*胡蝶之夢・EX*

──貴方の方が少しだけお兄ちゃんだから、妹だと思って可愛がってね。
 母親の言葉に幼い子どもは泣き出した。困惑した母親は、どうしたの?と驚いたような顔をする。すると彼はは、彼女が妹になったら結婚出来ないから困る、そう言ってまた泣き出した。親達は微笑ましいと笑い出し、大真面目に困った彼は助けを求めるように従兄妹に視線を送る。すると幼い従兄妹は笑って言葉を放った。
──大きくなっても私の事好きでいてくれたらね。
 そう言って彼を慰めるようにゆびきりをしくれた。

 

 朝っぱらから家のチャイムを鳴らされ、カグヤは思わず時計に視線を送った。休日だというのに朝の八時前に人の家を訪れる非常識な知り合いは一人しか居なかったのだ。
「……今日はどうしたの?」
「朝起きたら誰も居なかった。朝飯食わせてくれ」
「我が家も私しかいないんだけどね」
 呆れたようにそう言うと、カグヤは仕方なく従兄妹である高杉を家に入れた。態々自転車でこちらに来るより、コンビニで何か買ったほうが早いんじゃないかと思うが、高杉は朝起きて家族が誰もいないのを確認すると直ぐに彼女の家に向かったのだ。何かと理由をつけて遊びに来るのはいつものことで、今更カグヤも叱る気にはならないのだろう。
「今日は約束あるから、それ食べたら帰ってよ」
「出かけるのか?」
 結局カグヤの準備した朝食を綺麗に平らげた高杉は、怪訝そうな顔をして返答した。するとカグヤは首を振ると、人がくるのよ、と短く言葉を放った。
「日本史のグループ発表があるからそのまとめ。今日は親がいないからうちでやろうって事になってんのよ」
 それに対して高杉は面白くなさそうな顔をする。クラスは同じであるが、運悪く別のグループに割り振られているのだ。そして、彼女のグループ発表のメンツの中にカグヤの仲の良い幼馴染が入ってるのを知っている。隣に住む土方十四郎。学区的に高杉が高校まで彼女と同じ学校に通えなかった間、ずっとカグヤの隣にいた男だ。存在そのものが気に食わない。そんな至極個人的な感情の元、高校に入ってからは、毎度毎度、顔を合わせれば喧嘩になる。
「晋兄と兄さんは顔合わせたら喧嘩になるから今日は駄目よ」
 念を押すようにカグヤに言われ、高杉は少し思案するが、厭だ、と短く返答する。
「邪魔はしねぇよ」
「この間そう言って図書館で大騒ぎした挙句に、先生に怒られたの忘れたの?」
 呆れたように言ったカグヤを見て、高杉はそれでも、ここにいる、と同じ主張を繰り返した。どうしたものかとカグヤは悩むが、結局鳴らされたチャイムによってその思考は中断された。小さく溜息をついたカグヤを見て、高杉は立ち上がると玄関へ向かう。
「……何で手前ェがいんだよ」
「俺がどこにいようが勝手だろ」
 玄関先に立つのは土方と桂であった。高杉の顔を見た瞬間に桂が矢張りと言うような顔をしたので、彼は高杉が居るのを察していたのであろう。後からやってきたカグヤは申し訳なさそうな顔をすると、口を開く。
「ごめんね。晋兄朝御飯食べに来ちゃって」
「図々しいなオイ」
 カグヤの言葉に呆れたような返答をした土方は、靴を脱いで家に上がった。
「自転車が下にとまっていたからな。そんな事だろうと思った。上がらせてもらうぞ」
 桂の顔を見た高杉は瞳を細めると笑った。桂と高杉はずっと学校が一緒の上に、カグヤと一緒にソロバン教室にも通っている。高杉との付き合いが長いだけに心得ているのであろう。さっさとカグヤの部屋へ向かった土方の背中を見ながら、桂はカグヤに視線を送る。
「邪魔にさえならなければ俺は構わん。気にするな」
「ありがと」
 カグヤを慰めるような言葉を零して、桂はほんの少しだけ笑った。

 綺麗に片付いた部屋の中央に卓が置かれており、土方はさっさと座布団に座るとカバンからノートやら資料を出す。桂もそれに習って座ると、カグヤに視線を送って言葉を放った。
「茶菓子などは気を使わなくていいからな」
「はいはい。持って来いって事ね。珈琲でいい?」
 そのやりとりを見て、土方は呆れたような顔をする。一方高杉は、本棚から数冊本を引っ張り出すと、それを持ってカグヤのベッドへ寝転がる。カグヤに念を押されたので、一応は大人しくするつもりなのだろう。土方は安心した様な顔をすると桂に視線を送った。
「結局どっちの資料使うんだ?」
「あぁ、両方と言いたいところだが時間もないしな」
 早速課題の消化を始めた二人に視線を送って、高杉はつまらなさそうにまた本へ視線を落とした。同じグループだったらもう少し授業に顔を出してもいいのに、服部がくじ引きで決めるからだ、面白くない、等と考えながらページを捲る。
 戻ってきたカグヤを交えて三人で資料を捲りながら作業をしていると、高杉が飽きてきたのか、ベッドから降りるとカグヤの後ろにまわり、彼女の肩に顎を乗せて彼等の作った資料に視線を落とす。それに対して土方は少しだけ眉を寄せたが、カグヤ自身が何も言わないので言葉は発することは無かった。
「字が違う」
「どれ?」
「ここ」
 高杉が指を差した場所に視線を落としたカグヤは、誤字を確認するとそれを修正し、ありがと、と短く礼を言う。それに満足そうな顔をした高杉は、再度紙に視線を落とした。べったり張り付く姿は異様でしかないが、桂は突っ込む事もせずに、手を動かす。
「カグヤ。珈琲がなくなった」
「……ヅラッチってさ、そーゆー所遠慮無いわよね」
 マイペースな桂にカグヤは苦笑すると、高杉を引き剥がして空になったコップを回収した。引き剥がされた高杉は不服そうな顔をして桂を睨んだが、桂はそれにちらりと視線を送っただけに留まる。カグヤが席を立ったので、彼女の座っていた座布団に腰を下ろすと、高杉は彼女のチェックしていた紙を手に持ち視線を落とした。
「また誤字か?」
 口を開いたのは桂で、それに高杉は少しだけ瞳を細める。
「誤字もあるけど、これ、資料の引用下手だな」
「どこだ?」
 乗り出す様に桂が高杉の持っている紙を覗き込む。高杉が指摘した場所に視線を走らせて、少しだけ考え込むと、土方、と短く名前を呼んだ。
「なんだ?」
「ここの引用だけどな、削ってしまって、次の章の引用のほうが良くないか?」
「そうか?あんま変わらねぇと思うけど」
 土方は首を傾げて引用を確認する為に本を開いた。
「三章の真ん中辺りだ」
「解ってるよって、手前ェが何で知ってんだよ」
 高杉の言葉に土方は顔を上げると、高杉は怪訝そうな顔をして返事をする。
「その本読んだからに決まってんだろ」
「……関係ねぇのにご苦労なこった」
 恐らくカグヤが借りてきた本をひと通り読んだのであろう。そう考えると呆れるしかない。
「多串君の読解力じゃ難しいかも知れねぇけどな、その本」
「手前ェな……」
 そんなやり取りを見て、桂は思わず、心の中で溜息をついた。作業を初めて一時間。彼等にしては持ったほうかも知れないと思ったのだ。カグヤが戻ってきて怒り出すだろうか、そう思った桂は喧嘩腰になりつつある二人に言葉を放った。
「やめておけ。カグヤに叱られるぞ」
 そう言われ、二人は一瞬怯んだが、桂に一瞬視線を送っただけで彼等は止まることはなかった。それを眺め、桂は、一応止めたからな、と己の任務を全うしたかのように言い切り、再度己の作業に取り掛かった。付き合っていては日が暮れると思ったのだろう。マイペースな桂でなければ出来ない所業だ。
「大体手前ェが口出しすんなよ!」
「親切で教えてやってんだ!ちゃんと資料ぐらい読め!」
「はい。そこに正座。ヅラッチも」
 珈琲を持って部屋に入ってきたカグヤは、いつ掴み合いになってもおかしくない状態の二人に冷ややかな視線を送ると、冷たく言い放った。それに対して不服そうな声を上げたのは桂であった。
「ちゃんと止めたぞ」
「……止めるってのは、ザキさんや先生みたいなのを言うのよ。でもまぁ、ヅラッチなりにとめたんでしょうね」
 カグヤは至極大真面目に言う桂に視線を送ると、ありがと、と言い正座を免除する。それに満足そうな顔をした桂は、二人に視線を送り、ほら、お前らは正座だ、と言う。
「手前ェが言うか……」
「……ヅラだけ免除かよ」
 並んで正座させられる姿は滑稽であるが、カグヤが明らかに怒っているのは見て取れるので、二人は逆らわず大人しく座る。
「邪魔しないって約束したわよね」
「した。邪魔はしてねぇ。ヅラに聞けば解る」
 冷たいカグヤの声に、シュンとした高杉は逃げるようにそう発言した。そもそも土方がちゃんと資料を読んでいないのが悪いのだ、そう主張する高杉を見て、カグヤは呆れたように溜息をつく。
「この課題は私達の課題なのよ。手伝ってくれるのは嬉しいけど、晋兄がやっちゃったら意味ないの」
 諭すように言うカグヤを見上げて、高杉は少し視線を逸らすと、悪かった、と短く謝罪した。
「兄さんも。晋兄が邪魔して悪かったけど、課題ほっぽり出して喧嘩するってのもどうかと思うわよ。喧嘩は課題より大事?」
「……悪ィ」
 高杉の指摘は確かに自分が資料をちゃんと読み込んでおかなかった事が原因だと言う事もあって、土方はバツの悪そうな顔をする。高杉が駄目出し出来ないように作っておけばよかったのだ。実際桂の資料に対しては高杉は駄目出しをしていない。
「そんじゃ、続き。やっちゃいましょうか」
 カグヤの言葉に一同ほっとしたような顔をする。怒る事は多いけれど、カグヤはそれを引きずらないのだ。それは二人にとっても有難いことなのだが、桂に言わせれば、それが結局喉元過ぎればなんとやらで、同じことの繰り返しになるのではないかと。学習できないのか、それともあえて学習しないのか。そんな事を考えながら、桂はまた作業に没頭した。

 無事に課題の目処もたち、帰宅した土方と桂であったが、高杉はカグヤの部屋に居残りベッドに寝転がりながら本を読む。一方カグヤはベッドを背もたれ替わりにし、手元にある今日作った課題に視線を落としていた。
「カグヤ」
「なぁに」
「邪魔して悪かった」
 その言葉にカグヤは咽喉で笑うと、ちゃんと反省してる?と視線を落としたまま言葉を放つ。その様子を眺めながら、高杉は少しだけ瞳を細めると、手を伸ばして彼女の髪に触れた。長い髪は柔らかく、指先に心地良い感覚を与える。もっと触れていたくて、高杉が体を起こすと、カグヤが呆れたような顔をして彼を見上げる。
「私にばっかりにくっついてちゃ駄目よ」
 友達がいないわけではないが、高校に入ってからは特に高杉が自分にべったりしているような気がしたカグヤがそう言うと、彼は短く、俺が厭だ、と返答し彼女の頭を撫でた。
「多串君ばっかり甘やかされて面白くねぇ」
「……兄さんはきっと同じ言葉を晋兄に返すでしょうね」
 まだ足りない、そう言いたげな高杉を見てカグヤは呆れたような顔をする。それとは逆に大真面目な顔で高杉はカグヤを眺めて、困ったように笑った。
「いつになったら俺のモノになってくれるんだ?」
 年を重ね続ける毎にカグヤへの執着も愛しさも増すばかりでどうしようもない。そう思い高杉はその言葉を口にした。明確な返事など今まで貰ったことはないし、幼い頃の約束などカグヤは忘れてしまっているかも知れない。縋っているのは女々しいと思うのだが、それ以外に何も無くて高杉は己自身に苦笑する。
「大きくなっても私の事好きでいてくれたらね」
 紙に視線を落としたまま返答をしたカグヤに、高杉は驚いたような顔をした。それにカグヤは怪訝そうな顔をする。
「なに?」
「約束覚えてたのか」
「忘れたら怒るでしょうが」
 まだ繋がってる。そう思った高杉は、満足そうに笑うとカグヤの顔を覗きこんだ。
「愛してる。誰にも渡さねぇから」

 

 体を起こした高杉は、暫くぼんやりと宙を眺めていたが、突然咽喉で笑うと、両手で己の顔を覆った。
「……あぁ、だから俺は泣いたのか」
 どうして忘れていたのか。どうして、幼い己が泣いて困ると言ったのか。それは夢であった筈なのに、酷く鮮明で高杉は思わず嗚咽を零した。
「初めから駄目だったんだな……俺が忘れてただけか」
 一番最初に選んだ道が駄目だった。それに気がつくまで何年かかったのだろうか。それとも、忘れることで、そんな約束を一方的に反故にしたかったのか。けれどカグヤは覚えていて、ただひたすらに、思い出すことを待ち続けたのだ。願望の具現化した夢。夢のなかの自分は間違えなかったのに、今の自分は無様だと思わず咽喉で笑う。
「……カグヤ……」
 現実でも夢でも愛した女の名を零した高杉は、絶望したように、それでいて、どこか吹っ切れたように笑い出した。


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20110201 ハスマキ

3z原作鬼兵隊参戦の為一部改稿
201104 ハスマキ

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