*胡蝶之夢・side万斉*

 何の前触れもなく両親の連れてきた女の子を見て、万斉は唖然とした。今まで海外に居たが、彼女が今日から下宿をする事になったと言われ、言葉もない。否、両親は以前万斉にそのような事をちゃんと話してはいたのだが、彼が興味を持たず記憶の奥底にその会話を押しこんでしまったのである。
 万斉の母親の後ろに隠れてしまった彼女は、恐る恐るといったように万斉を見上げた。
 小動物のようだ。
 万斉は漠然とそう考え、母親に言葉は通じるのかと聞く。海外にどの位彼女が滞在していたのか、そもそも日本に住んでいたことがあるのだろうか。すると母親は、言葉は通じるのだが……と語尾を濁した。
「拙者は万斉。名前は?」
「レンって言うんよ。よろしくお願いするんよ」
 彼女の言葉を聞いて、万斉は母親が言葉を濁した意味を理解した。恐らく聞き取りは問題ないのだろうが、若干西の方の訛りがある。彼女が日本にいた頃に使っていた言葉が歪んだのか、それとも、彼女に言葉を教えた人間が訛っていたのか。ただ、その訛りは万斉には可愛らしく聞こえ、彼は両親が彼女を連れて帰ってから初めて笑顔を浮かべた。
「宜しく、レン」
 海外では握手の挨拶が一般的だと認識していた万斉が手を差し出すと、彼女は笑顔を向けて万斉の手を握った後、彼にぽふっと抱きつき、頬を寄せる。柔らかい頬と、自分より少し高い体温。握手より、恐らくハグのほうが彼女には一般的な親愛の挨拶なのだろう。そう思い、万斉は苦笑すると、彼女の柔らかい髪を撫でた。

 万斉と言う人間は、彼の両親に言わせれば、手はかからないが非常に気難しい子供であった。音楽等は好きなようで没頭するが、それ以外の反応が希薄なのだ。学校での友人が家を訪れるのも、至極限られた人間だけで、親としては彼のコミュニケーション能力に少々不安を抱いていた。レンと巧くやっていけるかはある種の賭けであったのも否めない。けれど、彼の両親の予想以上に、万斉はレンを気に入ったようで何かと世話を焼く。学校も同じ学校に通わせたのだが、そこでもレンの話を聞く限りではベッタリと世話をしている様だ。知人に頼まれ、面倒をみることになったが、それはレンの為だけではなく、万斉にとっても良いことだった。彼の両親はそう思っただろう。

「万斉。お茶入ったんよ」
 部屋にいた万斉と高杉はレンの言葉に顔を上げると手を止めた。盆に珈琲を乗せ入ってきたレンは、二人がノートを広げていた卓にそれを乗せると、ちょこんと万斉の横に座る。持ってきた珈琲は三つ。レンもここで飲むつもりなのだろう。
「オメェは宿題終わったのか?」
「終わったんよ」
 珈琲に口をつけながら高杉が言うと、レンは得意げにそう返答し笑った。中学から万斉と高杉は同じ学校で、そのまま同じ高校に進んだ。中学の途中でこの家に下宿しているレンを初めて見たときは高杉も驚いたのをなんとなく思い出し、彼は咽喉で笑った。音楽以外に興味のない万斉が、突然人が変わったかのようにレンにべったりしているのだ。学校内では密かに万斉に憧れていた女子生徒が悔しがったのも過去の話で、今となっては、シスコン万斉等と呼ばれている。本当の妹ではないのだからその呼び名は間違っているのだが、レンはレンで、兄のように万斉の事を思っている上に、万斉も否定しないのでそのまま定着してしまったのだ。
「終わってないのは晋助だけでござる」
 冷ややかな視線を向けた万斉に高杉は苦笑すると、悪ィと短く返答し、つまらなさそうにノートに視線を落とした。
 夏の長期休暇はまだ半分以上残っているのだが、どうやらこのコンビはすっかり宿題を終えてしまっている優秀な生徒らしい。
「俺もサボってる訳じゃねぇんだけどな」
「従兄妹殿の所に行くのを半分にすればさぞかし作業が捗るでござるな」
 万斉の言葉にレンは可笑しそうに笑い、高杉は渋い顔をした。高杉が溺愛する従兄妹は、彼等と同じZ組である。夏休みに入ってからは彼女の家に通い詰めていたのだが、突然己の家に来た高杉の顔を見て、万斉は僅かに眉を寄せた。
「だからこうやって今やってんだろ」
「拙者の課題を写す作業でござるがな。従兄妹殿に怒られて渋々スタートしたと言う所でござるか」
 図星だった高杉であるが、バツが悪そうな顔をするどころか、そうだ、と堂々と肯定し、また万斉のノートを写す作業に入る。中学からの付き合いであるが、この高杉の図々しさだけは万斉にもどうにも出来ない。突然家に来たかと思えば、宿題を写させてくれ、なのだから開いた口が塞がらない。まだ夏休みは半分以上残っているし、高杉の頭の出来であればさほど苦労もないだろう。しかし、この男は手を抜けるところではとことん手を抜くのだ。断ろうかとも思ったが、高杉が家に来たのを喜んだレンのお陰でその選択肢は消去され、今こうやってノートを貸している。
「英語はオメェのノート貸してくれ」
「ええよ」
 そう言うとレンはほてほてと部屋を出ていって、自分のノートを持ってきた。それを広げて見た高杉だが、僅かに渋い顔をする。
「相変わらず字がヘタだな」
 英語は綺麗に書くが、レンは日本語に関しては余り巧くない。海外滞在が長いので仕方ないが、高杉の言葉を聞いて機嫌を損ねたのはレンではなく万斉の方であった。高杉の手からノートを取り上げると、自分でやればいい、と短くいい軽く高杉を睨みつける。
「悪かった。昔よか大分巧くなってるじゃねぇか。万斉が相変わらず教えてんのか?」
「そうなんよ。万斉忙しいのにいつも練習に付き合ってくれるんよ!」
 素直に謝罪し、ノートを返してもらった高杉は話を変えるようにレンに話題を振る。するとレンは満足気に返答し、ねー、っと小首を傾げて万斉に同意を求めた。それをみた万斉はレンの頭を撫でると、自分の膝の上にレンを乗せる。身長が高い万斉と、比較的小柄なレンであるから出来るのだが、それを見て高杉はつまらなさそうな顔をする。
「足が痺れてもげろ」
「従兄妹殿がすくすく育って残念でござるな」
 毒を吐いた高杉に、万斉はサラリと嫌味を上乗せして返す。子供の頃は高杉も己の溺愛する従兄妹を膝に乗せていたこともあったが、高校に入ってから、何故か彼女の背が伸びだし、挙句の果てに抜かれたのだ。膝に乗せるのは不可能だと仕方なく諦めた高杉は、今度は膝枕を強請ると言うことを覚えたが、万斉とレンを見ていると、やっぱり膝に乗せるのも良いと思い、よく毒を吐くのだ。
「シンスケ、宿題終わったら遊んでくれる?」
「あぁ、もう少しだから待ってろ」
 万斉同様、高杉もどちらかと言えば友達が少ない。高杉に憧れて傍に寄ってくる人間は何人も居たが、当の本人が面倒臭がって余り付き合わないのだ。けれど、レンの事は気に入ったのか、万斉の付属品としてみているの、比較的好意的に対応する。万斉とて、レンに寄ってくる男は闇から闇へと抹殺したいところだが、高杉に関しては、間違っても好敵手になりえないと判断し、レンが気に入っているということもあり、いまだに付き合いがある。
「万斉。お昼ごはんは何にする?」
「レンが食べたいものを準備するでござる」
「ありがとうなんよ!」
 共働きである両親は不在で、長期休暇中の昼食は万斉が準備をする。レンも手伝いはするのだが、殆ど彼が作ってしまっているといってもいい。それまで家事に興味を示さなかった万斉が、レンの世話をする延長で家のことまでする様になったのだから、両親は随分と有難がったものであるし、驚きもした。
「チャーハン食いてぇ」
「晋助のリクエストは聞いてないでござる」
 ピシャリと高杉のリクエストをぶった切った万斉であるが、高杉の言葉を聞いてスイッチが入ったのだろうか、レンが、私もチャーハンがいい、と言い出す。
「解った。冷蔵庫を覗いてくる」
「即答かよ」
 一度却下した案を安易に曲げる姿は、昔の万斉からは考えられないと思いながら、高杉はレンと部屋を出る万斉を見送った。

「中華はオメェの方が上手いんだからムカツクよな」
「だったら食べなければいい」
 万斉の作ったチャーハンを口に運びながら高杉が言うと、万斉は呆れたように返答し冷たい視線を高杉に送る。しかし彼は気にした様子もなく、完食すると、そんじゃゲームすっか、と言いカバンから携帯用のゲーム機を取り出した。宿題を写しにきたというのに、ゲーム機持参なのだから呆れる。
「宿題はええの?」
「飽きた。ちょっと素材集め付き合え」
 今彼が熱心に遊んでるゲームは万斉もレンも持っている。レンはわーい、と言うと、ほてほてと自室へ戻り、万斉と自分の分のゲーム機を持ってきた。そこまでレンがお膳立てしてしまえば万斉は断るという選択肢は選ばない。レンの隣に座ってゲーム機の電源を入れた。
 暫くは熱心に遊んでいたのだが、高杉は途中で頭を抱えて怒り出す。
「物欲センサー滅びろ!畜生、でねぇ!」
「私は素材でたんよ」
「無欲の勝利でござるな」
 何度も同じステージを付き合わされた万斉は呆れたようにそう言い放つ。そもそもこのゲームはさほど高杉は興味を持っていなかったのに、夏休みに入った頃から急にハマりだし、レンと一緒に遊びだしたのだ。無論万斉もレンに付き合って同じゲームを買っていたのだが。
「……急にハマったのでござるな」
「アイツがやり出したんだよ」
 アイツが従兄妹を指すのだと言うのを理解した万斉は呆れたような顔をする。自分もレンが気に入った物には付き合うほうだが、高杉も大概だと。
「従兄妹殿はゲーム機持って無かったのではないか?」
「多串君にお古貰ったんだとよ。そんで、毎日多串君と遊んでやがる」
 多串君と高杉が呼ぶのは、従兄妹の幼馴染である男だ。マンションの部屋が隣同士であるとかで仲が良いらしく、高杉はそれが気に入らない。二人で楽しそうにしているのが気に入らず、そこに割り込むために態々ゲームを買って遊びに行っているのだから多串君にしてみれば迷惑極まりないであろう。そう考えると、自分は比較的幸運なのかも知れない。レンと自分の間に割り込む人間は今のところいないのだ。ほんの僅かな優越感に機嫌を良くした万斉は、高杉の遊びにもう少し付き合うことにした。

 散々ゲームに付き合わされ、また明日来る、と図々しいことを言い放ち高杉が帰った後に、万斉はゲーム機を片付けレンに珈琲を入れてやる。するとレンは万斉の膝の上に乗って満足そうに笑った。
「沢山遊べて楽しかったんよ」
「そうでござるな。後二日は通ってくるでござろう」
 ノートを貸してやると言ったのに、高杉はそれを断り又来ると言った。恐らく宿題はついでで、ゲームに付き合わせるつもりなのだろう。莫迦だと思いながら、万斉は温かい珈琲を口に含んだ。
「晋助の宿題が終わったら、二人でどこかに遊びに行こうか」
「ええの?」
「どこがいい?」
 そう言われ、レンは少し考えた後に、あのね、と言葉を放った。
「水族館がええんよ。万斉は飽きた?」
 近所にある小さな水族館。レンはそれがお気に入りなのだ。何度通ったかはもう覚えていないし、高杉には通い過ぎだと嫌味を言われる。けれど、レンが喜ぶならどこでも構わないと思っていた万斉は快く諒解した。
「拙者は何度行っても構わないでござるよ。ライブがない日に段取りしよう」
 万斉の言葉にわーい!とレンは喜び、頬を寄せる。夏休みに入り、個人的にやっているバンド活動の間はどうしてもレンとはいれない。その埋め合わせもあるのだろう、万斉はレンの喜ぶことは何でも引き受けるし、何度強請っても文句は言わない。
「そういえば、今度万斉のライブにも行ってみたいんよ」
「いつもパスは渡しているでござろう」
 関係者用のパスをレンに渡しているし、レンも何度か楽屋には遊びに来たことがある。しかし、レンは首を振ると、お客さんとして行きたいんよ、と笑った。
 何でも叶えてやりたいが、それはどうしたものかと考える。自分の客なのだが、一人でレンをあの場所にやるのは些か不安であったのだ。ナンパも多いし、それが気になってステージに集中できない気がしたのだ。
「……そのうち晋助と一緒に来ればいい。チケットも渡す」
 ギリギリの妥協点で万斉は承知する。
「ありがと」
 嬉しそうなレンの体を抱きながら、万斉は瞳を閉じた。

 

 ゆっくり瞳を開けた万斉は、同じ布団に寝ているレンを見て、少しだけ驚く。幸せそうに眠っている彼女は、万斉が動いたせいで、布団が少し剥がれて寒そうに身を小さくした。慌てて万斉が布団をかけ直し、レンをぎゅっと抱くと、彼女は温かさを求めて擦り寄ってくる。
 随分不思議な夢だった。そう万斉はぼんやりと考える。どこか違う時代で、やっぱり高杉が傍にいて、彼は溺愛する女を追いかけていた。そして自分の傍にはやっぱりレンがいて、自分は彼女にまた恋をした。
「……まぁ、今のほうが良いでござるがな」
 そう呟くと、万斉はレンを頭を撫でて、次に見る夢はなんだろうかとを僅かに期待をしている間にまた睡魔の糸に絡み取られた。


驚くほど平常運転の万斉
20110105 ハスマキ

3z原作鬼兵隊参戦の為、一部改稿
201104 ハスマキ

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