*朝までいてくれない癖に*

 気候が安定せずに雨が降る日もあれば、夏のような日差しが照りつける日もあり、土方は不快そうに顔を顰めて空を見上げた。
 攘夷浪士の動きは最近は静かであるが、それでも真選組の仕事がなくなると言うことはない。幕府の上との会議もあるし、見回りはいつも通り行わなければならず、土方は忙しい日々を送っている。
 そんな中、山崎が資料を持って副長室を訪れたので、土方は座るように促すと煙草に火をつけた。
 土方が渡された資料に目をとおしている間、山崎は茶を淹れて次の指示を待つ。監察は副長直轄なので基本的に土方の指示で仕事をするのだ。
「鬼兵隊は動きなしか……。桂はどうだ」
「会合はぼちぼちありますが大人しいものですね。寧ろ最近出来た攘夷浪士達の方が厄介な位です」
 攘夷浪士グルームの中でも古参である高杉・桂のグループは余り動きはないらしい。逆に攘夷戦争に参加したのかどうさえ怪しい新参のグループの方が動きは活発なのだろう。職にあぶれた人間が、攘夷浪士だと言いグループを作るのは結構あり、真選組としてもこちらの方を捕縛する事が最近は多い。名ばかりの攘夷浪士で土方は非常に不快であるが、彼等がテロ活動や、一般市民の生活を脅かすので放置も出来ない。
「夏まで鬼兵隊は動かないかもしれませんね。桂は今まで通り監視、他のグループは大きな金や武器の動きがあれば対応します」
 山崎の言葉に土方は頷くと、資料に順に判を押してゆく。それを眺めていた山崎は、思い出したように口を開く。
「最近先生に会いました?」
 その言葉に土方は手を止めると、驚いたように顔を上げて山崎の顔を凝視する。山崎が先生と呼ぶのは土方の飲み友達である三味線屋・カグヤだと言うことは承知していたが、突然話を振られた意味がわからなかったのだ。
「昨日だったか。飲み屋で会った」
「……あの……何か聞いてます?」
 少し思案した後山崎が恐る恐るといった様に言葉を放つので、土方は暫く黙って判を押すのを続け、最後の書類に判を押し終えると顔を上げた。
「具体的に何だ」
「今朝ですね、ちょっと仕事の話があって先生の所に行ったんですけどね。丁度万事屋の旦那がいて……」
 万事屋の銀時とカグヤは幼馴染であるし、仕事のやりとりもあるので別にカグヤの家に万事屋がいることはおかしな事ではないと土方も知っているだけ、山崎の話の意味が解らず、黙って続きを聞く。
「先生の家にあるお酒をですね、全部引き上げていったんですよ」
 その言葉に土方は思わず煙草の煙を勢い良く吐き出す。
「……全部か?」
「全部です。そんで、俺にも飲まないからって、お歳暮だか何だかで貰ったビール一箱くれたんです」
 そう云われ、土方はカグヤの家の隅に詰んであったビールを思い出す。元々カグヤはビールは好きではないので大概万事屋に渡してしまうと言う話は聞いたことはあったが、酒を全部となると意味がわからない。煙草をもみ消しながら、土方は口を開く。
「アイツの燃料酒なのにか」
「ええ、ですから、その……具合が悪いんですか?って聞いたんですよ。そしたら、病院行くから酒辞めるって」
 山崎の言葉に土方はぽかんとしたような顔をする。それを見て、山崎は土方も何も聞いていないのだと理解して小さくため息をついた。
「詳しく聞くのもアレかと思って帰って来ちゃったんですけど……」
「……肝臓でも壊したんじゃねぇの?」
「副長、煙草反対ですよ」
 山崎の指摘に慌てて咥えていた煙草をひっくり返すと、土方は火をつける。昨日に会った時の事を思い出すが、話の中では体を壊したと言う話は出なかった。ただ、山崎が言うように、彼女が酒を飲んでいたかどうかになると、全く思い出せない。そもそもアルコールが入っても入らなくても彼女は余り変わらないのだ。
「ちょっと心配なんで、副長は何か聞いてないかなぁと思ったんですけど」
「聞いてねぇ。昨日は元気そうだったけどな」
「ええ、今日も元気そうだったんで、どこが悪いのか全然解らなくて」
 それでも心配そうな顔をする山崎を見て、土方は不快そうに眉を寄せる。元々カグヤは自分の事を話さない。聞けば話すことも多いのだが、聞かなければいつまでも放ったらかしなのだ。山崎も土方もそれを了解しているが、体の事となると気を使って聞き難いのも事実で、山崎は途方に暮れたような顔をする。
「何かあったら言ってくるだろーよ」
「そうですかね」
「多分」
 山崎を慰めるように言ったものの、カグヤは今まで通り何も言ってこない気がして、土方は煙草の煙を吐き出すと、山崎に書類を持たせて部屋を追い出した。
 一人になった土方は、少し考え込んだ後に、携帯に手を伸ばすが直ぐにその手を引っ込めた。彼女の携帯電話の番号もメールアドレスも知っているが、それは基本的に高杉通報用に彼女と交換したもので、それ以外で使われる事は殆どないのだ。たまに彼女が行きつけの飲み屋が休みであるとか、新規開拓をしているから来れるならと連絡を入れてくるだけ。行きつけの店に行けば大概会うことも出来たし、昼間は家にいる事の方が多いので休みの日に時間つぶしに家に行けば彼女と会うことに不便は無かった。仕事の話は山崎経由、しかもそれさえも万事屋を通して行われる。こうやって考えれば、余り携帯電話と言う物を使っての交流は皆無に近いのを再度認識して、土方は電話を掛けると言う選択肢を削らざるおえなかった。小さく土方は舌打ちすると、新しい煙草に火を付けて、登る紫煙をぼんやりと眺めた。

 

 フラフラと家に帰ったカグヤは、そのままばったりと座敷に倒れこみそのまま動かなかった。熱が上がってきているのは十分に理解していたが、体が言う事を聞かない。楽になるまではこうしていようと決めて、座布団を手繰り寄せるとそれに頭を乗せる。
 うとうととするが、直ぐに痛みで現実に引き戻されるのが不快で仕方がなく、顔を顰めると、少しだけ顔を上げて窓の外に視線を送った。気がつけば日は暮れて、月が顔を出していた。それを瞳を細めて眺めると、カグヤはまた座布団に顔を埋めて、痛みと、熱が齎す気怠さと戦う。
「……酷ぇ顔だな」
「今日は相手出来ないわよ」
 座布団に顔を埋めたまま、カグヤは頭の上から落ちてきた声に返答をする。すると声の主は咽喉で笑い、カグヤの髪を撫でた。
「こっち向け」
「面倒臭い」
 素っ気なく返答したカグヤを無視して、声の主……高杉はカグヤの体を抱える。すると、カグヤは不快そうに顔を顰めるが、抵抗はしなかった。それに安心したのか高杉はそのまま彼女の体を抱き上げて、座敷から彼女の私室へ向かった。いつもなら私室への出入を叱るカグヤであるが、布団が敷いてるのを確認して、困ったように笑う。
「さっさと帰りなさいよ」
「厭だ」
 布団にカグヤを押し込めると、高杉は瞳を細めて笑いそう零す。
「薬は?」
「座敷」
 素直に答えたカグヤに視線を送ると、いそいそと高杉は座敷に向かい、薬と水を持って直ぐに戻ってくる。
「これだけは飲んどけ。酷くなる。あと、湿布は?腫れてんのも辛いだろーが」
「湿布は医者がくれなくてさ。医者もこんなに腫れ上がるとは思わなかったんじゃない?」
 そういうと、高杉は苛々とした様子で薬だけ飲んでおけと言い残し部屋を出て行く。それを見送ったカグヤは、云われたとおりに薬を流し込み、また布団にゴロンと横になる。腫れた患部は熱を持って不快であるし、一向に痛み止めも効かない。普段の不摂生が祟ったのか、酷い有様で自嘲気味に笑うとぼんやりと天井を見上げる。
 山崎の話では鬼兵隊は江戸には入っていないと言う事だったが、真選組の監視をくぐり抜けていたのか、偶然このタイミングで江戸に入ったのか。そもそも雨の多いこの時期は高杉は余り外に出歩かない。そう考えると、わざわざ様子を見に来たのだろうと言う結論に至り、カグヤは呆れた様な情けないような顔をした。口には出さないが、態度は心配で仕方ないという様子が厭というほど分かるだけに、いい年した大人が大騒ぎしすぎだと思ったのだ。
 戻ってきた高杉がムッとした顔をしながら湿布を差し出したのでカグヤは呆れた様な顔をする。
「買ってきたの?」
「常備しとけ。テメェはいつもそーゆー所がいい加減だ。どうでもいい所は用意周到の癖に」
 そう云われ、カグヤははいはいと返事をすると、ぺりっと袋を開ける。独特の刺激臭が鼻につき、カグヤが顔を顰めたのを見て、高杉は我慢しろと短くいう。それにカグヤは情けない様な顔をして患部に湿布を貼る。ひんやりとした感覚は心地よいが、匂いはどうしても気になる。
「効きそうな臭いだけど、寝れないわねこれ」
 笑ったカグヤを見て、高杉はカグヤの枕元に来ると三味線に手を伸ばす。
「俺が傍にいるなら安心して寝れるだろ。三味線も弾いてやるし、膝枕も昔みてぇにする」
「いいわよ別に」
「俺が厭だ」
 そういうと、高杉はカグヤの髪を撫でて瞳を細めた。
「俺が傍にいりゃ、悪夢も見ねぇだろ」
「朝までいてくれない癖に」
 攘夷戦争の頃から寝るのが苦手になったカグヤ。それを知っている高杉は瞳を細めて三味線の弦を弾く。朝起きて世界が変わっているかもしれない、それが怖いとカグヤはいつしか寝るのが苦痛になった。それは攘夷戦争に参加した者は多かれ少なかれ抱く恐怖であったが、彼女はそれが何時まで経っても消えなかった。目が覚めて、昨日まで一緒にいた仲間がもういなくなっていた。自分一人だけになった。自分さえ気がついていればそれは回避されていた。何度も何度も味わった恐怖は彼女の意識下に刷り込まれ、既にそんな危険はないというのに彼女はいまだに飛び起きる。
 高杉や桂、銀時や坂本等、彼女が認めている人間の傍でしか安眠はできなくなり、皆がバラバラになってから、カグヤの安眠の場は限られてくる。高杉が定期的に彼女を攫うのはそれもあった。自分の手元に置いてゆっくり寝かせる。だから彼女は文句は言うが抵抗はしないのだ。銀時のところへ定期的に昼寝に行くのも仕方がないと高杉が見逃しているのもそのせいであった。いつか体を壊すのではないかと思うと、ずっと手元に置いておきたいが、それは彼女が拒否するので高杉はそこまではどうしても出来ず、不満を募らせる。
 体調が悪い時は好きにさせてくれるので嬉しいが、彼女がこのまま死ぬのではないかと言う恐怖がぬぐい去れずに、また早く元気になればいいと思う自分自身の矛盾に苦笑して、高杉はうとうととしだしたカグヤに視線を落として困ったように笑った。
「愛してる。テメェだけは絶対に守るから安心して寝ろ」
「嘘つき」
 目覚めたらいない癖にと笑ってカグヤは瞳を閉じた。

 

 あぁ、やっぱり嘘つきだと思いながらカグヤは瞳を開けた。朝には高杉の姿はなく、残る煙草の臭いだけが昨日の事が夢ではないと知らせる。起き上がるのが億劫で、カグヤはそのまままた布団にくるまり窓から外の様子を伺った。生憎の雨模様で、カグヤは不快そうに顔を顰めて枕に突っ伏した。雨だと患部が痛んで仕方がないし、熱も一向に下がる様子もなく不快で仕方ない。ただ、腹は減ってきたので、意を決して起き上がると台所へ足を運んだ。
「……どうでもいい所はマメなのよね」
 空っぽであった筈の冷蔵庫には果物やらが詰められている。挙句の果てに鍋に雑炊。大真面目に高杉が準備したと思うと可笑しくて仕方がない。思わず瞳を細めたカグヤはコップに水を満たして、薬を口に放り込んだ。
 薬を流しこんで、コップに残った水を再度口につけたカグヤは、突然開いた勝手口に驚いて、思わず水を吹き出しむせ込んだ。
「悪ぃ」
 そう言って慌てて傍に寄って来たのは土方で、カグヤは大丈夫だと言うと口元を拭う。土方の休みは来週まで無かった筈なので家に来るとは思わなかったのだ。制服ではなく私服で来た所を見ると、来週の休みが急に繰上になったのだろう。真選組なら土方だけでなく山崎もそのような事があるので珍しいことではない。そんな事をぼんやりと考えていると、土方が慌てた様にカグヤの顔をのぞき込んだのでカグヤは首を傾げる。
「どーしたのさ」
「……そりゃこっちの台詞だ。なんだよその酷ぇ面。しかも熱あんのか?」
 掴んだ手が明らかに熱を帯びているのに気が付いた土方が不機嫌そうに言うと、カグヤは困ったように笑う。
「大した事ないわよ」
「莫迦も休み休み言え」
 そう言うと土方は眉間に皺を寄せてカグヤの口元に指を滑らせる。指先についた紅とは違う赤い色。それにカグヤも気が付いたのか、心配そうな顔をした土方とは逆に苦笑する。
「大丈夫よ。死にやしないんだからさ。心配性ね」
 いつもいつも心配性だと笑われているのを自覚しているが、それでも彼女の体調が明らかにおかしいのを放って置くことも出来ずに、土方は彼女を無理矢理私室に押し込む。部屋に入った瞬間、土方が顔を顰めたのに気がついたカグヤは可笑しそうに笑った。
「少し遅かったわね」
「そーみてぇだな」
 高杉の煙草の臭いの残る部屋。いつ頃まで高杉がいたのかは解らないが、もう少し早くくればバッティングしたであろう事を思い土方は思わず舌打ちをした。しかし直ぐにカグヤを布団に押し込むと、土方はしかめっ面のままカグヤ枕元に座り彼女を見下ろす。
「休み来週まで無かったんじゃないの?」
「……他の奴が代わってくれって言うから代わったんだよ。そんで暇だから顔見に来た。……山崎が気にしてたからな」
 全部喋ってから全てにおいて言い訳くさいと思った土方は、バツが悪そうな顔をすると、部屋に視線を巡らせた。それに気がついたカグヤは、煙草盆使えばと短く言う。煙管用なので若干使い辛いが灰を落とす分には問題ないだろうと思っての事だが、土方は顔を顰めると、いい、と短く返答した。それに驚いたような顔をしたカグヤであったが、土方はそんな彼女の表情を伺い重々しく口を開いた。
「どこが悪いんだ?」
 曖昧に聞けばはぐらかすと思い、土方がストレートに聞くと、カグヤは笑う。
「悪い所何かないわよ」
「ない訳ねーだろ。酒止めて、熱だして、医者にまでかかってんだろ」
「そりゃそうだけどさ。悪い所なんかないのよ、本当に」
 意味が分からないと言うように土方が困惑したような顔をするので、カグヤは苦笑すると土方の鼻をぎゅっとつまんだ。それに驚いたような顔をした土方は、何をするんだと零すが、カグヤはお構いなしに手を放さずに笑った。
「あのねぇ、勝手に悪い方に悪い方に考えるのは兄さんの悪い所よ。仕事柄仕方ないのは解るけどさ」
 そういうと漸く手を離して、枕元にある薬の袋を土方に渡した。それを見た土方は、暫く黙ったままであったが、直ぐに顔を赤くする。
「顔が腫れてる時点で気がつきなさいよ。飲んでる薬は化膿止めと痛み止め。酒を控えてるのは麻酔が効きやすいようにと、出血が酷くならないように。熱はちょっと予想外だったけど、三日ぐらいで引くんだってさ」
 少し動いて疲れたのか、カグヤが億劫そうに薬を受け取ると元に戻す。
「一週間後に後二本も抜かないといけないなんて気が重いわよね。兄さんは親不知抜いた時そんなに酷くなかったの?」
「……いや、抜いてねぇんだ。虫歯になってねぇし」
 恥ずかしそうに顔を背ける土方を見て、カグヤは笑うと、そっか、と零す。
「私も虫歯はそんなに酷くなかったんだけど、医者がどうせ虫歯になり易いし抜いた方がいいんじゃないって言うから。雨の日になんか親不知痛むしさ」
 ぶつぶつと不服そうに言うカグヤを眺めながら、土方は漸く表情を緩めて煙草に火をつけた。それを見てカグヤは瞳を細める。
「アルコール入ったら麻酔が効きにくいって言うからお酒も止めてたのに、抜いたら抜いたで出血多くなるから駄目だって言われてさ結局トータルで二週間は飲めない計算になるのよねぇ」
「そんで万事屋に酒預けたのか」
「そうそう。家にあったら飲みたくなるじゃない。でも痛いのも厭だし」
 確かに痛いのは厭だと思った土方は、そうか、と短く返答する。自慢ではないが土方も歯医者は苦手である。親不知を抜くなどゾッとするが、カグヤの話だと、彼女は生えてきた四本とも抜くつもりなのだろう。二本でもこんなに酷いのに莫迦じゃないかと思うが、彼女が決めたのなら仕方ない。
 そもそも山崎がちゃんと聞いて来ないのが悪いと責任転換した土方は、煙草の煙を吐き出すとぼそっと呟く。
「熱はいつからだ」
「え?昨日抜いた後直ぐにぴゅーっと上がってさ。抜いた所も痛いし、熱も出るしで酷い目にあった。今もダルいけど」
 そう云われ、土方はカグヤの額に手を乗せる。確かに体温は明らかに高いし、先程から動くのも億劫そうなのを見るとまた急に気になった土方は煙草をもみ消す。
「飯は食ってんのか?」
「晋兄が雑炊作って帰ったみたいだけどまだ食べてない」
 その言葉を聞いて、土方は唖然としたような顔をする。その反応にカグヤは可笑しそうに口元を緩めると、親不知抜いただけで大騒ぎして莫迦でしょ?と言葉を零した。それに対して土方も人の事を言えないので返答らしい返答はしなかったが、江戸に入っていないと昨日報告のあった高杉が、彼女の為にわざわざ出向いて来るのに呆れた様な顔をする。
「……傍にいるから安心して寝ろとか言ってた癖に、朝起きたらいないの。嘘つきよね」
 拗ねたように彼女がぷいっと背を向けてそう零したので、土方は驚いたような顔をした。寝るのが苦手なカグヤは高杉の傍なら安心して眠れるのだろうか。そんな事を考えた土方は、カグヤの髪を一房掴と、軽く引っ張る。
「熱出ても寝れねぇのかよ」
「……逆にしんどい」
 振り返る事なくカグヤが返答したので、土方は瞳を細める。
「寝て、起きたら世界が変わってるんじゃないかって思うの。こうやって兄さんとグダグダしてんのは夢で、目が覚めたら、やっぱり刀持って天人の首落としてるんじゃないかって」
 カグヤの呟きを黙って土方は聞く。普段は余り話す事のない彼女の病んだ場所。
「攘夷戦争一緒に駆けまわって、生き残った面子の傍ならさ、絶対に私の事守るだろうし、死ぬこともないだろうって安心して寝れるの。でも、一人だと、自分が寝てる間に仲間が死んでるんじゃないかとか、誰もいなくなってるんじゃないかって……もう刀なんか持ってないのにね。そんな厭な夢ばっかり見る」
 特に熱に浮かされてうつらうつらしている時は眠りも浅く、夢もよく見るので酷いのだろう。そう思った土方は、どうしてカグヤが高杉を非難したのか理解した。高杉とて、全国指名手配の身であるから朝までここにいるのは無理であったのは土方にも分かる。寧ろ、朝までのうのうといた方が土方にとっては腹が立つのだが、彼女にはそれは関係ない。嘘つき以外の何ものでもないのだろう。
 黙って話を聞いていた土方は、彼女の背を眺めながら口を開く。
「そんじゃ俺がいるから寝てろ」
「……兄さん忙しいでしょ」
「今日は休みだ。俺がいる内に寝とけ」
 漸く土方の方を見たカグヤは困った様な顔をする。すると、土方は不服そうに顔を顰めた。
「俺は信用できねぇか?」
「試した事ないからさ」
 咽喉で笑ったカグヤは、瞳を細めると、ありがとうと言葉を零して瞳を閉じた。それを眺めた土方は、壁にもたれ掛かると煙草に火をつけた。ゆっくりと立ち上る紫煙を眺めながら、土方は不快そうに顔を顰める。高杉が監察の目をかいくぐって彼女の所に来たのは、恐らくゆっくり寝かせる為であろう。寝るのが苦手なのは知っていたが、矢張り彼女の傷であった事を知れば自分は何も分かってなかったと不快になる。高杉と自分の決定的な差は時間の共有であろうと考え、思わず煙草のフィルターを噛み締めた。別に全てを知ろうとは思わないが、何も知らない事を自覚すれば不快で仕方ないのだ。
 何本目かの煙草に火をつけると、漸くカグヤから寝息が聞こえ、土方はほっとしたような顔をする。寝返りを打ったカグヤが、壁を背にして小さく胎児のように丸まって寝るのを見ると、いたたまれない気分になった。背後の心配などする必要はないのに、急所を守る必要もないのにと。
 伸ばした土方の手がカグヤに触れると、彼女は少しだけ身動ぎをしてまたきゅっと体を丸めた。世界を拒絶するような姿に、土方は瞳を細めると、彼女の頭をそっと撫でる。すると、カグヤがガバっと体を起こしたので、土方は驚いて手を引っ込める。すると、カグヤはズルズルと匍匐前進にように移動し、土方の膝に頭をのせまた何事も無かったかのように寝息をたてだした。少しズレた毛布を土方はそっとかけ直すと、ぽんぽんと彼女の肩を軽く叩く。
「……誰と間違えた?」
 思わず土方が小声でそう零したのは、恐らくこうやって寝るのが彼女にとって一番安心できるのだろう。今まで誰かがそうやってきたのだと。高杉なのか桂なのか、銀時なのか坂本なのか。煙草を吸いたいのを我慢して、土方はぼんやりと壁にもたれかかったまま時間が流れるのを待った。

 

 目を開けたカグヤは、暫くぼんやりと中を見ていたが、漸く自分が土方の膝に頭を乗せている事に気がつき、口を開いた。
「ごめん。寝ぼけてた」
「そうか」
 他にも言おうと思っていた事はあった筈なのに、土方は短くそう返答するだけに留めた。もぞもぞと布団に戻ろうとするカグヤを眺めながら、土方は数時間ぶりの煙草に火を付けて細く煙を吐き出す。
「鬼兵隊は江戸から離れたみてぇだ」
「そう」
 山崎からの報告をそのままカグヤに流すと、彼女は表情ひとつ変えずに返答し、土方を見上げた。それを見下ろして、土方は瞳を細めて笑う。
「高杉は大嘘つきって訳だ」
「昔からなのよ」
 そこで初めてカグヤが寂しそうに笑ったので、土方は煙草をもみ消して彼女の顔を覗き込んだ。それにカグヤは大きな反応は見せなかったが、土方が腫れ上がった彼女の頬を指でなぞると、少しだけ顔を顰める。
「暫くは大人しくしとけ。何かあったらメールでもしろ」
「メールした所で兄さんが添い寝してくれる訳じゃないでしょーが」
「仕事があったら無理だ。けど、まぁ、できる事はあるかもしれねぇだろ」
 その言葉にカグヤは驚いた様に大きく瞳を見開いたので、土方は口端を上げて笑った。
「高杉と違って、嘘つくのは得意じゃねぇからな。出来ねぇ事を出来るって言わねぇ」
「その方が有難いわ。嘘に振り回されるの好きじゃないの」
 その言葉に土方は哀しそうに瞳を細める。高杉の重ねた嘘はカグヤを振り回して来てのだろうか、傷つけて来たのだろうかと思うと酷く腹がたって仕方なかった。それでもカグヤがいつまでも高杉との関係を切らない事にも腹がたった。理解できない二人の関係は酷く歪で、お互いにいい物だとは到底思えなかったが、それでも切れる事がないのはどうしてなのだろうかとぼんやりと考えたが、土方は直ぐに思考を停止して立ち上がる。
「屯所に帰る」
「ありがと」
「そう思うんだったら、さっさと酒飲めるようになれ。手前ェ以外に俺の愚痴零す相手いねぇんだからな」
 閉められた襖を眺めながら、カグヤは瞳を細めて笑う。愚痴を零す相手など真面目に探せば幾らでもいるだろうに、それでも自分相手が良いと言ったのが可笑しかったのだ。けれど、ぐっすり眠れたのは有難く、今なら悪夢を見ずにまた眠れそうな気がして、カグヤは布団をまた被った。

 

 数日経って、山崎が副長室を覗くと、土方が携帯を眺めていたので、何か仕事の打ち合わせかと思いそれが終わるのを部屋の外で待つ事にした。すると、土方が物凄い勢いで煙草の煙を吐き出した後、携帯を閉じたので、山崎は遠慮がちに部屋に入る。
「……山崎か」
「はい」
 そう言って書類を手渡すと、先程とは打って変わって眉間に皺を寄せながら書類に土方が目を通し出したので、山崎は落ち着かない様子でそれを眺めた。さっきのリアクションは気になるが、聞くのがはばかられるし、タイミングを伺っていたのが覗き見に取られるのも不本意だったのだ。
 ペタペタと判を押す土方の手が止まったので、山崎が首を傾げ、どうしました?と聞くと、土方は少しだけ視線を彷徨させて口を開く。
「手前ェは三味線屋とメールのやり取りしてんのか?」
「はぁ?」
 突然の話について行けず、間抜けな声を山崎が上げると、土方はちょっと聞いてみただけだと話を急に打ち切ろうとしたので、慌てて山崎は返答する。
「最近は稽古の予定も万事屋の旦那経由じゃなくて先生としてますからね。メールのやり取りはありますよ」
 初めこそ万事屋経由で他の生徒と同じ様に稽古の予定を組んでいたが、山崎自体が急な仕事も多いので、最近直でやり取りするようになったのだ。急に入った休みでもカグヤさえ暇なら稽古をしてくれるので有難いと山崎は思っている。
「先生って基本的に一行メールなんですよね。変換もヘタって言うか、平仮名多いですし、可愛いですよね」
「……可愛いとか本人に行ったら殴られるんじゃねぇのかそれ」
 呆れた様に土方が言うが、山崎はヘラヘラと笑って、心の中で思ってるだけですと付け足す。決して彼女が機械に弱いわけではないのだが、面倒で変換をせずにそのまま送ってくる事の多いカグヤのメールは、山崎に取っては意外だったのだろう。
「で。先生のメールがどうかしたんですか?」
「……なんでもねぇ」
 書類に視線を落としたまま土方が返答したので、山崎は苦笑すると、先程のメールはカグヤからだったのではないかとぼんやりと思う。先日カグヤが親不知を抜いてから、ちょこちょこやりとりがあるのは知っていたが、余程おかしなメールがカグヤから来たのだろう。そう思うと気になって仕方がないが、プライベートな事なので、突っ込んで聞くのはどうかと思い、山崎はそこで話を止めた。そもそも、今まで殆どメールや電話のやりとりが二人の間に存在しなかったことの方が山崎には驚きである。二人の関係はどこか歪で、それでいて、色々と順番がおかしいと思うのは第三者だからだろうかと思いながら、山崎は土方から書類を返却され、再度それの判を確認した。
「先生もメールより電話より、会って話すのが早いって思う方ですからあんまりマメじゃないでしょ」
「そーだな」
「先生の具合どうですか?」
「腫れが引かなくてまだ飯食えねぇんだと。何なら食えるって聞いたら、酒とか抜かしやがった。肝臓壊しやがれ」
 ブツブツ文句を言うように土方が零すので、山崎は思わず苦笑する。
「肝臓壊せって送ったんですか?」
「送った」
 土方の仕事のメールなどでも要件が簡潔に書かれている方なので、多分土方とカグヤの間で一行メールが行ったり来たりしているのだろうと思うと可笑しくなった山崎は、笑いをこらえて、それで?と先を促す。すると、土方が急に黙り込んだので山崎は首を傾げる。
「怒られたんですか?先生に」
「何で俺が怒られるんだよ」
 むっとしたように土方が返答したので、ますます困惑したような顔を山崎がする。
「メールっていうのは顔見えない分自分の気持ちも相手の気持のなかなか汲みとるの難しいですから、気を付けた方がいいですよ」
「怒らせてねぇよ。つーか、その後も普通に壊れるほど肝臓やわじゃないから酒飲みたいって返信してきやがったよ。まぁ、燃料だから仕方ねぇけど」
 カグヤが怒った訳ではないのなら、心配が空回りしてるのに土方が腹を立てているのだろうかと思いながら、山崎は、また元気になったら飲もうって返信したんですか?と聞く。すると土方はちらりと山崎の方へ視線を送った後、煙草に火を付けて小さく頷く。
「先生早く良くなるといいですねぇ」
 わざと脳天気な返答した山崎は土方の反応を待つ事にした。何か自分に聞きたくて話を振ってきたのだろうが、結局他愛のないメールのやり取りを聞いただけで、恐らく土方の一番聞きたい事は何一つ出てきていないだろうと思ったのだ。
「あのよ……」
「はい?」
「……やっぱいいわ。それ、頼む」
 結局切り出す事の出来なかった土方を見て、山崎は少し残念そうな顔をしたが、素直に書類を持って副長室を出ることにした。
 片手で山崎は携帯を操作しながらほてほてと廊下を歩く。早く良くなって下さいね。稽古つけてもらうの楽しみにしてます、とカグヤにメールを送信した山崎は、直ぐに来た返信を見て思わず口元を緩めた。ハートマークが一つ可愛らしく揺れている。
「このギャップが良いんだよなぁ」
 勝気な性格なのにメールはなんだか可愛い。このハートマークも他の芸妓仲間が有難うの意味で使っているのを、楽で良いと真似してカグヤが使っているのだ。表情を緩めたまま山崎はパタンと携帯を閉じるが、直ぐにハッとしたように顔を上げる。
「あれ?もしかしてコレ?」
 芸妓との付き合いのない土方は意味が分からないかもしれないと唐突に思い至った山崎は、副長室に引き返そうとしたが、はたっと足を止めた。
「……聞かれたら答えよう。うん。違うかもしれないし」

 山崎が部屋を出た後土方は、再度携帯を開き画面に視線を落とす。
 揺れるピンクのハートマーク。それだけ。
「意味わかんねーよ。やっぱ会って話する方が楽だな」
 返信するのは諦めて、土方は机に突っ伏して瞳を閉じた。


相変わらずフリーダム高杉と心配性土方
20100601 ハスマキ

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