様子を眺めていた土方は、煙草の煙を細く吐き出すと、口を開く。
「今は幕府で攘夷浪士の取締を先陣切って推し進めてる」
「ふぅん。偉くなったのね。そう言えばこの前の座敷にもいたわね」
 縫い糸を口でぷつっと切ると、カグヤは山崎に立つように促す。意味が分からないまま山崎は立ち上がると、カグヤは彼につくりかけの着物を着せた。
「やっぱり裾もっとあげないと駄目ね」
「帯で調節するんじゃねぇのかよ着物ってのは」
 カグヤの言葉に呆れたような声を土方が漏らすが、彼女は困ったように微笑んだ。
「それがさ、銀さんみたいにだらしなく着るから切っちゃわないと駄目なのよ。ちょっと兄さん、裾持って」
 言われるままに土方が裾を持ち上げると、カグヤは布地に印をつけ、まち針で止めてゆく。
「……蝶が一匹まるっといなくなるんじゃねぇの、そんなに切ったら」
「仕方ないわよ。勿体無いけどね」
 綺麗に裾上げされた着物をカグヤは脱がすと、また膝の上に置いて漸く山崎の入れたお茶に口をつける。
「ありがと、ザキさん」
「いえ」
 再度座りなおした山崎の言葉にカグヤは微笑むと、で?と土方の話を促した。
「出雲の話を聞きてぇ」
「別に良いけど、知ってる事なんて少ないわよ。喋った事ないし。何かしたのアイツ」
 カグヤの言葉に土方は苦虫を噛み潰したような顔をする。仕事に関する事なので本当は話したくないが、カグヤから情報を引き出す以上理由は話さねばならない。
「攘夷浪士の取締をする筈の要人が、攘夷浪士と繋がってる疑いがある」
 以前からキナ臭い噂の耐えない男であったが、先日取り締まり対象である攘夷浪士から金を貰って見逃しているという噂が持ち上がったのだ。その時は有耶無耶で終わったが、監察である山崎はその真相を突き止めるために内偵を進めいていらしい。
 その話を聞いたカグヤは呆れたような顔をして溜息をつく。
「駄目な奴は何年たっても駄目なのねぇ。出世したんだから大人しく仕事してりゃ良いのに」
「……元攘夷志士だったらしいな出雲は。廃刀令で刀置いて、幕府に出仕するようになったって資料にはあった」
「まぁ、そんな身の上だったら攘夷浪士と繋がってるって噂立ってるのも仕方ないっちゃ仕方ない気もするけど。何?この間の座敷は私に出雲の顔見せるためだったの?」
「半分はそうだ。もう半分は山崎の内偵」
 土方の言葉に山崎は申し訳なさそうにカグヤに頭を下げた。本来はカグヤを巻き込む類の話ではないのだが、内偵がほぼ手詰まり状態であったための苦肉の策だったのだ。
「そんで、何聞きたいの?」
「出雲が攘夷志士だった頃に付き合いのあった連中がまだ攘夷活動してるか教えて欲しい」
 そう言うと、土方は卓の上に写真をズラッと並べる。恐らく監察が所有している攘夷浪士の資料なのだろう。
「この大量の写真と記憶を照合しろっての?」
「攘夷戦争の頃から活動してる奴をピックアップさせた。新規旗揚げの連中は手前ェも解らねぇだろうと思って」
「まぁ、知った顔は多いわねぇ」
 無論高杉や桂の写真もあり、カグヤは思わず笑う。
「教えてあげたいけど、この面子だったら、出雲と付き合いないと思うわ」
「……グループが違うのか?」
 怪訝そうな土方の声にカグヤは小さく首を振った。
「出雲は元鬼兵隊の下っ端。私が鬼兵隊から、ヅラッチの所だか、辰さんの所だかに移動した後に入ったから喋る事もなかったけど」
「高杉と繋がりがあるんじゃねぇのかよ」
「出雲は廃刀令で刀置いたんじゃなくて、仲間売って幕府に取り入ったのよ」
「なっ……」
 カグヤの言葉に思わず土方は言葉を失う。
 元々鬼兵隊だった出雲は、攘夷浪士の不利を感じ取り、仲間の情報を片手に幕府に取り入ったという。その時に桂の部隊はほぼ全滅、鬼兵隊も大打撃を受けた。古参の攘夷浪士はそれを恐らく覚えているだろうから、出雲と手を組む事には抵抗があるのではないかというのかカグヤの意見であった。
「私がヅラッチの所に助けに行った時は、片手位しか仲間残ってなかったし、他の面子も鬼兵隊含めて手痛くやられたしねぇ。投降ならともかく、仲間売ったってのは印象よくないんじゃない?」
 茶に口をつけながら、世間話をするようにカグヤが言葉を零す。土方も山崎も、ろくなヤツではないだろうと思っていたが、予想外の出雲の過去に不快そうな表情を滲ませた。真選組が仲間を売れば粛清対象である。それを考えれば、確かに桂や高杉などの古参攘夷浪士との繋がりは薄いかもしれない。
「……まぁ、ヅラッチはないわね。一番被害酷かったし、仲間を売るの許せない潔癖タイプだから。晋兄は解らないけど」
「手を組むなら新規の連中か」
「多分。悪いわね、あんまり役に立てなくて」
 カグヤの表情を見て土方は顔を顰めた。カグヤが出雲の情報を流すということは、もう彼女の中では出雲は嘗ての同士ではないのだろう。他人事の様に話すが、もしかしたらカグヤも仲間を失ったのかもしれない。そう考え不快になった土方は、新しい煙草に火をつけた。
「もう一度洗いなおしてみます」
 山崎の言葉に土方は小さく頷く。確かに手がかりらしい手がかりはなかったが、桂や高杉など古参メンバーとの繋がりは薄いと言うだけでも、山崎の仕事は大分絞られてくる。
 立ち上がりカグヤの家を出て行く山崎を見送り、カグヤは目の前に残った土方に視線を送った。
「兄さんはいいの?」
「俺は午前中は休みなんだよ。午後からは会議だけど」
 休みを潰して仕事をしている土方にカグヤは呆れたような表情を見せる。けれど、お疲れ様と短く言うと、お茶のお代わりを入れようかと首を傾げた。
「いい。それより……」
 そう言うと、土方は傍にあった座布団を二つに折り畳むと、ポンポンとそれを叩く。
「昼寝するの?」
「手前ェがだ」
 その言葉にカグヤは驚いたような顔をする。すると土方は扇風機の位置を変えて、ゴソゴソと準備を始めた。
「あんま寝てねぇだろ。それ縫ってたからか、暑いからか知らねぇけど」
「……大丈夫よ」
「俺がいる間に寝とけ」
 そう言うと、カグヤの腕を引っ張り無理やり寝かせる。すると、彼女は仕方が無いというように笑い、土方の顔を見上げた。
「そんじゃ少しだけ」
「そーしとけ」
 扇風機の心地よい風が当たり、カグヤは次第にうとうとしだす。それを眺めながら、土方は煙草の煙を吐き出すと、彼女の髪を撫でた。
 暑さの所為で土方もここの所眠れない日が続いた。けれど彼女の寝不足は暑さだけではないだろう。出雲の情報欲しさにカグヤを座敷に上げた事を後悔して土方は心の中で舌打ちをする。死んだ仲間を思い出したのだろうか。裏切られて、傷ついて、仲間を助ける事ができなくて、彼女は何を思ったのだろうか。
 出雲が攘夷志士の裏切り者だと知っていたらと今更ながら考えて、思わず煙草のフィルターを噛み締めた。

 

 座敷の仕事を終えた山崎は、カグヤが部屋から出てくるのを待ちながらぼんやりと料亭の整えられた庭に視線を送った。先日に引き続き、別件でカグヤに座敷に上がるように頼んだのだ。そろそろ一人で座敷に上がった方が良いのか。それとももう少しカグヤに頼んだ方がいいのか。そんな事を考えていると、顔見知りの芸妓が声をかけてきた。
「あら、君菊ちゃん上がりなん?」
「はい」
 以前カグヤが使っていた【君菊】という座敷名をそのまま貰い山崎は座敷に上がっていた。名妓と謳われる【迦具夜姫】と比べられるのを敬遠して今迄誰も使っていなかったらしいが、弟子である山崎が使う分には誰も気にもとめないし、比べられるのも弟子である以上仕方ないので今更な話なのだ。
「そう言えば今日も出雲様いらしてたんよ。君菊ちゃんいないのかってしつこく聞かれたわ。偉い気に入られたみたいやね」
 内偵を進める男の名前を出され、山崎は思わず困ったような顔を作った。気に入られたのか、目をつけられたのか微妙なラインであるだけに反応に困った山崎は、口を開く。
「他に何か仰ってました?」
「そうやねぇ。迦具夜ちゃんの事も色々聞いてきたわ。けど、迦具夜ちゃんも君菊ちゃんもあんまり自分のこと話さへんやろ?こっちも返答に困ったわ。折角酌についてるのに、全然私の事きかへんのよ。腹立つわ」
「申し訳ありません」
「ええんよ、君菊ちゃんが悪いわけやないし。金回りはええお客さんやけど、ちょっと怖い連中と付き合ってる噂もあるし、君菊ちゃんも気をつけな」
 芸妓の言葉に山崎は驚いたような顔をする。怖い連中の事が気になったのだ。
「でも、出雲様は幕府の偉い方だと聞きましたけど……」
「ここだけの話な、攘夷浪士って言うの?侍崩れみたいなのと付き合ってるらしいねんよ。そいつらと会うときは芸妓呼ばへんから私も座敷に上がった訳やないねんけど、ちらっと見かけた事はあるねんよ。出雲様って攘夷浪士の取締がお仕事やろ?せやからおかしいなぁとは思ったんやけど……」
 ここだけの話等というのは多分存在しないと思いながら、山崎は顔を曇らせながら芸妓の喋るまま相槌を打った。座敷に上がるのに芸妓の格好をするのが都合がいいのは、芸妓の噂話を聞けるという利点もあっての事だ。女というのは秘密をとにかく喋りたがる。ここだけの話というの、大概芸妓の中では広まってる事も多く、他の客には漏らさないが、芸妓仲間の中では有名な話など山程転がっているのだ。
 無論自分とて噂の対象にならない訳ではないので、気を使って身の上話などは余りしないことにしている。カグヤが元々そのようなタイプだったので、弟子である山崎が余り喋らないのを疑う人間が少ないのも有難い。
「ちょっと怖いですね。出雲様の座敷に上がる事は少ないと思いますけど、気をつけます」
 ワザと怯えたような顔を作り山崎がそう言うと、芸妓は満足したのか、その後も頼みもしないのに喋り続ける。すると障子が開き、カグヤが顔を出したので、山崎はほっとしたような表情を作る。
「先生」
「ごめんね待たせて」
「ほな、君菊ちゃんも迦具夜ちゃんも気をつけて帰ってな」
 あっさりと開放されたことに安堵した山崎は、にこやかな笑顔を作って芸妓を見送った後に、カグヤに視線を向けた。
「お疲れ様です」
「話、良かったの?」
「聞きたいことは聞けましたから」
 山崎の言葉にカグヤは頷くと、荷物を持って部屋から出てくると、そのまま山崎と並んで料亭を出る。
 すっかり夜も更け、薄暗い路地を眺めると山崎は車を呼びましょうか?とカグヤに聞く。
「近いし歩こうかと思って。しんどい?」
「大丈夫です」
 遠くの仕事であるならば車を呼ぶこともあるが、近場ならばカグヤは殆ど歩いて帰るのだ。無用心だと土方が以前に愚痴を零していたこともあったが、そもそも仕事以外でも夜中に飲み歩くカグヤにしてみれば、夜道を歩くことに抵抗がないのも仕方が無い。
 夜道を歩きながら、山崎はぼんやりと出雲の事を考える。やはり攘夷浪士との繋がりがありそうな雰囲気だが、座敷に芸妓を呼ばないのは困る。別の監察に張り付かせようかと思案していたが、ふと、足を止めた。
「……どうしたの?」
「先生のお知り合いですかね」
 山崎にそう云われ、目を凝らすと道の先に男たちが立っているのを見つけカグヤは小さく首を振った。
「あんな物騒な知り合い、真選組と鬼兵隊以外にいないわ」
「一緒にしないでくださいよ」
 軽口を叩きながら、山崎はあたりの様子を探る。女の狙った物取りかとも思ったが、背後にも数人の人の気配を感じて思わず舌打ちをする。
「……とりあえず逃げましょ」
「そうしましょう、先生」
 女の格好で刀もない。そんな状態で複数人の相手は流石にできないと判断した山崎は、カグヤの提案に乗る事にした。幸い、正面の男達と自分たちの間には距離もあるし、手前の橋を渡れば逃げられるかもしれない、そう判断したのだ。
 ジリジリと距離を詰める男たちに気がつかないふりをして、歩き出した山崎は、数歩歩いたところで、カグヤの腕を掴んで走りだした。
「逃がすな!」
 怒声が響く中、山崎は目一杯走るが、流石に着物が邪魔でスピードが出ない。舌打ちをしながら山崎は携帯に手を伸ばすと、土方へ電話をかける。ワンコールで出た土方に手短に状況と場所を伝えると、男たちに気がつかれないように携帯電話をしまった。
「とまれ!」
 先回りされ目の前に二人の男が立ちふさがったところでカグヤと山崎は足を止めた。
「どっちの女だ?」
「背の高い方みたいですよ」
 小声でそう話した男達の声を聞いて、山崎は思わず顔色を変えた。明らかにカグヤを狙って来た事に気がついたのだ。
「私達に何の用ですか!」
 カグヤの前に立ち山崎が言うと、男達は二人を睨みつけて刀を抜いた。
「恨みはねぇけど、ちょっくら後ろの姉ちゃんを始末するように頼まれてな。なぁに、お嬢ちゃんは大人しくしてりゃ殺しはしねぇよ。後ろの姉ちゃん同様、楽しませては貰うけどな」
 良く喋る男だと思いながら、山崎は相手を睨みつける。屯所から距離がある為に直ぐには真選組は来ないだろうし、夜の巡回範囲の広い見廻組にも通報すれば良かったと後悔する。どうにかカグヤだけも逃がす方法はないかと考えていると、突然、目の前の二人がぐらりと前のめりに倒れる。
 それに気がついたカグヤ達の後方の男が声を上げた。
「なっ……どうした!?」
「どうしたではない、桂だ」
 編笠を深く被った男が顔を上げて、そう名乗った。
「ヅラッチ!エリー!?」
 カグヤの声にエリザベスは看板をぱっと上げる。
『大丈夫?』
「女を大人数で追い回すなど、攘夷志士の風上にもおけんな。この女には山程借りがある故、助太刀させてもらう」
「狂乱の貴公子・桂か!?」
 明らかに動揺が広がった男達に刀を向けた桂を見て、カグヤは声を上げた。
「殺しちゃ駄目よ!」
「承知した!」
 そう言葉を残すと、桂は地面を蹴ってエリザベスと共に残った攘夷浪士へ斬りかかる。それを見送ったカグヤは直ぐに懐から三味線糸を取り出すと、倒れた攘夷志士の腕を縛り上げた。それを山崎も手伝うが、更に攘夷浪士が駆けつけてきたので、舌打ちをし、倒れた攘夷浪士の刀を拾い上げる。
「先生!さがってください!」
 地面を蹴る山崎に驚いた攘夷浪士は辛うじて刀を受けるが、勢い良く刀を弾かれバランスを崩した。まさか反撃してくると思っていなかったのだろう。そこに体当たりすると、山崎はもう一人の追っ手の方に方向転換をし、袈裟懸けに斬りつけた。
 崩れ落ちる攘夷浪士。もう一人、そう思って山崎が一番最初に刀を弾いた攘夷浪士に視線を送ると、そちらは既に刀を拾い上げて山崎に斬りかかっていた。紙一重で避けた山崎が地面を転がると、攘夷浪士は怒りの表情を浮かべて再度刀を振りかぶる。
「!?」
 刀を受けるために山崎が腕を上げると同時に、攘夷浪士は悲鳴を上げてその場に倒れた。唖然とした山崎が、うつ伏せに倒れた攘夷浪士に視線を落とすと、彼の背に何か棒のような刺さっていたのでそれを引きぬく。
「棒手裏剣?」
 小声で呟いた山崎が目を凝らすが、暗闇の先に人の気配はない。慌てて山崎の傍に来たカグヤは、山崎の握る棒手裏剣を見て困ったように笑った。
「バイトの帰りかしらね」
 その言葉に漸く山崎はこれを投げた主が誰か理解した。カグヤの雇っている御庭番衆であろう。偶然通りかかったのか、それとも駆けつけたのか。姿を見せないということは、真選組である自分に姿を見せたくないということだろうと判断し、山崎は棒手裏剣を懐にしまうと、新たな追っ手二名も同じように三味線糸で拘束することにした。

「ふむ。そちらは無事だったようだな。剣術の心得があるのか?」
 気絶したであろう攘夷浪士を抱えて戻ってきた桂とエリザベスに視線を送ると、山崎は苦笑して頷く。自分が真選組だと知らないのだろうと思ったのだ。でなければ剣術の心得云々の発言はないはずである。自ら正体を晒す必要もないと判断して、曖昧に山崎は返事をする。
「それにしても大掛かりな襲撃だな。何かしたのかカグヤ」
「昔ならいざ知らず、刀置いて三味線屋やってる人間が何出来るってのよ」
『無事で何より』
 呆れたようなカグヤの言葉に、エリザベスが看板で返答をする。
「そっちはカグヤの友達か?」
「三味線の弟子よ。可愛いでしょ?」
 しげしげと桂に顔を眺められ、山崎は思わず顔を伏せる。覚えられても今後の仕事に差し障ると思ったのであろう。
「お前も漸く一人前ということか」
「……まぁ、そーゆーこと。助けてくれて有難う」
「お前には山程借りがあるからな。さっさと返さんと利子だけで偉い事になる」
 桂の言葉にカグヤは困ったように笑った。義理堅い性格なのは昔から変わらない。生真面目で、人より若干ずれているが、己が道を突き進む姿は好感が持てる。二人の様子を眺めていた山崎は、少し思案した後に口を開いた。
「とりあえず攘夷浪士を縛っておきましょう。もう直ぐ真選組がきます。助けてくださって有難うございました」
「何!?真選組!?」
 丁寧に頭を下げた山崎の言葉に桂は驚いたような顔をして声を上げる。
「そりゃ、攘夷浪士に襲われたってんだったら真選組に通報が普通でしょうが」
「それもそだな。カグヤの弟子、ケガがなくて何よりだ。俺は火急の用事があるので行くが、カグヤをよろしく頼む」
 そう言うと、桂はポンポンと大げさに山崎の肩を叩き、軽く手を上げるとエリザベスと共に暗闇の中へ消えていった。それを見送ったカグヤは視線を桂が駆けた方へ向けたまま言葉を零す。
「ありがと」
「桂を追うより、攘夷浪士を真選組に引き渡す方が大事ですから。優先順位の問題です」
 鳴り響くパトカーのサイレンを聞きながら、カグヤはほんの少しだけ口元を緩めた。


まさかの山崎・桂のターン
メインヒーローのターンは後編で
後編へ続く

20100810 ハスマキ

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