*胡蝶之夢・side全蔵*

 休日の図書館を利用する学生は多い。彼等もその中の一人なのだろうが、図書館という場所には不釣合な賑やかさである。
「こっちの本の方が詳しい」
「手前ェは関係ねぇんだから黙ってろ」
 隻眼の男が手にとった本を見て、瞳孔の開いた男は不機嫌そうな顔をする。それを眺めるのは呆れたような顔をした女。その賑やかな三人組を見つけた全蔵は、読んでいた本を閉じるとそちらに注意を向ける。
「……教えてくれるのは有難いけど、晋兄、邪魔はしないでね」
「してねぇよ。多串君が愚図愚図してるから教えてやっただけだ」
 晋兄と呼ばれた男、高杉は不服そうな顔をすると、多串……土方に視線を向けて瞳を細めた。
「日本史は苦手みてぇだからな。グループワークでカグヤが足引っ張られたら可哀相だ」
 明らかに馬鹿にした口調で高杉がそう言い放ったので、土方はむっとしたような顔をする。いつもならば言い返すところだが、図書館という場所を考えて自重したのであろう。日本史の授業で、数名のグループに別れて決められた事に関して発表をするのだ。寧ろ、発表というよりは他の生徒に向けて授業をするというのが近い。その為に、土方とカグヤは資料を探しに図書館までやってきたのだ。別のグループで関係の無い高杉がくっついてきたのは、彼の従兄妹であるカグヤが、彼女の幼馴染である土方が仲良く調べものをするのが気に食わない、その一点だけであろう。
「休みなんだから晋兄もどっかでかければ良いのに。私にばっかりくっついてないで」
「カグヤが行くところに行きてぇんだよ」
「迷惑考えろ」
 呆れたような顔をしたカグヤに、涼しい顔で高杉が言う。それに対して短いツッコミを土方がいれたので、高杉は軽く土方を睨む。高校に上がるまで学区が違ったために同じ学校に行けず、漸く同じ学校に行ってクラスも同じになったが、いつも隣にいるのは幼馴染のこの男だと、苛立たしげに高杉は口を開いた。
「多串君は帰ってもいいんだぜ。俺がカグヤ手伝う」
「手前ェが帰れよ!」
 初めこそ遠慮がちな言葉のやりとりだったが、元々気の短い者同士、ヒートアップしてきたのだろう声も大きくなる。それを見て、カグヤは、図書館よ、と短く嗜めるが、それが聞こえないのか、今にもつかみ合いになりそうな険悪な雰囲気となった。
 無理矢理抑えつけるべきか、カグヤがそう思った瞬間、土方と高杉の声がピタリと止まる。驚いてカグヤが二人の方を見ると、揃って己の頭を押さえて俯いていた。
「いい加減にしろ。図書館ってのは静かにするもんだ」
 全蔵の拳が二人の頭に落とされたのだと理解するまでそう時間はかからなかった。日本史教師であり、カグヤと高杉の所属する和楽器部の顧問である服部全蔵。いつもこうやって土方と高杉に平気で鉄拳制裁を下すのだ。二人も、流石に今回は分が悪いと文句も言わずお互いを睨みつけるに留まる。
「先生」
「ったく。姫さん好きなのは分かるけど、困らせんな」
 【姫さん】と時代錯誤の呼び方をするのは学校中探しても全蔵ただ一人である。高杉や土方が側にいることが多く、【難攻不落の迦具夜姫】という有難くもないアダ名を冠する事に因んで呼び出したのだ。
「べ、別にそんなんじゃねぇよ!」
 顔を真っ赤にして否定する土方と、ぷいっと外を向いた高杉を見て全蔵は呆れたように肩を竦める。仲が悪いなら顔を合わせなければ良いのに、カグヤの側にお互いに寄りたがるからバッティングする。そして喧嘩の悪循環。間に挟まれる人間の苦労を考えたことはきっとないのだろう。
「喧嘩両成敗な」
 その言葉に土方は、どーゆー意味だよ、と口を尖らせる。すると全蔵はカグヤに視線を落として笑った。
「借りる本は決まったか?」
 その言葉にカグヤが頷いたのを確認すると、彼女の肩を抱いて、そんじゃカウンターへ、と連れていこうとする。それを見て慌てた高杉が声を上げる。
「ちょっと待てよ!」
「待たねぇよ。お前らは頭冷やして二人で帰れ。心配しなくても姫さんは俺が送って行くから」
 暫し唖然とした高杉と土方であったが、直ぐに不満の声を上げた。
「なんでそうなるんだよ!」
「テメェがカグヤと帰る道理はねぇだろ。ずりぃ!」
 高杉のズルイと言う言葉に全蔵は大げさそうにため息を付くと、カグヤの肩から手を放して、高杉と土方に冷ややかな視線を送る。
「あのな。休みの日にのんびり図書館で過ごそうと思ったら、莫迦な生徒が大騒ぎ。それを仲裁。挙句の果てに生徒一人を家まで送る。そんで俺の休日終了。これは貧乏くじじゃねぇの?」
 全蔵の言葉に土方と高杉は反論できずに黙り込んだ。自分達が大騒ぎをしなければ全蔵ものんびり過ごせただろうし、自分達もまたカグヤと過ごせただろう。自業自得の様な気がしてきたのだ。
「そんじゃな。仲良くしろとは言わねぇけど、迷惑はかけるな」
 何か言いたげだったカグヤに僅かに視線を落とした後、全蔵はそう言うと二人を残して彼女と一緒に手続きをしに行った。

 図書館から出たカグヤと全蔵は、暫く会話も無く歩いていたが、カグヤがぽつりと言葉を零した。
「先生、ごめんね」
 その言葉に全蔵は首を傾げると、どーして?と聞く。
「だって、先生の言う通り貧乏クジじゃないのさ。折角のおやすみなのに」
 申し訳なさそうにカグヤがそう言ったのを聞いて、全蔵は初めは控えめな笑い声であったが、我慢できなくなったのかゲラゲラと笑い出す。それに驚いたカグヤは、ぽかんとしたように全蔵を見上げる。
「何言ってんだ。俺がいつ貧乏くじ引いたって?」
「さっき先生が言ってたじゃないのさ」
「俺はな、【貧乏くじじゃねぇの?】て奴らに聞いたんだよ。正解はな、【当たりくじ】ってこった」
 漸く笑いの収まった全蔵はそう言うと、また笑う。よっぽど可笑しかったのだろう。
「……晋兄と兄さんはまんまと丸め込まれたって事?」
「そーゆー事。いやぁ、可愛いなお前ら」
 きっと後で、この話を聞いたら、二人とも怒るだろうと思ったカグヤはそっと心の小箱にこの出来事をしまうことにした。自分は別に腹は立たないが、まんまとハメられた二人は不快であろうと思ったのだ。
「ちょっと散歩して帰ろうか姫さん。小煩い奴等も居ねぇ事だし」
「そうね。ありがと、先生」
 全蔵の言葉にカグヤは笑うと、そのまま二人で近所の公園へ向かう。遊具がある子供向けの公園ではなく、噴水やベンチ、芝生のある休憩所の様な公園で、カグヤがベンチに座ると全蔵は飲み物を買う為にその場を離れた。
 日曜日で親子連れが芝生で遊んでいるのを見て、カグヤは僅かに瞳を細める。カグヤが比較的親しくしてる人間の中で、アウトドアなのは山崎だけである。彼ならミントン等にせいを出すであろう。高杉や土方は、運動能力は高いが、態々外に出ることは殆どしない。子供の頃はそうでもなかったが、年を重ねるごとに面倒になったのか家の中でグダグダとしていることが多くなったような気がしてカグヤはベンチの背もたれに体重を預けて空を仰いだ。全蔵はどうなのだろうとふと思ったのだ。
「どうした」
「先生はインドアなのかアウトドアなのかって思っただけ」
 戻った全蔵から飲料を受け取ると、カグヤは笑いながら彼を見上げた。隣に座るのかと思ったが、全蔵はそのままカグヤの前に立って飲料に口をつける。
「体を動かすのは好きだな。まぁ、痔持ちでじっと座ってられねぇってのもあるけど」
 全蔵の言葉にカグヤは思わず吹出す。部活の時も全蔵は大概寝っ転がってジャンプを読みながら三味線を聞いている。酷い痔持ちであるのは校内でも有名で、確かにそんな人間がじっと座って何かをするというのは苦痛であろうと納得したのだ。
「そっか」
「何?俺に興味あるの?」
「……そうね。何でいきなり和楽器部作らない?って声かけてきたのかとか、色々ね」
 入学して直ぐに全蔵に声をかけられて作った部活。部室も、部員も全蔵が調達し、後はカグヤがうんと言うだけであったのだ。後で自分の担任である銀八に聞いたところによると、今まで面倒だと部活の顧問は全て全蔵は断っていたのだという。だから何故彼が熱心に、運動部ならともかく文化系の部活を作ったのかと銀八も首を傾げていた。
 カグヤがその話をすると、全蔵は瞳を細めて笑った。
「三味線聞きたかったから。じゃ駄目か?」
「私が三味線弾けるの知ってたの?」
 昔からの付き合いのある面子はカグヤが三味線を弾けるのは勿論知っているが、銀八を含めた先生に話をしたことは無かったのだ。不思議そうにカグヤが言うと、全蔵は曖昧に笑って返答を避けた。それに少しだけカグヤは不服そうな顔をする。
「一杯不思議な事はあるわ。聞きたいことも。でも、先生は全然答えてくれないじゃないのさ」
「俺も巧く説明出来ないんだわ」
 咽喉で笑うと全蔵はカグヤに視線を落とした。少し不服そうな顔をして自分を見上げている姿を見て、思わず口元を緩めた。
「姫さんが卒業する頃にはちゃんと答えられるようにしとく」
「偉く先の長い話よね」
 答える気がないのではないかとカグヤが思ったのが顔に出たので、全蔵は可笑しそうに笑うと、彼女の耳元に唇を寄せて囁いた。
「約束する。絶対だ」
「……ザキさんが、服部先生はズルイ大人だ、って言ってたわよ」
 呆れたようなカグヤの声に全蔵は瞳を細める。
「山崎な。アイツは一番物事よく見てるよな」
 可笑しそうに口元を緩めて山崎の顔を思い浮かべた。一番カグヤの傍に居る面子の中で厄介な生徒。土方や高杉程派手さはないが、一番したたかだろうと。
「嘘つきはあんまり好きじゃないの」
 カグヤの言葉に全蔵は首を少し傾げると、彼女の前に跪いた。それにカグヤは驚いたような顔をして、全蔵を見下ろす。
「先生?」
 全蔵はカグヤの顔を見上げると、瞳を細めて彼女の手を取る。一体何をするつもりなのだと、カグヤが困惑しているのを見て取れた全蔵は、彼女の手の甲に口づけをする。
「ゆびきりは高杉と土方の専売特許だからな。約束のシルシ」
 暫くぽかんと全蔵を眺めていたカグヤであったが、直ぐにかぁっと顔を赤くすると手を引っ込め胸の前でぎゅっと握る。その様子を見て全蔵は満足そうに笑った。今の反応は満更でもなかったかな?と心の中で呟く。
「……」
 何か言葉を探しているのだろうカグヤを眺めていた全蔵は立ち上がると口を開いた。
「早く卒業してくれよ、姫さん。先生と生徒ってのも面倒が多いからな」
「それって、どういう意味よ」
 顔を赤くしたままカグヤが言うので、全蔵は咽喉で笑うと、今度は彼女の頭を抱いて耳元で囁く。
「自惚れろよって事。悪いけど、ズルイ大人だから、餓鬼共には負けねぇよ。姫さんも心の準備、しといてくれよ」
「……なにそれ、ズルイ」
「大人だからな」
 全蔵は体を放すと、満足そうに笑って彼女を見下ろす。
「反応可愛いな姫さん。そんな顔他の奴にしてねぇだろうな」
「私にこんな顔させるの先生位よ……ほんとう……どーしたらいいのさ」
 途方に暮れたような、それでいて照れたようなカグヤの反応を見て全蔵は、そーだな……と言葉を探した。
「卒業楽しみにしてりゃいいんじゃね?」
 あっけらかんと言い放った全蔵を見て、カグヤは呆れたような顔をする。全くもって理解出来ないと思ったのだろう。自惚れろと言いながら、卒業までは今まで通りということだ。意味が分からないと言うようなカグヤの反応をみて、全蔵は瞳を細めて笑った。
「先生。変なコト聞くけどさ」
「何?」
「いつから……卒業するの待ってた?」
 カグヤの言葉に全蔵は迷うこと無く言葉を放った。
「前世からって言ったら信じる?」

 

 約束ってのは尊いモノだな、そんな事を考えながら全蔵は布団の中で寝返りを打った。約束通り高杉は別の世界でもカグヤを追いかけ、自分はカグヤの傍で矢張り高杉とカグヤの間に立っていた。
 好敵手などいないに越したことはないのに、矢張り山崎はカグヤに三味線を教えてもらってる方がイイとか、土方はカグヤを巡って高杉と敵対していた方がイイとか、夢だというのに随分と似た環境であった。そこまで考えて全蔵は、ふと、思いついた言葉を零した。
「胡蝶之夢か……」
 自分が夢で蝶となったのか、蝶が夢見て今自分になっているのか、そんな事を考えた昔の偉い人がそんな言葉を作った。もしかしたら、あの日本史教師である自分が御庭番衆である自分の夢を見ているのかも知れない。
「まぁ、だったら両方で姫さん手にいれればいいだけの話だけどな」
 結局両方の自分が欲しがっているものは同じなのだ。恐ろしいほどブレない自分の願望を再認識して、全蔵は咽喉で笑った。


待つのが苦痛じゃない男
20100201 ハスマキ

3z原作鬼兵隊参戦の為一部改稿
201104 ハスマキ

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