*胡蝶之夢・side近藤2*

「というわけで、道場の夏合宿来てくだせぇ」
「え?部外者ですけど大丈夫ですか?」
 夏休みを目前にした暑さでうだる夕刻、沖田とリンドウは横に並んで帰宅途中であった。そこで突然沖田は毎年行われている剣術道場の夏合宿に彼女を誘ったのだ。
「毎年山崎も来てまさぁ。女子はいなくて寂しいってんだったら、姐さんも誘いやすし」
 沖田の言う姐さんが、土方の幼馴染の同級生であることはリンドウも理解しており、それなら……と一瞬考え込む。しかしながら、部外者である自分がと言う気持ちも強いのか迷ったような表情を浮かべたのに気がついた沖田はにこにこと愛想の良い笑顔を迎える。
「助けると思って頼みまさぁ」
「え?」
 驚いたようにリンドウが顔をあげると、沖田は神妙な顔をしながら口を開いた。
 夜は宿の食事なのだが、行った当日の昼食は基本自分たちで準備する。そして一昨年はバーベキューとただ焼くだけだったので問題はなかった。しかし去年のカレーは暗黒物質かと思われる物体を作成してしまい大変な目にあったのだという。ただ、予算的にバーベキューは今年は厳しく、やはりここはカレーだろう、となった為に沖田は家事技能の高い彼女を誘ったのだ。
「え……カレーは失敗するほうが難しくないですか?」
「去年のアレ見てないから言えるんでさぁ。試しに道場の連中に去年の昼食について聞いてみてくだせぇ」
 自信満々に言うのでリンドウは沖田の言うことを素直に信じる。そういえばちらりと去年ちょっとあれは酷かったなぁ、等と言っていたのを思い出したのだ。
「まぁ、宿の方はうちの師匠……近藤さんの親父さんですけど、その人の親戚がやってるんで格安で泊まれますんで。ボロ宿ですけどね」
 笑いながら沖田が言うとリンドウもつられて笑う。
「訓練のお邪魔じゃないですか?」
「まぁ、半分遊びみたいなもんでさぁ。走り込みとかはしやすけど、懇親会的な?その懇親会の食事が地獄たぁ、可哀想だと思いやせんか?」
 部活動ではない町道場の夏合宿であるのもあり、その辺りは緩い。そして年齢は道場主の息子である近藤と歳の近い面子が毎年参加している。
「それじゃぁ……相談してみますね」
「楽しみにしてまさぁ」
 無事に説得出来た沖田は上機嫌に彼女を家まで無事に送り届けた。


「という訳で、今年は山崎とリンドウと姐さん追加でさぁ!まともな飯が食えますぜぃ!!!」
 総悟よくやった!!!と言う声が上がる中、土方は不機嫌そうに口をへの字に曲げる。それに気がついた沖田は、ニヤニヤしながら土方の側に寄っていった。
「なんですかぃ土方さん。今年は美味いカレー食えますぜ」
「何で三味線屋呼んだんだ」
「リンドウ一人女じゃ可哀想じゃないですかぃ。姐さんもそういう事情ならって了解くれやしたぜ」
「……アイツが?」
「姐さん確かに出不精ですけど、人の情が分からない人じゃないですぜぃ。まぁ、土方さんの方がわかってるでしょうけど」
「煩ェ」
 不機嫌そうに土方は言葉を零すと、また素振りに戻る。
「いやー!楽しみだな総悟!ハルちゃんのカレー美味しいだろうなぁ!」
 にこにこ上機嫌で近藤が声をかけてきたので、沖田はそうですねぇ、と瞳を細めて笑った。
「きっとリンドウもも楽しみにしてまさぁ」
「そうかな?野郎ばっかりムサイけど」
「姐さんもいますし、夏の海ってシュチュエーションも悪くないんじゃないですか?」
「海!楽しみだなぁ!」
 土方の不機嫌さとは逆に、脳天気に喜ぶ近藤を眺めて、沖田は満足そうに笑いを浮かべた。


「よーし!野郎ども!しっかり走り込みだ!その後は遠泳だからなー!体力配分しっかりやれよ!」
 夏の青空に響き渡る声は剣術道場主のもので、うっす!という返事が聞こえる。その様子を眺めるのはビーチパラソルの下で飲み物の準備をする山崎とリンドウ、そして土方の幼馴染である女。
「結構暑いですね」
「そうだね。熱中症対策は一応してきたけど」
 汗を拭いながらリンドウが言うと、山崎は雲ひとつない空を見上げてため息をついた。夏休みに入って直ぐの合宿なのだが、山崎は毎年参加している。ただし、門下生としてではなく、ほぼ手伝い的なポジションだ。道場の側で親が診療所を開いている関係で、何かと繋がりがあって、近藤の父親である道場主にも可愛がられていた。
「今年は湿度がマシだから楽勝だろ!悪いが退、あと……えっと、お嬢さん方も昼飯宜しく頼む!今年も山崎先生呼び出したら流石に切れられる!」
「いや、去年もブチギレでしたようちの親父……失敗は仕方ないにしても何で食べたんだって……」
 沖田の言ったカレーと言う名の暗黒物質は大げさの話ではなく、本当にどうしようもない物が出来上がって、挙げ句それを食べたために散々な目にあったのだ。山崎だけでは手が回らず、仕方なく彼の父親を呼んだ。病院に担ぎ込む程ではなかったが、それでも腹を下したもの多数で、道場主は山崎の父親から説教を食らったのだ。
「総悟の悪戯が過ぎただけなんだがなぁ」
「挙げ句トドメに土方さんがマヨネーズぶっこんで修復不能でしたからねアレ……」
 思い出したくもない去年の悲しい思い出。結局午後からはうんうん唸ってぶっ倒れる野郎どもが宿に転がる大惨事であったのだ。
 道場主も山崎も思わず遠い目をしたので、リンドウはにこにこ笑いながら、がんばりますね、と言葉を放った。
「たのむよぉぉぉぉぉ!!!二人も女子いるとか大勝利だし!!!!!」
「馴れ馴れしく女子高生の手を握らないでくださいよ!!!セクハラですよ!!!」
 ぎゅうっとリンドウの手を握った道場主を見て、山崎は慌てて引っ剥がすと、リンドウの表情を伺う。彼女は驚いたように目を見開いていたが、お気になさらないでください、と淡く笑った。
「っていうか、部長、何で準備体操?」
 そんな会話に入らず、黙々と準備体操をする自分の所属する和楽器部部長に気が付き、山崎は驚いたように声を上げた。
「え?遠泳だけ参加しようと思って。三キロだっけ?」
「はぁ!?大丈夫なんですか!?」
「終わったらカレー手伝いにいくから」
 そう言うと、彼女は脱いでいたパーカーをシートの上に置いて、長い髪を束ねる。スラッとした長い手足。
「お?行っちゃう?遠泳参加しちゃう?」
「まぁ、走り込みは無理だけど遠泳だけならいい運動になるわ」
 道場主の言葉に彼女は上機嫌に笑うと、鼻歌混じりに走り込みが終わる地点へ小走りで行く。
「やるなー、トシの彼女」
「いや、幼馴染ですけどね。それ土方さんに言ったらぶっ飛ばされますよ」
「弟子にぶっ飛ばされるほど鈍ってない!」
 胸を張って言う道場主に苦笑すると、山崎はリンドウの方に視線を送る。彼女は参加する気はないらしく、走り込みを終える面々の為に、クーラーボックスの中身を確認している。
「走り込み終わったらこれを配って、補充したらカレー作りましょうか」
「そうだね。俺も手伝うし」
 元々手伝う気ではあったが、一人いそいそと遠泳参加で離脱してしまったので山崎は早めに作り始めたほうが良いだろうと判断し、彼女の言葉に同意した。幸い宿の調理場を借りられるので米なども一気に炊けるという有難い条件なのでそんなに苦労はないだろう。
 走り込みの終わった面々に飲み物を配った後、二人は宿へ戻り、そのまま調理場へ向かった。遠泳が終わった後、更に走り込みがあるので、時間的には余裕はあるが、人数分となると野菜を切るだけでかなりの量である。
 大量の米を洗う山崎と、せっせと野菜を切っていくリンドウ。
「大丈夫?そろそろ部長戻ってくると思うけど」
 まさかの遠泳参加で人手が減ってしまったので、山崎が心配そうにリンドウに声をかけると、彼女はにこやかに笑って、大丈夫です、と手を動かしながら返答をする。
「ごめんねぇ。すぐ手伝うわ」
 バタバタと戻ってきた女の姿を確認して、山崎はほっとしたような顔をするが、休憩無くて大丈夫ですか?と確認する。
「三キロぐらいは楽勝だから。ゴメンね、肉と玉ねぎ先に炒めちゃおうか」
 そう言うと、彼女は準備してあった大鍋の前に立ち、早速作業を始める。
「お願いしますね」
「はいはい」
「あ、じゃぁ俺皮むき手伝うから」
 山崎がリンドウの隣で作業をはじめ、昼食を作る作業はスピードを上げる。カレーというのは箱の後ろに書いてあるとおりに作ればそう失敗はしないのだが、去年は沖田の悪ふざけが加速して大変な目にあった。山崎は、今年は大丈夫そうだな、と安心したようにリンドウの言う通りに作業を手伝ってゆく。
 気がつけば大鍋一杯に具材は煮込まれ、リンドウがカレールーを投入する。
「ばっちりだね」
「焦げなければ大丈夫ですよ」
 山崎の言葉にリンドウは笑うと、丁寧にルーを溶かしてゆく。なるほど、ダマにならないようにこうやって溶かすのか、と山崎は感心したようにリンドウの作業を眺めて居たのだが、彼女は首を傾げて笑った。
「どうされました?」
「あ、いや、去年はルーがダマダマだったなぁって。いや、カレーかどうかも怪しい出来だったんだけど……」
 するとリンドウは驚いたような顔をした後、きっと今日は美味しく出来てますよ、と笑った。


「よーし!今日はお嬢ちゃん達プラスおまけが超頑張ってカレー作ってくれたぞ!夕方からはまた走り込みと素振りするからな!しっかり食って!しっかり遊んで備えろ!後配膳はセルフだ!今流行りのやつな!」
 おまけって酷いなオイ!!!!!と思わず道場主の言葉に山崎は突っ込んだが、周りはそう思わなかったのだ、歓声を上げて早速配膳の為に並びだす。昼間は暑さが酷いので基本自由行動で、夕方からまた訓練をする予定なのだ。休憩するもの、泳ぐもの、ナンパするものと様々である。
「リンドウ!こっちこっち」
 沖田に呼ばれ、リンドウはカレー皿を持って移動する。彼女が沖田の側に座ると、沖田は更に近藤を呼んだ。
「近藤さんはリンドウの隣に座ってくだせぇ。まぁ、学食じゃないんで席取り云々おかしな話ですが」
「まぁ、席は余ってるからな」
 そう言うと、近藤はストンとリンドウの隣に座り、にこにこと上機嫌にカレーを眺める。
「いやー、美味しそうだな」
「去年の暗黒物質は何だったんっすかねぇ」
「いや!アレお前のせいだろ!!!」
 沖田の言葉に思わず土方はツッコミを入れるが、入れられた本人はそれを無視して、いただきま〜す、と早速カレーを口に運ぶ。
「お、良いじゃねぇですかぃ」
「本当ですか?良かった」
 安心した様にリンドウが言うと、近藤も、うまいうまい、と満足そうにカレーを口に運ぶ。一方土方は、ふつーじゃねぇの?と零すが、沖田はその反応に顔を顰めた。
「マヨネーズの味しかわかんねぇんだから黙っててくださいよ土方さん。大体姐さんも手伝ったのにその言い草怒られますぜぃ」
「うるせぇ」
 不機嫌そうに土方が返答すると、隣に座っていた女は、笑いながら口を開いた。
「美味しいわよ。見てよ、野菜の大きさとかちゃんと揃ってるから火の通りもバッチリだし。あの子マメねぇ。私ならもっと雑だわ」
「いえ、アク取りとかやって頂いて助かりました!」
「あれきれいに取れると気持ち良いわよね」
 そんな女子同士の会話を眺めながら、ウンウンと道場主は嬉しそうに頷く。
「やっぱり女の子がいると華やかだなぁ。右に百合、左に牡丹。どう?どっちか勲の嫁さんにならない?」
「どっちかって、姐さんは土方さんのなんですから、リンドウしか残ってないじゃないですかぃ」
「何で俺のなんだよ!!!意味分からねぇよ!!!!」
 沖田の返答に土方が怒鳴ると、沖田は心底驚いたような顔を彼に向けた。
「え?姐さん高杉のだったんですかぃ?」
「もっと腹立つわ!!!!」
「じゃぁ、近藤さんの嫁さんになっても良いんですかぃ?」
「そ……それは……寧ろ本人の気持ち次第っつーか、周りはとやかく言うことじゃねぇだろ」
 ニヤニヤと笑いながら追撃する沖田に、最後言葉に詰まる土方であったが、ここで脳天気に近藤が口を開いた。
「やだなー親父!俺には既に心に決めた、おた……」
 最後まで言い切る前に近藤の顔面に二つの拳がめり込み吹っ飛んでゆく。
「えええええ!?勲ぉぉぉぉぉぉ!!!漫画みたいに吹っ飛んだぞ総悟ぉぉぉぉぉ!!トシぃぃぃぃぃ!!」
「あー、師匠すみません。蚊が止まってたんでつい」
 しれっと声を重ねて二人が言うので、呆れたように山崎は、なにやってんだか、とリンドウに視線を送った。彼女は彼女で突然隣に座っていた近藤が吹っ飛んでいったのに驚いて、近藤が言おうとした言葉に関してはもうどこかに行ってしまったのだろう。あわあわ、と立ち上がり濡れタオルを取りに席を外した。
 それを見送りながら、まったく……と沖田は思わず零した後に瞳を細めて笑った。
「これ、あれでさぁ、リンドウ辺りに手当でもしてもらわねぇといけねぇなぁ」
「いやいや、今、勲ふっ飛ばしたよね総悟!?」
 驚いたように道場主が言うと、ニヤニヤ笑い沖田は小声で彼に耳打ちする。
「なに言ってるんですかぃ師匠。ここで近藤さんとリンドウの親密度上げとけば本当に嫁さんに来るかもしれませんぜぃ。姐さんの方はどのみち無理でさぁ」
 そう言われ、道場主はちらりとぶっ倒れる近藤を眺め、さっと目を反らしながら言葉を放つ。
「あー、うん。えっと、リンドウさんだったかな?済まないが勲の手当だけしてやってくれるかな?まったく、あれしきの拳で吹っ飛ぶとは情けない」
「ちょ!!!!親父!!結構フルスイングだったよね二人共!!!見てたよね!!」
 リンドウから手渡された濡れタオルを顔に当てながら近藤が悲鳴をあげると、最近老眼でな……と小声で零す。
「どっちかと言うと痴呆じゃないの親父ぃぃぃぃ!!」
「はいはい、近藤さん。ここは大人しくリンドウに面倒見てもらってくだせぇ」
「えええ。でもハルちゃんも遊びたいんじゃ……」
 心配したようにリンドウの表情を伺う近藤であったが、リンドウの方はにこにこ笑って、手当したら一緒に海に戻りましょう!と笑いかける。
「部屋の方に一応応急キット置いてますんで使ってください」
「ありがとうございます、山崎さん」
 宿の方にもあるにはあるだろうが、外での鍛錬用に、自前のものを持ってきていた山崎が言うと、リンドウは頷いて、行きましょうか?と近藤に声をかけた。
「すまなんだ」
 しょぼしょぼとついていく近藤を眺め、沖田は満足そうな顔をしたが、暫く考え込んだ後に、ちょっと様子見てきまさぁ!と言い出す。
「出歯亀かよ!!」
 思わず土方が突っ込むと、沖田は大真面目な顔で彼に向き合い、土方の隣に立つ女に視線を送る。
「いや、土方さんが育てるのサボったせいで絶壁な姐さんと違って、リンドウは何か立派に育ってやすし……水着姿で手当とかされて、ムラムラしたら流石にリンドウもドン引きでしょうぜ」
 スパァン!といい音を鳴らし土方は沖田の頭をぶっ叩くと、顔を真っ赤にして怒鳴りつける。
「こいつの絶壁が何で俺のせいなんだ!!つーか、セクハラすんなクソガキ!!!」
「そうよ総坊。これは誰も悪くないの。大きかろうが小さかろうがおっぱいに貴賤はないの!」
「手前ェも堂々と言い放つな!!!」
 胸を張って言う恥も外聞もない己の幼馴染に思わず土方はツッコミを入れる。寧ろお前が怒る所だろーが!!と言うが、彼女は、何で?と首を傾げた。
「……何でって……その……」
 顔を赤くしてゴニョゴニョと言う土方を眺め、沖田は土方が他に気を取らてているすきにと、さっさと食堂を出ていく。
「こら!!!総悟!!!手前ぇ!!!!」
 逃亡に気がつくが遅く、沖田の背中は扉に遮られて見えなくなっている。取り残された土方は舌打ちをすると、不機嫌そうに椅子に座った。
「そんじゃ、皿洗いするわ〜」
「あ、部長俺も手伝います」
 遠泳に参加した分手伝いも少なかったし、と彼女は鼻歌を歌いながら調理場に向かう。そしてそれを追う山崎。その二人を見て、道場主は土方にちらりと視線を送って口を開いた。
「頑張って育てろよ。まだ望みはある」
「だから、俺のじゃねぇって」


 宿の部屋に行った二人は、とりあえず山崎の持参した応急キットで怪我の手当をする。幸い切れているところは傷も浅く、寧ろこれから腫れるのではないかと言う心配の方があった。
 しみる消毒液に近藤は僅かに顔を顰めるが、黙ってリンドウの手当を受けた。そして視線を彷徨わせる。というのも、どうせ飯食ったらまた海に行くし!!!水着のままで昼飯食おうぜ!のノリだったので、彼女も自分も水着姿だったわけなのだが、一応薄手のパーカーを羽織っているものの、いつもより露出の高いリンドウの姿に年頃と男としては目のやり場に困る訳である。
 日焼けするのが勿体無いと思う程白い手足と、ちらちら見える野郎の夢と希望が詰まった魅惑の谷。制服の時は余り彼女の体型を気にしたことはなかったが、薄着の上にこれだけ接近すると、流石に健康な男子としてはこれ以上は危険だと段々近藤は不安になってくる。
「はい、これで大丈夫ですよ。宿の方に保冷剤借りてきますのでちょっと待ってて下さいね」
「あ、うん。ありがとうハルちゃん」
 僅かに照れた様な反応を近藤がしたので、リンドウは少しだけ驚いたような顔をしたが、淡く微笑んで部屋を出ていった。

 一方沖田はというと、軽い足取りで手当されている部屋へ向かう。
 近藤が志村妙に惚れているのは知っていた。けれど、沖田としては妙との仲よりもリンドウの仲を応援したかった。それは妙に脈が全く無い、という事もあるが、沖田が個人的にリンドウの事を気に入っていたからである。
 リンドウが近藤に好意を持っていることに気がついた時は驚いたりもしたが、見る目がある、と沖田は思った。ただリンドウの性格が控えめすぎて、アピールらしいアピールも出来ずに長く経っているのもあり、どっかで後押しを、と思い今回合宿に誘ったのだ。
 多分近藤はリンドウを女として見ていない。否、無論性別的に女とは思っているが、異性としては見ておらず、風紀委員の仲間と言う括りが強いのだと思う。そこを突破してしまえば、多分それなりに上手くいくのではないかと沖田は考えていた。
 学校行事になれば、クラスが同じ妙の尻を追いかけてしまう近藤なので、学校外の行事で何とか、と上手く師匠に話をつけて、土方の幼馴染も巻き込んでここまでお膳立てはしてみた。さてはて、どうなるだろう、沖田はニヤニヤとしながら部屋を覗き込んだ。
「ありゃ?」
 沖田の予想に反して、部屋には近藤しかおらず肩透かしを食らった訳なのだが、近藤は近藤でぱぁっと表情を明るくする。
「総悟ォォォォォ!!!」
「なんですかぃ近藤さん。あ、蚊はやっぱ刺した後だったんですねぇ。腫れてますぜぃ」
「いやいや!!これ明らかに蚊じゃないよね!!!総悟とトシの拳のあとだよねぇぇぇ!」
 思わず近藤が突っ込むと、沖田は、そうですかぃ?と惚けたように瞳を細めた。
「リンドウはどうしたんですかぃ?」
「保冷剤借りてきれくれるって。なんか腫れてきたから。あー、総悟来てくれて良かった」
 安心したような近藤の言葉に沖田が首をかしげて、何で?と聞くと、近藤はもじもじと顔を赤くして下を向く。
「ほら……二人っきりって緊張するし」
「はぁ?今まで散々リンドウと勉強したり、映画見に行ったりしてたじゃないですかぃ」
「いやいやいやいやいや!!!水着!!!水着やばいって!!!!何あれ!!!無理!!!無理!!!俺も正常な男子だよ!男子高生だよ!!!あれ見て平然としてるとか無理だから!!!」
 ああああああああ!!と頭を抱える近藤を見て、沖田はニヤニヤする。思惑通りに行ったと確信したのだ。
「大体姐さんも水着だったし、さっきまで横で平気で飯食ってたじゃねぇですかぃ」
「いや、それはそうなんだけどね。なんか、こう、正面から見ると、体小さいし、手は細いし、わぁぁぁぁあ!!ってなった。ヤバイ」
 語彙が完璧に死んでるなコレ……と呆れながら沖田は近藤を眺めるが、彼は彼で大真面目に困り果てている様である。
「まぁ、ドン引きされない程度なら良いんじゃねぇですか?」
「己の劣情に正直絶望してるんだけど。自分で自分に引くんだけど。ハルちゃん可愛いの知ってたけど」
 あ、可愛いと思ってたのか、と少々沖田は驚いたような顔をするが、ニヤニヤ笑いながら口を開いた。
「まぁ、健康な男子高生ですし仕方ねぇですぜぃ。リンドウもその辺は流石に解ってくれまさぁ……多分」
「多分!!多分とか怖い!!!」
「いやぁ、姐さんなら確実に解ってくれそうなんですけどねぇ」
 おっぱいに貴賤はない!と言い切った女とは流石に比べられない。そう思い沖田が曖昧に言うと近藤は涙目になる訳なのだが、ガチャリと扉が開いてそちらに視線を向ける。
「あ、沖田さん」
「様子見に来やした」
 保冷剤を持って戻ってきたリンドウに笑いかけると、沖田はちらりと近藤に視線を送る。さっきまでのジタバタは何だったのか、沖田がいると言うことで最悪自分のストッパーがいるという安心感からか少し落ち着いたようである。
「どうぞ」
 にこにこ笑いながらリンドウがタオルに包まれた保冷剤を差し出すと、近藤は、すまなんだ、と言い受け取った。それを顔に当てると、熱を持った部分が冷やされる。それと一緒に、少し気持ちも落ち着いてきたのか、リンドウに視線を送ると改めて礼を言った。
「ありがとうハルちゃん」
「いえ。お役に立てて良かったです。お食事以外で余りお役に立てないので」
「目の保養になってますぜぃ。ムサイ野郎だらけじゃ目が腐りまさぁ」
「総悟!!!!」
 慌てて近藤が声を上げると、それを見てリンドウは淡く笑った。


 夕食を終えてリンドウが部屋に戻ると、同室の女は鼻歌交じりに洗面用具を準備していた。
「お風呂ですか?」
「一緒に行く?」
 食事の前に一度一緒に温泉に入ったのだが、彼女は再度行くらしい。リンドウは少し迷ったが、少しゆっくりしたいので、と淡く微笑んだ。
「それじゃぁ!」
 シュタッ!と手を上げて飛び出して行ったので、リンドウは驚いたように彼女の消えた扉を眺めていたが、のろのろと部屋の隅に寄せられた卓で茶を入れる。既に食事の間に布団は敷いてあり、眠たい気もするのだが流石に早い。そう思いぼんやりと時間を過ごす。 そんな中、ふと窓から見える中庭に視線を送ると、そこで誰かが素振りをしているようなのでリンドウは窓に近づき人影を確認した。そして彼女は部屋を出て中庭に向かう。

 昼間の賑やかさは薄れ、薄暗い中庭には足元を照らす明かりがポツポツと灯っている。響くのは空を切る木刀の音。外廊下の隅からその様子をリンドウはそっと眺めた。
 近藤だと言うことにはすぐに気がついたし、見つけたからと言って何か話したいことがあったわけではない。ただ、真剣に素振りをする姿を眺めたかっただけである。風紀委員なので一緒にいることは多いが、道場の方までついていくことは殆どなく、たまに沖田に誘われて試合の応援に行くぐらいであったリンドウが、中々見れない近藤の真剣な姿に、ほぅ、とため息をつく。
 彼が志村妙の事が好きなことぐらい解っていたし、自分が彼にとって風紀委員の仲間以外の何者でもない事も理解していた。そばにいられるだけで満足であったし、今日は今日で、楽しい思い出も出来た。優しくて、ダメダメな所も多いけど、格好良くて。そんな事を考えていると、近藤がピタリと手を止めた。
「ハルちゃん?どうした?」
 突然声をかけられ、飛び上がるほど驚いたリンドウは恐る恐るといったように近藤の側まで移動する。
「お邪魔して申し訳ありません……」
 しゅんとしたようなリンドウの姿に、近藤は驚いて首を振ると慌てて口を開く。
「いや!こっちこそ煩かったよね?日課なんですまなんだ」
 蒸し暑く、その上の素振りで汗をかいていた近藤は慌てたようにタオルで汗を拭うと、首をかしげてリンドウの方を見る。
「えっと……何か用だった?」
「あの……いえ……その……これと言って……部屋から近藤さんの姿が見えたのでちょっと覗きに来ただけでして……」
 本当にそれだけなので、どうしたらいいか分からないリンドウはうつむき加減でそう小声で呟く。それを眺めながら、近藤はそういえば先程土方の幼馴染が温泉の方へ向かっていたのを思い出し、あ、一人で部屋で暇だったんだ!と思い、瞳を細めて笑った。
「一人部屋で暇だった?俺の部屋来る?」
 そこまで言うと、突然廊下から何かが飛んできて近藤の顔面にヒットする。
「不純異性交遊禁止だコノヤロー!」
「トシ!?いやいやいやいや!!そうじゃなくて!!総悟が花札持ってきてたし皆で遊ぼうとか思って!!!」
 飛んできたのはマヨネーズで、近藤はそれを拾い上げると慌てたように首を振る。決して下心があった訳ではないと。すると土方は、半眼になりながら、そーかよ、と言いながらつっかけを履いて近藤の側に行くとマヨネーズを受け取る。
「大体!俺の部屋四人部屋だし!二人っきりじゃないし!」
「今皆風呂行ってんだよ。まぁいいや。三味線屋がもうすぐ部屋戻るみてぇだから、あんた暇だったら一緒に来いよ。一人で来んなよ」
 よく見れば土方も風呂上がりなのか、浴衣を来て首にタオルをぶら下げている。そう言われ、リンドウは驚いの余り固まっていたが、はい、と頷いた。
「ったく、紛らわしい。近藤さんもさっさと風呂入れよ」
「おう。それじゃぁハルちゃん!後でね!」
 そう言って近藤は土方と一緒に一旦自分の部屋に戻る事にする。その道中近藤は、マヨネーズをぶつけられた場所をさすりながら、うーん、と唸る。
「何だよ。マヨネーズなんだからあんま痛くねぇだろ」
「いやいや!それ業務用だよね!?結構重量あるから痛いよ!?って、そうじゃなくてだな……」
「あぁ?」
「さっきの俺の発言引くよね!?今考えたらドン引きだよぉぉぉぉぉ!!!」
「俺が突っ込むまで気が付かなかった事にドン引きだよ」
 頭を抱える近藤に土方が冷たく言い放つと、近藤は涙目になって土方にすがりつく。
「ハルちゃんに、え、ちょっとないわ〜、まじありえない、キモい、とか思われてたらどうしよう!」
「いや、アイツそんなキャラじゃねぇし。三味線屋と花札しに来んだろ」
「……来なかったら嫌われたの確定だよねコレ。明日から冷たい目で見られちゃうよね」
 しょぼくれる近藤を眺め、土方はため息をつくと自分の鞄から携帯を取り出した。

「うんうん。いいわよぅ。それじゃ誘って行くわ」
 携帯電話片手に部屋に戻った女は、幼馴染からの電話に機嫌よく返事をすると通話を切り、己の部屋の扉に手をかける。
「あ、あのね今兄さんから電話あってさ、花……」
「近藤さんと花札したいので、眠たいかもしれませんが、一緒に部屋に行って下さい!お願いします!」
 部屋の扉を開けた瞬間に、土下座してそう声を上げたリンドウの姿に彼女は唖然とした後、……あ、はい……、と短く返事をした。


何かあれっすね、新鮮な気持ちで書きました
201907 ハスマキ

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