*胡蝶之夢・side阿伏兎*

 学校帰りに道を歩いていた阿伏兎は、ふと視界に入った集団に注意を向けた。銀魂高校の制服を着た女が一人、それを取り囲むように私服の男が3人。いつもならば無視して通り過ぎるところであるが、明らかに女の方が困り果てた顔をしていたので目についたのだ。
「人と待ち合わせしてるから困るんよ!」
 声を上げた女にしつこく声をかけている姿を見るに、ナンパなのかも知れない。正義の味方は商売にしていない、そう思い、阿伏兎が止めた足を動かそうとした所で事態は変わった。女の手を無理矢理掴んだために、彼女の手からカバンが離れ、それが阿伏兎の所まで吹っ飛んできたのだ。足に軽い衝撃を受けて彼は顔を顰めたが、カバンを拾い上げると女の所へ歩いて行った。
 それに気が付いた女は、慌てて声を上げた。
「ごめんなさいなんよ。怪我なかった?」
 近くで見ると小さい上に、なにやら訛っている。片方の腕を掴まれて困っているのに、自分の事を心配するより、カバンをぶつけてしまった相手を心配する様子が妙に可笑しくて阿伏兎は思わず口元を緩めた。
「大した事はねぇよ」
 その言葉に女はほっとしたような顔をしたが、絡んでいた男達は、突然割って入ってきた阿伏兎に不快そうな視線を向ける。
「何だ?さっさと行けよ」
 その言葉に阿伏兎は、ニィっと口端を上げると、彼女の腕を掴んでいた男の顔に拳を叩き込んだ。
「今、この嬢ちゃんと俺が喋ってんだ。邪魔すんなよ兄ちゃん」
 驚いたのは殴られた男もであろうが、女も驚いたように阿伏兎を見上げた。阿伏兎が差し出したカバンを素直に受け取ると、有難うなんよ、と怯える様子もなく礼を述べる。些かその反応に阿伏兎は面食らったが、悪い気もしなかったので、どーいたしまして、と短く返事をした。
「いきなり何しやがるんだ!」
 当然怒りだした男達は、人数で圧倒していると判断し、阿伏兎に殴りかかってくる。それを見て阿伏兎は尻上がりに口笛を吹くと、軽く攻撃をかわして背中に蹴りを入れる。地面に這いつくばった男、そして、先程殴り倒した男、一人足りないと思い振り返ると、そこにはどこで調達したのか、長物を振りかざした男の姿が視界に入った。
 油断した、そう思い舌打ちをした阿伏兎は、とりあえず防御のために腕を上げた。しかし、その長物は阿伏兎に到達することなく、間に割って入った女によって止められる。
「え?」
 唖然としたのは阿伏兎だけではなく、それを振り回していた男もだろう。女はカバンで長物を受け止めると、足を大きく跳ね上げ、男の顎を蹴り飛ばした。ひっくり返った男に、ふぅ、と小さく息を吐き出し視線を落とした女は、振り返ると阿伏兎に笑顔を向けた。
「助けてくれて有難うなんよ」
「……そりゃこっちのセリフだ」
 助けに入る必要など無かったのではないか。そう思った阿伏兎であったが、先程倒した男達が、ヒソヒソと話を始めたので耳を傾ける。
「ヤベェよ。女も強ェし、アレ、阿伏兎じゃね?神威とつるんでる」
「マジかよ」
 悪名高い神威と同列に名を上げられたのは、誇るべきなのか、恥じるべきなのか。ただ、男達は逃げるようにその場を後にしたので、それに関しては有難く思う。余り暴れると、生活指導教師がまた怒鳴りこんで来る。
「阿伏兎さん?」
 女も先程の会話を聞いていたのだろう。阿伏兎の名を拾って、恐る恐ると言うように声をかけてきたので、阿伏兎は苦笑して返事をした。
「あぁ。大丈夫か嬢ちゃん」
「私の名前は……」
「レン」
 彼女が名乗ろうとした時に、遠巻きに見ていた野次馬の中から一人の男が歩いてきた。同じ銀魂高校の制服。
「彼氏か?」
 阿伏兎の言葉にレンと呼ばれた女は、驚いたような顔をすると首を振った。
「お友達なんよ。シンスケ」
「悪ィな。ソロバン塾長引いた」
 悪びれた様子も無く言う姿に、阿伏兎は思わず顔を顰めた。この男が遅れて来なければ、レンは絡まれる事もなかったのではないかと思ったのだ。しかし、レンの方は気にした様子も無く、ええんよ、と笑っただけであった。
「愚図愚図してねぇで、さっさと追っ払えばよかったんじゃねぇの?強ェんだからよ」
「喧嘩したら万斉に迷惑かかるんよ」
 やっぱり喧嘩が強いのか。そう思い、自分はお節介だったと阿伏兎はその場を離れようとした。すると、レンは慌てて阿伏兎の制服の裾を掴んで引き止める。
「あの、後でちゃんとお礼にいくんよ。今日は時間がなくて、ごめんなさい」
「いいって。余計なお節介だったみてぇだしな」
 萎れるレンにそう言い残すと、阿伏兎は彼女の頭を軽くポンポンと叩き歩き出した。

 別にお礼を期待したわけではない。けれど、よく考えてみれば、彼女には阿伏兎という名前しか名乗っていない。もう会うこともないだろうと思っていた数日後。校内放送で阿伏兎は生活指導室に呼び出された。
「なにかやったの?阿伏兎」
 傍に座る神威の言葉に、阿伏兎は少しだけ思案するが、口端を上げて笑った。
「心当たりがありすぎて解らねぇなぁ。神威よかマシだけどな」
 そう言い残すと、阿伏兎は面倒くさそうに立ち上がり生活指導室に向かう。無視という選択肢もあるが、この生活指導の先生が無駄に腕っ節が強い。余計な怪我をしない為に阿伏兎は比較的素直に呼び出しには従うのだ。指導に対しては馬耳東風であるが。
「阿伏兎入ります」
 ドアの前に立って阿伏兎が声をかけると、中から生活指導の先生の声がした。
「入れ」
 部屋を覗き込んで阿伏兎は仰天した。先日助けたレンがそこに座っていたのだ。その隣には、シンスケと呼ばれていた男とは違う別の男。同じ銀魂高校であるようだが、見覚えはない。
「阿伏兎さん!」
 嬉しそうに声を上げたレンを見て、先生は確認するように彼女に声をかける。
「お嬢ちゃん。間違いない?本当にこの阿伏兎?綺麗な阿伏兎じゃない?」
「綺麗な阿伏兎ってなんだよ、オイ」
 呆れた様に阿伏兎が突っ込むと、先生は阿伏兎に耳打ちするように小声で話しかける。
「うちの生徒に助けられたって訪ねてきてな。【阿伏兎】って生徒はオメェしかいねぇし、一応呼び出したんだが、心当たりあるか?」
「まぁ、一応。なりゆきで助けたみてぇな感じ」
 その返答に先生は驚いたような顔をしたが、直ぐに嬉しそうな顔をした。問題児の多いこの学校で、他校生が訪ねてきた時はまた何かやらかしたのかと初っ端から土下座モードだったのが、人助けをしたと聞いて誰よりも嬉しかったのだ。そうか、そうか、と満足気に言うと、先生はレンに笑顔を向ける。
「態々お礼まですみません」
「こちらこそ、レンを助けて貰って感謝しているでござる。名前と学校しか解らなかった故、先生にお手数をかけて申し訳ない」
 深々と頭を下げた男を見て、阿伏兎は違和感を覚える。普通であるなら、彼女の学校の先生なり、親なりが付き添いに来るであろう所に折り菓子まで持参でやってきた男。
「まぁ、なんだ。どうせ放課後で誰も使わんのでゆっくり話でもしてください。阿伏兎、話終わったら鍵かけて職員室に返しに来いよ」
 そう言うと、先生は部屋を後にして、三人だけが取り残される。
「態々礼なんざ良かったのに。俺がいなくても何とかなってたろ?」
 茶化すような阿伏兎の口調に、レンは首を振ると、困ったように笑った。
「本当に助かったんよ」
「で、こっちは誰?お嬢の兄ちゃん?」
「万斉の家に下宿してるんよ」
 成程、と阿伏兎は納得する。この男が万斉かと。下宿先の人間であるのなら、彼女の保護者替わりについてきたのも頷けるし、彼女が迷惑がかかると喧嘩を自重していたのも納得できたのだ。
「あの、阿伏兎さん。お手洗い借りてもええ?」
 もじもじとそう言い出したレンに思わず吹き出した阿伏兎は、教室を出た突き当たりに教員用のトイレが有る事を教える。それに礼を言い、レンが出ていったのを見送り、阿伏兎は目の前に座る男に視線を向けた。
「ここの先生は余程人に礼を言われるのに慣れていないのでござろうな。何杯も珈琲を飲まされた挙句に、しつこく間違いはないかと聞かれた」
「やんちゃ坊主が多いからな」
 そのせいでレンもトイレに行きたくなったのであろう。可哀想なことをしたと思いながら阿伏兎はソファーに座る。再度万斉に視線を送り、阿伏兎は口端を歪めて笑った。
「態々すまねぇな兄ちゃん。アンタは別に俺なんかどうでも良かったんだろ?」
「レンがどうしても礼を言いたいというから、難儀したでござるよ」
 矢張り、と思い阿伏兎は思わず咽喉で笑った。先生に頭を下げるのも、阿伏兎に礼を言うのも、上辺だけだと。心底どうでも良いと思っているに、彼女のために骨を折る姿が可笑しかったのだ。
「レンは名前しか分からないと言うし、晋助が学校だけでも覚えていたのが幸いだったでござる」
 すっかり冷めた珈琲を飲みながら言う万斉に阿伏兎は口を開いた。
「あぁ、ソロバン塾がどうとか言ってた奴か」
「こんな事にならぬようにと、一緒にいさせたのに、全く役に立たない」
 吐き捨てるように万斉が言ったことに阿伏兎は、うわぁ、と心の中でため息を付いた。確かに、あのマイペースそうな男が実際役に立たなかったのだが、そこまで言わんでも、と彼に同情した。
「だったらアンタがお嬢をずっと傍に置いてりゃいいじゃねぇか」
「出来ることならしている」
 冗談のつもりで言ったのに、大真面目に返答され阿伏兎は続ける言葉を失った。単なる下宿先のお兄さんにしては過保護ではないか。そして、自分に向けられる空気がレンへと向けられるものと明らかに違うのにも気が付き、阿伏兎は思わず肩を竦める。
 暫くして戻ってきたレンに視線を向けた万斉の空気が変わったの事に、阿伏兎は胸をなで下ろした。あのピリピリした空気はたまらない。
「レン。長居をしては阿伏兎殿にも先生にも迷惑がかかる。そろそろ戻ろう」
 万斉の言葉にレンは素直に頷くと、阿伏兎に笑顔を向けた。
「本当に有難うなんよ、阿伏兎さん」
 そう言って、阿伏兎に抱きつくと、背伸びをして頬をくっつけた。
 驚いた阿伏兎が、思わず万斉の方へ視線を送ると、彼は冷ややかな顔をして口を開く。
「レンは海外での生活が長い故に、日本人とは若干習慣が違う」
「さいですか」
 挨拶程度だということであろう。けれども、慣れない阿伏兎にはどうにも気恥ずかしく、困り果てた阿伏兎は、彼女の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
 体を離したレンは、ニコニコと満足そうな笑顔を向けると、またね、と万斉に連れられて教室を後にした。

「女の子助けたんだって?やるじゃん阿伏兎」
「なんで知ってんだよ」
 カバンを取りに教室に戻ると、神威が冷やかすように言うので、阿伏兎は面倒くさそうに返答する。すると、ニヤニヤと笑って、神威は口を開いた。
「先生が言いふらしてたよ。よっぽど嬉しかったんだろうねぇ」
「問題児だらけだからなぁ。つーか、言いふらしてんのかよあのおっさん!」
 頭を抱えた阿伏兎に、神威は顔を寄せると、小声で囁く。
「可愛い子?阿伏兎の好み?」
「小せぇガキみたいな子だよ。銀魂高校だと思うけどな」
「いいねいいね。そういうベタな展開いいじゃん。そこから生まれる恋もあるんじゃない?」
 茶化すように言う神威に阿伏兎は呆れたような顔をする。
「年が離れてんだろ」
「何いってんだよ阿伏兎。阿伏兎がダブってるって言っても、相手が銀魂高校だったら、一回り離れてるって事ないじゃん。彼女が何年生か知らないけど、三つ四つなんて、許容範囲だろ?」
 そう言われ、阿伏兎は、少し驚いたような顔をした。それはそうだ。どうして年が離れているという事を気にしたのだろう。首を傾げた阿伏兎であったが、彼女の傍にいた男の顔を思い浮かべて、やっぱ難しい様な気がしてため息をついた。

 

「阿伏兎、起きてよ」
 ゆさゆさと乱暴に揺り動かされて、阿伏兎はぱちっと目を覚ました。
「神威?」
「もうすぐ地球につくよ。ご飯食べに行こう」
 地球?そう思い阿伏兎は起き上がると軽く首を振った。春雨第七師団の自分の部屋。団長である神威。
「つーか、地球ってなんだ!休暇中になんで地球行くんだ!」
「休暇中だから地球のご飯食べるんじゃん」
「……勝手に予定変えて俺が怒るとか考えねぇの?」
 阿伏兎の言葉に神威はニヤニヤと笑うと、それはない、と言い切った。
「なんで?」
「機嫌いいと思ったから」
「へぇ?」
「いい夢見てたんでしょ?ニヤニヤ笑ってた」
 そう指摘されて、阿伏兎は今直ぐ神威を追いだして布団の中に逃げ込みたくなった。とりあえず目の前の神威を追い払うために、地球での食事を了解すると、風呂にはいるからと無理矢理神威を追い出した。
 静かになった室内で、阿伏兎は乱暴に髪をかき混ぜると、小さくため息をつく。
「……思った以上に年齢気にしてんだな俺」
 そうつぶやいて、恥ずかしくなった阿伏兎は、ベッドから降りると、頭を冷そうと風呂場に向かった。


おっさん困れ!
20110105 ハスマキ

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