*一生そんな日は来ないかもしれない*

 江戸の町にそびえるターミナル。天人に開国を迫られた後に、国が変わったと言う象徴でもある。そのターミナルのロビーで眉間に皺を寄せる土方を見た近藤は、苦笑して、そんな顔するなよ言葉を放った。すると、土方は少しだけ驚いた様な顔をして肩を竦めた。
「いや。前のエイリアンの時みてぇに立ち入り禁止に出来りゃぁと思っただけだ」
 攘夷志士によるテロ予告。その為に真選組は借り出され、総出で爆発物の点検や不審者の取り締まりを行っているのだ。世の中バレンタイン等と浮かれている中、非常に地味で面倒な仕事である。
「アレは明らかに危険があったからなぁ。でも今回は予告があっただけだから、ターミナルの閉鎖は許可されなかったし。皆には申し訳ないと思ってる」
 詫びる近藤に、土方は、アンタが悪い訳ではないと言うと、また眉間に皺を寄せた。幕府にターミナルの閉鎖を依頼したが上は許可しなかった。恐らく幕府の中枢に食い込んでいる天人が、交易拠点となっているターミナルが稼働しないのを良しとしなかったのだろう。閉鎖時の損益ばかりを考え、安全面は全面的に真選組に丸投げしてきたのだ。損な役回りだと自覚しているだけに、他の隊士には申し訳ないが、これも仕事だと割り切ってもらうしかない。
 朝からターミナルに張り付き、何人か攘夷志士を引っ張りはしたが、爆発物等は出ていないし、予告を出した攘夷志士のグループの捕縛には至っていない。監察の調べた彼等の拠点にも人を割いているが、そちら側の報告はまだ上がってきていない。無為に時間を過ごしているようで苛立つ土方を見て近藤は少しだけ困った様な顔をすると、軽く肩を叩いて、煙草でも吸ってこい、と笑った。
 最近の公共施設は禁煙の場所も多く、ターミナルも既定の場所以外では喫煙は認められていない。ヘビースモーカーである土方がイライラするのはその所為もあるのだろうと近藤が気を使ったのだ。
 少し土方は驚いた様な顔をしたが、一緒にいた原田も同じ様に促すので言葉に甘える事にした。
 ターミナルの案内図を見上げた土方は、数か所ある喫煙所の中で、一番近い場所を頭に入れると、そこに向って歩き出す。すると、偶然山崎の姿を見つけたので土方が声をかけようとするが、思わず足を止める。
「何で」
 ここにいるんだ、と言う言葉を飲み込んだのは、向こうが先に土方に気がついたからだ。
「おやまぁ。兄さん」
 カグヤの声に山崎は驚いた様な顔をすると、土方の方を向く。仕事をさぼっている所を見られてばつが悪いのか、少々表情は硬い。傍に寄って来た土方は、俺も休憩中だ、と短く言うと、山崎は漸く安心したような顔をした。
「……旅行にでも行くのか?」
 土方の言葉にカグヤは瞳を細めると首を小さく振った。
「知り合いの見送りよ」
 どうしてこのタイミングなんだと思った土方は僅かに眉を寄せると、そうか、と短く返事をした。今回は鬼兵隊の予告ではなかったとはいえ、正月から立て続けである。混乱を避ける為に一般の人間にテロ予告の事は伏せられているので、ここでカグヤにその話をする訳にはいかない土方は、それっきり口を閉ざす。その様子を見て、カグヤは困った様に笑うと、口を開いた。
「見送り終わったらさっさと帰るわよ。燃料補給と荷積みに寄っただけみたいだし、そんなに滞在しないって言ってたから」
 その言葉に土方は思わず山崎の顔を見るが、彼は慌てて首を振る。どうやら山崎がテロ予告の事を漏らした訳ではないらしい。その様子を見たカグヤは肩を竦めると笑った。
「さっき局長さんの姿も見たし、なんか仕事あってここにいるんでしょ?ザキさんや兄さんに聞かなくてもそれ位解るわよ」
 山崎に会った程度ならば偶然で済むが、真選組の筆頭である近藤と、副長である土方までいるとなると、事情を知らないカグヤでも何となく察する事が出来たのであろう。武装警察が揃いも揃ってターミナルにいるのだ。
「……なんか入港もチェック厳しくて遅れてるって言ってたしね。まぁ、仕事頑張んなさい」
 そう言うと、カグヤは手を振ってその場を後にした。それを見送ると、土方は小さく舌打ちをして山崎の方へ視線を送った。すると、山崎は、煙草ですか?と短く聞く。
「あぁ」
「俺も休憩なんで一緒に行っていいですか?」
 山崎の言葉に土方は少しだけ驚いた様な顔をするが、拒絶することなく、勝手にしろと言い喫煙場所へ向かって歩き出した。

 喫煙場所で土方が煙草に火をつけると、山崎は設置されている自動販売機で珈琲を二つ買い、一つを土方に渡す。
「悪ぃ」
「いえ。こちらこそ済みません。先生がここに来るの知ってたんですけど」
 その言葉に僅かに土方が眉を寄せたので、山崎は困った様に笑った。
「今日は俺、本当は休みだったじゃないですか。で、急な呼び出しでこっち来たんですけど、午前中に三味線の稽古してたんで、先生がターミナルに来るってのは知ってたんです。もう少し早く例の話聞いてれば止めたんですけど」
 恐らく稽古が終わった所で呼び出されたのだろう。そう察した土方は仕方ないと思い、表情を緩める。
「仕方ねぇよ。こっちもバタバタしてたしな。休み組への呼び出しは一番最後だった」
 ターミナルの閉鎖依頼が却下されたのが昨晩遅くであった事もあり、後手後手に回っている。山崎はどうしても足りない人員を集める為に急遽休みを返上させた隊士の中の一人だったのだろう。
「気になって先生いないかちょっと仕事ついでに探してたんですけどね。察してくれたみたいで良かったです」
 安心した様な顔をした山崎を見て、土方はため息をつくと、仕事終わってから安心しやがれ、と小声で呟く。
「そうですね」
 珈琲を飲み干すと山崎は、仕事に戻りますと言い、ごみを捨て喫煙場所を出る。それを見送った土方は、煙草を揉み消すと、手元の珈琲に視線を落とした。

 

 近藤と合流した土方は、すまねぇと短く言葉を放つ。すると、近藤は瞳を細めて笑った。
「いや。少しは落ち着いたか?」
「ああ」
 心配事は増えたけどな、と心の中で呟き、土方は隊士から上がってくる報告をチェックする。爆発物は今の所発見されておらず、今の所チェックが終わっていないのは発着ドックだけとなっている。ただ、ここに関しては24時間稼働の為に、少しずつ発着場所を調正して貰って、一つずつ確認すると言う面倒な作業になっている。カグヤの知り合いの船の発着が遅れているのはこの所為であろう。
「今の所13番迄チェック済みか」
 言葉を零した土方に原田は頷くと、一気にやった方が効率良いんですがね、と困った様に笑った。全て発着不可にすれば話は早いが、結局2か所ずつしか止められず、他のドックへの振り替えの所為でダイヤも乱れてきている。苦情にならない程度に必死でターミナルの方も調整しているのだろうが、お互いにギリギリの線で妥協したと言う所もあり、文句ばかり言っていられない。
 そんな事を考えていると、連絡用無線に緊急コールが入る。
「どうした」
『16番ゲート付近で予告グループの攘夷志士を発見しました!』
「取り押さえろ」
『はい!』
 同じ無線を聞いていた近藤と原田も、慌ててターミナルの地図に視線を落としてドックの位置を確認する。
『2名、逃走しました。確保は3名!』
「さっさとそっち追え!」
 土方が怒鳴りつけると、無線の向こうからは委縮した返事が返ってくる。
「確保した面子は原田、頼んでいいか?」
「了解しました」
「よし、それじゃ俺はトシと逃げた方追うか」
「頼む」
 地図を折りたたみ近藤が大急ぎで走り出したので、土方もその後についてゆく。すると、後ろから山崎が追いつき、土方と近藤に走りながら手に持っていた写真を2枚渡した。
「逃げたのはこの2名です。武器は拳銃と刀が確認されてます」
 恐らく捕縛された3人の顔を確認して、他の隊士の証言を元にこの2人を弾きだしたのだろう。顔を見た人間ならともかく、見ていない人間にこの写真は有難い。近藤と土方がに、顔を覚えた事を確認すると、山崎は写真を合流した他の隊士に回してゆく。
「よーし。写真確認した人間は3名以上のチームで探すように!見つけ次第捕縛・報告」
「はい」
 近藤の言葉に隊士は返事をし、それぞれ散って行く。
「山崎はトシと一緒に俺と来て」
「了解しました」
 写真をしまうと、山崎は近藤の言葉に返事をして走り出した。

 

 ドックへ降りる階段を軽やかな足取りで下るカグヤは、視線の先に目当ての人間を見つけて声を上げる。
「辰さん」
「久しぶりじゃなカグヤ」
 それまで隣にいる陸奥と話をしていた坂本辰馬はカグヤの姿を見つけて手を大きく振った。陸奥もカグヤの姿に気がついたのか、小さく会釈をすると、辰馬から書類を受け取り彼をカグヤの所へと促す。
「すまん」
 ヘラっと笑った坂本はカグヤの所へ歩み寄ろうとするが、直ぐに大声を上げた。
「カグヤ!後ろ!」
「え?」
 声に驚いたカグヤが振り返ると、そこには二人組の男がおり、カグヤに拳銃を突きつける。
「悪いね姉ちゃん。ちぃとばっかし付き合ってくれ」
 しまったと思った時には遅く、カグヤは思わず心の中で舌打ちをする。気が緩み過ぎていたと。異変に気がついた船の乗組員がざわつくと、男達は声を上げる。
「その船に乗せて貰おうか」
「……おんしら何者だ」
「攘夷志士だ。真選組に追われててな。ちぃとばっかし高飛びに付き合って貰おうか」
 坂本の言葉に返答した男達は、カグヤを抱えたまま階段を下りる。
「仕事は続けや」
 乗組員に向けた陸奥の言葉に男が、動くなと怒鳴るが、彼女は呆れた様な顔をして彼等に視線を送ると口を開いた。
「高飛びしようにもおんしらの所為で入港も遅れて燃料も空けんど、かまわんかえ?」
 荷降ろし、荷積みどころか、燃料の補給も終わっていないと言う陸奥に男は舌打ちするが、仕事を続ける事を渋々許可する。燃料なしでは彼女の言うとおり何ともならない。そんな中、漸く事態に気がついた真選組がドック入口で足を止めた。
「え!?何?人質!?」
 声を上げた近藤に男達は動くな!と再度真選組に向けて警告するとカグヤのこめかみに拳銃を押しあてる。真っ青な顔をした山崎は、カグヤの方を見て思わず拳を握りしめた。
「一般人が人質だと真選組も動けねぇよな」
 咽喉で笑った一人の男に不快そうな顔を土方は向けると、無線を使い小声でこのドックの閉鎖を指示する。幸い攘夷志士たちは離れていたので気がつかなかったのだろう、彼等はカグヤを抱えたまま、真選組と快援隊の人間を威嚇している。
「山崎。ここの爆発物のチェックは終わってたな」
「はい。とりあえず飛び込んだ場所がここだっただけだと思います」
 土方の言葉に山崎が返答すると、彼は舌打ちした。無理矢理抑え込む事も考えたが、特殊な器具の多いこの場所で発砲されれば他のトラブルが起こる可能性もあるし、人質もいる。近藤も判断しかねているのだろう、攘夷志士達に視線を送ったまま動けないでいた。
「……え?もしかして私も船に乗るの?」
 声を上げたカグヤに男達は、宇宙旅行と行こうぜとニヤニヤと笑いを浮かべて返答した。冗談じゃないと心の中で悪態をついたカグヤは、視線を坂本と陸奥に向ける。すると、彼等は何か小声で打ち合わせをしているようで、書類に目を落としたままだった陸奥が、乗り組み員に何か指示を出した。それに気がついたカグヤは、とりあえず大人しくしている事にした。一人位なら何とかなるかもしれないが、二人となると荷が重い。
「もう少しかかるき。茶でも飲んで待っていや」
 陸奥の言葉に男達は僅かに思案した様子を見せた。真選組に追いまわされて咽喉が渇いていたのは事実であるが、警戒するに越した事はない。盆に茶を乗せた乗組員の姿を視界の端に捕える。
「女。お前が持ってこい」
「仕事の指示を出すわしが人質にされたらかなわんき」
 あっさりと提案を却下した陸奥に男達は驚いた顔をするが、陸奥は無視をしてそのまま仕事の指示に戻る。残ったのは茶を持ってきた雑用っぽい乗組員と、赤いコートを着た頭の弱そうな坂本。どちらを指名するか悩んだが、坂本より体格的にひ弱そうな乗組員の方を選ぶと、カグヤを抱えていない方の男は、拳銃を乗組員に向けて、余計な事をするなよと念を押して茶を持ってこさせる。
 乗組員は心配そうな顔をしたが、坂本が小さく背中を押したので、恐る恐る男達の方へ歩いてゆく。
 片手で盆を受け取った男は、乗組員の離れて行ったのを確認すると、お茶に視線を落とす。
「姉ちゃん」
「何よ」
「お前が最初に口付けろ」
「はぁ?」
「念には念を押してだ」
 薬物の警戒をしたのだろう。その言葉にカグヤは坂本と、真選組に視線を走らせ、小さく解ったわよと呟いた。真選組は隊士が大分集まってきているが、恐らく動く事は出来ないだろう。
「どっち?」
 二つ乗せられたコップへ視線を落としカグヤが問うと、男は両方だ、と言い拳銃を突きつける。
「そんじゃ、とりあえずこっちから」
 無造作に選んだコップに口をつけたカグヤの様子を伺っていた男は、突然彼女が口に含んだお茶を吐き出したので驚いて、声を上げる。
「お前等何か入れたな!」
 意識が坂本達に向いた瞬間、カグヤは己を拘束していた男の腕が緩んだのを確認し、するりと抜け出すと、その男の拳銃を持っている手を勢いよく蹴りあげた。
「なっ!お前!」
 慌てて拳銃を拾いに行こうとする男の背後に素早く回ったカグヤは、いつも持ち歩いている予備の三味線糸を男の首に巻き付け、締め上げると耳元で小さく囁く。
「悪いけどアンタ達と違って天人の首落としてたの大昔でね。加減、間違っちゃったらごめんね」
 囁かれた言葉と、首を締めあげられる恐怖で男はその場にへたり込む。
「テメェ!」
 もう一人の男が拳銃をカグヤに向けるが、その拳銃は突然目の前に現れた男の手によって床に落とされた。
 翻した赤いコートがまた元の様に落ち着くより早く、坂本は目の前の男の額に拳銃を押しあて、瞳を細めて笑った。
「相手が悪かったのぅ」
「なっ……」
 ほんの一瞬意識を人質に向けただけで間合いは詰められ、立場が逆転した事に男は声をまともに上げられず、坂本を凝視した。すると、坂本は、ずれたサングラスを押し上げてにんまり笑った。
「こっちたらぁ、商売命がけじゃからのぅ。おんしらみたいなのの扱いは慣れとるきに」
 唖然としたのは攘夷志士達もであろうが、真選組も同じであった。茶を人質が吐き出してから一分も経っていない大活劇。一番に我に返った土方が声を上げ、漸く真選組は短い呪縛から解き放たれた。
「捕縛!」
 一気にデッキに雪崩れ込んできた真選組に攘夷志士が取り押さえられると、カグヤは表情一つ変えず変えずに立ち上がった。
「先生。大丈夫でしたか?」
 駆け寄った山崎が小声で聞くと、カグヤは不服そうな顔をして声を上げた。
「着物が濡れたわ」
「いえ。あの、お茶に何か入ってたんじゃ……」
「何も入れとらん。ちいとばかし熱めの茶じゃったがの」
 カグヤの元へ来た陸奥の言葉に山崎は驚いた様な顔をすると、え?と間抜けな声を上げる。
「そーね。まぁ、いいわよ。着物位」
 笑ったカグヤに陸奥は申し訳なさそうに詫びる。そこに漸くほてほてと坂本がやってきて、カグヤの濡れた着物に視線を落とす。
「今度新しいのプレゼントするからのぅ。勘弁な、カグヤ」
「ありがと。楽しみにしてる」
 瞳を細めた笑ったカグヤを見て、山崎はほっとしたような顔をした。無事で何よりであるし、時間はかかったが、犯人はすべて捕縛出来た。
「救急箱だしちょくれ」
 坂本の言葉に乗組員が走り出したので、カグヤは一言、大した事ないわよと言葉を放った。それに驚いた山崎が再度カグヤの方を見ると、彼女の手から血が流れいているの気が付き、慌てて彼女の手を取る。
「コレ!?どうしたんですか先生」
 その言葉にカグヤは困った様に微笑んだが、坂本が受け取った救急箱から消毒液を出して、ほれ、と促したので、彼女は渋々手を開く。
「手袋もせんと無茶しおるからじゃ」
「無茶言わないでよ。刀もなしでどーしろっての」
 そこで山崎は、カグヤが三味線糸で攘夷志士の動きを止めたのを思い出し、彼女の傷に視線を落とした。確かに大したことはないだろうが、滲む血が痛々しい。恐らく締め上げた時に三味線糸で手が切れたのだろう。
「そんなに心配そうな顔しないの。三味線弾く分には問題ないし、商売に困る訳じゃないわよ」
 山崎に向ってカグヤがそう言ったので、彼は小さく頷くが表情は晴れない。恐らく自分達の不手際で怪我をさせたのが申し訳ないのだろう。
 手早く手当てを終えた坂本が、満足そうに笑った時に、背後から声がかかって彼等は振り返った。
「ご協力感謝します。あの、申し訳ないんですが、書類だけ作らにゃならんので、もう少し協力願えますか?」
 土方と共にやって来た近藤が詫びてそう言うと、陸奥は小さく頷く。
「えっと、この船の責任者は……」
「頭はこっちじゃけ。けど、頭に書類なんぞ小難しい事やらせたら日が暮れるきに、わしが代りでもかまわんが?」
 近藤の問いに陸奥が返答すると、坂本はあっはっは、と乾いた笑いを上げ、最後に小さく呟く。
「……泣いても良い?」
「折角見送りに来てくれたカグヤの相手しながら好きなだけやりや」
 さらっと言い放つ陸奥は、近藤に案内されて書類を作る隊士の所へ向かう。それを見送った後、土方は坂本に対して視線を送り、口を開いた。
「一つだけいいか」
「なんぞ」
「船内はともかく、ドッグ内に梱包されていない武器の持ち込みは基本的に禁止だ。許可は得てるのか」
 先程攘夷志士へつき付けた拳銃の事を言っているのだろう。その言葉に山崎は驚いた様な顔をすると、心配そうに坂本に視線を送る。すると、坂本は懐から先程使用した拳銃を取り出し、土方に素早く向けると引き金を引いた。
 驚いた土方が思わず拳銃を抑えつけようと坂本の方へ手を伸ばすが、その手はぐっしょりと水で濡れる。
「水鉄砲?」
 山崎が呟くと、坂本はにんまり笑って、頷く。
「威嚇用ちゃ」
 濡れた己の手を見た土方は思わず笑い出す。まんまと攘夷志士も、真選組も騙された訳だと。
「すまなかった」
 詫びる土方に坂本は瞳を細めて笑った。

 後始末と、本来の作業で慌ただしいドックの中で、土方は小声で近藤に煙草を吸いに行く許可を貰いに行く。
「ああ、かまわんよ。後は事務的な手続きだけだし」
 快く許可を出した近藤に礼を言うと、土方はドックから出て喫煙場所へ向かう。
 煙草に火をつけて、煙を肺に入れると、土方は漸く緊張を解く。最悪の事態は避けられたし、ターミナルもダイヤの乱れ程度で済んだ。少なくとも上から文句をつけられる事はないだろう。そう考えると安堵する。
 ただ、攘夷志士の一部を取り逃がし、人質を取られた事は失態であるし、それを解決したのは真選組ではない。それに関しては反省すべき所であるし、今後改善すべき問題点である。武装警察と呼ばれ、ある程度の自由は効くが、市民と幕府と板挟みの組織である事が足かせとなっているのは事実であるが、それでも何とかやって行かねば組織としての値打ちがない。頭の痛い問題だとぼんやり考えながら、煙草から上がる紫煙をぼんやりと眺めた。
 今回は運が良かっただけだと土方は思っていた。もしも人質に取られていたのが別に人間であったら、乗り込まれたドックが、自力で武装し商売をしている快援隊ではなく一般旅客機のドックであったならもっと事態は大きくなっていただろう。
「……坂本辰馬か」
 書類に書かれた名前を見なくても、あの赤コートの男が元攘夷志士である事には気がついていた。カグヤを置いて宇宙へ行った男。ぱっと見は緩そうだが、あの攘夷志士への対応を見れば、十分過ぎるほど経験を積んでいるのも解るし、何より、カグヤが酒の席で良く彼の口調を真似ていたのが思った以上に似ていたのだ。独特の訛りと笑い方。
「情けねぇな」
 市民を守るのが真選組の務めだと言うのに、結局何も出来ず、彼等に頼る羽目になったのを恥じた土方は、思わず煙草のフィルターを噛みしめた。

 喫煙所から出て来た土方は、丁度ターミナルに設置されたゴミ箱の前にカグヤが立っているのに気が付き、思わず声をかけた。すると彼女は手に持っていた箱を捨てるのをやめて土方の方を見る。
「それ、捨てんのか?」
 思わずそう聞いたのは、その小箱が明らかに丁寧に梱包されたものであったからだ。すると、カグヤは困った様に笑って小箱に視線を落とした。
「お茶零して、不格好になったから渡すの止めたの」
 よく見ると、その小箱の包装は一部ふやけて、少々歪んで見える。土方はその返答に土方は瞳を細めると小声で呟いた。
「何入ってんだ?包装位構わねぇだろう。中身無事なら」
「中身チョコだし、お茶も熱かったから無事かは解んないわ」
 暫くカグヤの返答を聞いて黙っていた土方であったが、漸く答えに行きついて、言葉を放った。
「そんじゃ俺にくれ。捨てるんだったら良いだろ」
 土方の言葉に、カグヤは驚いた様な顔をすると、咽喉で笑った。
「変形してるわよ、多分」
「食えりゃいい。疲れてるから甘いもの欲しいんだよ」
 その言葉にカグヤは笑うと、土方に小箱を渡す。己の手に収まった小箱に視線を落とした土方は、僅かに瞳を細めると、思い出したように顔を上げた。
「帰るのか?」
「そーよ。あんまり長居して仕事の邪魔になるのも悪いしね。元々入港の加減で時間押してたみたいだし」
「あんま気にする様な連中に見えなかったけどな」
「マイペースで面白い人達でしょ?」
 カグヤはそう言い笑うと、兄さんもお仕事頑張ってねと言いそのまま歩き出した。それを見送った土方は、小箱を持ってまたドックへ戻ろうとする。
「またいかんか」
 ドックへあと少しと言う所に設置された自動販売機の前で声を上げた男を見て、土方は足を止めた。坂本である事は、直ぐに赤いコートのお陰で認識でる。何度も金を投入しているが、巧く認識されないのか吐き出されているのに気がついた土方は、財布から小銭を出すと、坂本の横から金を投入する。
「どれにすんだ?」
 驚いた様な顔を一瞬したが、坂本は人懐っこい笑顔を土方に向けると、商品のボタンを押す。
「助かった。カグヤにツケといてくれ」
 その言葉に土方が驚いた様な顔をすると、坂本は少し怪訝そうな顔をして、珈琲に口をつける。
「何で俺がアイツの知り合いだって思ったんだ」
 山崎は確かに小声だったとはいえカグヤの事をあの場で先生と呼んだ。だから知り合いだと認識できてもおかしくはないが、自分は彼女に一切ドックでは声をかけなかったのだ。
「カグヤの飲み友達の多串君じゃろ?おんし」
「誰が多串だ!土方だ!土方!手前ぇ等、揃いも揃って何で多串君なんだ。そんな奴が仲間にいたのかよ!」
 思わす突っ込む土方を見て、坂本は瞳を細めて笑った。
「金時からもカグヤに真選組の飲み友達おるって聞いちょったからのぅ。瞳孔開きっぱなしで、ヘビースモーカーの。あてはまるのはおんし位やか」
 喫煙所から戻った所なので煙草の匂いがしたのだろうか。揃いも揃って鼻が効く、と高杉の事を思い浮かべながら、そーか、と返答する。しかしながら、万事屋や高杉はともかく、目の前の男は、友人である筈の万事屋の名前まで間違えて認識している。天然なのかもしれないと思いながら、土方は小さくため息をつくと、思い出したように手に持った小箱を坂本に差し出した。
「なんぞ」
「三味線屋からだ。捨てようとしてたから俺が引き取ったんだが、本来受け取るべきなのはアンタだ」
 暫く黙って小箱を眺めていた坂本だったが、口元を緩めると、カグヤらしいと笑ってそれを素直に受け取った。
「大方、箱が不格好になったからとかゆうて渡すのやめたんじゃろう。気にしのうてもえいがに」
 嬉しそうに箱を眺める姿を見て、土方は困った様に笑う。本来彼女は捨てるつもりだったのをこうやって渡すのは本当は良い事なのかは解らない。細かい事に拘るのはカグヤの方で、この男はその辺りは気にしない大らかな人間だと勝手に判断しての事であるが、受け取った事に安心した。
「カグヤは相変わらずイイ女じゃのぅ」
「……だったら連れて行きゃ良かったんだ。宇宙に」
 思わず口から出た言葉に土方はしまったと言う顔をしたが、それを聞いた坂本は、あっはっはと笑い、言葉を続けた。
「宇宙は危険じゃからのぅ」
 その言葉を聞いて、土方はカグヤの口真似が本当に似ていると思い思わず呆れた様な顔をした。その表情を見て、坂本はにんまり笑うと、更に言葉を続けた。
「宇宙へもし連れていっとったら、カグヤはおんしとは出会わなかった。それでもそうゆぅのか?」
 返答に窮した土方を見て、坂本は咽喉で笑うと、正直じゃのぅと言い、空き缶をゴミ箱へ投げ捨てた。
「連れていけんよ。この先……そうじゃな、そんな日は一生来んかもしれんが、もしもカグヤが髪を短くして、まだ宇宙に行きたいってワシに言うんじゃったら連れていくかもしれんがの」
 坂本の言葉に土方は驚いた様な顔をした。坂本の言葉の意図が解らなかったのだ。長い黒髪のカグヤ。何故宇宙に連れて行くのにそれを切らねばならないのか。困惑した様子の土方を見て、坂本はあっはっはと笑うと、更に言葉を続けた。
「ワシは髪の短い女の方が好みじゃけん」
「それやっぱり返せ。ふざけんなよ手前ェ!」
 ギリギリ坂本の首をひっつかんで締め上げる土方に、坂本はまた独特の笑いを向けて、瞳を細めた。
 刹那。
 立場は逆転し、今度は土方が刀を咽喉元に付き付けられる。
 それが己の刀だと気がついた時には既に遅く、土方は嘗て高杉に刀を突き付けられた事を唐突に思い出し、不快感を表情に滲ませた。相手の腰の刀を気づかれずに引きぬく等、早々に出来る芸当ではない。外見や言動の緩さに騙されて、隙を突かれたと、土方は苦々しく思う。
「そんなにカッカしちょったら、高杉に出し抜かれるぜよ。アイツはカグヤに関しちゃぁ、手段選ばんき」
 そんな事言われなくても解っている、と言いかけた土方の言葉は、その場に血相を変えて現れた山崎の言葉にかき消された。
「ちょっとぉぉぉぉ!何してるんですか!」
 陸奥と共に現れた山崎が慌てて間に割って入ると、坂本は緩んだ笑顔を向けて素直に詫び、刀を土方の鞘に素早く収める。
「頭。余計な事しちょらんと働け」
 陸奥に睨まれ、肩を竦めた坂本はまたぼさぼさの頭をかきながら、すまんすまん、としかめっ面の陸奥に詫び土方と山崎に視線を向けた。訳の解らない山崎と、坂本に対して複雑な表情を見せる土方。
「あ、そう言えば副長。先生みませんでしたか?」
 微妙な空気の中、話題を変えるかのように山崎が口を開いたので、土方は、帰った、と短く返答をする。すると、山崎は困った様な顔をし、更に言葉を続けた。
「え?書類にまだサイン貰ってないのに!」
 山崎が手に持っている書類は、恐らく目の前の陸奥と言う女が隊士と作った物なのだろう。当事者の一人であるカグヤのサインが必要なのは土方も承知しており、山崎から受け取った書類に視線を落として、ため息をつく。
「しゃーねーな。俺がこの後サイン貰っとく。どーせ後は俺と近藤さんの判子だろ?」
 上に出す為にカグヤの次には自分の所に来る書類だと土方は言い、山崎の残った仕事を引き受ける事にした。その間陸奥と坂本は何やら小声で話しているようだったが、山崎達の話が終わったのを確認すると、陸奥が口を開いた。
「わしらの仕事も終わったき、そろそろこっちも出港準備させて貰う」
「はい。色々とありがとうございました」
 愛想のいい笑顔を浮かべる山崎とは逆に、渋い顔のままの土方を見て坂本は苦笑すると、陸奥に促されるままドックへと戻る事にした。
 チラリと坂本へ視線を向けた陸奥は、小さくため息をつくと、小声で言葉を放つ。
「……カグヤの髪が長い理由を奴に教えんでよかったが?」
「カグヤが話してないちゅー事は、ワシから話す事でもないじゃろ。まぁ、そのうち気がつくじゃろ、アイツなら」
 良い友達がカグヤにも出来たと思った坂本は嬉しそうに顔を綻ばせると、受け取った小箱に視線を落とす。どうせ他から貰えないだろうからと、毎年準備されているこのプレゼントは当日限定で配られるカグヤの優しさ。だからいつもこの時期に態々地球へ来るのだ。
 別れた時と同じ様にカグヤは今も変わらず優しく誇り高い。だから安心して置いて行ける。そう思った坂本は僅かに瞳を細めて口元を緩めた。

 

 車から降りた土方は、窓から顔を出す近藤に礼を言う。
「待ってようか?」
「いや、歩いて屯所まで帰れる距離だからな。アンタはさっさと帰って仕事片付けろ」
 土方の言葉に近藤が申し訳なさそうに笑った。急なターミナルでの仕事のお陰で、処理すべき書類が溜まってしまっていたのだ。自分を降ろした車を見送ると、土方は、目の前にぶら下がる【迦具夜姫】と書かれた看板に視線を向けた。正面玄関のチャイムを押そうとしたが、どうせまた勧誘の類だと無視されるだろうと、土方は勝手口の方へ回る。
 取っ手に手をかけると、施錠がされていなかったので、家にいるのだろうと安心し、開いた手でチャイムを一度鳴らすと、そのまま勝手口を開けた。
 すると、カグヤが少し驚いた様な顔をして座敷から出て来た。
「おやまぁ。どーしたの兄さん」
「書類にサインくれ」
 土方から受け取った書類に視線を落としたカグヤは、あぁ、と短く声を上げて納得したような顔をした。
「とりあえず上がって。目は通しておいた方が良いんでしょ?」
「ちゃんと読んどけよ。後で保険請求やらなんやらの時に使う書類だからな」
 座敷にそのまま向ったカグヤに土方が声をかけると、彼女はおかしそうに笑った。
「快援隊の面子はともかく、私は請求する事なんかないんだけどね」
「……茶はこっちで勝手に入れる」
「はいはい。私の分も入れてね」
 怪我の件は知っていたが、山崎の話では病院にかかるほどのものでもないと言っていたので、確かにあの書類をメインに使うのは快援隊の面子であろう。物騒なご時世でテロ保険等も人気であるし、元々商売をしている彼等はその辺はきっちりしてるようで、陸奥と言う女が隊士と随分しっかり話をして書類を作ったらしい。
 湯を沸かし、茶を入れて座敷に行くと、丁度カグヤが判を押している所だったので、土方は卓の隅に彼女の分の茶を置いた。
「手の怪我は?」
「ちょっと切っただけよ」
 さらりと流された土方は、彼女が書類を返却するのを待って、少し悩んで口を開いた。
「……あのチョコの件だけどよ」
「あぁ。辰さんから連絡あったわよ。兄さんから受け取ったって」
 驚いた様な顔をした土方に笑いかけると、カグヤは責める様子もなく穏やかな口調で返答した。それに土方は少しだけ安心したような顔をすると、煙草に火をつけて煙を吐き出した。
「おせっかいかとは思ったんだがな」
「変形もしてなかったみたいで良かったわ。大受けだったみたいでさ」
「はぁ?」
 咽喉で笑ったカグヤを見て、土方はぽかんとしたような顔をする。大受けの意味が解らなかったのだ。
「頑張って探した甲斐があったわぁ。おっぱいチョコ」
「ちょっと待てぇぇぇぇぇ!」
 思わぬ単語に土方が声を上げると、カグヤは驚いた様な顔をする。
「え?」
「あの中身そんなのだったのかよ!」
「そーよ。だから、不格好になったら値打ちないっていったじゃないの」
 不服そうな顔をするカグヤを見て、土方は思わずがっくり肩を落とす。ネタかよ、気を使った自分の立場がないと思ったのだろう、力が抜けた様な表情をカグヤに向けた。すると、彼女はおかしそうに口元を緩めて、立ち上がり部屋を出てゆく。
 首を傾げた土方であったが、直ぐに戻って来たカグヤの手に小箱があったので驚いた様な顔をした。
「はい。これは兄さんの分ね。ザキさんからバレンタインは外に出ないって聞いてたから今年も無駄になるかと思ったんだけど」
 受け取った土方は彼女の言葉に僅かに瞳を細め、口を開く。
「……そーいえば貰った事無かったな」
「飲み屋にも来ないじゃないのさ兄さん。まぁ、銀さんとかと違って私が渡さないと他から貰えないタイプでもないだろうから会わなかったらそのままだったんだけどさ」
 準備だけは毎年していたと聞いて、土方はばつの悪そうな顔をする。外を歩けば土方や沖田などにプレゼントを渡そうとする女が押しかけるので、バレンタイン当日などは殆ど外に出る事はないのだ。今回の様に緊急の仕事で外に出る事の方が稀である。
「これも赤コートに渡したのと同じか」
 呆れたように土方が言うが、カグヤは首を小さく振って笑った。
「まさか。普通のチョコよ。何で兄さんに受け狙わなきゃならないのさ」
「受け取っとく」
 小箱に視線を落したまま土方が素直に受け取ると、カグヤは僅かに口元を緩める。その様子を見て、土方は少し視線をそらすと、煙草の煙を吐き出した。
「手前ェの真似、似てたな」
 坂本の事を言っていると気がついたカグヤは、得意気な顔をすると、そーでしょ?と言い茶に口をつけた。その様子を横目で見ながら、土方は少し迷った結果口を開く。
「……手前ェが髪切って、そん時宇宙に行きたいって言ったら、連れてくだとよ」
 その言葉にカグヤは少しだけ驚いた様な顔をして、視線を湯呑に落とす。
「辰さんは髪短い女の方が好きだからねぇ。一生そんな日は来ないかもしれないけど、覚えとくわ」
 咽喉で笑った後にカグヤが放った言葉に土方は違和感を覚えて、煙草の煙を吐きながら彼女の表情を伺った。いつもと変わらない表情と口調。けれど、坂本とカグヤの言葉にはどこか違和感を感じる。
「髪短くねぇと船に乗せねぇとかルールでも……」
 言葉に出してそんな筈はないと土方は気が付き、言葉を止めた。陸奥と言う女は少なくとも髪が長かったし、そもそも船の責任者であろうが、そんな個人的な嗜好はが反映されるとも思えない。そして、多少の好みはあるだろうが、坂本はカグヤの事をイイ女だと言っていたし、話したのはほんの僅かだが、彼が外見で人を判断する様なタイプにも見えなかった。そもそも、そんなタイプにカグヤが入れ込む筈もない。そう思い、土方は違和感を払拭しようと、別の言葉を吐く。
「切ろうとは思わなかったのか?」
「髪?」
「知ってたんだろ?アイツが髪の短けぇ女好きなの」
 その言葉にカグヤは少しだけ困った様な顔をして笑った。
「昔っから女は髪が短い方が良いって言ってたけどねぇ」
 答えをはぐらかされたと思った土方は、僅かに眉を寄せると煙草を揉み消し、新しい煙草に火をつける。上がる紫煙をぼんやりと眺めながら、土方はぽつりと言葉を零した。
「……高杉か」
「ん?」
 小さな声が拾えなかったカグヤが聞き返すと、土方は我に返って、大した事言ってねぇよと苦笑する。到達するのはいつも同じ答えで、考えるのは無駄だと土方は考える事を放棄した。この世で彼女を縛るのは、死んだ師との約束と、高杉が忘れてしまったと言う約束だけだと。
「何か欲しいものあるか?」
「どーしたの急に」
「お返ししなきゃなんねぇだろ」
 突然話題を変えた土方にカグヤは笑いながら、ないわ、と短く返答した。
「こうやってチョコ配るのは、私が配った人達に、感謝の気持ちを配りたいからなの」
「感謝?」
 怪訝そうな顔をした土方にカグヤは鮮やかに微笑むと、更に言葉を続けた。
「出会ってくれて有難うってね。だから、別にお返しなんかどーでもいいの」
 その言葉に土方は困った様に笑うと、思いついたら言えよ、と短く言葉を放つ。七夕が彼女にとって、魂送りの行事である様に、バレンタインも彼女のルールで行われているのだろう。そう思った土方は、それ以上は何も言わずに、煙草の火を揉み消し書類を持って立ち上がる。
「帰んの?」
「ああ。この書類も上にあげなきゃなんねぇしな」
 勝手口まで見送るつもりなのか、彼女も立ち上がったので土方はその後についてゆく。手を伸ばし、長い髪に触れた土方にカグヤは振り返りもせずに声をかけた。
「どーしたの?」
「……邪魔じゃねぇのかと思っただけだ」
 髪から手を土方が放すと、カグヤは漸く振り返って、呆れた様な顔をする。
「兄さんも短い方が好みとか言いだすの?流行ってんの?」
「俺は手前ェなら、どっちでも構わねぇよ」
 大真面目な顔をしてそう言った土方を見て、カグヤは笑いながら返答した。
「中身がイイ女だしね」
「自分で言うか、普通」
 土方が呆れた様な顔をして、そう言ったので、カグヤは少しだけ瞳を細めて笑う。
「気をつけて」
「あぁ」

 漸く屯所に戻った土方は、彼女から回収した書類に判をついて近藤の部屋へ向かう。けれど局長室は空だったので、仕方なく書類を机に置くと、そのまままたとんぼ返りで己の部屋へ向かった。
 机の端に置かれているガラスコップには、今はもう椿は飾られていない。大分前に花が落ちてしまたのだ。いい加減片付けようと思っていたのだが、すっかり忘れていたのを思い出し、土方はそれに手を伸ばすが、土方は結局それを中断して、煙草に火をつけた。
「……一生そんな日は来ないかもしれない……か」
 坂本とカグヤが言っていた言葉を無意識に反芻した土方は、面白くなさそうに眉間に皺を寄せた。


坂本が話しているのは土佐弁ではなく坂本弁だと言う結論に至りました
20100221 ハスマキ

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