*傷口は容赦なく抉れ!*

 窓から見える月を眺めてカグヤは瞳を細める。壁に立てかけた三味線の代わりに、自分の体重を壁に預けると三味線を奏でる。ずっと昔に、自分を溺愛していた男から習った三味線。今はコレで食べて行けるほどの腕になったが、趣味で弾く瞬間が一番心地良いと思っている。
 空を眺めるのが好きなのは、昔好きだった男が宇宙へ行ったからであろう。元々、月を見るのは好きだったが、昔とはまた別の感傷に浸る事が多いように思う。見事にフラれて地上に置いてけぼりにされた時に己の道を行く事に決め、攘夷だなんだと地上を駆け回ったのも随分昔の話。今は好きな三味線が弾ければそれで良かった。昔好きだった男が今も夢を持って宇宙を駆けているならそれで良かった。
 ピタリと三味線を弾く手を止めたカグヤは扉に視線を送る。外に人の気配を感じたのだ。
 扉の鍵が開く音を確認したカグヤは、手に持っていたバチを逆手に握りなおすと、三味線を抱えたまま扉の方へ駆け出し、部屋に入ってきた男の首元にそれを当てた。

「…遅かったじゃないの。もう一月よ」
「拙者も仕事があるゆえ、中々当番が回ってこなかったのでござるよ」

 入ってきた男は河上万斉。食事の乗った盆を持って入ってきた彼は、咽喉元に当てられたバチになんら興味を示さず淡々と返答をした。すると、カグヤは口元を歪め口を開く。

「こんなに月が綺麗だし、そろそろ帰ろうと思うの」
「ここにいても不自由はないでござろう?望めば何でもあの男はヌシに与える」

 その言葉にカグヤは呆れたような顔をする。

「莫迦ねぇ。ここには一緒に月を眺めてお酒を飲んでくれる良い男がいないじゃない」
「……左様でござるか」
「さようなら、河上万斉。晋兄に宜しく伝えといて頂戴」
「さようなら、迦具夜姫。晋助に宜しく伝えるでござる」

 身を翻して部屋を飛び出したカグヤを見送ると、万斉は盆を床に置き、窓から見える月を眺める。高杉晋助が愛して止まない女は、何度捕まえても逃げ出す。同じ事をどれ位繰り返しているのであろう。少なくとも鬼兵隊に万斉が入った頃には既にそんな関係になっていた。
 同じ私塾出身の彼等は、いわゆる幼馴染の様な関係であると万斉は聞いている。共に学び、共に戦場を駆けた戦友。高杉はカグヤを溺愛し手元に置いていたが、カグヤはある時、高杉の檻から逃げ出したのだ。恐らく、奔放なカグヤには高杉の檻は窮屈だったのだろう。それは彼女を見ていれば万斉にも理解できる事であった。
 彼女の弾く三味線の音は真っ直ぐで強い。そして他者に依存しない孤高の音楽。万斉はその音が気に入っていたし、評価もしていた。師である筈の高杉とは全く違う音色を奏でる彼女に、檻の中でその音を奏で続けることは不可能であろう。
『迦具夜姫』
 地上の男をより己の道を選んだ女の名を、万斉は彼女のあだ名につけた。
―─地上の男を破滅させ続けた、御伽噺最凶の女の名前じゃないの。
 あだ名をつけた時に、瞳を細めて笑ったカグヤは月を見上げた。宇宙に憧れた彼女は地上に取り残されたが、今でも夢を見ているのだろうか。それとも地上で別の道を選ぶのだろうか。
 そんな事を考えながら、万斉は逃亡の報告をする為に、高杉の私室に向かう事にした。

***

 一月振りに監禁生活から脱出したカグヤは背伸びをすると、己の家に控えめに釣り下がっている『迦具夜姫』と書かれた看板を見上げる。元々は万斉がつけたあだ名だが、気に入ったので店の名前と、座敷での名前に使っていた。昼間は三味線の先生の真似事、夜は座敷で三味線を弾く。それが彼女の生活であった。カグヤ自身詳しくは知らなかったのだが、有名音楽プロデューサーという肩書きを万斉は持っているらしい。その彼が態々名を付けたという事もあり、仕事は意外と回ってくる。
 暫く自宅の前でぼんやりとしていたが、カグヤは三味線を背負ったままくるりと方向転換すると馴染の飲み屋に向かう事にした。月も綺麗で久々に外にも出れて良い気分なので、この気分のまま飲みに行きたくなったのだ。


 店の提灯を見てウキウキした気分になったカグヤは、勢い良く扉を開けると店の中を見渡す。いつも座るカウンター席が空いているのを確認すると、一直線にそこに向かった。常連なので店の案内等は待つ事もないし、そもそもそんなに大きな店でもない。
 そこで見覚えのある男の背中を見つけてカグヤは嬉しそうに笑う。

「久しぶりね兄さん。今日はおやすみ?」
「まぁな」

 酒を舐める土方にカグヤは愛想良くそう言うと、よいしょと言って荷物を降ろす。三味線である事に直ぐに気がついた土方は怪訝そうな顔をするとカグヤの顔を見た。

「なに?」
「座敷の方の仕事か?」

 店で一緒になる事は多いが、土方は彼女自身の仕事を詳しく聞いたのはつい最近の事である。それまでは『三味線屋』という肩書きを聞いて、漠然と三味線を扱う仕事だと思っていた。寧ろいまだに本名は知らないのでこの店の店主が彼女を呼ぶ時に使う『迦具夜』、もしくは『三味線屋』と適当に呼んでいる。普段は彼女が三味線を持って店に来る事がないので不思議に思ったのだろう。

「最近はそっちの仕事は受けてないわ。バタバタしててね。あー銀さんに帰ってきたって連絡しておかなくちゃ」

 その言葉に土方は僅かに眉を寄せる。天敵である万事屋の名前を出されたのが気に入らないのだろう。

「まだ万事屋に仲介させてんのかよ」
「私が仕事回さないと、銀さん困るじゃないの」

 カグヤは仕事を基本的に万事屋経由でしか受けない事にしていた。高杉の所為で留守が多い事もあるし、事情を知っている銀時は柔軟に仕事を振ってくれる。銀時にしてみれば安定した収入源であるし、カグヤにしてみれば細かい調整をしなくて良いので楽をさせて貰っている訳で、幼馴染であるが、今はいい商売相手だとお互いに思っている。
 カグヤは店主に熱燗を頼むと、不機嫌そうな顔をして酒を飲む土方の方に視線を送って笑った。この不機嫌さは万事屋の話題が出ただけでではないと察したカグヤは、口元を歪めるといつもと同じネタを振る事にした。寧ろ、その話を吐き出したくて彼はここに来ているのだ。彼が惚れた女の話。真選組の監察女性隊士に心底ベタ惚れしているが、彼女は局長が好きなのだと言う。終わらない一方通行の思いは、毎度カグヤの酒の肴になっている。

「なに?機嫌悪そうね。遂にフラれた?多串君」
「ふざけんな手前ェ。つーか、多串じゃねぇ」
「じゃぁ、諦めた」
「出来たら苦労しねーよ。ばーか」

 土方の言葉を聞いてカグヤは可笑しそうに口元を歪めると、店主から渡された酒を受け取りなみなみと盃に注ぐ。

「そりゃそうよねー。兄さんロマンチストの上にヒロイック属性だし」
「なんだよそりゃ。ヒロイックとか意味わかんねーよ」

 土方が眉間に皺を寄せると、カグヤは酒を舐めながら口元を歪めた。

「悲劇のヒロインじゃないのさ兄さん。だって惚れた子は兄さんの親友が好きなんでしょ?攫うとかすればヒーローだけど、相手の幸せ願うとかヒロイックじゃない?」
「……本当、他人事だと思って好き勝手言いやがるな手前ェ」

 呆れた様な顔をした土方を見て、カグヤはニンマリ笑うと酒の追加を注文する。カグヤはいつもこの調子で飲み続け、テンションは上がるが割りと普通に店を出るから恐ろしい。酒に強い方ではない土方は、なるだけカグヤのペースに巻き込まれないようにしていた。一度、売り言葉に買い言葉でペースに巻き込まれ、色々と口を滑らせてしまった事があるのだ。土方が惚れた女の話もそうだ。ただ、他の誰にも話す事が出来ず、鬱々と溜め込んでいた事もあり、カグヤに洗いざらい吐き出し気分が楽になったのは事実である。カグヤは終始笑い続けていたが。

「だってさ。兄さんオトコマエで切れ者っぽいのに、基本的に受身じゃないの。特攻しないと何も変わらないに決まってるわ」
「アンタは特攻して玉砕したじゃねーかよ」

 土方が不機嫌そうに言うとカグヤは瞳を細めて笑った。

「そうだったわ〜。『あっはっは!宇宙は危険じゃからのぅ。お前は連れていけんのじゃ』って、ああ……やっぱり無理矢理船に乗るんだった」

 宇宙へ行ってしまった、昔好きだった男の口真似をすると、カグヤはバタンとテーブルに突っ伏した。それを見て土方はぎょっとする。

「おい……」
「くそぅ。振った事後悔するようないい女になってやる。あのもじゃ毛め!」

 泣き出したのかと思ったが、全力で前向きの決意をしたらしい事に気がついた土方はほっとすると同時に、カグヤのポジティブさが羨ましいと思った。自分は特攻など無理だし、ポジティブに考える事など出来ない。カグヤは恐らく倒れる時も前のめりであろう。

「まぁ、アレよね。兄さんが告った所で玉砕確定だしね。うん。ここは兄さん好きなヒロイックに酔って、心に秘めておいたら?」
「莫迦にしてんだろ」
「あ、解った?私、ヒロイックは理解できないから」

 カグヤは笑うとまた盃を傾けて土方の方を見る。すると土方は肩を竦めて更に酒を注文した。

「まぁ、好きにしたら?」
「手遅れになったら諦められるとずっと信じてた」

 ボソリと呟いた土方を見てカグヤは瞳を細め、次の言葉を待った。毎度毎度何かある度に愚痴っては、ずっと待ち続けて、全てが手遅れになれば楽になれると言っていた土方であるが、今日は少し違うらしい。

「でも……なんつーっか、そう簡単にはいかねーよな」
「時間が解決する事もあるわよ。まぁ、兄さんの場合はどうだか知らないけど」
「本当他人事だな」
「莫迦ねぇ。他人だから兄さんべらべら喋るんでしょ?ここで親身になったら無口になる癖に」

 そう指摘され土方は思わずギクリとした。確かにカグヤの絶妙ないい加減さ具合と投げっぱなし具合は話すのが楽であるし、そもそも自分が惚れた女と殆ど面識がないので、話が漏れる心配もないと土方も高を括ってベラベラ喋っているのだ。

「良いんじゃない?吐き出して楽になるなら。精神衛生上鬱々と考えるのはよくないよ」
「…アンタは鬱々と考える事なんかねーだろうな」

 土方がそう言うとカグヤは眉間に皺を寄せて腕を組んだ。ちらりと過ぎったのはこの一月の監禁生活だった。監禁と言っても衣食住に問題はないし、寧ろいつもの生活より数段上のランクの扱いを受ける。高杉も監禁はするけれど無理強いをする訳ではなく、精々三味線を弾け、膝枕をしろと強請る位だ。弾いてやった事はないが、暇つぶしに一人で三味線を弾いている時に、こっそり高杉が聞いているという話は万斉から聞いた。外に出る事もなく、月を眺めて、三味線を弾いて、好きなことばかりやっている筈なのに満たされなかった一月。結局また逃走した。寧ろいつもは一週間以内で逃走なのだから、今回は随分と長居したほうである。

「いやね。実は一月ほど監禁されててね。流石に鬱々としたわ」
「監禁って……犯罪じゃねーかよ」
「ああ、そうなの?アイツ普通にそういう事するから気がつかなかった。次は警察に連絡する事にする。あれ?真選組の方がいいの?」
「どっちでもいいだろーよ」

 同じ世界に住んでるとは思えない感覚のズレに、土方は呆れた様な顔をすると煙草に火を付けた。それを見てカグヤは瞳を細めて笑う。

「なんだよ」
「……少しは楽になった?」
「どーだろうな。手前ェは監禁生活で鬱々として何考えた?」
「そーね。いい加減あの大嘘つきを真選組が捕まえてくれないかなーとか、一月も仕事しなかったら生活できないじゃないとか、折角作った漬物のぬかどこ駄目になっちゃうじゃないのとか、そんな事」
「全然鬱々としてねーじゃねーかよ」
「深刻じゃないの。ぬかどことか!毎日かき回さないと駄目になるし」

 カグヤは不服そうに口を尖らせると漸く酒のつまみを注文する。いつも同じものばかり注文しているのを見ている土方は煙を吐き出しながら顔を顰めた。

「たまには違うの注文しろよ」
「じゃぁ兄さんはたまには違う調味料かけてみたら?」

 からかうようにカグヤが返したので、土方はそれ以上いう事をあっさりと諦めた。マヨネーズの事を引き合いに出されたら納得するしかない。好きなものは好きなのだから他人に言われる筋合いは確かにない。

「食べ物も人も一緒。好きなんだから仕方ないじゃない」
「……そーだな」

 カグヤの言葉に土方は自嘲気味に笑うと瞳を細めた。好きなものは仕方がない。他人に言われてどうこうできるものでもないし、決断するのは結局自分自身であると。

「まぁ、どんなに好きでも玉砕する時は玉砕だけどね」
「本当……手前ェは好き勝手言いやがるな……」

 土方が思わず睨むがカグヤは顔色一つ変えずに口元を歪めると土方の盃に酒を継ぎ足した。一緒に飲む事は多いが酌をするのは珍しいので土方は驚いた様な顔をする。

「どーゆー風の吹き回しだ」
「フラれ坊主に乾杯!」
「ふざけんな!まだフラれてねぇ!」

 土方の言葉を無視してカグヤが盃を合わせたので思わず怒鳴る。しかしカグヤは盃を飲み干すとニヤニヤ笑い土方に視線を送った。

「不機嫌そうな顔してるよりそーゆー顔してた方がいい男よ兄さん」
「手前ェが俺を褒めるなんざぁ明日は嵐だな」

 ブツブツと文句を言う土方を眺めカグヤは瞳を細めた。出会ったのは偶然だが、土方と話すのは悪くないと思っている。お互いに好き放題喋って、ガス抜きをするのには丁度いい関係。

「……そんでよ」
「なに?」
「手前ェを監禁してまで側に置いておきたい野郎ってどんな奴よ」
「興味あるの?」
「まーな。傷口は容赦なく抉れがポリシーみてぇな女好いてくれるなんざぁ、どんな奴かと思って」
「単なる懐古主義者よ。幸せだった頃の思い出と一緒に私を側に置いておきたいだけ。本当に手元に置いておきたいのは私じゃなくて思い出」

 瞳を細めて寂しそうに笑ったカグヤを見て土方は眉間に皺を寄せた。莫迦にされた仕返しに笑ってやろうと思ったのにそのツラは反則だと心の中で舌打ちすると土方は酒を注ぎ足した。

「大切な人を亡くして時が止まったままの可哀想な人。幼馴染じゃなかったら容赦なく切り捨てる所だけど、流石に長く一緒にいすぎてね。本当どうしてくれようと思ってるのよ」

 先程の表情とは一変して本気で眉間に皺を寄せて悩む様子を見せたカグヤに、土方は思わず呆れた顔をする。先程彼女が大事にしているぬかどこ以下と宣言されたも同然の幼馴染の人物像が全く解らなくなったのだ。そもそも、監禁などと物騒な事をする幼馴染は自分なら願い下げだと土方は思ったが、文句を言いながらも面倒見のいい彼女は中々踏ん切りがつかないのかもしれない。でなければすぐさま警察に通報するであろう。

「……流石に幼馴染通報は気が引けるか」
「通報しても捕まりゃしないわよ」
「手前ェ。真選組じゃストーカー一人捕まえられねぇってのかよ」

 ムッとしたような顔をした土方を見て、カグヤは首を振ると、そーじゃないわよと困った様に笑い立ち上がる。

「帰んのか?」
「そーよ」

 店を出るカグヤの後をついてきた土方を見て彼女は怪訝そうな顔をする。

「屯所あっちでしょ?」
「今日は送ってやる」

 監禁された等と物騒な話をされて放置出来る性格でないと知っているカグヤは、別にいいわよと笑いながらひらひらと手を振る。しかし土方が不機嫌そうな顔をしたままついてくるので、カグヤは呆れた様に肩を竦めた。

「悪かったわよ。別に真選組が無能だとかそんなつもりで言ったわけじゃないわ。アンタが自分の仕事に誇り持ってるの知ってるし、評価してる。私はアンタのそーゆー所好きよ」

 カグヤの謝罪を始めは黙って聞いていた土方であったが、最後に突拍子もない事を言われ思わず顔を赤くする。

「な……」
「でも、捕まらないわよ。晋兄は絶対に」

 瞳を細めてカグヤは困った様に笑った。それとは逆に土方は怒った様に眉間に皺を寄せると、自分の携帯を取り出し口を開いた。

「俺の携帯教えるから、真選組にじゃなくて直接連絡しろ。絶対にしょっぴく。大体今は大した事なくても、エスカレートしたらどーすんだ。このご時勢に」
「心配性ね兄さん」
「うるせぇ。手前ェが監禁されて何かあったら、誰にこれから仕事や女の事愚痴りゃ良いんだ。俺が困る」

 大真面目にそう言った土方にカグヤは思わず吹き出す。

「さっきまで傷口を容赦なく抉る女だって文句言ってた癖に」
「……抉らねぇと膿んじまう事だってある」
「そーね」

 自分が抉らなかったから、高杉の心は膿んで病んでしまったのだろうか、それとも膿んでいるのは自分であろうかとぼんやりとカグヤは考えながら土方の携帯番号を押し、一度彼の携帯を鳴らした。

「名前は?」
「タチバナカグヤ。私の本名知らなかったっけ兄さん」
「……知らねぇけど、手前ェの名前じゃねぇよ。ストーカーの名前だ。前科ねぇか調べとく。その方がしょっぴきやすい」

 結局、カグヤの名前は『三味線屋』と登録した土方は呆れた様にそう言う。

「何やったのか知らないけど、もう全国指名手配らしいわよ。この前、銀さんが言ってたわ。あ、兄さんフルネームなんていうの?」

 返事がなかったので、カグヤは仕方なく『多串君』と携帯に登録すると顔を上げた。すると土方は驚いた様にカグヤの顔を眺めていたが、彼女と目が合うと表情を険しくする。

「……『晋兄』ってのは誰だ。今まで手前ェ、誰に監禁されてたんだ」

 彼女が万事屋を真似て、多串君等と言うふざけた呼び方をたまにする事に腹も立つが、この際どうでもいい。重要なのはその前の発言だと、土方は思わず硬い声を放つ。

「高杉晋助。それが私の幼馴染の名前よ」
「何で今まで黙ってた」
「聞かなかったじゃないのさ、兄さん」

 悪びれた様子もなくカグヤが言うので土方は不機嫌そうな顔をする。よりにもよって全国指名手配中のテロリストだ。最近は穏健派の桂とは違って、過激派の筆頭とも呼べる男相手に、目の前の女は涼しい顔で大脱出劇を演じていたのかと思うと眩暈がしそうだった。自分達は血眼で奴を追っていたというのに。

「……まぁ、私じゃ手におえなくなったら連絡するわ」
「ふざけんな。監禁されたら直ぐに連絡しろ」

 その言葉にカグヤはぷっと吹き出す。何故笑われたか理解できなかった土方は、一瞬ぽかんとしたような顔をしたが直ぐに、眉間に皺を寄せ口を開いた。

「笑う所じゃねぇだろーが」
「ごめんなさいね。そのアクティブさを惚れた女に対してすりゃ良いのにって思ったらつい」

 カグヤの言葉に土方はムッとしたような顔をする。そんな事言われなくても本人が一番解ってる事であろう。

「アイツの事は関係ねぇだろーが。ったく、手前ェ、自分の置かれてる状況解ってんのかよ」
「心配しなくても迦具夜姫に心底ベタ惚れの男なんて、破滅しか待ってないわよ」

 それが御伽噺の事を指しているのに気がついた土方は、僅かに眉を上げると小さく溜息をつく。5人の求婚者を残らず破滅に追いやった悪女の名前を好んで背負う目の前の女。受身だ何だと人に言うくせにカグヤもまた高杉に関しては動こうとしてはない。それが幼馴染への同情なのか、カグヤがただ単に面倒だと思っているのかは土方には判断出来なかった。彼女の性格上、後者の様な気がしないでもないが、放置するわけにもいかない。

「……惚れてんのか?高杉に」
「だったら素敵なハッピーエンドだったでしょうね」

 カグヤが可笑しそうに笑ったので、土方は瞳を細めた。掴み所のない女で扱い難い。気がついたら振り回されていて不快だといつも思うのに、会うのを止める事はどうしても出来ない。

「高杉も気の毒に。もう少しマシな女いただろう」
「本人に言ってあげて。そんじゃね、兄さん」

 くるりと方向を変えたカグヤの腕を土方は思わず掴む。それに驚いたカグヤは僅かに眉を顰め、不機嫌そうな声を零した。

「……まだ何かあるの?」
「アンタの前では、莫迦みたいに醜態晒して、情けねぇ所しか見せてねぇけどよ…自分の仕事まで適当にやるほどヘタレた覚えはねぇからな」

 目の前の女に今更格好つけようなどと思わなかった。女々しいだの、ヒロイックなど散々莫迦にされてきた上に、情けない所しか見せていない最悪の関係だ。けれど人の傷口は容赦なく抉る癖に、己の傷口は一切見せないし、泣き言も絶対に言わないカグヤの傷が膿むのをただ眺めているだけなのは御免だった。

「知ってるわ。男の子は志と誇りがあるならどんなに無様で格好悪くても良い男よ。その点では兄さんは花丸」

 瞳を細めて笑ったカグヤを見て土方は思わず舌打ちした。散々莫迦にする癖に、最後のギリギリの一線でこの女は男を甘やかす。大方、高杉にも同じ事をしているのだろう。でなければ、この女に執着する高杉が真性マゾだと言う結論にしか至らない。

「……絶対に手前ェの傷口抉ってやるからな。覚悟してろよ」
「期待しないで待ってるわ。晋兄捕まえたら教えて頂戴。最後に膝枕して、一曲ぐらい三味線聞かせてあげるのも悪くないから」
「ストーカー甘やかすなよ」

 呆れた様に言った土方は、カグヤの腕を掴んでいた手を放すと煙草に火をつける。

「大袈裟に監禁する癖に強請るのはいつもその二つだもの」
「……莫迦だな」
「莫迦なのよ」

 煙を吐き出した土方は肩を竦めると、取り敢えず送ると短く言った。それに対してカグヤは返事をしなかったが、追い払うような仕草もしなかったので、土方は並んで彼女と歩き出した。そして、ポツリと言葉を零す。

「迦具夜姫に惚れて破滅しなかった男もいたんじゃねーか?うろ覚えだけどよ」
「最後の求婚者は破滅しなかったわねぇ。アレは迦具夜姫と両思いだったから。結局、迦具夜姫は月に帰るから、離れ離れだけど。両思いになれなきゃ破滅、なったらなったで離れ離れとか、リスク高いわよね迦具夜姫。ヌシにぴったりだとかつけた本人言ってたけど、今考えるとこの名前嫌がらせだったのかしら」
「俺が高杉捕まえるまで、黙って月に帰んなよ」
「兄さんが振られるまでは地上に居るわよ。今一番の楽しみなんだから」

 やっぱり酷い女だと思いながら土方は夜空に懸かる月を見上げた。迦具夜姫が月に帰ったのが満月の日だったと思い出し、今日満月でないのに思わずほっとした。それ以上に愕然とする。思った以上にカグヤに依存しているらしい。

「酷ェ女」
「でも、良い女でしょ?」
「どっちかつーと、オトコマエな性格だな。真選組に欲しい位だ」

 黙ってれば外見は上等の部類に入るのに性格がオトコマエ過ぎる。外見に騙されてフラフラ寄ってきた男は痛い目にあっているのだろうとぼんやりと考えながら、土方はカグヤを眺めた。長い髪も、綺麗な容姿も迦具夜姫のあだ名に恥じる事はないだろう。けれど、どうしてもその名がぴったりだと土方は思えなかった。

「もう少しマシなあだ名考えろ」
「え?ぴったりじゃない?」
「シナリオがどう転んでもハッピーエンドにならねぇのが気に入らねぇ」

 どうして因果な名前を笑って背負うのだろうか。人を散々助けておいてそれはないだろう。そう思った土方にカグヤは鮮やかに笑って返答する。

「莫迦ねぇ。ハッピーエンドは自分で掴むもんでしょうが。迦具夜姫はハッピーエンドを掴む為に月に帰ったのよ」

 それはどう見ても、ヒロインじゃなくてヒーローだと思いながら、そんなシナリオも悪くないと土方は困った様に微笑んだ。


企画サイト投稿作品
200907 ハスマキ

【MAINTOP】