*寝言は寝てから言いなさい*

 その日山崎は珍しく万事屋を訪ねていた。真選組と万事屋と言えば犬猿の仲であるが、比較的山崎個人は親しいし、今回に関して言うなれば、仕事の都合で訪れたのだ。
 ジャンプをめくりながら山崎の話を聞いていた銀時は、小さく溜息をつくとぼりぼりと頭を乱雑に掻きながら、無理、と短く返事をした。

「お願いしますよ旦那。こっちも急ぎなんで無理は承知なんですけど」
「いやいや。無理だって。その仕事断ったし」

 攘夷浪士が出入りする料亭への偵察。それが今回の山崎の仕事である。近々大きな動きがありそうなそのグループの情報を手に入れる為に山崎はどうしてもその座敷に上がる必要があったのだ。無論、他の監察が既にその料亭には潜り込んではいるのだが、下働き等の仕事での潜入なので、出入りする人間は確認できても、座敷での会話を聞くのは難しい。そこで、そのグループが料亭に呼ぶように指名した芸妓にくっついて座敷に上がろうと計画を立てた訳である。その芸妓の仲介役が万事屋であったのを幸いに、さっそく依頼に来たのだが、その仕事はもう断ってしまったとあっさりと返される。

「何とかなりませんかね」

 拝むように頼む山崎を見て銀時は気の毒そうな顔をする。仕事とはいえ女装までして座敷に上がるというのは見上げた根性であるし、銀時としても金になるならば引き受けてやりたい。しかし、肝心の指名された芸妓がうんと言わなければ無理な話なのだ。

「あそこの料亭ってさ。店自体も客も躾がなってないって、アイツ仕事あんま受けねぇんだよね」
「その……真選組からの依頼って事で何とかなりませんかね?一応報酬も出すつもりですし」

 無論、銀時にもそれなりの金を払うつもりだった山崎は、報酬と言う言葉に力を入れてみる。すると、銀時はしばらく考えたのちに、ぶつぶつ言いながら電話を手に取ったので山崎はほっとしたような顔をする。交渉してくれる気になったらしい。
 そもそも、この芸妓と言うのが不思議な人間だと山崎はぼんやりと思っていた。調べる段階で、ある程度の事は分ったが、どうも解せない点が多い人である。【迦具夜姫】という名前で座敷に上がっているらしいが、基本的には万事屋からの仲介しか受けないし、座敷の仕事は殆ど常連……お得意様からのモノばかりだと言う。彼女の名前を有名音楽プロデューサーが付けたという話もあり、その噂を聞きつけて指名は多いが大概新規の客はフラれる。元々三味線の腕は絶品で、その座敷に上がる回数の少なさから、彼女を指名して呼べるという事が一種のステイタスの様になっているという話もあったりと、知る人ぞ知る有名人であるらしい。本当に座敷に上がり、三味線を弾くだけと言う生粋の芸妓。酌も、気の利いた会話もしないが、リピーターが多いという事は、それだけの腕があるという事だろう。客に媚びるという事からほど遠い、誇り高い性格なのかもしれない。

─―あ、カグヤちゃん?俺。この前の座敷の仕事だけど、受けれない?なんつーかさ、真選組の知り合いがどーしても座敷に上がってお仕事したいらしくてさ。できたらカグヤちゃんにくっついて座敷に上がれたらなーって頭下げに来てるんだわ」

 軽い口調であるが、まともに交渉をしてくれている銀時の顔を眺め、山崎は固唾を飲む。

「え?厭?そんな事言わないでよ。真選組が仕事料上乗せしてくれるらしいしさ。幼馴染を助けると思って。家賃払えなくて困ってるんだよ」

 どこまで本当かどうかは分からないが、万事屋の万年金欠を知っている山崎は、思わず笑ってしまう。そして、幼馴染と言う単語が出てきて、山崎は彼女が万事屋と言う高級料亭とは無縁な人間に仕事の仲介を頼んでいる理由が漸く理解できた。幼馴染と言うのならあり得るだろう。万年金欠の万事屋の為に、彼女の方が仕事を回しているのかもしれない。

「自業自得?いやいや!うちのエンゲル係数知ってるでしょうが!頼むよ。この通り!」

 電話を持ちながら頭を下げる銀時に驚いたが、しばらくそのまま動かないと思ったら、不機嫌そうな顔をして銀時が顔を上げたので山崎は申し訳なさそうな顔をする。恐らく交渉は決裂したのだろう。電話を切って、溜息をついた銀時を見て、山崎は口を開いた。

「お手数掛けました旦那。別の方法考えてみます」
「……正直、俺としてもカグヤちゃんにはもう少しお仕事して貰えた方が潤うんだけどなぁ。つーか、アレだったら直接交渉してみたら?」
「え?直接交渉ってOKなんですか?」

 万事屋の仲介しか受けないと聞いていた山崎は驚いたような顔をする。すると銀時は情けないような顔をしてメモ用紙に住所を書きつけ山崎に渡した。

「直接交渉は会ってもくれねぇ事が多いだけで、全然やってねぇって事はないんだわ。昼間は三味線教室やってっからたぶん家にいるんじゃねぇかな。夜は飲み歩いてるからいねぇ事多いけど」
「飲み歩くって。座敷の仕事しないでですか!?」
「座敷の仕事嫌いなんだよアイツ」

 ますます持って謎が深まったという様な顔をしてメモを受け取った山崎は、住所を確認する。

「本名はタチバナカグヤ。家の軒に【三味線屋・迦具夜姫】って小さい看板吊ってあるから、それ目印に行けよ」

 メモを折りたたんだ山崎は、改めて礼を言うと、万事屋を後にする事にした。

***

 色々考えたが、やはりカグヤについて座敷に上がった方がいいと思い、山崎はいったん屯所に戻る事にした。彼女に渡す依頼料を更に上乗せできないかと交渉するためである。金銭関係は勘定方であるが、副長である土方に直接交渉して判を貰った方が早いと、山崎は早速彼の執務室を訪れる。
 煙草を吸いながら、説明を聞いていた土方は、細く煙を吐き出すと僅かに瞳を細めた。

「と言う訳で。もう少し融通して頂けないでしょうか。できるなら今から交渉に行きたいんで」
「今から?」
「ええ、昼間は三味線教室開いてるらしくて在宅ですけど、夜は……その、飲み歩いてるから捕まらないだろうって、万事屋の旦那が……」

 山崎の言葉に、土方は煙草を揉み消すと新しい煙草を銜える。

「もしかして、川沿いの店で【三味線屋・迦具夜姫】って看板下げてる女か?」

 メモを取り出した山崎は、その住所と、自分の脳内の地図を照らし合わせる。確かに川沿いに位置する場所であるし、看板も銀時が言った通りであると、驚いたような顔をして土方の方を見た。

「知ってるんですか?」
「……アイツ本当に座敷上がってたのか。一応仕事してんだな」

 山崎の言葉に独り言のように返答した土方は僅かに眉を上げて更に口を開いた。

「この前隊士の中で話題になってた、たけきの吟醸の限定生産の酒。アレ結局うちで何本押さえられた?」

 突然話題を変えられた山崎は、僅かに困惑したような顔をした。確かに少し前に、割と人気のある酒メーカーが限定生産で大吟醸を出すという話がでて、隊士総出で予約をしたが、何故その話が今出てくるのか理解できなかったのだ。

「確か5・6本は買えたと思います。一応個人で買った形なんで、正確には解りませんけど」

 後で宴会で皆で飲もうという話であったが、保管は個人で行っている。山崎が確認した限りでは5本程度押さえられたはずである。それを聞いた土方は、そうか、と言うとぷかりと煙草の煙を吐き出した。

「定価の3倍まで金を出すから買い上げろ」
「ええ!?」

 ますます持って意味が解らないと声を上げた山崎に、土方は面倒くさそうに説明をする事にした。

「交渉の仕方が悪いんだよ。あの三味線屋が金で動くとかありえねぇ。俺も一緒に行ってやるから、お前はとりあえず手土産の酒、押さえに行け」

 交渉に使うのだと納得した山崎は、慌てて部屋を出ると屯所にいる隊士に声をかける。副長公認で仕事に使うといえば何とか譲って貰えるだろう。
 割と親しい原田が、快く定価で譲ってくれた事に安堵すると、その酒を抱えて山崎は土方の所へ引き返し、渡された風呂敷にその酒を包む。桐箱にきっちり入れられ、まだ開封もされていない酒を大事そうに抱えると、山崎は土方に連れられ、カグヤの店へ向かう事となった。

 酒を抱えた山崎を気遣ってか、土方が車の運転をしカグヤの所へ向かう。その道中、山崎は少しカグヤの話を振ってみる事にした。土方の反応だと、どうも知り合いではあるが、彼女が芸妓の仕事をしているのは知らなかったらしい。どこで知り合ったのか気になったのだ。

「カグヤさんと友達なんですか?」
「そんなんじゃねーよ。贔屓にしてる飲み屋が一緒で、時々バッティングする」

 万事屋が言うように、彼女は本当に飲み歩いているらしい。そこで土方と知り合ったのだろうし、ならば、彼女の好みの酒を知っているのも頷ける。知り合いの土方の頼みならばもしかして引き受けてくれるかも知れないと、淡い期待を抱いて山崎は荷物を大事そうに抱えた。

 呼び鈴を何度押しても反応がなく、山崎は思わず途方に暮れた。もしかしたら今日は三味線教室が休みなのかもしれない。がっかりしたような顔をする山崎をちらりと見た土方は、面倒くさそうな顔をすると、山崎に声をかける。

「裏に回るぞ」
「え?」

 さっさと歩いて行ってしまった土方の後について店の裏手に回ると、恐らく勝手口であろう扉が確認できた。土方はその扉に手をかけると、躊躇する事無く開ける。それに仰天した山崎は小声で、土方に声をかけた。

「良いんですか?」
「いる時はここ開いてんだよ。おい、三味線屋!」

 土方が声を上げると、奥から女が顔を出した。割と長身の長い黒髪の美人である。人気があるのは三味線の腕だけでなく、この容姿も関係しているだろうとぼんやりと山崎は考える。

「珍しいじゃないのさ、兄さんが態々来るなんて。昼間来るのは初めて?」
「あがるぞ」
「勝手にどうぞ」

 既に靴を脱いで上がり込んでいる土方を見て、慌てて山崎もそれに習う。カグヤが先導して案内されたのは、間取りからして正面玄関に近い座敷であった。三味線がいくつか置いてある所を見ると、三味線教室に使っている部屋なのかもしれない。

「適当に座って。っていうか、その子は?」
「俺の部下だ」
「真選組・監察の山崎退です」

 慌てて頭を下げて自己紹介した山崎を見て、カグヤは瞳を細め、ぷーっと笑う。

「兄さんに部下いたんだ。副長ってのも本当なの?」
「手前ェ、その肩書きまで疑ってたのかよ」

 ごめん、ごめんと投げやりに謝った彼女は、茶を入れると言って引き返して行った。それを見送った土方は、勝手に窓を開け、煙草に火をつける。

「副長。灰皿ないのに良いんですか?」

 小声でたしなめた山崎に視線を送ると、土方は立ち上がり、座敷に置いてある小さな箪笥の引き戸を開ける。人様の家でどんだけ勝手するんですか!?と突っ込みたいのを堪え、山崎はその様子をじっと眺める事にした。どうやら、そこに灰皿が置いてあるのを土方は知っているらしい。取り出した灰皿に灰を落とすと、土方はちらりと山崎に視線を送った。

「酒。割れてねぇだろうな」
「大丈夫ですよ。でも、なんというか、随分仲が良いんですね」
「うるせぇよ」

 本人は友達ではないというが、この様子で友達でないというのならなんと言うのだろうか。単なる飲み屋の常連と言うには違和感を感じた山崎は居心地が悪そうな様子で、そわそわと部屋を見渡す。すると、土方は立ち上がり、部屋の隅に置いてある布を広げると、部屋に置いてある三味線にそれを被せた。
 その行動の意図が解らなかった山崎が、驚いたような顔をすると、バツが悪そうな顔をして土方が呟く。

「ヤニが付くって怒るんだよ、あの女」

 恐らくかなり叱られたのだろうと勝手に想像して山崎は笑いたいのを必死に堪える。所構わず煙草を吸うヘビースモーカーの土方が、窓を開けて換気をしたり、三味線に気を使ったりするのが可笑しかったのだ。ただ、笑えば間違いなく殴られると思った山崎は、気を逸らす為に別の話題を振る事にした。

「引き受けてくれますかねぇ」
「つーか、アイツ酌とか愛想笑いとかできるのかよ」

 座敷に上がる彼女を想像できない土方は不思議そうにそう言う。屯所で山崎の調べた彼女の話を聞いて、すぐにぴんと来なかったのは一緒に飲んでいる時のイメージしかないからだ。少なくとも、土方と飲んでいる時の彼女は座敷で仕事をするタイプには見えない。そこで土方は思い出した様に言葉を零した。

「引き受けねぇかもしれねぇな」
「ええ!?困りますよ、ここまで来て」
「アイツ元攘夷志士なんだよ」

 煙を吐き出した土方を見て山崎は言葉を失う。それは拙い。そもそも、巷に元攘夷志士という人間は意外と多い。攘夷戦争終結後、刀を置いた人間に対する罰則が存在しないのだ。高杉や桂の様に継続して活動する者はともかく、すっぱり足を洗った者に関しては取り締まりの対象外となる。彼女もその一人なのだろう。

「まぁ、今は刀置いて三味線で商売してるし、攘夷派の連中との繋がりもねぇみてぇだけどな」

 土方の口調からすると、一応彼女の過去の経歴は洗っているらしい。繋がりがないのは良いが、確かに元攘夷志士ならば、嘗ての仲間を真選組に売るのを嫌がる気持ちは分からないでもない。

「解ってんならさっさと帰んなさいよ、兄さん」

 盆に茶を乗せたカグヤが姿を見せたので思わず山崎は背を伸ばすが、土方は顔を顰めると、こっちも仕事なんだよと不服そうに言う。それにカグヤは呆れた様な顔をすると、彼等の前に茶を並べてようやく座った。それを確認した土方は、山崎を促し、持って来た荷物を解かせる。それを黙って見ていたカグヤであったが、その桐箱に押された焼印を見て僅かに顔色を変えた。

「たけきの吟醸限定生産のヤツだ。うちで何本か押さえた」

 それをずいっと彼女の前に押し出すと、煙草の煙を吐き出し土方は瞳を細める。暫くカグヤはそれを黙って眺めていたが、小さくため息をつくと肩を僅かに竦める。

「で、何したらいいのさ」
「山崎連れて座敷に上がれ」
「私が攘夷派について、偽情報流すとか考えないわけ?」
「手前ェは良くも悪くも公平だろーが。それに、座敷にいるのは攘夷戦争後に旗揚げした割と新規の連中だ」

 ふうんと気のない返事をしたカグヤは、桐箱から酒を丁寧に取り出すとラベルなどを確認する。その様子をハラハラしながら山崎は見つめた。とりあえず万事屋の時の様に門前払いはなかったが、最終的には彼女の返事次第である。ただ、土方の交渉の仕方に関しては思いつきもしなかったので感心するばかりであった。ある程度親しくないと取れない手段ではあるが。

「まぁ、コレの分は働いてもいいわ。でも、あそこの客躾がなってないから好きじゃないのよね」
「躾?」

 怪訝そうな顔をした土方に、カグヤは不機嫌そうな顔を作る。

「私は芸は売ってるけど体は売ってないの。セクキャバと勘違いして酌強要したり、尻触ったりすんのよ」
「その辺は山崎にやらせとけ。つーか、そんなの手前ェいつも通りがっつり文句言えばいいじゃねーかよ」
「……客ぶん殴って暫くあの店の依頼蹴りまくったわよ」

 呆れた様な顔をした土方にカグヤは満面の笑みでそう返答すると、ちらりと山崎の方に視線を送る。

「で、連れてくのはザキさん?どーすんの?荷物持ち?」
「弟子とか何とか巧く言って潜り込ませろ。女装は得意だし、手前ェより背も低いから怪しまれねぇだろう」
「よろしくお願いします!」

 頭を下げる山崎を見てカグヤは困ったように笑った。確かに自分よりは僅かだが背は低いし、監察だと言うのなら変装も得意であろう。気乗りはしないが、特上の酒を前に断る訳にも行かない。

「とりあえず銀さん経由で時間とか連絡するから。三味線は貸してあげるけど、座敷に上がる着物も貸そうか?どうする?」
「ついでに貸してくれ。料金は上乗せしとく」
「うちじゃなくて銀さんの方に上乗せしといてよ。私はこれで十分だから」

 土方の言葉にカグヤは返答をすると、酒を桐箱にしまい、また蓋をする。心なしか表情は機嫌が良さそうに見えた土方は、ほっとした様な顔をした。

「そんじゃ後は適当に山崎と決めてくれ。何か問題あれば連絡くれりゃ対処する」
「はいはい」

***

 数日後、店の勝手口の呼び鈴が鳴ったので、カグヤは対応に出る。恐らく今日一緒に座敷に上がる山崎が来たのであろう。扉を開けると案の定、不機嫌そうな土方が顔を出し、後ろの山崎がぺこりと頭を下げた。

「あがって。座敷に着物準備してるから」

 言われるままに店へ上がると、以前は隅に寄せられていた卓が部屋の中央に置かれており、鏡も設置されている。隅におかれた着物一式が自分の分であろうと思った山崎は礼を言うと、さっそく着替えますと頭を下げた。

「私も準備するから。足りないものがあったら声掛けてね」

 ひらひらと手を振って奥の部屋へ消えたカグヤを見送ると、山崎は早速準備を始めた。
 その間する事のない土方は、煙草をふかしながら台所に消えると、直ぐに茶を持って帰ってくる。まるで自分の家の様だと思いながら、山崎はせっせと化粧を始めた。
 流石に変装に慣れているだけあって、手早いと土方は茶を飲みながら感心する。実際山崎が女装している姿を余り見た事はないが、今まで男だとバレたという話を聞かないのでそこそこの出来なのだろう。問題は寧ろ、座敷に上がったカグヤが躾の悪い客に対して怒らずに最後まで三味線を弾くかどうかかもしれないと思い、ぼそっと土方は言葉を零す。

「アイツがブチ切れそうになったら巧く抑えろ。お前が代わりに尻触られるぐらいは覚悟しとけよ」

 その言葉に山崎は呆れた様な顔をする。それ位承知しているし、酌も、客の相手もするつもりで座敷に上がるのだ。

「それ位は想定内ですよ。まぁ、カグヤさんも引き受けたからには早々無茶はしないんじゃないですかね?」

 山崎はそう言うが、割と気の短いイメージをカグヤに持っている土方は僅かに心配そうな顔をする。客を殴ったと言う話も恐らく事実であろう。ただ、それでも彼女が座敷で人気があるのは、その客に一方的に非があったからだろう。けれど相手は攘夷浪士だ。物騒な事にならない事を祈るしかない。

「最悪怪我しねぇようにフォローしろ」
「はいはい」

 心配性だと思いながら山崎は帯を締める。その空気が伝わったのか、土方がむっとしたような顔をしたので山崎は慌てて詫びた。

「ご忠告通り注意して仕事に当たります!」
「そーしてくれ」

 ぷかりと煙を吐き出して、くつろぎモードの土方が、携帯をいじりだしたので、山崎は今のうちにと準備のスピードを上げる。漸く準備が整った所で、土方が携帯の画面から顔を上げたので、声をかける事にした。

「帯が歪んでないか見てもらえますか?」
「……問題ねぇ。つーか、別人だなオイ」

 土方が僅かに驚いたような顔をしたので、満足そうに笑うと、山崎は再度鏡を見る。紅の色はもう少し濃い方が良いような気もするが、弟子と言う肩書上控え目な方がいいだろう。そもそも、カグヤ自身が派手目な美人なので、良い感じに引き立て役となるかもしれない。

「入って良い?」
「あ、はい」

 襖の向こうから声をかけられたので、山崎は荷物を片づけながら返事をする。座敷に入って来たカグヤは山崎の顔をまじまじと見ると、感嘆の声を上げる。

「監察って優秀なのね。丸っきり女の子じゃないのさ」
「手前ェよりいい女なんじゃねーか?」
「可愛い系が好みの人ならありなんじゃない?」

 土方の厭味をさらりと流すと、カグヤは満面の笑みで山崎を褒める。そして、手に持っていた包みを山崎に渡すと、三味線、落とさないでねと言う。頷いた山崎はそれをそっと床に置くと、自分の持ち込んだ荷物を隅に寄せ、改めて三味線を抱きかかえた。

「手前ェもまともな格好すりゃ見れんだな」

 座敷用の着物を着て、奇麗に髪も結い上げたカグヤをみて土方が言葉を零すと、カグヤは少しだけむっとしたような顔をする。

「いつもそこそこ見れる様にしてるつもりなんだけど」

 今のは土方が悪いと思いながら山崎は苦笑する。初めて会った時のカグヤも綺麗にしていたし、今は更に輪をかけて良いと個人的に山崎は思っていたのだ。

「そんじゃ、車呼んでるからそろそろ行くわ」

 カグヤの言葉に土方は頷くと、思い出した様に言葉を放つ。

「ストーカーは元気か?」
「最近は見ないわ」
「そんじゃ、問題ねぇだろう」

 二人の会話の意図を汲めなかった山崎が首を傾げると、カグヤはそんじゃ、行きましょと山崎に家を出るように促した。土方が座敷から動こうとしないのを気にした様子もなく、カグヤがさっさと出て行ってしまったので、山崎は慌てて後を追い、小声で声をかけた。

「あの。土方さん店にいたままで良いんですか?」
「心配性の兄さんの事だから、何事もなく帰ってくるまで待ってるつもりなんでしょうね。別に客が来る予定もないし、まぁ、退屈だろうけど2時間やそこらなら我慢するでしょ」

 可笑しそうにカグヤが言うので山崎はほっとしたような、複雑な気分になる。いくら真選組とはいえ、他人を留守番においておいても構わないと言うカグヤの性格が余りにも大雑把で驚いたのだ。質問ついでに、車に乗り込んでから先程の話題にも触れる事にした。

「ストーカー……いるんですか?」

 山崎の言葉にカグヤは驚いたような顔をすると、兄さんから聞いてないの?と首を傾げた。素直に頷くと、カグヤは呆れた様な顔をして、どんな説明してんだかとぼやく。

「幼馴染のストーカーがいんのよ。最近は姿見てないからアレだけど、しつこくてね。兄さんに被害届出せって言われて、この前出した所でさ」

 カグヤ程の容姿ならストーカーがいても不思議ではない。むしろ、真選組筆頭がストーカーの代名詞なのだから、山崎は曖昧に笑うしか出来なかった。

***

 料亭についた山崎とカグヤは、店主に挨拶をして、座敷に上がる準備をする。ある程度の打ち合わせは事前にしていたし、店主もカグヤが弟子を見学させたいという申し出をしてきたことに厭そうな顔はしなかった。今後もカグヤが仕事を引き受けてくれる様に機嫌を取ったのだろう。

「先生」
「なぁに?」

 廊下を歩きながら山崎が声をかけると、カグヤは振り返り首を傾げた。

「よろしくお願いします」

 改めて頭を下げた山崎を見て、カグヤは鮮やかに微笑みまた廊下を歩き出した。

 座敷で定型文の挨拶をしたカグヤは、山崎を弟子だと紹介し、自分の傍へ控えさせる。名目としては、座敷に上がる勉強を兼ねた見学であり、舞妓や半玉と呼ばれる半人前扱いなので、三味線を弾かされる事はないだろう。弾けと言われても、弾けないのだが。

「座敷で名妓と名高い迦具夜姫の三味線が聴けるとは、幸先よさそうだな」

 既に酒の入った攘夷浪士の中でリーダー格であろう男が声を上げると、一斉に場は盛り上がる。その様子を観察しながら、山崎は笑顔を絶やさずに座り続ける。するすると座敷に入って来た踊りを踊る芸妓達がゆるりと頭を下げたので、一同そちらに注目した。
 響く三味線の音に山崎は僅かに顔を上げた。
 芸事に対して素人であるが、今まで聞いたどの三味線よりも強く、そして真っ直ぐな音色。人を一気に魅了する音色に合わせて芸妓達が舞う。浪士達も酒を飲む手を止めて、その音に聞き入る様子だったので、山崎は息を飲んでカグヤに視線を送った。
 一曲弾き終わり、カグヤと他の芸妓が礼をしたので山崎もそれに合わせて頭を下げた。この後は、暫く酒の相手をして、お座敷遊びなどに突入する事が多い。その辺りは客のリクエスト次第なのだが、もしも自分が客ならば、もう一度カグヤの三味線を聞きたいと思うだろう。
 他の芸妓が酌をする中、カグヤはそちらに目もくれずに三味線を山崎に渡すと、代わりに彼の持っていた三味線を手に取る。良く見ると種類が違うようで、次の曲の為に調整をするのだろうと思った山崎は、カグヤに渡された三味線を大事そうに抱えると、できるだけ攘夷浪士達の会話に神経を尖らせた。酒の所為もあり随分と機嫌の好さそうな男達は、あれこれと芸妓相手に話をし、その中には役に立つ情報もまぎれていた。自分で計画を立てておいて何だが、この方法は結構いいかもしれない等と考えていた山崎は、ふと、リーダー格の男がこちらに来るのを確認する。

「流石、鬼兵隊贔屓の芸妓だけあるな。こっちで酌をしろ」

 男の言葉にカグヤは露骨に厭そうな顔をすると、三味線を弾くために呼ばれたんだけどと返答した。

「元攘夷志士なんだろ?」
「アイツともう関係はないし、引き合いに出されても迷惑なだけよ」

 流石に冷たくされてむっとしたのか、男の表情が変わったので、山崎が慌てて間に入る。鬼兵隊がどうとかいう話は気になるが、この際どうでもいい。土方の命令を忠実に遂行せねば、恐らくカグヤが怒りだすか、この男が怒りだすかのどちらかであろう。

「あの、お酌なら私が……」
「お前の先生と話してんだよ!」

 男が手を振り上げたので、山崎はとっさに三味線を抱えて身を引く。それは威嚇だけで振り下ろされる事はなかったが、カグヤは立ち上がると、帰るわよと山崎に声をかけた。ぽかんとする山崎の腕を掴むと、無理矢理立たせ、空いた手で三味線を握る。

「私は三味線を聞かせるのが仕事だけど、アンタ達みたいな躾のなってない客の機嫌を取るのは仕事じゃないの」
「……高杉さんのお気に入りだからっていい気になるなよ」
「アイツの事なんか知ったこっちゃないわよ。攘夷だなんだって言う前に、自分の躾からやり直しなさい」

 ぎゃーと頭を抱えて山崎は叫びたいのを必死に堪えて、そっと男の様子を窺う。案の定、ボロカスに言われ頭に血が上った男が刀に手をかけたので、他の芸妓が悲鳴を上げた。無論、周りの浪士達も、ここで刀を振り回すのは拙いと思ったのか、宥めるが、聞く耳持たずにカグヤを睨みつける。

「叩き切ってやる」

 刀が抜かれると同時に、山崎は抱いていた三味線を放り投げてカグヤを庇う。怪我をさせるわけにはいかないし、そもそも、カグヤ自体はこの座敷に来たくはなかったのだ。自分の所為だと山崎は、彼女を抱きかかえてギュッと目を瞑った。
 しかし、刀が振り下ろされる様子もなく、急に部屋が静かになったので恐る恐る山崎は眼を開けて部屋を見渡す。床には男が落とした刀が転がっており、その傍には先程までいなかった人影が見える。派手な着物を着た隻眼の男。

「俺が贔屓にしてる女だって知って刀振るたぁ、いい度胸じゃねぇか」

 山崎は驚いたように瞳を見開いた。全国指名手配のテロリストがまさかこんな所に現れるとは思わなかったのだ。ちらりとカグヤの表情を窺うと、彼女は心底厭そうな顔をして高杉に視線を送っていた。

「久しぶりだな」
「丁度帰る所だったの。お仲間さんとゆっくりして行きなさいよ」
「うちにすり寄ってくる雑魚だ。仲間なんてもんじゃねぇよ」

 瞳を細めて笑った高杉は、ちらりと座敷を見渡す。確かに彼等はどちらかと言えば過激派の高杉に近いが、鬼兵隊と連携を取っている情報はない。ただ、過激派の中では有名な高杉に、グループとしても一目置いているのだろう。

「折角だ。一曲弾いていけ」
「厭よ」

 憮然と言い放ったカグヤを見て山崎は緊張を高める。すると、高杉は呆れた様な顔をして言葉を零した。

「俺が助けに入らなきゃどーしてたんだ」
「弟子抱えて逃げたわよ」

 その言葉に高杉は喉で笑うと、床の刀を拾い上げて、その切っ先を山崎の喉へ向けた。とっさの事で反応が遅れた山崎は、その場に動けなくなる。

「これでどうだ。一曲でかまわねぇよ。そしたらテメェも、可愛い弟子も解放してやる」

 カグヤは舌打ちをすると、山崎の放りだした三味線を拾い上げ元座っていた場所に座り、三味線の調整を始めた。それを見ていた他の芸妓が所なさげにしているのに気がついた高杉は、踊りは邪魔だ、そいつらの酌でもしてろと言い放ちカグヤから一番近い席に陣取り座る。
 他の攘夷浪士が高杉に謝罪し、話をしているのを横目で見ながら、山崎はカグヤの隣に行くと彼女の表情を窺った。不機嫌そうな顔をして三味線の調整をしている彼女を見ると、申し訳ない気分になったが、攘夷浪士と繋がりはないと聞いていたのに、彼女は高杉贔屓の芸妓であると言われた事に疑問を持つ。自分を助ける為に三味線を弾いてくれる彼女を疑う訳ではないけれど、土方はこの事を知っているのだろうかと心配になる。
 調整が終わった彼女が弦を弾くと、高杉は傍にいる人間を全て離れさせ、煙管に火を入れた。
 一曲目の時ほど座敷は静かではないが、恐らく近くに座る高杉にとっては、周りの騒音など瑣末なものなのだろう。他の攘夷浪士や芸妓を無視して、じっとカグヤを眺めて煙管をふかす。

「おい」

 カグヤの隣に控えていた山崎は、高杉の声に気が付きそちらを向く。自分が呼ばれたのかどうかは分からなかったが、目が合うと、高杉が口元を歪めて手招きをしたので、思わずじっとりと掌に汗をかく。正直怖い。けれど、行かない訳に行かないので腹を括ると、山崎は高杉の傍へゆっくりと歩いて行った。

「酌しろ。三味線は無理でもそれ位は出来るだろう」

 こくりと頷くと、山崎は高杉の差し出した盃に酒を注ぐ。それをじっと眺めていた高杉は瞳を細めると、大したもんだと笑う。意味が解らなかった山崎が困ったような顔をすると、高杉は喉で笑い、更に口を開いた。

「震えてねぇから誉めてんだよ」

 盃を傾けた高杉の横に控え、山崎は酌を続けた。恐らく三味線が一曲終われば解放されるだろう。高杉がカグヤとの約束を守ればの話であるが。

「……今日、この莫迦共が話した情報は心配しなくても本当だ。カグヤの三味線が聞けた礼に持って帰れ」

 高杉が山崎の方を見ようともせずに独り言の様に言葉を零す。それを聞いた山崎は、内心冷や汗をかきながらそれを表に出さすに、意味が解りませんがと返答した。すると、カグヤから視線を外し、山崎の方を向いた高杉が口元を歪めた。

「独り言だ、聞き流せ」

 その言葉に山崎が頷くと、高杉は満足そうに笑う。

「アイツにちょっかい掛ける莫迦共を精々頑張って検挙するんだな。まぁ、どっちにしろ、こいつらからは俺につながらねぇから、多串君は悔しがるかも知れねぇけど。ざまーみろ」

 喉で笑った高杉を見て山崎は心底ゾッとした。カグヤを贔屓にしているというのは本当なのだろうが、贔屓と言うレベルではないように思えたのだ。そして、何より名指しで土方の事を話す所を見ると、カグヤ自体が土方とある程度仲が良いのを承知しているのだろう。この事を土方は知っているのだろうか。
 黙ったままの山崎に興味がなくなったのか、高杉はまたカグヤの方に視線を送る。盃が空けば酒を注ぐという単調作業を繰り返しながら、山崎はふと、この男が自分達を無事に返すのだろうかと心配になって来た。情報を持って帰れと言うのだから、自分は恐らく解放されるだろう。けれど、カグヤはどうか。これだけ執着しているのなら、やすやすと解放しないかもしれない。

「……あの……先生をちゃんと帰らせてくれるんですか?」

 散々悩んだ挙句にストレートに聞く事にする。すると、高杉は意外そうな顔をすると、盃を置いて、煙管に新しい火を入れた。

「約束破ったらカグヤが怒るだろーが」

 ぷかりと煙を吐き出した高杉が、何故か子供の様に見えた山崎は、とりあえずは彼の言葉を信じる事にした。
 三味線の音が止み、山崎は顔を上げてカグヤの方を見る。すると、カグヤはつかつかと高杉の傍に歩み寄り、山崎に視線を落とすと、約束通り帰して貰うわよと言葉を零した。口元を歪めた高杉は、ああ、と返答すると瞳を伏せる。

「次は、可愛い弟子の為じゃなくて俺の為に弾いて欲しいもんだな」
「寝言は寝てから言いなさい」

 冷やかに言い放ったカグヤを見て、口元を歪めた高杉は、山崎に帰って良いぞと言い煙管の煙を吐き出した。素直に頷き、山崎は持って来た時の様に三味線を大事そうに抱えると、カグヤの傍に立つ。後ろを向いた瞬間に斬られるとかないだろうかと心配ではあったが、今はとりあえずこの場から逃げる事だけを考えた方がいいと思いなおし、山崎は注意深く辺りに視線を送る。

「留守番の多串君によろしくな」

 ひらひらと手を振った高杉に、カグヤは更に不機嫌そうな顔をすると、くるりと踵を返し座敷を後にする。

***

 終始不機嫌そうなカグヤの後について料亭を出て、車に乗り込んだ山崎はちらりと彼女の表情を窺った。座敷を出てから一言も口をきかないし、表情も見るからに声を掛けにくい。謝罪や礼を述べるべきだとは解っているが、萎縮した山崎はぎゅっと三味線を抱く手に力を込めた。聞きたい事も山ほどあったが、今の状態で話しかけるのは得策ではない。元々気乗りのしない仕事を無理に頼んだという引け目もあり、山崎はとりあえず彼女の店へ着くまで沈黙を守る事にした。
 勝手口を開けると、土方が台所に突っ立っていたので、山崎とカグヤは驚いたような顔をする。二人に気が付いた土方は、少しだけ驚いたような顔をすると口を開く。

「早かったな」
「何してんのよ」

 若干不機嫌そうな口調でカグヤが問うと、土方は僅かに眉を上げる。

「米炊いてんだよ」

 ふと、開け放たれている座敷の方に山崎が視線を送ると、そこには既に夕食の準備がされていたので思わず声を上げた。

「え!?アレ副長が作ったんですか?」
「俺が作ったモンがこいつの口に合うかよ。行きつけの店の店主に頼んでテイクアウトしたんだ」

 それまで不機嫌そうな顔をしていたカグヤであったが、小さくため息をつくと瞳を細めた。

「有難う兄さん。そんじゃ私着替えてくるから」
「おう」
「ザキさんも着替えて化粧落としたら?洗面所とシャワーは勝手に使っていいからさ」

 カグヤの言葉に山崎はコクコクと頷くと有難う御座いますと礼を言い、座敷に着替えを取りに行った。漸くカグヤの機嫌が直った様で安心したのだ。それを見送ったカグヤは、土方の方を向く。

「あとさ。その炊飯器見張ってなくてもちゃんと仕事するから心配しなくても良いのよ」
「うるせぇよ」

 奥の私室に引っ込んだカグヤの背中を眺めて土方は僅かに眉を寄せた。思った以上に機嫌が悪い。元々無理を言った仕事ではあったが、あそこまで機嫌が悪いとなると何か問題があったのだろう。後で山崎に聞こうと思いながらまた炊飯器に注意を戻そうとするが、座敷から戻って来た山崎がうろうろとしているのに気が付き呆れた様な顔をする。

「何してんだ」
「すみません……洗面所どこですか?」

 ああ、と声を零すと、土方は炊飯器の見張りを中断して山崎を洗面所に案内した。そこで、洗面所に設置されている棚を指さすと口を開く。

「この棚のタオルは客用だから勝手に使って良い筈だ」

 ぽかんと自分を見ている山崎に気が付き、土方は怪訝そうな顔をする。

「何だよ」
「いえ……そのですねぇ。偉く詳しいなぁと……」

 その言葉に土方はぎょっとしたような顔をすると、暫し視線を彷徨わせる。

「前に……酔っ払って服をゲロ塗れにした時に借りたんだよ」

 小声で言う土方に山崎は驚いたような顔をする。

「絶対他の奴に言うなよ!変な勘違いされても困るから喋っただけだからな!」

 そう言うと顔を赤くして土方は台所に戻った。それをぽかんとした様な顔をして見送った山崎は思わずぷっと笑う。確かに変な勘違いを自分もしそうになっていたが、土方が言うように二人の間に色っぽい話は今の所ないのかもしれない。でなければ、土方が自分の知られて恥ずかしい大失態を態々喋る筈もない。
 化粧を落とし、カグヤの厚意に甘えてシャワーを借りる事にした山崎は、湯船にお湯が張ってあるのに気が付く。手を突っ込むと暖かいので、恐らく土方が風呂の準備までしていたのだろう。夕食の支度といい、かなり土方がカグヤに対して今回は気を使っている事に気が付き驚く。カグヤの為に湯を張ったのだろうと思った山崎は、当初の予定通りシャワーだけ借りるとさっさと座敷に戻る事にする。カグヤも使いたいだろうから長く占拠するのも申し訳なかったのだ。
 風呂からあがると、丁度カグヤが奥の部屋から出てきたので、山崎は頭を下げるとタオルを借りた事を伝える。

「あと、副長がお風呂も沸かしてたみたいなんで……俺はシャワーだけ借りましたけど」

 その言葉にカグヤは口元を緩める。

「変な所でお気づかい紳士なのよねぇ、兄さん。あとさ、今日はごめんねザキさん。私の所為で仕事ややこしくなって」

 こちらの方こそと思い、口を開こうとした山崎の言葉を遮って、台所から土方が声を上げたので、そちらを振り返る。

「おい。酒どれ開けるんだ?」
「兄さんの手土産の大吟醸。ぬるめで」

 返事をしたカグヤは、山崎に笑いかけると、ほらねと肩を竦めて風呂場へ向かって行った。確かに元々土方は真選組内でもフォローの立場にいるが、ここまで徹底しているのは珍しいと山崎も不思議に思う。山崎が台所に向かうと、土方が炊飯器の見張りを止めて鍋に水を張っていたので、カグヤが風呂から上がる前に今回の仕事の報告を済ませてしまおうと声をかける事にした。

「報告してもいいですか?」
「ああ。あんだけアイツが機嫌悪そうにしてるって事は、問題あったんだろう?」

 とりあえずあった事を全て報告すると、土方は顔を顰める。

「高杉の野郎がいたのか」
「はい。あのグループとは繋がりはないみたいなんですけど、後で裏は取ってみます」
「ったく、ややこしい時に出てきやがって。アイツが機嫌悪いのも仕方ねぇな」

 ぶつぶつと文句を言う土方に山崎は少し驚いたような顔をする。どうやら高杉がカグヤと知り合いである事は承知しているようだ。

「副長は高杉と先生の事知ってたんですか?」
「知ってる。アイツにベタ惚れで、大昔に振られたのに今だにちょろちょろしてんだよ。この間ストーカーの被害届出させた」
「先生のストーカーって高杉だったんですか!?」

 それは聞いていない。むしろ、先に言っておいて欲しいと思った山崎は思わず声を上げた。すると土方はああ、と返事をし、コンロに火を入れ、以前持って来た酒を徳利に注ぐ。

「江戸に来てるって知ってりゃ、手の打ちようもあったけどな」

 間違いなく茶々を入れに来るであろう事が予想できただけに土方は不機嫌そうな顔をする。寧ろ、巧く網を張れば高杉を捕獲できたかもしれない。今更ぶつくさ言っても仕方ないと思った土方は、徳利を鍋に放り込むとじっとその様子を眺める。後で間違いなくカグヤからは文句を言われるだろう。そう考えると、山崎はさっさと屯所に帰した方が良いような気がする。

「飯食ってる間、多分アイツがぶちぶち文句言うだろうから、手前ェは帰ってもいいぞ」

 その言葉に山崎は首を振ると、いえ、元々俺の依頼ですから文句ぐらい聞きますよと言う。それに、むしろあの高杉相手に無事に帰ってこれたのも、カグヤが聞かせたくもないのに三味線を弾いてくれたからだ。いくら頭を下げても足りない。

「好きにしろ。言っとくけどアイツ容赦ねぇからな。覚悟しとけよ」

 どれだけ覚悟すれば良いのか予想もつかない山崎は曖昧に笑うと、解りましたと返事をした。ドSと名高い沖田の容赦ない攻撃を日々受けている土方が言うのなら余程かもしれないと思いながら、山崎はカグヤが風呂から出るのを待つ事にした。聞きたい事も、詫びたい事も山ほどあったが、土方に任せた方が良いだろう。

「副長に任せますよ。とりあえず俺は先生にお酌のサービスしますから」

 山崎の言葉に土方は笑うと、コンロの火を止めた。すると、土方は少しだけ怪訝そうな表情をして山崎の方を向く。

「どーでもいいけど、『先生』って何だ」
「俺、三味線習おうと思うんです。だから『先生』って呼ぶ事にしました」

 恐らく監察業務に使えると判断しての事であろうが、呆れた様な顔をした土方に山崎は笑うと鍋から徳利を取り出し盆に並べる。

「口添えお願いしますよ」
「……奇特な奴だな」

 困ったように笑った土方は、風呂から上がったカグヤに視線を送ると、まぁいいかと呟き座敷に山崎と一緒に向かった。


お気づかい紳士土方VSわがまま高杉
そんでもって、不運山崎
200907 ハスマキ

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