*俺との約束も忘れんなよ*

 船の一室で三味線を弾いていたカグヤは、外から施錠を外す音が聞こえピタリと手を止めた。まだ食事の時間には早く、首を傾げたカグヤは扉の方を凝視する。
「よぉ。退屈だろう?」
「いつもの事じゃないのさ」
 顔を出した高杉に、呆れた様な声で返事をすると、カグヤは抱えていた三味線を床に置き瞳を細めた。鬼兵隊のアジトへ連れてこられる時は、大概部屋へ軟禁されるので三味線を弾くか寝る位しかすることはない。ただ、普段もカグヤは三味線の稽古や座敷の仕事がなければそんなものなので代わり映えはしないのだが。
 高杉を見上げるカグヤの腕を掴んで立たせた高杉は、そのまま手を引いて部屋を出る。それにカグヤは驚いたような顔をした。普段は部屋から殆ど出される事はないのだ。
「どーしたのさ」
 怪訝そうな表情を浮かべたカグヤの顔を覗き込むと、高杉は瞳を細めて口元を緩める。それを見たカグヤは僅かに眉を寄せた。この様な顔をする時は、碌な事を考えていないと知っているのだ。
 長い廊下を歩き、随分人の少ない区画へ連れていかれたカグヤは、奥の扉に視線を送り足を止めた。
「……何をあそこに置いてんの?」
「イイものだ」
 それは勘でしかなかったが、扉の向こうに厭な気配を感じたカグヤが口を開くと、高杉は子供のように笑う。得体の知れない違和感と、肌のざらつく厭な気配。厳重に施錠されたその扉の向こうは、カグヤの予想を超える物が所狭しと並んでいた。
「刀?」
「紅桜」
 形こそ刀であるが、それは円柱状の液体に満たされた入れ物に保管をされており、それがカグヤの違和感を更にかきたてた。刀に拘る方ではないが、これは駄目だと本能が察する。
「綺麗なもんだろ?月光に当てると、淡く桜色に光るんだ。だから紅桜」
「気持ち悪い」
 刀身は薄く、それでいて曇一つない。月光に当ててみたい衝動には駆られるが、刀だとはどうしても思えなかった。カグヤの感想に高杉は僅かに驚いた様な顔をしたが、直ぐに嬉しそうに口元を緩めて彼女を後ろから抱く。
「妖刀紅桜が雛形でな。気持ち悪いか……テメェらしい感想だ」
 喉で笑った高杉にカグヤは眉を寄せると、円柱状の入れ物に触れる。冷たいひんやりとした感覚は心地よいが、硝子越しでも感じられる違和感。刀ではなければ何だろうとぼんやりと考えながら、カグヤは瞳を細めた。
「刀ってのは、良くも悪くも道具よ。名刀だって、使う人間が悪けりゃナマクラと変わりゃしない」
「そーだな」
「コレは何?」
 カグヤの言葉に高杉は嬉しそうに笑うと、彼女の耳元に唇を寄せて言葉を放った。
「全てをぶった斬る為に生まれた刀だ」

 

 再度カグヤが紅桜を目にしたのは、仕事帰りの月夜であった。満月には後数日という夜。三味線を抱えて歩くカグヤの視界に入った薄紅色に輝く刀は、高杉の言う通り【妖刀】という名がしっくりと来る。橋の上で振るわれた刀は、刀と言うよりは生き物の様で、カグヤのずっと抱いてきた違和感を払拭するには十分であった。アレは刀ではない。刀の形をした別の生き物だ。持ち主さえ、全てを斬る為の部品に過ぎないのだ。カグヤの姿に気がつかなかったのか、紅桜の足元に倒れた人間の髪を切るとそのまま踵を返しその場を後にする。
 慌ててカグヤは橋へ駆け出した。

 

 江戸へ高杉が入っていると情報を監察から得た土方は、山崎を連れてカグヤの家を訪れた。一番最初に接触してくるのがカグヤである可能性が高い上に、ここ最近辻斬りが流行っており、仕事や飲みで夜中に出歩くことの多いカグヤへ注意を促そうとしての事であった。
 勝手口に手をかける土方を慌てて山崎が止めたので、土方は怪訝そうな顔をする。
「先生昨日仕事だったんで、もしかしたら寝てるかもしれませんよ」
 在宅時は基本的に鍵を開けっ放しであるカグヤの家には土方は呼び鈴を鳴らすことの方が稀である。カグヤがそうしても構わないというのだが、一方山崎は律儀に呼び鈴を押す。いきなり入っていって寝ていたら失礼だろうと山崎が言いたい事に気がついた土方は、仕方なく呼び鈴を押す。
「アイツが朝寝過ごすってのも滅多にねぇだろう」
「そうなんですか?」
 カグヤが出てくるまで僅かに時間があったので、土方が口を開くと、山崎は驚いたような顔をする。
「そーだよ。夜更かしする癖に早起きなんだアイツ。……まぁ、寝るの苦手らしいけどな」
 自分の言葉に土方は僅かにしかめっ面をする。寝るのが苦手だと彼女は言うが、土方には理解できない感覚なのだろう。
「おやまぁ。どーしたのさ」
 いつもなら直ぐに出てくる所であるが、今日は時間がかかったのを見ると何か用事を片付けていたのだろうか。そう思った土方は、煙草に火をつけると、今良いか?と短く聞く。
「大丈夫よ。上がる?」
「直ぐに帰るけどな」
 遠慮なく上がる土方の姿を見て、山崎は思わず苦笑するとカグヤに丁寧に頭を下げて部屋に入っていく。いつも通される座敷には三味線が出してあり、山崎はそれを隅に寄せると定位置に座る。
 すると、土方が怪訝そうな顔をして辺りを見回しているので、山崎は小声で土方に声を掛けた。
「どうしたんですか?」
「……いや」
 茶を持って帰ってきたカグヤの頭から爪先までしげしげ見た土方は、僅かに眉を寄せると彼女に声を掛ける。
「怪我でもしたのか?」
 その言葉にカグヤは僅かに驚いたような顔をしたが、直ぐに瞳を細めて笑った。
「私はしてないわよ。でも、怪我した人間ちょいと抱えたからね。着物一着駄目にしたわ。お風呂にはさっき入ったんだけど……まだ取れないのかしら、血に匂い」
 世間話をするような口調で彼女はそう言い放ったが、山崎は顔色を変えて口を開いた。
「あの、詳しく聞いてもいいですか?」
「詳しくもなにも。昨日仕事帰りに近所の橋で人が斬られたの遠目で見えたから、慌てて斬られた人間拾いに行ったのよ。その時着物が汚れたの」
「そいつはどーしたんだ。病院に連れていったのか?」
 煙草の煙を吐きながら不機嫌そうに土方が言葉を放ったのは、朝方に橋の上で辻斬りがあったと思われる血痕が発見されたが、斬られた人間の姿がなかったと連絡があったからである。今までの辻斬りで斬られた人間は助かっていいないが、今回の人間は助かったのかもしれないと真選組は手がかりを得るために探し回っていたのだ。まさかカグヤが拾ったとは思いもよらなかった上に、相変わらず通報を怠る彼女に腹を立てたのだ。
「死んでなかったからその場で応急手当だけしたけど、どっか行っちゃったわよ」
 あっけらかんとした彼女の返答に、土方は舌打ちすると、次からはさっさと通報しろと不機嫌そうに言葉を零した。
「辻斬りは逃げちゃったし、斬られた本人はいないし、まぁいいかって思ったんだけど。悪かったわね」
 お茶に口をつけながらカグヤが言ったので、土方は小さくため息をつくと、煙草の煙を吐き出す。
「辻斬りは見たのか?」
「顔は暗かったしねぇ。でも刀は見たわ」
「意味がわかんねぇよ」
 顔は確認できなかったが、刀の銘を確認できたというのかと思った土方が怪訝そうな顔をして不機嫌そうな声を零すと、彼女は瞳を細めた。
「刀というよりは生き物みたいだった」
 その言葉に山崎は驚いたような顔をして、本当ですか!?と声を上げた。監察が聞込みをした他の目撃者も似たような事を言っていたのだが、余りにも信憑性がなく、上に上げるかどうか悩んでした報告だったのだ。
 山崎が異常に食いついたので、土方は詳しく話すように促す。
「生き物っていうか、こう、刀からさ、管みたいなのが辻斬りの腕に繋がっててね。持ち主の方が斬る為の部品みたいだった」
 メモを取る山崎に視線を落とし、土方は瞳を細めた。カグヤがここで嘘をつく必然性もないし、山崎の反応を見ると、他の目撃者も似たことを言っていたのかもしれないと察したのだ。にわかには信じられない話ではあるが。
「晋兄の所で同じ刀見たわ」
「ちょっとまて!って言う事は鬼兵隊が辻斬してんのか!?」
 驚いたような声を土方が上げたので、カグヤは首を傾げる。
「さぁ。一杯あったから、もしかしたら晋兄だけが持ってる訳じゃないのかもしれない。あんな危険な玩具があっちこっちにあるって考えるのは正直厭だけどさ」
 それはカグヤの正直な意見であった。あんなに沢山あるのなら、試作品もあるだろうし、そもそも鬼兵隊だけで研究をしているとも高杉は言っていなかった。カグヤの話に土方は渋い顔をし、山崎は慌てて携帯を持って部屋を出た。恐らく他の監察に連絡を入れる為であろう。
「飲み歩くの控えろよ」
「何でさ」
「物騒な辻斬りが流行ってんのに歩き回るか!?普通!?」
 不服そうなカグヤの顔を見て土方が思わず声を上げると、彼女はそっか、と納得したような顔をする。
「高杉だったら手前ェは絶対に斬らねぇだろうけど、高杉の部下とか、他の攘夷浪士グループだったら危ねぇだろーが」
「大体斬られてんの浪人ばっかりなんでしょ?一般市民の私が斬られる理由はないんじゃないの?」
「目撃者が斬られねぇ保証はねぇし、元攘夷志士だろーが手前ェは」
 可能性はゼロではないと強調する土方を見て、カグヤは思わず微笑を零した。心配症な姿が酷く微笑ましかったのだ。
「すみません副長。他の目撃者にもう一回詳しく話聞きに行きたいんですけど」
「俺も行く」
 戻った山崎がそう言ったので土方は立ち上がり、一緒に行く旨を伝える。カグヤがその刀が一杯あったと言ったのも気になったのだ。辻斬りが一人だと思っていたが、もしかしたら複数人いるかも知れないし、そもそも辻斬り自体捕まえてはいない。鬼兵隊が関わっている可能性があるというのならば、見廻組と協力して辻斬りを追わねばならない。
 勝手口まで見送りに来たカグヤは、靴を履く土方に向かって言葉を放った。
「関係あるかわかんなけどさ」
「なんだ?」
「江戸から離れろって言われた」
 その言葉に土方が驚いたように瞳を見開き、不機嫌そうに言葉を零した。
「何で手前ェは江戸にまだいるんだ」
「いたいからに決まってるじゃないのさ」
 カグヤの返答は予想通りであったが、土方は僅かに眉を寄せると、そーかと言い煙草を不機嫌そうに投げ捨てた。
「どーゆー風邪の吹き回しだ。手前ェが高杉の情報俺に回すなんざぁ」
「……晋兄はこの世界が嫌いで、私はこの世界が好きって事よ」

「江戸を出ろって、どーゆー事でしょうね」
 歩きながら山崎が零した言葉に土方は僅かに考え込むと口を漸く開いた。
「アイツが辻斬りにあう可能性があるか、高杉が江戸で何かやらかすかのどっちかだろうな」
 ただ、辻斬りにあう可能性より、高杉が江戸で何かやると言う方が遥かに可能性が高いと思った土方は新しい煙草に火をつけ煙を吐き出した。彼女が珍しく土方に高杉の話をしたということは、彼女は彼女で何か危機感を持っていたのだろう。それが辻斬りに対してなのか高杉に対してなのかわ分からないが。
 土方は不機嫌そうな顔をしながら山崎と共に目撃者の所を順に回っていった。淡く紅色に輝く刀。生き物のような刀。そのような情報を集め、山崎は小さくため息をついた。
「物騒な刀ですねぇ」
「そーだな」
 そして、情報集めの過程で名が出たのは【妖刀紅桜】と呼ばれる刀であった。かつて刀匠・仁鉄が打ったと言う刀。月明かりに照らされると淡く紅色に輝くと言う特徴があるらしい。妖刀と呼ばれるのはそれを打った仁鉄含め、関わった者に凶事が訪れると言われているかららしい。
 そもそも妖刀の類は土方はどちらかと言えば信じてはいなかったが、紅桜と辻斬りの刀の特徴が一致している以上無視することは出来ない。山崎に紅桜の事を調べるように指示をすると、土方は屯所へ引き返した。

 

「桂が斬られたのではないかと言う話です」
 戻った山崎の報告を聞いて土方は吸っていた煙草のをもみ消すと眉間に皺を寄せた。念の為に鬼兵隊以外の攘夷グループを洗い直した山崎は、最近は穏健派の桂一派が随分ピリピリしている上に、鬼兵隊と対立する空気が出ていると情報をつかんだのだ。そしてなにより、斬られた人間が行方不明になっている橋で見つかった斬られた髪。
「ここ数日桂が行方不明らしいです」
 土方は舌打ちすると立ち上がり、小雨の降る中屯所を後にした。
 カグヤが被害者を病院に連れて行く事なくその場で応急手当をしたのは、斬られた人間が公に病院へ行くのが無理な人間だと知っていたのではないか。刀の話をしたのに、被害者の特徴を何一つ彼女が話をしなかったのを思い出した土方は、真っ直ぐに三味線屋へ足を運んだ。
 勝手口に立つ土方の耳に入ったのは、小雨が地面を打つ音と、彼女の弾く三味線の音。遠慮なく扉を開けた土方は、座敷に上がりこむとカグヤに視線を送った。
「斬られたのは桂か」
「そーよ」
 手を止めることなく返事をしたカグヤに、土方は渋い顔をするとドスンと座り込む。
「珍しく俺に情報回したと思ったらコレだ」
「……聞かなかったじゃないのさ、被害者の事なんて。病院に連れていったか聞かれただけだし」
 元攘夷志士であるのならば、桂と知り合いである可能性もあったはずなのに、今まで話題にでなかった為にすっかり失念していたのは土方の失態である。白夜叉・高杉・桂といえば、攘夷戦争で伝説になった男で、彼女が知らない筈はないのだ。
「桂はどうした」
「知らないわよ。どっかいっちゃったってのは本当だし」
 恐らくカグヤの手当を受けて一命を取り留めた桂は姿を消したのだろう。彼女がいまだに匿っているのならば、桂一派がその情報を知らずに鬼兵隊と敵対すると言うのも考え難い。
「……あの傷で動きまわったなら死んでるかもしれないけどね」
 寂しそうに笑ったカグヤを見て、土方は僅かに顔を顰めた。高杉とも桂とも知り合いであるカグヤは今敵対する二人を見てどう思っているのだろうかとぼんやりと考え、それは自分には関係ないと土方は思考を停止した。桂だと断定できた以上、ここには用がないと土方は立ち上がると彼女にちらりと視線を落とした。
 引き続ける三味線は桂の為なのか。
 そう考えると不快になった土方は、黙って三味線屋を後にした。

 

 枕元で聞こえる三味線の音に、土方はうっすらと瞳を開ける。僅かに首を振ると、そこにはカグヤが座っており、抱えた三味線を指で弾き小唄を奏でていた。随分昔の苦い記憶を夢見たのは、この音の所為だと僅かに眉を寄せる。曲自体は嫌いじゃない。けれどこの曲を聞くと思い出すのがあの辻斬りの件なのだ。

 結局全てが後手後手に回った真撰組は、辻斬りを捕らえる事も、高杉派と桂派の対立に割り込むことも出来ず、ただ事後処理に追われるだけであった。漸く鬼兵隊の情報を掴んだと思ったら、既に派手なドンパチは始まっており、海に投げ出された攘夷浪士や恐らく宇宙海賊春雨所属であろう天人を回収するだけの仕事で終わる。
 鬼兵隊と春雨が手を組んだ。収穫はその情報だけ。
 渋い顔をしながら数日前に派手なやりあいがあった波止場へ足を運んだ土方は、そこでカグヤの姿を見つけた。
 海に向かい三味線を弾く背中に土方は言葉を放った。
「……桂は生きてんぞ」
 沈む船から逃亡したのは確認できた土方がそういうと、カグヤは瞳を細めて、知ってると笑う。
「でも海に沈んだ人も一杯いたんでしょうに。辻斬りもね」
 回収した船の残骸から、大量の刀が押収された。使い物になる物は一本もなく、結局もう辻斬りはないだろうと捜査は終了してしまったのだ。全てが遅かったのを自覚する土方は、思わず苦々しく口元を歪めた。するとカグヤはポツリと言葉を零す。
「全部海に沈んだわね。人も、刀も、望みも」
「あぁ」
 相槌を打った土方を見て、カグヤは寂しそうに瞳を細めて笑った。

 その時に弾いていた曲だと思いながら、土方はごろりと寝返りを打ってカグヤの顔を見上げた。すると、土方が起きたのに気がついたカグヤが手を止めて笑う。
「どーしたのさ。変な顔して」
「何でもねぇよ」
 体を起こした土方は煙草を咥えると、火をつけ窓の外に視線を送った。月は満月を過ぎ欠けている。カグヤに会うまでは空を見上げる事など殆どなかったというのに、つい確認する月齢。
「高杉と桂は元気か?」
「晋兄は元気なんじゃないの。ヅラさんはあんまり会わないからねぇ」
 その言葉に土方は瞳を細めて、煙草の煙を吐き出した。
「桂はあんまりあわねぇのか」
「そーよ。私が攘夷活動辞めちゃったからね。迷惑かかるって来ないの。変な所で律儀でさ。それに、兄さんやザキさんが入り浸ってるし」
「入り浸ってねぇよ」
 ムッとしたように土方が言うが、カグヤは可笑しそうに口元を緩めて三味線を指で弾く。
「最近休みの日によくうちに来るじゃないのさ。友達いないの?」
 その言葉に土方は返答に困り黙り込む。休みの日に屯所にいると、近藤が煩いのだ。住んでいるのだから仕方が無いのに、休んでいないと外に追い出す。無趣味の土方は適当に時間を潰す為につい便利なカグヤの家へ上がりこむのだ。それに対してカグヤも何も言わないし、いてもいなくても同じように好き勝手に生活をしている。
 煙草をもみ消すと、拗ねたようにまた寝転んだ土方を見て、カグヤは笑うと、彼の目の前にポンと箱を置いた。
「何だコレ」
「誕生日おめでとう。あげる」
 驚いたように顔を上げた土方は、カグヤの置いた箱を手にとると起き上がり、それに視線を落とした。時計を確認すると日付が変わっており、自分の誕生日になったのだと言う事を今更ながら理解し、恥ずかしそうに顔を赤らめた。自分の誕生日にワザワザ彼女を結果的に訪ねたのが、催促した様で恥ずかしかったのだ。
「本当はマヨネーズ一箱とかにしようと思ったんだけど、重くって。それで我慢して」
 他人事のように呟いたカグヤにちらりと視線を送ると、土方は手元の箱を開ける。
「……柏餅って……」
「美味しいわよ。お茶入れようか?」
「誕生日に柏餅とか意味わかんねぇんだけど」
「店頭に一杯並んでたから」
 そう言って笑うと、カグヤは茶を淹れるために台所へ引っ込んで行った。唖然とした土方は柏餅の詰まった箱を卓に載せると、それをじっと凝視する。恐らくカグヤが贔屓にしている和菓子屋で買ったのであろう。こどもの日定番の菓子が店頭に沢山並ぶのは仕方がないが、誕生日プレゼントだと渡されたのは初めてだった。
 茶を淹れて戻ってきたカグヤを見上げて、土方は口を開く。
「コレも毎年バレンタイン同様一応準備はしてたとか?」
「そーね。でも去年までは兄さんに誕生日に会えてなかったから、銀さんが食べてたわねぇ。そういえば今年は屯所でお誕生日会しないの?」
 毎年銀時の腹に入っているといわれるとムッとした土方は僅かに眉間に皺を寄せた。
「誕生会は知らねぇよ。帰ったら準備してっかもしれねぇけど」
 そう言いながら土方は柏餅を一つ口にいれる。控えめな甘さで嫌いではない。食べているのを眺めているカグヤに、土方は一つ、柏餅を渡す。
「いいの?」
「構わねぇよ」
「プレゼントもさ。色々考えたんだけど、兄さんの場合あんま形に残らない方が良いんじゃないかと思ってさ」
「何で?」
「邪魔でしょ?一杯誰かしらから貰うだろうし」
 カグヤの言葉に、土方は驚いたような顔をすると柏餅に視線を落とす。
「……邪魔ねぇ。手前ェがそう思うのか?」
「死ぬ時はあんまり物がない方が後の人片付けやすいとは思うけどね」
 カグヤの言葉に土方は弾かれたように顔を上げて彼女の顔を見る。すると、土方が何故そんなに驚いたのか理解出来ず、カグヤは怪訝そうな顔をした。
「どーしたのさ」
「人の誕生日に縁起でもねぇ事言うな」
 思わずそう零したのは、あの辻斬りの夢を見たからであろう。人は死ぬ。絶対に。それが早いか遅いかだけの問題であるというのは、土方も理解しているが、彼女が余り生きるという事に執着しない物言いをするのがどうしても気に入らない。死んだ人間との約束は重いのに、己の命に対して希薄な傾向があるとぼんやり感じていた。寧ろ、その死んだ人間との約束だけが、彼女を繋ぎ止めているのではないかという錯覚にさえ陥る。
「別に今すぐどうこうって話じゃないわよ」
 呆れたように言葉を返すカグヤを見て、土方は強く言い過ぎたと感じ、悪ィと素直に詫びる。するとカグヤは困ったように笑う。
「晋兄が莫迦やってる間はおちおち死ねないわよ」
「それもなんかムカつく。つーか、いい加減高杉と縁切れよ。甘やかし過ぎなんだ」
 そういうと、土方はまたごろりと横になり、ボソリと言葉を零した。
「何か欲しいものあるか?」
「お酒」
「何か形に残るもん」
 そう云われ、カグヤは瞳を丸くすると土方の顔をのぞき込む。はらりと垂れた彼女の髪をそっと掴むと、土方はそれを軽く引っ張った。
「どうしたの急に」
「……生きてるの面倒か?」
 神妙な顔をして土方が言うので、カグヤは少しだけ驚いたような顔をすると口を開く。
「面倒よ。だからいつ死んでも悔いがないように、好き勝手に生きてるの」
 ポジティブなのかネガティブなのか分からない返答に、土方は顔を顰めると、再度髪を引っ張る。それをカグヤが嫌がることなくされるがままにしているのを見ると、土方は手を漸く放し、彼女の膝に手を乗せる。
「俺との約束も忘れんなよ」
「どーしたのさ。今日は偉く心配性ね」
 そう云われ、土方は少し迷ったが、口を開く。
「辻斬りの夢見た」
「紅桜の?」
「あぁ」
 首を傾げたカグヤは、己の膝に乗せられた土方の手に己の手を乗せると困ったように笑う。それに何の関係があるのか理解できなかったのだ。
「……あん時結局江戸は無事だったけど、手前ェは危険があるって分かってて江戸に残った」
 死んでも良いと思ったのか、自分だけ逃げるのが厭だったのかは土方には分からない。けれど今考えると前者の様な気がして仕方がなく、それが彼には不快でたまらなかった。
「莫迦ねぇ。江戸を守るのがお仕事の人がいるんだから、それを信頼したのよ」
 その言葉に土方は驚いたような顔をしてカグヤを見上げる。すると彼女は瞳を細めて笑い、更に言葉を続けた。
「まぁ、結局守ったのは別の誰かなんだけどね」
 痛いところをつかれて、土方は思わず顔を顰める。後手後手に回った無様な仕事。自分達の不手際であるのにも関わらず、思わずムッとした土方は、また彼女の髪を軽く引っ張る。するとカグヤは可笑しそうに口元を歪めて言葉を零す。
「どうでもいいけどさ。そうやって人の髪引っ張るの流行ってんの?」
「知らねぇ」
「晋兄も好きでするのよ」
 そう云われ、土方は顔を赤くしてぱっと手を放す。高杉と同じだと云われたのも不快であったし、無意識に彼女の髪を触るのも指摘されると急に恥ずかしくなったのだ。丁度掴みやすい所に髪が垂れてくるのだからしょうがないと自分に言い聞かせながら、土方は拗ねたようにカグヤを背にごろりと転がる。
「今度髪留め買ってやる」
「……そりゃ有難いけど何で?」
「高杉に会う時はつけとけ」
 そう言ったっきり黙った土方の背中を見て、カグヤは思わず咽喉で笑うと、三味線を膝に抱いて静かに曲を奏でた。


映画紅桜編公開記念
時系列が紅桜は愛及屋烏の辺りなんで、回想っぽい作りにしました
20100501 ハスマキ

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