*胡蝶之夢・side阿伏兎2*

 前座でギター弾くんで是非来てください!先輩!!!と押し付けられたライブハウスのチケット。夜兎工の後輩に貰った訳なのだが、残念ながら阿伏兎に音楽を理解する趣味はなかった。しかしながら、これと言って予定もなかったので一応は来てみたのだが、会場に入って阿伏兎は人の多さに来たことを少し後悔する。思ったより人が多かったのだ。別に音楽の趣味があるとも言っていない自分にチケットを配る位なので、てっきり客が少なくて困っているのかと思ったのだが、寧ろチケット入手は困難な方らしく、今回やっとチケットとれた!等と話している客の姿を見ると、自分がいていいのか、と一瞬考えてしまった。
 ただ、周りの様子を見るに、前座である後輩のバンドが人気なのではなく、メインのバンドが人気らしい。
 ワンドリンク制と言われたので、適当に飲み物を注文した後、阿伏兎は部屋の後ろの壁に寄りかかりとりあえず、前座の後輩だけ見たら帰るか……とステージに視線を送る。
 既に前の方には始まるのが今か今かと人が押し寄せており、そのお陰もあり阿伏兎のいる辺りは比較的空いている。
 あんなに密集していたら暑いし、窮屈だろう、と興味のない阿伏兎は思うのだが、ファンとしては少しでも近くで見たい、と言う気持ちもあるのだろう。厭そうな雰囲気よりも、期待感の方が高く、賑やかな雰囲気が伺えた。
 開演時間まで後わずか、と言う辺りで、滑り込むように何人か客が駆け込んできて、しばらくすると開放されていた扉が閉められ、照明が薄暗くなる。漸く始まるのか、と阿伏兎は小さくため息をついた。
 
 前座が始まり、阿伏兎はステージの上にいる後輩を探す。どうやらギター担当らしいが、上手いか下手かは残念ながら阿伏兎には判断できなかった。しかしながら、ヴォーカルはそれなりに人気があるらしく、ファンからも割と黄色い声援が上がっている。とりあえず義理は果たした、と安心したように阿伏兎は前座が終わるのを待ってさっさと帰ろうと踵を返す。
 しかしながら、彼が扉を開ける前に背後から大きな声援が上がって驚いた彼はステージの方に視線を戻した。そして、思わずぽかんと口を開ける。知った顔がそこにいたのだ。
 黒ずくめの衣装にサングラス。不機嫌をその場に描いたような表情を作ったままギターを弾く男。
「おいおい、まじかよ……」
 銀魂高校不良フループ高杉派の河上万斉。そして以前阿伏兎がたまたま助けたレンという女の保護者ポジションの男だったのだ。
 初めて万斉に会った時は高杉派とは思わなかったし、後にそろばん塾がどうこう言っていたのが高杉だとわかった時は思わず仰け反った。そして、レンはレンで、相変わらず高杉や万斉と一緒にいることも多いようだが、出先で阿伏兎の姿を見つければ愛想よく挨拶してくる。もしかしたら神威と高杉が敵対している不良グループだと知らないのではないのだろうか、と一寸心配にもなったが、幸いな事に神威はあくまで高杉が目当てで他には興味もないし、寧ろ阿伏兎になついてくるレンを見てニヤニヤとからかう始末である。その辺りは不快で仕方ないが、愛想よく寄ってくるレンを邪険にする事も出来ずなんやかんやで時折立ち話等もする。
 どうやらこのこの手のバンドでは珍しく、ヴォーカルではなくギターである万斉の方が人気が高いのか、たまにあるギターソロの時は一気に盛り上がる。
 寧ろ何で不良グループにいんのアイツ、と心の中で思いながら、阿伏兎はステージの上の万斉を眺めた。そして気がついたのは、万斉はサングラスのせいか余り表情の動きは見えないが、盛り上がっている客ではなく、視線が寧ろ後方……阿伏兎のいる辺りに向いていた。薄暗いのに自分に気がついたのだろうか、そんな事をちらりと考えたが、阿伏兎は釣られるように万斉の視線を追う。そして納得した。自分と同じ様に後方の隅にレンがいたのだ。いつも見るのと同じ様な笑顔で、ステージに視線を送っており、ぴょこぴょことリズムをとる様に体が上下に動いていた。
 ふいに歓声が沸き上がったのでステージに視線を阿伏兎が戻すと、万斉が口元を緩めて手を振っている。歓声というよりは寧ろ悲鳴に近い声が上がり、更にステージは盛り上がっていくのを眺めながら、阿伏兎は思わず呆れたように小さく息を吐き出した。レンが手を振ったのに万斉が応えたのに気がついたのだ。自分に声援を送る多くの客など無視してレンだけに応える姿に気がついてしまうと、ほとほとあの男の事が分からなくなる。寧ろそれ、音楽をやってる人間としていいの?とさえ思う。
 盛大な歓声と拍手の後に、部屋が僅かに明るくなったので、終わったのかと阿伏兎は顔を上げたが、どうやらヴォーカルのトークという名の小休止らしく、舞台上ではセッティングの変更が行われている。万斉はギターのチューニングが終わると、ヴォーカルのトークに乗るわけでもなく、ぼんやりとレンに視線を送っている様子であった、が、突然万斉が眉間に皺を寄せて足を一歩踏み出したので、阿伏兎は驚いて視線の先にいるであろうレンの方を向いた。
「……おいおいおいおい。勘弁してくれよ」
 トークを聞く者、飲み物を取りに行く者がいる中、レンに二人の男が声をかけていたのだ。様子から見て知り合いとは思えない。この流れ何のデジャブ?と一瞬考えたが、ほぼ反射的に阿伏兎はレンの所へ移動した。
「悪いけど俺の連れでね」
 ベッタベタだと自分でも思いながら、そう二人の男に声をかけると、彼らは体躯の良い阿伏兎にぎょっとしたような顔をした後、速攻で離れていった。
「あ、阿伏兎さん!」
「よぉ……っていうか、高杉は今日もそろばん教室か?」
「そうなんよ。誘ったんやけど」
 しょんぼりした雰囲気のレンを眺めながらちらりと阿伏兎は万斉の方に視線を送る。すると、万斉は結局踏み出した足を止めており、ステージから飛び降りて喧嘩を売りに行くという暴挙は取りやめたようであった。否、阿伏兎がそう思っただけで、実際のところは分からないのだが、阿伏兎は少なくともそう感じた。あの男の優先順位がおかしい。ただそれだけは阿伏兎にも漸く理解できる。
「……万斉見に来たん?」
「いや、前座のギターが夜兎工のやつでお義理。音楽は全然わかんねぇ」
 正直にそう言うと、レンは、そっかー、と言いながらステージに視線を送る。
「これまだ長いのか?」
「いつも通りなら、この後メンバー紹介して、五分ぐらい休憩あって、またステージやって終わりなんよ」
 結構長いな……と思いながら阿伏兎はレンと同じ様にステージの方に視線を送る。すると丁度万斉が紹介される所で、彼がにこやかに笑って手を振ったので、主に女性の悲鳴と、シャッター音が一気に湧き上がる。阿伏兎の横ではにこにことレンが手を振っており、思わず阿伏兎は苦笑いした。女性ファンが、笑ってる万斉様って超レアじゃん!等と言っているのが聞こえたのだ。多分普段はこの手のパフォーマンスはしていないのだろう。
 一旦ステージから面子が降りると、ぱっと室内は明るくなり、思わず阿伏兎の目が眩む。そして、それと同時にレンが持っていた鞄から携帯を引っ張りだした。僅かな振動と点滅。どうやら着信しているようだ。こういう所携帯の電源切らなくていいのか?とも思ったが、先程万斉の写真を撮るために携帯を構えていた面子もいたので、余り煩くないのかもしれない。
「阿伏兎さん」
「ん?」
 小声で何か話していたレンが突然携帯を差し出してきたので阿伏兎は困惑する。
「万斉が代わって欲しいって」
「はぁ?」
 俺は話すことないんだけど、と思いながらも、放置するわけにも行かないので阿伏兎は彼女から電話を受け取る。
 要するに、お前とレンが一緒にいるのは不本意だが、高杉の莫迦がドタキャンしたので仕方なく虫よけとしてお前、終わるまでそこにいろ、と一気に言われる。
「いや、ちょっとまて。俺前座見に来ただけなんだけど」
「ではレンを一緒に連れて出るでござる」
「はぁ?いや、お嬢最後まで見る気満々じゃねぇかよ」
「ふむ。では今から拙者がレンと帰るのでそれまで……」
「いやいやいや!!お前ステージどーすんだ!!」
「どうでもいい」
 もうヤダ、こいつ。本気で阿伏兎はそう思う訳なのだが、もうここはステージを最後まで見たいであろうレンと一緒にいる事を了承する。この盛り上がりの中人気ギター後半不在とか、金返せというレベルであろうし、何で俺が、と言う気持ちも無い訳ではないが、自分が折れたほうが穏便だと阿伏兎は判断したのだ。
 大きくため息をついた阿伏兎が携帯をレンに返したので、彼女は首を傾げる。
「万斉なんて?」
「ドタキャンの高杉の代わりにお嬢のナンパ除けしとけとよ」
「あー」
 そうレンが声をこぼしたのは、さっき知らない男に声をかけられたからであろう。
「阿伏兎さんは最後まで見れる?時間大丈夫?」
 心配そうにレンが言うので、阿伏兎は、まぁ、暇だし……と有耶無耶に返答をした。帰ろうと思っていたのは事実であるが、引き受けてしまったものは仕方がない。すると、彼女はぱぁっと表情を明るくして、宜しくおねがいするんよ!と笑った。
「……普段は高杉と来てんの?」
「いつもは舞台袖で見てるんよ。でも一回客席で見たくて頑張ってチケットとったんよ!」
 関係者扱いで中に入ってたのか、と呆れたが、まぁ、客の中に置いておくよりは万斉としては安心なのだろう。ただ、レンは一度ちゃんどステージを見たかった。だから高杉を誘って来る段取りを組んだのだろう。けれどまさかのドタキャンであったわけで、この流れを聞いた阿伏兎は思わずここに居ない高杉に恨み事を言いたくなる。
「まぁ、折角だし最後まで愉しめばいいんじゃね?」
「そうするんよ!」
 嬉しそうなレンの顔を眺める阿伏兎は、まぁ、仕方ねぇか、と困ったように笑った。


 ともかく無事にライブハウスの演目は終わり、熱気冷めやらぬ中、阿伏兎は息を一気に吐き出した。周りの客はと言うと、余韻冷めやらぬと言う賑やかな様子で皆思い思いの感想を述べている。
 それを聞く限り、やはり万斉は普段は殆ど客に対してのレスポンスはないらしく、今日は手を振ったり笑ってみせたりとかなり愛想の良い反応だったのが珍しかったようで、客もその感想が多かった。まぁ、全部お嬢に向かってだけどな……と思いながら隣でジュースを飲んでいるレンに視線を落とす。満足そうな表情をしており、コップが空になると、満面の笑みを阿伏兎に向けた。
「楽しかったんよ!」
「そりゃ良かった」
 やれやれ、と言うように阿伏兎は眉を下げたが、後ろから突然服を引っ張られ、驚いたように振り返った。
「先輩」
「お、おう」
 チケットをくれた後輩だと言う事には直ぐ気がついたが、慌てた様子なので眉を潜めて、どうした?と阿伏兎は聞いてみる。
「すみません、時間大丈夫っすか?実はさっきのメインバンドのギターさんが、先輩と……そっちの姉ちゃん連れて楽屋来てくれって……」
「はぁ?」
「河上万斉さんなんですけど……知り合いだったんっすか?」
「いや、お嬢の方がな」
 どうやら彼は万斉が高杉とつるんでいると知らないらしいし、知らないなら態々知らせて摩擦を起こすこともないだろう、と判断した阿伏兎は曖昧に返答をする。夜兎工とはいえ、全員が全員やんちゃをしている訳ではない。まぁ、ほぼやんちゃではあるのだが。
「阿伏兎さん?」
「万斉の野郎が楽屋来いってよ」
「あ、お片付けのお手伝いするんよ!」
「そんな事してんのか?」
 驚いた様に阿伏兎が言うと、後輩のほうが苦笑しながら返答した。
「アマチュアバンドなんてそんなモンっすよ。自前で殆どやってますし」
「へー」
 全く興味もなかったので阿伏兎は気のない返事をしたが、余り待たせるのもなんだと思い、レンと一緒に楽屋へ向かう事にする。

 そして出迎えた万斉はと言うと、阿伏兎の後輩に礼を言った後に、眉を顰めてレンに言葉を放った。
「一人では駄目だと言ったはずでござる」
「ごめんなさい」
 しゅんと萎れたレンを見て、阿伏兎は驚いたように万斉の顔を眺めた。まさかいきなり説教だとは思わなかったのだ。何かフォローをした方が良いのだろうか?と一瞬考えたが、ここで口を出すのもおかしな話のような気がして阿伏兎は黙る。
「……とはいえ、ドタキャンの晋助が全面的に悪い。彼がいてくれたから良かったものの、ナンパ目的も多い故、一人なら諦めて裏から見て欲しい」
「はい」
 素直に謝るレンを眺めて、阿伏兎は心の中でため息をついた。折角楽しかった余韻も台無しであろう。しかし、直ぐに万斉は少し屈んでレンに視線を合わせると、口元を緩めて言葉を放つ。
「で、どうでござった?ステージは」
 切り替え早いなおい!!!と思わず阿伏兎が心の中で突っ込むが、この手の切り替えに慣れているのか、レンは、ぱぁっと表情を明るくして感想を述べる。
「格好良かったんよ!!!客席で見ると、音とか!ライトとか全然違うし、すごく良かった!いっつも格好いいけど、もっと格好良く見えたんよ!」
「それは良かった」
 満足そうな万斉の表情と言葉に、阿伏兎は、もう帰って良いですか?と吐き出しそうになった言葉をギリギリで飲み込んだ。客には見せることのないだろう万斉の表情に呆れるしかない。なんやかんやで、可愛くて仕方ないのだろう。
「阿伏兎さんも今日はありがとうなんよ!」
「おう……そうか……まぁ、俺は後輩の前座お義理で見に来ただけだけどな」
「夜兎工と言っていた故、使いを頼んだ」
「まぁ、良いんじゃね?また前座で使ってやってくれよ」
 苦笑しながら阿伏兎が言うと、万斉は小さく頷く。まぁ、この辺の万斉の反応はお義理か、本気か解らないが、もしも彼が活躍するいい切欠になるのなら悪くない、と阿伏兎はぼんやり考える。
「それじゃ後片付け手伝うんよ!」
「助かる」
「そんじゃ、俺はこれでお役目御免だな」
 踵を返そうとする阿伏兎の服をガシッとレンが掴んだので、阿伏兎は驚いて足を止める。
「え?まだ何かあんのお嬢」
「えっと……あの……また一緒に来てくれたら嬉しいんよ」
 それは万斉のステージを見る為なのか、それとも自分と一緒にいて楽しかったからなのか阿伏兎には判断できなかったが、河上万斉からはとりあえず物凄く殺意の籠もった視線を向けられ反応に困った。
 高杉に頼めば?と言えれば良かったにだろうが、そろばん教室でドタキャン男は役に立たないのかもしれない。そう思った阿伏兎は、恐る恐ると言ったように口を開く。
「まぁ……なんだ……タイミングが合えばな」
 はっきり断れなかったのは、レンの顔を見たからであろう。いつもはにこにこと愛想よく笑っているのに、今回に限ってはなけなしの勇気を振り絞りましたと言わんばかりの顔で、はっきり言うと、これ見て断るとか無理!!!と阿伏兎は心の中で頭を抱えた程である。
 彼の返事にぱぁっと表情を明るくしたレンは、それじゃぁ!と己の鞄からいそいそと携帯を取り出した。
「番号教えて欲しいんよ!」
「え?あ?」
 思わずチラチラと万斉の顔を見てしまう阿伏兎であったが、万斉は万斉でしれっと、では拙者も、と己の携帯を取り出したので、何でだ!!!と思わず阿伏兎は突っ込むハメになる。
「今日の様な事があった場合、直接連絡を取れれば便利でござる」
「あ……そう……お前銀魂高校と夜兎工の関係解ってんの?」
「高杉と神威が喧嘩してるだけでござろう?拙者は関係ない」
 言い切った万斉に押し切られる形で、阿伏兎はレンと万斉と携帯番号を交換する。交換したが万斉に関しては一生かかってきて欲しくない。そう思いながら阿伏兎は携帯をしまった。
「そんじゃ帰るわ」
「またね!阿伏兎さん!」
 満面の笑みのレンと、無言の万斉に見送られながら阿伏兎は漸く帰路につくことが出来た。
 疲れただけの様な気もするが、それでもレンが喜んでいる姿は悪くなった気もして阿伏兎は複雑な表情を浮かべる。
 いっその事拒絶できればどんなに楽か。けれど、どこかでそれはしたくないと思っているのにも気がついていた。
 あーも、ヤダ、面倒臭い、そんな事を考えていると、突然携帯がメールの着信を知らせたので、阿伏兎は不機嫌そうにメールを確認する。
 そこには、満面の笑みで機材を運ぶレンの写真が添付されており、おつかれさまなんよ!今日はありがとう!と元気の良い言葉が添えられていた。自撮りには見えないので、万斉辺りが撮影したものを送ってきたのかもしれない。
 数分悩んだ挙げ句、阿伏兎は、おつかれさん、と短く返事をした後、添付されていた写真を携帯のフォルダに保存した。


なんやかんやでお嬢に甘い
201907 ハスマキ

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