*胡蝶之夢・side山崎*

 廊下を歩いていた山崎は、突然腕を捕まれ驚いたように振り返った。そこにいたのは日本史教師である服部全蔵で、一応教科担当をしてもらっているが、これといって親しいわけでもなく、かつ、呼び止められる心当たりも無かった山崎は首を傾げた。
「あの……」
 遠慮がちに口を開いた山崎の顔を見ると、全蔵は確認するように暫く山崎を眺めていたが、口元を緩めた。
「山崎……退だったっけ?」
「はい。何かご用ですか先生」
「お前和楽器部入れ」
「えぇ!?」
 突然の勧誘に山崎は思わず声を上げた。和楽器部というのは存在だけは知っている。というのも、土方の幼馴染であるカグヤが作った部活なのだ。土方を通して付き合いのあるカグヤであるが、既にミントン部と風紀委員をかけ持ちしている山崎には勧誘の声をかけては来なかった。それはそれで寂しくはあったのだが、気を使ってくれたのであろうと思い、大して気にはしていなかったのだ。それが何故突然……、そう思いながら山崎は全蔵を見上げた。
「俺ミントン部と風紀委員に入ってるんですけど」
「知ってる」
 そう言いながら全蔵の足は既に和楽器部の部室である、旧茶華道部の茶室の方へ向いていた。引きずられるように山崎は連行され、驚いた山崎は慌てて声を上げた。
「それに、その。確かに和楽器部の部長とは知り合いですけど、副部長とは親しくないですし!」
 部長であるカグヤの知り合いということで勧誘されたのだろうかと思った山崎はそういい、ふと、副部長の顔を思い出して身震いした。カグヤの従兄妹である高杉晋助。山崎とカグヤはずっと同じ学校であったが、高杉は高校から同じ学校である。クラスは同じになったのだが、元々教室にマメに顔を出すタイプでもないので、高杉と親しい人間などごく限られているのだ。少なくとも山崎自身は親しい中には入らない。
 その上、風紀委員である土方と、不良グループ筆頭である高杉。カグヤの幼馴染と従兄妹。高杉が傍から見ていて引くほどにカグヤに執着し、そのせいで土方と何かと衝突しているのを傍から見ている身としては正直関わり合いになりたくない。ただ、個人的にカグヤに対して好意を持っているだけに、カグヤを巡って正面きって喧嘩が出来る土方や高杉が羨ましいとほんの少し思っているのは事実だ。綺麗で、優しい上に、どこか男前で、カグヤの事はずっと好きだった。けれど、【難攻不落の迦具夜姫】とアダ名が付く彼女とどうこうというのは、高嶺の花だと自覚はしている。友達としてそばにいるだけでも有難い、そんな山崎の転機となったのは、このハタ迷惑な一方的な勧誘であった。

「新入部員連れてきた」
 敷地の外れにある茶室は、今は無き茶華道部の部室であったものを、顧問の全蔵が獲得して和楽器部の部室としたものだ。運動部の声が遠くに聞こえるのを聞きながら、山崎は仕方がないと思いとりあえず茶室の中に入ることにした。
 そこにいるのはカグヤと高杉。山崎の顔を見たカグヤは驚いたような顔をしたが、高杉は興味がなさそうにまた三味線の弦を弾きだした。和楽器部と言っても、実質部員の二人ともが三味線しか弾けないので三味線部と言ってもは障りはない。
「ザキさん?」
「……あの……どうも……」
 なんと言っていいのか分からない山崎は困ったように笑うと、曖昧に挨拶をし全蔵を見上げた。
「先生」
「とりあえず体験入部な。ちょっと面倒みてやってくれ」
「そりゃ私としては有難いし、構わないけどさ。ザキさんミントン部と風紀委員やってるじゃないのさ。大丈夫?忙しくない?」
 カグヤの言葉に山崎は、そうなんですけどね……と困り果てたように返事をする。すると全蔵は咽喉で笑い、大丈夫だ、と口を開く。
「風紀委員も毎日じゃねぇし、ミントン部も体育館の空き具合で練習するから、二日に一回ぐれぇだろ、練習。あとは自主トレだって聞いてるし」
 そこまでちゃんと調べていたのかと、山崎は驚いたような顔をして全蔵を見上げる。すると彼は口端を上げて笑うと、座れ、と短く言う。
 促されるまま座布団に座った山崎はちらりと高杉に視線を送る。整った顔立ちと、冷ややかな視線。きっとこれがなければカグヤ目当てで部員が殺到したに違いないと思いながら、山崎は困ったよう笑った。
「あの、全然三味線やったことないんですけど」
「まぁ、普通はそうよね。私も晋兄もたまたま習ってただけだし」
 そう言うと、カグヤは持っていた三味線を山崎に渡すと、彼の背後に周り、彼の手をとって三味線を握らせた。
 近い……そう思いながら山崎は冷や汗をかいた。緊張する上に、目の前では三味線を弾く手を止めた高杉が睨んでいる。助けを求めるように全蔵に視線を送ったが、彼は仕事を終えたかのように寝っ転がるとジャンプを読み出している。
「ちょっと簡単な曲弾くわよ」
「はい」
 耳元で聞こえるカグヤの声に、緊張した面持ちで山崎は頷き、彼女の手の導くままに三味線を弾いてみる。旋律は山崎でも知っている童謡であった。要するに弦楽器というのは、指で弦を押さえて音程を調整するというモノで、最後まで弾ききると、なんとなくどこを押さえればどんな音が出るかは理解できた。無論微妙な調整は無理であろうが。
「どう?」
 小首を傾げてカグヤが聞いてきたので、山崎は笑いながら、難しいです、と返答した。実際はカグヤが弾いたのに近いし、先程聞いた高杉の音に比べれば不安定で不恰好だと思ったのだ。ただ、どうやったら高杉のような音が出るのかという事に関しては興味を持った。
「あの」
「なぁに?」
「もう一回弾いてみてもいいですか?」
「いいわよ」
 手を添えようとしたカグヤを見て、山崎は苦笑すると、大丈夫です、と短く言う。すると、今まで黙っていた高杉が驚いた様な顔をして口を開いた。
「一人で弾けるのか?」
「?大体覚えましたから多分大丈夫です」
 その返答に高杉は咽喉で笑うと、弾いてみろ、と短く言う。するとカグヤは山崎の傍を離れて、高杉と並んで座る。流石に正面に座られると緊張すると思いながら、山崎は先程弾いた曲と同じ短い旋律を奏でだした。
 覚えたつもりでも幾つか音を外したと思い、演奏を終えた山崎は、やっぱり難しいですねと笑う。するとカグヤは満面の笑みで拍手をし、驚いたことに高杉も手を叩いたのだ。
「凄いじゃないザキさん。一回で覚えるなんて!」
「教え方が上手なんですよ。でも、やっぱり難しいですね。高杉さんみたいに弾けないですし」
「当たり前ェだ。こっちは何年やってると思ってんだ」
 山崎は自分の言葉に高杉が反応したことに驚いた。いつも土方に浴びせる悪意の篭った言葉ではなく、照れの混じったような好意的な反応。その様子を見ていた全蔵は咽喉で笑うと、口を開いた。
「どーだ。やってみるか?決まった練習日があるわけじゃねぇし、好きな時に来て、好きに弾いてる気楽な部活だ」
「……そうですね。ちょっと面白いです。あの、一番下手なのに掛け持ちであんまりこれないの申し訳ないんですけど、それでも良いですか?」
 伺うように言った山崎の言葉に、カグヤは笑顔を向けて喜んで、高杉はほんの僅かだけ口端を上げた。その反応に山崎はほっとする。褒められたのが嬉しかったし、カグヤが喜んでくれたのも嬉しかった。だから、やってみてもいい気がした。

 翌日。入部届だけでも持ってくるようにと言われていた山崎は、いそいそと部室へ向かった。すると、そこにいたのは高杉だけで、思わず部屋に入るのを躊躇ったが、意を決して入ると、座布団を敷いて隅に座る。今まで三味線を聴いたことが無かった山崎には、上手い下手はよく分からない。けれど、昨日の自分の音より遙かに安定した旋律を聞と、きっと高杉は三味線が上手いのだとなんとなく納得した。あの後にカグヤの三味線も聞かせて貰ったが、同じ楽器を使っているとは思えないぐらい別の音に聞こえた。本人が言うには、自分の音は個性的過ぎて良くないから手本にしない方がいい、と言っていたのだが、カグヤの音も山崎はとても気に入っていた。自分はどんな音を出せるようになるのだろう。そんな期待もあって、山崎は思わず顔を綻ばせた。
 音が止まり、山崎は反射的に顔を上げる。すると、高杉と目があって、山崎は何か言おうと言葉を探すが、それは高杉の声によってかき消された。
「……そこの箱」
「はい?」
 首を傾げた山崎は、部屋を見回す。すると、部屋の隅に黒い箱が置かれており、これを取れと言うことだろうかと判断してそれを抱き抱えると高杉の前に置き、山崎のその正面に座った。すると高杉はその箱に視線を落とし、短く、テメェにやるよ、と言葉を放った。
「え?」
「三味線。持ってねぇだろ。俺のお古だけどな」
 驚いた山崎は箱を恐る恐ると言ったように開ける。そこに収められている三味線は年季が入っているが丁寧に手入れされた綺麗なもので、持ち運びしやすいように解体されていた。
「いいんですか?」
「俺がやんなきゃカグヤがテメェにお古くれてやるんだろ。それはそれでムカツク」
 三味線の組み立て方など分からない山崎がまごまごとしていると、高杉は自分の持っていた三味線を床に置き、箱から古い三味線を取り出す。
「一回しかやらねぇからな」
 そう言い、高杉は三味線を組み立て糸を張る。それを山崎はじっと眺めた。さほど難しいものではなさそうで安心したような顔を山崎がしたのを見て、高杉は咽喉で笑った。
「調弦は曲によって違うからそん時聞け」
 何度か弦を弾いて高杉はそう言うと、山崎に三味線を渡す。
 自分の三味線。
 そう思うと何故か嬉しくなって、山崎は口元を緩めると言葉を放った。
「有難うございます副部長」
「……」
 その言葉に高杉は、驚いたような、照れたような微妙な表情を作った。そんな顔を見て、山崎の方が内心驚く。今まで土方に向けられる敵意、そして、カグヤへ向けられる好意の極端な表情しか見たことがなかったのだ。なんだ、割と普通の人だ、そう思い山崎は心の中で安堵した。
「おやまぁ、それ晋兄のお古?」
 部屋に入ってきたカグヤがいの一番に放った言葉に、山崎は笑顔を向けた。
「はい。持ってないだろうからって」
「私がプレゼントしようと思ったのに」
 少し不貞腐れたような顔をカグヤがしたので、山崎は思わず笑う。ちらりと高杉の方へ視線を送ってみたが、彼は、やっぱり、と言うような顔をしていたのでそれも余計に可笑しかった。山崎は瞳を細めると、指で三味線を撫でる。
「手入れの仕方も教えてくださいね、副部長」
「気が向いたらな」
「……副部長って晋兄?」
 山崎の言葉に素っ気ない反応を高杉はしたが、カグヤは全く別のところに食いつく。
「副部長……ですよね?違いました?」
 不安になった山崎がそう言うと、高杉は咽喉で笑い、合ってる、と短く返答し口元を歪めた。するとカグヤは、瞳を細めて笑い山崎に言葉を向ける。
「部長って呼んで」
「はい?」
 突然の提案に、山崎が唖然としたような返答をすると、高杉は可笑しそうに口元を歪めて言葉を放った。
「俺だけ呼ばれんのが面白くねぇんだろ。テメェだけだからな、部員」
 高杉が一応部員だと認めてくれていると言う事に安堵した山崎は、カグヤの子供のような提案に思わず笑い、部長、と彼女のことを呼んだ。
「はい。これからも宜しくね、ザキさん」
「宜しくお願いします」

 ミントン部と風紀委員と和楽器部の掛け持ちは大変であったが、山崎にとってそんなに悪いものでも無かった。ただ問題があるとすれば、自分自身が風紀委員である土方と和楽器部である高杉の間のポジションに配置されてしまったという事であろうか。今まで仲裁はカグヤや全蔵の仕事であったのだが、自分もそれに巻き込まれてしまったのだ。
「どうして俺を入れたんですか?」
 ある日の放課後、寝転がってジャンプを読む全蔵に山崎は聞いてみた。結局全蔵は山崎以外の生徒は勧誘をしなかったのだ。それがずっと不思議であった。
「相性が良いと思ったから」
「相性?」
 山崎が怪訝そうな顔をすると、全蔵は口端をあげて笑った。
「高杉と土方と相性が良い奴」
 相性が良いか悪いかで言えばきっと悪くはないんだろうとぼんやりと山崎は考える。土方とは元々付き合いは長いし、高杉も自分に対しては比較的好意的である。これは正直山崎自身も何故そうなのかは分からない。特に高杉は人に対して敵意を持つか、無関心であることのほうが圧倒的に多いのだ。
「人に敵意を持たれないってのはある意味才能だろうな。姫さんは人好きだからいいけど、高杉は如何せん好き嫌いが激しいし」
 【姫さん】とカグヤを呼ぶのは学校中探しても全蔵だけである。【難攻不落の迦具夜姫】という肩書きを聞いて、そう呼び出したとカグヤは言っていた。時代錯誤のその呼び方は山崎は嫌いでは無かったし、誰も突っ込まないので結局そのまま呼ばれ続けている。
「副部長も悪い人じゃないんですけどねぇ。人見知りなだけなんじゃないですか?」
 元々世話焼きなんじゃないかと山崎は高杉に対して漠然と思っていた。自分が面倒を見なければカグヤが山崎の面倒を見るので仕方なく見ていると本人は思っているのかも知れないが、そんなに嫌な顔をしない。
「……高杉も土方もな、お前さんの事、【絶対に好敵手になりえない】って思ってるのがおもしれェよな」
「はい?」
 全蔵が笑いながらそう言ったので、山崎は思わず間の抜けた返答をした。その表情を見て、全蔵は可笑しそうに咽喉で笑い、瞳を細める。
「でも、漁夫の利ってのもある」
「……先生楽しんでませんか?」
「楽しい訳ねぇだろ?姫さんが卒業するまでこっちは待たなきゃなんねぇのに。俺は土方より、高杉より、お前さんが怖ェよ」
 全蔵の発言に山崎は思わず苦笑いをした。どうして全蔵がカグヤの為にあれだけ骨を折ったのか漸く理解したのだ。面倒な部活の顧問を引き受け、部室も部員も調達し、高杉と土方の仲裁までやってのける。
「先生特権使いまくって好感度うなぎ登りじゃないですか。ずるいですよ」
「何言ってんだ、大人はズルイ生き物なんだよ。それに俺は長い事またなきゃなんねぇしな。公平だろ?」
 あぁ、そう考えれば確かに公平なのかも知れない。そう思って山崎は瞳を細めて笑った。
「部長が喜んでくれて、仲良くしてくれて、それで俺は十分ですよ」
「そーゆーのが一番怖いんだ」
 そう言われ、山崎は思わず笑った。

 

 瞳を開いた山崎は、体を起こして辺りを見まわす。どうやら真選組の忘年会でうっかり寝入ってしまったようだ。周りではまだ飲んでいる人間もちらほら見えるが、殆どは山崎同様寝入っている様であった。
 背伸びをして山崎はそのまま大広間から廊下へ足を運ぶ。見上げた夜空には月が浮かんでおり、瞳を細めて山崎は笑った。随分壮大な夢であったと。ただ、とても幸せではあった。自分も、高杉も、土方も、全蔵に対しても世界は公平で、カグヤも幸せそうだった。檻もなく、枷もなく、平和で、血なまぐさい事などなかった。
「まぁ、こっちの世界も俺はやっぱり変わらないか」
 どうせ夢ならもっと有利であれば良いのに。そう思い、山崎は思わず笑った。


表面的には土方VS高杉
水面下では山崎VS全蔵
20100125 ハスマキ

3z原作鬼兵隊参戦の為に一部改稿
201104 ハスマキ

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