*胡蝶之夢・EX2*
春休みの特別講習で土曜日にソロバン塾があり、普段ならサボることもあったのだがその日、高杉は真面目に塾に顔を出す。
それに対し従兄妹であるカグヤと、友人である桂は珍しそうな顔をしたが本人は気にする様子もなく、つつがなく塾を終えた。
「カグヤ」
「なぁに?」
自転車置き場でカグヤに高杉が声をかけると、彼女は自転車の施錠を外しながら返事をする。日は暮れて辺りは既に薄暗くなっている。
「寄り道しねぇか?」
「はぁ?もう暗いわよ」
高杉の提案にカグヤが眉を寄せると、ちゃんと送るから、と再度口を開いた。無論、寄り道しなくてもいつも高杉はカグヤの家まで送っていくのだが、今日はどうしても寄り道がしたいらしい。
「ならば一人で行け。俺がカグヤを送っていく」
そう口を出したのは桂で、自転車を押しながら彼等の側へ寄っていった。若干カグヤの家とは方向は違うが、同じ塾生として、クラスメートとして心配してそう口添えしたのだろう。子供の頃からこのソロバン塾に一緒に通っている事もあり、カグヤと桂も高杉のように血縁関係はないが親しい。
「……桜、見に行かねぇか?」
小声で高杉が言うと、カグヤは少しだけ迷った様子で桂に視線を送った。確かに今は桜が丁度いい季節であるし、帰り道に花見に丁度いい公園はある。恐らくそこに寄りたいのだろう。
「明日じゃ駄目なの?」
態々夜に行かなくても、明日昼間に行けばいいのではないか。幸い天候もそう悪く無いと予報されている。そうカグヤが言うと、高杉は拗ねたように、今日がいい、と再度口を開いた。
「うーん。ちょっとだけよ」
渋々ではあるがカグヤが了解すると、高杉は少しだけ嬉しそうに笑った。その様子を眺め桂は呆れたように肩を竦めると、では早いほうがいいな、と自転車にまたがる。
「いや、テメェは帰れよ」
「何を言う!こんな暗がりで二人きりとは危険だろうが!」
ついてくる気満々の桂にカグヤは苦笑すると、一緒に行きましょうか、と笑った。それに高杉は不服そうな顔をしたが、ここで揉めて、じゃぁ止めようと言う流れになるのを回避したかったのか、仕方がないと言うように桂も一緒に連れて行くことにする。
公園は屋台が立ち並び、花見客で賑わっている。基本的に芝生の辺りに客は陣取っているが、一部公園内の自転車用の道にもはみ出して占拠している客もいたので、彼等は事故を避けるために自転車を降りてゆっくりと公園内を移動した。
「しまったわー。もう少し財布にお金入れときゃ良かった」
渋ったものの、賑やかな様子を見れば気分も上がってきたのかカグヤがそう零すと、高杉は瞳を細めて笑う。
「おごるぜ」
「では焼きそばとたこ焼き……いや、たい焼きも捨てがたいな」
「何でテメェにおごんなきゃなんねーんだよ」
食いついたのは桂で、そんな彼に対して高杉は怒るよりも呆れた様子で言葉を放つ。桜は綺麗で屋台は賑やか。高杉もどちらかといえば機嫌は良いらしい。
「まぁ、桜は綺麗よね」
満開の桜。それを見上げるカグヤは瞳を細めて笑う。カグヤが好きな季節の花の中に入っていることを知っている高杉は、満足そうに笑った後、もう少し先、と更に自転車を押してゆく。それにカグヤ達はついていくのだが、その途中で彼等は声をかけられ足を止めた。
「何してんの、こんな時間に」
振り返るとそこにはビールを持った担任銀八が立っており、高杉は露骨に厭そうな顔を作る。
「ソロバン塾の帰りよ」
しれっとカグヤが言うと、銀八は、へー、ほー、と言いながら三人を眺めた。確かに彼等の荷物を見るに塾帰りなのは分かる。
「うんうん。けどお前らの家は公園にないだろーが。寄り道しねぇで帰れ帰れ」
しっしと犬を追いやるような銀八の仕草に桂はむっとしたような顔を作るが、確かに寄り道は褒められた事ではないと口を紡ぐ。
「テメェも楽しんでんだから別に俺等も少しぐらいいいだろーが」
「高杉……お前なぁ、大人と子供を一緒にすんなって。お前らが問題起こしたら俺は花見中断して呼び出しになんの。空気読んでよ。楽しませてよ」
面倒臭そうに言う銀八に対し、高杉はむっとした表情を作り口を開こうとするが、それは脳天気な笑いにかき消される。
「アッハッハ!なんじゃ!おんしらも花見か!一緒に飲むか?」
「辰馬!何生徒誘ってんだ!莫迦か!」
ビニール袋をぶら下げた坂本辰馬は桂の側に立って、ヘラヘラと笑いながら銀八の言葉を受け流す。
「先生もお花見?」
「みんな来とるが」
カグヤの言葉に坂本は近くの集団に視線を送った。するとそこには銀魂高校の教師陣が集まっており、全蔵などは彼女たちに気がついたのか、手を軽く上げて挨拶をする。既に出来上がっているところを見ると、坂本は追加の買い出しなのだろう。二つ持っていた袋の一つを敷物の上に置くと、一つはぶら下げたまま、カラコロと戻ってくる。
「……ちょっとそこの神社に行くだけだ」
不貞腐れたような高杉の言葉にカグヤは目を丸くする。公園の敷地内の小高い場所にある神社に行きたいのだと漸く理解したのだ。
「あー、あそこ」
「枝垂れ桜好きだろ?」
納得したようにカグヤが言葉を零すと、高杉はそう言葉を放った。するとカグヤは苦笑して、好きよ、と返答する。
「俺が付き添いしてやろうか?だったら構わねぇだろ?姫さんが好きなんだったら仕方ねぇよな」
「つーか何さり気なくうちの子にベタベタしてるんですか?やめてもらえませんか?」
いつの間にかカグヤの側に立ってそう言い放った全蔵の言葉に銀八は思わず半眼になる。高杉とカグヤの入っている部活の顧問であるのだが、それでも自分の担任する生徒にべったりなのは若干気に食わなかったのだろう。
「はいはい!分かりました!銀さんが保護者やりますよ!そこまでだからね!ちょっとだけだからね!ちょっとお花見したらお前ら帰ってよ!」
半ばやけっぱちになりながら銀八が叫ぶと、全蔵は残念そうに笑うと、ポンポンとカグヤの頭を軽く叩いてその場を離れる。それに対し高杉は少しだけ顔を顰めたが、なんやかんやで神社まで行くことは出来そうだと安堵した
。
「……つまんねーことで時間食ったな。ちょっと急ぐぞ」
そう言うと、高杉はさっさと自転車を押して神社に向かう。それを見てカグヤと桂は慌てて後を追った。
「ったく、マイペース過ぎんだろ」
ブツブツ言いながら銀八が歩き出すと、何故か坂本も一緒についてきたのでぎょっとしたような顔をする。
「え?お前もくんの?」
「いかんか」
「いや、いいけど」
さも当たり前のようについてこようとした坂本の放った言葉が、余りにも驚いた様子だったので、まぁいいか、と銀八は坂本と並んで歩き出した。
「ちょっと!!!この階段登るのかよ!?」
自転車に施錠をする三人の横で銀八は頭を抱えて悲鳴を上げた。小高い所にある神社は石階段を登ってゆくのだ。その様子を見た高杉は心底面倒臭そうに、じゃぁそこにいろよ、と言い放ちさっさと登ってゆく。
「カグヤ、鞄」
「だいじょーぶよ。それくらい自分で持つわ」
「では頼む」
「テメェは自分で持て」
笑いながらカグヤが大丈夫だと返答したのに対し、何故か桂が鞄を差し出してきたので、高杉は呆れたような顔をして彼の手を軽く叩いた。
ヒィヒィ言いながら登る銀八を尻目に、高杉達は神社の鳥居を潜る。するとカグヤは、大きく瞳を見開いて枝垂れ桜を見上げる。
「……あぁ、満開も満開ね。それに今日は満月」
風が吹く度に舞い上がる花びら。どうやらここの桜は少し下の桜より早いらしい。
「うむ。見事なものだ」
付き合いで来た桂も満足そうに頷くと、漸く銀八と、その背中を押す坂本が辿り着き、ほぅ、と声を上げた。
「おいおい。特等席なのに誰もいねぇじゃねぇか」
驚いたように銀八が言うと、高杉は呆れたように彼を一瞥する。
「テメェみてぇに石段登って行ったり来たりが面倒なんだろうよ」
「アッハッハ!確かにここに陣取ったら便所も難儀じゃ」
脳天気に笑う坂本であったが、彼もまた桜を見上げて目を丸くした。
「月食じゃな」
「……そーだよ。つーか、ここに来るまで誰もその事に触れねぇのが驚きだよ」
高杉の返事に桂は驚いたような顔をしたが、直ぐに月に視線を送った。まだ月は欠けてないのに坂本が月食だと言った事に驚いたのだ。TVか何かでやっていたのを坂本は見ていたのだろう。
「今日だったのね。そっか、ありがと晋兄」
「もうすぐ始まる」
「やべぇ、めっちゃ汗かいた。喉乾いた」
風情もクソもない言葉を吐き出す銀八に、坂本は思い出したようにビニール袋からビールを取り出し銀八に渡すと、更に他の面子にもお茶を配った。
「ありがと、先生」
「済まない」
礼を言うカグヤと桂とは逆に、高杉は無言で受け取ったが、表情は僅かに緩んでいる。
「アッハッハ!酒と言うわけにいかんが」
「そーだな」
そう言いながら坂本はビールを飲みながら高杉に笑いかける。さすがに教師の前で飲酒という事は高杉も考えていなかったのだろう、そう返事をしてお茶に口を付けて時計を確認する。
「始まんぞ」
その高杉の言葉に、カグヤは慌てたように携帯を空に翳した。
少しずつ欠ける月。
瞳を細めながら一同空を眺める。
じわじわと姿を消す月であったが、その全てを消すと思われた瞬間、姿を反転させ赤く輝き出した。
刹那。
強い風が吹いて花びらを舞い上げる。
砂埃と血の匂いに高杉は思わず瞳を見開く。そして、痛むはずのない右目が熱と疼きを訴え、彼は反射的に眼帯を抑えた。
驚いて辺りを見回した高杉は、己が今どこに立っているのかを見失う。
身体と心が軋みを訴え、目眩がする。
「っは……」
無理矢理息を吸い込んで、吐き出してみる。目を閉じればこの痛みは治まるのか。しかし彼は、目を閉じればこの安寧の世界が終わるような錯覚を恐れて、それは出来なった。
刀など無いセカイ。
最愛の者が傍にいるセカイ。
仲間が共に生きているセカイ。
「高杉!」
肩を掴まれ高杉は反射的にそちらを見る。するとそこには銀時……銀八が立っており、高杉の顔を覗きこんでいた。
「……大丈夫だ」
「そうかよ」
そう返事をすると、銀八は直ぐに高杉の肩から手を離した。
「月は異世界の入り口とは良く言ったものだ」
呟くように言葉を放った桂を高杉はまじまじと眺め、そして瞳を細め口を開いた。
「連れて行かれちまったらたまらねぇな」
「そうだな」
彼も幻視をしたのだろうか、そう思ったが、高杉はそれを口に出すことなく再度月を見上げた。既に赤い月は姿を消しており、ゆるゆると欠けた月がその姿を真円に戻している。
「カグヤ、そのデータ後でわしにくれ」
「いいわよー」
のんきに会話をしているカグヤと坂本の姿を眺めながら、漸く高杉は大きく息を吐き出した。
「よーし!お月見は終わりだ!まっすぐ家に帰れよ!絶対だからな!」
念を押すように銀八が言うので、カグヤは苦笑しながら頷き自転車を押す。
「ありがと先生。また新学期に」
朗らかなカグヤの声を聞きながら、銀八と坂本は三人の生徒の背中を見送った。
「珍しいもんが見れたが」
「……まぁ、そーだな」
坂本の言葉に、銀八は僅かに顔を顰めた。脳裏にちらつくのは、ありえないはずのセカイで、僅かに頭を振った。
「宇宙には夢があるき、憧れるぜよ」
そう言って夜空に手を伸ばした坂本を眺め、銀八は目を丸くした。この男はアレを見たのだろうか。それとも自分だけがアレを見たのだろうか。そんな事を考えていると、坂本はにっかり笑い口を開いた。
「まぁ、高校教師も悪くないが。わしはどっちでもええが、高杉辺りはこっちの方がええんじゃろ」
「……そっか」
銀八が明確に聞くことのなかった問いは、坂本の言葉が返答となっていた。
「本当にいいのか?」
念を押すような桂の言葉に、カグヤは苦笑しながら頷く。桂との分かれ道になったのだ。
「大丈夫よ。晋兄もいるし」
「だから心配しているのだ。何かあったら直ぐに電話しろ。スタンバっておく」
「ふざけんな」
桂の心配の言葉に、心底嫌そうに高杉は言葉を吐き捨てると、さっさと帰れ、と付け加える。
「じゃぁね。また」
「ああ」
そう言うと桂は渋々といったように家路につく。手を振ったカグヤと、促すように頷いた高杉の背中を見送りながら、桂は深く息を吐き出した。
月食と言う珍しいものを見る機会は非常に良かったのだが、余計なものまで見えた気がした。幻というには余りにも生々しくて、思わず目を覆いたくなったのも事実で、桂はまた夜空を見上げる。
「……どちらが夢なのか」
ただ言えるのは、どちらのセカイにも桂は守りたいものがあったし、大切な物もあったという事。どちらが幸せなのかなど比べられない。
咎人であった迦具屋姫は地上に落とされ、そしてその罰を受け月に帰ったと言うお伽話を思い出し、彼は瞳を細め満月に手を翳した。
「俺達は咎人だったのか?いつか、向こう側に帰るのか?」
桂はそう零し、翳した手を握りしめた。
「はい、ありがと」
マンションの自転車置き場でカグヤがそう言うと、高杉はしかめっ面をして部屋まで送る、と自転車を停める。
「いいわよ」
「俺が厭だ」
仕方ない、と言うようにカグヤは肩を竦めると高杉を連れてマンションのエレベーターを待つ。その間無言であったが、元々高杉が喋る方ではないのでカグヤも気にする様子もなくじっと明かりの灯る階数表示を見上げる。
「……カグヤ」
「なぁに」
「連れ回して悪かった」
高杉の詫びる言葉に彼女は目を丸くすると、咽喉で笑った。
「何を今更。晋兄が我儘なのは昔っからじゃないのさ」
呆れた様な、それでいてどこか諦めたような言葉に高杉は僅かに瞳を細めた。
エレベーターの扉が開き、ロビーと然程変わりがない明かりだというのに一瞬目が眩む。
──全てを壊したのは自分自身で、その罪悪感に耐え切れず全てまっさらに戻してしまいたかった。
彼女と自分の大切な人を死なせて、おめおめと自分は生き延びて、惨めで、情けなくて、どうしようもなく苛立った。
安寧のセカイなどどこにもない。
「……っ」
先にエレベーターに乗り込んだカグヤは、眼帯を抑えて立ちすくむ高杉を眺めると、彼の手を引いてそのまま抱きしめる。
「……悪い夢でも見た?」
耳元で聞こえるカグヤの声に、高杉は思わず身体を強張らせ、小さく首を振った。
「大丈夫よ、私が側にいるんだから」
カグヤの言葉に高杉は思わず顔を上げて、彼女の顔をまじまじと眺める。
するとカグヤはするりと高杉を抱いていた手を外し、何事も無かったかのようにエレベーターの階数表示に視線を送った。安堵の気持ちと、彼女も識っているかもしれない恐怖に高杉は知らず知らずのうちに拳を握りしめた。
「勝手にどっかに行くなよ」
「莫迦ねぇ。こんなふらふら不安定なお兄ちゃん置いて行けるわけないじゃないのさ」
「俺はお前の兄貴じゃない」
「……そうだったわね」
お兄ちゃん代わりになってあげてね、と言った二人の親の言葉を幼少の高杉は泣いて拒絶した。兄妹だと結婚できないと。親は笑ったが、本人は大真面目だったのだ。そんな思い出が浮かんで、カグヤは瞳を細めた。
「お莫迦さん」
「うるせぇ。どうせ昔のこと思い出してんだろ。忘れろとは言わねぇよ。けど、今度は間違えなかった事を褒めろ」
今度、というのはどういう意味か高杉自身も良くは分からなかったが、その言葉にカグヤは咽喉で笑うと、はいはい、と開いたエレベーターの扉をくぐった。
部屋の前まで送ると、高杉は少しだけ迷ったような表情を作った後に口を開く。
「またな」
その顔を見て、カグヤは少しだけ笑うと、彼の額に一つくちづけを落とした。
「悪い夢は忘れちゃいなさい」
それは子供の頃、悪夢にうなされた時に彼女がしてくれたおまじないの様なものだった。泣きたくなるほど幸せで、時々それが怖くなる。その度にカグヤに会いたくなって、我儘を言いたくなって、自分でも厭になる。けれど彼女は呆れながらも付き合ってくれる。それが確認出来て漸く安心するのだ。
「……愛してる」
「知ってるわよ」
高杉の零した言葉に、カグヤは笑いながらそう言うと、またね、と笑い扉を閉めた。
マンションの駐輪場で高杉は空を見上げた。月は煌々と闇夜を照らし、高杉は思わず瞳を細める。
「……胡蝶の夢か……」
どちらが本当なのか高杉も分からなかった。ただ、彼女がいればそれでいい。そう思い彼は鈍い痛みを訴える目を抑え、忌々しそうに呟く。
「地上に落とされた咎人か……」
そんな御伽話があった。そしてその咎人は元の土地に戻る時に全てを忘れてしまった。幸せであったはずなのに。愛されていたはずなのに。その話をはじめて聞いた時に何故か泣いた幼い自分。
「忘れねぇよ……絶対に。どちらがホントウかわからねぇけどな」
高杉は自嘲気味に笑うと家路についた。
攘夷四人全部揃う話実は初めて。3Zですが。
20150601 ハスマキ