*同じ言葉をお返ししますよ*
年明け早々、土方は顔を顰めて書類を眺めていた。報告書によると鬼兵隊が江戸に舞い戻っているうえに、幕府の高官である水野への護衛任務が本人の希望により却下されたのだ。年末に攘夷志士のテロに巻き込まれながら無事であった水野の恒例である、年始の参拝を真選組が護衛すると言う話で進んでいたのだが、土壇場になりその任務がキャンセルされた。元々真選組を好いていない官僚ではあったが、これに関しては攘夷志士を取り締まる身として、護衛任務をしない訳に行かないと食い下がるが、結局受理はされなかった。
「……ご自慢のSPで参拝か」
舌打ちする土方は、報告書を眺めながら煙草に火をつけた。年末に松平や近藤と水野に面会した時の事を思い出し、土方は思わず眉間に皺を寄せる。田舎侍に用はないと一蹴され、結局は引き下がるしかなかったのを苦々しく思い出したのだ。表向きは庶民派であるが、裏では天人と繋がり私腹を肥やしていると言う黒いうわさの付きまとう男で個人的には好きではない。しかし、幕府を守るのが真選組の仕事である以上、守らない訳にもいかない。
「副長」
部屋に入って来た山崎の声に我に帰ると、土方は煙草を揉み消して顔を上げた。
「どーした」
「初詣何時に行くかって、近藤さんが」
その言葉に土方は小さくため息をつくと、少しだけ考え込む。昨年同様の面子で初詣に行くと言う話はしていたのだが、結局細かい打ち合わせは何一つしていなかったのだ。ギリギリまで護衛任務で揉めていたので仕方がない。
「俺は後から行くから、適当に決めてくれって伝えてくれ」
「はぁ」
困った様に笑った山崎は、土方の手元にある資料に視線を送る。
「水野様の件ですか?」
「イモ侍には用がねぇなんて言ってたけど、気にはなる」
その言葉に山崎は渋い顔をした。過激派攘夷の鬼兵隊が江戸に入っているのを土方が気にしているのを察したのであろう。すると、思い出したように山崎は口を開いた。
「そう言えば、さっき先生の所に行ったんですけど」
山崎が先生と呼ぶのは、三味線屋のカグヤだけだと知っている土方は、不思議そうな顔をした。弟子として三味線を習っている山崎が年始に挨拶に行くのはおかしい事ではないが、突然彼女の話を振られた理由が解らなかったのだ。
「留守、でした。近所の人の話だと、初詣に行くって出かけたみたいなんですが」
「……そうか」
鬼兵隊の高杉が溺愛する女。江戸に鬼兵隊が入っている時は彼女は度々高杉の元へ連れ去られる。今回はまだそれはないと山崎は確認しに行ったのであろう。漸く山崎の意図が解った土方であるが、思わず渋い顔をする。つまりそれは高杉が彼女に会いに行くより優先すべき何かを抱えていると言う事にも繋がる。年末の水野暗殺未遂で、鬼兵隊の関与は確認できなかったが、これから関与しないと言う保証もどこにもないのだ。攘夷派からのテロ対象筆頭と言われる高官に注意を払うに越した事はないと考えると、無理やりにでも護衛任務をねじ込めば良かったと土方はため息をつく。
「初詣はどこに行くって?近藤さん」
話題を変えた土方に、山崎は先程聞いた有名神社の名前を上げた。それを聞いて土方は苦笑する。
「近藤さんも水野様の事が心配か」
いつもは屯所傍の神社に行くのに、今年は少し足を伸ばして有名神社へ行くらしい。そこは水野が毎年参拝している神社であるのは土方も知っており、近藤が様子を見に行こういとしているのも理解できた。
「詳しい事はおっしゃってませんでしたけどね」
「解った。俺も一緒に行く。時間はそっちに任せる」
行く気になった土方に山崎は笑うと、了解しましたと席を立つ。部屋を後にした山崎を見送り、土方は新しい煙草に火をつけると、煙を肺に送り込む。
「……年明け早々何もねぇといいけどな」
ぽつりと呟くと、瞳を細めた。
屋台の並ぶ神社へ向かったカグヤは、入口で人の多さに僅かに顔を顰めるが、財布の入った巾着を握り締めると屋台に突撃する。
この手の屋台の食べ物は余り買わないのだが、賑やかな雰囲気は嫌いではないし、見て回るだけでも十分楽しめる。早速射的の屋台を発見すると、カグヤは小銭を払い店主から射的の弾を貰った。
狙うは小さな白兎のぬいぐるみ。
ポンと軽い音と共に発射されるコルク弾は白兎を掠めて背後の板に当たる。
「惜しかったね」
「そーねぇ」
店主の言葉にカグヤは苦笑すると、再度弾を詰め込んで狙いを定めた。少し弾が浮いたのを一発目で確認したカグヤは、今度は少し下を狙い弾を発射する。
「落ちないと駄目なのコレ」
「ええ。申し訳ない」
当たったものの、僅かにぐらつくだけで終わったぬいぐるみにカグヤはどうしたものかと考えながら、再度弾を詰め込む。ひっくり返すには少々あのぬいぐるみは重量があり過ぎるようだ。別の景品を狙おうかと考えたが、他はこれといって欲しい物のなかったので、再度同じ様に白兎を狙う事にした。
命中はするが一向に落ちる気配のない景品に、カグヤは再度小銭を払う。
「アレは難しいよ、お姉ちゃん」
「他は別に欲しいのないしねぇ」
店主の口添えに苦笑しながらカグヤが返答すると、背後から声がかかり、カグヤは振り返る。
「下手糞だな」
「おやまぁ。兄さん」
土方の姿に少しだけカグヤは驚いたような顔をするが、難しいのよと笑い、再度狙いを定める。その様子を見ていた土方は、ポケットから小銭を出す。
「俺も一回」
「毎度」
カグヤの隣に並び、銃を構える。
「あの白兎狙ってるのか?ガラじゃねーな」
「うちに遊びに来るお嬢にあげようと思ってね」
何度もカグヤが弾を当てた白兎に狙いを定めた土方を見て、カグヤは驚いたような顔をする。
「難しいわよ」
「狙い方が悪ぃんだよ」
土方の放った弾は、白兎の額に当たり、ころりと兎はひっくりかえる。
「頭狙えばバランス崩してひっくり返んだろ」
「……意外な特技ね。得意なの?」
「まぁな」
カグヤの言葉に土方は返答すると、その後次々と残った弾でライター等の小物をうち落としてゆく。店主の持ってきた景品を受け取った土方は、白兎のぬいぐるみを手に取ると、そのままカグヤに渡した。
「やる」
「兄さんの景品じゃないの」
「俺が持ってても仕方ねぇだろ」
他の景品をポケットに押し込む姿を見たカグヤは笑いながら白兎を受け取る。
「ありがと」
笑ったカグヤは白兎を店主に袋に入れてもらうとぶら下げる。それを眺めていた土方は、僅かに瞳を細めて彼女に声をかけた。
「毎年ここ来てんのか?」
「いつもは隣の小さい神社よ。賑やかそうだったから覗きに来ただけ」
質問の意図が解らないカグヤはそう答えると首を傾げる。
「……あんまぶらぶらしねぇで、帰れよ」
「別に私がどこで遊ぼうが勝手じゃないの」
不服そうなカグヤの言葉に土方は顔を顰めると、ぼそっと言葉を放った。
「高杉の野郎が江戸に入ってる」
「……そう」
大きな感情の起伏が見られないカグヤを見て土方は小さくため息をついた。カグヤにとっての高杉の位置と、己にとっての高杉の位置が違うのだと言う事は解っている。そもそも家にいるから高杉が接触してこない訳でもない。けれどできれば何事もなく終わって欲しいと思う土方は、思わず瞳を細めて彼女に再度言葉を放った。
「用心しとけ」
「ありがと。もう少し遊んだら、隣の神社参って帰る」
諒解したカグヤに土方はほっとしたような顔をする。そんな様子を見て、カグヤは心配性だと笑い瞳を細めた。
「うるせぇよ」
土方は顔を顰めると、軽く手を上げてその場を離れた。
「副長!」
小走りにやって来た山崎を視界に捕えた土方は、小さく声を上げると彼が来るのを待つ。
「探しましたよ。喫煙所にもいないし」
「悪ぃ。三味線屋見つけたから声かけてた。煙草は今から吸いに行く」
そう言いながら歩き出した土方を見て、山崎は僅かに驚いた様な顔をする。カグヤがここにきているとは思わなかったのだろう。
「先生が?」
「ああ」
漸く灰皿の前までたどり着いた土方は、煙草に火をつけると煙を吐き出した。
「珍しいですね。毎年別の神社参ってるのに」
首を傾げた山崎は、土方の隣に立つと辺りを見回す。カグヤの姿を探しているのかもしれないと思った土方は、煙を吐き出すとこの後別の神社にも行くと言っていたのを思い出す。
「高杉の野郎もウロウロしてるし、ここも物騒だからさっさと参って帰るに越した事はねぇな」
「……心配性ですね」
カグヤと同じ事を口にした山崎を睨みつけると、土方は煙草を揉み消す。
「近藤さんはどーした」
「屋台見て回ってますよ。沖田隊長は疲れたから休憩所行くって言ってたんで、その辺にいるんじゃないですかね」
神社の境内に立てられた天幕の下には椅子が置かれており、簡易休憩所となっている。煙草の境内ではここでしか吸えないので、山崎もこの周辺で土方の事を探したのであろう。
「土方さん」
「総悟か」
噂をすればというタイミングで沖田が声をかけて来たので、土方は振り返る。するとそこには焼きそばを持った沖田が立っており、どすっと近くの椅子に座った。
「ヤニ中毒も大変ですねぇ」
沖田の厭味に土方は僅かに顔を顰めるが、当の本人は気にした様子もなく焼きそばを胃の中へ詰め込む。その二人の様子を苦笑しながら眺めていた山崎は、小さな声で土方に耳打ちした。
「先生どの辺りにいました?挨拶だけしておきたいんですけど」
「入口の射的屋の辺りだ。いなきゃいつも行ってる神社に移動したんだろ」
その言葉に頷くと、山崎はちょっと行ってきますと笑いその場を後にした。それを眺めていた沖田は不思議そうな顔をする。
「どこに行ったんですかぃ?」
「知り合いに挨拶に行くんだと」
ふーんと沖田は気のない返事をすると、空になった焼きそばの容器をゴミ箱へ投げ入れた。
「近藤さんの所に戻るのか?」
「何言ってるんですかぃ。折角二人っきりなのに邪魔するのも野暮ですぜぃ」
沖田の言葉に土方は僅かに瞳を見開いたが、直ぐに苦笑する。去年と同じ面子で初詣に来たが、沖田も、山崎も気を使って彼等を二人にしたのだろう。土方は煙草の煙を細く吐き出すと、それもそーだなと短く言い、自嘲気味に笑った。
その反応に沖田は面白くなさそうに口を尖らせる。
「つまんねぇ反応ですねぇ、土方さん」
「期待に添えなくて悪ぃな」
土方が惚れた女は、ずっと片思いだった近藤さんと上手く行った。それは土方が望んでいた結末であるし、土方自身がそうなるようにと働きかけた結果である。完全に吹っ切れたかどうかは自分でもよく解らないが、前より幾分かマシな反応をしているのではないかと土方は勝手に思っていた。カグヤへの愚痴で危ういバランスを取っていた頃よりはマシだと。
白兎のぬいぐるみを抱えながら、カグヤは一通り屋台を見て回ると、神社の鳥居へ引き返した。人は時間が経つにつれて増えてゆき、少し窮屈になって来たのだ。元々お参りはいつも行っている神社でと思っていたので、移動する事にしたカグヤは賑やかな屋台の列に別れを告げてその場を後にする。
「暇そうだな。付き合えよ」
「忙しいの」
後ろから声をかけられたカグヤは振り返りもせずにそう答えると、軽く手を振った。その反応に高杉は口元を緩めると、彼女の腕を取り勝手に歩き出す。それに驚いたカグヤは声を上げた。
「ちょっと!晋兄!」
「初詣に付き合えって言ってるだけだ」
「あのねぇ。いきなり来てもっと他に言うべき事あるでしょうが」
不服そうなカグヤを見て、高杉はぴたりと足を止めると瞳を細めた。
「今年も宜しくたのむぜ」
「……はいはい。大体普段は面倒だって初詣なんかしないじゃないのさ。どーしたの」
その言葉に高杉は少しだけ笑うと、彼女の髪を撫でる。
「年末は我慢した。だから付き合え」
その言葉にカグヤは呆れた様な顔をする。答えになっていないとぶつぶつ言いながらも、カグヤは高杉のさせたいようにする事にした。初詣に一緒に行くだけで満足するならそれに越した事はないと思ったのだ。こんな事ならさっさと帰れば良かったと思わないでもないが、年末に高杉がカグヤの望みを汲んで会いに来なかったのも事実である。
「寒いし、初詣終わったら帰るからね」
「ああ。俺もあんまりゆっくりはできねぇんだ。万斉の野郎がうるさくてな」
満足そうに笑った高杉を見て、カグヤは呆れた様な顔をした。恐らくふらふらする高杉の事を万斉が細かく注意しているのだろうと安易に想像できただけに、カグヤは返す言葉もない。過激派攘夷志士である鬼兵隊のトップが呑気に出歩いている等本来ならありえないのだ。
「ここの神社じゃなくていいの?お参り」
念の為にカグヤが言うと、高杉は、隣がいいと短く返答した。隣と行っても歩けば数分はかかるし、小さいな神社で派手さはない。派手な物が好きな高杉が好むとは思えなかったのだ。
「鬼を祭ってるんだってな。珍しいじゃねぇか」
「鬼王権現よ。月夜見命とかそんなの。珍しいっちゃ、珍しいかしらね」
そんな話をしながらぶらぶら歩いていると、ぴたりと高杉が足を止めたので、カグヤは不思議そうな顔をする。
「どーしたのさ」
「仕事もしとかなきゃなんねーなって思っただけだ」
「帰んなさいよ」
「厭だ」
瞳を細めて笑った高杉は、さっと姿を眩ませた人影を確認してまたカグヤを連れて歩き出した。
少し歩いた場所にある神社は、屋台が出ているが先程の神社よりは人が少なく、カグヤはそれを眺めて高杉に声をかけた。
「地味な神社よ。どっちかって言うと」
「かまわねぇよ」
そのまま高杉はカグヤの腕をつかんだまま境内に入って行く。
「心配しなくても逃げやしないわよ」
「逃げはしねぇけど、邪魔はされるかもしれねぇからな」
「はぁ?」
高杉の返答にカグヤが不思議そうな顔をするが、彼は笑って屋台に見向きもせずにそのままカグヤを連れてゆく。賽銭箱の前に並んだ二人は、小銭を投げ入れ手を合わせる。直ぐに顔を上げた高杉は、横でまだ手を合わせるカグヤを見て瞳を細めた。神にすがるタイプでもないが、この手の行事は割とマメに彼女は行う。
「何笑ってんのよ」
「……神様なんか信じてねぇ癖に」
そうね、と短く言うとカグヤは笑う。
「でも、蔑ろにするのも好きじゃないの」
「そうか」
その言葉に高杉は僅かに肩を竦めると、彼女の手を曳いて移動する。それにカグヤは何も言わなかったので、高杉は満足そうに笑った。
本殿は境内の中でも少し高い所にあり、本殿から少し離れた所に椿が植わっている。そこまでカグヤを引っ張って行くと、高杉は漸く手を放した。
「ここの椿か?俺に贈ったのは」
「そーよ。あっちの木は早咲きなの」
カグヤが好む椿。これを見る為にカグヤがこの神社を訪れているのを知っていた高杉は、そうか、と短く返答して椿を眺めた。
「……ちょっとここで待ってろ」
「はぁ?帰るわよ」
「少しでいい」
帰ると言い放ったカグヤに高杉は困った様な顔をすると、再度懇願する。
「どうしたのさ」
カグヤの質問に返答する事無く、高杉は彼女に椿を一輪、握らせその場を後にする。それを見送ったカグヤは、小さくため息をつき椿に視線を落とした。
高杉は人の少ない境内の隅に移動すると、柵にもたれかかり、辺りに視線をを送る。腰に差した刀に手を置き、高杉は咽喉で笑うと声を上げた。
「よぉ。久しぶりだな」
「三味線屋はどうした」
「さぁな」
刀を向ける土方に、高杉は瞳を細めるととぼけた様に言葉を放った。山崎があとをつけていたのは確認していたし、土方達があの神社にいたのも知っていた高杉は、口元を歪めて土方に視線を送る。これで仕事は完了だと。
「真選組は多数で敵を囲むのがルールじゃねーのか?」
高杉の言葉に土方は思わず言葉に詰まった。高杉に連れて行かれるカグヤを確認した山崎からの連絡で一応は来たものの、追加で呼び寄せた面子は、まだ到着しない。
「……向こうの神社は賑やかになりそうだぜ」
「なっ!」
土方が驚きの声を上げると同時に、辺りがにわかに騒がしくなる。今まで人通りの少なかった神社周辺に人がなだれ込んできたのだ。
「副長!」
睨みあう二人を発見した山崎が声を上げると、高杉は咽喉で笑うと刀を抜いた。
「どーした。水野の野郎でも暗殺されたか?」
「高杉。手前ェ!」
返事を聞かずとも、山崎の表情を見ればそれは解ったし、人が溢れているのも恐らく白昼堂々行われた暗殺現場から人が逃げ出したからであろう。恐らくこの騒ぎでは自分が呼び寄せた面子もここへ来る事は出来ないだろうと、土方は舌打ちをする。それとは逆に高杉は咽喉で笑うと、瞳を細めた。
「俺もたまには仕事してるんだぜ?」
茶化したような高杉の口調に土方は眉間に皺を寄せる。
響く金属音に山崎は思わず己の刀に手を当てるが、それを抜く事は出来なかった。打ちあう土方と高杉の中へ割って入れる腕がないのを一瞬で悟ったのだ。仲間を呼ぶべきか、それともいざという時の為にここに控えているべきか、一瞬考え、彼は後者を選んだ。高杉の件は他の隊士に連絡はしているし、向こうが少し落ち着けば人が来るかもしれないと思ったのだ。
土方は決して弱くはない。けれど、高杉に対して防戦一方で、まともに斬り合えていないのに気がついた山崎は思わず唇をかみしめる。実践向きの剣術を大々的に掲げる真選組であるが、これほどまで差があるものなのかと絶望的な気分になった。
圧倒的な経験値の差。
あくまで対人である土方と、攘夷戦争で天人という圧倒的に上位である者達と戦った高杉。
致命傷は負わないものの、鮮血を纏うのは土方の方で、高杉は薄い笑いを浮かべて刀を振るう。
「防戦一方だな」
「うるせぇ!」
己の刀を受けた土方の言葉に、高杉は口端を上げると、勢いよく土方の刀を弾き飛ばす。土方の手から離れた刀は乾いた音を立てて地面に転がり、それに気を取られた土方は、高杉の蹴りをかわす事が出来ず、地面に膝をついた。切り傷の痛みとは別の胃に走る鈍い痛みに顔を顰める土方の目の前に高杉は刀をスッと翳す。
「じゃぁな。冥土でカグヤの三味線でも聞いてろ」
振り下ろされた刀は鈍い金属音を放つ。僅かに驚いた様な顔をしたのは高杉で、弾かれ、手元の真っ二つに折れた刀に視線を送った。
「割って入るたぁ、大した判断力と思い切りのよさだ。褒めてやるよ」
にいっと口端を上げた高杉を、山崎はまだ僅かにしびれる手を抑えつけながら睨みつけた。一撃を弾くのが精一杯で、高杉の刀が折れたのは運が良かったとしか言いようがない。もしもここで彼の刀が無事ならば、有無を言わさず次の一撃が降ろされ斬られていただろう。
「残念だが、時間がねぇしテメェの相手はまた今度だ」
「!」
使い物にならなくなった刀を投げ捨てた高杉は、刀を握る山崎の手を片手で抑えると、空いた手で山崎の腹に拳を入れる。痛みで握りの甘くなった刀を山崎から取り上げ、高杉はそのまま山崎を蹴り飛ばした。吹き飛ばされた山崎は、木に叩きつけられ顔を顰める。それでもなお、立ち上がろうとするが、膝が言う事を聞かずまたずるずると座り込んだ。
「テメェはまだ動くな」
山崎に気を取られた高杉の隙をついて、己の刀を拾いに行こうとした土方の顎を勢いよく蹴りあげると、仰向けに倒れた土方の腕を高杉は踏みつける。
「……辰馬の莫迦はいい男だから仕方ねぇ」
何の前触れもなく高杉が別の誰かの名前を出した事に土方は驚くが、それを無視して高杉は更に言葉を続けた。
「御庭番衆も番犬には丁度いいし傍に置いとけ。愛弟子も三味線を続けるなら構わねぇよ。けどな……こいつは駄目だ、カグヤ」
それは自分に向けられた言葉ではないと気がついた土方は驚いて僅かに体を起こす。
視界に入るのは、高杉から少し離れた場所に立ったカグヤ。高杉からは死角である筈なのに、彼女がそこにいるのに気が付き彼女に向って声をかけたのだろう。
「何のこのこ来てんだ!三味線屋!」
声を上げた土方を不快そうに見下ろすと、高杉は土方の腕を踏みつける足に力を込める。
「俺と来い、カグヤ。そしたらこいつの首刎ねるの考えてやってもいいいぜ」
山崎はかすむ意識の中、カグヤの姿を探し視界にとらえる。高杉の問いに彼女は表情一つ変えず、握り締めた一輪の椿に視線を少しだけ落とすと、高杉を見据え、声を上げた。
「厭よ」
その返答に驚いたのは高杉の方であった。思わず振り返り、カグヤを凝視すると口端を上げる。
「厭か」
「厭よ。女子供に助けられて、己の志を折る位なら、潔く死になさい。私は私の道を違える訳にはいかない」
山崎は言葉を失い、土方はただ、カグヤを眺めるだけであった。
「……解った」
高杉が瞳を細めた笑ったので、山崎は土方を助ける為に何とか立ち上がり、二人の中に割り込もうとした。しかしそれは突然辺りに広がった煙幕によって中断される。
「!?」
今まで腕を踏みつけていた足が離れるのを確認して、土方は辺りに目を凝らした。一瞬で高杉の姿を見失ったのだ。慌てて視界に入った己の刀を拾い上げた土方は、人の気配のする方向にかけ出す。
「刀、返しておくぜ。次に座敷で会う時はもう少しまともに三味線弾けるようになっとけ」
突然目の前に現れた高杉に、山崎は声を失うと、足元に転がった己の刀に視線を落とす。その刀に血が付いていないのに安堵すると、それを握り締めて声を上げた。
「副長!先生!」
段々と濃くなってゆく煙幕にいら立ちながら、神社の敷地の外でバイクの音がするのに気が付き柵につかまり外に視線を送る。河上万斉と高杉の姿を見つけ声を思わず上げる。
「待て!」
「今日は時間もねぇし、引き分けにしといてやる」
「ふざけんな!」
柵を飛び越そうとするが、体が思うように動かず、土方は柵を握り締めて膝をついた。
「大丈夫ですか副長!」
漸く薄くなった煙幕の中、声を頼りに土方の元へたどり着いた山崎は膝をつく土方に駆け寄った。すると、敷地の外に真選組の車が漸く到着したのに気が付き、降りて来た隊士に山崎は声を上げた。
「バイク追って下さい!高杉です!」
ぼろぼろである土方と山崎と、神社内に立ちこめる煙幕に驚いた原田であったが、頷くとまた車に戻り高杉達の事を追いかける為に車を発進させた。捕まるとも思えないが、少しでも手がかりをと山崎は判断したのだ。原田の車が高杉の車を追ったのを確認し、ほっとしたような顔をすると、山崎は自分の隣で柵にもたれかかり座り込む土方に視線を落とした。
「副長!」
「死んでねぇよ」
煙草が吸いたいと思ったが、境内は禁煙の上、どこかで煙草を落としてしまったらしい。内ポケットを探りながら舌打ちをすると、土方はだらしなく痛む腕を放り出し、山崎を見上げた。
「お前、近藤さんの手伝いして来い」
「何言ってるんですか!副長を病院に連れてくのが先です」
自分より遥かに痛めつけられた土方が言いだした言葉に、山崎は全力で命令無視を決め込むと携帯電話を取り出し、近藤への報告を手早く済ます。
「手前ェの一人勝ちだな。三味線屋」
「頭でも打ったの?」
煙幕の中でも目立つ椿。結局高杉は土方の首を刎ねる事もなく、カグヤを攫う事もなかった。カグヤの言葉に土方は自嘲気味に笑うと、首を振った。
「手前ェが俺を助ける為に奴について行ったら、山崎はともかく、十中八九、腹を立てた高杉に俺の首は刎ねられてただろうな」
考えると言っただけで、助けるとは高杉は言わなかった。土方の言葉に山崎は驚いた様な顔をすると、カグヤの顔を凝視した。けれど彼女は表情を変えることなく、ただ、椿に視線を落としただけであった。
「死ねって言われたのによくもまぁ、そんな風に取れるわね」
「……そーだな。殴られ過ぎたのかもしれねぇ。けど、手前ェのお陰で俺はまだ生きてる」
すると、カグヤはゆっくり土方に歩み寄り、彼の手に椿を握らせた。
「ごめんね」
囁かれた言葉に、土方は驚いて体を離すカグヤを引き留めようとしたが、カグヤはするりと土方の伸ばした手からすり抜け、まだ煙幕の晴れない境内へ姿を消した。
空を切った手に視線を落としながら、土方は瞳を細めた。カグヤの選択は正しかったと。何故自分が高杉の目の敵にされるのかは理解できないが、憎悪の深さは厭という程身にしみていた。
「……謝るなよ」
呟いた土方に山崎は驚いた様な顔をするが、直ぐに表情を厳しくして言葉を放った。
「とりあえず病院に行きましょう。水野様の件も高杉の件もそれから処理して下さい」
今の状態で仕事をさせる訳にはいかないと判断し言い放った山崎に、土方は困った様に笑うと、肩貸せ、と短く言う。それに山崎は頷く。よいしょと小さく声を上げた山崎に土方は僅かに眉を顰めると口を開いた。
「手前ェは大丈夫か?」
「副長ほどじゃないですよ」
刀で切りつけられた訳ではないし、殴られはしたが立てる程度には回復している。淡く笑った山崎に土方は安心したような顔をすると、ヨロヨロと歩き出した。
「……この事後処理終わったら、休み貰って良いですか?」
突然切り出した山崎の言葉に、土方は僅かに瞳を細め、彼の次の言葉を待った。けれど山崎は休みを申請する理由を話す事はなく、そのまま口を噤む。元々有給も通常の休みも消化しきれていない山崎の休日申請はよほどの事がない限り却下はしないし、理由を聞く事もない。
しばしの沈黙の後、土方は俯くと、解ったと短く返答した。
土方は入院はなかったものの、暫く仕事は控えるようにと近藤にきつく言われ、渋々その言葉に従った。水野の暗殺に対して真選組はそもそも護衛から外されていたので責任は問われなかったが、攘夷志士への警戒を強化するように指示が出ており、監察などは忙しく動き回っている。
そんな中、山崎は三味線を抱えて屯所を出る。年末からずっとご無沙汰だった三味線の稽古へ向かったのだ。
いつも通り何事もなく稽古を終わらせると、山崎は台所に立ち湯を沸かした。茶筒を握り締め、山崎はじっとヤカンを眺める。一番最初に体の心配をしていたカグヤは、自分の事はきけど、土方の事には一言も触れなかったのだ。ぼんやりとその事を考えてていると、後ろから声がかかり山崎は驚いて振り返る。
「お湯、沸いてるわよ」
「すみません!」
声を上げて火を止めると、カグヤは苦笑して、慌てなくてもいいのよと言い湯呑を並べた。
「先生」
「ん?」
急須から茶を注ぐカグヤに山崎が声をかけると、彼女は視線を手元に落としたまま返事をする。
「あの……この間は助けてくれてありがとうございました」
その言葉にカグヤは苦笑すると、何もしてないわよと言い急須を置く。すると、山崎は茶の入った湯呑を盆に乗せて瞳を細めた。
「俺は先生に助けられてばっかりですね」
座敷に上がり高杉とバッティングした時もそうだったと山崎は思わず情けない笑顔を作る。するとカグヤは少しだけ肩を竦めて和室へ向かった。それの後についてゆく山崎は、更に言葉を続けた。
「副長は……悔しかったでしょうけど、俺は副長が助かって本当に嬉しかったです」
「私が兄さん傍に置いてなきゃ死ぬ思いもしなかったんじゃないかって、流石にあの時は思ったわ。ちょっと仲良くなりすぎたかなって」
その言葉に山崎は驚いて湯呑から視線を上げる。カグヤはほんの少し悲しそうに微笑んでいて、山崎はかける言葉を探し視線を彷徨わせる。
「だからさ、今後は……」
「あの!」
カグヤの言葉を遮るように山崎が声を上げたので彼女は口を噤んで山崎の言葉を待った。
「頑張りますから!俺も副長も。俺は先生の事好きだし、高杉の事が迷惑だとか、そんな事思った事ないです!」
「潔く死ねなんて言われても?」
その言葉に山崎は頷く。どう考えてもあれは自分達を庇う為に選んだ選択だと。土方もそれに気がついていたし、でなければ土方に対して彼女が謝る事もなかっただろう。ギリギリの選択をカグヤもしたのだろうと言う事は後で冷静に考えれば解る。高杉の性格を把握しているカグヤしか選ばないであろう選択。
「だから、今まで通り三味線教えてください。副長とも好きに飲んだらいいと、俺は思います」
「……莫迦ね」
「莫迦でもいいです。高杉に屈して自分の主張曲げる方が俺は厭です」
莫迦と言われて笑う山崎を見て、カグヤは思わず微笑みを零した。その表情に山崎は思わず顔を赤くすると、湯呑に視線を恥ずかしそうに落とした。
屯所に帰った山崎は、三味線を抱えたまま廊下を歩く。ふと覗き込んだ土方の部屋には誰もおらず、大人しくしておけと言われたのに仕事をしているのだろうかと山崎は心配になる。入院は必要ないが、決して軽傷ではなかったのだ。小さくため息をついた山崎は、そのまま自室に戻ろうとするが、視界に入った赤色に気がつく。
カグヤが土方に渡した椿だと言う事に気がつくまでそう時間はかからなかった。花瓶など持っていないのだろう、小さなガラスコップにさされた椿。そっと部屋に入ると山崎はその椿に手を伸ばす。
「触るな」
背後から聞こえた声に山崎は驚いて振り返ると、そこには煙草を咥えた土方が不機嫌そうに立っていた。
「勝手に済みません」
「……花、弱ェから直ぐに落ちちまうんだ」
そう言いながら土方は先程と打って変わって少し穏やかな口調で言うと座蒲団に座った。煙草の煙を細く吐き出した土方は、椿に視線を送ると、縁起悪ィ花だよなと笑う。
「家が途絶えるとか、首が落ちるとか色々言いますよね」
「そーだな。でも、アイツは好きなんだと」
「はい」
カグヤの部屋に飾ってある事があるので、好きなのだろうと言う事は山崎も知っていたので短く返事をする。すると土方は、少しだけ考え込んだ顔をして煙草を揉み消すと口を開いた。
「三味線弾け」
「え?」
「仕事あんのか?」
「いえ、ないですけど……」
慌てて三味線を準備しようとした山崎であったが、ぴたりと手を止めて土方の方を見る。
「なんだよ」
「……済みません、仕事ありました。だから無理です」
山崎の言葉に土方は僅かに眉を上げる。その反応に、山崎は力なく笑うと、再度詫びた。
「……」
何故山崎が自分に嘘をつくのか解らなかった土方は、小さくため息をつくと、解ったと短く言う。山崎の仕事は先程全て相方が片付けてしまって残っている筈はなかったのだ。
「先生と同じ音は俺には出せませんよ」
山崎の言葉に土方は驚いたように顔を上げた。すると山崎は困った様な、情けない様な顔をして笑う。土方もカグヤも、お互いに器用そうに見えて不器用なコンビだと思ったのだ。きっと土方も、カグヤと同じようにあの一件で思う所があったのだろう。だから彼女に会いに行かないのだと。
三味線を抱えて立ち上がった山崎を見上げて、土方は口を開く。
「どーゆー意味だ」
「言葉のままですよ」
瞳を細めて笑った山崎を見て、土方は不機嫌そうな顔をする。
「……俺先生の事好きなんです。だから、高杉の檻から先生が出られないのは厭なんです。怪我しても、死にそうになっても、絶対に俺は高杉にだけは屈したくない」
山崎の言葉に土方は驚いた様な顔をする。その反応を見て山崎は淡く微笑むと、副長は?と言葉を放った。
「……」
返答がないだろう事を予想していた山崎は、苦笑するとそのまま部屋を出る為に障子に手をかける。すると土方の声が後ろかからかかったので足をぴたりと止めた。
「山崎」
「なんですか?」
振り返りもせずに返答したので、土方は僅かに眉間に皺を寄せたが、更に言葉を続けた。
「アイツは止めとけ」
「同じ言葉をお返ししますよ」
そう言うとそのまま部屋を出て行った山崎に土方は思わず舌打ちをする。心配してるのにそっけない態度を取られてむっとしたのだろう。けれど、山崎の言葉を思い返し土方は瞳を閉じた。
関わらなければ彼女があのような選択をしなくてもいいと思ったのも事実で、山崎の三味線を代用にしようとしたのも事実だった。今まで彼女の好意に甘え続けて、何も返す事は出来なかった。絶対に高杉に屈しないと宣言した山崎に、楽な選択をするなと言われた気がして、土方は思わず苦笑する。恐らく山崎は己の志を抱いて戦って死ぬ事を選ぶだろう。師弟揃って恐ろしく真直ぐで莫迦だと。
土方は煙草を揉み消すと、立ち上がり部屋を後にした。
「おやまぁ」
勝手口を開けたカグヤは驚いたように声を上げて、直ぐに微笑んだ。
「どーしたのさ」
「……近藤さんに休め休めって言われて暇なんだよ」
「そ。じゃぁ、上がんなさい」
招き入れられた土方は、カグヤの後について座敷に上がる。部屋は相変わらず片付いており、土方は座蒲団に座ると煙草に火をつけた。
「飲もうと思ってた所なんだけど、兄さんどうする?」
「昼間っからかよ、手前ェは」
「ザキさんの稽古終わったからいいの」
「……飲む」
ぶつぶつ言いながら結局付き合う事にした土方は、煙を細く吐き出すと視界に入った白い物体に気がつく。先日カグヤに渡した白兎のぬいぐるみが部屋の隅に鎮座していたのだ。人にやると言う話だったのに袋から出して飾ってるのを不思議に思い土方は声を上げた。
「オイ」
「何?」
酒を持って戻って来たカグヤに土方は白兎を指差す。
「アレ。人にやるんじゃなかったのか?」
その言葉に、カグヤは、ああ、と短く声を上げると笑った。
「そのつもりだったんだけどね。毎日眺めてたら愛着湧いたからプレゼント止めにしたの」
土方は驚いた様な顔をすると、その白兎に手を伸ばし頭を撫でる。その様子を見ていたカグヤは思わずぷっと吹き出した。
「気に入ったの?」
「別に。ただ……」
「ただ?」
二人分の盃に酒を満たしたカグヤが聞き返すと、土方は煙草を揉み消して淡く微笑んだ。
「手前ェの手元に残るんだったら、別のモン撃ち落としても良かったな」
土方の言葉にカグヤはぽかんとしたような顔をするが、直ぐに笑いだす。その反応に急に恥ずかしくなったのか土方は顔を赤くすると何で笑うんだ!と怒りだした。するとカグヤは盃を土方に手渡し瞳を細めた。
「なんでも嬉しいわよ」
「はぁ?」
「兄さんのくれるモノならなんでも嬉しいわよ。酒だろうが、水羊羹だろうが、白兎だろうがね」
「……それ、山崎にも高杉に御庭番衆にも万事屋にも言ってんだろ」
呆れたように土方が言ったので、カグヤはどーかしらねと言い盃を煽る。絶対言ってる、と思った土方は、不機嫌そうに顔を顰めると酒を舐めた。仕事をしている隊士には申し訳ないが、仕事をさせてもらえないのだから仕方がないと割り切る事にする。
「……ザキさんがね。今まで通り三味線教えてくれって。莫迦よねぇ。死ぬ目に合ったのに」
ぽつりと呟いたカグヤの言葉に、土方は思わず苦笑する。どうやら山崎は自分だけでなく、カグヤにも今まで通り自分を貫くと宣言したらしい。高杉の言うように、思い切りの良さは褒めてもいいのかもしれないと思った土方は、盃に酒を注ぎながら、そうか、と笑う。
「次は負けねぇよ。俺も山崎も」
その言葉にカグヤは少しだけ哀しそうに笑った。
「三味線屋」
「なぁに?」
「俺は手前ェの三味線嫌いじゃねぇ」
その言葉の意図が解らなかったカグヤは首を少し傾げる。すると、土方は、彼女の空になった盃に酒を注ぎながら、淡く笑った。
「だから勝手にいなくなるな」
その言葉は今まで何度も彼女に言っていた台詞だったが、土方は念を押すように再度言葉にした。それに対してカグヤは明確な返答をした事はない事にも土方は気が付いていた。いつも適当にはぐらかすのだ。
「心配性ね」
「そーだよ。悪ぃか」
そう言うと土方は己の小指を彼女に差し出す。それに驚いたカグヤは少しだけ視線を彷徨わせたが、細い己の小指をそっと絡めた。カグヤにとってゆびきりは特別だと知っているからこそ、土方はその返答を望んだのだ。
「……針千本?」
「そんなので済むと思うなよ」
「怖いわね」
土方の言葉にカグヤは微笑むと、少しだけ瞳を伏せる。
「ねぇ」
「なんだ?」
絡めた指を外そうとした土方をカグヤが制止したので、彼は驚いた様な顔をして返答する。すると彼女は小さな声で呟いた。
「無茶しないでなんて言わない。真選組の為に働くのが兄さんの誇りだから。けど、私は兄さんやザキさんの供養の為に三味線なんか弾きたくないの」
彼女の言葉に土方は、思わず拳を握りしめる。自分が大事で、他人などどうでもいいと言いながら、人を甘やかすのがどうしようもなく上手くて、自分はいつも彼女に引きずられる。手放すが惜しくなるのは、あの白兎の様に愛着が湧いたからなのかもしれないと思い、土方は困った様に笑った。
「それも約束に入れとけ」
「後悔するわよ」
「そーかもな」
絡めた指を放して土方は困った様に笑った。その様子を見てカグヤは少しだけ微笑むと、盃に口をつける。
「兄さんも大概莫迦よね」
「手前等師弟コンビよりマシだ。山崎も頭打っておかしくなったのかと思ったぞ全く。三味線弾けって言うのに弾かねぇし、高杉に屈するのは厭だとか弱ェ癖に」
「……一緒にぼこぼこにされてたじゃないのさ」
カグヤの言葉に土方はかぁっと顔を赤くすると、不機嫌そうに酒に口をつける。今更、醜態の一つや二つ大したことはないかもしれないが、腕に自信があっただけに見事なまでにやられたのが恥ずかしいのだろう。
「でもまぁ……生きてて良かった」
「そーだな。生きてりゃやり返せるしな」
土方の返答にカグヤはそれもそうね、と笑い三味線に手を伸ばす。弦を弾く音に土方は瞳を細めると、ごろりと座蒲団を枕に横になった。
「あんまりうるさくねぇ曲な」
リクエストに答えたカグヤの弾く三味線は穏やかに土方の鼓膜を揺らす。確かに山崎で代用という訳にはいかないと思いながら、土方は久しぶりに深い眠りに落ちた。
まさかの山崎のターン(笑)
土方も頑張ったよ!
20100121 ハスマキ