*解らなくて良いのよ・後篇*

 江戸へ来てから数日経ち、そろそろ動きだそうかと言う雰囲気の中、高杉は会議を途中で抜け出して自室へ戻った。一応鬼兵隊のTOPは高杉であるが、細かい活動指示は殆ど武市が出している。高杉は大雑把な方針を立て、武市に計画を練らせるのだ。今回の会議は下への落とし込みなので、高杉は発言する事もないし、する気もない。ただ、士気を上げる為に一応参加はして欲しいと武市に言われて参加したのだが、飽きたので席を立ったのだ。
 自室へ戻った高杉は、招かざる客の姿に僅かに驚いた様な顔をしたが、いつも通り自分の指定席に座ると煙管に火を入れた。
「カグヤの飼い犬だったな」
「どちらかと言うと、猫、だ」
 いつもカグヤの逃亡を助ける男とこうやって面と向かって話すのは初めてだと思い、高杉は口元を緩めた。
「元御庭番衆筆頭・服部全蔵……だったか」
「俺も有名になったもんだな」
 煙管の煙を吐きながら高杉が言うと、全蔵は僅かに口端を上げた。幕府子飼いの御庭番衆は天人が中枢に食い込むと同時に解体され職を失った。今は職を変え細々と彼等は街に溶け込んでいる。そんな中、いまだに活動を続けている全蔵は稀有な存在なのだろう。
「まぁ、同じ幕府の飼い犬でも、真選組よりはましだな。よくもまぁ、そんな忍者探してきて雇ったもんだ」
 監禁する度に逃げられる。初めこそカグヤは自力で逃げ出していたが、いつのころからか、カグヤの逃亡を手助けする存在がいる事に気が付き、部下に調べさせたのだ。どの様な伝手で元御庭番衆を雇ったのかは知らないが、いつも鮮やかな手口でカグヤを逃がすので密かに感心していた。
「で、何の用だ?俺を暗殺に来たか?」
「姫さんが絶対にそんな依頼しないのしってるんじゃねーの。今日はお使い」
 全蔵が差し出したのは一輪の椿と小さな小箱。それを受け取った高杉は、椿の茎に括りつけられた文に気が付きそれを解く。
 瞳を細めた高杉は、何があった?と短く全蔵に言うが、彼は返答を拒否した。
「俺の雇い主は姫さんで、アンタじゃねーからな」
「そりゃそーだ」
 高杉は咽喉で笑うと、瞳を細めて椿を眺めた。首が落ちる様に花を散らすので縁起が悪いと嫌う者も多いが、カグヤはこの冬の花を好んだ。本来はもう少し寒くなってから咲くのだが、早咲きの椿を彼女が探したのだろう。
 椿を卓の隅に置くと、高杉は煙管に新しい火を入れて煙を細く吐き出した。すると、全蔵は高杉に手を差し出す。
「なんだ?」
「姫さんへのプレゼントも回収してくるように言われた」
 抑揚のない声で全蔵が言うので高杉は思わず吹き出す。黙々と任務をこなす姿は評価に値するし、余計な事を一切しないのは好感が持てる。そう思い高杉は引き出しから小箱を取り出すと、全蔵の手の上に乗せた。
「年が明けたら会いに行くって伝えてくれ」
 その言葉に全蔵が僅かに口元を歪めたので、高杉は咽喉で笑う。
「なんだ?伝言は受け付けてねぇのか?」
「……いや。これは個人的な感想なんだが」
 そう前置きを全蔵がしたので高杉はその先を促す事にした。全蔵が何に興味を示したのか気になったのだ。
「どうして年明け」
「オメェがカグヤに俺が会いに行く口実を今さっき取り上げちまったからだろーが」
 その言葉に全蔵は、口実?と小声で呟いたので高杉は咽喉で笑い、瞳を細めた。
「……アイツが態々テメェまで使ってお使いさせるって事は、理由はしらねーけど俺が会いに来たら困るんだろ?だから行かねぇ」
 手紙には何一つ詳しい事をカグヤが書かなかった事を知っている全蔵は、僅かに驚いた様な顔をする。ただ、少し早いクリスマスプレゼントだと言うメッセージだけで、何かを察して自重する事を決めたのであろう。攫う時は何の前触れもなく、カグヤの都合お構いなしで来る癖に、カグヤからの小さな牽制は正確にくみ取っているのだ。自分勝手で迷惑だとカグヤは愚痴をこぼすが、彼女自身も高杉が控えるラインを把握して対応しているのだろう。はたから見れば不可解な関係であるが、根底にはどこか繋がるものがあるのだろうと勝手に想像して、全蔵は納得する事にした。
「了解した。それじゃ」
 どこから侵入して、どこから脱出するのだろうかとぼんやりと考えながら、高杉は全蔵が先程までいた場所を眺めた。恐らくいつもはカグヤを抱えている為に逃走時に見つかる事があるが、一人で潜入する分にはこんなアジトなど朝飯前なのだろうと思うと、侍とは別の生き方をする忍者も大したものだと感心する。同じ様に幕府から切り捨てられた存在であるが、忍としてまだ生きていこうとしている姿は、彼の言う所の、犬と猫の違いなのだろうと思い、高杉は瞳を細めた。

 

 三味線屋の勝手口に立つ土方は何度か呼び鈴を押したが反応がない事に思わずため息をつく。元々山崎の記憶したカレンダーによると、将軍の座敷までは昼の三味線教室も予定が入っていなかったので本当に彼女は雲隠れしたのであろう。会ったら会ったで何を話せばいいのか土方には判断がつかなかったのだが、外回りのついでについ足が向いたので念のために覗いてみたのだ。
「……雪でもふりゃいいのに」
 そうすれば彼女に会う口実ができると思い、思わず土方は呟く。今まで何度も飲んで、何度も莫迦騒ぎして付き合っていたのに、本当は何一つ知らずに彼女の好意に甘えてばかりいた事に気が付き自己嫌悪に陥る。座敷に上がらなくても良いと明確に言葉にすれば、良かったのだろうか。仕事上そうもいかないのは重々承知しているが、弾きたくもない三味線を無理矢理弾かせるのは高杉と同じではないかと思うと気分が滅入る。
 そのままぶらぶらと歩いていると、カグヤの贔屓にしている和菓子屋が視界に入る。店の前にある長椅子にはこの寒さの所為か誰も座っておらず、恐らくここで食べようと言う人間は風の遮られた店内にいるのだろうとぼんやり考えた土方は、長椅子に座り店員が茶を持ってくるのを待った。
「中もあいていますよ」
「いや、ここでいい。団子一本。あと、持ちかえりで水羊羹」
「はい」
 態々店員が空席を知らせてくれたが、土方はそれを断って注文をする。熱いお茶を口に含み、一息つくと、自分と背中合わせに誰かが座ったのに気が付き、土方は僅かに怪訝そうな顔をした。また店員はこの客に中の席を勧めるのだろうかと一瞬考えたが、それも鼻孔をくすぐる香りで吹き飛ぶ。
 そっと腰の刀に手を添える土方に浴びせられた声は彼の動きを止めるのに十分であった。
「遅ぇよ。抜いたら店員の首が飛ぶぜ」
 刀を抜くと言う選択肢を削られた土方は、忌々しそうに舌打ちをするとそのまま動きを止める。
「でもまぁ、顔も見ねぇで俺だって気がついたのは褒めてやる」
 何も知らずに土方の注文の品を持ってきた店員は、土方に声をかけた時と同じように男にも声をかける。
「それと同じのでいい。あと、熱いお茶」
「はい」
 店員が下がったのを確認し、土方は辺りに注意を向けた。仲間らしい人間は見当たらないが、もしも店内に既に仲間がいたとしたら動く事は出来ない。苛立ちを見せた土方に、男は咽喉で笑うと、なんで俺だって気がついた?と短く聞く。
「手前ェの煙草の臭いは厭って言う程三味線屋でかがされてるからな」
「……そーだな。俺もカグヤに移ってるテメェの煙草の臭いを覚えてる」
 全国指名手配の男・高杉晋助を背にして、捕まえる事も、動く事も出来ない土方は舌打ちをすると団子に手を伸ばす。下手に刺激するより、何故高杉が自分に接触して来たのか探る方が重要だと頭を切り替えたのだ。
 その様子を見て高杉は咽喉で笑うと、店員の持ってきた茶を飲みながら口元を歪めた。
「カグヤに逃げられたんだろ。ざまーみろ」
「なっ!逃げられてねぇよ!手前ェと一緒にすんな!」
 反射的に声を大きくした土方を横目で見て高杉は笑う。背中越しに笑われたのに気がついた土方は、不快そうに眉を顰めると、団子の串を皿に戻して熱い茶に口をつけた。
「……まさかそれ言いに来たのかよ」
「そーだ」
「ふざけんな」
 よくよく考えてみれば、高杉とまともに話をするのも初めてだと思った土方は、彼の受け答えに不快度数を上げ続けた。短気なカグヤが人を小馬鹿にした態度を取る高杉に対して辛口なのも理解できない事はないと思ったのだ。そもそも、高杉とカグヤが話している所等見た事はないのだが。
「……無理矢理三味線弾かせるらしいじゃねぇか」
 高杉の言葉に土方は思わず返答に詰まる。カグヤに付きまとう高杉が、今度の座敷の事を調べているのもおかしくはない。
「邪魔しようってのか」
「カグヤが弾くって決めたのに邪魔したら叱られるだろーが」
 呆れたように高杉が返答したのに土方は驚いた様な顔をした。叱られるから邪魔はしないと子供の様な理由で高杉が引くとは夢にも思わなかったのだ。
「大昔にアイツから全部奪った幕府が、また圧力かけてアイツに無理矢理三味線弾かせようとしてるって聞いた時は、江戸城爆破してやろうかと思ったけどな」
 面白くなさそうに高杉が言うので土方は思わず心の中で舌打ちする。江戸城爆破等物騒な事を平気で言うからぞっとする。
「アイツにガキの頃から三味線仕込んだのは俺だけど、アイツが今みたいな音を出すようになったのは攘夷戦争からだ」
 突然昔話を始めた高杉に、土方は怪訝そうな顔をしたが、煙草に火をつけると黙ってその話を聞く事にした。
「仲間の魂を彼岸に送る為の音なんだよ、アイツの三味線は」
 その言葉に土方は僅かに瞳を細めると、煙を吐き出した。三味線を人前で弾くのが好きではないと言った彼女の言葉の意味を今理解出来た様な気がした。死んだ仲間の供養の為に今も彼女は一人で三味線を弾き続けているのだと考えると、いたたまれない気分になり思わず煙草のフィルターを噛む。
 その様子に気がついたのか、高杉は咽喉で笑うと瞳を細めた
「生きてる人間がアイツの三味線に惹かれるのは、己の魂を送る音だと本能的に気がついてるからなのかもしれねぇな。そんな三味線を将軍に聞かせてぇなんざぁ、可笑しな話だぜ。俺が一緒に冥土に送ってやろうか」
「手前ェ……調子に乗るなよ」
「そりゃテメェの方だろうよ。愛弟子みてぇに女装までしてアイツを守る根性もなけりゃぁ、御庭番衆筆頭の忍者みてぇにアイツを俺から取り上げる事も出来ねぇヘタレが。アイツの番犬としてテメェが一番カスだ」
「高杉ィ!」
 思わず刀を引き抜き振り返った土方は、しまったと言うような顔をして店内へ視線を送った。むざむざ挑発に乗ってしまったのに気がついたのだろう。
「あばよ」
 注意を一瞬逸らした隙に高杉は、店の前に滑り込んできたバイクの後ろに乗り瞳を細めて笑った。
「待て!」
 土方の怒鳴り声に目もくれずに、高杉を乗せたバイクは走り去る。慌てて土方は携帯を取り出すと山崎の番号をコールする。
「俺だ。高杉がバイクで北に逃走した。検問手配しろ」
 短くそう言うと、念の為に店の中へ入っていく。高杉が逃走した以上店員は無事だろうが、仲間が残っているかもしれないと思ったのだ。しかし土方の視界に入ったのは、ジャンプをめくりながら饅頭を頬張る男が一人。
「……手前ェ鬼兵隊だったのか」
「はぁ?」
 もぐもぐと口を動かしながら返事をした男を土方が睨みつけると、彼は茶をすすりながら何言ってんだかと小声で返答した。
「俺はフリーターのピザ屋」
「ふざけんな!」
「初めから店には俺しかいなかったし、アンタ高杉にはめられたんだよ」
 その言葉に土方は舌打ちすると、どかっと椅子に座り男を睨みつける。以前ピザ屋と称して自分にカグヤからの手紙を届けた男だと言うのは直ぐに解ったが、相変わらず素性は解らない。けれど、ふと高杉の言葉を思い出し土方は口を開いた。
「御庭番衆の忍者か手前ェ」
「……元な。今は姫さん専属の忍者」
 姫さんがカグヤの事を指していると理解した土方は、目の前の胡散臭そうな男をまじまじと見る。
「雇われてんのか?三味線屋に」
「そーゆー事。高杉の所から姫さん連れ出すのが仕事。これ以上忍者に聞くのはマナー違反だぜお侍さん」
 土方には目もくれず、ジャンプを読みながら返答をする男は残った最後の饅頭を口に運ぶ。
「三味線屋はどこに行った」
「心配しなくても戻るって。高杉も姫さんの所には年内は来ない。そんでもって、姫さんはちゃんと上様の前で三味線も弾く。何か問題あるのかよ」
 不機嫌そうに返答した男に土方は返答に窮する。何一つ問題はない。カグヤの居所が解らなくて困る事等何一つないのだ。ただ、土方自身が勝手に気にして、所在を知りたがっているだけである。それに気が付き土方は、煙草のフィルターを噛みしめると僅かに俯く。
「……墓参りに行ってるよ姫さん。場所は言えねぇけど。高杉の事心配だしついて行こうかって言ったけど断られた」
「クソっ!」
 店員が土方が店内に移動したのに気が付き、新しい茶を持って来たので、彼はそれを飲み干すと忌々しそうに舌打ちする。高杉にちょっかいかけられたら通報しろと言っているのに聞きやしない。その上自腹で忍者を雇うカグヤに腹を立てたのだ。
「俺が雇われたのアンタが姫さんに会う前だから気にする事ねぇと思うけど」
 その言葉に土方は心をよまれた様な気がして顔を顰める。しかし男は気にした様子もなく、温くなったお茶を飲み干した。
「まぁ、俺が忙しい時は姫さん自力で脱出するし、心配する事ねぇだろ」
「そーゆー問題じゃねぇ。つーか、三味線屋は今高杉の所じゃねぇんだな」
 念を押すように土方が言うと、男は呆れたように声を出す。
「ないない。姫さんは約束は絶対に守るし、高杉も姫さんの事になると妙に律儀だしな」
 その言葉には不思議と同意できた土方は思わず押し黙る。カグヤに叱られるから邪魔しないと言った高杉の言葉を思い出したのだ。信用に足るかどうかは判断し難いが、今はそうある事を願うしかない。御忍びで座敷に行く将軍に何かあれば切腹だけでは済まないだろう。
「そんじゃ。バイト行くから」
 何事もなかったかのように男が立ちあがったので、土方は思わずひきとめようとするが、何一つ言葉が浮かばず結局見送った。

 

 雪が降り出したのに気がついた土方は、空を見上げて瞳を細めた。松平の望み通り、迦具夜姫は将軍の前でその三味線を披露し、将軍は大いに満足したと言う話は聞いた。けれどそれ以降仕事が詰まっていたことや、飲み屋に彼女が現れなかった事もあり、土方は長くカグヤに会う事はなかった。元々飲み屋で偶然会えば一緒に飲むと言う関係だった為、一月会う間隔が開くのも珍しくはなかったが、随分この雪を待ち焦がれていたような気がした土方は、自嘲気味に笑う。
 そんな時に限って、面倒な攘夷志士の立てこもり事件があり、土方はイライラしながら仕事の処理を行っていた。
 処理が終わった頃には雪は随分と辺りの景色を変えており、土方は背を丸めながらカグヤの家へ向かう。自前で初雪用にと酒を買ったのならば家で飲んでいるのだと思ったのだ。
「おやまぁ。本当に来たの?」
 勝手口の前でウロウロしていた土方の頭の上から声がかかり、彼は驚いた様な顔をして上を見た。すると、屋根の上からひょっこり顔を出したカグヤが手を振っていた。
「な!何してんだ!」
「雪見酒。兄さんだって飲みに来たんでしょ?丁度良かった、熱燗作ってきて」
 カグヤがそう言うと、上から取っ手に紐がつけられた岡持ちがするすると降りてくる。蓋をスライドさせると、そこには空になった徳利が入っており、恐らくこれを持って彼女は屋根へ登ったのだろうと言う想像がついた。
「熱めでね。冷めちゃうから」
 ひらひらと手を振って姿を消したカグヤをぽかんと見上げていた土方は、少しだけ安心したような顔をした。会うまでは何を話せばいいのか、どんな顔をすればいいのかなどグダグダ考えていたのだが、いざ会ってみれば、彼女は今までと同じような調子で自分に接して来たので安心したのだ。
 勝手口から台所に上がった土方は、口のあいた酒を徳利に詰めて湯の中へ放り込んだ。まだ時間はかかるだろうと、煙草に火をつけると、ぼんやりとカレンダーを眺める。確かに山崎が言うとおり、湯が湧くまで何となく眺めるには丁度いい位置にある。年末前ぽつぽつと印のつけられたカレンダーは、先日将軍の座敷があった日にも印がつけられており、そこに小さな書き込みがあったので、土方は目を凝らす。
 兄さんのお仕事。
 その文字に土方は煙草の煙を吐き出し俯いた。万事屋の泣き落としでもなく、山崎の頼みでもなく、やはり自分の頼みとして引き受けたのだと。詫びるつもりで来たのだが、詫びの言葉はまだ思いつかず、土方は煙草を揉み消すと、ぐらぐらと煮え立った湯から徳利を引き上げた。

 玄関横に立てかけられている梯子を登ると、屋根の上に座るカグヤの後姿が見えた。マフラーを巻いて空を見上げていたカグヤは、土方が登って来たのに気がつくと立ち上がり傍に寄ろうとする。
「待て!俺がそっち行くから!動くな」
 滑りやすい瓦の上で落ちでもしたら難儀だと思った土方が声を上げると、カグヤは瞳を細めて、心配性だと笑った。そろそろとカグヤの座る場所まで行くと、そこには卓代わりに使っている板と、座蒲団が敷いてあった。
「そっち座っていいわよ。さっきまでお尻に敷いてたから濡れてないと思うけど」
「……俺が来るの待ってたのか」
 カグヤの尻の下にも座蒲団が敷いてあるのを見ると、元々二枚準備していたのだろう。卓に岡持ちを乗せて蓋を開けながら土方が言うと、来ないと思ってたとカグヤは言葉を零す。
「さっきさ、知り合いが通りかかってね。攘夷志士の立てこもりがあったから真選組忙しいみたいだって教えてくれたの。だから、来ないかなって思ってた」
 マフラーを引き上げ、背を丸めたカグヤを見て土方は瞳を細めた。
「約束したろ。初雪降ったら手前ェと酒飲むって。まさか屋根の上とは思わなかったけどな」
 そう言い、土方は卓に乗せられた盃に酒を満たす。カグヤはそれを手に取ると嬉しそうに笑った。
「いいわよ屋根の上。月見の時も登ったんだけどさ。でも流石に寒かったわ」
「そりゃそうだ」
 自分の分の酒も杯に満たした土方は呆れた様な顔をした。そして、ふと気がついた事を口にする。
「つーか、屋根に登ってんのに知り合いが通りかかるっておかしいじゃねぇかよ」
「ピザ屋のバイトの時にいつもここ通る人いるの」
 カグヤの言葉に土方は顔を顰めた。恐らく元御庭番衆の男だろうと想像できたのだ。
「この前ちょっと頼み聞いたら、お礼にマフラープレゼントしてくれてね。丁度良かったわ」
「手前ェの雇ってる忍者か。ジャンプ派の」
 土方の言葉にカグヤは驚いた様な顔をする。
「あった事あるの?」
「手前ェが手紙届けさせたんだろ。あと、菓子屋で会った」
「直接渡しに行ったんだ。別に屯所に届けるだけで良かったのに」
 てっきり適当に土方宛にと届けただけかと思っていたカグヤは、真面目ねぇと笑いながら酒を飲み干した。それを見ながら、土方は面白くなさそうに酒を舐める。
「高杉に拉致られたら俺の所には連絡しねぇ癖に、忍者には連絡すんのかよ」
「連絡は殆どしないわよ。元々合図みたいなの決めてね、私が予告なしで長期で留守になったら探して貰うようにしてんのよ。バイトもあるから助けに来るのは直ぐってわけじゃないけどさ。でも忍者凄いわよね。頑張って捜した甲斐があったわぁ」
「労力使う所が違うだろーが」
「兄さんがずっと私に張り付いてる訳にもいかないでしょ」
 その返しに土方は言葉に詰まると、目を泳がせる。確かに年中張り付く事も出来ないし、組織に所属している以上自由もきかない。逆にフリーターだと言っている御庭番衆の方がカグヤにしては使い勝手がいいのかもしれない。
「だから、兄さんは兄さんの仕事してりゃいいのよ」
 その言葉に土方は僅かに俯くと、すまねぇと零す。それにカグヤは酒を継ぎ足しながら、何が?と短く聞き返した。
「無理な仕事頼んで悪かった」
「いーのよ。私が決めたんだから」
 可笑しそうにカグヤが笑ったので、土方は手に持っている盃に視線を落とした。するとその様子に気がついたカグヤが更に言葉を続けた。
「それにさ、兄さんもあんま乗り気じゃなかったみたいだしね。中間管理職って大変よね」
 弾かれたように土方が顔を上げたのね、カグヤは、どーしたのと首を傾げる。
「いや……なんつーか、なんでそう思ったんだ?」
 座敷に上がらなくていいとは一言も言わなかったのに、カグヤが自分が乗り気ではないと察した事に驚いて土方が聞く。するとカグヤは笑いながら返答した。
「兄さんが私にどーしても座敷に上がって欲しいんだったら、ザキさんの時みたいにどんな手使ってでも私釣り上げようとするじゃないのさ。銀さんの泣き落としみたいに。でも手ぶらで来た上に、さっさと帰っちゃったしさ。仕事に対してはいつも手段選ばないのに、あー、兄さんも乗り気じゃないんだって思ってね」
 カグヤが言う事は確かに事実で、土方は返す言葉もなく押し黙る。
「だから、引き受ける事にしたの」
「意味が解らねぇよ」
「解らなくて良いのよ」
 まるで子供の様に笑ったカグヤを見て土方は驚いた様な顔をした。だが彼女はそれに気がつかないのか、更に盃に酒を足すと、それを飲みながら空を見上げた。雪が少し強くなってきている様で、このまま降り続けば明日には一面銀世界であろう。
「三味線屋」
「なぁに」
「高杉に会った」
「そう」
 短く返答したカグヤの表情が変わらないのを確認した土方は、苦笑しながら彼女と同じように空を見上げる。
「……攘夷戦争の前の手前ェの三味線ってのはどんな音だったんだ」
「晋兄と割とよく似た音だったと思う。足元にも及ばないけどね。けど、もうあの音は出せないわ。沢山天人も人も殺したから」
 咽喉で笑ったカグヤは瞳を細めて盃を空にした。丁度徳利のストックがなくなったのに気がついたカグヤは、岡持ちを片手に立ち上がると、追加作ってくると短く言う。それに土方は慌てて立ち上がり、俺がいくと言い手を伸ばした。するとカグヤはじゃぁ、そろそろ中に入ろうかと言い、座蒲団を持つように土方に言った。
「寒くなってきたしね」
「そーだな」
 岡持ちを片手にカグヤが手を差し出したので土方は怪訝そうな顔をする。
「転ばないでね」
「逆だろ、普通」
 そう言いながら土方はカグヤの手を握った。三味線を扱っている時は細い指だと思ったが、握ってみるとその手は過去に刀を握っていたであろう痕が感じられて土方は瞳を細めた。重い刀を握って戦場をかけ回り、生き残り、仲間の魂を彼岸へ送り続けたのだろう。そう感じた土方は、己の手に僅かに力を込める。詫びる言葉も見つからない己に、自分で決めた事だからと笑う彼女の考えている事は全く解らない。けれど、カグヤが死ぬまで三味線を仲間の為に弾くのだろうと言う事だけは理解できた。
「俺が死んだら、手前ェは三味線弾いてくれるか?」
「なに晋兄みたいな事言ってんのよ」
 滑りやすい瓦の上を歩きながら土方が零した言葉に、カグヤは彼の方に見向きもせずに返答したが、その後土方が押し黙ったのでゆっくりと振り返る。
「生きてるうちに、厭って言う程私の三味線聞きゃぁ良いじゃないのさ。何辛気臭い事言ってんの」
「人前で弾くの厭なんじゃねぇのかよ」
「……私が勝手に弾いてるのを、勝手に聞く分には構わないわよ。弾いても良いって気分にさせなさい」

 勝手口から家の中へ入ると、カグヤは台所へ引っ込み、土方はいつものように座敷へ向かう。暫く来ないうちに設置されたのであろうコタツに足と手を突っ込むと、背中を丸めて土方は卓に顔を押し付けた。
 じんわりと末端が暖かくなって来た頃に、カグヤは熱燗を盆に乗せて戻って来たので、土方は顔を少し上げる。
「やっぱ屋根の上はなしだ。寒ィし、あぶねぇ。絶対一人で登んなよ」
「えー。良いのにあそこ」
 卓に盆を乗せたカグヤが不服そうに言うと、土方は呆れた様な顔をする。
「登る時は俺呼べ。いいな」
「落ちる時は、一人だろうが二人だろうが落ちると思うけど」
「うるせぇよ」
 心配性だと呆れ顔のカグヤに土方は、短くそう言いきると、盃に酒を満たした。普段はこんな風に、人の言う事等聞きやしない。けれどそうやって勝手気ままなスタンスで動いてくれる方が、土方にとってはどういう訳か安心できるのだ。
「そう言えば。晋兄に会ったって言ってたけど、なんで?」
「わざわざ俺に会いに来たんだと」
「暇なのねぇ」
 そこで、土方は高杉に言われた言葉を思い出してむっとする。莫迦にする為に危険を冒して自分に接触してきたのにも腹が立つが、一方的に言いたい放題言われたのも思い出したのだ。
「好き勝手言いやがって、あの野郎……」
「晋兄はいつだって好き勝手じゃないのさ。っていうか何言われたの」
 興味を示したカグヤを見て、土方は黙りこむ。何かを察したのか、カグヤは口端を上げると、土方の盃に酒を継ぎ足した。
「言いたくなきゃ、別に構わないけどね」
「……ざまーみろ、だと」
「何それ」
 ぽつりと呟いた土方にカグヤは目を丸くすると、意味が解らないと言う。すると、土方は苦笑しながら、解らなくて良いと言葉を放ち酒に口をつけた。じんわりと体内から温まる感覚に瞳を細める。カグヤは相変わらずの調子で盃を傾け、時折視線を窓の外に向けている。そんな彼女を眺めて、土方は小さく言葉を零した。
「手前ェが無事に戻って良かった」
「え?何?」
 カグヤが土方の言葉を聞き返したので、彼は笑うと、空になった彼女の盃に酒を継ぎ足し。
「高杉の野郎ざまーみろ、って事だよ」
 土方の言葉にカグヤは首を傾げると、卓に顔を乗せて不服そうな顔をする。言葉の意味が解らなかったのであろう。それを眺めて土方は煙草に火をつけると、細く煙を吐き出した。
「もうこんな仕事は持ってこねぇから」
「そうなの?」
「……魂送りの曲なんざぁ、上様に聞かせる訳にいかねぇだろうが。それに、手前ェが仕事の度に行方不明になるのも困る」
「ちょっと留守にしただけじゃないのさ。上様の仕事受けた時にね、あ、そう言えば最近仲間の墓参りいってないやって思い出してさ。久々に行っただけ。寒かった」
 よりにもよって締め括りが、寒かったという感想に土方は驚いた様な顔をすると、そうか、と短く返事をする。寒い中彼女は一人で仲間の供養の為に三味線を弾いたのだろうかとぼんやり考えた土方は、何一つ彼女の事を知らない己に僅かな苛立ちを感じた。
「別に行くのは勝手だけどよ。いきなりいなくなったら心配だろーが」
「心配したの?」
 にんまりと笑ったカグヤに土方は一瞬言葉に詰まったが、悪いか!と顔を赤くして返答する。
「ごめんね」
 素直に謝罪したカグヤに土方は驚いた様な顔をする。すると彼女は部屋の隅に置いてある三味線を手にとって、鮮やかに微笑んだ。
「お詫びに一曲弾くわ。何がいい?」
「……将門」
 鼓膜を揺らす三味線の音は心地よく、酒の所為もあって土方はうとうととしだす。卓に突っ伏して寝息を立てる土方の肩に毛布をかけると、カグヤは瞳を細めて笑った。
 約束を律儀に守る土方の気持ちも、自分を気遣い仕事を無理強いしない気持ちも嬉しかったし、有難かった。幕府の事は今でも好きではないが、恨んでいる訳ではない。ただ、哀しかっただけ。いつか時がたてば、人々は国の為と戦った侍の事を忘れてしまうのだろうと。幕府の判断が正しかったのかどうかはカグヤには解らなかったが、侍も、幕府も、方法は違えど、国を守りたかったのだと言う事だけは理解できる。
「私はもう侍じゃないから」
 刀を置いて、三味線を持って、魂を慰めるだけだと、カグヤは自重気味に笑うと、いまだ刀を持って幕府を守る侍に視線を送って微笑んだ。


心配性土方VS暇人高杉みたいな感じ。
二人とも出そうとすると長くなってかないません(´・ω・`)
20091221 ハスマキ

【MAINTOP】